クリエイター阿瀬 春(wxft9376)
管理番号1147-14332 オファー日2011-12-14(水) 16:25

オファーPC 宮ノ下 杏子(cfwm3880)コンダクター 女 18歳 司書補

<ノベル>

 花水木の坂道を登る。紅く染まった葉を仰いで、宮ノ下杏子は眼鏡を押し上げる。季節のない零世界や、いつだって暖かいブルーインブルーとは違い、久しぶりに戻ってきた壱番世界はいつのまにか秋も深い。
 乾いた朝の空から冷たい風が降って来る。秋風に煽られて、栗色の長い髪が風に舞う。髪と同じ色の眼をきゅっと細めて、杏子はコートの襟を両手で掻き集める。冷えた指先を温めたくて、両手を拳にする。
 気紛れな風が額を覆う髪を巻き上げる。眼鏡の奥の細めた眼を瞬かせ、紅い葉と共に空へ走る風を追う。坂道に沿って広がる住宅地へと視線を投げる。
 スーツや学生服の上にコートを羽織った人々が、坂道の下の駅へと向かう。坂道の途中で足を止める杏子の脇を、自転車に乗った少年が駆け抜けていく。スーツ姿の女性がヒールの踵を鳴らして足早に過ぎて行く。
 澄んだ朝の空気に、電車の音が溶け込んでいる。
 忙しげな人々の流れに逆らって、杏子は顔を坂道の上へと向ける。止まっていた足を動かす。一歩めを踏み出せば、二歩めは一歩めよりは軽い。何歩か歩く度にずり落ちる眼鏡を直したり、そのままにしたりしながら、花水木の坂道を登る。
 坂道のてっぺんで左に折れる。花水木の道は桜の通りに変わる。紅く茶色くなって道路に散らばる桜の葉を踏んで、百と十八歩目。杏子は息を大きく吸って顔を上げる。
 白い壁の印象的な、古い洋館が静かに佇む。
 小さな前庭には大傘のような椿の巨木。人の手が長く入っておらず、雑草の繁る庭に在ってそれでも堂々と枝葉を広げ、固い蕾を数え切れないほどに結んでいる。
「ただいま」
 小さい頃、悲しくなるとこの椿の老木の下にうずくまった。大きな傘の下で護られているような、伏せたお碗の中に隠れているような、そんな気がして落ち着けた。夏は折り重なる葉の堅固な木陰の根元で、冬は一面に落ちた紅の椿花の真ん中で、膝を抱えてうずくまった。樹の陰から、道路を歩いていく人たちを眺めた。
 ――杏子
 そうしていると、決まって祖父が樹の下に腰を屈めて迎えに来てくれた。手を伸べて、頭を撫でてくれた。手を握ってくれた。あの頃は、祖父はまだ時々帰国してきてくれていた。
「ただいま」
 家を護って枝葉をいっぱいに広げる椿の老木を仰ぎ、杏子はもう一度言う。石積みの階段の隙間からも芽吹く雑草を踏んで、玄関ポーチに立つ。脇のポストから溢れる葉書や封書や広告を一通残らず両手に抱え込む。地面に落ちて雨に濡れたものも、残らず全て。
 鍵を取り出す。鍵穴に差し込むより前に、扉の取っ手をそっと引いてみる。がたん、と扉が間違いなく鍵の掛かった音を立てる。誰の出入りも阻んで、扉は開かない。杏子は息を殺して溜息を吐く。いっそ乱暴に鍵を外す。思い切りよく扉を開く。
 玄関に満ちる冷たい匂いに、杏子は怯えた。
 玄関ホールに母がいつも飾っていた花はもう無い。
 暖炉のある居間で父がいつも淹れていたコーヒーの温かな香りはもう無い。
 おかえり、そう言ってくれるひとは誰も居ない。
 冷たい玄関ホールで、杏子は精一杯足を踏ん張る。両手いっぱいに手紙の束を抱えて、明るく大きな声を出す。
「ただいま」
 玄関には、以前家を出たときのまま、杏子のスリッパだけが並んでいる。
 モザイク模様の三和土に靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。花模様の絨毯が敷かれた玄関ホールで、杏子は迷子のようにぐるりを見回す。
 飴色に磨きこまれた階段がある。椿模様の彫られた手摺に触れようとして、やめる。階段を駆け上がり、その先にある自室に籠もってしまえば、きっとしばらく出てこられなくなる気がする。ベッドに潜りこんで布団に丸まってしまう。それはきっとよくないこと、と杏子は栗色の眼に力を籠める。
