アリッサ館長率いる世界図書館――そこに集う世界司書たちは実に個性あふれる面々が揃っている。 リベルやシドといった大人組の魅力は言わずもがな、キュートだったりプリティだったりクールビューティだったりと、目の保養には事欠かない。 フェレットや大猫、ワンコにインコと、モフモフ系アニマル司書たちは見ているだけでこちらが癒やされる存在だ。 彼らに囲まれて過ごす至福の時は、言葉に代えがたい時間である。 ただし約一名、本当にアニマルモフモフ枠に入れて良いのかと、若干の疑問が過ぎるものがいた。 ふわもこ司書の1人として名が挙がる赤いクマのぬいぐるみ司書、ヴァン・A・ルルー。 カールモヘアの毛並みを持ち、タキシードをそつなく着こなした彼の背中には、何故かファスナーが存在している。 ただの飾り…とは思うのだが、しかし、以前、アリッサ館長提案のブルーインブルー慰安旅行にて、その《ぬいぐるみ部分》だけが干されていたという目撃証言がいくつか寄せられているのだ。 つまり、どういうことか。 ロストナンバーの中には、独自の推理を展開するものもいる。 しかし、いまだ確証は得られていなかった。 そんな彼は、現在、ターミナルのカフェテラスで優雅なティータイムを終えようとしているところだ。 オフには高確率で一緒にいるはずの、無名の司書やアドの姿も今日はまだない。 あのクマに、《中のヒト》とやらは存在しているのか否か――ロストナンバーになって以来の、この長年の疑問に終止符を打つならば、今しかないのかもしれない。 しかし。 あれが着ぐるみだとしたら、どうやって脱がせ、中身を確かめようか。 直接頼んだとしても、たぶん笑って流される。 それだけで済めば良いが、場合によってはこちらの意図を知られ、勝負を吹っ掛けられ、イカサマで負け、挙げ句の果てにこちらの秘密が暴露されてしまうかもしれない。 それは、遠慮したい。 いや、だが、《知的好奇心》とは、調査・研究によって自身の興味ある対象と向き合い、物事の探求にあたる姿勢である。 飽くなき探求心を前に、失敗への恐れを抱くのもいけない。 ありとあらゆる可能性を試すべきだろう。 誰かが仕入れてきたらしい《北風と太陽》という壱番世界の童話をひっそりと思い出しつつ、ここに、《ターミナル・知的好奇心を満たす会》が発足された――
カフェの物陰に集う4人――岩髭正志、日和坂綾、宮ノ下杏子、シーアールシーゼロの姿は、端から見ると少々アヤシク、若干オカシイ。 だが、当の本人たちは真剣そのものだ。 「ルルーさんは大好きです。それはもう、全力で大好きなんです。でも僕は、あのファスナーに気づいた時から、もう、気になって気になって……」 正志は熱い眼差しを送りながらも、どこか不安を隠せない。 「一体、ルルーさんの正体とはなんなんでしょう? 恐ろしくアレな感じだったりするんでしょうか、いえ、どんなルルーさんでもルルーさんです、嫌いになったりはしませんが、しかし」 「え? ルルーさんの中にはルルーさんじゃん? ファスナー開けたら、またルルーさん。マスクの下にはまたマスク! これぞ男のダンディズム…!」 「ゼロは、ルルーさんはモフトピアの3階層隣あたりのモコトピア出身だと思うのです。モフモフの下はふわふわなのです!」 「おぅお、それはそれでゼロちゃんらしい理論!」 「綾さんのもロマンなのです。ぬいぐるみにはロマンが詰まっているのです…!」 「あ、あたしは、ルルーさんはなんだかんだでアニモフだと思うんですね。あのファスナーはずばり、ダミーです」 「なるほど……宮ノ下さんの推理も興味深いですね」 互いの仮説を互いに確認し合い、綿密に、かつ大胆に、持ち寄った『好奇心を満たすための作戦概要』を煮詰めていく。 臨機応変さを残しながらもある程度の流れが見えたところで、公正を期したジャンケンが厳かに執り行われる。 「OK、そんじゃ私からだね」 一番手は、武闘派赤ジャージとなった。 「あー! ルルーさん、見つけた…!」 「おや、日和坂さん。こんにちは」 「こんにちは! あ、もしかしなくても『はじめまして』でしたっけ? ……っていうか、なんで私の名前……いや、それはともかく超探してたんですよ、ルルーさんのこと。