黄色がかった灰色の空。 いびつなビルが並び真っすぐではない道を、小柄な少年が軽やかな調子で歩いていた。 街は昼なのに薄汚れたネオンがジジジ……と音をたてて光ろうと努力していたし、歩く人々はしかめ面か無表情。店の店主はあいさつもせず、タバコを吹かすばかり。 明らかに治安は良くない。 そんな街の中で少年の姿はひとつだけ点いた明るいランプの様だった。 明るい黄色の髪に、汚れたところのない服装にはその街では見慣れない模様が描かれていた。すさんだところの無い顔には黄色の星のペイント。澄んだ青い瞳は青空のようだ。 ――『旅人の外套』の効果が無かったら、こんなとこ歩けなかったかな……。 あまり綺麗ではない街の姿も見慣れなければ、目に楽しい。 また、時々道行く人が、彼の右腕にちらりと目を向け、ひそひそと小声で話をするのが目に入った。そう言った人々の大抵はどこか体の一部を機械化している。 少年の右腕には美しい銅色の義手がついていた。 ――興味のあるものは見えちゃうのかな? 少年はそっとマントの中に腕を隠したが、不安より誇らしさで口の端が上がる。 そして、くるっと振り返る。 「カイン、ちゃんとついて来てる?」 声をかけられた相手はビクッと身を跳ねさせ、全身の毛を立てた。 『い、いきなりこえをかけないでよぉ!』 そう拙い調子で返事をしたのは赤いローブを着た黒猫だ。 「ごめんごめん」 と足を止めた主人に、怒りながらもトテトテと歩み寄り、腕の中に収まる。 『ティーのばかぁ……』 言った声が少し滲んでいたので、少年は腕の中でちょっと震えている体をギュッと抱きしめる。 「知らない街で、恐かったの?」 返事の代わりに黒猫は頭を少年のマントの下に押し込む。 どうも少年が楽しく街を眺めていた間も、ずっとビクビクしながらついて来ていたらしい。 「おっと、約束の時間に遅れちゃう」 少年は黒猫の背中を撫でながら小走りに走りだした。 少年魔導師兼、鍛冶師のニッティ・アーレハインと、その使い魔猫のカインが、インヤンガイの街を行く。 △▽△▽△ 「おお、汚ぇとこで悪いな。引っ越したばかりなんだ」 ドアを開けた男を見て、ニッティは「さすがインヤンガイの探偵さんだなー」と感心して思った。しかしニッティの後ろからそろりと顔を覗かしたカインは思った。『こわい……!』 男の顔には星のマークがあった。しかしニッティとお揃いというには雰囲気が違いすぎる。それは額に入った黒い刺青で、しかも刃物によるものだろう傷跡が星を真っ二つにしているのだ。 ニッティの視線に気づいてか、男は一重の釣り目を細めて自分の額を指差した。 「俺はここらへんでは“カケボシ”って呼ばれてんだ。茶入れるからそこのソファに座ってな」 声と眼付は若干鋭いが、悪い人ではなさそうである。 ニッティは赤いソファ――タバコを押しつけて開いた穴がある薄汚れたやつ――をポンポンとはたいて座り、男……カケボシを待った。カインはそろそろと男の眼に入らないようにソファの下、ニッティの足の傍に陣取る。 「悪いが今回は依頼というよりお願いなんだ」 取っ手の無いカップをニッティの前に置きながら、カケボシはそう言い、指で部屋の隅に置かれた黒い木箱を示す。 木箱は抱えるくらいのサイズだが、細かい装飾がされて美しい。 しかし何とはなしに、ずしりと重い、人を避けるような空気が漂っている。 カインはその正体に気づき、ニッティの足にすがりついた。 「死んだ親父が可愛がってた猫が死んじまってな。……親父の墓まで行ってちょっと埋めて来て欲しいんだ」 「自分で言ったらいいんじゃないデスカ?」 ニッティは特に悪気無く、年上であろう男にカタコトの丁寧語で言った。ついでにお父さんのお墓参りもできるし。と思ったのだ。 しかしカケボシは慌てたように――背を伸ばして膝を叩き、背中を丸めて口元に右手をやって、腕を組んで首を傾けてから――言った。 