ターミナルの空は変わらない。 夜だったり、雨だったりということは稀にあるが、普段は気の抜けるような透き通った青色をしている。 冒険者らしい軽装のテオドール・アンスランはターミナルにある店で買い物をした帰り道、ふと足を止めて空を見て小さなため息をついた。 「再帰属か」 ぽつりと呟きが漏れる。 買い物中に冒険者らしい女性を取り囲んでお祝いを口にしていた者たちを見た。なんだと思ってみていると、気がついたのだ。女性の頭上には真理数が浮かんでいた。おめでとうのなかに帰属するという単語も聞こえてきた。 覚醒してから短くはない時間がたった。その間にいろんな世界に行って過ごした。 楽しかったもの、怖かったもの、いろんなことがあった。 最近、再帰属する者が数名ぽつぽつとあらわれた。 ナラゴニアとの血みどろの戦争のあと、さまざまな試みによってとうとう『ワールズエンドステーション』に至る道も見つけた。 もしかしたら、故郷が見つかるかもしれない。 もしくは、自分たちの帰るべき新しい場所が見つかるかもしれない。 そう考えただけで左胸をきゅんと締め付けられるような痛みに襲われる。 旅はいずれ、終わるものだとわかっていた。 自分は、冒険者としては恵まれていた。ずっと探していた鉄の竜――ロストレイルを見つけ出す事が出来たのだから。 そのために少なくはない犠牲を払ったが、ずっと欲しかった真実を手に入れた。 真実から得られる誇りとは尊いものだ。誰からも理解されず、受け入れられなくても、自分が正しいことを知っていれば傷ついても進んでいける。いいや、テオドールは一人ではない。理解してくれる友だっているのだ。 レヴィ。 自分と一緒の道を進み、その果てにこんな遠いところまできてくれた。かけがえのない仲間。 「あいつ、どうするんだろうな」 ぽつりとテオドールは呟き、買ったばかりの新鮮な赤いリンゴを紙袋から取り出すと豪快に齧った。 甘い、けれど少しだけ酸っぱい。 「きれいな空だな」 レヴィ・エルウッドはぽつりとつぶやいて窓から外をのぞこうとして、慌てて視線を逸らした。 闇の翼の民は本来地下で生活している、そのため雪のように白い髪、肌を持ち、視覚などが発達しているため、強い光に少しばかり弱い。 ターミナルは常に光に溢れていて、ときどき眼が痛くなる。 レヴィが不自由するところを覚醒前からずっと共に旅をしてきたテオドールはいつも助けてくれている。 テオドールは買い物類などの外に出る雑用をいつも引き受けてくる。かわりにレヴィは料理や掃除といったことを担当している。 なかなかにいい生活だが、それも、たぶん、そのうち終わる。その兆しをレヴィも敏感に察知していた。 ぱちぱちと瞬いたあと、レヴィは読書を打ち切ってすっと立ち上がった。 「せっかくだし、夕飯の支度を……あ! 砂糖がない! どうしよう、兄さんに頼みわすれちゃった!」 キッチンに立つレヴィは慌てた。 テオドールが出たのは二十分ほど前だ。二人の一週間分の日常品と食糧を買うため、ターミナルの店をいろいろとまわるので時間がかかるはずだし、まわる店は知っているのでいまから追いかけたらきっと会えるはずだ。 レヴィは蝙蝠翼をばたばたと動かして住まいから飛び出した。 はやくテオドールに追いつこうと、彼がいつもの買い物コースを頭のなかで考えながら道を歩いていく。 (きっと食品はあとだから、先に雑貨を……あ) 小道から出たとき、どんと軽い衝動が襲ってきて尻餅をついた。 「ごめんなさい」 「こらちこそ!」 顔をあげると女性、それも自分やテオドールと同じような冒険者らしい装いの人が気遣わしげに笑いかける。 レヴィは、はっとした。彼女の頭上には真理数が浮かんでいたからだ。 