シオン・ユングがターミナルから姿を消した。 アルバトロス館の彼の自室には、禍々しい黒い羽根が散っており、事情を知るものには、いったい何が起こったのかを彷彿とさせた。人目を避けるようにロストレイルに乗り込んだ、黒髪に黒い翼の少年を見たものもいるという。「あぁ、オレがフライジング行きのチケットを発行した。むめっちには頼みにくかったんだろ。こんなすがたは見せたくねー、つってたから」 図書館ホールで複数のロストナンバーから説明を求められたアドは、尻尾をひと振りした。いつもの会話用看板を使用せず、珍しくも声を発する。「そんで、すぐにラファエルも後を追っかけたみてーだけど、帰ってくる気配もねーし、今、どういうことになってんのかはまったくわからん。むめっちの『導きの書』にはなんか浮かんでるはずなんだけどな」 無名の司書は、司書室に閉じこもり、ずっと泣きじゃくっているらしい。 モリーオ・ノルドが心配して様子を見にいってるのだと、ぶっきらぼうに、しかし気遣わしげに、アドは司書棟の方向を伺う。 ……と。 モリーオに支えられて、無名の司書が現れた。サングラスを取り去った目は泣き腫らして真っ赤だが、足取りはしっかりしている。「すみません、皆さん。みっともないところをお見せして……」 青ざめた唇を、司書は噛み締める。「モフトピアに転移したラファエルさんが保護されて、始めてターミナルにいらしたとき……、同時期にシオンくんがヴェネツィアで保護されたとき、あたしの『導きの書』には、ほんの一瞬だけ、ある光景が浮かびました。どことも知れない世界で、黒い孔雀が形成した迷宮に、黒い鷺となったシオンくんが赴き、比翼迷宮を作り上げてしまうこと、そして、助けに向かったラファエルさんが、その迷宮に囚われてしまう未来が」 すなわちそれが、現在の状況であるのだと司書は言う。 その世界がフライジングであり、黒い孔雀と黒い鷺が形成した迷宮の場所は、霊峰ブロッケンであったことが今ならわかる、とも。「あたし……、あたし、彼らには、笑顔でいてほしいと思って、だから『クリスタル・パレス』の運営を勧めて。いろんなお客さんが来てくださって、とても楽しそうで……。ホントはこんなこと考えちゃいけないんだけど、彼らの故郷なんて永遠に見つからなければいいのにって思ってた。ずっとこのまま、ターミナルにいればいいじゃない、って……」 嗚咽で声をくぐもらせる無名の司書のあとを、モリーオは引き取った。「ラファエルのことはわたしも心配だ。ごく個人的な思い入れではあるけれど、ダレス・ディーに捕らわれ、いのちが危うくなったとき、非常に案じてくれたことを今でも感謝している」 それを前置きとしてモリーオは、晩秋の霊峰に《比翼の迷宮》が出現したこと、その再奥には《迷鳥》となったオディールとシオンがいること、ラファエルが虜囚となってしまったこと、そして── その周囲を取り囲むように、新たに複数の迷宮が発生したことを告げる。 それらの迷宮群を消さなければ、《比翼の迷宮》には辿り着けないことも。 * *「お呼び立ていたしまして申し訳ありません。お久しぶりです、ヴォラース伯爵閣下」「どうぞ、昔のようにアンリと。落ち着いておられて安堵いたしました。シルフィーラ妃殿下」「妃殿下などという立場では……。アンリさまこそ、呼び捨ててくださいまし。非常事態でもあることですし」「うむ、いずれ皇妃にと考えてはいるが、未だこの娘は、真の親離れも弟離れも出来ておらぬゆえ」「恐れ入ります」 メディオラーヌムの、シルフィーラに与えられた館の応接室である。 霊峰ブロッケンに起こった異変。オディールとシオンによる《比翼の迷宮》と、それを取り囲む複数の迷宮の対応について、シルフィーラは、ヴォラース伯に連絡し協力をあおぐべきだと皇帝に進言したのだ。 時間が経てば経つほどに迷宮は広がり、じわじわと大陸を浸食する。トリとヒトがいがみ合っている場合ではない。 そして何より、シルフィーラにもヴォラース伯にも、支援者の心当たりがある。 異世界の、旅人たちだ。 「ずっと思っていたのです。なぜ、わたしとシオンだけが特異な《迷鳥》だったのだろうと」 焼け焦げた本を、シルフィーラは広げる。 それは、黒い孔雀が飛び去り、崩壊した地下図書館跡から発見したものだった。