「ねえ、かくれんぼとか鬼ごっことか、好き? 得意?」 エミリエ・ミイは世界図書館を訪れたロストナンバーたちへと、導きの書を抱え、首を傾げて問いかけてきた。 その表情はどこか楽しそうで、その声音はどこか弾んでいる。「モフトピアのひとつでね、くま型アニモフ達による《祭事》が行われるらしいの。それが、《探し屋さん》チームと《隠れ屋さん》チームに分かれてやるゲームというかイベントみたいなものなんだけど」 そういって、彼女は改めて導きの書を開いた。「ええっとね、まず、祭事のある浮島についてなんだけど、そこには《ないないの森》っていうのがあって……」 その森では、まるで粘土のように、樹とか土とか岩とか花とか、実にいろいろなものがどういう原理かは不明ながら簡単に形を変えられるのだという。 だから、そこのアニモフ達は森のモノを使って変装するのが大好きらしい。「ええとね、たとえばトラさんとか雪だるまとか」 言われてふと想像したのは、クマのぬいぐるみが更にトラの着ぐるみを着てもこもこ歩いているところだった。 もふもふがもこもこになって戯れる姿は、考えるだけでつい口元がほころぶ光景だ。「そういう浮島の特徴から生まれたお祭りなのかもね、これって」 一緒になってほっこりと笑いながら、エミリエは書のページを指でなぞり、そこに浮かんでいるのだろう文字を読みあげる。「それで、ゲームの内容なんだけど……」 《隠れ屋さん》は森にあるものを活用して変装したり仮装したり樹の中に潜り込んだりして隠れること。 《探し屋さん》はそんな隠れ屋さんを探して、見つけたらタッチしてつかまえること。 探し屋さんの勝ち条件は、隠れ屋さんを全員つかまえること。 隠れ屋さんの勝ち条件は、ないないの森の日が暮れるまでひとりでも逃げ切っていること。 以上が大まかな、単純といえばとても単純な《イベント》のルールだ。「あ、でもね、見つかってもタッチされなければセーフなの。捕まりそうになったら隠れ屋さんは逃げちゃってもいいんだって。だからね、『かくれんぼで鬼ごっこ』ってことになるんだよ」 こうして話を聞く限りでは、とても《祭事》とは思えない。 けれど、楽しいことが大好きで、ふんわりのんびりとした時間が流れているアニモフたちとわいわい騒ぐのを想像すると、それはそれでいいのかもしれないと思いなおす。「アニモフ達の文化調査っていう名目だけどね、あんまり難しいことなしでうんと楽しんできたらいいかも。隠れ屋さんになるもよし、探し屋さんになるもよし、って感じで。お祭りのあとにはパーティもあるみたいだし」 パタリと導きの書を閉じて、そして、エミリエはとびきりの笑顔を見せる。「ね、もし行ったら、エミリエにお土産話をお願いね!」
「なんだ、これは! やり直しを要求するーっ!」 ふわふわした雲の上に広がる、ふかふかとした綿菓子のような森の中、くま型アニモフ達が集う祭の広場を遠目に眺め轟く絶叫。 「えぇっ!?」 「……」 「え? え? どうしちゃいましたかぁ?」 突然拳を突き上げた怪しげなフード姿の女――三才巻名に、同行者のコンダクターは三者三様の反応を示す。 「黒岩はどうした! 枯れ木の立ち並ぶ山道は? 暗雲立ち込める空の下、獰猛な食人虎におどろおどろしくさまよい歩くリアル顔面8頭身雪だるまは? エ、エミリエは私をたばかったというのか?」 「どこをどう聞いたらそんなすごい想像になるのよ!」 自慢の愛するカメラを落としそうになりつつ、思わず一ノ瀬夏也がツッコミを入れた。 「獰猛なクマが更なる皮をかぶっていると言っていただろう?」 「ええ!? 言ってたかな?」 「あぁ、なるほどぉ! たしかにそんなことを言ってましたねぇ。