ピー、ピー、ピー。 無感動な機械音が室内に響いた。「放ったアンドロイドが破壊された……やはり、人エキスなんてものでは人にはなれない、か。所詮は入力したことしか出来ない、鉄の塊か。いいや、男を殺せた、ああ、そうだ、この歓びをもう一度、もう一度、……もう一度、そう、もう一度、何度だって君に出会えた喜びを知るために、イゾルテ」 そのために彼は傍らにあるナイフを手に取った。「そう、イゾルテ、君が足りないんだ」★ ★ ☆「イゾルテの四時で、アンドロイドが暴走しているそうだ」 ロストナンバーを集めた司書の黒猫にゃんこ――現在は三十代のスーツ姿の黒は重々しく告げた。「イゾルテの一時の都市の長であるリラ・アインシュが何者かによって刺殺された。彼は死ぬ間際に破片が奪われたと口にした。確認したところ所有していた欠片は「悲哀」。犯人は技術者のアイル・ギーリ。彼は一体のアンドロイドを連れて四時のジャンクに逃亡した。このことから考えて、三時で男たちを殺害していたアンドロイドを作っていた黒幕だと推測される」 三時でオンナたちが消えていく事件の犯人はアンドロイドだった。本来人の忠実なしもべである『彼女』たちは人間を傷つけることは出来ない。 しかし。 イゾルテに存在する男たちには心臓をなく、かわりに左胸に時計を埋められている アンドロイドの知能に「機械」と入力することで、男たちを殺すことも可能であったのだ。 犯人のアンドロイドが求めたのは人間になるための人エキス。 イゾルテでオンナとして生きる者の左心臓にある時計を喰らうことで完璧な人の女になろうとしたのだ。 結局、それはロストナンバーたちによって阻止され、アンドロイドの背後にいる者を燻りだすことに成功する結果となった。「この男はイゾルテを創ろうと考えているようだ。世界を創った女神を作る、そんなことが本当に可能はわからないが、この男は信じているようだ。もしかしたら、それも破片の見せている呪われた夢かもしれないが」 黒は左の人差し指で乾いた唇を何度も撫でた。「お前たちも知ってのとおり、イゾルテの欠片に男が刺された場合、フリークスという化物となる。それをこいつはアンドロイドの胸に埋め込んだ」 鉄と崩れた建物しかない四時でそれを行ったのは幸いだったのかもしれない。 埋め込まれたアンドロイドはイゾルテの≪悲哀≫によって力を得て、都市いっぱいに感情をばらまいているという。 この都市に足を踏み込むと、否応なしに自分の記憶に埋もれた「悲しみ」を引き出され、突きつけられる。 さらに運の悪いことに、アイル・ギーリはリラからイゾルテの破片を奪う前に、破片を求めて六時に行った際に左心臓にイゾルテの破片≪歓喜≫が刺さり、フリークス化し始めていた。 彼は自分の作り出したイゾルテが完璧な存在となる歓びを得たとき、本当のフリークスと化すと予言の書には記されているという。 もし、アンドロイドを倒したらどうなるのかとロストナンバーは黒に問いかけた。「その場合も、アイル・ギーリはフリークスと化す。これは変えられない。彼は自らの歓びが打ち壊されたとき、他から歓びを奪い取る化物となる。しかし、アンドロイドを倒した場合、彼はフリークスになるのに時間がかかるのでかたい鈍器などの打撃でも十分に屠れるはずだ」 悲しみに支配されようとも、それをなんとか抜け出し、アンドロイドを破壊すること。 そして、アイル・ギーリを倒して≪悲哀≫≪歓喜≫の破片を回収すること。★ ☆ ★ 灰色の雲に覆われ、鉄と多少の砂利の敷かれた都市のどこからから歌声が響き渡る。 それは教会だった。 なにを奉り、祈りを捧げていた場所なのか、もう目的すらわからないそこに讃美歌が響き渡る。 くるくるくる。 黒いドレスを広げて、女が踊る。「まだ足りない。まだ、まだよ、まだたりない。