ざらついた空気をエク・シュヴァイスは舌で感じながら目の前を歩く男――ハワード・アデルを睨みつけた。 ハワードはエクにまったく気を向けていない様子だ。ついてこなくてもいいと思っているのか、害せないと油断しているのか、その傲慢さに腹が立った。だが、実際、いまのエクには選ぶだけの力も権限もないのだ。 屋敷で動けない状態のエクを、ハワードの秘書であるとかげによって抱きかかえられ、車に乗せられてどこか知らない街区の入り口まで運ばれて、そこからは自分の足で歩くようにと言われた。 一緒にいたテリガンや理沙子はどうしたのだろうかと気にかかったが、ハワードがついてこいと口にしたあと歩きだしたのにエクは黙って従うしかない。見ると壊れた建物、人の気配もないのに、すでに捨てられた街のようだが…… ぴたりとハワードが足を止めた。 なにを ハワードが両手を伸ばすと、いつの間にかサーベルが握られていた。ハワードは踊るように刃を地面に突き刺して、回転するとかたい地面に円を描く。用済みとなったサーベルはハワードの手から離れると砂と消えた。「私は……この世界では少しばかり珍しい魔術師だ。術者がいくつもの条件や方法によって自分の霊力を外側へと発して力を使うのにたいして、内側で霊力を練り上げて駆使する。そして私はいくつもの方式を独断にくみ上げ、脳に刻むことによって触れたものの物質を分解、構築を使うことができる」「分解と、構築」 エクは繰り返す。「鉛から金すら作る、丹術……別の言い方では錬金術といわれるがね」 ハワードが振り返ったとたんに、彼の足元に十丁の銃が――一目見てわかるのは細長いその鉄の姿はライフル銃、もしくはカービン銃。まるで鋭く研がれた刃のように地上に突き刺さり、主が手にとって引き金をひくことを待っている。「私がマフィアなんぞやって誰にも殺されないのは、私自身が無限の武器庫だからだ。まぁ、多少使用条件にいくつかの制限などあるが別にそんなことをいちいち説明しなくてもいいだろう」「ここで俺を殴り飛ばすつもりか」 エクが唸り上げるのにハワードは冷やかに肩を竦めた。「この円だ」 ハワードの足元には一メートルほどの狭い円がある。先ほど、サーベルで作ったものだ。「ここから私を出したらお前の勝ち。制限時間は無限、お前が動けなくなるか、ギブアップしたときが終わりだ」 エクは目を見張る。つまり、これは「私には他にもいくつかの能力があるが、今回、それは使用しない。今、ここにある武器と己の肉体を使用して戦う。防御らしい防御も放棄しよう」 淡々とハワードは条件を語る。 そもそもスーツにコートだけの姿で、周囲を見ても瓦礫しかなく、さらにいえば円の近くにはものらしいものはないのだから身を隠す、もしくは何かを盾とすること不可能だ。「私は現在所有する武器を使い、貴様を喰らい尽くす」 ハワードは懐から白い手袋を取り出してつけると、そのあと小さな回転式拳銃を取り出すと空を撃って、コートのなかにしまった。「人払いだ。一応、ここはまだ閉鎖はされていないからな。さて、はじめようか」「ふん、ずいぶんと余裕だな。そんな条件を出して」「もともと守りは好きではないのだよ」 ハワードの手がゆっくりと動いて、二丁を手に取る。「私が戦うとなれば撃って、撃って、撃ちまくる! 貴様が泣いて命乞いするそのときまで、いいや、声すら出ないように喉仏に食らいつき、撃ちぬく!」 まだ日は高いというのに温度が一気に下がり、夜のような寒さすら味わう。心がむき出しにされ、魂が食われるような恐怖。 狼が嗤っている。「さぁ、ここまでお膳立てしてやったんだ。かかってこい。貴様を見せてみろ!」 二丁の銃口がエクに向けられる。まるで口を開いた狼のように。「ハワード、俺はずっとお前から逃げ続けていた」 エクは息を吐き出すと拳を握りしめた。「だが……もう、逃げない。 ここで決着を付ける」 そしてエクは狼と対峙した。★ ☆ ★ ぱち、ぱちぱち……テリガン・ウルグナズはここにはいない友に拍手を送った。「すげーよ、ハワードの旦那ってほんとに怖い人なんだな。けど、エクも逃げないし」 テリガンと理沙子がいるのはハワードとエクが対峙する場所から数キロほど離れた廃墟ビルの屋上であった。 エクが連れ去られるのに理沙子はテリガンに声をかけて、ここまできたのだ。 