ヴォロスのとある地方に「神託の都メイム」と呼ばれる町がある。 乾燥した砂まじりの風が吹く平野に開けた石造りの都市は、複雑に入り組んだ迷路のような街路からなる。 メイムはそれなりに大きな町だが、奇妙に静かだ。 それもそのはず、メイムを訪れた旅人は、この町で眠って過ごすのである――。 メイムには、ヴォロス各地から人々が訪れる。かれらを迎え入れるのはメイムに数多ある「夢見の館」。石造りの建物の中、屋内にたくさん天幕が設置されているという不思議な場所だ。天幕の中にはやわらかな敷物が敷かれ、安眠作用のある香が焚かれている。 そして旅人は天幕の中で眠りにつく。……そのときに見た夢は、メイムの竜刻が見せた「本人の未来を暗示する夢」だという。メイムが「神託の都」と呼ばれるゆえんだ。 いかに竜刻の力といえど、うつつに見る夢が真実、未来を示すものかは誰にもわからないこと。 しかし、だからこそ、人はメイムに訪れるのかもしれない。それはヴォロスの住人だけでなく、異世界の旅人たちでさえ。●ご案内このソロシナリオは、参加ＰＣさんが「神託の都メイム」で見た「夢の内容」が描写されます。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・見た夢はどんなものか・夢の中での行動や反応・目覚めたあとの感想などを書くとよいでしょう。夢の内容について、担当ライターにおまかせすることも可能です。
仄暗い照明の下、ゆるゆると天幕が揺れている。人を幻惑するように棚引く様はまるでオーロラのようだ。 寝台に横たわったウィズは茫とそれを仰ぎ見ている。しかし、昏い瞳には本当に天幕が映っているのだろうか。 安らかな香に絡みつかれながら、柔らかなシーツに意識ごとうずもれていく……。 帰りたい場所がある。逢いたい人がいる。 ウィズにとって、両者は同義だ。 目を開くと、その世界は白い光で溢れていた。 （……眩しい） けれど、どうしようもなく懐かしい。 大きな手でわしわしと髪の毛を掻き回される。良く言えば大らか、悪く言えば大雑把なそのしぐさにさえ熱いものが込み上げる。 「ガキ扱いすんな」 口を尖らせて抗議すれば、その人物は豪放に笑う。開けっ広げな笑顔がくすぐったくて、ウィズ少年もまた笑う。 そんな二人の姿を、ニット帽を目深に被ったウィズが茫と見つめている。 「――――――」 声が、出ない。伸ばした手は透明な壁にひたと遮られる。 ああ、まるで水族館のよう。こんなにも近いのに。目の前にあるのに、絶対に届かない。幸せだった過去の光景は、硝子の向こうでショーのように……他人事のように展開されるばかり。 彼はまさに太陽だ。彼がいるだけで、この世界はこんなにも明るい。初めて邂逅した時からそうだった。薄暗い路地裏でストリートチルドレンとして暮らしていたウィズに夜明けをもたらしてくれたのは他ならぬ彼だった。 とぷん。踝が、水に沈む。 ぱっと、赤が散る。それは彼の髪の毛であり、彼の血だ。ウィズは絶叫した。初めて逢ったあの時、悪事をたしなめられ、ひと泡吹かせてやろうと思ってついて行ったら刃傷沙汰に巻き込まれた。その時も彼はウィズの目の前で血を流し、ウィズを救った。以後、傭兵であった彼と行動を共にするようになってからも何度もそんな場面に遭遇した。何度も何度も何度も何度も。ウィズは子供で、戦いの役には立てなかったから。 きつくきつく唇を噛む。早く大人になりたい。早く、彼の役に立てるように。 とぷん。水は、音もなく膝下まで迫っている。 豪快な笑い声。陽気に振り回される酒瓶、集う仲間達、溢れる笑顔。その輪の中にウィズも居る。仲間と一緒に軽口の応酬を繰り広げながら、肩を組んで笑っている。彼と出逢わなければ、この仲間達と知り合うこともなかった。彼らとの絆が生まれることもなかった。 ウィズの世界は、彼で作られている。 （……団長） とぷん。いつの間にか、脚の付け根まで水に浸かっている。 わいわいがやがや。夜の甲板で団員達がめいめいに寛いでいる。潮風の冷たささえ心地良い。得物の手入れをする者がいる。潮騒を聞きながらちびちびと酒を舐める者がいる。大口を開けて笑いながら陽気に歌う者がいる。 その中心にいるのは、いつだって彼なのだ。 とぷん。胸の下まで、水がせり上がる。 総員が顔を揃えた甲板。壇上に立った彼はサーベルをかざし、気勢を上げる。津波のように広がり、衝き上がる士気。それは何の、いつの光景であっただろう。いつの戦いのことであっただろう？ 「いいか、絶対に死ぬな！」 ウィズの全身が電流に貫かれる。 死ぬな。そう彼に求めたのは自分でなかったか。自分の命に代えてでも彼を死なせぬと誓ったのではなかったか。 （団長……） とぷん。顎に水が触れる。 （そうだ。オレの命に代えてでも――） だったら。 だったら……どうしてあの時、即座にイエスと答えなかった？ とぷん。とうとう、頭のてっぺんまで入水した。 息が、できない。立っていられない。声は虚ろな気泡と化す。ごぽごぽと音を立てながら、ウィズは昏い水の底へと沈んで行く。 水族館のようだと思った。事実、ここは水族館だった。水槽に閉じ込められているのはウィズのほうだったけれど。 鬨の声、怒声、進軍を開始する海賊船。はちきれんばかりに膨らんだ帆の白さが目を射る。しかし全ては硝子越しの出来事だ。どれだけ手を伸ばしても、決して届くことはない。 ごぽごぽ。気管が水で満たされていく。 ぱっと、赤が散る。それは彼の髪の毛であり、彼の血だ。ウィズは絶叫した。しかし声は届かない。硝子を叩こうと蹴ろうと決して彼には届かない。 （……チクショウ） ごぽごぽ。 「チクショウ。チクショウ。チクショウ！」 ごぽり。水がどうと肺に押し寄せる。 落ちていく。堕ちていく。落ちていく彼と同じ速さで、水の底に堕ちていく。 「団長！」 「親分！」 「オヤジイィィィー！！」 初めて得た家族、一生縁がないと思っていた絆、血よりも濃いもので繋がっていると思っていたのに、何も、何も、何も、 （チクショウ……） ……何も、出来ないのか。 緩慢に水底に沈んでいく。 彼方の水面で、アメーバのような太陽が素知らぬ顔で揺れている。 「う……あ……」 手を伸ばしても届かない。いつかは届くのだろうか。もがいていれば、いつかはそんな日が来るのだろうか。 もしかしたら永遠に届かないかも知れない。そんな囁きが聞こえた気がして、全身がぞわりと粟立った。 太陽のない世界など、一体何の意味があろう。 「うわああああああああああ！」 仄暗い照明の下、ゆるゆると天幕が揺れている。人を幻惑するように棚引く様は水面で揺れる太陽に似ていた。 付添人が控え目に声をかけてくる。ウィズは大丈夫だと返事をしてニット帽の下に表情を押し隠した。 息が、荒い。安眠効果があるという香すら、この心を鎮めてはくれない。 「……団長」 低く、呻く。きつくシーツを掴む。爪の下、柔らかな白が呆気なくひしゃげた。 ――夢の中ですら、ただ眺めることしかできないのか。 帰りたい場所がある。逢いたい人がいる。恩人、敬愛、そんな言葉ですら物足りぬ。 ウィズにとって、団長こそが“世界”だ。 （了）
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