オープニング

「撤退命令だぁ? あのおっさん人使い荒らすぎんだろ」
 相棒より告げられた内容に、黒い甲冑に赤い陣羽織を纏った男――蔦木景辰はうんざりした心持ちを隠そうともせず不服を口にした。

 彼らのいる部屋は非常に広大な面積があり、いくらか薄暗い。
 天井には剥き出しのパイプが蜘蛛の巣のように張り巡らされており、そこに均等に並ぶ電光が部屋を青白く照らしていた。壁も床も金属の色をそのまま晒し、その人工的な光を単調に反射している。

 その部屋の最奥に、何かの制御を行っているような動作をしているコンピュータに囲まれた横幅十メートルほどの水槽が設置されていた。
 景辰はその前の床に胡坐をかき、リーベから連絡事項を受け取っていたのだ。
「しかし、ドクタークランチより指示が出タ以上は従うべきデス。スグに引き上げまショウ」
 そこまで述べると、リーベ・フィーアは伝えるべきことは伝えたというように踵を返し、景辰に背を向けた。
「待て、リーベ」
 呼びかけた景辰の声は、先程不服を漏らしたときのそれよりもずっと低い。リーベが元のように景辰の方へ向き直るを待ち、言葉を続ける。
「『こいつ』はどうするんだ?」
 問うと共に指差したのは、傍らの巨大な水槽。緑色の溶液に満たされたそれの中に漂っていたのは、鯨に似た黒い生物だ。しかしその胴体からは甲殻類のような足が両側四本ずつ生え、顔面は巨大なイソギンチャクが張り付いているかのように触手がうねっており、鯨というにはあまりにも不気味な姿をしている。
「現状ノまま放棄セヨ、とのコトです」
「おいおい、随分無責任だな。ここ以外で探すつもりなら、この世界で暴れさせる必要ねぇんだろ?」
 その言葉は、指示を出した男だけに向けたものではない。それはリーベを映す瞳に込められた険しさが雄弁に語っている。
「貴方らしくありまセンね。……貴方は、私ノ味方ではナイのですか?」
「味方に決まってんだろ。当たり前のこと訊くんじゃねぇよ」
 二人はそれ以上の問答はしなかった。ただ、互いをじっと見つめ、その真意を探り合う。

 しばしの静寂の後、リーベは浅く一礼すると今度こそ景辰に背を向けて部屋を出て行った。景辰はそれを見送ると、改めて傍らの水槽を見やる。
「……何の為、か」
 それは先日遭遇した世界図書館の人間に問われたことだった。このままでいいのかと、自分は間違っていたのではないかと、自問を繰り返しても答えは結局未だ見つかっていない。
 景辰は深く息を吐き出し、目を閉じる。

「お前は、本当にそれでいいのか?」

 * * *

「至急、ブルーインブルーに行ってくれんか」
 珍しく、湯木は周囲に飲食物を何も置かず説明を開始したのだった。その首には何故か「飲食物の贈与を固く禁止します」という札がかかっている。

「ある海域に眠っとる古代文明の遺跡に、小型のワームがおっての。遺跡壊さんように、そいつを討伐してくれ」
 ロストナンバー達はそれぞれ不可解そうに眉を顰める。通常、ワームは世界の内側に侵入することはできない。それができたとするなら、それは――
「世界樹旅団のロストナンバーが持ち込みよったんじゃ。おそらく、以前出したサメ型ファージの討伐依頼のときおったロストナンバーじゃの」
 以前にも、旅団はワームを世界の内側に持ち込んでいるのだ。他の可能性が考えられない以上、彼らの関与は疑いようがない。

 湯木は机の上に広げた、ジャンクヘヴン周辺の地図を指差す。そこには前回の依頼で旅団と交戦した位置と、今回ワームの存在が予知された遺跡の位置が記入されていた。その二つは確かに偶然というにはあまりに近く、さらにそのワームの傍にその二人が待機していると聞けば、湯木の言が正しいものだと理解できる。

「ワームが持ち込まれたんは、前回の依頼んときらしい。遺跡に蓄えられとったエネルギーを利用して、ワームを育成しとったんじゃの。……サメファージの予言で、その辺の情報が陰に隠れてしもぉとったんじゃ」
 そう語る湯木は、淡白な表情ながらどこか哀しげだった。集合しているロストナンバーの一人が、ちらりと湯木の首にかけられている札に書かれた文字を読み直す。