まだたりない!」 歌声が響く。 くるくるくるくるくる。 そのダンスに合わせて、崩れていた鉄鋼は息を吹き返し、動き出す。 歪んだ鉄たちは黒く醜い花の形となって揺れる。「イゾルテ」 女の独り舞台の端で、それを見つめる男は囁く。「イゾルテ、きみを、」 男はゆっくりと歩き出す。「きみをあいしている、誰よりも。だから今度こそ君を作り上げてみせる、そうだ、イゾルテ、君の欠片を刺してしまえば、よかったんだ! 私の歓びを、誰にも邪魔させない」 男の身は半分がすでにどろりと溶けて、何か別のものに変わろうとしていた。どろり、どろり、どろり。 くるくるくるくる。 くるくるくるくる。 女は踊り続ける。歪み、狂ったステップを。
その世界は目につくものがなにもかも灰色だった。大地も、崩れた建物も、ゴミといわれる無造作に捨てられたものも。 透明な涙色のレンズ越しにヴァージニア・劉の砂漠のように乾ききった琥珀色の瞳が細められる。派手なシャツから見える胸に抱かれた黒い蜘蛛のタトゥーが疼いたのはここが故郷に似ていたせいかもしれない。 「チッ」 思わず漏れた舌打ちとともにジーンズに両手をつっこんだ。前かがみに猫背となって口にくわえた火のついていない煙草を前歯でぎりっと噛むとほろ苦さが舌を刺激した。 その横を美しい姿勢で立つのはカグイ ホノカ。長い髪の毛をまとめ、グレーの上下の女性もののスーツ。きりっとした顔立ちは腕のよい秘書を思わせる。 「ここが四時」 ホノカの薄紅を引いた唇からは凛とした声が漏れた。彼女が只者ではないのはまるで一本の刀のような立ち姿と鋭い目が物語っていた。 劉は思わず目を細めて視線を彷徨わせた。 「行きましょうか」 「チッ、わかってる」 肩を揺すって劉は返事をする。 「とこで、貴方は自衛ができるんですか?」 「あぁ? それなら、俺にはこれがある」 この依頼の危険性からある程度は自分で自分の身を守れる――ようは相手の実力を知りたいと思うのは初対面ならば普通だ。 劉とてホノカを守りながら敵と対峙しろなんて言われたらちょっと困る。 オレにナイトしろなんていーなよな。頼むから 差し出した劉の細い片手の指先、透明な糸をホノカはまじまじと見ると、さっと飛びのいた。 スーツ姿だというのに驚くほどの跳躍、その次には攻撃せんばかりの態勢に劉は唖然とする。 あ、オレ、なにした。え、手を見せるとセクハラなのかよ。 「その鋼線……お前、八蜘蛛の下忍か!? 異世界に来てまで三枝や八蜘蛛と顔を合わせるとは……」 「は? 下人?」 「しらをきるな、下忍! シノビだ!」 「シノビ……いや、たしかに、ここに来る前に壱番世界ではやってるニンジャースレイファイヤスとかすげー面白いもんみてなりてーとかちらっと考えたぜ。考えたぜ? お前、エスパーか! やべぇ、はずかしい! ニンジャーになりてぇとか、うお!」 「なにをたわけたことを! カグイ忍を知らぬとは言わせぬぞ! これでも敵対忍軍の中忍以上の顔は全て覚えている。私が知らないなら、下忍だ」 「はぁ?」 自分の頭のなかのちょっと恥ずかしい妄想が見られたわけではなさそうなのに劉はほっとしたが、ぽんぽん飛び出す意味不明な言葉に首を傾げる。 ホノカは劉をどうやら自分の世界の覚醒した忍だと思い込んでいるようだ。 ターミナルには多種多様の旅人がいるので、自分と同じ世界からの者だっているし、似ていることも多々ある。 あのクソ猫司書、ちゃんと説明してんのかよ 劉は本気でターミナルにいる黒いもふんな猫司書に対して怒りを覚えた。覚醒して間もない旅人に最低限の知識を与えること、混乱させないことは彼らの仕事である。 「寄るな、八蜘蛛。依頼は果たす。敵対忍軍とそれ以上馴れ合おうとは思わん! すべて私一人でする! 助けられるのはごめんだ。助けもせん!」 