「森が……自分を呼んでいるのです」 やたらオトコマエのキメ顔で、樹海へと挑んだ氏家 ミチルが消息を絶ってから一週間が過ぎた。 同郷かつ同組織所属の有馬 春臣大先生が、重々しい溜息とともに腰を上げたのもそのころだった。 正直なところ、心配するだけ無駄、という意識は確実にある。 ヴォロスで、哺乳綱サル目ヒト科メスゴリラことミチルを保護した時のことが、走馬灯というよりミラーボールのようにくるくると脳内で回る。無論、色合いは極彩色だ。「しかし……放ってもおけまい」 はああああ。 呼気には諦観すら滲んでいる。「放置することで厄介ごと面倒ごとを量産するようでも困るし、よそに迷惑をかけても困る。――当人にその気はなくとも、存在そのものが迷惑をかけるというような事例もあるからな。それに」 その時だけ、ほんの少し、見てくれだけは可憐なお嬢さん、中身は残念系女子高生を案じる表情になった。「……万が一、ということもある」 要するに、有馬先生は、ミチルがひとさまに迷惑をかけるのも、ミチルに何か危険が迫るのも、双方を阻止せねばならぬ、という、半ば使命感義務感によって腰を上げたのである。「いや、それはいいんだけどさー、なんで俺までいっしょなのよ、ドク?」 彼の隣で、別のアンニュイさをたたえた溜息をつくのは、ミチルと同じく同郷かつ同組織所属の“ミディアン”、ヴァイオリニストのロナルド・バロウズ氏である。樹海の広大さを考えれば、手が多いに越したことはない、という観点から有馬先生に引っ張ってこられたのだ。「同郷のよしみだ、手伝わせてやろう」「超上から目線!? あの森に長期滞在とか無理無理無理! 俺、お腹痛いからおうちで待ってる!」「さて、ではふたり分の装備を用立てて、と」「ちょ、人の話聞こうよドク! 大体にして、なんか嫌な予感がするんだってば、なんていうかこう、存在の根幹にかかわるような……」「行くぞ、ロナルド君。何、君が粉骨砕身の精神で探索に加わりたいというのなら、その尊い犠牲を無駄にはしない」 ごねるロナルドの襟首を引っ掴み、「どんだけ自分本位なの!? だから、俺の意志イィ!?」 驚愕の表情で裏拳ツッコミを放つ彼を引きずって、有馬先生は樹海探索へと旅立つのだった。 * * * その一角に足を踏み入れた途端、空気が変わった。 何かの蠢く気配に、ハッと背後を振り返るものの、そこにはむせ返るような緑が生い茂るばかりで、人の姿などは見受けられない。「獣や鳥、昆虫などは存在せず、ただ植物が繁茂するばかり……だったか、ここは」「あーあー、結局来ちゃったよコレ……嫌な予感しかしないのは、何、世界が俺を試してるってこと? この試練を乗り越えたら神にでもなれるとかそんなん? ……いや、神になんかならなくていいから帰ってもいいかな……」 現段階で判明している情報をもとに、あちこちを観察しつつ春臣はつぶやく。 大きなリュックサックを担いだロナルドが、ぶつぶつと文句を言っているのは華麗にスルーした。「植生はばらばら。あらゆる地域の植物が集まっている場合もあれば、異世界のものと思われる植物の姿も見受けられるし、無作為に違う季節の植物が生い茂っていることもあるし、逆に法則性をもって生えている場合もある、と」 地図らしき地図もなく、また果てがないと言われる樹海である。 闇雲に歩き回ったところで、異様なスタミナと行動力を持つミチルと巡り会えるはずもなく、探索は難航するかと思われたが、実を言うと春臣は、あまり心配していなかったのだ。彼女がぴんぴんしていることを、なぜか疑う気になれないのと同じくらい、すぐに出会えるだろうという確信さえあった。 その奇妙な確信の導くまま、まるで引き寄せられるかのように歩み、踏み込んだ、ひときわ濃い緑の先に、春臣は人間が生活した痕跡を見つけた。 ――焚火、何かを焼いて調理したと思われる即席のかまどの痕、草を刈り、敷き詰めて寝床として使ったと思しきスペースなど、文化や文明を感じさせる痕跡が、そこかしこに残っている。「これは……」 何かしらの木の実を焼いて食したあとと思しきものを見つけ、春臣が瞠目する間に、ロナルドは周囲をぐるりと見渡した。「原理は判らないけど、この辺りは湿度が高いみたいだね。