「バ、バカ、忙しいから頼んでるんだよ」 「あぁ、引っ越したばかりデスもんね」 本棚には荷物が箱に入ったままつっこまれ、床にも大きな箱がたくさん積み上げられている。 カインがちょっと顔を出し、箱を爪でつついた。すると、 「ヒァアアアアアアアアア化け猫ォオオオオオオオ!!!!」 『きゃあああああああ!!!!!!』 いきなり響いた素っ頓狂な声にカインが悲鳴を上げてソファの下に隠れる。 さすがにびっくりしたニッティがイスの背に縋りつくカケボシを窺った。 「い、いま、赤い、服着た猫、ば、化けて出た……!」 カインがそろそろとソファの下から顔を出すと、 「ヒィアアアアアア……」 カケボシがイスごと倒れた。 「あ、あのー、こいつはボクの猫デス。ね、カイン」 『にゃ、にゃぁ☆』 カインがびくびくとしながらも猫ぶって鳴くと、カケボシはしばらく動きを止めた。 そして、イスを起こし座り直す。 「な、なんだ。尻尾も割れてねぇし、ただの猫か。服なんか着てるからびびったぜ」 「尻尾が割れて?」 ニッティがどういうことかと問うと、カケボシは身を乗り出して答えた。 「猫はなぁ!老いて死ぬと化けて出て人を食うんだ! そんとき尻尾は割れて口は耳まで裂け……!!!!」 ――ドンドンドンドン!!!! 「ヒャ……!!」 いきなり壁が鳴りカケボシは短い悲鳴を上げた。しかしハッと気づき壁に声で返す。 「騒いですいませんでしたぁー!」 そして後頭をバリバリ掻きながら言った。 「壁が薄いらしくて、騒ぎすぎると怒られるんだわ」 カインはもはや怯えきってしまい、ニッティの足に縋りついたまま動かない。 ニッティはお茶を一口すすり、ニコリと言った。 「あ、つまりカケボシサマは、オバケ恐いんデスね」 「!!! ばっ! ちげぇよ!! あ、あのなー例えばな、あるところに、ガキがいてだな、そいつが興味本位で猫を殺すと、その夜に……」 その後カケボシは、陽がとっぷりと暮れるまで、猫に纏わる恐い話をつらつらつらつらと話し続けた。ニッティはそれってやっぱ恐いんじゃないの。と思いながら、お茶を3杯飲んだ。 「すっかり遅くなっちゃったね」 部屋を出たニッティが黒い木箱を大事に抱え、あっけらかんと言う。 「あれ、お隣のお店、人が居ないんじゃない?」 覗きこんだショーウィンドウは暗い。 ――ドンドンと壁を叩くお隣さん? 『にゃああああああああ!!!!!!!!』 気づいたカインが悲鳴を上げると、先ほど後にしたドアの向こうから「ギァアアアアアア」と悲鳴がした。続けて誰も居ない商店からドンドンドンドンと、壁を叩く音。 「インヤンガイって不思議なとこだなぁ」 ニッティはサクサクと歩き出し、カインが涙目のまま慌てて続く。 カケボシの再引っ越しは近い。 △▽△▽△ 「ねぇカイン。肩に乗ってもいいんだよ?」 明らかに怯えているカインにニッティは声をかける。 カインはその声に気持ちが揺らいだが、木箱も抱えるニッティを気遣って頑張って我慢した。 『だいじょうぶ!』 耳を引いて前を行くが、路地裏に光る猫の眼を見つけるたびに、ビクリと体を震わせる。 自分も猫なのに。やっぱり恐いのだ。 ニッティはそんなカインのいじらしい姿に苦笑する。 墓地へ向かう道は人通りも少なく静かだ。 しかし時折、紫や白の淡い影が見える。恐らくインヤンガイには普通にいるという霊……オバケだ。 ニッティはカインの気を紛らわす為にもと、先程思い出した話を切り出した。 「さっきのカケボシサンの話で思い出したんだけど……。道行く猫の死を憐れんではいけない、ってハナシ、知ってる?」 カインは振り返って首を振る。 『し、しらない』 ニッティはニコリと笑ってやってから話の続きをした。 「その1、猫の死を憐れんだら供養をしないといけない。供養せずに居ると『憐れに思ったなら、なぜ供養してくれないんだ』と恨まれるから」 『えええっ、そんなのみがってだぁ!』 