イゾルテに覚醒したハナユリの保護は成功したが、かわりに二時の都市のアヒム・D・九花にコウ・S・水薙が捕虜とされた。 黒猫にゃんこは即座に救出することを決意した。それに六時の都市の長であり、水薙の義父であるギルガから協力させてほしいと連絡がきた。 司書室で黒猫にゃんこは――現在は三十代のダンディなスーツ姿の黒は険しい顔で導きの書を撫でた。「今回は人質とされた水薙の生存の危険性からも出来るだけ早急な対応を願いたい。作戦そのものは単純だ。ギルガ氏は二時のアヒムを相手に戦争を起こすつもりだ、名目的には自分の息子を不当な拘束を理由として」 一~十二時とそれぞれの数字に別れたコミュニティは独断の成長を遂げ、ときには助け合い、交渉をして寄り添いあうこともあるが戦争と称した都市同士のぶつかりあうこともさして珍しいことではない。「そして、アヒムはギルガと真っ向からやりあうつもりらしく、互いに武装を進めている。ギルガ氏からの依頼は自分たちが争っている間に水薙の救出だそうだ」 黒は憂鬱げに導きの書を閉ざした。「俺の予言の書では、アヒムは己の所有するイゾルテの欠片【諦念】を自ら飲み込み、フリークス化して戦うことになる、というものだ。 アヒムの能力は【力の方向性の変化】、これによってアヒムは攻撃のすべてを反射する事が出来る、能力の範囲も広く、自分の範囲十キロに及ぶと予想される」 力の方向性の変化――運動量、熱量、光量などを自分の意志によって変換させられるというものだ。これによって自分への攻撃の一切を反射することが出来る、歩くスピードを変えれば恐ろしくはやく移動したり、空気の変化による竜巻を呼ぶなどという神業的なことも可能だという。 そんな世界でも最強ともいえる男がなぜ、自分の持つイゾルテの欠片を飲むのかは不明であるが彼はそれによって巨大な銀の鳥に変化し、都市一つとともにギルガの軍勢をすべて破壊しつくすというのだ。「水薙の救出にはどうあってもこのアヒムを倒す必要がある。水薙はこの男の部屋にいるからだ。お前たちはギルガ氏とともに二時の都市に入れば、指示に従って「破滅の塔」の最上階であるアヒムのところに向うことになる」★ ☆ ★ 六時の都市の名はルイナ。 「破滅」の名を冠する六時の都市は他の都市とは異なる特徴――マフィアのギルガが支配するように、多くの組織が存在し、幾重にもぶつかりあい、血で血を洗う、争いの都市なのだ。 都市そのものがいくつもの破滅を繰り返しているのだ。 「アビゲイル」に属する兵たちはすでに武装し、六時から二時に直行する浮き船のなかにいた。それにロストナンバーはギルガに出迎えられて乗り込むと最終的な作戦の打ち合わせが行われた。 浮き船はイゾルテの祝福を受けた「重力」能力者が運転するため、都市同士をつなぐロープを切られたとしても沈むことはない。ただ移動の時間が極端に長くなるだけなのだと、ギルガは説明した。「都市同士を繋ぐロープはあえていうならば進むべき方向性を示しているのにすぎないからね、切ったところで船が沈むことはない」 ギルガは戦争をするというのにいつものスーツにステッキ、帽子とまるで散歩にいく紳士のようなスタイルだ。「君たちには私たちが争っている間に水薙のいる破滅の塔に進んでほしい。なぁに、君たちがその塔につくまでは私がサポートするから無傷で辿りつけるだろう。塔のなかには階段があるので、そこをひたすらに上に向けて進めば最上階まで行くことができるはずだ」 ギルガは目を細めて、唇を指でなぞった。「私は君たちを塔に送り届けたあとするべきことがあるので最後までは付き合えない。ただするべきことをしたあとなら君たちを助けにいくこともできるが、あまり期待はしないでほしいものだ」 するべきこと、というのをギルガはあえて口にしなかった。「さて、そろそろ二時につくようだ。では、少し本気を出そうか。私の名、ギルガ・Α・砂鉄に恥じないように」 ギルガは静かに微笑んだ。★ ☆ ★ 破滅の塔は二時の都市の中心部に存在する、針のような透明色の塔である。 そこはなにもかも白で統一されていた。