気温も高いように感じるし、植生が南国風なのかも? ということは、果実や木の実のたぐいがたくさん実っている可能性が高い、か」「そういったものは総じてカロリーが高い。ナラゴニアから食料を持ち込むことも出来るだろうから、ここで生きることも決して難しくはないだろうな」 気になるのは、この痕跡がひとりやふたりのものではないことだ。 ここにミチルが紛れ込んでいるとして、彼女がどういう状況に置かれているか、悪い想像はあまりしたくないものの、ともかく無事であるようにと祈るほかない。 がさり。 と、不意に、草むらの向こう側で何かが動いた。「ん、何だろ……?」 ロナルドが繁みをかき分け、中へと踏み込んでいく。 敵意をはじめとした、危険な気配はない。だから、春臣も少し気を抜いていたのだ。「大丈夫だよー、おじさんたち、おっかなくないよー」 こちらにも敵対の意志がないことを示しつつ、ロナルドがさらに踏み込む。 その時、春臣は、ミチルの手掛かりを探して野営地の残留物を分析しているところだった。 そこへ、「ぅおおおおお!」 ロナルドの雄叫びが聞こえ、彼はすわ敵襲かと身構えた。 が。「――ぉおオッサンやないかいいいいいいいい!」 魂から何かを絞り出しての叫びと思しきそれに、有馬先生の鼻から妙な呼気が漏れる。「いったい何ごとだね、ロナルドく――」 ロナルドのことだから、またしても愉快な何かと遭遇したのだろう、といった軽い気持ちで繁みをかき分け、そして春臣は見たのだ。 パンツ一丁のおっさんの頭頂部から、瑞々しい葉をつけた枝が伸びる樹木を。 バレエのプリマドンナのごとき伸びやかな動きで手足を伸ばしたおっさんの身体に、メルヒェンな花々と果実が同時に咲き実った木を。 頭髪がたいへん寂しいふたりのおっさんが背中合わせに立ち尽くしているような姿かたちのきのこを。 ココヤシを髣髴とさせる樹に、背中に蜻蛉状の翅の生えたおっさん型果実(ココナッツなのだろうか……)が実っているさまを。 毒を飲まされてもがき苦しむおっさんのようなフォルムのずんぐりとした幹を持ち、尻を髣髴とさせる位置に赤い花の咲いたサボテンを。「……」 それらは植物であるらしかった。――樹海には植物しか存在しないのだ、植物であるはずだ。というかあれが樹海に適応しすぎたロストナンバーだったら回れ右をして逃げる。 頭頂部にラフレシアのようなどでかくおどろおどろしい花を咲かせたおっさんが、どう考えても「風で幹がそよいだ」とは思えない、フラダンスにしか見えない動きで揺れている。 有馬先生の拳がぐっと握り締められた。 次の瞬間、「ぅおおおっさんやないかああああぁい!」 全力の裏拳が、絶叫とともに空を斬る。 つっこまずにはいられない、すべてにおいて何かが間違っているとしか思えない造詣の植物たちが、有馬先生とロナルド君を取り囲む。「えっこれってもしかしてオッサンニカ種……?」「なんだねそのあまりにそのままなネーミングは」「いや、竜涯郷の生態の一種なんだけど……ああでも、あれは動物ばっかりだったもんなあ。……あ、だめ、今心にすごい疲労感がのしかかってきた。だめだめだめ、心をしっかり持つんだロナルド、ここで折れてたらたぶん戻れなくなるから……!」 なんぞ思い出したらしく、ロナルドがじょじょにぐったりし始めたところで、「有馬先生じゃないスか! どうしたんスか、……ハッ、まさか、自分への愛がたぎってここまで駆けつけて……!? やばい、そんなシチュ萌えすぎて全身から発汗するッス! 姫萌え! 姫萌えッス!」 すさまじく聞き覚えのある声が、すさまじいばかりに通常運転としか言いようのない台詞とともに聞こえて、有馬先生はその場で回れ右をしてダッシュの体勢に入りかけた。 しかし、そこでがさがさと繁みが揺れた。 敵意は感じられなかったので、ふたりが様子を見ていると、むさくるしい、いかにも盗賊といった出で立ちの、ごつい男たちが現れたのだ。彼らが、ごつい造作の顔を思いのほか愛敬のある笑みに崩し、「おお、あれがお頭の言ってた麗しの姫か。……うん、想像より老けてるが、まあ、お頭の言うことなら間違いねえ。歓迎するぜ、姫さんとその従者さん!」 明らかに整合性の取れない――というか何もかもがツッコミ要素としか言いようのない――台詞を吐いて、がははと豪快に笑ったところで、「何かおかしいと思わないのかね……というか、思おう、そこは!?」