「っちゅうわけで、後は任せた」
 チケットを配り終えて去っていく彼の足取りは、異常なほどふらついていた。

 * * *

 重い金属が厚みのある特殊ガラスを蹴り砕くと、ガラス片が散ると共に水槽を満たしていた緑色の液体が零れだす。中にいた異形の生物が咆哮を上げるのを、景辰は腕組みをして眺めていた。
「おーよしよし。ねんねの時間だぜ、化け魚ちゃん」
 余裕の笑みを浮かべつつ、腰に提げた二振りの刀に触れる。旅団の人間が旅団の手の内にあるものに手を下すなど、造作もない。さっさと終わらせようと水槽に開いた穴を蹴り広げ、内側に侵入できるほど水位が減るのを待つ。

「命令違反デスよ、景辰サン。貴方ハ本当に、目を離すト何をするか分かりまセンね」
 広げた穴から水槽の中へ入ろうとしたところで背中にかけられた言葉。それを発したのが誰かなど、わざわざ振り向かなくとも分かる。それまで大人しく横たわっていたワームが、吼えながら大きく身を捩じらせた。
「申し訳ありませんでシタ」
 ワームの硬質な脚がガラスが割る。景辰がそれを避けて水槽と距離をとると同時に、『魚』は水槽から這い出してきた。

 それに気をとられていた景辰の頬を、眩い光線が掠る。それでようやく、彼は相棒であるリーベの方に視線を送った。
「私は本来自分デするべきだったニモ関ワらず、貴方に頼りスギましタ。……私ハ卑怯者です」
 彼女は掌を真直ぐに景辰へ向けていた。陶磁のように真白いその手の真ん中は丸い穴が開いており、そこには細かく精密な機械類が覗き見えている。
「だから――もう貴方にハ、何もさせまセン」
「……奇遇だな、リーベ。俺もこれ以上、お前には何もさせるつもりはねぇよ」
 焼けた頬を拭う景辰に動揺した様子はなく、いつもどおりの不敵さを湛え笑ってみせる。
「やはり貴方ハ、旅団ヲ裏切るつもりなのデスね」
「違ぇよ。……ああ、違う。俺はただ、」
 改めて刀を手にとる景辰の身体から、じわりと。桜色の霧が滲み出している。しかし銀色の機械人形のみを瞳に映す彼が、それに気づいている様子はない。

「貴方ガ止めても、私ハ私の意見ヲ変えまセン」
 景辰の発生させる霧は、吸い込んだ者の持つ特定の感情を揺さぶる力を持つ。だが、生物でない機械仕掛けの人形がそれを吸入することなどなく、体の継ぎ目から入り込んだとしても、彼女にその効果が表れることはない。
「世界樹ハ、多くノ同胞達の為に必要なものデス」

 故に。彼女にその淡く色づいた霞が届くことは決してありえないのだ。

品目シナリオ 管理番号1685
クリエイター大口 虚(wuxm4283)
クリエイターコメントこんにちは、大口 虚です。

ブルーインブルーに潜伏していた旅団2名が作戦を破棄して撤退する模様。しかしすでに遺跡には作戦用のワームが仕掛けられ、成長を続けていました。
皆さんはこの成長途中のワームを討伐し、遺跡を守ってください。遺跡内での戦闘となりますので、遺跡を壊し過ぎないようお気を付けを。

また、ワームのいる部屋ではワームの処分を巡って旅団2名が仲間割れをしているようです。こちらへの対処はお任せします。
ちなみにPCさん達が部屋に辿り着くのはOPのラスト直後です。

部屋では例によって景辰による霧が発生しています。しかし濃度はいつもより薄めなので、吸い込んでも一瞬PCさんの好きな人(友人家族恋人など)の幻が見える程度です。

**小型ワーム情報**
仮称「ワタツミ」
・全長8メートル
・外見はOPの通り
・顔の触手を使った攻撃と、水を無限発生させそれを操る力を持っています

参加者
ニッティ・アーレハイン(cesv3578)ツーリスト 男 14歳 魔導師/鍛冶師
リーリス・キャロン(chse2070)ツーリスト その他 11歳 人喰い(吸精鬼)*/魔術師の卵
イェンス・カルヴィネン(cxtp4628)コンダクター 男 50歳 作家
舞原 絵奈(csss4616)ツーリスト 女 16歳 半人前除霊師