最上階の司祭アヒムの部屋も例外ではない。 神経質なほど白で統一されていたなか、唯一色があるとすれば赤だった。 鎖で拘束されてぐったりと床に倒れた水薙が流す血の色。拷問といえば生易しいほどの苦痛を与えられた水薙は朦朧と視線を彷徨わせる。それだけの自由しかもうなかったが、アヒムはその自由も許しはしなかった。片足で水薙の頭部を踏みつけ、視線を合わせる。「それが、あなたの知る真実なのですか?」 冷やかに尋問されて水薙は頷いた。大量の血をなくして白い肌と黒い瞳は虚ろでもうなにを見ているのかも定かではない。 対峙するアヒムは静かに眼を伏せると水薙から離れると部屋に置いてある机に近づくと引き出しからなにかをとりだした。 それは黒い欠片だった。「……ようやくイゾルテ、あなたの望みがわかった気がします。世界がこうなってしまったのも」「なにを、おまえは、」「イゾルテ、あなたが憎い。たまらなく憎い。けれど、私は変えられない、変えれない……転がる石のように、私は私の与えられた役目を果たしましょう。イゾルテ」 アヒムはゆっくりと欠片を口に近づける。水薙がはっとして声をあげた。「やめろ、やめろ! イゾルテの望みってどういうことだ! 俺は」 アヒムは欠片を飲み込むと憐みをこめた眼を水薙に向けた。「あなたはそんなこともわからないのですか? 彼女の残した言葉を思い出しなさい。そしてどうしてこうなってしまったのを、はじめから彼女は決めていたのでしょう、彼女らしく……だから、私は私の役目を果たすんです」 アヒムの肉体が、めき。音をたてて変化する。 それはそれは美しい白銀の大鳥。いずれその大きさは膨れ上がり部屋すら破壊するだろうほどに膨れ上がっていく。 大鳥は声をあげた。まるで祈り、冀うように。 ああああああああああああああああああああああああああああああ!
「あら、男前さんたちが三人も、私に幸せをくれるのかしら?」 幸せの魔女は負傷を理由にイゾルテに残り、送られてきた援軍である三人を豪華なリビングのソファに座って億劫げに出迎えた。 「チッ、救出ってのはてめぇじゃねぇのか? 水薙のやつ、手間かけさせやがって」 黒スーツの伊達男であるファルファレロ・ロッソは洒落た眼鏡のレンズ越しに肉食獣のような瞳を細めて舌打ちを零した。 「魔女さん、無事なの? すごい怪我したって聞いたけど?」 ターミナルの道化師ことマスカダイン・F・ 羽空は心配そうに魔女に駆け寄ると、顔を覗き込む。その優しい態度にくすっと幸せの魔女の花色の唇が弧を作る。 「平気よ、といいたいけど、脇腹が痛くて痛くてたまらないの。腹立しいことにね!」 イゾルテにいる間はギルガの屋敷に匿われ、最低限の治癒は受けたのだが、この世界の医学レベルは高いとは言い難くまだ完治には程遠い。 マスカダインがおろおろとする横からすっと進み出たのはヒイラギだった。ゆったりとした衣服のなかにはいくつもの物が隠されている。特に今回の危険な依頼内容から用意は万全だ。 「少し強めの鎮静剤を用意していますが」 「まぁ、ありがとう。ヒイラギさん。それでファレロさん、私に優しい言葉はないのかしら」 「あ?」 ぎろりとロッソの一瞥に幸せの魔女は微笑む。 「ふふ、それとも俺がプレゼントだっていう洒落かしら」 「それだけ減らず口だ叩けるなら心配する必要はねぇなぁ、魔女」 「まぁね。マスダさんやヒイラギさん、それにファレロさんの愛をたっぷりともらったから」 幸せの魔女は気丈に笑っているがその動きはやはりぎこちなく、怪我した脇腹をかばうように動くのを恥じ入るようにヒイラギのもってきたカプセルタイプの鎮静剤を受け取り、躊躇うことなく飲んだ。 「けどお薬が効くのって時間がかかりそうね。ああ、本当に痛くて痛くてたまらないわ。この痛みはどうしたら和らぐかしらぁ。あのアヒムさんとやらを八つ裂きにすれば少しは幸せになれるかしらぁ」 「魔女さん、物騒だよぉ」 「あら、やぁね、魔女は物騒なものよ、マスダさん」 ティシャ猫のように幸せの魔女は微笑む。