ただ、イメージに若干の相違があるみたいですけど」 宮ノ下杏子はぽむっと手を打ち、ふわんと笑った。 「もふもふがもこもこになってるって……ただでさえ可愛いアニモフ達がこぞってもこもこに……もう、想像するだにかわいらしく」 「それのどこをどうすれば恐怖満載の地獄絵図的イメージに変換されるのか分かんないんだよね、うん」 そのまま妄想の世界に突入しそうな杏子にも、とりあえず夏也は律儀に答えておく。 「まあいい。神隠しは得意だから期待するがよいよ」 だが勘違い本人は、キランという効果音が聞こえてきそうな爽やかな変わり身の早さで不自然な笑顔を浮かべた。 「そうと決まればさっそく申請しに行かなくてはね」 「あらぁ、巻名さんが隠れ屋さん志望なら、私は探し屋さんでいきますねぇ」 「私も隠れ屋さん希望なんだよね。そうだ、棗ちゃんはどうする?」 「……私も、隠れる方で……」 テンション高めに漫才を繰り広げる3名に対し、終始無言を通していた無表情の女子高生――青梅棗は、ごくごく短くそう答えた。 * 「ルール説明最終確認ー!」 「「「さいしゅうかくにんー」」」 「隠れ屋さんは、ひとつ目の合図を聞いたら、全員で全力で隠れることー」 「「「かくれやさんは、ぜんいんでぜんりょくでかくれることー」」」 「探し屋さんは、ふたつ目の合図を聞いたら、全員で全力で探すことー」 「「「さがしやさんは、ぜんいんでぜんりょくでさがすことー」」」 「みっつ目の合図は終わりの合図ー」 「「「みっつめのあいずはおわりのあいずー」」」 「それじゃ、開始ー!」 ぷおぉぉ……ん……っ! * ふわふわさわさわとそよぐ風を受けながら、棗はひとり、隠れ屋さんとしての本分を果たすべく《ないないの森》を歩く。 思いつく限りの罠は仕掛け終わった。 後は自分が隠れるだけだ。 けれど、どうしようか。 足を止めて空を見上げると、隠れ屋さんの証明――星型クッキーの髪飾りをつけた長い髪が揺れる。 この調査ツアーに参加したかったのは、実は棗本人ではない。自分とは正反対の、けれどそっくり同じ顔をした双子の姉の方だ。 けれどどれほど意気込んでいようと高熱の前には空回りするばかり。結果として、代わりに行ってきてほしいと頼まれた棗が派遣されることになったのだが、正直なにをどうしてよいのか分からない。 「……あとは、見からないように隠れる、けど……」 いかにも隠れやすそうな洞窟や茂みの中では逆にすぐ見つかってしまいそうだ。だからと言って相手の裏をかけるほどこの場所のことを知らない。 ひとつ、思いついた場所はあるのだが。 「……どこに、あるかしら」 樹の幹をむしったり、地面を掘り返したり、そうした素材をこねこねしては自分たちに飾っていたクマたちが棗に近づいてきた。 ぽこぽこ丸いものを顔の周りにぐるりと付けて、どうやら彼らはライオンになろうとしているらしい。 「どーしたのー?」 キラキラとした黒い瞳に見つめられながら、きっと姉なら大はしゃぎで飛び跳ねるだろうなと思いつつも、棗はしごく冷静かつ端的に自分の意思を伝えた。 「この辺りに、背の高い花がたくさん咲いている場所とかないかしら」 「はなばたけ?」「ばたけ?」「おはないっぱいのとこねー」 まかせてーとばかりにキャイキャイと、クマたちは棗の手を取り、群がりながら、とっておきの場所へと案内してくれる。 「《かくれやさん》なかまだからねー」「ねー」「がんばろーね」 連れて行かれたのは、森の奥にぽっかりとできた広場のような場所だった。 クッキーやマドレーヌのような焼き菓子めいた甘い香りをまとった黄色やオレンジや赤や白の可愛らしい花々が揺れている。 