トラベラーズカフェでコーヒーの湯気が虚空に消えるのをぼんやり目で追いながら、椅子に深く腰掛け考え事でもするかのように腕を組んでいると、彼の前で3つの人影が立ち止った。 オルグ・ラルヴァローグが視線をあげると、影の1つベルゼ・フェアグリッドが前置きもそこそこに本題に入る。「コロッセオでの戦闘相手を探してるんだろ?」 彼の言にオルグは残りの2つの影に視線を移ろわせベルゼに戻した。「俺の知り合いで腕の立つのを連れてきてやったぜ?」 再びオルグは2人に視線を投げる。「はろはろーん」 チェガル フランチェスカが人懐っこい笑みを浮かべてひらひらと手を振って見せた。 もう1人ネイパルムはといえば睨みつけるようにオルグをじっと見据えている。こちらを品定めでもしているかのようだ。 えぇっと…オルグは怪訝そうに瞬きをしてベルゼを見上げた。「…で、なんで2人なんだ?」「俺も参加する」 さも当たり前のように言ってのけたベルゼにネイパルムが付け加えた。「2on2だとよ」 オルグはコーヒーカップの中身を喉の奥に一気に流し込むと立ち上がった。「上等だ」 ◆◆◆ かくてロストナンバー同士の戦闘訓練用に開放されたターミナルにあるチェンバー『無限のコロッセオ』へと4人は足を踏み入れたのだった。 彼らのために用意されたステージは身を隠す場所も罠を張る場所も数多あるコンクリートジャングル。 オフィスビルが立ち並ぶ都会のようだがもちろん人はいない。当然、好きなだけ暴れていいしビルを全て瓦礫に変えて戦い易い場所を作っても構わない。逆にオフィスにある机や椅子をバリケードに使ったりその場にあるもので武器を作ってもいい。 ルール無用持ち込み自由。どちらかのチームが2人とも戦闘不能になったら決着だ。 北側にオルグとベルゼ、南側にフランチェスカとネイパルムが立つ。 準備は万端。互いに得物を握りしめる。 一陣の風が吹いた。 それを合図に……バトルスタート!!=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>オルグ・ラルヴァローグ(cuxr9072)チェガル フランチェスカ(cbnu9790)ベルゼ・フェアグリッド(csrp5664)ネイパルム(craz6180)=========
■イニシアチブ■ 信号が青から赤に変わった。とはいえそれに従う者はない。かく言う自分自身従う気にもならなかった。人もなければ車もないのだ。まるで早朝の都会のようにも感じられたが、本当の都会ならば、早朝でも人の姿はあるだろう。昨夜飲み過ぎて路上で一夜を明かしたバカがその辺に一つ二つ転がっていてもおかしくない。 不思議な気分でオルグは狭い路地から目抜き通りを見やった。今のところ動くものは見あたらない。 さてと、どう動いたものか。 オルグは背後のベルゼに視線を投げた。ベルゼがこのタグマッチで自分と組んだ理由は容易に想像がつく。自分を盾にするためだろう。しかし相手は初めて見る組み合わせだった。機動力のフランに遊撃のネイパルムといったところか。スナイパーがいるだけに下手に大通りや目立つ場所には出られなかった。 「勝つぞ」 オルグの視線に気づいたのかベルゼが厳かに言った。 「ああ、もちろんだ」 軽い感じでサムズアップを返す。するとベルゼは目を血走らせ、気合いが足りんとばかりにまくし立てた。 「何がなんでも、どんな手を使ってでも俺たちは勝たねばならないんだぞ!」 こんな熱い奴だっけ、と半ば気圧されているオルグを後目にベルゼは何故だか過呼吸寸前だ。よく見れば小刻みに震えている。武者震いというやつだろうか。 「あの腐れ外道……、あん時の借りはココでキッチリ返してやらァ!」 ベルゼは握った拳を空に掲げ天に誓いをたてるように私怨のこもった声で言い放つ。 「腐れ外道?」 