真理数が出たことに設楽一意が気がついたのは、この街に住む許しを得たときだった。 ふと硝子を見ると、確かにちかちかとしている真理数。 とうとう、インヤンガイに再帰属できる……! 実感した瞬間、体の芯がじんわりと熱くなるのがわかった。 失くしてしまったものを取り戻したのだ。自分の力で。 嬉しさと同時に一抹の寂しさもあった。これで自分はここにいることになる。もう故郷には戻らない。ハフリと出会って、ここにいたいと、帰りたいと思い始めて、気持ちはちゃんと定めていたがいざとなるとどうしようもない切なさが襲い掛かってくる。「かずい?」 そばにいたハフリは見えなくとも、一意の変化を敏感に理解して腕にしがみついてくる。「ハフリ」「なに」「今日はうまいもの食べるか? せっかくだし、ちょっと豪華にするか」「う、うん?」「あと、明日は休みな」「へ」 ハフリは驚いて目を丸める。 インヤンガイで、ハフリとの生活を成立させるために今までろくに休みらしい休みをとらずに猛然と働き続けてきた。 ハフリを守りたい、帰属したい、その気持ちが一意を走らせてきた。 けれどハフリと生きる場所を見つけた、もうそれを誰かに害されることはない。 世界が自分を受け入れてくれた。 旅が終わったんだ、俺の。 ふっと肩から力を抜いて穏やかに笑う一意をハフリはじっと見つめると、こくんと頷いた。「わかった。明日、休みね」「あと、俺は、ちょっと用事あるから、一人で留守番できるか? あー、もし不安なら」「できるもん」 ハフリがむぅと頬を膨らませて睨むと、小さな声で「かずいの式神がいれば……さみしくないもん」「ぷ。あはは! そっか。じゃあ、式神たちを残していくな。よーし、飯だ。飯!」 ハフリが一意の右腕にぎゅうとしがみついて、手を握る。どこにもいかないと答えるように指を絡めて、握り返す。 明日、旅の終わりのためにパスポートとギアを駅に届けよう。 それに、まだ一つだけ失せモノで見つけてないものがある。 一意はじっとハフリを見た。その右手の指はどこもなにもついていない。「俺自身の、最後の失せモノを探しだな」 ぽつり、と一意は呟いてハフリと事務所を出てきらびやかな街のなかに目を向けて歩き出した。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>設楽 一意(czny4583)=========
インヤンガイの空は昼間、夜と問わずに厚い灰色の雲に覆われていることが多い。 昼間であるいま、雲の隙間を縫うように僅かな蜜色の光が気まぐれな神さまの甘い飴玉が落とされたように零れている。 ターミナルと違うな。 当たり前のことを俺は思う。覚醒した時に見た眩しい青い空、その下を歩くと惨めで、投げやりな気持ちになった。そのあと旅を重ねて……俺の故郷ともここはあまり似ていない。俺の世界はもう少しきれいだった、はずだ。たぶんな。 軒を連ねる屋台、行きかう人の波、こうばしい香り、叫びに似たいくつもの声が響く喧騒。 命に満ちている。 陰と陽の坩堝。 まったく、インヤンガイなんてお似合いの名前だよな。 ハフリは式神たちと大人しく留守を守っているはずだ。いや、溜まっていた家事をしてしまうと勢い込んでいたから、いまごろ、あのちいさな形でちょこまかとうさぎとおなじくらいぴょんぴょんしているのかもな。 口元が自然と綻んだ。 旅の終わりなんて考えてなかったな。 ハフリに出会わなかったら永遠に彷徨い続けていたかもしれない。 呪いは解けない。あの子にも会えないそんな思い込みだけで生きていたかもしれない。 あぁ、絶望を認められないジレンマのなかでいずれは呪いに心を喰らわれて、石となっていたのか。それともあのとき対峙したもう一人の負の俺が成り代わり、災いをまき散らしていたのか。 どっちにしろ、ロクでもないな。 それを思えば今、こうしているのは奇蹟に等しい。 ちらりと片腕を見る。あの子が必死に与えてくれた祈りを最もよく感じていた場所。もう俺はそれを必要としないせいか、癒しの力もなくなってしまった。 あの子に会えなくなるのは寂しい。今の俺を見せたいとも思う。 きっと、あの子は俺と一緒にいて気がついていたはずだ。俺の抱えていた負を。 あの子の与えてくれた祖母から譲られたという黒瑪瑙の数珠は嵌めている。 今はもうただの数珠になってしまったが、肌に触れる冷たさと重さがあの子の想いを俺に教えてくれる。助けようとしてくれた、愛してくれた、未来をくれた。 だから俺はハフリとの未来を選ぶよ。 今の俺になれたのはハフリのおかげだからさ。 彼女のこれからをちゃんと見守って行きたいんだ。 あの子は悲しむだろうか? 怒るだろうか? 