ここならばエクたちの戦いの流れ弾を気にすることもなく、見ることが出来る。 テリガンは狼のように牙をむき出しにして笑いながら横にいる理沙子を睨みつけた。チャイナドレスに手袋だけの身軽な姿で彼女は立っている。「オイラ、アンタには話があるんだ」「なにかしら」「確かにエクはここへの帰属を望んだけど、それに手を差し伸べたのはアンタだ。ハワードの旦那のセリフ、計画性の無さが云々ってトコからそっくりそのまま返すぜ」「私に?」 理沙子はエクたちを見つめて笑いながら返した。「アイツを絞め殺そうとした女も、最初は軽はずみでその手をとったんだ」「計画していたのよ。本当は、エクが私に会いに来たら、とかげは導士だから、それで姿を変える術を身に着けて、なにかしら仕事させて、土台をつくって、ハワードに挑ませようと思ったけど、やぁね。手順がずれちゃった。まぁ、いいわ」「あのなぁ、姿って、そんなのオイラの契約」「馬鹿ね! エクが自力で取得しなきゃ意味ないでしょ? 私は弱い男は嫌いよ。私がエクを求めたのは自分の足で立って、戦えると思ったから、もし頼ってくるならそんなのいらないわ」 理沙子は冷やかに笑うのにテリガンはむっと言い返す。「アンタまで軽はずみじゃ、困るんだ」「軽はずみってなにかしら? ねぇ、知ってる、テリガン、ある狼の場合は、雌が少なくて、雄のハーレムを作るの。雌に選ばれない雄は子ども作る事が出来ないの」 テリガンは怪訝な顔をして髭を震わせる。 テリガンは忘れていた。 理沙子はあのハワード・アデルが認めて、妻とした女。彼の心の支えであり、子の母。その立場ゆえに旅団に人質にとられ、あるときは大勢に狙らわれた。けれど彼女は生き延びた。「宝石も甘い御菓子も、素敵だけど、それだけの重みがあるって知ってる? 知らないわよね。男って、そうやって血を流せば満足なんだから。けど、そういう馬鹿で真剣なところ、大好きよ。私はね、その上に立ってるの。だから強い人が好きよ。覚悟がある人が好きよ、ハワードのことも、エクのことも、何かを得るために失うなんてやぁね。いつも覚悟してるわ」「アンタの覚悟も聞かせてよ」 テリガンに向けて理沙子は壮絶に笑った。「いいわよ。あなたはエクをここまで連れてきてくれた、なんでもこたえてあげる、ただしばかばかしい正論はやめてよ。退屈は嫌いなの。それに、ほら、私はここであの人たちを見ていてあげなきゃ」 理沙子は真っ直ぐにエクとハワードが対峙するのを見つめて、静かに、目を細めた。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>エク・シュヴァイス(cfve6718)テリガン・ウルグナズ(cdnb2275)=========
建物の屋上のせいか、時折気まぐれに強い風が吹いて理沙子の黒髪が波打ち、宙に広がる。 「はじまった」 理沙子の背後に立つテリガン・ウルグナズは呆れ果てた言葉にため息をついた。 「おい」 「なに」 理沙子は前だけを見て返事をした。 ★ エク・シュヴァイスは懐から葉巻を取り出し、じれったくなるくらいゆっくりとした動作でライターを取り出して火つけた。 濃厚な紫煙が唇から吐き出され、黒豹の周囲に漂う。 「戦う前に幾つか、言っておきたい事がある。ありがとう。貴方の言葉で、いくらか目が覚めた。俺は……もう逃げない、貴方からも、この世界からも。俺自身の、この姿からも。それが、俺の覚悟だ」 太く、凛とした声でエクは告げ、再び葉巻に口づけを落とした。陶酔感を脳と体でじっくりと味わった。 「もう一つ。もし貴方がこの後、俺を認めたならば。“無計画”の不名誉は、取り下げて貰おうか!」 葉巻を空中に投げて、的確な足さばきでハワードの顔面に向けて放った。 その隙をついてポケットからタンス、テーブル、クローゼットなどのこの世界に引っ越すために用意していたものを手当たり次第取り出し投げ付けた。 ハワード・アデルは宣言したように防御はしなかった。無駄のない動作で葉巻が当たる寸前に前へと滑りでた。 葉巻はハワードにあたるぎりぎりで、空を切って落ちていく。 片足を前に出して両手の銃を前に向け、狙うはたった一つ。 エクのみ。 発射、発射、発射、発射 「!」 回避、あるいは道具を打ち落とす行動を考えていただけに予想外の反応だった。 