「え、おい、まてよ」 まさに依頼前に読んでいた雑誌さながらにしゅ! と風の如く消えてしまったホノカにその場に置いていかれた劉は唖然とした。 「……とりあえず、ターミナルに帰ったら雑巾絞りの刑だな、あのクソ猫司書」 無事に帰れたら、とりあえず思いっきり猫の体を絞ろうと劉はかたく決意した。 ホノカは司書に教えられた教会に向かった。 捨てられた、もう元の影もないその建物のドアはわざとらしく半開きで、暗い陰、その奥に何かが軋む音がした。 ホノカはシノビらしく気配を殺し、油断なく周囲を警戒した。 シノビならば建物の裏から、もしくは別の入り口を探るべきかもしれない。しかし、司書の口にした悲哀の術――彼女はそう理解した――はどのようにしても防げるものではないそうだ。ならば敵の術にあえてはまるのも一つかもしれない。 油断を突くのもシノビの技だ。 ホノカは自分の見た目が一般的には力のない女であることを利用するため、あえてドアを押し開けた。 暗い。 そのまま一歩、また一歩と進みだす。 暗い。 どこまでも暗い。 進んでも、進んでも、進んでも。どこまでも、どこまでも、どこまでも暗い。 建物の構造上、こんなにも深く進むはずもないとホノカは察知して、構えた。瞬いた次には足元に死体が転がる。それが仲間のものだと彼女の優れた記憶力が告げた。昔、殺し合いをした仲間だ。暗闇すら染める鮮血。むっとする血のかおり、ぬくもり、鉄錆の臭い。ホノカは目を瞠り、そのあとすぐに目を閉じた。腹の底ら力をためこむと炎が燃えるような熱を覚えた。そして息を吐きだす。 「悲哀、か……こんなものに囚われるのは抜け忍か下忍以下の訓練生よ。上忍にこんな技が効くと思うな、屑鉄」 ホノカは目を開き、前に進みだした。 一人で置いていかれた劉は頭のなかでとりあえず二十八通りの方法で黒猫司書をフルボコにして、教会の前にきた。半開きのドアはもうホノカが入ったあとなのか、それとも自分のほうが先に来たのかは判断できない。 劉はたっぷり一分ほど、あれこれと迷ったあと、乾いた下唇を舐めると前歯で噛んで一歩進みだした。 暗い。 そこに 優しい声がする。 劉は眉根を寄せ、肌に冷たい空気がいやな予感を覚えさせる。 ぱたん。 音がして劉は振り返ろうとして世界が真っ暗なことに震え上がった。 ヴァーニー、ヴァーニーイ! 朝ごはんよ! 声がする。明るく、優しい声。劉は目玉が落ちるほどに見開いた。あれは。 なんて可愛いのヴァーニー。愛してるわ 笑って手を伸ばす女に一歩後ろに下がろうとしたが、それよりもハグとキスがはやい。 窒息しそうになる一日のはじまりの合図。 笑っている女が差しだす、ピンクのフリルとスカート、可愛いリボン。体がかたまる。苦しい。何か黒いものが足元から這い上がり、劉をいっぱいにしていく。 「……っ!」 驚愕から口にくわえていた煙草は零れ落ち、そこには――幼いヴァーニーがぽつんと立っていた。 悲鳴をあげた。にこにこしなさい! 女の子は笑顔が大切なんだから! ああ、もう、ああもう!! なんで貴女さえ女の子なら、女の子なら! 声をあげて腕をひく。このままでは脱臼してしまう。助けてと言ってもひきずられる。ずる、ずるずる。痛い、痛い、痛い。少女のように甲高い声を漏らして徘徊する母に連れていかれる。どこに? いや、そこはいや。泣きながら懇願した。いい子にするとも口にした。けれど母は止まらない。ドアを開ける。クローゼット。眠る前に何度も聞かされた魔法の世界がはじまるドア。けれどそれは恐怖の対象でしかなかった。開けられたドアの奥に詰まったのはクソのような洋服たち。そのなかに頭を掴んで押しこめられる。苦しいと思ったときには暗闇。 異世界にいけるドアはただの苦痛と安い香水と汗の臭いがした。震えるほどの真っ暗な闇。 