「っていうか、え、俺従者の扱い!?」 それぞれ、めいめいに裏拳を放っていた。「姫の裏拳ツッコミ……萌え、萌えッス……!」「なるほど、お頭の言うことは相変わらず深ぇぜ……さすがだ」 消息を絶った時となんら変わらぬ姿のミチルが、全部で十二人の、無粋で不器用そうな、しかしどうにも憎めない空気をまとった男たちに、尊敬と憧れの、少年のような眼差しで見つめられながら豪快に笑っている。 ――その辺りで、大半の事情は察せられた。「氏家君、彼らとは?」 深い溜息とともに春臣が問うと、ミチルはいっさいの曇りのない、さわやかな笑顔で言い切った。「ナラゴニアの人たちッス。ここで出会って意気投合したッス! 皆、いい人たちッス!」 キラッキラの笑顔に、男たちが相好を崩してうんうんと頷いている。 話を聴くと、故郷では横暴な貴族や王族から財をかっぱらっては貧しい人々に分け与える義賊だったという彼らは、ナラゴニアの沈黙とともに樹海へ出て、気楽な野営生活を送っているのだそうだ。「今日もお頭は輝いてるぜぇ」「俺、お頭の笑顔が見られるならなんだって出来るわ……」「お頭万歳! お頭最高!」 彼らは、樹海探索のさなかに出会って、ミチルの無駄なエネルギーや豪快さ、力強さに魅せられ、子分になったというか、親分に祭り上げたというか、そういうことだろう。 はああああああ。 有馬先生の口から、深い深い溜息が漏れる。 そこには多分に安堵が含まれていたが、当然、頭痛も含まれていた。 そんな心中を知ってか知らずか、グループのリーダー格とおぼしき男が、「まあまあ姫さん、ひとまずお近づきのしるしに一杯」 親指サイズのオッサン型果実がフルーツパンチよろしく浮かんだお茶らしきものを勧めてきた辺りで、有馬先生の心は折れそうになった。いろんなところに突っ込みたいが、その気力すらそがれていく。 しかし、すべてを放棄して眠りに就きたい欲求を通すわけにはいかないのが現実のつらいところだ。「いや……うん、ひとまず氏家くん、ターミナルのほうへだな……」 ここが気に入ったにせよ、このまま暮らすわけにはいくまい、と、実はとっても真面目で親切な有馬先生は、まだ世界樹旅団と世界図書館の和解についても知らない様子の盗賊たちにももろもろの説明を開始する。 ロナルドは、そんな有馬先生を真面目だねえなどと言いつつ見守っていたが、ここからそう離れていない場所で、何か大きなものが蠢く音を耳にして表情を厳しくした。 どこかから、ぎいいいいああああああああ、という、気味の悪い咆哮が聞こえてくる。ばきばき、がさがさと、樹木が、何か大きなものにへし折られる音も聞こえる。腹腔に響く重低音は、その何かが地面を震わせる音だろう。 この樹海にロストナンバー以外の動物はいない。 そして、あの、禍々しい気配をまき散らすモノが、ロストナンバーであるはずがない。 だとすると、「……ワーム!」 それは、世界の敵とでも言うべき、ディラックの落とし子でしかありえなかった。 盗賊たちも、ミチルも、春臣も、ロナルドも、全員がほぼ同時に身構えた。 咆哮が、地響きが、近づいてくる。 ――ミチルも春臣もロナルドも知らない。 『誰か』が、その光景を、遠くて近いどこかから、くすくす笑いながら見ていることを。 隙あらば悪戯してやろうと、手ぐすね引いて待ち構えていることも。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>氏家ミチル (cdte4998)有馬春臣 (cync9819)ロナルド・バロウズ (cnby9678)=========