司書室にもクリパレにもいないんですもん! あっちこっちで聞き込みしちゃったじゃないですか」 「ああ、それは失礼しました」 それで何用でしょうか、と、クマは小さく首を傾げて綾を見上げる。 ギュッと目を細めたその仕草はごく自然で、とてもただの着ぐるみとは思えないが、真実を追及するために果敢に攻めていくことを心に決める。 「突然ですけど、私にガワを貸してください!」 「はい?」 「あ、ハイって言いましたね、言いましたよね!? 助かります。コッチは超必死なんです、死活問題です!」 勢いのままにルルーのもっふりした両肩を掴み、綾は怒濤の台詞を展開していく。 「実はですね、この度わたくしってば《KIRIN》から《リア充》にジョブチェンジいたしまして、なんと彼氏ができちゃいました! でもってココで問題はですよ、初デートです、初デート! ルルーさんは私の魅力ってドコだと思います? 私が思うに、ソレって破壊的なまでの突撃力だと思うんですね。なのに、フツーにカワイイデートなんかしちゃった日には、“あれ、案外綾って普通? つまんない?”とか思われて、あっさり振られちゃったら、もうイヤすぎですよ、零世界初デートで振られるとか、もうもう…!」 力説する度に、両肩を掴まれ地面から浮いてしまったクマの全身がゆっさゆっさと揺れる。 「だったら、初っぱなが肝心なわけで。ビックリしちゃうような掴みを用意するしかないじゃないですか。彼は超モフリストなんですよ、ルルーさん大好きなんですよ、傍から聞いてると口説いてるとしか思えない台詞を言ったりしてるわけで、つまり、そんな大好きなルルーさんが待ち合わせ場所でナゼか本を読んでいたりなんかして、目が合って、声を掛けたら、中から、『じゃーん、私登場!』『ビックリした?』とかすごくないです…っ!? もう、ハート鷲掴み、インパクト大じゃないですか!」 往来であることなどキレイに意識の外へ放り出し、告げるべき言葉を一気にまくし立てて、そうして綾は自分の目線の高さまで抱き上げたルルーを見据えた。 見つめ合う、少女とクマ。 わずかな沈黙の時間。 そして。 「日和坂さんの事情はよくわかりました」 ルルーは何かとても微笑ましげに目を細めた。 「デートの掴みが死活問題であるというのなら、協力は惜しみませんよ。ですが、同じパターンは飽きられてしまいませんか?」 「大丈夫です。毎回手は変えます。次のデートにこぎ着けたら、今度はアドさんあたりで狙います」 「なるほど、そこまで考えていらっしゃいましたか」 深くゆっくりと、クマは何度も感慨深げに頷いた。 そんなことをせずとも、たぶん彼は綾を好きでいるだろうし、何より彼の想いは彼女が知るずっと前からじんわりと彼の内側に根付いているものなのだからそうそう壊れることもないと思うのだが、あえてルルーは綾の心意気を買うと決めたらしい。 「ところで、日和坂さんが私の恰好をすると言うことは、いろいろご不便なことになったりする可能性はかなり高いですが、覚悟はよろしいですか?」 「ご不便……?」 「ええ。それでもよろしければ、後日私の司書室までお越しください」 「ありがとうございます!」 「では、失礼しますね」 「うん、じゃね、ルルーさん!」 爽やかな笑顔で大きく手を振りながら、綾は彼の背が人混みの中に紛れていくのを見送った。 「よし、これで勝てる……っ」 些か疑問が残らなくもないが、心地よい達成感に綾は拳を握った。 が、しかし。 「あの、日和坂さん……?」 そんな綾に、物陰から姿を現した正志が、背後からそろりと声を掛ける。 「非常に言いにくんですが、あの……それって問題の解決には至っていないのでは?」 「へ? ……あ、ひゃ、そだった、ごめんなさい!」 「あ、でも綾さんの熱い想いはすごく伝わりましたもん!」 頭を抱えかけた綾へ、杏子が慌ててフォローに入る。それから、不意に気になったことを口にした。 「それにしても、ルルーさん、どうするつもりなんでしょう? 綾さんが着れるサイズを手配してくれるっていうお話なのでしょうか……ルルーさん、綾さんよりうんと小さいわけですし」 「ゼロが思うに、あのふわもこガワは壱番世界の物理法則を完全超越していると思うのです。