事務所に緊張が流れた。「なんのようだよ」 わざと明るい声で設楽一意は目の前のソファに腰を下ろした白いチャイナ服に片目以外は白い布で隠した男――白龍と対峙した。 ハフリの実兄であり、街に存在する術者組織の重臣。 魔女であるハフリのことではいろいろと世話になった、この事務所も、仕事だってはじめのころはなにかと斡旋してもらった。この街では、いや、インヤンガイでは一意の身元保証人である。 なにか、ある。 今までの依頼とは比較にならないものがやってきたと直感が告げる。「ハフリ」 兎たちと共に奥に引っ込んでいたハフリは恐怖に顔をひきつらせて一意のそばにとと、と小走りに近づき、その横に腰を下ろした。「ハフリは俺の仕事を手伝ってくれている。今は能力も安定して、自分である程度なら操れるようになってる。依頼ならハフリも一緒に聞かせてもらう」「……かずい」 ハフリがすがるように見つめるのに一意は頷く。「依頼は一つ、失せモノだ。……ただの失せモノではない。ハフリを引き取るとき囲んできたクソジジイどものこと覚えているか?」 ハフリを不吉だと言って囲んできた術者たちのことを一意は思い出した。「あのジジイの一人、西の長の息子が浚われた」「それってやばいんじゃないのか」「やばいな」 白龍はあっさりと告げる。 以前ハフリを引き取る際に白龍が告げた、術者組織の長たち――西の長、南の長、東の長。 前はここら一帯を支配する美龍会が崩壊し、誰が街の覇権を持つかということで睨みあってぴりぴりしている状態だ。 そんななかで西の長の息子が浚われたとなれば、派閥争いの緊張はさらに高まった。「お前は息子を見つけろ」「俺が?」 怪訝な顔で一意は問う。「そうだ。出来るだけ早く、そして、生きたまま俺のところに運んでこい。そうすれば俺があとのことはうまく始末する。困ったことに俺はあのジジイ共を抑えるのに忙しくて自分では動けん」「そんなにもやばいのか」「やばいといっているだろう。犯人を捕らえたら最高だがこの際欲はいわん。息子さえ見つかればよい。この息子、文術書記でな」「なんだそれ」「術を知るのはどうする」「それは……師からの口伝か、書物で」「文術書記とは術書を書く者のことだ」 そもそも術という知恵そのものが一種の力の塊であり、それを抑える技を持つ者――術者が存在するのだ。 その術の知識は口伝が一般的であるが、それでは途絶える危険性を懸念して術書が生み出された。 術書とはそれがまた一種の術として、書くことも、読むことも危険なのだ。 文術書記は体内に宿る霊力によってわが身をどんな術からも守るかわり、それ以外の術は一切使用できない。しかし、術の知識を記録し、書き残すことが出来る者である。「つまり、そいつは術が使えない、けど術も効かない、ちょっと特殊な一般人ってことか」「まぁそうだな。ただ一般人には過ぎた知識を脳に宿し、それが見る者によればよだれが出るほどの価値がある。西の長の息子は、西の組織のすべての術を脳に宿していたそうだ」「そいつは」「おおよ、三千ほどの術の知識を所有している。もしなんらかの薬を使われ、知識をしゃべらされたら危険だ」「……ふん、ずいぶんと大きな仕事を任せるんだな、俺に」 一意は背中に這い寄る恐怖を撥ね退けるように笑ってみせる。「お前がきちんとした働きを示せば、もう他の長たちは何も言うまい。お前がここで暮らすことも、ハフリといることも認めるだろう」 ぎくり、と体が震えた。 ここで暮らすことが認められるかもしれない。そうだ、これは大きなチャンスだ。 覇権争いなんて知ったことではないが、この街が危険なことに陥るのは避けたい。 それにここで手柄をたてれば彼らはいやでも一意の存在を重くとるだろう。「引き受けるか」「誰にもの言ってんだよ? 俺は失せモノなら必ず見つける設楽一意だぜ?」「よし、では頼んだぞ」「待て。報酬について話してない」 腰をあげた白龍は眉を寄せた。「欲張るか」「当たり前だ。それにお前が口にしたのは俺が成功したときの旨味だけたぜ? 報酬じゃない」「ふん、では、なにがほしい」 「ハフリと話し合ってくれ」 ハフリがびくりと震えた。白龍は片目しかない目を細めた。先ほどとは違う緊張が室内に流れた。「なんでもいい、俺がこの依頼を引き受ける報酬として、あんたはハフリに……なにか話しかけてやってくれ」「……よいだろう」 くっと白龍は笑った。「俺もその魔女に言いたいことがあった。