1.始まる前から及び腰 ゆーらゆーら。 視界の端で、頭頂部から柳状の枝葉がしげるおっさん風樹木が揺れている。 見たくないのだが、ひっきりなしに揺れているためどうしても視界に入ってくる。 ゆーらゆーらゆーら。 おっさん柳は少しうなだれながら――まるで女房に逃げられて三日が経った冴えない中年男のようだ――寂しげに、どこか遠くを見つめるように揺れている。ゆらゆらゆらゆらゆらゆら。風もないのに揺れが激しくなる。まるで身体中の肉を揺らしながらおっさんがランバダ(※今の若い方はご存じないやも)を踊り狂っているかのようだ。 「少しおとなしくしておくべきだと思う!」 ロナルド・バロウズは、思わず裏拳つきで突っ込んだのち、あまりの虚しさにがくりと膝を折った。 「くッ……なんだろう、この、各方面において何もかもが間に合わない感……!」 ミチルが無事であったことに心底安堵したのは事実だ。 ふざけてみせることも、不真面目な態度を取ることもあるが、基本的にロナルド氏は人間や仲間や友人というものを愛しているし、その幸福を心から祈っている。泣いている人がいたら寄り添いたいし、誰かの哀しみを分かち合えたらとも思う。 つまるところ、ロナルドは、人間や心というものに対して絶望していない。 ――しかし、それと、心が複雑骨折して崩れ落ちていきそうなこの現状とはまた別だ。竜涯郷で得た“オッサンニカ種に愛されし男”などという二ツ名は金輪際遠慮したい。 ミチルが無事であったことと、おっさんの姿をした植物に取り囲まれたあげくワームに襲われそうになっている現状は釣り合わない。神さまが、「ミチルが無事だったんだから、ちょっとおっさんに取り囲まれたっていいよね?」とこの采配をしたのであれば正直殴りたいし、事実を真正面から受け止めて無事でいる自信もない。 「そう……そうだよ、うん、闘おう。ワームとの戦いで現実逃避……いやいや、使命を果たすよ、うん」 目尻に光る涙をそっと拭いつつ、ロナルドさんは空を見上げる。 「そうとも……あの、輝ける未来に向かって進むん、」 「安易なボケへの逃避禁止!」 しかし、つらい現実から目をそらし、逃げようとしたところで有馬先生の厳しい声が飛んだ。 「えええ、だってさあああああ」 どう考えても、ボケに埋没していたほうが苦労しないに決まっている。あまりにも多勢に無勢、ツッコミに勝機があるとはとうてい思えない。 「楽しようと思うな!」 だが、有馬先生はもちろん許してはくれない。 「私だって心は折れそうだしツッコミは間に合わないしで帰りたいに決まっているだろう! だいたいにして、氏家くんはアレ、本当に同じ日本人なのか……」 「ドク、声震えてるよ」 「あれだけ本能全開エネルギー充填完了のヒト科メスゴリラを前にしてどう冷静でいろと。ロナルド君、その……こんな時になんだが、なるべく私の傍から離れないようにだね……」 いろいろな意味で狙われている有馬先生の、乙女のような『お願い』だったが、事情を知るロナルドは温かい眼差しで頷くことで同意を示してみせた。 「判った判った、判ったからそんな怯えないで。怖くない、ホーラ怖くない」 なにせ今回、ロナルドが半ば強引に同行させられたのだって、有馬先生があまりにも姫だからだ。誤解を招く表現だが。 女性に追いかけてもらえるなんて幸せじゃない、と言いつつ、それがあの氏家嬢でも? と問い返されて頷く度胸も根性もないため、自然、有馬先生へ向けるまなざしは菩薩のそれになる。 まだゆーらゆーらと揺れているおっさん柳を努めて無視しながら――見たくないのに視界へ映り込むのだからタチが悪い――、ロナルドは近づいてくるワームとの距離や、周囲の状況を探った。残念ながら溜息まじりである。 「目の保養でもあればまだ頑張れるけど、縁遠い面子と背景だな! ――いや無理につくらなくていいからね! っていうかお願いつくらないで!?」 従者さんのご要望だ、野郎どもお色気サービス開始! 的な流れに突入してしまい、ガタイのいい、いかつくてむさ苦しい男たちがアハンウフンな悩殺ポーズを取り始めたためロナルドは窒息死しかけた。こんな死因絶対に嫌だ。 そんな中、 「オッサンニカ種、キモカワイイと思うんスけどねー。だいたい、キャラクターのかたちをした食べ物に引く人ってあんまりいないじゃないスか。なんでそんな気にするんス?」 ミチルはというと、まったく、全然、これっぽっちも、ツッコミふたりの苦労(ほとんど苦役)を理解しておらず、姿かたちだけは可愛らしく小首を傾げるばかりだ。 「いやいやいや、気にするよ、気にするからね普通。むしろこれを気にしない猛者のほうが少ないから」 「そういうもんスか? でもそれ、おかしくないスか?」 「何が?」 「え、だって先生たちもおっさんなのになんでいやなんスか」 ボバフ、という音は、ダイレクトゥすぎる物言いにロナルド氏が鼻水を噴射したものである。 