優雅な、風にそよぐ花のように品よく振舞っているが、その実は自分を傷つけたアヒムに対する怒りに燃えていた。 私は幸せの魔女よ。この私にこんな屈辱を与えるなんて! 「救出は急いだほうがいいと思います」 とヒイラギが冷静に告げた。 「この世界はイゾルテこそがすべてなのでしょう? その女神を壊した原因だとしたら、アヒムたちは水薙さんを念入りに調べるでしょう。全うとはいえない方法をとる可能性もあります」 そのためにも応急手当の用意はしているが、もしもの場合……間に合わないということもありうる。 「チッ、しかたねぇな」 ロッソは肩を竦めた。 「まぁ、マフィアの戦いなら俺の得意分野だ。ギルガの思惑なんぞしらねぇーが派手に暴れさせてもらうぜ。血生臭いのは大好きだ。そうと決まれば」 ロッソが右肩にいるバンビーナを一瞥すると、セクタンは主の心を読んだようにふわふわと宙を舞う。 「偵察して、その塔への最短ルートを探し出す。アヒムの能力だが、聞いたかぎりじゃあ、真正面からやるのは分が悪いぜ」 「そうですね。水薙さんを助けるにしても、アヒムが黙っているとは思えません」 「私の目的ははなっから、アヒムだけど、そうねぇ水薙さんを助けれないなんて不幸だわ。私は貪欲なのよ。何一つとして欠けていてもだめなの」 「ボクは思うんだけど、アヒムの能力って反射なんでしょ? ならボクたちの力も強くなるんじゃないのかな? アヒムが攻撃してきたらボクたちも強くなるって」 「ばーか。アヒムの能力は「力の方向性を変える」だぜ。反射だけじゃねぇだろう、そもそもだ、どこの世界に自分に不利に力を使うやつがいんだよ」 ロッソが一刀両断する。 「けど、諦念の力なんてなにも産み出さないとボクは思うんだ。ノートでボクたちはみんなどんな行動をするにしても連絡をとったほうがいいし、キルガさんたちにも警戒してもらったほうがいいと思うんだ」 「そうですね、悪戯に犠牲を出したくもありません。連絡は各自、それに協力者のギルガさんともとれるほうがいいでしょう」 ヒイラギが冷静に言い返した。 「俺なら、みなさんを運んで転移できると思います。水薙さんの救出にしろ、最悪の場合にしろ」 「ふーん、最悪な場合なァ」 ロッソが眼を細めて、唇に邪悪な笑みを浮かべた。壱番世界でマフィアだったころ、敵と部下を恐怖のどん底に叩き込む、残忍な色を帯びたものだ。 「だったら全部、ぶっ壊しちまうか」 「ぶっ壊す、ですか」 ヒイラギが眼を丸めた。 「ああ、塔のなかでやりあうとしたら分が悪すぎる。だったらぶっ壊して、足場崩したほうがいいだろう。相手は腐っても司祭だ。普通に考えれば俺みたいに喧嘩慣れしてるわけでも、訓練されてるわけでもねぇ、それがアヒムを倒す鍵ってことだ」 「そうですね。アヒムの職は司祭である以上、……それに、これは経験的なものですから、能力が強ければ強いだけ、それに頼りがちになるということはあります。彼のようなほぼ万能に近い能力ならばなおのこと」 「そーいうこったァ、水薙のことはてめぇに任せる。あとのことは俺がやる」 「あら、いいところを全部もっていくつもり、ファレロさん」 幸せの魔女がとんでもないとばかりに身を乗り出して抗議した 「アヒムは私の獲物よ」 「ハッ、奪ってみろよ」 幸せの魔女の冷酷な瞳とロッソの凶暴さを潜めた目が睨むあい、火花を散らすのにヒイラギは肩を竦めた。 頼もしいが同時に平穏にはすまなさそうだ。 「マスカダインさんは、どうしますか」 「ボクは……出来ればアヒムさんを救いたい」 「救うですか。しかし、イゾルテの欠片に直接かかわった者のほとんどは死んでいるようですか」 一応、イゾルテに来る前に今までの報告書に目を通しておいたヒイラギが、マスカダインの抱く希望を壊さないように気をつけながら言葉を紡ぐ。イゾルテの破片を体内に宿した者は今のところすべてが死亡している。 こくんとマスカダインは頷いた。 「希望をボクは捨てたくないんだ」 「わかりました。出来る限りサポートします」 「ありがとうなのね!」 六時から二時に移動すると、ロッソはセクタンから得た街の情報をノートに記した。 