近くに流れる小川のせせらぎは耳に心地よく、時折ぴしゃぴしゃとなにかの跳ねる音も聞こえてくる。 「お花、作ってあげるね」 横たわった棗に、親切のつもりか、アニモフ達はコネコネと器用に花から花を作り出して棗の長い髪や制服を飾り、ほどよく体も隠してしまう。 「ありがとう」 隠れ屋さん仲間のよしみでお世話をしてくれたクマたちへ、棗は小さく一言お礼をいう。 「「「どーいたしまして」」」 ライオンを目指しているアニモフたちは、そろってにっこり笑うと、背の高い花たちを掻き分けて再び自分たちの作業場へともこもこ戻っていった。 棗が甘やかな花々に埋もれている頃、怪しいオーラを全開にあふれさせた巻名は、森の一角を陣取って非常にアクティブかつ不可解な造形に精を出していた。 「くくく、《探し屋》は私の真の実力の凄まじさに慄くがいいよ…っ!」 清々しく額の汗を拭うふりなどしつつ、彼女は立ち上がり、そして満足げにその光景を見渡した。 まるみを帯びたこんぺいとうのごとき可愛らしい花が咲き乱れ、ぬいぐるみのようなアニモフがあちこちで戯れるメルヘン全開の中に鎮座するのは――無駄に無意味に無闇に細部まで拘りを持った《モアイ像》だった。 それもひとつやふたつではない。 視界に入るかぎりでも十を超える巨大モアイがずらりと横に並んでいるのだ。 なお、その横にはなぜか、非常に神秘的かつ芸術的な造形――《世界樹》もそびえている。 メルヘンの中に繰り広げられる超絶シュールリアリズム。 「木を隠すなら森の中、というやつだね」 違和感以外の何物でもないのだが、しかし、巻名は本気で満足げだ。 「すごーい」「へんなかおー」「でもすごい」「おつかれさまー」 手を止めて彼女の作業を見守っていたアニモフ達が、口々に賞賛してはぽふぽふと拍手する。 「うわあ、シュール! でも、すごい!」 夏也は、うっかり思わず持参したカメラでシャッターを切っていた。 モフトピアでの思い出をあまさず残す予定のカメラには現在、着々と、【三才巻名、芸術家への道程 ~そして私はモアイと踊る~】的タイトルがつきそうな作品ばかりが収められている。 「うむ、そうだろうそうだろう? 尊敬するがいいよ」 「ある意味すごい尊敬する。うん、私も頑張らないと!」 巻名の他の追随を許さない謎の感性に思わず魅入られてしまっていた夏也も、改めて己の袖をまくった。 実はこのツアーの内容を知った時から、ひそかに試そうと決めたことがいくつもある。 ドキドキとわくわくで胸をいっぱいにしながら、夏也は、なぜか巻名の作ったモアイとおそろいの石造のかぶりモノを頭からすっぽりと被ったのだった。 「さあ、行くわよ!」 「すごーい」「まねっこー」「まねっこまねっこ」 もこもこもぞもぞ動くモアイ像の集団。 この瞬間、ないないの森にあった《何か》が決定的に壊れた。 探し屋さんに名乗りを上げた杏子は、ふたつ目のホイッスルを聞くのとほぼ同時に、わっと森の中に駆け出していた。 おっとりしているはずの彼女のテンションは、モフトピアに来ることで箍が外れて勢いづいている。世界図書館のロビーでほわんと佇んでいる時とは比べ物にならないアクティブさだ。 「隠れ屋さん、みーつけた!」 満面の笑みで、不自然に盛り上がった花の揺れる岩場にダイブし、ぎゅっと抱きしめる。 「はあ、かわいいかわいいかわいい~」 数体のアニモフ達が寄り集まってできた《灰色の岩場》は、今や、灰色の巨大なぬいぐるみの集合体でしかない。 杏子に計画性というものは皆無だった。 もちろん、《探し屋さん》としての作戦などというものもない。ひたすらに全力で駆け巡り、ひたすらに全力でもふる。それだけだ。 