お前が失敗しようと、成功しようと、一言いってやろう」 白龍は立ち上がりさっさと出ていく。そのあとをハフリは泣きそうな顔で一意を見つめた。口を開いて、閉じて、結局なにも言わずに一意の体にしがみつく。 ハフリに酷なことをしたと思う。けれどいつか、自分になにかあったときのためにもハフリには頼れる相手がほしい。肉親の情なんてものが綺麗なものだけではないことは知っているが、それでもぱっと思いつくのは白龍しかいなかった。 いつか、だ。今すぐじゃない。俺は死なない。けど、保険はいる。「ハフリ」「なに」 抱き着いたままハフリは問う。「俺に力を貸してくれ。魔女の力を……俺はお前との未来を選びとってみせる」 ハフリが静かに頷いた。☆ ★ ☆ ぴちゃん、汚水が滴り落ちる。 そこはさるビルの地下であった。淀んだ空気に蝋燭一本のみ、電気は通じていないので薄暗く、いるだけで憂鬱となってくる。「こいつが、西の文術書記」 黒赤のチャイナ服に身を包ませた男は縄、しかも赤い墨で何か書かれた特殊な呪法を刻まれたものでぐるぐるにまかれて倒れていた。何かの薬品で意識を失っているのかぐったりとしてぴくりとも動かないが浅い呼吸は定期的に繰り返されている。 その前にいるのはジーンズとシャツの筋肉質な男と術者らしい赤チャイナ服の美しい男であった。「ラン兄よ、こいつを売れば俺ら金持ちになれるのかい?」「そうだ。ルーよ。ふふ、西の長の息子だ。あいつらもまさか内部の者が犯人とは思うまいよ。こいつからせいぜい術を聞きだし、売ればいい」「そしたら争いが起きる、退屈とはおさらばだ」 ランと呼ばれた術者らしい男とその弟のルーはほくそ笑む。「しかし、普通のやつなら俺がぶんなぐって倒すが、術者だったら」「なぁに、俺の炎の技で焼き払ってくれるさ」=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>設楽 一意(czny4583)=========
窓から白い隼を放つのと一緒に濁った空気を肺いっぱいに吸い込んだ設楽 一意は懐からこんなときの予備として作っておいた札を取り出し、猫足の長テーブルに広げてある地図の上に乗せた。 地図の上に置いてある札がふわりと浮遊し、小さな兎となって仮想現実に仕立てた地図のなかを動きまわる。そうして特殊な術の痕跡を探す。 もともと情報収集が得意な一意にとって、この程度は造作もないことだ。更に懐から札を放って兎たちを作り上げて下町に放つと、人々の口から零れる情報を集める。 失せモノを探せと言うならばいつもの要領でいけばいい。本来、こんな手のこんだ術式まで使用することは滅多にないのだが相手が相手だけに手札を惜しむわけにはいかない。 空の目と地の目。 この二つから迫れば、すぐに見つかるはずだ。 問題は取り戻す方法だ。 一意は地図を睨んだあと、奥歯を噛みしめた。 「かずい、大丈夫?」 ハフリの心配そうな声が聞こえてくるが、それに答えているだけの余裕が今の一意にはない。 精神回路を式神とリンクしているため、脳に空と地の情報が忙しくはいってきていた。 激しい情報量の波は一瞬でも気を抜けば意識が乗っ取られかねない。 やっぱり、街全体となるとキツイな。 はぁと一意は小さなため息を漏らして、横を叩いた。 「かずい?」 「ハフリ、横にきて、ちょっと、杭、になってくれ」 ハフリが横に腰かけて身を寄せてきた。 ぬくもりを感じる。 ハフリが不安を覚えたように手を伸ばしたのを一意は自分の右手で掴み、指を絡めて握りしめた。 ハフリが現実に留まる杭となって自分がどこにいるのかきちんと理解する。 一意の手にじっとりと汗が滲み、温度がどんどん下がっていく。さらに情報が増したのにずきりとこめかみが痛む。 ハフリがぎゅっと一意の手を握りしめる。ここにいたい、ここに! 「っ、」 ひゅうと息を吐く。 「……犯人の場所がわかった」 「本当!」 ハフリが驚きの声をあげるのに一意はゆるゆると口元に笑みを浮かべて頷いた。左手で胸ポケットのペンを取り出して、地図に印を書く。 「式神を見張りにつけてあるから、なにか異変があればすぐに対応できる。他の式神たちで周辺を囲むから逃がさないようにしておくが」 「が?」 「……なかの人数や、そいつらがどんなことをしてくるのか、わからねぇ」 苦虫を奥歯で潰して一意は告げた。 式神の目を通して知った犯人たちが立て籠っているのは街の端にある小さな、棄てられたようなビルであった。 