これで怪我をして思うように動けない幸せの魔女やマスカダイン、自分とヒイラギのように転移能力がない者でも自力で逃げることが可能だ。 「あんまりノンビリしてると水薙さんの幸せが何処かへ行ってしまいそうな気がするわ。もし足手まといなら私の事は構わないであんたたちで先に進んで頂戴。すぐに追いつくから」 「そんなことできないよ」 怪我をしている魔女のことをマスカダインは気遣った。 「ふふ、平気よ。ファレロさんの地図もあるし、私は幸せの魔女よ? ここで宣言しておくわ。貴方達はどういう方法にしろ、必ずアヒムのところにいけるわ、なぜってそれが私の幸せにつながるから、そして貴方達の行動が私に不幸を及ぼすなんて決して有り得ない。つまりは私がアヒムを倒すのよ? ファレロさん」 どこまでも傲慢でいて貪欲な幸せの魔女の笑みにロッソは笑い返した。 「はっ、吼えてろ。ヒイラギ、頼むぞ」 「はい」 ヒイラギの目は遠く、果てまで見通す。 捕 え た! ヒイラギの目には銀の鳥が雄叫びあげ、その前に倒れている水薙がいる。このままでは水薙は喰われてしまうかもしれない。 「水薙さんが危険です。いきましょう」 「よし、派手に乗り込んでやるかァ!」 次の瞬間、ヒイラギは仲間たちを連れて銀の塔の最上階まで一気に移動した。 ああああああああああああああああああああああああああ! 鼓膜を破るほどの嘶きが四人を襲った。 「おい、あいつに俺らのことは」 「ばれていないはずです、まだ!」 ヒイラギはあらかじめ自分と仲間たちの半径一メートル弱に空間操作を施して姿を隠していた。 それに合わせて異能阻害も自分を中心として発動させているが、アヒム相手にどれだけ効果があるかわからない。能力同士がぶつかりあった場合はより強い力のほうが勝つのが鉄則、自分の力を過信すれば足元をすくわれる。 しかし、アヒムは一度叫んだあとは翼を広げただけで動く気配はない。 この場でもしアヒムに四人の姿が見えたならばすぐまさにでも攻撃されていた可能性は高かっただろう、それほどに銀鳥は激しい殺意と怒りのオーラを放ち、それに合わせるようにして建物を破壊せんばかりに巨大化していた。 ロッソが警戒するのにヒイラギは水薙に近づき、その体に触れる。 「水薙さん、しっかりしてください」 「っ……お前たち、どうして、」 水薙は意識を失っていなかった。喪えなかったというほうが正しいかもしれないが。 「これを飲んでください。痛みはひくはずです。ここでは満足な治癒は出来ませんが、せめて応急手当だけでも」 水薙は首を横に振る。 「俺が、俺がっ」 「オイ! うだうだいってんじゃねぇ! てめぇは足手まといなんだよ!」 ロッソが苛立った声で一喝した。 「怪我人は戦力外なんだよ。けど、まぁ、俺は優しいからてめえの意志とやらを尊重してやる。死にたいか? 生きたいか?」 噛みつくようなロッソの問いに水薙は口ごもる。 「知ってるぜ、恋人が死んだんだろ? イゾルテを壊した罪の意識に苦しんで、恋人に死なれて絶望して、後追いてえっていうなら好きにしな。死にたがりの死にぞこないを助ける趣味はないんでね」 「ロッソさん」 ヒイラギがやんわりと咎めて、水薙の血まみれの手をとった。 「俺は、あなたのことはナラゴニアにいたときの噂でしか知りませんが、貴方には貴方の考えたがあったのだと思います。それを責める気はありません」 「あぁ? その一人きりの考えで勝手に死にかけてんのを馬鹿だっていーんだよ! その尻拭いをする俺らの身にもなってみる」 ロッソの言葉は残酷だが、真実だ。 水薙は多くの真実を知りながら黙っていたから、こうなったのだ。黒い瞳が細められ、ゆっくりとロッソを睨みつけた。 「ロッソ、一つ間違いを訂正する。俺の恋人は死んだんじゃない……イゾルテが殺したんだ」 血を吐き出すように水薙は告白して、拳を握りしめて俯くのにヒイラギは、はっとした。 「イゾルテは壊れる前によく人の前に出ていたといいますが、面識があるんですか、それでなにかトラブルに?」 「……イゾルテは、この世界がこうなる前によく地上にきていた。