「ごめんなさい。急いでいたの。もうすぐ、私の最後の旅で」 「最後の?」 女性が手を伸ばしてくるのにレヴィはつかまって立ちながら聞き返した。 「再帰属するのよ」 「おめでとうございます」 咄嗟に出てきた言葉に女性は嬉しそうに笑う。それに後ろから彼女の友人たちらしい者たちが駆け寄ってきた。 「ほら、急がないと」「遅刻するなよ」「せっかくの再帰属なんだから」 明るい声に彼女は頷き、じゃあね、と告げたあと、自分の胸に飾られた白花をレヴィに差しだした。 「おっそわけ!」 レヴィはゆるゆると花を受け取った。 覚醒してから長い時間が過ぎた。 それはレヴィにとってはある意味ではありがたい時間だったと思う。 風習から十五歳の成人後、旅に出た。 テオドールと知り合えて、いろんなところに旅をした。それは楽しいこと、苦しいことがいっぱいあった。きっと一人では乗り越えられなかっただろう。テオドールという頼もしい仲間がいたからこそ、ここまで進むことのできた道だ。 もし、故郷に戻ったら自分は故郷に戻り、仕事を決めなくてはいけない。 (テオ兄さん) テオドールと出会う前は、故郷の役に立ちたいと思った。だから役人になろうとも考えていた。 そうなればテオドールと別れることになる。 レヴィが手の中の白花に眼を落としていると 「レヴィ!」 いま、一番会いたいと思っている人の声に顔をあげた。 「ああ、買い物な。砂糖がないのは気がついていたから買ってきた」 「そっか」 「けど、ありがとな。わざわざ」 「ううん」 二人は並んで家路につき、言葉を交わす。テオドールの荷物を半分持つレヴィはもらった花を胸にそっとつけた。 「どうしたんだ、その花」 「うん。帰属するっていう人が、くれたんだ。おっそわけだって」 「……そうか」 とたんにテオドールの声が低く、小さく、なる。 レヴィの黒翼がふわりと動く。 二人とも互いに言いたい言葉はある。けれど、それはなかなか見つからない宝箱のように形に出来なくて、沈黙が流れた。 「……故郷に、帰れるかもしれないな」 ぽつりとテオドールは告げる。 「テオ兄さんは、帰りたい?」 「ああ。もちろんだ。親父や、竜を探す旅を支えてくれた人々に俺は俺の知ったことを告げたい、それは義務だと思うんだ」 力強い声を発するテオドールをレヴィは眩しげに見つめて、こくんと頷いた。 迷わずに進む。それがレヴィの大好きなテオドールだ。 「覚醒したとき、いつ、故郷が見つかるのかわからないから、帰ったときのことをはっきりと決めてなかった。けど、そろそろ、本当に帰れる可能性がある。だからしっかりと今後のことを決めておきたいんだ」 「テオ兄さん……」 テオドールがレヴィに向き合い、真剣な月色の瞳で見つめてくる。 「俺の竜を探す旅は達成した。今まで旅を支えてくれた人に挨拶にいきたいと思ってる」 「うん」 鉄の竜を探したくても出来なかった父の意志を受け継ぎ、ここまでくることができたのは支えてくれた人々がいたからだ。故郷に戻れば彼らに再会することもできるだろう。 「そのあとは、どうするの」 レヴィは慎重に尋ねた。 「竜を探す旅のなかで、古代文明に何度か触れただろう?」 「うん」 「あれはすごい力だ。よくも悪くも……わからないことが多かったが、もし使えればいろんなことに活用できると、思う。もちろん、それだけ危険性も大きい。だから俺は、それを今度は研究したい。具体的には技術や、どうしてあれだけの力を持っていたにもかかわらず衰退したのかを調べたいと思っている」 「古代文明の、研究」 レヴィは口のなかでテオドールの次の旅――目標を呟く。 「俺は今までいろんなものを旅してもらってきた。