またエクは大量の荷物をポケットから出したことで次の行動に移るのにどうしても間が必要だった。その一瞬の隙をついて左の太もも、右のふくらはぎ、左足首――ハワードは的確に撃つ、撃つ、撃つ。 ハワードは宣言したように戦うと決めたならば撃って、撃って、撃ち尽くすのみと決めて行動を徹底した。 エクは獣の反射神経を使い、太ももの一撃のみだけであとは回避したが――それでも痛みに悲鳴をあげてもおかしくないダメージを被った。 地面に転がされてもすぐに手をついて駆け出す。見ると、火傷したような熱はあっても血は出ていない。ゴム弾だ。 殺すつもりは、なしか。 エクは透明化をはかりながらじぐざぐに走ってこれ以上の弾をもらわないように走行する。 瞬きもせずに前だけを見ているハワードはテーブル、タンス、クローゼットなどの家具類の落下速度を計算して素早く体を起こした。 「!」 二度目の驚愕。 ハワードは宣言通り、円から出ない。ゆえに空中に逃げることを選んだ。己の上に落ちるはずのタンスを足場としてさらに飛躍、空中から太陽を影にして地上にいるエクに向けて、音だけを頼りに発砲した。 「っ!」 エクはぎりぎりで回避するが太ももの痛みに顔をしかめる。と、ゴム弾が顔を掠めたのに肝が冷えた。 めちゃくちゃだ。こいつ! エクは息を乱しながらも気配を断つように心がける。 これ以上足を潰されたら、攻撃することも出来ずに終わりだ。 幸いといえるのかわからないが、ハワードの野生の狼じみた反射神経を把握出来た。 それにハワードは手に持っていなければ武器を使えない。 ささやかな発見をどう利用するかはエク次第だ。 ★ がしっと、音がするほどに強く、テリガンはマナーの悪い理沙子の首を力任せに掴んだ。 理沙子の黒髪が揺れた。 テリガンは隷属している蝙蝠たちをあたり一帯に潜んでいるだろう理沙子の護衛の探索にあたらせていた。 見つけ次第、狙撃なんてしたらこの首へし折ると蝙蝠に伝えるように命じてある。それでも無視するならば蝙蝠たちで攻撃し、黙らせるつもりだ。 「自分が優位だと信じて止まないヤツって、無性に噛み付きたくんだよね。勘違いも、ただの早合点なら可愛げがある。アンタのは致命的だねぇ、エクの帰属を決定付けるのは旦那だけだと本気で思ってる? 分からないなら教えよう、この事例の決定権はオイラにあるんだ。例え旦那とエクが肩組んで帰って来ても、アンタの態度次第でオイラが帰属させないってコトがあるのをお忘れなく」 テリガンが手を離すと理沙子は肩を竦めた。 「私は別に優位ではないのよ。女ですもの」 理沙子はそこでようやく首だけ動かした。 「そもそも、帰属のことを私はよく知らないけど、セリカのことから導き出して言うけど、きっと誰にもないと思うわ」 理沙子は真っ直ぐにテリガンの美しい瞳を見つめる。 「誰にもないから、誰にもあるの。エクがここに帰りたいと思う、私たちはエクにここに帰ってきてほしい。ただそれだけ」 帰属は、その世界を愛し、故郷を捨てても――否、覚醒したときに放逐されたゆえに旅人たちは求めるのだ、生きていく場所を。 それはもともとの故郷かもしれない、もしくはもっと別の場所かもしれない。 巡り、廻ってようやく「帰りたい」と思う、自分の居場所。 真理数が出るのは、その世界に求められる証。 ただいま、という帰りたい気持ちを持つ旅人とおかえりなさいと迎える世界、両方の気持ちがなくては成立しない。 純粋な気持ちと絆は本人だけにしかわからないものだ。そして旅人を求める世界と、関わりあう人間にしか。 帰属の決定権があるとすればそれは本人にしかありはしない。それは他者がどうこうできるようなものではない。 「私は、あなたたちのすべてを知っているわけではないの。エクは話してくれないし、だから、私は私に出来る最善をエクに提供するだけ、それを選択するのはエクよ」 理沙子は再び前へと視線を向けた。 「分かり辛ェ例え話の考察、後出しのプランに付き合う義理はない。オイラが聞きたいのは、覚悟だ」 「覚悟ってなに」 理沙子は再び問う。 「言葉を話し、二本足で歩く黒豹のバケモノ。その姿を隠すための、契約も変身術もその場凌ぎに過ぎない。どう足掻いてもアイツには危険が降り掛かり、アンタ達も盛大に巻き込む。