《始祖鳥》にまつわる神話や《迷鳥》に関する旧い伝承が記されたその本からは、僅かではあるが、うっすらと文字が読み取れる。《迷宮》を作らぬ《迷鳥》は、この……して…… ひとつ、《迷卵》の状態で保護……こと。 ひとつ、あたたかな慈しみを持……養育され…… ひとつ、翼を切り落と……、あるいは…… ひとつ、孵化した雛を卵に戻…… それには、この地の《理》を超越した……《真理》に目覚めた旅人の……」「もしや」 食い入るように読み込んでいたアンリが、顔を上げる。「本来であれば、保護者なきまま孵化した雛は《迷宮》を作ってしまう。収束するには討伐しかなく、実際に《旅人》の力を借り、それを行って来た。しかし《旅人》の力は、《迷鳥》を卵に戻すことが可能かもしれないほどのものだと?」「はい」「そして、養親に恵まれ、愛情を持って育成されれば、穏当に生きることができると?」「二百年前にそういった事例があったと、この本に記述されています。ですので」「……お願いしましょう。旅のかたがたに。《迷鳥》の救済を」「それがかなうのであれば」 皇帝は大きく頷く。「卵に戻った《迷鳥》は、いわば天災に見舞われた孤児のようなもの。後宮で保護するとしようぞ。雛鳥を養育するにふさわしいものはいくらもいようから、養親候補には事欠かぬ」 皇太子も、強い決意をしめす。瞳いっぱいに涙をためて。「ぼく……、ぼくも、育てたい。大事に育てて、家族になって、いつか巣立ちのときが来たら、ちゃんと見送って」「さて、それは首尾よく卵を保護できてからのことになろう。養親には責任が発生するゆえに」 † † それは、炎の迷宮だった。 迷宮の主は《火喰鳥》であるらしい。 枯れ葉が燃え盛り、風に乗って舞い上がる。 炎が渦巻き、熱風が頬を焼く。「山火事にならないように俺たちがここで食い止めるよ」「長くはもたない。出来るだけ早く、何とかしてくれ」「ありがとうございます」「……どうか皆様も、火傷などなさらぬよう」 二次被害の拡大を阻止するべく、その特殊能力やギアのちからを駆使して、幾人かの旅人たちが炎を遮ってくれていた。シルフィーラとアンリは深々と頭を下げる。 立ちのぼる火柱の向こうに、《比翼の迷宮》の入口が見えた。 しかし、炎の壁に阻まれて、とうていそこに進むことはかなわない。見回せばそこかしこに、《比翼の迷宮》に近づかせまいとでもいうかのように、いくつもの迷宮が発生している。 聞けば、シオンを心配して来てくれたイェンという若者も、迷宮に囚われてしまったらしい。(……なんということかしら) シルフィーラは額に手を当て、だがすぐに、首を強く横に振る。(いえ。信じましょう。皆様を) この迷宮を消さなければ、シオンやラファエル、そしてオディールのもとに辿り着くことはかなわないのだから。そんなちからを持っているものはこの世界にはおらず、旅人たちの助力を請うしかないのだから。 そして今まで、旅人たちは――そう、いつだって旅人たちは、彼らとは縁もゆかりもないはずのこの世界に、こころを砕いてくれたではないか。「ご負担をお掛けいたします。わがままを申し上げます。わたしは、……わたしは」 この世界の、すべてを、護りたいのです。 それは、どこかで聞いた……、 かつてロード・ペンタクルと呼ばれ、今は失墜した男の慟哭に似ているかも知れなかった。「わたしは、ラファエルさまにも、シオンにも、オディールさまにも死んでほしくない。迷鳥たちにも生きながらえて幸福になってほしい。それがどんなに無いものねだりであるか、わかっているつもりです。ですが」 わたしは、ずっと、しあわせでした。 迷鳥として生まれたはずなのに、しあわせでした。 それはおそらく―― 慈しまれたからではないかと、思うのです。 † † 迷宮の再奥で、火喰鳥の少年が、文字通り「火を喰って」いる。 彼は火を吐く。吐いたその火を喰う。 いまわしい地獄絵図のように、延々と、それが繰り返されている。 ――僕が火を吐くのも、火を喰うのも、『怒り』によるものだ。 それが悪いというのなら、教えてくれないか。 この怒りを鎮める方法を。 どうすれば、火を吐かないでいられるんだろう。 どうすれば、火を食べないでいられるんだろう。 どうすれば、誰かを愛せるんだろう。 どうすれば、誰かに必要としてもらえるんだろう。 どうすれは――誰かと『家族』になれるんだろう?!お願い!オリジナルワールドシナリオ群『晩秋の迷宮』は、同じ時系列の出来事となります。同一のキャラクターでの、複数のシナリオへのエントリーはご遠慮下さい。抽選後のご参加については、重複しなければ問題ありません。