そこから妙な気配を感じて兎を二羽、三羽と忍び込ませて各フロアを見て、最後に地下を見る縄で拘束されてぐったりと倒れている男がいた。それを嘲笑う複数の気配にばれてはいけないと式神の探索を打ち止めたのだ。 生きて引き渡さないと依頼は失敗だ。 慎重になりすぎているというのはわかっているが、絶対に失敗できない緊張が胸をいっぱいにする。 「ハフリ」 「なに?」 一意の目をハフリは円らな瞳で見つめ返す。 「お前の、力を借りたい」 一意は絞り出すような口調で告げた。 出来れば、ハフリの力は借りたくなかった。だいぶマシになったとはいえハフリの力はまだまだ未知数で、使用が彼女自身の負担にもなっているが。 だが 「今はまだ俺は死ねないからな確実性を取る、だから頼む」 「かずい? まだ死ねないって、なによ、その言い方!」 ハフリが睨んでくるのに一意は言葉を誤ったと苦笑いした。 「違う。違う。悪い意味じゃない。あのな、俺は、お前とここで生きていきたい。この世界で、お前の横で、……ハフリ」 「う、うん?」 「この依頼が終わったら、俺は、本当の意味でここの住人になれる。そしたら、お前と家族に、なりたい」 「……家族……?」 「家族なんて俺にはよくわからないが、この世界でお前と一緒に笑ったり、怒ったり、そういうのを繰り返すのは俺にとって大切なもので、失いたくないし、もっと続けたいことなんだ、……いつ死ぬかなんて、わからない。けど、出来るだけ長く生きたい。そうだなしわくちゃなじじいになりたい」 むかしは、いつ死ぬかなんて、それこそ運任せだった。 そんな自分が己の足で立ち上がって生きはじめて、誰かのために命だって差しだせた。 いまは、守りたいもののかわりに死ぬんじゃなくて、生き残るという道を探そうとしている。 「目指すはお前と一緒に老衰死な」 「二人仲良く?」 「二人仲良くっていうのは難しいだろうが、まぁな」 「……かずい、それって、プロポーズ」 「なぬっ!」 ハフリの率直な言葉に一意は真っ赤になって硬直した。 「よし、かずいと長生きのために、私、やる」 「おい、まてよ。ハフリ、俺は、まだ」 プロポーズするには場所だって、指輪だって……なにも用意してないのに、こんなところでしたなんて不本意だ。 すぐに誤解、いや正しくは誤解ではないのだがいろいろと伝えたい一意を無視してハフリは目を閉じて精神統一を開始した。こうなると下手なことをしてハフリの邪魔をしたくない一意は仕方なく黙った。 繋いだ手からぬくもりを感じる。 そこから脳に映像が流れ込んできた。 男が二人。 一人は拳を、もう一人は紅蓮の炎……一意が彼らと対峙して苦戦している未来。不意打ちで殺される姿。 ハフリが苦しげに唸るのに一意は手を握りしめて応えた。 こんな未来をぶち壊してやるよ。ハフリ。 ぴちゃん、汚い水が天井から落ちる音が地下に響く。 その異変にはじめに気がついたのは術者であるランだった。こめかみにちりりっとする小さな痛みとともに視線を感じて周囲を見回して瞠目した。 階段のところに赤い二つの目。 「なっ!」 それは白い兎だった。 一瞬、なんだと思ったがすぐにおかしいということに気がついた。こんな街中に兎がいるはずなんてない。 「術だ!」 手のなかに生み出された紅蓮の炎によって哀れな白兎はろくな抵抗も出来ずに飲み込まれる。 しかし。 「兄貴! こいつら!」 兎は一羽ではなかった。 二羽、三羽、四羽、五羽……二人は気がついたら無数の赤い目に囲まれていたのだ。 かりかりかり、と何かを齧る音がしたのに目を向ければ兎たちは人質の拘束する縄を齧って解こうと試みている。 「この程度の式に破れるか! ルー、お前は術者を探せ! これだけのものだ近くにいるはずだ」 「わかった!」 紅蓮の炎が再び生み出されて兎たちを飲み込んでいく。兎一羽一羽にたいした力はなく、炎に恐れをなして逃げ惑う。 が 炎とは空気があってこそ発生するものだ。 炎が狭い室内で生じることによる酸素の不足にランは気がついて舌打ちした。術で炎そのものはコントロール出来てもそれによって発生した状況変化までは対応できるはずがない。 ルーは急いで階段をあがってドアを開けると、そこに一意が立っていた。 「なっ! てめぇ!」 武道家であるルーが拳を振るうのに一意はなんら抵抗せず、殴られた。 ルーはまるで空気を相手にしているような手ごたえのなさに顔をしかめた。 と、倒れていく一意の姿が消え、かわりに大量の紙が音をたてて散った。 「また、式か!」 