そうして男たちを惑わし、自分を信仰させていた。女なのさ、あいつは……だから」 あああああああああああああああああああああああああああああああ! 鳥の声に全員がぎくりとした。 アヒムの目がゆっくりと移動して、ヒイラギを捕え、まるで嘲るように嘴が開いた。 力の方向性を変える特殊能力を持つアヒムは自分の周辺で「力の動き」があれば本能的に感知することができた。 室内の力の変化を敏感を知ると、本能的にその元を辿り、ヒイラギの空間操作の力の働く場所を特定し、上書きされている――ヒイラギが見せている水薙一人が拘束されているという幻覚を剥がしたのだ。 「気がつかれました! ロッソさん!」 「あぁ、わかってるよ! 水薙、どっちだ! まずは生きるか、死ぬか、選べ!」 ロッソが吠えるのに水薙は言葉に詰まった。 「どうする! 早く決めろ! てめぇのクソな選択に俺らを巻き込むな!」 「……生き、たい。俺は、まだやり残したことがある。こんなところで死にたくない」 「よし。なら、連れて帰ってやるよ! おい、デカ鳥、丸焼けになりやがれッ!」 ロッソのメフィストが火を噴く。アヒムを直接狙えば反射されるのは目に見えているのに床を火炎弾で撃つ。とたんにどろりと床が溶けてる。アヒムが声を荒らげる。 「そんな化物になったんだ、ちったぁ楽しませてくれよなァ!」 メフィストが今から始まる血の流れる争いに歓喜するようにまた吼える。今度は天井を狙う。 またしても燃える炎によって建物が溶けて崩れていく。 「派手にいくぜ!」 溶けだした建物の焼け付く匂いのなかロッソは止まらずに走り、引き金をひく。 ★ ☆ ★ 「ようやく、整った。多少、時間はかかったし、手順もかなり狂わされてしまったが……イゾルテ、これも君の企みかい? ああ、構わないよ。すべて終わらせよう。君らしく、破滅的に!」 ★ ☆ ★ 「おい、しっかりと足場を作れ!」 「そんなこといったってー!」 ロッソが怒鳴るのにマスカダインは悲鳴をあげる。 ロッソのメフィストが暴れ馬ならば、マスカダインのギアは穏やかで優しい鳥のようなものだ。 火炎弾と氷弾で建物を破壊しまくるロッソは檻から放たれた獣のように縦横無人に走り回り、飛ぶ。 ロッソが暴れるフォローにマスカダインの飴弾が活用された。 破壊して穴が開いたところに氷飴弾を放ち、ロッソの足場を作るのだ。しかし、所詮は飴で、一瞬でも立っていたらすぐに割れてしまうが、それだけの時間があればロッソが破壊活動するには十分だった。 「こわしすぎだよー!」 とてもロッソのような反射神経のないマスカダインは自分の靴の裏にはガム弾をつけて動きに支障がない程度に建物に張りつけ、咄嗟のときは地面を撃って飛ぶなどして必死に瓦礫を避けていた。 「うっせー! っち、やっぱり外側の攻撃はすべて返されちまうな。だったら」 ロッソは目を細めて低く唸る。 「喰われるしかねぇよなァ?」 「え、ちょなにするつもみのなのー! う、だめなのね。ここで、ボクはボクに出来ることをするんだよね! アヒムさん! お話、聞いてほしい! イゾルテが、望むのがこんなこと違うだろ! じゃあどうして閉籠ってるのか、今も待ってるんだよ! 自分じゃどうにもできない事を貴方等に変えてもらう為だろ!! イゾルテは愛する貴方達を壊したくないんだ」 マスカダインの声に銀鳥は狂うように笑い声をあげた。 ちがう、ちがう、ちがう! イゾルテにとって愛とは破滅、破滅とは愛 ああ、イゾルテ、イゾルテ、いぞるて、いぞるて! お前は変わらない! あははははははははははははははははははははははははははははははははははは! いくらロッソが暴れまわっても幸せの魔女のいる場所だけは幸せの魔法が作用して、瓦礫が落ちてくることはなかった。 「水薙さんは?」 「手当は終わりましたが、血を喪いすぎています」 ヒイラギはロッソとマスカダインがアヒムと対峙するのに水薙の治癒を優先した。 「やっぱり私のおかげよね。ふふ、これはそのうち倍にして返してもらうから」 「とんだ人に借りを作りましたね、水薙さん。