ACT.1■熱風の孤独 ヒクイドリによる炎の《迷宮》は、活火山の噴火にも似た地鳴りで揺らいでいる。ごう、と、うなりを上げる灼熱の風は、旅人たちを拒むように真向かいから吹きつけて来た。 竜巻状に走る風は火の粉を含み、シルフィーラの髪のひと房をちりりと焼き、頬を焦がす。 「……っ!」 「少し、下がっていろ」 ロウ ユエが、すっと背筋を伸ばしたまま、片手を上げる。刹那、風の熱はひたと収まった。朱いろの溶岩と化していた天井と壁はほどよく冷やされていく。 「ありがとうございます。助かりました」 頬を押さえ、シルフィーラはロウに頭を下げる。 「火傷したのか?」 「おかげさまで、たいしたことは」 「見せてみろ」 「それには及びません」 気丈にも彼女は固辞した。しかし有無を言わさず、ほっそりした顎にぐいと手をかける。 冴え冴えとした紅眼をロウが細めるやいなや、擦り傷と火傷で爛れていたシルフィーラの頬は、みるみるうちにもとのなめらかさを取り戻した。 「……これは。なんという……」 「怪我ならば治療できるし、炎による熱の負荷はある程度なら押さえられる。だが」 ロウは一行を振り返る。 「皆、壁には触れず、足元にも留意しろ。どんな危険があるかわからん」 冷ややかにさえ感じる、感情を抑制した彼のことばは、しかし、一行の死角に気を配りながら発せられたものだ。シルフィーラは無言で頭を下げ、一同もまた、頷いた。 「そこ、岩の固まりがあって歩きにくいですよ、シルフィーラさん」 大小の溶岩が足場を悪くしているのを見て、相沢優が手を差し伸べる。 「ありがとうございます。先日も、優さんにはお力添えをいただきまして」 メディオラーヌムでの礼をシルフィーラは述べる。 「いえ」 優は、ゆっくりとかぶりを振った。 「さっき、あなたが言ったのと同じことばを、以前、あるひとが言っていて……」 「そうなのですか? ……そのかたは?」 「友人……、です。だけどその時、俺は何も出来なかった。何も守れなかった」 苦渋に満ちた響きが、洞窟内に静かに響く。 (その後も……、俺は……) きみに何も責はないと、ロバート・エルトダウンは言うけれど。 もう二度と同じ事は繰り返さない。 今度は必ず――すべてを護る。 「シルフィーラさん。俺は」 優はひたと向き直り、シオンと同じ金の瞳を見つめる。 「ラファエルさんとシオンさんを護りたいと思います」 「優さん」 「あなたの、その願いを叶えたいと思います」 「……優さん。ありが……と……」 シルフィーラの瞳に、涙の粒が盛り上がった。 「泣いてる暇はないわよ」 ヘルウェンディ・ブルックリンがハンカチを差し出す。 「ラファエルにはいつも良くしてもらってたし、シオンはナンパなお人好し」 「……」 シルフィーラは無言でハンカチを受け取る。勝ち気な黒い瞳と、溌剌とした美しさにはっと息を呑みながら。 「ふたりが親子心中しちゃうなんて絶対嫌よ。借りを返したいの」 「……。……」 「シルフィーラ。貴女にずっと会いたかった」 涙はすう、と引いていく。 「あなたは、どなた……?」 「ヘルウェンディ。ヘルでいいわ」 「ヘルさん……? どうしてわたしと会いたいと?」 「ラファエルは、私が辛いとき、とても親身に相談に乗ってくれた恩人なの」 「親身に、相談に……? そう……」 その表情に、生来の気の強さと負けず嫌いが浮かぶ。 「……。……。ラファエルさまったら……!」 シルフィーラはぎゅっとハンカチを握りしめる。アンリが慌てて気遣った。 「どうしました、シルフィーラ?」 「悔しいです、アンリさま」 「……はい?」 「わたしたちがこんなに心配していたというのに! あのかたは旅人たちが集う世界で楽しく過ごし、こんな若くて綺麗なお嬢さんと親密にしていらしたのですよ」 「いや、その、侯爵にもきっといろいろご事情が」 「ええ、そうですわよね。