呆れるだろうか? きっと、びっくりしたあと笑顔で告げてくれるだろう。 おめでとう。ありがとう、一意 瞼を閉じるとあの子の笑顔に声が脳に響く。 ああ、ありがとう。真姫。ありがとう、本当に、 光に包まれる、ぬくもりを全身に覚えながら、そっと眼を開けるとやっぱりインヤンガイのやや暗く、冷たい風の吹く道に自分はいて。ここが俺のいるところだと理解する。 「ありがとな」 左手首の数珠を撫でて、ありったけの気持ちをこめる。きっと、この気持ちが遠くのあの子に通じると信じて。 ロストレイルが堂々とした姿で停車し、そこから降りてくる数名の旅人の姿がある。俺は彼らを横目に、ぬっと立っている青い機械じかけの鳥を帽子に乗せた車掌を発見した。旅人たちを送り届けて次の仕事に向かおうとしているのに慌てて駆け寄った。 「おい」 車掌がゆっくりと振り返る。 「俺は、ここに帰属する。見送りもない」 ターミナルで、俺はそこまで愛想がいいわけではなかった。仕事にただ打ち込んでいた。そうすることで恐怖や現実から眼をそむけていた。 ハフリと会ってからは、ずっとインヤンガイにいた。 ターミナルではイベントが多いっていうのに、友人もいない。 俺はいろんなものに背を向けて生きてきたんだなと改めて思う。 誰とも馴れ合わず、表向きだけ付き合って。 そんな俺がよくこうして生きてるよ。 ターミナルに別れを告げる事態を寂しいや悲しいとも、見送ってほしいとも思う相手の顔も浮かばない。 こんなもんだよな。 俺は本当にいろんなことから逃げていたんだ。 今までのことを反省はするが寂しいとは思わない。俺は進むと決めたから。 「だから、これを返す。俺にはもう必要ないもんだ」 俺の差し出したギアとパスを車掌は躊躇いもお祝いのセリフも一つなくただ無言で受け取ってくれた。あとは全部やってくれるだろう。 俺は背を向けて歩き出す。 俺は立ち止まりたくない。だから進む。ハフリがいる、生きる場所がある。俺は見つけた。俺が俺でいるべき場所を。 駅を出ると、音の洪水が鼓膜を叩き、匂いが鼻孔をくすぐった。 俺は肺いっぱいに空気を吸い込んで、吐き出す。 なんだか懐かしいと思うから不思議だな。たかだかギアとパスを返した、それだけなのに。それだけで俺はここに帰ってきたってことになるのか。 いや、ちがう。まだだ。 俺は視線を前へと向けて歩き出す。 「巨人の胃袋」といわれる通りは基本的に屋台が多く、ちょっと小道に入ると日常雑貨なんかも多く売っている。ほしいものは金さえあればなんでも揃う、が売り文句で、実際、ここで手に入らないものはない。 いい匂いに食欲がかきたてられた。そういえば事務所を出てからなにも食べてないな。前にハフリとあれこれと買い物をしたとき購入した懐中時計――ハフリのやつは「みかけだおしー」とかいいやがったが、俺としては気に入ってる。 きれいな花の絵が彫られたそいつの蓋を開けると時間、それに霊気の動きがある程度読めるようになっている優れものだ。この見た目と機能の良さがハフリのやつにはまだわからないんだ。ふん。 ちょうど昼。 飯は食って帰ってもいいだろう。今日は夕方には帰るってハフリには伝えてある。ハフリのやつも勝手に食べてるっていったもんな。 買うかな、いや、最近は包丁を持つことも教えて、簡単なものを作るようになったしな、ハフリ。 目玉焼き、コーヒー、野菜スープ、フルーツパン……焼いたり、煮込んだり……ハフリのやつはぐんぐん吸収して、作り上げるたびに俺に嬉しそうに差しだして、それを食べさせてもらっている。 成功しても、失敗しても二人で分け合って、文句いったり褒めたり。 ハフリ。 はじめて出会ったときが嘘みたいにお前は俺の横でいつも笑っていてくれている。俺もお前といるといつも笑ってる。 昼飯は屋台で豚の内臓にミンチをつめたソーセージぽいものを薄くスライスしてパンにレタスとトマトを挟んだサンドイッチと果汁ジュースで腹を満たして、俺は視線を彷徨わせて並んでいる店を探し始めた。 屋台のあるゾーンを抜ければ日常雑貨類と、なんでも置いてあるところになる。俺は眼を細めて行きかう人間を避けて歩いていく。服やバック、シルバーアクセサリー、そのなかにまだ食べ物の屋台があって路上に置かれたテーブルで人が食事をしている。 ハフリ。 事務所を出るとき、俺はあいつの右手を見ていた。この世界での右手につけるリングの意味がどういうものなのかも知っている。 左は婚約。 右は結婚。 考えるとガラにもなく頬が熱くなるのがわかった。 ちょっと前にどさくさまぐれにハフリにプロポーズまがいなことをやっちまったが。 まぁハフリはよくわからなかったらしくて、そのあと何かを聞いたり、強請ったりすることはなかった……そういうのもわからないのかもしれないけど。 