「きゃーつかまったー」「きゃー」「さがすのじょーずね」 「いえいえ、それほどでも」 実のところ、アニモフの変装は杏子からすれば一目瞭然の出来なのだ。 彼らのかくれんぼは微笑ましいくらいに分かりやすい。頭を隠してもおしりが隠れていず、ピコピコと丸いしっぽが揺れているのだって何度も目撃している。 むしろ気づかないふりをして探す方が難しいのだけれど、それはそれ、彼らの愛らしさにのたうつせいで至る所で相応に足止めはくらっているのだった。 「きょーこ、まだまだだよ」「みつけなきゃ」「ヘンなの見たって子もいるし」 「よし、いこう! 巻名さんが私を待ってるんですもの! 待っててね、巻名さーん!」 《書物》から精神が抜け出し疑似肉体を持ったという巻名の存在に、司書補かつビブリオマニアかつ真性活字中毒者たる杏子の本能がうなりを上げる。 近道とばかりに、ぐっと地面を蹴って、バッとジャンプし、思いっきり崖から飛び降りて。 もっふりとした地面が自分を受け止めてくれる感触さえも新鮮で楽しくて笑ってしまう。テンションは上がりっぱなしだ。 花少女となった棗の見上げる空は、ひたすらに透明で青い。ゆらゆらと揺れるような蒼だ。もしかすると本当に水面のように揺らいでいるのかもしれない。 キラキラキラキラ、光が水面に反射するように星ではない何かで空がきらめいている。 穏やかで静かなひとりきりの時間。 遠くで甲高い歓声やキャーキャーといった悲鳴、それらに混ざってなぜか爆発音らしきものやザバァッと弾ける盛大な水音、誰かの咳込む音も耳に届いていたが、しかもそれは夏也のものらしかったのだが、それでも棗はじっとしていた。 「ここ?」「そう、ここにするの」「ないしょよ」「がんばろーね」 こそこそと傍で可愛らしい密談が聞こえてきても、そしてごそごそとすぐ近くで何かを始める音が聞こえてきても、それでも棗は微動だにしなかった。 ないないの森《モアイの祭典》現場には、噂が噂を呼んでか、好奇心に駆られた探し屋さんアニモフ達がやたらと集い始めていた。 「へんなかおー」「なにこれなに?」「あのへんな手とかとおんなじもの?」「ちがうもの?」 近くでは、並んだモアイ像を片端からつついている探し屋さんたち。 「こら、やめないか!」 「あ、動いたー!」 「しまった! だがしかし! タッチされなければセーフなのだよ、諸君! ふはははは」 「「「なのだよー」」」 ずらかれとばかりに、がっこんがっこんと不可解な音を立てながらモアイ像は小さなモアイ像を引き連れて逃走する。 ところが、逃走ルートを盛大に誤ったらしい。 「巻名さん、みーっけ!」 「その声は……!」 うっかりモアイ像のかぶりモノのままで大仰に飛び退く。行く手には両手を広げて笑う杏子が他のアニモフとともに立ちはだかっていた。 「きょ、杏子君、なぜ私がここだと分かった」 「ふふ、見つけられないわけがありませんよぉ、巻名さん! あなたを愛してますから!」 清々しいくらいにきっぱりはっきりと真顔で杏子は愛を告白する。 「あなたがどこにいようとも見つけ出せる自信があります! さあ、観念してくださいねぇ」 「「「かんねんしてねー」」」 「囲まれたか! ついに奥の手を使う時が来たということだな!」 ババンっと、モアイ像は懐から一冊の小説を取り出した。 「ああ! ソレは児童書とは思えない緻密な情景描写と挿絵が美しい壮大な少女冒険小説“リリア王女と赤い猫”シリーズ第7巻《王様とくもの家》特別装丁版じゃないですかぁ! ま、まさか」 「その“まさか”なのだよ!」 バンっとかぶりモノを脱ぎ去り、巻名は掲げた一冊の青い本へとその身を憑依させる。 『ふふふふふ! さあ、驚くがいい!』 