ノベル

 蜘蛛の巣のようにパイプが這う天井、電子路らしきものが僅かな隙間から覗く金属質の壁。舞原絵奈はそれらを落ち着きなく、また興味深げに目線を彷徨わせていた。馴染みの薄い光景に好奇心をかきたてられるあまり、前を歩いていたニッティ・アーハレインが立ち止まったのに気づくのが遅れる。ぶつかりそうになるのをなんとか堪え、気を持ち直してニッティに問いを投げた。
「ニッティさん、何かありましたか?」
「目的地に着いたみたいデス」
 ニッティが指差した方を見ると、開いたままの扉の傍らにイェンス・カルヴィネンとリーリス・キャロンが立ち、中の様子を伺っているところのようだ。
 絵奈は、物珍しい光景に緩みかけていた気持ちを引き締め直す。今は任務中で、油断は仲間への危険に繋がる。自分のせいで仲間を傷つけることだけは避けなければ。内心でそう自身に言い聞かせる彼女の手は、自然と強く握りこまれる。
 自分達も中の様子を見ようと、ニッティと共に扉の方へそっと移動する。イェンスと目が合うと、彼は神妙な表情で「少し様子がおかしいみたいなんだ」と小声で二人に伝えた。確かに、部屋の中では旅団のロストナンバー達が言い争っているようだ。
「とにかく中に入ってみようよ。旅団が仲間割れしてるなら、私達の仕事もやりやすいかも」
 愛らしい顔に微笑を湛え、リーリスが部屋の中へと踏み込んだ。絵奈とニッティもそれに従い、ニッティの後を赤いローブを纏った黒猫が小走りで追っていく。その最後尾についたイェンスは、どこか哀しげに部屋の奥を見つめていた。フォックスフォームのガウェインが肩の上で主の顔を覗きこんでくるのをそっと撫で、囁く。
「大丈夫だよ。……僕は、ね」



「前回出会った時点で、こんな気味の悪いのを育ててたなんてね。随分とまぁ用意周到デスネ、上司サンが」
 化物の吼える声ばかりが反響する部屋に入った一行に、旅団のロストナンバー達はすぐに気がついたようだった。ニッティの呼びかけに反応した景辰が、リーベの発射した二発目の光線を避けて一行の間近まで後退してくる。
「あ? なんだ、この間の少年か。悪いが、今その気味悪いののおかげでとりこみ中なんだ。遊んで欲しけりゃ茶でも飲んで待ってろ」
 ニッティと景辰の間に、黒猫が割り込んで威嚇の態勢で毛を逆立たせる。ニッティは少ししゃがんで使い魔の頭を撫で、視線だけ真直ぐに漆黒の甲冑の男へ注いだ。
「景辰サンが前会ったときに言ってたコト、少し考えてみマシタ。恩人はたった一人、その人を消失させないために世界樹を枯れさせない。……その恩人って、リーベサンのコトデスカ?」
 問いに、景辰は顔を顰める。「そういやそんなこと言ったな」と頭をかき、目線は掌をこちらに向けているリーベを捉えたまま答えた。
「戦で死にかけたまま覚醒した俺を拾ったのがあいつだった。ついでに失くした脚まで与えられてよ。……受けた恩は返す。あいつにできねぇことは、俺がやる」
「あなたは、優しさや仲間への思いやりを持っているんですね。例えこちらとは相容れない立場だとしても、私はそれが嬉しいです」
 絵奈は体をワームの方に向け、手には短剣を構えたまま景辰へ微笑みかける。景辰はその澄んだ表情を受け、飛んでくる光線を避けながらもばつが悪そうに顔を背けた。
「まぁ、それは……あれだ。道理を守らねぇのは俺の主義じゃねぇっつーか、あー……」
 言い淀みピンクの霧をじわじわ発生させている景辰に、ニッティはつい噴き出してしまう。
「あははっ、このリア充め! だったらお互い好きなだけぶつかりあえばいいじゃない!」
 にわかに部屋の全体が揺れる。水槽からでてきたワームが、侵入者排除のために緩慢な動作で向かってきていた。ニッティがパスホルダーから鉛色の大金槌を取り出すと、使い魔のカインも姿勢を低くする。
「その間に、コッチはコッチの仕事を終わらせるからさッ!」
 刹那、カインとアイコンタクトを取ると、ニッティは槌を構え駆け出した。カインもそれに従って追走していく。
「おい待て少年! りあじゅうって何だ、妙な言葉残してくんじゃねぇ!」
 声が荒げる景辰の近くで、わずかの間呆けた表情をしていた絵奈が我に返ったように武器を握る手に力を込めなおす。剣を振り、改めて構えなおすと短剣だったそれは長剣へと姿を変えていた。
「景辰さん、私達はワームを倒す依頼を受けて、ここに来ました。……さっき、あなたもアレを倒そうとしてましたよね。もしよければ、力を貸してもらえませんか? 弱点を教えてもらえるだけでもかまいません」
 絵奈の申し出に、景辰はしばらく沈黙する。しかし光線をよけるついでに絵奈へ接近すると、声のトーンを落として返答した。
「俺達はあれをワタツミって呼んでる。……弱点は特にねぇ。リーベは俺が抑えといてやっから、化け魚処分するならさっさとやりな」