ルルーさんはすごい力を秘めているに違いないのです」 伸縮自在ということか。 あるいは、着ぐるみの中に亜空間でも広がっているのか。 「とにかく、お願いすれば貸してくれる類いのものだということは分かりました……では、次に行きましょう…!」 いつしか場をとりまとめる役を担っていた正志の声掛けに、一同は再び決起し、尾行を開始した。 カフェを出たルルーが次に向うのは、裏通りを抜けた先、外灯と石畳の道を挟んで多種多様な本があふれる古書街だった。 顔なじみなのだろう、時おり店先で主らしき人物と言葉を交わす姿が見られる。 「僕の事前調査によると、どうやらルルーさんはこの界隈の常連のようですね」 「な、なんだろ、あっちもこっちも本だらけ……」 怯えるように視線が定まらない綾とは対照的に、杏子の瞳は、これまで見たことがないほどにキラキラと輝く。 「ここってすっごくステキな品揃えなんですよねぇ……本を愛している方が、本を愛しながら、本を愛する人たちに出会いの場を提供してくれるっていうか」 ほう、と溜息をつきながら、ショーウィンドウ越しに展示された本たちへとろけるような眼差しを向ける彼女へ、ゼロは首を傾げた。 「杏子さんは本が好きなのですか?」 「それはもう! 囲まれてるだけで幸せになれちゃいます。活字がなくなったら生きていけません。あ、でも手書き文字はもっと好きです。本屋さんでポップを見つけると、ふわふわっと幸せ感倍増なんです。あ、ゼロさんも今度一緒に本屋さんへ行きませんか? この先にふわもこ店主さんのふわもこ絵本屋さんがあったりするんですよ」 他者を圧倒するマシンガントークが炸裂しかねない勢いで語る杏子に、ゼロも興味津々で頷く。 「ふわもこ、見たいのです! ふわもこな絵本はきっと幸せなのです」 「約束ですよぉ。では、二番手宮ノ下杏子、行ってきます!」 水を得た魚のごとく、ビブリオマニアが次なる作戦を決行する。 「ルルーさん、こんにちは」 ミステリ専門古書店に入っていったところで、杏子がルルーへと声を掛ける。 「おや、宮ノ下さん」 波模様の彫刻が施された木目の美しい棚が聳え立ち、天井高くまで本で埋め尽くされた店内は、セピア調の落ち着いた雰囲気で満ちている。 目につく本のすべてが、古今東西どころか世界を問わず語られる《推理小説》だという事実は、それを愛する身にはたまらない趣向だ。 美しく整えられた背表紙の並びと表紙を見せて展示された本を眺めていると、倒錯したギャラリーに思えてくる。 その中に佇むルルーの姿もまた、不思議とここにマッチする。 「あなたもこちらへ本を探しに?」 「はい! 壱番世界での絶版本も、ここでなら手に入る可能性は高いですから。アリスは無理でも黒蜥蜴の初版なら…と期待してるんです」 「ああ、いいですね、彼の作品と手触りは、当時のカタチで触れてみたくなります」 「ですよね!」 ただ文字を追うだけならば復刻版の文庫を入手すればよいのだが、やはり、当時の空気と質感を閉じ込めた初版が欲しいと願ってしまう。 「そういえば、ルルーさんの司書室は本棚と本棚と書棚と本棚があるって聞きましたけど」 「ええ。自宅に比べると少ないですが、お茶を用意してお待ちしていますから、よかったらいらしてください」 「ルルーさんの蔵書、是非拝見したいです!」 「最近はずっと壱番世界のミステリばかり読んでいますし、集めていますよ。一度手にすると、なかなかそこから離れられませんね」 分かります、といわんばかりに杏子は何度も頷く。 「ミステリ、いいですよね! 文字が織りなすナゾトキのために構築された虚構世界と、ロジックで解体されるカタルシスは他の追随を許しません」 「様式美と形式美、そしてなにより美学を追求する形態が魅力的ですし」 「ソレが文字で綴られることで、一層イメージとして世界が確立されていく感がすごいんですよね」 そのままミステリ談義へと話が流れて行きかけるが、しかし、ちらりとこの店を外から窺う仲間の顔が視界に入り、杏子は話の方向性を微妙にずらしていく。 