巻名を飲みこんだソレは、ばらららら…っとひとりで己がページを繰り続け、ぴたりと止まり、そして――ぶわん…っと、1ページを割いて大きく描かれた繊細なエッチング画の気球を吐き出した。 まるで水面から姿を現し膨らみ続ける風船のように、本の中から実体化を果たす。 『さらばだ!』 そして華麗にフードマントを翻し、気球へと飛び乗って大空へと逃亡――などできるわけがない。 パタ…と、自ら動くことのできない《本》形態の巻名は、重力に従い、地面に落ちた。 「巻名さんが、本に、本の姿に……」 杏子垂涎。 今日はまだロストレイルの中ですらモフトピアが気になって本を読んでいなかった。広告の文字は読んだけれど、でも、本そのものは手にしていない彼女の心を直撃してしまった。 「ああ、巻名さぁーん!」 会いたかったとばかりに電光石火で飛びついてきた杏子に巻名(本)は抱きしめられ、捕獲された。 「く、無念だ。だが、私の意思は引き継がれるのだ! さあ、私に構わず先に行け!」 「まきなー」「ありがとー」「がとー」 リスや雪だるまや小型モアイやトラにふんしたクマをギューギューに詰めこんで、気球はふらふらと上昇していった。 だが、しかし。 「にがさないよー」「にがさない」「のーせーてー!」 この世には、定員オーバーという言葉があるのだ。 クマがクマに連なる、クマ連鎖。 へろへろ……と、せっかくの隠れ屋さん専用逃亡熱気球がクマ重量オーバーで失速していく。 「かくれやさん、つーかまえた!」 「……くっ、もはやここまでか」 すべての作戦が撃破され、万策尽きた巻名は実にわざとらしく溜息をついたのだった。 「では、お願いしますねぇ……うぅ、巻名さん……」 「らじゃーなの」 ルールに則り泣く泣く本(巻名)を手放す杏子の哀しげな声に送られ、巻名(本)は他のクマたちともども、《見つけた隠れ屋さん連行係》に仲間たちとともに連れて行かれた。 「ほのぼのっていうより、ギャグになっちゃうかな」 そんな光景にシャッターを切りながら、夏也はぽつりと呟く。 彼女が身を隠しているのは、木の皮そのものの柄をした《シート》だ。 森の中でせっせと作りあげたソレは、壱番世界出身者ならば通じるだろう、いわゆる忍者ごっこのひとつ《隠れ身の術》のための重要な小道具である。 なお、先程は《水遁の術》を見事に破られた夏也だったが、隠れ身の術もまた成功しているとはあまり言えない。もってりと不自然に出っ張っているのだ、木の幹が。 「さ、場所を移した方がよさそうね」 無事決定的瞬間を撮り終えたのだからと身じろぎした途端。 「きゃうっ」 「ひゃ! ごめんね! 大丈夫!?」 「あう、へいきー」 ついむぎゅっと踏んづけてしまったのは、自分の足元でひっそりと低木に扮していた同じ隠れ屋さん仲間の足だった。 もちろんそんな声を《探し屋さん》たちが聞き逃すはずもない。 「かくれやさん、みーつけた!」 「いけない!」 「ああ、一ノ瀬さん! できることならあなたとは共に探し屋さんとして手を組みたかった」 「杏子ちゃん」 「ですが、敵となったからには容赦いたしません。さあ、観念してください」 きっと表情を変えて挑む彼女に、夏也の中の何かが刺激される。 ちなみに。 夏也の特技は《決定的瞬間》をカメラで捉えること。ならば、《隠れ屋さん》の変身の瞬間すらも映せるんじゃないかなーなんてひそかに期待していた杏子の企みを夏也は知らない。 「ふ、ふふふ。見つかったからには仕方がない。だが、そう簡単に私が捕まると思うかね?」 「「「かね!?」」」 無駄にカッコつけつつ、夏也をバッと《樹の幹シート》をはいで姿を現す。足元の草むらクマたちもなぜかそれに倣って変装をはぎ取る。 なぜか巻名のノリが移っている。 