 ワタツミは向かってくる『敵』を認識すると、空中に直径二メートル程の水球を出現させる。水球の表面が大きくうねったかと思うと、幾本もの水流がニッティや絵奈、イェンスを狙い放たれた。
「水流なら、こっちも負けないよ!」
 ニッティは自身ありげに笑みを浮かべ、手を翳す。すると翳した掌の前に魔方陣が青く浮かび上がった。
「バロットゲイザー!」
 叫ぶと共に、その魔方陣からも水流が湧き上がる。それは大砲のように真っ直ぐに飛び、ワームの放った水流の何本かをかき消していった。消しきれなかった水流はそのままニッティ達の方まで届き、その水圧で周囲の床や壁を抉っていく。
「わっ、ニッティさんすごいです!」
 各々数の減った水流を回避し、一旦ワタツミと距離をとる。絵奈の賞賛にニッティは照れたように頭をかいた。
「あはは、ありがとうございマス。……でも、全部潰すのはちょっと難しいデスネ」
「そうですか……では、ちょっとお手伝いします!」
 「え?」とニッティが首を傾げるのをよそに、絵奈は屈んでニッティの足元辺りの床を手で触れた。わずかの間そのままの姿勢でいたかと思うと、床に細かな紋様の刻まれた円が広がっていく。それが一定の大きさまでになると、絵奈は体を起こしてにこりと笑った。
「この中にいる間は、さっきの魔法も強化されるはずです」
「なるほど、ではありがたく使わせてイタダキマス」
 ニッティが再び飛んでくるワームの水流の第二波に向けて掌を翳すと、宙に先のものより一回り大きい魔方陣が現れる。そこから放たれた水の大砲は、勢いを保ったまま幾重にも枝分かれして敵の水流を飲み込んいった。
「うん、これなら……」
「二人とも、無事かい?」
 強化されたバロットゲイザーにニッティが手応えを感じていたところへ、イェンスが駆け寄ってくる。
「ハイ、遺跡の床などが若干抉れた以外は被害なしデス」
「そうか……ワームは一体だけだし、動きもあまり素早くない。ここは一度、分散して戦ってはどうだろう?」
「そうデスネ。じゃぁ、ボクはここから水流防ぎながらなんとかやりマスヨ」
「分かった。では僕と絵奈は左右に分かれようか」
 絵奈が頷くのを確認すると、イェンスはワタツミの右側面へと向かっていく。絵奈も左方へと走った。

(まずは脚を狙って、動きを止めよう。みんなは私が守るんだから!)
 絵奈は長剣を握り締め、ワームの岩のような脚を睨む。その間に一瞬桜色の霧が視界に入り、僅かに俯いた。
 先ほど景辰と話したときに、絵奈は霧の中に在りし日の姉の姿を見たのだ。七つ年上の姉が笑顔で絵奈の頭を撫でていた。乱暴な撫で方ではあったがとても温かくて、きっと以前同様に撫でられたときの自分も嬉しくて笑っていたのだろうと思った。
(お姉ちゃんが、会いに来てくれたのかと思った。そんなこと、あるはずないのに)
 そして、そのほんの一瞬、姉の姿が霧の中に消える刹那に、頭を撫でる人物が姉ではない誰かに変わった気がするのだ。はっきり見ることはできず、それが誰なのかがどうしても分からない。
(……ダメ、今はそんなことよりワームを倒さないと!)
 魔力を剣に込め、振り上げながらワームの脚部に飛びかかる。剣は殻に覆われた脚の表面を抉るが、切断に至る前に飛んできた触手に絵奈の体は弾き飛ばされた。
 地面に叩きつけられる痛みに顔を歪めながらも、絵奈は両足に力を込めて立ち上がる。
「こんなの、平気……みんなのためなら、がんばれる」
 真っ直ぐにワームを見据える彼女の目に、もう動揺の色はなかった。