 朝陽の差し込む玄関の天井に描かれた蔦模様を仰ぐ。模様の中に隠れている小さな天使を見つけて、ちょっと微笑む。小さな天使は、こどもの頃からの『ともだち』だ。両親や祖父に、あの天使が絵から抜け出して冒険する物語を書いてと昔はよくせがんだ。
「ただいま」
 天使に挨拶して、家の奥に進む勇気を貰う。誰もいない、長く空けていた自分の家に入るには勇気が欲しかった。
 絨毯をさくさくと踏み、玄関ホールを過ぎる。アーチ型に刳り貫かれた壁を通り、漆喰の壁に挟まれた廊下をぬける。
 開け放ったままの扉を潜れば、南の壁一面に硝子窓が設えられた明るい居間。窓から雪崩れ込む朝陽の眩しさと陽に照らされた部屋の温もりに眼を細め、少しだけ埃っぽい空気に小さなくしゃみをする。すん、と鼻をすすって、大窓に面した古いダイニングテーブルに抱えていた手紙の束を置く。背筋を伸ばして、傍らの暖炉の上に置かれた両親の写真に顔を向ける。精一杯の笑顔を浮かべて写真と向き合い、丁寧に両手を合わせる。
「……ただいま」
 祈るように、呟く。伏せてしまいそうになる眼を思い切りよく顔を上げることで大きく開く。腕まくりをして眼鏡を押し上げ、テーブルに広げた手紙の山に立ち向かう。
 広告、お役所関係の封書、電気や水道の利用明細、友人からの近況を記した葉書、喪中葉書。
 もうお正月が近いんだ、杏子は薄墨で綴られた葉書を手に瞬きをする。そっと葉書を仕分けた手紙の山に戻して、小さな溜息を吐く。探していた手紙は、無い。
(おじいちゃん)
 小さい頃の呼び方で、祖父に呼びかける。
 外交官である杏子の祖父が某国の軍事紛争に巻き込まれ、拘束されてもう随分と経つ。祖父自身のものでなくとも構わない、せめて祖父の安否を記した封書が届かないものかと待ち続けて、歳月ばかりが重なっていく。
 杏子にとって、祖父が拘束されている紛争地域は異世界よりも遠い。
 戦争は終わらない。祖父は帰って来ない。
 ――壱番世界は、『プラットホーム化』が起きているのだと言う。
 数千年と階層移動のないこの世界が滅びの兆候にあることを、杏子はロストナンバーとなって知った。自らの故郷である世界が滅びを前にしている、その信じ難い情報に、けれど杏子は胸に痛み抱きながらも頷く。
 いつもどこかで戦争の起きているこの世界は、確かに破滅の危機にあるのかもしれない。
(戦争は、きらい……)
 窓の外には、初冬の陽に白く照らされた荒れ放題の庭がある。
 この世界も、いつかカンダータのようになってしまうのかな、そんな思いさえ胸に広がる。荒廃しきった、戦争ばかりの世界。もう関わり合いになりたくないのに、
 ――もっと積極的に関わった方がいいんじゃないのか
 ――カンダータ探索の依頼はないの?
 ターミナルに居ると、あの世界に興味を示すロストナンバーたちの話がどうしても耳に入ってきてしまう。
 ――カンダータで軍隊助けてマキーナやっつけてきたんだ!
 カフェで声高に話すロストナンバーの声を聞いたこともある。そうして話す声にはどこにも悪びたところはない。荒廃した世界を渡り歩き情報を集めたことを、その世界で戦い、その世界の人々を助けたことを、きらきら輝く強い瞳で語る。
(戦争は、きらい)
 でも、ロストナンバーたちのあの強い瞳を嫌いにはなれない。世界を異にしていても、彼らの伸ばしてくれる手の心強さを、肩を叩いてくれる掌の優しさを、杏子は知っている。彼らと異世界に渡り、様々の冒険や旅に身を置くことを楽しみにしている自分がいることも、充分知っている。
 きらい、と、きらいになれない、が泥のように胸に降り積もる。
 枯葉ばかりが北風に揺れる荒れた庭を眺め、杏子は立ち竦む。
 動けずに居る杏子の足元を、小さな影が過ぎる。桃色ゼリーのような小さな体をぷるぷると揺らして、
「ぷにこ?」
 杏子のセクタン、ぷにこは跳ねる足取りで居間を横切る。窓に駆け寄り、開けて開けてとばかりに窓をぺたぺたと叩く。
 大真面目な顔で窓を叩くぷにこに、杏子は詰めていた息を思い出した。ぷにこに向けて大きく頷く。
「お出かけ、しましょう」