「私の可愛い部下たちともども、さて、君たちに捕えることができるかな!?」 「つかまえられるかなー」「かなー」 「僕はお前をけっして逃がさないぞ、怪盗イチノセ!」 一体どこでそうなったのか、気づけば完全に探偵と怪人になりきってしまっている彼女らに、アニモフ達もなぜかひきずられているようだった。 「ふはは、……ぁっ」 隠し持っていたモノを投げつけようと振りかぶったが、その動きはぴたりと不自然な形で止まった。 「なにー?」「にー?」「それなにするの?」 ワクワクでいっぱいの瞳が一斉に振り上げた夏也の手を見つめていることに気づいてしまったのだ。 ライバルの杏子相手ならばためらいはない。 彼女は敵なのだからして。 だが、アニモフはダメだ。可愛すぎる。この子らにこの悪辣非道なコショウ玉をぶつけて許されるのか、自分の人間性。 「くっ……アニモフ達で壁を作るとは、策士め!」 即座にコショウ玉を懐に隠し、作戦変更。 「目くらましの術、食らえ!!」 夏也は代わりにごついフラッシュを焚いた。 「――ッ」 「ふはははは、また会おう、諸君!!」 樹の幹柄シートをまるでマントのようにひるがえして、夏也は高笑いとともに脱兎のごとく逃げだした。 「ひゃあ……!」 「どうしたの?」 「お人形さんが落ちてたーさっきのとはちがうのー」 「あ、ホントだ、キレイなおにんぎょさんだねぇ」 取り囲み、覗き込みながら、彼らは、目を閉じた棗を《隠れ屋さん》のひとりと認識できずにほわほわと眺めているだけだ。 長い髪をばらまき、腰から下が地面と一体化し、花に埋もれて眠る人形。 普通なら、しげしげとこちらを覗きこんでは囁き合うクマたちの可愛らしさとくすぐったさに、つい笑ってしまうかもしれない。 けれど、棗はじっとしている。風景に溶け込み、まるで初めからそこにあったモノのように馴染んでしまい、微動だにしない。 「おにんぎょうさん、なのかなぁ?」 そろり、とアニモフの一体が棗の頬に手を伸ばしかける。 棗は目の前に近づいてくるそのやわらかそうな手をガラス玉のような瞳で眺めるだけだ。 「《かくれやさん》がそっちににげたぞーっ!」 突然向こうから上がった声に、その手が止まる。 「ふふふ、捕まるわけにはいかんのだよ、諸君!」 遠くから近くへと、高笑いを交えた聞き覚えのある声が響き渡る。 思いがけず目の前の探し屋さんの興味を反らした相手のことを考えながら、それでも棗は無言かつ無動を通す。 と、 「どうだ、追いつけまい……っ!」 ふと視線を移した瞬間、疾風のように笑いながら走り抜けていく夏也と目があった――と思う間もなく、彼女は手にしていたカメラのシャッターを切っていた。 なぜ夏也が半ば反射的に自分を撮ったのか棗は分からない。 そういえば彼女は面白い写真と随分と撮っていると聞いた。それもかなりの高確率で『ハプニング大賞傑作選』にノミネートされる類のモノを。 ただし今回に限り、ハプニングは被写体ではなくカメラマン本人へと降りかかったらしい。 「ひゃあぁぁっ!?」 素っ頓狂でちょっとだけ間の抜けた悲鳴。ふかふかの地面を蹴っていた夏也の体が、ふ…っと棗の視界から下方へ消える。 「おっとしあなー」「せいこう!」 一体いつ作ったのか、見事な落とし穴が草むらの中に隠されていたらしい。 なるほど、少し前に聞いたアニモフ達の密談はコレかと合点がいく。罠を仕掛けるのは隠れ屋さんだけではないらしい。 「《かくれやさん》、つかまーえたー」 ちらりと視線を動かすと、草花たちの合間から、夏也がぺたぺたとアニモフたちに頭や顔を触っているのが見えた。 