「こういう本を読んでいると、つい自分でも推理したくなりません? たとえばルルーさん」 「私ですか?」 「はい、ルルーさんについても、あたし、いっぱい推理してるんですよ。本が好きで、ミステリが好きっていうことは思考ゲームがお好きなんだろうな、とか」 「おや」 「チェス勝負で、アドさんや無名の司書さんにルルーさんが負ける時って、相手が定石を無視して突拍子もないことをした時なのかなとか、つまり型にはまらない行動に弱いというか甘い傾向があるのかなとか、それはともかくルルーさんって、実はアニモフじゃないですか!?」 「はい?」 「杏子が思うに、ルルーさんはモフトピアとの親和性が高いなって思うんです…! あたし、アニモフにはうるさいんですよ、あの手触りと存在感は類を見ません、というわけで、確かめさせてください、ルルーさん!」 「確かめる、ですか」 「抱きしめたいです。こう、ぎゅぅっと」 「女性に頼まれて、否を唱えるのは男じゃないだろ?」 カウンターでなりゆきを見守っていたらしい壮年の店主が、にひゃりと笑って口を挟んできた。彼は杏子に味方してくれるらしい。 「他に客もいないしな、存分にお嬢ちゃんに確かめさせてやんなよ」 「では、どうぞ?」 「ありがとうございます! あー……ふわふわもこもこ……魔性のふわもこです」 カールモヘアの毛並みに顔を埋め、溜息をつく。 そのままファスナーを確認するという当初の目的も、祖父が遊んでくれた『あっち向いてほい』で勝負を持ちかけるという作戦すらもキレイに忘れ去り、ふわもこを堪能していた。 「なんか杏子さんが全力でモフってるぁ」 物陰から見守っていた綾の口から、いいなぁ…と羨望の呟きが漏れる。 「ゼロもモフモフしたいです」 「僕も……いえ、いけません! このままだと、またしても有耶無耶に終わってしまいそうです。作戦Bを始動させましょう」 できれば自分も抱きついてファスナーを確かめたいと思いつつも、正志はソレを振り切ることを決意する。 「僕も行ってきます! 綾さん、ゼロさん、よろしくお願いします」 「まかせといて! 根回しはしてるからね」 「応援しているのです! ご武運を、なのです」 同士ふたりの声援を背に受けながら、正志はミステリ専門古書店へと、何気ない風を装いながらアイスティを片手に歩き出す。 「あれ、ルルーさんに、……宮ノ下さん、ですか?」 「おや、岩髭さん、こんにちは」 「あらあ、岩髭さん」 若干わざとらしいかと思いながら、店の前から動かずに首を傾げて見せた。 「まさかこんなところでお会いできるなんて思っていなかったんですが……何をしているんですか?」 至極当然な問いかけを投げてみせれば、杏子が話を合わせてくる。 「あたしはですねぇ、実は、ルルーさんがアニモフかどうかを確かめさせてもらってたんですよぉ」 「……だそうですよ」 「それで、答えは出たんですか?」 「大変ステキな手触りです!」 「……だそうですよ」 杏子にギュッと抱きつかれたまま、ルルーは正志を見上げた。 「なるほど……」 一度納得したように正志は頷き、 「僕もミステリ好きの端くれとして、俄然その謎を解き明かしたいです。どうでしょう? ルルーさん、宮ノ下さんの推理の正否を賭けて勝負しませんか?」 ただ教えてくれと言うのでは趣に欠けるだろう、と繋ぎ、 「僕がもし負けたら何でもしますから。もちろん、自信がないのでしたらお断りいただいても結構なのですが」 「そう言われてしまうと、受けないわけにはいきませんね」 ギャンブラーとしての血が騒ぐのか、こちらから持ちかけた勝負をあっさりと受けてくれたことに、正志は小さく拳を握る。 「さて、では勝負の内容は何にしますか?」 「そうですね……ではシンプルに、勝負の内容は“次に来店する客は女性か男性のどちらか”というのはどうですか? お店の選択はルルーさんにおまかせします」 「ええ、よろしいですよ。それで行きましょうか」 「ありがとうございます」 勝負内容が決まったところで、名残惜しげに杏子がルルーを解放する。 ルルーはミステリ書店から通りにでると、「では、あれに」と、本屋と本屋の間に挟まれたコーヒーショップを指し示した。 