 駅の売店でおにぎりとペットボトルのお茶を買い、西に向かう電車に乗り込む。昼前に郊外へと向かう電車はほとんど空っぽだった。ボックス席の窓寄りに腰掛け、あたたかなペットボトルのお茶を口に含む。
 平日の昼間の、人気の少ないホームを眺める。学校をさぼって遠くに出かけようとしているような、罪悪感と興奮の入り混じった思いが胸の中でぐるぐると踊る。
 電車が出発する。ごとん、と体を揺する振動が、ロストレイルのそれとよく似ている気がして、杏子は冷えた頬を僅かに緩める。
 冬陽に照らされる薄い青の空と街並みを眺める。流れていく景色を寂しいと感じてしまうのはどうしてだろう。
 川の土手沿いに植えられた桜の枯葉が風に舞う。鉄橋を渡り、トンネルを幾つも過ぎれば、町の風景は田園風景に代わる。ビルに隠れていたのどかな山々が流れる窓の外に見え始める。
(もみじ、終わりがけかな)
 各駅停車の電車が停まる毎、ただでさえ少ない車内の客が減っていく。薄日の昼下がり、終着駅に近い目的の駅で降りる頃には、杏子の他に乗客は数えるほどしか居なかった。
 小さな駅を出る。駅の左右には紅く色づいたイロハモミジで埋れた里山が迫っている。出口にあった観光案内板と、昔家族と来た記憶を頼りに道を辿れば、思っていたよりも短時間のうちに目的地と定めた紅葉谷への入り口を見つけられた。紅葉谷の入り口にあるアスファルトの駐車場も、銀杏や楓の描かれた樹の看板も、素っ気無い砂利の山道も、山道の奥から聞こえてくる川の水音も、記憶に残っていたものと全て同じ。
 谷の門番のような巨大な銀杏は金色の葉をほとんど地面に落としてしまっている。銀杏の黄金色に染まった山道をゆっくりと登る。散った落ち葉を見下ろし、寒々しくなった裸の梢を見仰ぐ。
(もう少し早く来れば良かったかな)
 この場所で銀杏が盛りの頃は、何をしていただろう。ブルーインブルーの海で船に乗っていた頃かな、それともジャンクヘブンの街を探索していた頃かな、零世界の世界図書館に入り浸っていた頃かな。
 枝ばかりの銀杏の向こうは、緋色の紅葉が折り重なりってトンネルのようになっている。風に震えて落ちる紅葉と一緒に、穏かな陽光が杏子の髪に降る。
 星形が重なり重なる緋色の楓に透けて、水色の青空がある。はらはらと落ちる紅葉が肩先を掠める。黄や赤の葉に覆われた山道をのんびりと登る。
(葉が全部落ちる頃には、クリスマス……)
 どこかの国では、選ばれた七面鳥が焼き鳥にされずに恩赦の幸運を受けるという。祖父も恩赦で解放されたりしないかな、そしたらふたり一緒にクリスマスもお正月も過ごせるのにな。
(来年はいい年になるのかな……?)
 いい年になるといいな、ひとりで紅葉を眺めながら、ぼんやりと思う。
 山道の半ばで紅葉に埋れた小さなベンチを見つけて腰を下ろす。持って来たコンビニおにぎりとペットボトルのお茶で、遅めの昼ご飯にする。
 山道と紅葉の木々の向こうは、荒々しい巨石の転がる谷川。
 山肌に沿って風が降る。紅の葉を幾重にもまとって杏子の髪を舞い躍らせる。
 冷たい風が、陽の匂い帯びた紅葉の群が、絶え間なく聞こえる川の音が、ゆっくりと暮れていく優しい空が、心に黒々と渦巻く言葉にもならない思いを薄めてくれる気がする。杏子は深く呼吸する。
(家に帰ったら、掃除をしよう)
 クリスマスまでに、家中に掃除機と雑巾を掛けよう。床も窓もぴかぴかにしよう。庭に茂り放題の雑草を引っこ抜こう。椿の樹の下も箒で丁寧に掃こう。
「うん、よし」
 大きくひとつ頷いて、立ち上がる。真っ赤な紅葉を踏みしめて、いつか茜に染まった空に向けて、大きく大きく伸びをする。


クリエイターコメント お待たせいたしました。
 秋の終わりの頃、冬の始まりの頃のおはなし、お届けにあがりました。
 細々と捏造してしまっていますが、少しでもお楽しみ頂けましたら幸いです。

 おはなし、聞かせてくださいましてありがとうございました。
 またいつか、お会い出来ますこと、楽しみにしております。
公開日時2011-12-23(金) 11:30

 

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