だから、もらったものを、どういう形にしろ、返していきたい。いいや、返すだけじゃなくて、もっと広く、いろんな人を笑顔に出来ればって考えてる」 「テオ兄さんはすごいなぁ」 じっと聞いていたレヴィの口が緩んで、笑顔が浮かぶ。 「ははは、どこまで出来るかわからないけどな」 「テオ兄さんなら、きっと出来るよ。だって、鉄の竜にも会えたんだもの」 「……ありがとう。レヴィ」 照れ臭そうにテオドールは頬をかきながら笑ったあと、レヴィを伺った。 「お前はどうする」 「……僕は」 テオドールはレヴィの言葉を待った。 鉄の竜を探すという夢物語を笑わずに、一緒に探してくれたレヴィ。 もし、研究を一緒にしたいというならば大歓迎だ。レヴィほどの心強い仲間はどこを探しても見つからないだろう。けれど同時に自分の気持ちをこの心優しい相棒に押し付けたくない。 「僕は……この旅が終わって、故郷に無事に戻ったら仕事を決めなくちゃいけない。そういう風習だから」 「ああ」 「本当は役人になるつもりだったんだ」 「レヴィにはうってつけだな」 ふふっとレヴィは笑った。 「そうかな? 僕はテオ兄さんと知り合って、自分がすごく冒険が大好きなんだってわかったんだ。覚醒して、ターミナルでいろんな人や物事を見て、楽しかった。けど、やっぱり帰れるのなら故郷に帰りたい」 レヴィは心の中にある大切な気持ちをしまっている箱をそっとあけて、言葉をすくいあげる。 「僕は、テオ兄さんと旅をしながら、ターミナルにきて、いろんなものを見て、感じて、だからもっと強く思ったんだ。人を幸せにする行動をとりたいって」 ターミナルはいろんな世界の覚醒者がいる。種も、環境も、姿だって違うが、仲良く、楽しく、ときにはぶつかりあうこともあるが、きちんと共存している。それはみなが一緒に住む者のことを想っているからだ。 これはもしかしたら小さな幸せなのかもしれない。 レヴィはそっと胸につけた白花に触れる。 おっそわけといってくれた花。 誰に、ささやかな自分の幸せを分け与えられる。 「僕はテオ兄さんのおかげでいろんなものを知れた、感謝しているんだ……だから、出来ればテオ兄さんが人々の幸せのために行動するなら、手伝いたいし、研究にも興味がある。けど……故郷のことも気になる」 真剣な、よくよく考えての言葉だというのは聞いているテオドールにもわかった。 真面目なレヴィにとって故郷に帰り、自分たちの種を支えたいというのは素晴らしいことだ。それだって人々の幸せの役に立つことだ。 テオドールとともに新しい旅をはじめ、研究をすることは、鉄の竜を探すよりもずっと危険で、すぐには結果に結びつかず、壁に何度もぶつかるだろう。けれど、いつか、努力が形となって広い意味で誰かの幸せにつながる可能性がある。 どちらをとるべきか、今はまだ選べないレヴィの誠実さをテオドールはとしても好ましいと思っている。 「俺はレヴィが研究を一緒にしてくれることは歓迎する。けど、無理に付き合わせたくない」 「そんな、無理なんて」 「わかってる。だから、ゆっくりと考えてくれてないか。そうだな、故郷に帰ってから答えを出すのだって悪くないだろう?」 テオドールの不器用な、けれど真っ直ぐな優しさをレヴィは感じ取って、口を閉ざして小さく頷く。 「さて、帰ろうぜ。ほら」 差し出された林檎をレヴィはきょとんと見つめて、笑って受け取った。 いつか。 二人の道は繋がったままかもしれない、別れるかもしれない。 けれど二人の道の根にある、誰かを幸せにしたいという願いは絆となってずっと結びつけることだろう。
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