「了解しました。ではルルーさん、男と女、どちらが来ると思いますか?」 「……そうですねぇ」 あの店の近くには、綾とゼロが、彼女たちの友人たちを巻き込みつつ死角になる場所でスタンバイしている。 ルルーがどちらを選ぼうと、正志の勝ちは決まっているのだ。 これはずいぶんと以前に彼が話してくれたものだ。 無作為に誰かを選び、無作為に対象を抽出した公正なジャッジと見せかけて、すべてがある一方のコントロール下に置かれているという状況。 不確定要素に満ちていると見せかけた、確定要素しか存在し得ない仕込みだ。 ルルーは男と女、どちらか来ると予想するのだろうか。 「ところでひとつ確認させていただいてよろしいでしょうか?」 「は、はい!?」 「イカサマは、見破られなければイカサマじゃありません。ですが、ばれたからには……その覚悟はおありでしょうか?」 正志を見上げる黒いつぶらな瞳が、意味ありげにきらりと反射する。 ひやりとした汗が背を伝った。 「ありゃ、なんかすごい不穏な空気……!」 トラベラーズノートに杏子からのメールを受け取りながら、綾は眉をしかめる。 「さすが手強いのです。ここはもう、作戦CとDの合わせ技一本で行かねばならないとゼロは思うのです」 勝負を持ちかけながら、正志は既に心理的に追い詰められている。 追い詰められた同士のため、ついにゼロが動き出す。 「その勝負、ちょっと待ったなのです! ヴァン・A・ルルーさん! ゼロがあなたに決闘を申し込むのです!」 往来の真ん中で、超絶美少女でありながら圧倒的な存在感のなさでもって、ゼロはルルーの前に立ちはだかった。 「伝統的作法に則って、ゼロからルルーさんへ手袋を送るのです。ブランさんに聞いた方法なので間違いないのです」 言って、ゼロはルルーの前までてこてこやってくると、恭しく白手袋を両手で差し出した。 片方だけのソレにはたっぷりとモフトピア産ジュエルキャンディが詰め込まれ、ぱんぱんに膨れている。口はピンクのリボンで可愛らしくラッピングされ、もちろんメッセージカードを添えることも忘れていない。 「ああ、これはご丁寧にありがとうございます」 あれ、決闘の申し込みって白い手袋を片方相手に投げつけるんじゃなかったか、というツッコミは、残念ながらどこからも上がってこないままに話は進む。 「ゼロはルルーさんのチャックの下を知りたいのです。でもそれはルルーさんの秘密なのです。だからゼロも秘密を賭けるのです!」 キリリッと表情が変わる。 「ふわもこは《世界群の宝》! ルルーさんのふわもこは《ターミナルの夢》なのです! ゆえに、ルルーさんに中のヒトなどいないのです。ルルーさんには、真っ白で甘くてふわふわしたものがギュッと詰まっているのです! 広大な世界群には多種多様な生命が存在し、中には血と肉と骨によって生命を形作るモノすらいるのですよ。つまり! 身体がふわふわぬいぐるみガワとふわもこでのみ形成されている生命体の存在であると考えることは当然の帰着なのです! むしろ真理なのです!」 小さな手をギュッと握りしめ、次いで、びしぃっと指を突き出し、ゼロは宣言する。 「中の人などという発想ならびに論説は、血肉だの電子回路だの魔法仕掛けだのにしか意識が宿らないという前提ゆえの誤謬、ただの幻想! ゼロは、ルルーさんに中のヒトなどいないと証明してみせるのです!」 「岩髭さんがよければ」 「……お譲りします、その勝負……」 すでに心が折れかけていた正志の同意を受け、ルルーは頷く。 「では、場所を移しましょうか」 古書店街の先に、薔薇の庭園があるという。 白いテーブルセットが置かれた東屋で、ふたりは差し向かいに座り、ガラスのチェス盤を挟んで対峙する。 それを取り囲むように、杏子、正志、綾がギャラリーとなって勝負を見守るカタチとなった。 「イカサマでゼロはルルーさんに勝てるとは思えないのです。でも、チェスなら可能性があるのです」 ゼロの特殊能力たる《巨大化》は、身体の巨大化と言った物理的なものや外見的なものだけには留まらない。 たとえば姿はそのままに、思考だけを無数に広げていくことも可能なのだ。 