「これは負けを認めるしかないね」 どうやら、カメラを守ろうとして抱え込んだから腕もしっかり穴の中に入ってしまい、身体を引き上げようにもふかふかの地面ではままならないという有様のようだった。 まさかこんな罠にはまるとは…と、照れ笑いを浮かべながら、それでも彼女は潔く降参した。 「さあ、私をここから出してくれるかな? それで連れて行ってくれる?」 「うん! まかせてー!」 元気よく万歳をして救出を請け負ったクマたちは、嵌っている穴の周りをさくさくと堀広げていったのだった。 棗のすぐ近くで為されるやり取り。 どうやら彼女はどこまでも《探し屋さん》たちの注意を棗からそらす作戦らしい。 クマに連行されていく彼女が、ほんのちらりとこちらに視線を投げ、ウィンクをしてきた。 棗はまだ、動かない。 隠れ屋さんと探し屋さんの攻防が繰り広げられる中、巻名はパーティ会場でその準備に嬉々として参加していた。 「ふふふ、パーティ……」 日暮れまでにはまだ時間がある。 捕まってしまった隠れ屋さんたちは、いまも全力で駆けまわっている仲間のためにおいしいものをつくるらしい。 たっぷりのミルクとはちみつ、そして赤やオレンジや黄色の果実をいれた巨大な壺を、踏み台に乗ったアニモフたちが二体ひと組で大きな棒でもってゆっくりゆっくりかき混ぜている。 様々なフルーツといっしょに煮詰められていくスープの甘い香りはひとを幸せな気分にさせる。 「ケケケ……」 彼らにとっては身に余る大きさでも、巻名にとっては実に手ごろなサイズだ。 紫のフード付きローブをまとった眼鏡着用の女性が、ぶつぶつと何事かを呟きながら鍋の中のとろりとした不思議な液体を細い指でかき混ぜる。 その光景はまさしく、絵本に出てくる悪い魔女だ。 同じことをしているはずなのに、ほのぼのメルヘンクッキングが、一気にその質感を変える。 「なにしてるの?」 「うむ、これはだね、愛という名のスパイスであり、美味しくなる呪文なのだよ」 「おてつだいさん、ありがとー」 そうしている間にも、捕まった《隠れ屋さん》たちがどんどんパーティ準備の輪に加わっていく。 「おや、夏也君も来たんだね」 「捕まっちゃったわ。落とし穴のスペシャリストに」 「つかまえたのー」「つかまったのー」 連行役を仰せつかったクマたちが、夏也の手を引きながら、ぐっと胸を張って得意げに笑う。 「ほうほう。だがね、棗はまだなのだよ。やはり、彼女は違う特別な人種だからだね」 「え、そうなの?」 クククっと自信たっぷりに断言する巻名に、夏也は不思議そうに首を傾げた。 「私はすごい秘密を握っているのだよ。気づいているのは私だけかもしれないんだが」 ひそりと肩を寄せて、まるで路地裏でヤバイ情報を囁く裏社会の人間のように、巻名は夏也に耳打ちする。 「彼女は……実は大量に存在しているのだ」 「え?」 「あの服を着たモノたちがだね、幾人も幾人も世界図書館やロストレイルに出入りしている姿を見ている……彼女たちは大勢でひとり、ひとりで大勢という不思議な存在で」 さあ、どこから突っ込もうか。いや、いっそ突っ込まない方がいいか。そんな思いに駆られながら、夏也はにっこりと笑ったのだった。 ないないの森の日が傾いていき、そよ…と風が森の中を渡っている。 タイムミリっとまであとわずか。それまでに全員見つけ出すことを仲間と誓い合い、杏子はひたすら目をつけていた隠れ場所に突撃していた。 「隠れ屋さん、みーつけ……きゃあ!?」 杏子はちょっと本気の悲鳴を上げる。 てろん。 アニモフだと思ってすくい上げたソレは、似せてつくられたクマのぬいぐるみの腕一本のみだった。本体がない。 そういえばヘンなものがあるという噂を耳にしてきたが、もしやこれのことなのだろうか。 