 ちらりと、イェンスは移動しながら脇で攻防を続けている旅団に視線を送った。ワームは旅団が操っている。今ワームが暴れているのはリーベの操作によるものだろう。景辰にも同等の操作権があるのなら、ワームが彼らを襲う心配はいらない。
 しかし――と、イェンスは哀しげに一度目を伏せ、すぐに開いては彼らから顔を背けた。脳裏に、妻の声が甦ってくる。不貞を犯しても尚、彼女は自分に縋っていた。あのとき彼女の真実へ踏み込んでいたなら、何か変わっていたのだろうか。自分の臆病さをいくら呪っても、それを知ることはできない。すべて過ぎ去ってしまった今となっては。
(どうしたらいい? 今の僕に何ができる? 教えてくれないか――)
 二人の問題と片付けてしまうのは、非常に容易い。しかし後悔の中を今尚彷徨う彼にとって、すれ違う二人の姿を見るのはあまりに酷なことだった。
 だがその心中を察する者はどこにもいない。ニッティの魔法を逃れた水流が容赦なくイェンスの行く手を遮る。
「グィネヴィア、頼むよ」
 艶やかな黒髪がしなやかに伸び、天井を走るパイプの一本に巻きつくとすぐさま収縮する。ロープ状になったギアに引っ張りあげられ、イェンスは水流の上を飛び越えていく。同時に肩にいるガウェインが炎の弾丸でワタツミの巨体を攻め立てる。
「……今は、自分がやれることをやるしかないのか」
  着地し、ワタツミへ向き直ったが、浮かない表情のままのイェンスの耳を轟音のようなワームの声が打っていた。

 ニッティは襲い掛かる触手を槌で払い、再度バロットゲイザーを放つ。ワームは自身の水流が防がれるとみると、水球を分散させて発射地点を追加し、水流の発射をランダムに行うようになっていた。床はすでにワタツミとニッティが放った水が溜まりだしている。
「カイン、『ヘカトンラッシュ』いけそう?」
 あちらこちらから放たれる水流を捌ききるのは困難と判断すると、ニッティは足元にいる使い魔に呼びかけた。黒猫は『だいじょうぶ、まかせて!』と返事をすると、一旦ニッティから離れて呪文を唱える。間もなく、彼らを囲うように巨大な黒い獣の手が八つ召還された。
「あの水球を潰すんだ」
『わかった!』
 『手』は分散して浮遊する水球に向かって突進する。手が衝突すると水球は水風船のように破裂して散るが、その飛沫はまた一箇所に球の形へと集まっていく。何度繰り返しても同じように元に戻ってしまうことにカインが『ちゃんとつぶれてよー!』と弱音を吐いたが、ニッティはむしろ「よし」と笑みを浮かべている。
「元に戻るまでの間は水流が出せないみたいだ。カイン、そのままできるだけ水球への攻撃を続けてくれる?」
『え? そうなの? う、うん! がんばるっ』

 リーリスはワームと同行者達との戦闘を、離れた場所で空中浮遊して観察していた。その表情に浮かぶのは暗い微笑。普段世界図書館のロストナンバー達に見せている無邪気なそれとは明らかに異なる質のものだ。
(旅団がワームを操る手段を持っているなら、魅了でワームは操れるかしら)
 それが実現したなら、力の抑制を受けている状態であっても大きな力を得ることができる。もし小型ワームだけでなく大型ワームをも手中にできたなら……リーリスはうっとりと笑みを深めた。
(今日はなんて実験向きな日なんだろう……討伐失敗しても再依頼になるだけだもの。さぁ実践研究しなくちゃね♪)
 リーリスは早速魅了の力をワタツミへ届かせると、ワームの精神へと直接語りかける。
(ワタツミ…海神か。陣羽織の男と機械の女がお前を殺そうとしているよ? 生き延びたいならあの二人を排除しなければならないわ。……戦いなさい、生き延びるために)
 しかし、ワタツミが旅団員達を襲う素振りを見せることはない。魅了の力を強めて何度か繰り返すが、うまくワームの精神へ干渉することができなかった。
 リーリスは笑みを消し、不愉快そうに眉を顰める。
(精神構造が他のあらゆる種族と比べても違いすぎる……どのワームも同じなのかは分からないけど、少なくともこの個体に魅了は効かないみたいね)
 リーリスは実験の失敗に興醒めした様子で、未だ戦闘を続けている同行者達や仲間割れの最中の旅団の様子を眺めながる。
(まぁ、いいわ。あとはゆっくり見学しておいてあげる)
 口元を歪めて再度浮かべた笑みは、この場にあるすべてを見下していた。