オルグは恐る恐る尋ねた。 「フランだ、フラン!!」 ベルゼはぎりぎりと歯ぎしりしながらその名を口にした。今にも音声化されたその名に噛みつきそうな勢いだ。どうやら彼女と彼の間には他人には想像もつかないような壮絶な何かが存在しているらしい。因縁というやつだろうか。 あん時の借りとやらが気になるが聞いてもいいのか、悪いのか。 もちろん、聞かれてもベルゼは答えなかったろう。彼にとってアレは思い出したくもない黒歴史だからだ。かくて彼は自らを鼓舞するように言った。 「いいか! 絶対あの腐女子はヘンなコトを考えてやがる! 負けたら奴の餌食だからな!」 >>> その頃、そこから1kmほど離れた上空を蹴っていたフランが、小さくくしゃみをした。 「どうした? 風邪か?」 傍らを飛翔していたネイパルムが心配げに首を傾げる。 「誰かが噂してるみたい。ふふふふふ」 フランは楽しそうに微笑んだ。 気の毒なことに、負けなくても彼女の脳内では既に毒牙にかかりつつあったことを、彼はまだ知らない。 <<< 「負けたらどうなるんだ?」 オルグは怖いもの見たさで聞いてみた。 「……それはもう、世にもおぞましい……」 そこまで言ってベルグは何故だか顔を赤くしたり青くしたりしながら横を向いてしまった。 まったく要領を得ないオルグだったが、もとより負けるつもりもない。 「まぁまぁ、大丈夫だって。俺たちなら勝てるだろ!」 オルグはベルゼの戦闘力を信頼していた。何の躊躇いもなく背中を預けられる相棒なのだ。 爽やかな笑顔をベルゼに向けているオルグに、しかしベルゼは顔を蒼白にして慌てた風に「逃げるぞ」と言いだした。 「は? 逃げる?」 動くぞ、ではない。逃げるぞ。しかし周囲に動く影はない。トラベラーズカフェで記憶したネイパルムの匂いも感じられない。にもかかわらずベルゼは見つかったことを確信しているような口振りで路地を裏手へと走り出しながら続けた。 「そういう腐女子心を擽るようなセリフには気を付けろ!」 「は?」 >>> その頃、そこから900mほど離れたビルの屋上で一度足を止めてフランはそちらを振り返った。 「あっちにいる」 「何? 本当か!?」 ネイパルムはフランの指差す方をスコープで覗いてみたが、ビル群が邪魔をして2人を捕捉することは出来なかった。 だが、フランは確信したように言った。 「間違いない。腐女子の勘がそう言ってる。ふふ、オルベルだと思ってたけどベルオルも…ありね」 「……」 ネイパルムは彼女の呪文みたいな言葉を聞きながら、この時、自分の相棒をどこまで信用していいのかわからなくなった。 <<< ベルゼの本気と書いてマジと読む、いやむしろ悲愴感すら漂った眼差しにオルグはのまれるように意味がわからないままに「ああ…」と頷いていた。 とりあえずフランという相手、一筋縄ではいかないということだろう。 「しかし厄介なのはネイパルムの方ではないのか?」 オルグは言った。フィールドがそれこそ遮蔽物のないグランドだったならともかく、こう身を潜める場所の多いコンクリートジャングルでは、向こうに地の利があるように思われる。 「確かスナイパーだったか?」 まるで、たった今思い出したような口調でベルゼは言ってからハッとしたように目を見開いた。 「えっ、あんなデケェ図体で? マジ?」 マジだった。 >>> 「ハックション!」 最近出てきた腹が気になるネイパルムが派手なくしゃみを一つした。 今は空中移動からビルの中に入っている。ガラス張りのオフィスビルの一角だ。 噂話が好きな連中がいるようね、とばかりにフランは肩を竦めてビルの窓から都会の街を見下ろしている。隠れるようなことはしていないのは、外から見るとマジックミラーのように中が見えない仕組みの窓だったからだ。 彼女の見下ろす目抜き通りに人影はない。