一歩間違えば猟奇的な光景は、結局のところ《探し屋さん》を翻弄するために誰かが仕掛けた罠ではあるのだ。 夏也や巻名とは若干発想の方向性を違えたこの罠は、はたして誰によるものなのか。 「あれ?」「ねえねえ、きょうこー」「このこだれー?」 そんな杏子の前にぽてぽてと、同じ探し屋さん仲間がやってくる。彼らは不思議な友達を連れていた。 「あらぁ?」 雪だるまっぽく飾りつけてアニモフの誰かが変装としたと見せかけてはいるが、ソレはどう見てもセクタン、それもポンポコフォームだ。 「ぷにこはいるし、一ノ瀬さんのホロホロはずっと広場の方にいたし」 そこで、はたと気づく。 「え、青梅さんの八甲田さん?」 デフォルトフォームで連れていたセクタンを、まさかフォームチェンジしてまで偽装に用いるとは。さすがだ。侮れない。 「あ、そういえばね、きょーこ」「そっちのおはなばたけにはおにんぎょさんがいるんだって」「おはなのおにんぎょさん、きれいだってー」 「お花のお人形さん?」 そういえばまだ棗が捕まったという情報はない。 ならばもしかすると……と、半ば確認めいた想いでもって、杏子はアニモフ達に案内してもらって花畑を目指し進んでいく。 そして、杏子もまた見つける。花に埋もれて横たわる一人の少女を。 「あ……青梅さん?」 ハムレットのオフィーリア姫のようだと思いながらそっと手を伸ばしかけた瞬間、 ぷおぉぉ……っ…ん……! 「あ」 「あーなっちゃったー」「みっつめ」「みっつめのあいずだ」 三つ目の合図は終わりの合図。 「すごいね、青梅さん。隠れきっちゃった」 「……ただ、じっとしていただけ」 「でもすごいよぉ」 改めて棗に手を伸ばし助け起こしながら、杏子は称賛の笑みを送った。 「「「かくれやさん、でっておいでー」」」 《隠れ屋さん》チームの勝利で終わった《祭事》は、だからと言ってこれからの吉凶を占うであるとか、そういうモノとは無縁らしい。 ただ、みんながみんな集まって、水の底に沈んでいるかのように揺らめく不思議な青の中、花のカタチの明かりがキラキラふわふわと揺れる光を見ながらのパーティを始めた。 棗たちはアニモフ達に混ざって、彼ら手製のふわふわの丸テーブルと丸椅子に腰かけて、くもりガラスのカップに蜂蜜色の優しいホットジュースを頂いていた。 「ふふふ、それは私が精魂込めて作ったものだからありがたく飲むとよいよ」 「巻名さんのお手製なら喜んでぇ」 ちゃっかりアニモフを膝に抱きながら、杏子はうっとりにっこりと笑う。 「エミリエのお土産にね、フォトブックを作ろうと思ってるの。棗ちゃんの写真もばっちりよ」 「私の、写真」 「つまり私の勇姿も世界司書の手元に永遠に残るということだね」 「いいですね、ステキですねぇ。巻名さんの勇姿もアニモフの愛らしさも青梅さんの可憐さも全部一冊に……」 一瞬一瞬が切り取られたステキな写真たちが並ぶ様は、想像するだけで自然と笑みがこぼれてくる。 「それじゃ、最後にとっておきのを撮らなくちゃね。みんなーあつまってー!」 すっかりと《粘土細工》に慣れた夏也は、あっという間にもこもこと三脚を作り上げて、そこに自分のカメラを据えた。 「はい、ちーず!」 薄青にきらめく蜂蜜色の光の中、思い出が弾けて、一瞬が切り取られる。 そして祭りは再び夜が明けるまで続き。 モアイ像を気に入ったアニモフたちが誰が一番ステキなモアイになれるか大会を開催し、杏子と夏也がその審査員になったり、棗の一言批評が巻名のセンスと芸術論を直撃したりして大変な騒ぎになったのだが、それはまた別のお話し。 END
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