先ほどの言葉の続き、聞かせていただいてもいいですか」 だいぶ落ち着いてきた水薙は目を眇めた。 「イゾルテが壊れた原因です」 「……イゾルテは十五歳を超えた男のもとには必ずやってきて、愛して、そして気まぐれに祝福を与えた。そもそもこの世界がどうして時計の形をしていると思う? この世界はイゾルテそのままなのさ。神話で語られている、イゾルテはいろんなことを失敗した罰として自分の命で世界を創ったといわれている」 「つまり、この世界はイゾルテの心臓……そうですか、だから、イゾルテが壊れた、針がなくなってしまった」 以前、イゾルテにきたロストナンバーは口にした。時計とは誰かに見られるためのものだ、と。 イゾルテの世界は、そもそも女神の心臓で出来ていたのだ。 彼女の命が世界なのだ。 「それがこの世界……ここに生きる者たちの心臓が時計になったのも、そういう理由なのね。けど、話を聞くかぎり、ずいぶんと男好きな女神さまなのね」 「ああ。その上、気まぐれだ。けれどイゾルテは破滅の女神、あいつが愛すれば愛するほどにそいつは破滅していく」 ヒイラギが眉根を寄せる。 破滅の女神ゆえに愛すればそれに滅びしか与えない。 では、イゾルテの命が壊れたのは――心臓を動かす鼓動である針が壊れたのは 「俺は祝福を与えられ、ずいぶんと執着された。毎夜、イゾルテは会いに来たが……イゾルテを恐れていた。恋人も出来て、俺はイゾルテを否定した。もう会いたくないと言うとイゾルテは怒り狂って……俺の目の前で恋人を消したんだ。俺は、だから、言ったんだ。お前のような女なんて嫌いだと」 「それが、イゾルテが壊れた原因ですか」 ヒイラギは冷静に問うのに水薙は一度目を伏せて頷いた。 「イゾルテは俺の言葉に悲鳴をあげて、砕けたんだ」 「それが破片ってことね、やだ、ただの痴情の縺れなの」 幸せの魔女が肩を竦める。 「それで水薙さんは何も言えなかったのねぇ。とんでもない人に恋されて、みんな嫉妬で狂っちゃうわ」 幸せの魔女はゆっくりと立ち上がった。 「けど、私も女ですもの。恋心はわかるわ。とりあえず、アヒムさんをどうにかしたあと、どうするかを決めましょう? そろそろ私の出番のようだし」 ヒイラギが気遣う視線を向けるのに幸せの魔女は立ち上がるとすたすたと歩き出した。 彼女の道を邪魔するものはいない。 なぜにら、幸せの魔女だから。 「幸せの魔女は絶対に幸せでなくてはいけないの」 その言葉はすべてを捻じ曲げるだけの力を持つ呪文。 幸せの魔女という存在がそもそも強力な幸せという名の呪――幸せは、何もにも害されない。 「ファレロさん、困っているようねぇ。助けてあげましょうか」 「ああん? なんだぁ!」 隙をつこうと伺うロッソが吠えるのに幸せの魔女は目を細めた。 「けど、一度だけよ? 幸せを掴むチャンスはそんなに多くないの。だからこそ幸せなのよ。……さぁ、幸か不幸かを決め付けるのが運命として。アヒムさん、あなた、運命の方向性までは変えられないでしょうよ。今の私を省いてはね! 私は幸せの魔女! 運命よ、私の足元に平伏しなさい!」 幸せの魔女が高らかに声をあげて幸せの剣を構え、飛ぶ。 「運命を操る魔女の運命でさえも狂わせてみせた私の魔法……存分に味わうが良いわ!」 鋭い刃の一撃はアヒムの反射を無効化した――幸せを掴むという強い念によって――白い剣が鳥の体に突き刺さる。 ぐああああああああああああああああああ! アヒムが大口をあけて悲鳴をあげるのにロッソは地面を蹴った。 「よし! 足場!」 「うん!」 マスカダインが作り上げた氷飴の上に着地して、ロッソは更に飛ぶ。 きらきらと飴の欠片を纏ったロッソは高く飛び、アヒムの口のなかに飛び込んだ。 「な! ロッソくん!」 マスカダインが声をあげる。 とたんにアヒムの肉体が内側から爆発した。 「内側からなら反射のしようもねぇだろう!」 飛び散った血肉が壁にべったりとつき、自分自身も大量の血をかぶったロッソはニヒルに笑う。 「よかったー! 生きていたのね!」 