い ろ ん な ご事情がおありだったのでしょうよ。それにわたしには、あのかたがどなたとお付き合いなさろうと何も言う権利はないのですし……。でも、そうですの……。ふぅうううん……」 「貴女が何を誤解してるか知らないけれど」 ヘルが肩をすくめる。 「前にね、ラファエルが貴女との関係を、私と父親の親子関係にたとえてたことがあったのよ」 「親子……?」 「ちょっと複雑で話せば長くなるから、詳しいことは日を改めるわ。でも、実際会ってよくわかった」 シャープな双眸が、ふっとやわらかさを帯びる。 「貴女は今でも、ラファエルの自慢の娘よ」 「……!」 「どうしてもそれだけ伝えたくて。……ね、握手してくれる?」 差し出された右手に、シルフィーラは一瞬だけ目を見張った。が、すぐに微笑んで、その手を握りしめる。 「どうやらあなたは、わたしの知らないラファエルさまをたくさんご存知のようね。いろいろ教えてくださるとうれしいわ」「何でも聞いて頂戴。でもラファエルは、私と貴女が親しくしてると困惑するかもね」 「あら。どうして?」 「気の強い娘同士で何を話されるかわかったもんじゃない、って言ってたもの」 「まっ! 失礼ね!」 「ねぇ? それは仕方ないわよね。父親の愚痴をこぼすのは、娘の特権だから」 「そうよねぇ」 「……侯爵閣下には、まことに、ご心痛の絶えないことで……」 この場にラファエルがいたらきっとそうするだろう、という風情で、アンリは胃の辺りを押さえる。 「あの……、アンリ伯爵……? 大丈夫ですか? ……ええと、たしか胃薬が」 司馬ユキノが気遣わしげに声を掛ける。異世界コンシェルジュのスタッフとしてこの地に赴いたときと同様の、てきぱきとした配慮だった。 「どうぞご心配なく。ユキノさんこそ火傷などはなさっておられませんか?」 お久しぶりですね、と、ヴォラース伯の声が親しみを帯びた。 「はい! もともと燃えにくい素材の服を着て、ものすごく注意深く進んでたので」 「如何にもあなたらしい、慎重な対応でいらっしゃる」 「私は何の力もないですし、いざという時は、誰かの力を頼るしかないですし」 「相変わらず、好ましい姿勢でおられますね」 「あら……? お知り合いでしたのね? わたし、アンリさまが女性に積極的に話しかけるのを初めて拝見しましたわ」 親しげなやりとりに、シルフィーラが、ユキノとアンリを交互に見やる。 「去る醸成月(かみなんづき)に、旅人のかたがたのご尽力で、ヴァイエン領の収穫祭が行われまして」 アンリは少し照れくさそうに笑った。 「その噂はメディオラーヌムにも届いております。近年稀に見る華やかさと賑やかさだったとか」 「そのときの飲み比べ大会で、ユキノさんは私を瞬殺なさったので」 「……まあ。では、難攻不落のヴォラース伯を陥落したお嬢さんがとうとう現れたのですね……!」 シルフィーラは両手を目の前で合わせる。 「ではアンリさまは、一日も早くユキノさんをヴォラース領にご招待して親睦を深めませんと。こんな素敵なかた、放っておくとすぐに他の殿方にさらわれてしまいましてよ?」 「それはもう重々に」 アンリは苦笑し、そっとユキノを見る。 「実は、冬が来たらご招待したいむね、申し込んではおりましたものの、なにぶんにもユキノさんのご都合やお気持ちもおありかと」 「私、是非お伺いしたいと思ってました! でも、ラファエルさんに同行をお願いするためにクリスタル・パレスへ行こうとした矢先に大変なことになったので」 「……それでは……、その、ユキノさんは前向きに、あの……、ご検討を?」 「もちろんヴォラース領には興味があります。ヘンリー&ロバートリゾートカンパニーのスタッフとして、新しいリゾート先の開発は常に必要なので……!」 「……なるほど。ユキノさんは仕事熱心でいらっしゃる」 ふうう、と、アンリはため息をつく。シルフィーラが心得顔に頷いた。 「焦ってはいけませんよ、アンリさま。及ばずながらわたしも応援いたします」 「……それはどうも」 「雑談ができる余裕があるのは、喜ばしいことだ」 純白の髪をさらりとなびかせ、ロウは前方を見る。 ――何ごとも、 諦めてしまえば、そこで全てが終わる。 無いものねだりだろうが何だろうが、願うのは悪いことじゃない。 