 幾つも襲いくる触手を薙ぎ進み、絵奈は何度目かワームの硬質な脚に剣を振り下ろす。魔力を込められたその刃はようやくワームの脚の一本を切断することに成功した。ワタツミは大きくバランスを崩し、その巨体が地面へ落ちる。
「やった……!」
 絵奈は達成感に思わず声に出したが、残った脚はもがくように、今までよりむしろより乱暴に振り回された。一本の脚が床を抉り、その破片が弾き飛ばされてくる。絵奈はとっさにその場に倒れこむようにして伏せることでそれを回避した。
「ッ! このままじゃ、かえって危ないかも……」
「絵奈、そっちは無事かい?」
 ワームを挟んだ向こう側から聞こえたイェンスの声に、絵奈は大きな声で「はい、大丈夫です!」と返事をする。
「こちら側の脚は僕が拘束しておくから、そちらのもう一本の切断もお願いできるかい?」
「分かりました! 急ぎます!」
 イェンスが抑えてくれている間になんとかしようと走る。魔力を放出して半透明の触手を落とし、真っ直ぐに後方の脚へ斬りかかった。
(誰も傷つけさせない。私の仲間達は、もう、誰も傷つけさせない)
 ゴツゴツとしたワームの脚に長剣を叩きつける。刃は脚の表面を抉るが、やはり途中で止まり一度での切断には至らない。絵奈は気合を込めるように深く息を吸い込む。
(お姉ちゃん、大丈夫だよ。私、ちゃんとやれるから!)
「ぅああああああああああっ!!」
 叫びながら魔力をもてる限り剣へと集中させる。それに応じて刃は徐々に脚に吸い込まれるようにくい込んでいき、ついに、二本目の脚の切断に成功した。
 脚を二本失ったワームは横倒しになり、黒髪の絡みついた残りの足が宙をかく。
「まだ、いける……っ」
 息つく間もなく、剣を短剣へと変えて今度はワームの本体に接近し、斬りつける。そんな絵奈の姿を視界の端に捉えたニッティは、所持していた短剣を取り出した。
(今ので水球の再生が止まった。いける!)
 自作の短剣「ソードブレイカー」に魔力を込め、宙に放る。空中で短剣を中心に魔方陣が発生したかと思うと、一瞬で砕け散った。しかし、それらの破片は地に落ちることなく宙に留まり、分散した幾つもの刃先がワタツミへと向けられる。
「絵奈サン、イェンスサン、ワタツミから離れてくだサイ!!」
 ニッティの声と共に、刃の群れがワームの巨体を切り刻んだ。そこへさらにカインの操る八つの『手』が殴りかかり、さらに追い討ちをかける。
「あと、もう少し!」
 絵奈も自分の魔力をぶつけて加勢する。イェンスもまたガウェインの火球でそれを手伝っていた。
 ワタツミは咆哮する。その声はこれまでのそれより一層重く強力に部屋に響き渡り、その場にいたほぼ全員が耳を塞ぎ耐えざるをえなかった。
 しかし。その咆哮がやむ頃には、ワタツミの姿はその場から消失していたのだった。
「やった、やりましたね! 任務完了です!」
 絵奈は嬉しそうに声をあげる。ニッティもまた安堵した様子で、疲れきってへたりこんでいる使い魔の小さな背中を撫でた。
 しかしイェンスの表情は晴れぬまま、まだ争ったままのはずの旅団員を探していた。そして体ごと振り返ったときに彼が見たのは、桜色の霞の中で刀を二振りとも失い追い込まれた景辰と掌をかかげたまま彼に迫るリーベの姿だった。景辰に負傷した様子はないが、歪んだ表情で頭を抑えているのは先程のワームの咆哮のせいだろうか。
「……いけない」
 考えるよりも先にイェンスの足は二人の元へ向かっていた。薄く桜色に染まった空気の中へと飛び込み、無意識に二人の方へ手を伸ばす。
(僕に何ができる? 僕は、)
 伸ばした手の先に、妻の面影が映った。
『あなた』
 いつかのように、惑う様な目でイェンスを見つめていた。
『ねぇ、ここにいて。どこにも行かないで』
(僕は、自分が一番愛した人すら――)
 イェンスは、目前の彼女から目を離さないまま、そして小さく、誰にも届かぬほどの声で謝罪した。
「ごめん。せめて、今だけ……許してくれ」
 イェンスの体が妻の幻影をすり抜け、伸ばした手はその奥にいた景辰の肩を掴んだ。そして、彼をリーベから離すように押しのけて、二人の間に割って入った。
「……邪魔を、しないでいただけマスカ」
 冷静さを崩さないまま、リーベは光線でイェンスの顔の真横を打つ。正確に顔ギリギリを光線が抜けていくのを、イェンスは身じろぎせず目だけで捉えていた。
 それ以上のやりとりは起こらず、睨み合いが続くかと思われた。しかしそこへ、いつのまにか傍まで下りてきていたリーリスが邪気のない愛らしい笑みを浮かべて現れる。
「こんにちは、景辰おじちゃんとリーベさん? 私はリーリスって言うの。……ねぇ、ドクタークランチの命令は現状放棄なのよね? ワームは私たちが倒しちゃったし、二人がこのまま帰っても、もう命令違反にはならないと思うよ」
 リーベはリーリスを不信気に一瞥する。「何故命令のことをご存知なのデスカ?」と問うと、リーリスはこともなげに「聞こえたから」と返した。
「あのね、リーベさんと景辰おじちゃん。私は個々の旅団員と争う気はそれほどないの。二人とも大事な人を守りたくて戦ってるんでしょ? 陣営が違う以上最低限争う必要はある。でも私たちはいつか必ずどちらかの傘下に統合されるわ。誰かを守りたいならそれまで死んではダメ。だから二人とも仲良くしていてほしいの」
「お気持ちは有難く思いマス。しかしリーリスさん、旅団はナニモ世界図書館を傘下に加えたいわけではありまセン。貴方がたにその意思があるナラ、対抗はするでショウガ。……それと、例え状況が解決したといってモ、コノ人が旅団の意思に背く行動をとったのは事実デス」
 そこに絵奈も疲労しきった様子でありながら、リーべの目前に立ちはだかった。