マスカダインが歓びの声をあげる横では力を出し切った幸せの魔女がその場にへたれこみ、ふっと笑う。 「まぁ、直接じゃないけど、これを幸せだってことにしておくわ」 静寂のなかに拍手が響いた。 「ブラボー! 君たちならばアヒムを倒せると思ったよ」 部屋の入口にはにこやかに笑うギルガが立っていた。 「しかし、少しばかり隙があるようだ」 「どういう意味だァ」 ギルガが指差す方向を見てロッソは瞠目した。 ちくたくちくたく――床に落ちた血まみれの銀の時計に血肉が集まりだしている。 「私たちは時計を破壊されない限りは死なない。だから、狙うならば、まずは左胸の時計を、こうやって壊さなくては」 ギルガが左手を何気ない動きで握った瞬間、しゅん! 建物を突き破って鋭い鉄の刃が飛び、銀の時計を突き刺した。 とたんにひぃいいああああと悲鳴とともに時計が動きを止めた。 「……私の能力は鉄鋼ならばどんなものでも操れる」 「鉄鋼を操る……それは、つまり、触れなくても時計を破壊できるということですか」 ヒイラギはその可能性に気がついて声を震わせた。 イゾルテに生きるものはみな左胸に時計を抱く。それが破壊されれば死亡する。 「そうだ。私はその気になればこの世界のすべての者を殺せる、今のようにね」 にこやかにギルガは告白した。 「それがイゾルテの愛、私にだけ特別にもらったものだ」 「愛、だと」 ロッソが眉根を寄せる。 「そうだ。私がどうして君たちと別行動をとっていたと思う? イゾルテに会うためだ。十二時は鉄によっておおわれている。そのまわりを守るガーディアンもまたロボットで鉄だ」 くすくす、くす。 「イゾルテはなんと言ったかな。欠片を集めた男によって直されると」 ギルガはゆっくりと片手をふるうと、血肉のなかかに鋭くとがった――アヒムが飲み込んだ破片が飛び出して、その手に収まった。 「はじめから直される男は決まっている」 「それがあなたなの? そんなの、イゾルテは、イゾルテはそんなにもひどい女神さまなの? 直してほしいって、きっと自分じゃあどうしようもないから、だから、みんなに助けてって言ってるんじゃないの!」 マスカダインはきっとギルガを睨みつけた。 「君の考えは面白い。それにイゾルテのことを随分と親身に考えているようだ。だから、答えをあげよう。君の考えはあたっている。イゾルテは破滅しか与えられない、だから絶望して、自分を壊した。彼女は恋をして、人になることを望んだ」 ギルガの言葉に水薙が顔を歪める。 「うそだ」 「うそなものか。イゾルテは世界をめちゃくちゃにしたのは、いずれこうしてやってくる者に全部与えるためだ。自分を作り直されるチャンスか、破壊される終りかを。私ははじめから全部知っていた」 「はじめから、ですか」 ヒイラギの言葉にキルガはあっさりと頷いた。 「そう。彼女は夢見ているんだ。自分を作り上げる愛しい男のことを。そのためには多くの人間の感情を手に入れる必要もあった。……だから君たちをここまで利用して、破片を集めさせた。君たちもまたイゾルテに選ばれたんだ。さぁ、選べ、イゾルテの最後の欠片は水薙、お前の心臓に突き刺さっている。最後の欠片は愛。それを差しだすか、それとも……」 どすっと何か大きなものがぶつかった音がして、塔が揺らいだ。 「この世界の住人すべての心臓は私が止めた。いま動いているのは私の力が及ばないロストナンバー諸君、私の支配するロボットのみだ。私を倒してイゾルテにお前の選択を告げろ。十二時で待っているよ」 ギルガがいっそ優しいとすら思える微笑みを浮かべるなかで塔はアヒムとの戦闘後のこともあり、脆くも崩れていく。 「くそったれ!」 ロッソが叫びながら、堕ちだす幸せの魔女を抱えるマスカダインの手をとる。ヒイラギは自力では動けない水薙を抱え、ロッソの元に転移すると彼の自由な腕をとってロストレイルまで一気に転移してこの場から退避した。 音がする。 はじめるための破滅の音が――
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