「彼らと面識があるわけではないが、それでも――店のことは知っている」 ふっと、ロウは言う。ラファエルとシオンが店長とギャルソンを務めていた、カフェのことを。 「『クリスタル・パレス』ですか。来店なさったことが?」 それが懐かしい場所ででもあるかのように、シルフィーラは言の葉にのせる。 旅人たちから聞いたそのカフェの名を。 彼女には未知の世界で運営されていたその店の名を。 「いや。一度くらいは行ってみたいと思っていた。それだけだ」 「そうですか。……叶うものなら、わたしも、行ってみたい」 ACT.2■炎の哀切 ギアの氷弾で炎を鎮め、迷宮内を進みながら、ヘルは考える。 (家族って何?) それは幼くて、素朴で、しかし切実な問いだと思う。 (私もずっと悩んでた) ヘルは、この迷宮の主とそっくりな男をよく知っている。 烈火のごとく怒り狂い、人も自分も傷つけて。 誰も信じず、何も信じず、長い長い間、独りぼっちだった男を知っている。 ――私はそいつと家族になって、毎日なんとかやっている。 * * 「以前の迷宮では、迷鳥を殺す以外に世界を護る方法が見つかりませんでした」 「……ええ」 「そして俺は、迷宮の主である『彼』を、仲間達と共に殺しました」 告解のように、優は言う。 あのときの出来事は、今でもありありと思い出すことができる。 それは、直視しなければならない罪。 それは、決して忘れてはいけないこと。 この先ずっと、自分が背負う罪。 「お辛かったでしょう」 告解を聞く尼僧のように、シルフィーラは目を閉じる。 * * (私のトラベルギアは、誰かを説得する時に効果を発揮するものだけど) 今回は使いたくない、と、ユキノは思う。 (こういう時に道具に頼っちゃダメ) 拙くても、自分の力でどうにかしなきゃ。 デフォルトフォームになったカリンが、ぷよんふよんぷよんふよんと、ユキノの肩と頭を行き来している。 心配しているのだろう。……たぶん。 「ありがと、カリン。でも、私が本当に死にそうにならないと出てきちゃダメだからね」 ……多少の火傷くらいは、平気だから。 この世界には一度来ただけで、詳しいことは何も知らない。 ――だけど。 お酒もお料理も美味しかった。 水が綺麗で空気も澄んでるし、混じり気のない自然に囲まれている。 アンリ伯爵も――、いいひとだと思う。 (私、この世界を好きになったから、この世界の力になりたい) 激しい怒りに包まれている、火喰鳥。 だけど私には、泣いているように見える。 * * ロウは淡々と冷静に先頭を進む。 迷宮内のトラップを解除し、解除し切れないものは空間を曲げ、一行の負傷を回避することにつとめた。 彼は実に的確にそれを行ったので、誰にも気づかれない場合さえ、あった。 * * やがて一行は、この《迷宮》の最奥に到達する。 ACT.3■ファミリー・コンプレックス 青白く燃える炎に包まれて、一羽のヒクイドリがうずくまっている。 それは二重写しに、ひとりの少年が膝を抱えているようにも見えるのだった。 そしてロウは、ギアをしまい込む。 「君がこの《迷宮》の主か」 ヒクイドリはうっそりと顔をあげ、気だるい声を放つ。 「……誰?」 「通りすがりの旅人だ」 「旅人が何の用だよ」 「君に会いに来た」 ひくりと嘴を上げる迷鳥に、ロウは静かにことばを掛ける。 「近くに行っても良いか?」 「できるもんならね」 刹那。 ごおおぉぉ、と、激しい炎が吐かれた。 「……くっ!」 優がギアを構える。 その防御壁で、一行が炎に焼かれるのを防ぐ。 「君は」 ロウは言う。 「誰かを愛し、必要とされ、家族に成りたいのだろう? だが、誰とも話したことも、誰かに触れたこともない。その方法も判らない」 まるで陽光の下で、穏やかなひとときを過ごしているかのように。 「独りだという現実に怒り、火を吐かずにはいられない。そんな自分にも怒り、火を喰わずにはいられない」 「黙れ。だまれ、だまれーー!」 「あのねぇ」 ヘルが、いつもの彼女らしからぬ――いや、それもまた彼女の一面なのかもしれないが――慈愛に満ちた声音を放つ。 「家族が、欲しいの?」 「……!?」 「だったらちゃんと、そう願って、声に出さなきゃ」 だって。 