「でも、あなたにとってこの人は仲間じゃないんですか? 少なくとも、彼はあなたを……」
「旅団員として命令を受けテ行動する以上、個よりも集団を重んじるべきカト」
「そんな、でも、あなたはそれでいいんですか?」
「……、ハイ。旅団のすべての同胞達のためになるのナラ」
 必死に訴えかけようとする絵奈の言葉を、リーべは冷たく突き放す。それらの会話を背に、イェンスは押しのけた景辰に問いを投げた。
「貴方は以前、世界中を枯らしたくないと言っていたね。世界樹というのは今、枯れようとしているのかい?」
 景辰は突然の状況に困惑した様子で、しかしそれでも何とかイェンスの問いに応じる。その間、イェンスはその彼の足元に、彼の刀を落とされたままになっているのを見とめていた。
「あー、……樹ってのは土から栄養とって育つだろ。もし栄養が手に入らなかったら、樹はどうなると思う? ……だから俺達は戦ってんだ。そうしないと生きられねぇなら、やるしかねぇだろ」
「でもおじちゃん、リーベさん好きなんでしょ? リーベさんの事好きだから、手を汚させたくないのよね? 違うの?」
「なっ、お前、なんで!」
 リーベとから離れ、二人の会話に突然入り込んできたリーリスの言葉に、景辰はあきらかに図星を突かれた様子で動揺を露にする。
「こんなにピンクフェロモン出してたら丸わかりだよ?」
 「ピン、ふぇろもん?」と動揺しつつ首を捻る景辰に、イェンスは意を決して語りかけた。
「僕は、貴方のような人や戦闘に参加しない人々がいる以上、旅団を全滅させようとは思わない。景辰といったね、彼女のことを想うなら……二人で世界図書館へ亡命してはどうだろう?」
「あ、その提案ボクも賛成デス」
 カインを抱きかかえて現れたニッティも、空いてるほうの手を挙げてイェンスに同意を示した。
「世界樹が枯れないようにしなくても、二人で世界図書館に下ればリーベサンを護れマスヨ。リーベサン一人を護るなら、その方がずっとやりやすいと思いマス」
 先の動揺も残ったままの状態で、景辰は二人からの提案をどう受け止めればいいのかと視線を落とす。少しの沈黙の後に彼が紡いだのは、否定の言葉だった。
「……いや、駄目だ。あいつは旅団のために働くのを望んでんだ。あいつには恩義がある。だからあいつが望まねぇことは、」
「別の生き方を模索することは、恩を返す事にならないのかい? 彼女が「申し訳ない」と思う事をさせない為に道を示すことは、いけないことではないだろう?」
 しかしイェンスは強い口調で景辰の言葉を遮った。その必死の剣幕に、景辰は今度こそ言葉を詰まらせ、目線をどこともなく彷徨わせる。狼狽の色を隠せず惑う彼の腕を、イェンスは今度は渾身の力で掴み後ろ手にまわさせてそのままグィネヴィアで景辰の身体を拘束した。
「え、イェンスサン!? 急に何を、」
「おっさん、てめぇ、謀ったのか!?」
 ニッティの驚きの声と、景辰の批判の声が重なる。しかしイェンスは躊躇うことなく、先程こっそりと拾っていた景辰の刀を持ち主の首筋に押しあてた。
「イェンスさん!? 待ってください、その人は……!」
 絵奈は悲鳴に近い声色で叫ぶ。しかし彼女が制止のために動く前に、白い硬質の手が刀を持つイェンスの腕を素早く掴んだ。リーベはその体勢のまま、何も言わずにイェンスを見る。否、その形相は、睨むと言うに等しいものだった。
「何故、止めるんだい? 貴女は彼を殺そうとしていただろう。なら、僕がやっても同じじゃないのかい?」
 イェンスは怯まず冷淡に彼女に問うた。それと共に、グィネヴィアによる景辰の拘束を強める。景辰が呻く声に、リーベは今度こそ耐えきれぬように叫んだ。
「止めてくださイ!」
 イェンスはグィネヴィアの拘束をわずかに緩め、落ち着き払った様子で彼女を見つめる。反対に、リーベはその無機質の顔を泣きそうに歪めていた。
「……私に、景辰サンは殺せまセン。彼を、殺させるコトも……」
 リーベはイェンスが刃を景辰から離させようと、腕を掴む手に力を込めた。
「景辰サンは、「旅団ヲ守りたイ」と言った私をずっと手伝ってくれまシタ。……デモ私は、彼の善意ニ甘え過ぎてしまッタ。彼に旅団ヲ裏切るような行動をとらせてしまいまシタ。せめてコレ以上は、力尽くでも止めなくては……彼は本当ニ旅団に戻れなくなってしまいマス。ソレに、これ以上彼ヲ危険な目ニあわせたくありまセン」
 必死に訴える彼女の姿に、イェンスは安堵したように目を伏せる。彼女の手が押しのけるままに刃を景辰から離すと、グィネヴィアによる拘束も解いた。
「……それは違うよ。彼は、いや、彼も。君を戦わせたくないだけなんだ」
 イェンスの行動の意図を察した景辰は、動揺しきったリーベを助けるように彼女の頬を撫でる。
「なぁ、リーベ。……一緒に、世界図書館に行かねぇか。そうすりゃよ、お前も俺も、こんな馬鹿みてぇな争いしなくて済むじゃねぇか」
「しかしそれでハ、旅団にいる同胞達ヲ見捨てることになりマス」
「分かってる。でも俺は、お前が戦わなくて済むなら、お前さえ無事なら、それでいい」
 それでも躊躇いを抑えられぬ彼女に、イェンスもそっと言葉を添える。
「旅団の外からでも、同胞の為に出来ることはあるんじゃないかな。リーベ、貴女はどちらを選びたい? それでも同胞のために旅団へ残るか、景辰と共に図書館へ来るか」
 リーベが次に言葉を発するまで、あとは誰も何も言わなかった。尚も彼女が迷っているのを誰もが察していたのだ。
「――降参デス」
 そして彼女は、俯いたまま呟くように決断を示す。
「私ハ景辰サンに着いていきマス」
 言い切り、やっと顔を上げた彼女はどこか晴々としたような、穏やかな微笑を浮かべていた。