内に展開する無数の自己が、同時に存在しうるありとあらゆるチェスの譜面を、あらゆる角度と視点でもって網羅する。 相手の一手が、次にどう繋がるのかさえも、手に取るように《視》えている。 チェスは思考のゲーム、相手の心の内をも読むゲームだ。 ピンと張り詰めた空気の中で、ゼロは着実に駒を進めてく。 互いに互いを読み合う真剣勝負。 しかし、いかなルルーであろうとも、無数の視点を持つゼロの包囲網からはそう簡単に抜け出せないらしい。 次第に彼は追い詰められていく。 そんなふたりの勝負を見守りながら、正志は氷の溶けきったアイスティをもてあましてもいた。 これをかけて、着替えをのぞき見る――そんな作戦もあったのだが、いざやろうとすると何とも言えない罪悪感に苛まれ、実行には移せなかった。 こちらは未実行のまま、自分はゼロとルルーの勝負を見届けるのだろうと思っていたのだが、しかし、 「チェックメイト、なのです」 ゼロから高らかな宣言が為された瞬間、 「すごい、すごいよ、岩髭さん!」 いきおいよく綾が彼の肩を叩いた――その拍子に、持っていたアイスティが正志の手を離れ、宙を舞った。 ソレは放物線を描いて重力に従い、落下して、 「おや?」 「ル、ルルーさん!?」 クマの頭からぬくまった紅茶の雫がしたたり落ちる。 「うわわわわ、ごめんなさい!」 重大な勝負の局面で起きてしまったアクシデントに、綾も正志も慌てふためく。 「すすすす、すみません…っ、僕のせいで」 「早く落とさないとシミになっちゃいますよね。あたし、お洗濯しましょうか?」 「洗濯なのです、水なのです! この中にお水をたくさんもっていらっしゃる方はいませんか、なのですー」 「はいはい! 借りてきたよ、これ!」 猛ダッシュで水撒き用のホースを借り受けてきた綾は、そのまま勢いに任せ、ルルーと、必死に彼の雫をハンカチで拭う正志目がけて水を噴出させた。 ぶしゃ。 「ぎゃあ、間違えた!」 幸い、ふたりの他に被害はない。 ないのだが、これはいろんな意味で取り返しが付かない状況でもある。 チェス盤は水に押し流され、もう何がなにやら分からない。 「ごごごご、ごめんなさい!」 「こ、こんなことになるなんて、すみませんすみませんすみません……っ」 綾に続き、自身もずぶ濡れになりながら、土下座する勢いで正志が謝罪を繰り返す。 自分がアイスティなど持っていたばかりに起きてしまった大惨事だ。 こんな展開は望んでいたけど望んでいたわけじゃない、これで『最低です、失望しました』などと言われてしまったら立ち直れないと思いつつ。 だが、当の本人は怒るふうもなく、小さく首を傾げた。 「ああ、しかたありませんねぇ」 そうして、 「とりあえず皆さん、一度私の家へいらっしゃいますか? すぐ傍ですから、着替えられますし、日和坂さんとの《約束》も今日のうちに果たせるでしょうし」 知的好奇心を満たすべく奮闘しつつもエライコトになってしまった面々に向け、その手を差し伸べた。 一同は濡れた彼の手を、揃って握り返すこととなる。 * 「岩髭さんはこちらへ。私の服でよければお貸ししますから」 「は、はい、光栄です」 1メートル前後のルルーから貸してもらえる服などあるのだろうかという若干の疑問を持ちながら、それでも正志は言われるがままにバスルームへとついて行った。 残された女性陣は、勧められるままに椅子へ腰掛け、辺りを見回しはじめる。 ルルーの私邸は、彼の好みによるものなのか、壱番世界のヴィクトリア朝を模したティーサロンを思わせた。 ささやかなキッチンと、凝ったガラス戸の飾り棚にならぶ繊細なティーセットたち。 窓辺に設えたこのアンティークテーブルには、座り心地の良いハイバックチェアが人数分用意されていた 不可抗力の末に招かれたこの場所に、不思議な感慨を覚えずにはいられない。 「お、おまたせしました。着替え、終わりました」 ほどなくして、おずおずと正志が奥のバスルームから姿を現す。 「ワオ、どっから出てきたの、その服!」 最初に綾が歓声をあげた。 和装のイメージが強い正志がいま身にまとっているのは、ブルーグレイのタキシードだった。 ルルーの私物なのだろうが、しかし、正志にその服は些か丈があまって見える。 