怯えて涙をにじませた眼のままカインは怒ってピョコピョコと跳ねた。 「猫って恨み深いのかな」 『ぼくはちがうもん!』 「でも、前にボクがカインの食べかけのゴハン片づけちゃった時『うらんでやるー』って言ってたよね?」 『あれはあとでたべようとおもってたんだもん!』 カインが足にぶつかってくるので、ニッティは笑って「やめてやめて」と言った。 「あんまり騒ぐとオバケに怒られちゃうよ?」 『えっ』 すみませんさわぎません、と泣きながら小声でつぶやくカインにニッティはニコニコする。 「さっきの続き。その2、猫の死を憐れむと『貴方は優しいヒトだ、だから一緒に来て』と、手を掴まれて冥土に連れて行かれちゃうから、なんだって」 『それ……』 言葉を途中で切って、 カインはニッティの顔を見上げた。 「ん?」 ニッティはその顔を見たが、カインはそのままするりと駆け出して、 『おはか!』 と、墓地の入り口で振り返った。 ニッティはカインの反応に、あれ?と思いながら、墓地の中に足を進める。 また怒ると思ったのだけど。 何も言わなかったカインに首を傾げながら、ニッティは腕の中の木箱を抱え直した。 △▽△▽△ 埋葬はあっさりと終わった。 念の為、埋める前に開けた箱の中には、パサパサとした白い毛の、小さく丸くなった塊がいた。動かないせいか、猫だとわからないくらい。 胸がギュッとしたので、手を合わせてから埋めて、もう一度手を合わせた。 カインも無言で、傍らで頭を垂れていた。 暴霊に悪戯されるかも、と言われていた墓地だったが、その日は猫の死を悼むように静かだった。 インヤンガイのビルの隙間にあるせいか、空が遠く高く見えた。 曇り空がいつの間にか晴れて月が明るかった。 風がふわり。 微かに花の香り。 カケボシに報告ついでに隣の部屋のことを教えてやって、存分に悲鳴と壁ドンを楽しんだ後、ニッティは肩にカインを乗せてやって街を駅に向かって歩く。 「可笑しかったね」 ニッティは思い出し笑いをしながらカインに話しかけた。 墓地への道の途中から、カインは元気がない。「騒ぐと恐いって言ったからかな?」と思い、ニッティは笑いながらカインの背を撫でる。 「別にお隣さんが幽霊だって良いと思うけどな、危なくなければさ」 むしろ楽しいんじゃない?と言わんばかりに明るい調子だ。 『ティーは……』 「ん?」 小さな声にニッティが聞き返す。 カインは少し間をおいてから口を開く。 『ぼくがしんだら、ティーはいっしょにきてくれる?』 ニッティは眼をパチパチとして、カインを見た。 カインはこちらを見ない。 「そんなこと、考えてたの」 カインはじっとしている。 ニッティは眉を下げてカインをもう一度撫でた。 「死なせる気ないから」 『それは』 カインの背中がピクリと動く。 『こたえになってないぃ!』 言いながら肩を飛び降りたカインの尻尾とヒゲはピンと立ってて、ニッティは頬を掻きながら笑った。 △▽△▽△ ニッティは考えている。 カインは死なせないとして、自分が先に死んだ時だ。 自分以外に懐かない、この恐がりで甘えん坊な泣き虫を、自分は死後の世界に連れて行くのだろうか? そうしたほうが、カインは喜ぶと思うけど…… いつか、お別れの時までに考えなきゃ。 時間の流れから外れて忘れていた自身の死について、ニッティは考えた。 カインは思う。 ティーはぼくをしなせない。 そうしたら、ずっといっしょだ。 だいすきなティー。 きっとずっといっしょにいてくれる。 ずっといっしょにいたいんだ。 カインはニヤける顔を抑えながら思うのだった。 元いた世界からずっと一緒だった2人は、ロストレイルの中でいつもより寄り添って、ごとごとと揺れる客車の中でそれぞれ考え思いながら家路についた。 死が2人を別つのかは、今はまだ、誰もわからない。 (終)
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