この現実と危険に立ち向かう覚悟を聞かせてよ。薄っぺらいプランと意味不明の例え話は却下だ、アンタの素直で正直な気持ちだけを聞き入れよう」 「それ、もう、私、エクに伝えたわ」 キサが帰ってきた晩餐会の夜のことをテリガンは知らない。 不幸にするかもしれない、けれどそばにいる。笑っている、名を呼ぶ。 与えるものはそれだけだと理沙子はエクに伝えた。 それはエクにのみ伝えるべきことで、他者に言うべきことではない。 「それに言葉では足りないでしょう。あなたが口にしたのは、エクの昔の話ね、エクの母親の話」 理沙子は強い風が目にしみるように細めた。 ――化け物め! エクの育ての母親は人間で、エクをそれでも育てようとして結局は出来なくて、首を絞めた。エクは必死に逃げて、逃げて、坂の上を転がる石のように。それでもなんとか立ち止まれたのはただ単純に運がよかったからだ。 「あなたがいうのは、たとえばエクのために死んであげられるってこと? エクのために泥水をすすれるということかしら? だったらノーよ」 理沙子は冷やかに告げた。 「私はエクのママじゃないの。育ての母親でもないの。私は力のない女よ。なにかできるはずないじゃない。だから強い人が好きなの。エクには自分の足で立て、進んでほしい。私はエクではないの、エクにはなってあげられないの。けれど一緒に考えることはできるの」 理沙子は自分に力がないことを心得ている。自分がエクの母親になれないことも。 エク、あなたと共に人生を歩んであげることは出来ない。もう私には共にするべき相手がいるから。 けれど、エクにとって理沙子はきっと母であり、娘であり、妹であり、愛する人なのだろう。だから恐れながらも共に居たいと過去を踏み越えてこれたのだ。 だから、強く、強くなって、そして生きて。このインヤンガイという世界を帰り場に望むならば心も、体も、一人でも生きていけるように。 異種であることすら強味であるように。 一緒に生きてはあげられない。なぜならエクは理沙子より長く生きるかもしれない、もしかしたらもっと短命かもしれない。 だから 「私がしてあげれるのは、本当に少ないの。ただ一緒にいることぐらい。本当はね、エクの子どもぐらい生んであげるんだけどね。きっと無理よね、私たち種が違うもの」 理沙子は微かに笑う。 「私がしてあげれるのは選択の提示と、私が女であるということぐらい。私をここで殺しても、キサがいるわ。エクと知り合って、仲良くできるわ。 女っていうのはね、なにをするのも己の体で支払うのよ。男はいつも力で破壊するしかないけど、女は生み出せるの。すごいでしょ? 私が死んだら、キサがいる、キサの次はその子供が……エクと知り合っていく、きっと」 エクが一人にならないように。 「けど、もし、本当にエクがこの世界で生きてくれるなら、どんな形でもいいわ。残してあげる」 エクはもう子どもではない。立派な大人で、選んで進んできたからだ。理沙子は前だけを見つめる。 「エクはもう大人なの、自分で選択する。私はそれを見てる。もし選んだら全力でそれを応援する」 理沙子の髪が風になびいた。 理沙子がここを選んだ理由はただ一つ。 ここなら戦っているエクとハワードが良く見える。 きっと、エクがこの世界に帰属するための覚悟は言葉では足りない。 だから見ている。 エクの決断も、進む道も。 だからあげる。 私があなたにあげられるものは、本当に少ないの。 共に生きてはあげられない、けれど一人にしないから。絶対に。 残してあげる。 苦しんで、不幸になって、もっとつらくて、悲しいことがあることも承知の上でこの世界に来てくれるなら エクが生きている証を、どんな形でも残してあげる。生きていく意味を見つけてあげる 共には生きれないけれど、寄り添うことは出来る。一緒に悩むことはできる。思い出を共有することは出来る。 「私が生きている間、あなたを見ててあげる。エク……あなたを一人にはしないわ」 理沙子の視線の先にはエクがいた。 言葉では足りない、だから理沙子はここにいる。ここで見ている。エクがどうするのか、どんな選択をするのか、進むのかを。 テリガンは何も言わずにその場を立ち去った。 ★ 閃光弾を放ったエクは手に持っていたワイヤーでハワードの腕を捕えた。