「がらりと変わりましたねぇ。書生さんがイギリス留学をしたみたいですよぉ」 「あ、ありがとうございます?」 緊張した面持ちながら、正志は礼を口にし、彼女らの輪の中に入り、たったいままで展開されていた話の続きに耳を傾ける。 「でさ、結局さっきのチェス勝負でゼロちゃんは何を賭けてたの?」 綾のフリに、杏子の瞳もキラキラと輝いた。 「そうそう、そうですよぉ。ゼロさんは一体何を賭けていたんですか?」 知的好奇心を満たす会は、キッチンへと引っ込んでしまったルルーを待つ間、次なる謎へと果敢にも挑戦しはじめた。 「隠すほどのものじゃないのです。ゼロは、ゼロがこれまで書いてきたポエムを本邦初公開しちゃうかもしれなかったのです」 「ポエム!? ポエムですかぁ。ゼロさんのならさぞかし素晴らしく哲学的なものが読めそうな気がするのですが」 予想外の答えに、杏子がちょっと遠い目をした。 「あれ、どうしたの?」 「ええとですね、ポエムというか、恋文というか、ちょっとアレな過去を思い出しちゃいました」 アレはたしか、高校の夏休みに参加したキャンプでの出来事だ。 一泊二日という中で本を持参することを忘れた杏子を襲った、活字中毒禁断症状――とにもかくにも誰か文字を、と求める余りに、憧れの先輩へ、告白ついでに手帳を差し出したのだ。 好きです、ずっと憧れてました、よかったらお返事はいりませんから想い出にここへ何か書いてください、と。 「積極的ですね、宮ノ下さん」 「とにかく文字が見たかったモノで。……ただ、そうしましたらですねぇ、もの凄いポエムが返ってきちゃったんですよねぇ」 「なんと、ポエムでお返事なのですか?」 「予想の遥か斜め上を通り越して、なんだかもう、百年の恋もあっさり冷めちゃう凄まじさ……すごく格好良く見えたのに……」 「う、ぐ……」 「アレ、正志さん、どうしちゃったの?」 鈍く呻いた彼に、綾が訝しげに話しを向ければ、 「……かつて僕も恋文を出したんですが、その、好きな女性にそれを突き返された挙げ句、鼻で笑われ、文才が……ない、と……ありえない、と……」 もうずいぶんと昔の出来事であるはずなのに、あの瞬間の切なさはいまだ風化せず、思いだすだけで涙が出てくると彼は遠い目をして呟いた。 いかんともしがたいトラウマの切なさが周囲を包んだところで、カチャリと扉が開く音、そして、 「お待たせしました、皆さん。この間モリーオからもらったばかりのハーブティを淹れてみたんですが」 穏やかな声と心地よいハーブの香り、甘い焼き菓子の香りが4人を振り向かせた。 と同時に、 「「「「え?」」」」 4人の声が宙にぽかりと浮いた。 続いて、 「ちょっと待った、ちょっと待って、え、どゆコト!?」 「え、あ、えぇ、何が起きているんですか、え、あれ?」 「ルルーさんの声がするのに、ルルーさんじゃないのです!」 「……ええと、あれでしょうか、お姫様のキスで呪いが解けちゃいました!?」 目を見開いて、実に正直にありまま、ありったけの疑問符と驚嘆と混乱と、一部冷静な指摘とを織り交ぜ、ぶつけるに至る。 そこにいるのはルルーでありながら、ルルーではない。 ルルーたり得ない。 「アドのような“魔法”じゃありませんよ? 過ぎた科学を、時に人は魔法と呼ぶのかもしれませんが」 髪が赤いわけでも瞳が黒いわけでもなく、子供でもクマでもなく―― 一度も日に当たったことがないかのように透き通った白い肌、その輪郭を縁取るように背を流れて足首にまとわりつく、艶やかな銀の長い髪。 ヴァン・A・ルルーの面影をなにひとつ残していない180センチを超えた長身の『青年』が、ダークブルーの装いでもってそこに佇んでいた。 * 後日。 借り受けたルルーのガワを着用して初デートに臨む綾を、『ところであのガワって結局何でできてるんだ』的疑問とともに、物陰から見守るメンバー3人の姿があった。 このデートを巡り、またしても不可抗力的に騒動が巻き起こることとなるのだが、ソレはまた別のお話。 END
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