「いや……うん、そこはあえて! あえてスルーで! おじさんの繊細でナイーヴでセンシティヴな心にひびが入っちゃうから! ミチルくんの順応力といっしょにしてもらうと困……褒めてないからね!?」 ミチルの、「いやあ照れるっスねぇ」というジェスチャーには全身全霊で突っ込まざるを得ない。得ないが、そろそろ息切れしてきたような気もする。 「駄目だ、これから本番なのに、なんで俺こんなに疲れてんの……」 はあああ、と盛大な溜息をつきつつ、ギアの調子を確かめる。 「しかし、悪魔はコレ、絶対笑ってるよねー」 確実に自分たちを見ているであろう存在の、実に楽しげな確信犯的笑顔を脳裏に思い起こし、憂鬱な気持ちになるが、文句を言っていても始まらない。 「……まあ、とりあえず、ドク」 「ああ」 「ミチルくんがやりすぎないよう見守りつつ、最善を尽くそうか」 「……そうだな……」 再びの重々しい溜息とともに、それぞれの役目を果たすべく、“今、もっとも不幸かもしれない”男ふたりは、行動を開始するのだった。 2.ツッコミ二名、ボケ多数の輪舞曲 ぎいいいいあああああああ。 ばきばきという音と、ワームの咆哮とが近づいてくる。 しかし、ミチルにおそれはなかった。 緑に満ちた大自然。 周りには大好きな人たち。仲間。 これで、エネルギーが湧き立たないはずがない。 元気も勇気も百倍である。 「ふっふっふ……今の自分に怖いものなしっス!」 ぐっと拳を握り、天に向かって突き上げる。 小柄だがエネルギッシュな少女がやると、それはたいそう活き活きとして、可愛らしい。全身からほとばしるようなエネルギーを、周囲の皆が感じていることだろう。 氏家ミチルファンクラブこと、【明の義翼】のおっさんたちが、彼女にならって空に拳を突き上げ、雄々しい喊声を上げた。 「てめぇら、お頭に続け! お頭の足手まといになんざ、なるんじゃねぇぞ!」 ミチルが頂点に立つまでは義賊団のかしらを務めていた男、サロス・エヴィニエスが吼えるように言う。四十代後半と思しき気の好い巨漢だが、身体にはたるみひとつなく、横幅は有馬先生の倍くらいありそうなのにおそろしく身軽かつ俊敏で、ミチルは彼が木から木へ鳥のように飛び渡るさまを何度も眼にしている。 一週間ばかりともに過ごしてみて、ミチルが彼に抱いたイメージは、竜の激しさと獅子の勇猛さ、鷲の素早さと狼の誇り高さを持ち合わせた男、である。ミチルの預かり知らぬことではあるが、サロスとは勇気、エヴィニエスとは高潔を意味する言葉であるから、名は体を表すということだろうか。 彼が率いる義賊の男たちも、見かけどおりの怪力と見かけによらぬ俊敏さの持ち主であるから、こと戦いに関して心配は要らないと言っていい。 「サロスさんたちは、先生やロナルドさんの要望や提案に、出来る範囲でいいので応えてほしいっス」 「うス、お頭!」 「あと、自分がお願いするのはひとつだけっス」 「?」 「死ぬの、絶対なしっス!」 有馬もロナルドも、縁あって出会った義賊たちも大切な仲間だ。 彼らが、身体を張って自分を護ってくれることが判るからこそ、優しくて頼りになる彼らを護りたいとミチルも思う。――そう、彼女は悪魔と契約するくらい強欲なのだ。大切なものを、何もかも、この腕の中に抱きしめていたいのだ。 それゆえの言葉に、男たちは白い歯を見せて豪快に笑った。 「うス、お頭! 俺たち、お頭を哀しませるような真似は絶対にしねぇ。安心してくれ!」 ミチルも笑って頷くと、大きく息を吸い、高らかに“応援歌”を響かせる。それによって全員の身体能力が向上すると同時に、ロナルドがギアのヴァイオリンを奏で、精神や能力を上昇させる。 そのころには、のしのしと近づいてくるワームの姿が目の当たりに出来るようになっていた。身の丈八メートルばかり、無数の環節を持つ、ムカデに似た怪物である。 ごあっ、とムカデが咆哮し、大きく口を開くと、木々が直線状になぎ倒され、吹き飛ばされた。ばきばき、めきめきと断末魔の音を立てて森が抉れてゆく。ロナルドの眼の奥が鋭く光った。 「……衝撃波か。接近戦にはちょっと面倒かもねー」 「ロナルドさんに任せてもいいスか?」 