座ることもできず、立ち尽くしてドアをひっかいた。まだ諦めれなくて。けれどそのドアが叩かれる。どん、どんどんとヒステリックに。女の子ならよかったのに! あんたが女の子だったら全部うまくいったのに 息子なんかいらなかったのに 母の声がする。 頭がおかしいんだ。そんなの自分だってわかる。この女はイカレてる。それでもオレの母親なんだ。 結局 俺は母さんの何だったんだ? 何の為に産まれてきたんだ? 母さんが愛してたのは俺じゃなかった 実在しない娘だった いたい、いたい、いたい、くるしい、くるしい、くるしい――クルシイの?(何かが触れてくる) 誰も俺なんか見ちゃいない 必要としちゃいない ギャングになってからもずっとそうだ ただのストレス発散用のサンドバックだったじゃねえか 連中は俺がよがり狂うさまを見て嗤ってたんだ いない、ない、いない、イナイ、イナイ、いなぁい、いな、イ――イナイの?(冷たいものに包まれる) だったらこんな世界に何の価値がある? ぶっ壊れちまえばいいんだ そうよ、そうよ、そうよ、そうよ、そうよ――コワシテシマイナサイな(飲み込まれて) ――ちょっと、どうしたんすか! 甲高い不満をあげる声がする。ああ、うるせぇな。毎日毎日飽きもせずギャンギャンと叫びやがって。 ――まぁ、そうだな きざ野郎。ダチ。胸の中でだけ囁いた酒の甘さのなかで気がついた。ひょっしとて、オレはあんたをダチだと思ってるのか? ターミナルで出会ったきざ野郎と一緒に暮らしている小生意気なガキのことが頭に浮かぶ。つま先から頭のてっぺんまで濃すぎる悲しみによって黒まで染められていた劉は口を開く。呼吸がしたいと、溺れる幼子のように。 あの二人は 心のなかで叫ぶ。 ありのままのオレを受け入れてくれたんだ。このヴァージニア・劉を受け入れてくれた。 クソのたまり場のような人生でそれでも小さな光が浮かぶ。 なんだよ、二つもあるんじゃねぇかよ。 劉は唇に笑みを浮かべた。 なくすかもしれないわ。ねぇ、なくしてしまうかもしれないわ。失うかもしれないわ。かなしい、かなしい、かなしい。 歌うように劉の母は告げる。冷たい手が頬に触れて、眠っていろとでもいうように。がんじがらめに己を包んでいる鎖に劉ははじめて抵抗した。肩を震わせ、手を伸ばそうとする。 なくしてもいーじゃねぇかよ。嫌いになってもいーじゃねぇかよ。 自分の頬を撫でる母親に劉は告げる。母親の手がとまる。 薄らと開けた世界の終りをつげる、夕焼けに似た瞳が母親を見つめる。 オレがここで死んだら、あいつらが悲しむ。それくらい馬鹿なオレでもわかるんだよ。だってオレがそうだ。 なぁ。 好きだった、それでいーじゃねえかよ。上等だ。嫌ったもん、なくしたもんを惜しんで数えるなよ。好きだって。好きになった。それだけ、それだけが大切なんだ。それだけを数えればいい。 母親は無感動に劉を見つめる。失くしたものを惜しんで心を壊した母親。 「なら、オレのはじめの好きはあんただったよ、どうしようもねぇけど」 なんだよ、そうやって数えたら両手に余るくらいあるじゃねぇかよ。わりとマシな人生じゃねぇかよ。 今の俺は一人じゃねえ だからさようなら、母さん 母親は何も言わずに劉の頭を撫で、光の粒となって霧散した。きつくしばりつけていた悲しみが音をたてて底にまた沈んでいく。冷たいのに、少しだけぬくもりをもって。 劉の心は浮上していく。 劉はようやく覚醒した。はっと息を飲むと、体に巻きついたいくもの鉄。それが熱されてどろどろと溶け出しているのに呼吸が苦しいと劉は感じて視線を向けると、数メートルほど離れたところで炎を吐き出すホノカがいた。 「うっわー、じゃばにーずにんじゃってやつか、あれ」 目覚めたに劉はうんざりとした口調で吐き捨ててよろよろと手を動かし、立ち上がろうとした。 