叫べば聞こえるでしょう? どんな暗闇の底からだって、手を伸ばしてくれさえすれば、掴み返すことができるでしょう? どうか、愛を乞うことに怯えないで。 勝手に見限って、諦めて、閉じこもらないで。 「俺は《迷鳥》を殺したことがある」 優のことばに、ヒクイドリは怪訝そうにした。 「……?」 「だけど今なら《迷鳥》を助けることができる」 ――俺たちなら、助けられる。 「何があってもきみを救う。何と言われようと、きみを守ると誓う」 その呼びかけは、ヒクイドリに動揺をもたらしたようだった。 炎がわずかに弱まる。 「俺は、君の家族にはなれない。だって、家族というのは時間を経て、ゆっくりとなるものだと思うから」 でも今、この瞬間に、俺はきみと友達になれる。 一緒に考えて、一緒に悩んで、一緒に他愛のないことを話す、友達になれる。 「私は今まで生きてきて、あなたのように切実に『愛』を求めたことがない」 ユキノが言う。 ごく自然に、気負わぬ口調で。 「家族もみんな生きてるし、友達もいる。大きな不幸に見舞われたこともない。それが当たり前だと思ってきた」 だけど。 ロストナンバーになって。 いろいろな世界に行くようになって。 いろいろなひとたちを見てきて。 ――強い愛で結ばれた絆に、憧れを持つようになった。 「どうすれば愛されるのか、私にはわからない。だから、あなたと一緒に考えたい。……それじゃだめかな?」 ACT.4■家族という旅路 「ねぇ。自分を許してあげて」 ヘルは、ヒクイドリを抱きしめる。 決して離さない覚悟で。 あらかじめギアの氷弾で腕を凍らせてはいたけれど。 それが通じずに腕が焼けて爛れてしまうかもしれないけれど。 「どうか、そう生まれついた自分を許してあげて。それでも貴方を……、ううん、それだから愛してくれる人は必ずいる」 ママやラファエルがそうだったように。 私がそうなりたいように。 家族はきっと誰かに与えられるものじゃなくて。 少しずつすこしずつ、そうなっていくものだから。 ヘルの手に、優の手が重なった。 「君は今、ひとりで孤独に業火に焼かれて苦しんでいるわけじゃない。俺たちがいる。シルフィーラさんも心配している。ここにいる皆が、君が救われることを祈っている」 ユキノもまた、炎の中に手を伸ばす。 「傷つくことを恐れてはだめ。そのひとの痛み、悲しみ、全部ひっくるめて受け入れなきゃ」 ……それが真実の愛なのか、私にはまだわからないけれど。 「畜生。ちくしょう。チクショー!」 なおも繰り出される炎の刃。 しかし、やがて。 炎は……、散っていった。 まるで柔らかな絹の糸が、宙に溶けるかのように。 * * 一行の前に、ひとつの卵が横たわる。 「とりあえず」 ロウはあくまでも淡々と、卵となった迷鳥に話しかける。 「まずは自分自身を肯定し、良いところを見つけなければ。……ええと、足が速い。この中で一番早いはずだ多分。あとは、たったひとりで他者と関わることや解決法を探すことを諦めずにいられた強さかな」 たぶん、優しいのだろうな。 誰かと共にいたいと思い、怪我をさせるのも周囲を焼くのも嫌だと言っていたのだから。 * * 「彼の名前を聞いておきたかったんだけど」 卵を抱き上げ、優が苦笑する。ヘルがシルフィーラを見た。 「この子の《親》になるひとに、つけてもらえばいいんじゃないかしら。貴女だったらいいママになれると思うんだけど、ね、シルフィーラ?」 「そうね」 シルフィーラは卵に手を添え、くすりと笑う。 「私が引き取ろうかとも思ってましたが……、アルフォンス皇太子に育てていただくのも良いかもしれません。アルフォンスさまもまだまだお若いので、一緒に成長していくことができるでしょう」 ヒクイドリの雛は、孵化した瞬間から、慈しみ深い保護者に恵まれるだろう。 そしていつか、生まれるに違いない。 ゆっくりと時間をかけて、新しい《家族》が。 ――炎の迷宮が、消えていく。 「一般的な家族のことはよくわからないが」 晩秋の風景を取り戻した霊峰ブロッケンを見やり、ロウは呟く。 「誰が親になるにせよ、同じものを食べ、ともに悩み、ともに笑うのを繰り返していくうちに――家族に成るのではないか?」 ――Fin.
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