「ま、それが一番妥当でしょ」 ロナルドが頷く。ミチルは彼に笑みを向けたのち、 「判断は各自でよろしくっス! 自分、囮になってアイツを引きつけるんで、頼んだっス!」 その言葉とともに飛び出した。 手には『応援』で強化したトラベルギア。 高められた身体能力は、彼女を比喩でなく弾丸のごとくに跳ばせる。 たあん、と大地を踏みしめ、跳躍すると、やんやの喝采が飛んだ。 「お頭ッ、最高ッ!」 「お頭、あんた輝いてるぜ……!」 「頑張れ、お頭頑張れー! だが俺たちも負けちゃいねぇ!」 ミチルに遅れじと義賊たちが飛び出していく。 シャアア、と声を上げたワームが、向かってくる小さい生き物たちを叩き潰そうと頭から突っ込むものの、当たれば骨まで砕けそうな一撃は、身軽極まりない野生児たちをかすることすらできなかった。 ミチルも義賊たちも、実に数メートルもの跳躍を入り乱れて繰り返し、ワームの、気味悪く蠢いて獲物を捕らえようとする環節を翻弄し続ける。しかも、それぞれが、それぞれの動きを把握し、お互いに補助し合いながらである。ここに、どれほどの絆が必要とされるか、想像できないものはいるまい。 「いやあ、ある意味微笑ましい光景……」 ボッバブン、とロナルドの鼻から妙な呼気が噴射された。 せっかくイイことを言おうとしたのにだいなしである。 しかし、何せ、彼の視線の先では、手と思しき部分に真っ赤な花を咲かせたおっさん風ダリアの集団が――ちなみに葉っぱや萼(がく)の状態からしてミニスカチアリーダー風おっさんだった――、とても風のせいでそうなっているとは思えないリズミカルさで揺れている。 オッサンニカ種の猛攻で心が折れそうなロナルドにはほとんど命にかかわる衝撃だったはずだ。 「奴らが、応援している……だと……!?」 無駄に男前な驚愕の表情で胸の内を表現するロナルドだが、彼の内心をまったく知らない、オッサンニカ種と暮らして一週間のミチルなど、むしろ心強く思ったくらいだ。 「っし、行くっス!」 凛と告げ、ミチルは地面を蹴って跳び上がった。 折しもワームは、目障りな小さいやつらを一掃してやろうと思ったのか、大きく口を開けて衝撃波を放とうとしているところだった。 「そうはさせねっスよ!」 その横っ面へ、回転を加えた鋭い蹴りを一撃。 がぎん、という硬い衝撃が伝わってくる。あまりの硬さに脚が痺れたが、衝撃を受けたのはワームもいっしょのようだ。ミチルに蹴り飛ばされた顎の一部にひびが入り、欠けている。 「お頭、素敵ィッ!」 どこかから野太い歓声が上がる。 ミチルが軽やかに着地すると同時に、腹いせとばかり、鋭い環節が、天から降り注ぐ槍のごとくに襲いかかった。地面を貫き抉るそれを、ミチルは飛ぶように、転がるように避ける。避けきれなかった切っ先が、ミチルの腕や脚をかすり、血を流させた。 「大丈夫かね、氏家くん!」 ミチルとしては、いとしの姫が気遣いの眼差しで自分を熱く見つめて愛の言葉をささやいてくれただけでも――ちなみに彼女の脳内における処理である――、むしろピンチご馳走様っスと言わざるを得ないわけだが、彼女の忠実なしもべたる男たちはそうもいかなかったらしい。 「お頭ッ! くそッ、お頭の玉のお肌になにさらしてくれとんじゃあワリャアァ!?」 いきなりブチ切れたサロスが、服がはじけ飛びそうなほど筋肉を隆起させるや否や、手近な場所にあった樹齢百年ばかりの木を両腕でむんずと抱え込み、一気に引き抜いた。 ごっばあ、と根っこまであらわになったそれを、 「喰らいやがれ……秘技・樹権五月雨撃ち(ジュゴンサミダレウチ)ッ!」 咆哮とともにぶん投げ、それと同時に別の木を引っこ抜き、十数本の木をワームめがけて投げつける。サロスの気合いとともに割れて削れ、鋭い杭のようになった巨木が、雨あられとワームへ降り注いだ。 それを皮切りに、秘技羆落としに秘技岩山砕き、秘技天地動乱に秘技雷轟嵐、秘技蜻蛉斬りに秘技爆裂張り手、秘技氷地獄に秘技悩殺三人衆まで、実に十数種類の秘技が乱れ飛び、ワームを散々に翻弄した。 どれもこれも素晴らしい大技ではあるのだが、 「……うん、俺の中で今ちょっと秘技がゲシュタルト崩壊したよね……」 ロナルドなどは若干遠い目をしている。 