俺の手よりも一回り小さなハフリの手をみて、それにリングを嵌めたいっていうのは我ながらかなり重症だよな。 けど、つけてほしい、のが俺の本音だ。 ハフリに指輪を贈りたい。 思わず右手を見てしまったけれど。あいつの気持ちもあるからな。 まずは左手に似合う指輪を探すよ。 もし望むならいつかその右手にも指輪にだってあとあとでもいい、ちゃんと送ってやる。いまはまだいろんなものを見て、聞いて、成長していってくれ。俺はそんなお前を見ている。お前が笑っていけるように、成長して、心が変化しても、それでもいい――本当はむちゃくちゃいやだけどな――お前を見ていたいんだ。ハフリ 俺の足はまるで糸をたぐるようにして、その店についた。 通りの少し奥にある古びた店。入り口には「石」の札。 一瞬躊躇ったが、俺は踏み込んでいた。すると老人がじろりと眼を向けてきた。 「なにかお探し物かい」 「……指輪を探してる。右、いや、左にはめる奴だ」 老人は俺の言葉に愉快そうに肩を揺すった。 「久々の客だ。いつもなら適当なもんを見せてしまいだが、あんた、いい顔をしてる。よほど惚れた相手だろう」 「……ああ」 「うちはオーダメイドなんだよ。ほしいもんを作ってやる。なあに時間はたいしてかからんよ。ほれ、あんたのなかにあるその相手さんへの気持ちを見せてみろ。見事に形にしてやろう」 「……術者のはしくれ、か」 老人はにっと笑った。さすがインヤンガイ、か。 俺は差しだされた老人の骨ばった手をとった。 「……あんたのなかにある思いの形、いいもんだな。形にしてやろう、石はなにかいるかい?」 「ない、いや、こいつを使ってくれないか」 真姫の与えてくれた瑪瑙の数珠を俺は差しだしていた。俺は守られた、だから今度はハフリを。 愛しいハフリ、お前との未来を繋いで行こう。 老人は、これでいいだろうと木で作られた小さな箱を差してきた。 封がされているおかげで中身を確認してないのがなんとなく博打気分だが、もう夕方なのに事務所に帰るとハフリがソファで兎を抱えて眠っていた。 俺はそっと近づいてハフリの右手をとって握りしめる。包めるほどに小さい。 小さなハフリ。今のままでも愛しているけれど。 いつかあの日見た夢のように成長できる日がくるといいな。 それが本来のハフリの過ごした時間なのだから。 「ん、かずい、かえってきたの?」 「ああ。起こしたか、悪い」 ハフリが首を横に振る。 「どうしたの?」 「ちゃんと聞いてほしいことがあるんだ」 ハフリが眼をぱちくりさせるのに俺は両ひざを床について箱を差しだした。 「まだちゃんとは言えてなかったな。俺はお前のことが好きだ。ずっと生きていきたい、お前と家族になりたい。……愛してる、ハフリ」 「……かずい」 ハフリが眼を瞬かせて箱をとる。 なかをあけるとシルバーのシンプルな指輪があった。石はどこかと思うと、リングの内側に小さく削られた瑪瑙が優しい光を放っている。なにもかも包むような、優しい光が 「ハフリ」 「はめて」 ハフリは笑って右手を差しだしてくるのに俺はぎょっとした。 「けど、これは一応左のつもりで」 「ハフリは右がいい。かずいはいや?」 「……いやじゃない」 女っていうのはおっかないな。ちびなのに大股でどんどん進んでいく。俺なんてすぐに置いて行かれちまうかもしれない。 俺は右手をとって、リングを恐る恐る嵌める。 「あ」 すかすかだ。 「いや、これは、その、あのおやじサイズ、間違えやがったのか」 「……ふふ、おっきい」 ぶかぶかの指輪にハフリは唇を緩ませて笑うのに俺としてはせっかく決め場なのにと苦い気持ちになる。 ハフリが両手を伸ばして抱き着いてきた。 「かずい、好き。大好き、ハフリがこの指輪をちゃんと嵌めれるようになるまでまってね」 「ハフリ……当たり前だ。何年だって待ってやる」 「大丈夫、五年も待たせないもん。どんどん大きくなるもん」 「うん」 小さなぬくもりを抱きしめて眼を伏せたとき、俺のなにか流れてくる。ハフリの愛とぬくもりと、流れる光景。 二十歳くらいのハフリが笑っている。その両腕のなかに小さな命を抱えて、右手をふるう。指輪をちゃんとはめた手が俺を招く。 ――かずい、愛してる! 眼を開けたときハフリが笑っていた。俺は額をくっつけて笑う。ハフリの柔らかな唇が俺の唇に触れる。触れるだけのキスを繰り返した俺は力いっぱいにハフリを抱きしめる。 「ハフリ、ただいま」 「おかえり、かずい」 ようやく帰れた、ここに。 お前のところに、
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