「おい、おっさん。名前は何だ?」
 ロストレイルに乗り込む手前、景辰はおもむろにイェンスに振り返った。イェンスは突然名を問われ、きょとんとしたまま素直に名を答える。
「イェンス・カルヴィネンだよ」
 「そうか」と景辰は改まった様子で向き直り、彼らしからぬ慇懃さで頭を下げた。
「イェンス・カルヴィネン、恩に着る」
「いや……僕は自分の我侭のためにやったんだ。感謝なんて、されるほどのことではないよ」
 それでも、景辰は黙してもう一度礼をし、今度こそロストレイルの車内へと乗り込んでいった。「で、りあじゅうって結局何なんだ!」「それについては自分で調べてクダサイ」というような会話が車内から漏れてくるのを聞きながら、イェンスは肩から顔を覗き込んでいたガウェインを撫でる。
『あなた、』
 ふと、愛しい声が聞こえたような気がして。振り返る。もちろんそこには誰もいなかったが、イェンスはなんとなく妻が微笑んだように思えたのだった。

【完】

クリエイターコメント大変お待たせいたしました!

どうやったら戦闘ってかっこよくできるんだろう、といつも頭を悩ませながら書いているのですが、今回はいかがでしたでしょうか。
あれこれ捏造したりなんだったりしてますが、大丈夫だったかどうかハラハラです。
しかしもちろん、とても楽しく書かせていただきました!

旅団2名の結末としては両者撤退orどっちか再起不能 くらいの気持ちだったので、今回の結果は言ってみれば隠しEDといったところでしょうか。
降伏系の説得があった場合も想定はしていたのですが、成功条件は複数立てて大分厳しくしていたつもりだったのでWRとしては結構予想外のことだったり。
プレイングを書かれたPC様には心よりの賞賛を。

景辰とリーベはこの後、当分はターミナルに滞在することになるでしょう。再びお会いする機会がございましたら、またよろしくお願い致します。

ご参加くださった皆様は大変お疲れ様でした。
少しでもお楽しみいただければ幸いです。
公開日時2012-05-21(月) 21:30

 

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