ハワードは弾切れの銃を捨て、新たな銃をもう片方の手に持つと発砲した。 「く!」 単純に引っ張り出す作戦だが、これは逆に自分も相手に捕えられるということになる。 ワイヤーのおかげで狙うべき獲物の場所がはっきりしていたのにハワードはエクに向けて容赦なく放つ、穿つ、抉る。 「っ!」 弾切れを狙い、耐えるしかない。 じりじりと痛む足を重点的に狙われてエクは限界を迎えようとしていた。腕の負担はギアでカバーできるが踏ん張る以上、足にひどい力がくわわるのだ。ハワードは撃ち尽くした銃を捨てると、円のなかに落ちているタンスに回り込み、ワイヤーをひっぱりにかかる。 「っぐううう!」 むろん、こんなことをすればハワードの腕とてただではすまない。その証拠にワイヤーには濃い血が伝い、タンス、地面が染められている。 じりっと、エクが引っ張られる。 このままでは円に出すどころではない。自分がはいらされる。 「っ! めらめらなのです!」 博物館の仲間たちの技をエクは今まで多く盗んできた。 猫又の紅蓮の炎が生まれ、円のなかに渦を作る。これはハワードにとっても予想外の技だったのだろう。相手を焼き尽くすような炎渦でタンスが消滅したのに、ようやく二人は向かい合う。 「出てこないと死ぬぞ!」 ハワードがじりっと後ろに下がる。 「っ! うお!」 エクは前に飛び出す。 持久戦では負けると理解した上での最後の一撃。ワイヤーが緩んでハワードの体が後ろに崩れる。 そのタイミングでポケットのなかにひとつだけ持っていた打ち込み型の痛み止めを足に刺して痛覚を消して渦の前まで突っ込んでいく。 「はぁあああ!」 もう片方の手に持つのはワインボトル。それを高く振り上げたとき渦を消して殴りかかる。 届け! 次の瞬間、エクの顎に鋭い銃口が付きつけられた。 「!」 後ろに下がったハワードは地面に突き刺した銃を手にとったのだ。炎のなか鉄は熱され、毛が焼かれる。 「はあ!」 気合いの声とともにエクはワインボトルを振り下ろす。それはハワードの頭を叩き打つ、同時に下から上に熱された鉄の一撃がエクを弾き飛ばした。 「っ!」 エクは地面に叩き付けられ、息も荒く睨みつける。 ハワードは全身を炎に熱され、スーツもこげたひどい有様だ。しかし目だけは爛々と輝いて銃口を向けてくる。 エクは咄嗟にハワードの腰に飛びついた。 「うおおお!」 小細工だけでは勝てないならば、あとは自分のなかに残る力でぶつかっていくだけだ。 ハワードの体は想像していたよりも軽かった。今までのダメージにたいして一切の防御を放棄しただけあってかなり疲れ果てていたため抵抗なく後ろに下がった。それでもすぐにつま先をたてて地面に踏みとどまろうと試みるのは恐ろしいまでの精神力のなせる業だ。 「これで終わりか」 「なんだッ! 俺はまだ戦えるッ!」 エクは興奮から怒鳴る。 「よく見ろ」 ハワードの声にエクは肩で息をしながら視線を下に向ける。 ハワードの足は円から出ていた。 エクの、最後の、願い、進んだパワーがハワードを押し出したのだ。それを見た瞬間、全身から力が抜けてその場に崩れた。 「まったく、小細工ばかりのおかげでひどい有様だ。はやく治癒しないと仕事に差し障るな」 ハワードは肩を竦めると、ふっと目尻を緩めた。 「エク、大丈夫?」 「っ、うあっ!」 背中に柔らかな感触を覚えたエクは情けない悲鳴をあげて尻尾を膨らませる。振り返ると理沙子がいた。 「理沙子」 「見てたわよ? がんばった。えらい、えらい」 頭を撫でられたエクは膨らんだ尻尾を小さく揺らして、ちらりと盗み見るように理沙子を見て、彼女の首に赤い痣があるのに気がついた。 「理沙子、その首の傷は?」 「え? 勲章みたいなもの、かなー?」 「ものかなーって、それにテリガンはどこだ」 「気がついたらいなくなってたから帰ったのかしら」 「……理沙子」 エクは脱力して理沙子に呆れたといいたげな、けれどぬくもりのある眼差しを向けた。 「さ、二人とも、ひどい有様なんだから、さっさと手当しなくちっちゃ。それでゆっくり紅茶とシュークリームを食べましょう」 理沙子が立ち上がると明るく笑って、エクに手を伸ばした。
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