視界を遮られたルーの隙をついて、その腹に蹴りが飛び、ルーは階段下まで吹き飛ばされて意識を失った。 そうしてランがようやく階段から降りてくる本物の一意を捕えた。 「貴様!」 「お前、これ以上術を使ったら自滅するぞ」 ランが舌打ちして、自棄になって懐から札を取り出したのを一意は指を鳴らし、まだ残っていた兎たちに指示を飛ばした。 ランが術を発動させるよりも式たちの動きのほうが早かった。無数の兎たちが飛びかかり、ランを白い毛玉で埋めてしまった。 相手が、式をもぐりこませてもすぐに気がつかない三下で助かった。 実力からいえばたいしたことはないが、ハフリの齎した情報がなければもっと苦戦していた。 ハフリ、俺とお前でこの未来を手に入れたんだ。 一意は倒れている男に近づき、その縄を解くと頬をぺちぺちと叩くと、男はすぐに気が付いて薄目を開けて一意を見つめた。 「あんたが西の長の息子か」 「っ、はい。けれどあなたは?」 男は、一度しか会ったことのない老人たちの息子とは思えないほどに弱弱しい顔をしている。 「失せモノ探し専門の探偵、設楽一意だ。よろしくな」 一意は笑みを浮かべて名乗った。 事務所で長の息子の手当をしながら、捕獲した犯人たちの身柄も引き渡しのために白龍に連絡した。 数分ほどして白龍とともに父親が迎えにくると、二人は親子として当たり前の抱擁をかわしあった。 驚いたことに、あの腐ったような老人も己の息子の前では人の顔をするらしい。息子が無事であることに涙を浮かべて喜んでいた。 術というものは陰の領域。だからこそ、その陰に引きずられない陽の杭が必要なのだ。 「あの、父さん、この人たちが助けてくれたんです。どうか、良き計らいをしてあげてください」 「……わかっておる」 息子の言葉に長はため息をついて一意とハフリを睨みつけた。ハフリは一意の横で、そのスーツを握りしめて怯えている。 「なにがほしい」 「欲しいものは一つだ。この街にハフリと俺が暮らすことを許してほしい。ハフリは今回、力を使った。それによって俺は守られた。魔女の力は災いかもしれない、けどハフリは、こいつは違う。もしなにかしても俺が責任を持つ」 一意は迷いなく長を睨みつけて切実に訴えた。 「富や財宝ではなく、住む許しか」 「そうだ。それ以外はいらねーよ」 「……よいだろう、儂が白龍とともにお前がここに生きる許可書を書いてやろう」 一意はごくりと喉を鳴らした。 「他の長と会を開き、お前を公認の術者として、また街の住人として認めてやる」 そっけない言葉だが、それはここで生きていくことが許されたということだ。 一意は口元を綻ばせてハフリを見る。 ハフリも笑って一意を見つめた。 長が息子と犯人を連れて帰るのを見届けたあと白龍の一つだけある眼がハフリを捕えた。ハフリはとたんに悪い呪いでもかかったように硬直した。 「ハフリ……ちょっと、待ってくれ」 「はやくしろよ」 白龍もこんな状態のハフリと対峙するのはよくないと判断して、あっさりと部屋を出ていってくれた。 一意はハフリの両肩に手を置いて、視線を合わせる。 「あのな、ハフリ。勝手に白龍との話し合いなんて取り付けたのは悪かったよ。けど、あいつはお前の兄貴なんだろう」 「うん」 「俺には、本当に、家族っていまいちよく分からないが、一般的には大事なんだろう? 俺が、ハフリを大切にするみたいに。それに、ずっと見張ってきたっていうのは言い換えれば見守ってきたとも言える。……まぁ話をすることで能力の事が何か分かるといいと思ってるんだが……ハフリ、俺は、お前の味方だから、な?」 「かずい……わかった。会う」 ハフリの承諾を受けて、一意は外で待っていた白龍を呼んだ。 血のつながった二人はようやくきちんと向き合う。 「俺は父と母の命を背負っている、ゆえに二人を死へと追いつめたお前を許すことはできない」 「……はい、兄さま」 「だから、勝手に幸せになれ。母はお前が魔女と知ったとき、多くの幸せを運ぶようにハフリとつけた。せめてもの親孝行として、その名に恥じぬ生き方をしてみろ」 白龍はそれだけ言いさっさと背を向けた。 ハフリはくしゃりと顔を歪めて一意にしがみついて泣きだした。一意はしっかりとハフリを抱きしめて、ふと見た。 事務所の窓に映った自分の姿。その頭上にはっきりと真理数が現れていた。
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