ホノカはクノイチだ。それも上忍。 位が上がるほど任務遂行は難しいものとなる。そのためにも自分の感情を殺し瞬時に殺戮機械に変貌するすべを身に着けていた。 ホノカはさっさと術から脱すると胎内で燃やしていた炎を練り上げ、マシンガンのように吐き出した。 その炎はあまりにも高い熱を孕み、赤、オレンジ、青と美しく揺らぐ。粘りっけもあり、触れた瞬間には鉄であろうとも燃え上がり、どろりと溶かしていった。 左手には忍刀を逆さに構えて攻撃を防ぎ、右手には棒手裏剣も持ち、いつでも投げる態勢をとる。あまりに気ばかりに頼るのは得策ではない。定期的に攻撃方法を変えることで敵を混乱させるのが狙いだ。 敵と認知されるべき、この室内を支配する女は祭壇を舞台に踊っていた。炎が足元に落とされると、さっとステップを踏む。赤と青の炎のなかに踊る女は冷やかな歌声を響かせる。その声に劉が母と対峙したときに聞いていたものだ。そして、その声に合わせて建物のなかにある鉄は軋みながら蝶、花と変わり、動き、ホノカに襲い掛かるのだ。 完全な攻防戦が続いている。どちらも相手の間合いには近づくことは許さない。 このまま戦えば消耗戦となるだろうが、ホノカが人であるのにたいして彼女は機械だ。疲れを知らず、またこの土地にある鉄を声によって変化すると考えたら危険すぎる。 舞台の上、彼女は歌う。 私は心がない 私は祈れない 私は知らない けど、知ってるわ かなしい、かなしい 足りないわ 「チッ、だりー」 劉は舌打ちして片手をだらりとたれさせる。その指の先に透明な糸が零れ落ちる。 「む」 ホノカが後ろから近付いてくる劉に気がついた。協力しないと告げたので劉にたいしても警戒してぴりぴりとしているのに劉はその横をすたすたと散歩するように歩いていく。 あまりにも無防備な歩みであったのに鉄虫たちがわっと群がくるが劉は片手をそっとあげた。 「蜘蛛ってのはな、巣にきたやつならなんでも食べちまうんだよ」 劉を中心として広がった透明な糸が虫たちを捕えた。劉は素早く腰を落として駆け出した。そこにホノカの炎が投げ落とされたからだ。 劉は舞台の上にきた。 女は劉を見つめる。 「ダンスってのは苦手なんだけどよ」 女は無感動に歌うのに劉は片手を伸ばした。 「さみしーんだろう? なら、オレがダンス相手だ」 女は歌うことを止めて、劉を見つめるとゆっくりと一歩進みだし、手を伸ばそうとした。その次の瞬間には再び糸が女を縛り上げ、地上から一センチ浮かせた。 「オレは蜘蛛なんだよ。なんでも罠にかけて喰らっちまう。オイ、人形にも痛みってあるのか? めちゃくちゃに切断しちまうぞ」 劉の恫喝に舞台の端から半分とけかけた男が虚ろな顔で出てきた。 「私の、イゾルテ、いぞる、て、いぞるて、ああ、あああ、イゾルテ!」 ずるずると醜い芋虫のような男を劉は目を細めて睨んだあと、片手を動かした。女が崩れ、男がその体をしっかりと抱きしめるのに糸が飛び、しっかりと二人を結びつける。 男の目は優しげに女を見つめ、女が男を見つめた。 ハ、くだらねー。 満たされるもんはそばにあったんだろうが。 劉は二人を一緒に切断した。 がたん、と音がした劉はぎょっとした。見ると建物自体が崩れ出している。もともと痛んでいた建物がホノカの熱でとうとう限界を迎えたようだ。 「やべー、おい、さっさと逃げろ、崩れるぞ!」 劉は急いで入り口に目を向けたあと、赤い血のなかに輝く二つの欠片を見つけた。 劉はそれを素早く掴むと、先に退避をするホノカを追いかけた。 欠片をだいた胸の中で悲しみと喜びが溶け合い、僅かなぬくもりとなって広がるのを、確かに感じた。
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