痛みにか怒りにか、ワームがごおおッ、と咆哮すると、その全身から真空の刃めいたものがほとばしり、周囲にいたミチルや義賊たちを斬り刻んだ。血しぶきが飛ぶ。 しかしそれで怯むものはいない。 「傷の浅い人たちはさっきみたいに分散しての翻弄よろしく! おじさん、サポート頑張っちゃうからね!」 ロナルドがヴァイオリンを奏で、ワームの動きを鈍らせる。 その間に、深い傷を負った数名を、有馬先生が自分の傍まで転移させ、瞬時に治癒させてしまう。本来、特殊能力を使用するには演奏が不可欠だったはずだが、 「先生、三味線弾かなくても使えるようになったんスか、特殊能力」 「ん? ああ、いや、これは……」 「まさか」 「いや、氏家くん、これにはいろいろと事情がだね、」 「……まさか、愛の力っスか。愛が姫をレベルアップさせたんスか。どうしよう、ものっそい照れるっス。帰ったら式場の予約とウエディングドレスの手配をするっス」 「ああ……うん、もうその通常運転に助けられたと思うことにするよ……」 細かいことを気にするより姫に萌えていたいミチルの前に、その、実は深い事情を孕むもろもろはスルーされるのだった。 傷を癒してもらった男たちが、さすがお頭の姫さんは一味違うぜ、と、有馬先生が頭を抱えるようなことを言いつつ飛び出していく。その彼らのために、ロナルドが再度、能力を上昇させる音楽を奏でる。 「ミチルくんが死ぬなって言ったしねー」 へらりと笑いながらも、ロナルドの目は鋭い。 ワームの口が開く。 放たれた力の塊がミチルたちを襲うより、 「はいはい、皆は危ないから離れててねー」 ロナルドがギアを奏でて衝撃波を生み出し、その塊にぶつけるほうが早かった。どおん、と派手な音がして、目に見えないエネルギーが炸裂し、消える。 あおりを受けて、ワームの身体がぐらりと揺れた。 ワーム自体、かなり弱ってきているようだ。 あと少し、ミチルがそう思った時、誰かが、どこかでひそやかに笑ったような気がした。ロナルドが眉をひそめる。――彼にも聞こえたのだろうか? そのとたん、ワームが断末魔めいた絶叫を上げた。びくんびくんと奇妙な痙攣を起こしながら、まっすぐにミチルへ向かってくる。その動きは、やはりどこかぎこちない。まるで、何者かに糸をつけられて、無理やり動かされているかのようだ。 「お頭ッ!」 「心配無用っス!」 ミチルはその場で踏ん張り、ぐっと力を溜めに入った。 すべてを理解した表情で、男たちが両手を組み合わせてお祈りのポーズを取る。 「判った……全部、あんたに託すぜ。秘技・漢男(オトメン)の祈り! お頭に届けッ、俺たちの熱い想い!」 「そんな秘技、逆立ちしたって認めねぇえ……!」 息を荒らげたロナルドが突っ込む中、しかし確かに、義賊たちの魂が持つエネルギーのようなものが自分へ流れ込むのをミチルは感じている。彼らが、出会ってまだ一週間の自分へ向けてくれるゆるぎなく偽りない信頼は、ミチルの力をさらに高め、強靭にしてくれる。 ミチルは強く竹刀を握った。 握り締めたそれに意識を集中させ、地面を蹴る。狂乱するワームめがけて突っ込み、勢いよく振りかぶる。ミチルへの攻撃は、春臣とロナルドが防いだ。 息を深く吸い込む。 奥歯をぐっと噛みしめ、竹刀をひと息に振り抜く。 「貫け、“益荒男怒魂杖(どこんじょう)”!!」 高濃度のエネルギーに満ちたそれがワームの胴体を激しく打ち据え、貫き突き抜ける。ごばっ、と、ワームの胴体の真ん中が弾け飛んだ。 頭部と尻尾に分断されたワームが、びくびく震えながら地面を転がる。 それを、ロナルドの衝撃波が吹き飛ばした。 真っ二つにされたあげく衝撃に叩き潰されたワームは、しばらく末期の痙攣を繰り返していたが、それもすぐ静かになり、やがてなにごともなかったかのように解けて消えていった。 わっ、と歓声が上がる。 お頭万歳、お頭万歳、と、義賊の皆さんが喝采を送る中、ふうとひとつ息を吐いたミチルは、春臣の言葉を聴いたのだ。 「今の、あれは……そうか、やはり……いるのか。そこに」 彼は、どこか別の場所を見ていた。 その視線の先にいるのが誰なのかを確認する前に、ミチルはサロスたちに担ぎ上げられ、暑苦しく胴上げされることになった。 怪力の男たちに空中へ放り上げられながら勝利の勝鬨を上げつつも、ミチルの意識はそれを忘れなかった。いったい何のことか判らないながら、彼女は、ずいぶん長い間、『ソレ』を小さな棘のように胸の内へとしまい続けることになる。 3.大団円、疑念の芽 義賊たちは、とっておきの茶や酒や菓子を出してもてなしてくれた。赤々と燃える焚火を囲み、飲めや歌えの大騒ぎである。 有馬先生も、おっさん型果実が浮かんだおっさんパンチ茶を嬉々として勧められ、横倒しに崩れ落ちそうになりつつどうにか自我を保っている。 彼は、義賊たちにこのままだと行方不明扱いになるから、一度ナラゴニアへ戻るか、ミチルとともに世界図書館へ所属するかしたほうがいい旨を説明した。顔は怖いが根は熱くて素直な義賊たちは、反論するでもなく、むしろ春臣の気遣いに感激までして、どちらかを選ぶと約束した。 ミチルは、【明の義翼】の皆がどこにいても、自分たちは仲間だと拳を握って、義賊の男たちの目を少年のように輝かさせた。 そこから、賑やかな宴は続き、おっさん果実を避けつつ茶を啜っていた――最高級の烏龍茶ばりに美味だったのが、かえってトラウマになりそうだ――春臣は、騒ぎに疲れたから小休止してくる、と輪を外れたロナルドのもとへミチルが歩み寄るのを見て目を細めた。 それがミチルではないとすぐに判った。表情が違う。 ミチルの中にいる『彼』が、彼女の意識の隙をついて表出しているのだ。 『彼』の言葉は、この大騒ぎの中でも、春臣の耳にしっかり届く。 「二十四回目だ。賭けには勝てそうか? ロナルド・バロウズ」 その時、ロナルドがどんな表情をしていたかは、残念ながら見えなかった。が、春臣もまた思うところがあり、我に返ったミチルがサロスたちに呼ばれて輪へ戻っていくのを確認したあと、そっとロナルドへと歩み寄る。 『彼ら』は気づいた。 『彼』の存在に。 いてもおかしくはないと予想もしていた。 「同じにおいがする……二百年もともにいて、移ったか」 ぽつりとつぶやく。 春臣に気づいたロナルドが不思議そうに首を傾げている。 今は彼だ。『彼』ではない。 しかし、言葉は届くだろう。 「――ロナルド君」 言葉を発しているのは、春臣であって春臣ではない。 それが、『彼』には判るだろう。 「ロナルド君。私は【ロナルド・バロウズ】が嫌いではない。ふざけた面もあるが、信頼できる友人だ」 だから、心せよ、と。 警告を込めて囁くと、ロナルドの目が大きく見開かれた。 「ドク、いったい……」 「どうしたんだね、ロナルド君。何かあったのかね」 「え? いや、……うん、何でもないよ。ちょっと疲れたのかも」 「それはいかんな。あそこに、おっさんが添い寝してくれるような形状の苔があったぞ。ベッドにして眠るといい夢が見られるそうだ、君もどうかね」 「すみません土下座して謝るんでそればかりは勘弁してください」 すっかり定着したやりとりをかわしつつ、ふたりはまた輪へと戻る。 少なくとも、この一件は終わった。 あとは、義賊たちが自分で選び、決めるだろう。 それが、新しいよきものを生み出し、何かを変えることもあるかもしれない。 * * * ちりちりちり。 意識を、毛羽立った感情が撫でていく。 (厄介なことになった) (面倒ごとが増えた) (前のように処理するか?) (……処理? 前のように? 何を。誰をだ) (記憶にない……いじられたのか、あいつに) (不可解なことばかりだ。さっきのワーム、あいつもきっと、『そう』なんだろうが……それにしても) (妙だ……鼻が利かない) (彼は、操られている? だとしたら、厄介だ。彼も、彼女も、傷つけずに、どうやってあいつを引きずり出そうか) (誰も死なせたくない。傷つけたくない。――護らなければ) 渦巻く意識の中、彼は気づかない。 自分の中にいる『彼』が、分かたれた己を葬るための暗躍を始めていることに。彼の意思、意志が、その『器』を想う力によって強く護るためうまくいかず、そのたびに舌打ちをしていることに。 彼に気づかれないように。 それでもめげず、『彼』がほくそ笑みながら、次の一手を考えていることも。 ひどく入り組んだ意識と思惑の中、まだ誰も、その行き着く先を、知らない。
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