まぁ、目抜き通りを正面から堂々と歩いてくるようなバカだったら御しやすいのだが。 「どこかの建物に入っていたら面倒ね…」 とはいえ、中に入ってしまうと機動力も落ちる。視界も限られるわけだから蟻地獄よろしくトラップを仕掛けて一所にとどまって待つようなこともしないだろう。何故ならこちらには息を潜めて敵を待つスナイパーがいるからだ。どちらも動かずにいたら埒が明かない。だから向こうは我々を捜して動くのだ。 ま、こちらも動いてるんだけど、とフランは舌を出した。 「この手のビルは狙撃には向かないな」 ネイパルムが窓枠を見上げて言った。 「どうして?」 「窓がはめ込みになっている」 「なるほど」 窓越しに撃てば居場所がすぐにバレる上に、ただのガラス窓ならともかく強化プラスティックやアクリルガラスが使われていた場合、弾道がブレる可能性もある。ネイパルムの扱うライフルは壱番世界では対物並らしいが無駄な試し撃ちをしてわざわざ相手に自分の居場所を教えてやる必要もあるまい。 「なら、ビルの中より屋上の方がいいかな?」 「或いは窓の開くビルだな。いくつか当たりはつけてあるが」 しかしその手のビルは古くて狭い。床面積が狭いと階段やエレベータが一つしかなかったりする。退避経路が少ないとその分塞がれたり待ち伏せされたりという可能性が高くなる。そもそもだ、スナイパーとは相手に気づかれずに撃ち殺すもの。相手に“いる”と知られている時点でアドバンテージは向こうにある。 「いっそ、この手のビルから探した方がいいかも。向こうもそれを見越して探してるかもしれないし」 相手が狙撃手を捜しているとしたら、その相手のアドバンテージを逆手に取る、か。 ネイパルムはスコープから顔をあげた。 「相変わらず、動くものの気配はないな」 先ほどから話している間も裸眼とスコープでの確認を続ける手は休むことがない。 「おっかしいなぁ…絶対あっちにいると思ったんだけど」 フランはもう一度目を凝らした。しかしそれらしい影は待てど暮らせど現れず、先ほどのような勘もうまく作動しない。 「ここから見える範囲には残念ながらいないようだな」 ネイパルムの言にフランは考えるように腕を組んだ。 来るまでここで待つか、それとも探しに動くか。このマジックミラーは待つのに丁度いいのだが…などと迷っている時だった。ネイパルムがフランに銃口を向けたのは。 「!?」 固まるフランにネイパルムが問答無用で引き金を引いた。動けずにいるフランを掠めるようにそれが飛ぶ。 「な…に…?」 フランはゆっくりとそちらを振り返った。黒い何かがぼとりと落ちる。それは蝙蝠のぬいぐるみのように見えた。 「まずいな…俺たちの場所が見つかった」 呟くネイパルムにフランはそれへと歩み寄る。 「これ、可愛い…。ちびベルゼくんかしら?」 フランはふふふと笑ってそれを拾い上げたのだった。 「……」 <<< ゾクゾクゾク……。 「み…見つけた」 背筋に薄ら寒いものを感じ既にいくばくかの精神的ダメージを受けながらベルゼは前を歩くオルグに声をかけた。 「ここから少し離れたビルの中にいる。と言っても既に移動を開始しているだろうがな」 「バットレギオンか」 オルグは持っていた盾代わりの机を一旦床に置いてベルゼを振り返った。 バットレギオンとはベルゼの使い魔のことである。偵察用に飛ばしていたのだが、どうやらそれが向こうを発見したのと同時に相手にも発見されたようだった。 「ああ、撃たれた」 「……大丈夫か?」 「大したことはない。急ぐぞ」 >>> 廊下に動くものの気配がないことを確認してフランが先に、その後に続いてネイパルムがその部屋を出た。 壁に背を預け換気用ダクトにまで目を凝らす。 相手はちびベルゼなるものを放っているのだ。先ほど一体をつぶしたが、まさかそれ一体だけということもあるまい。それがどこを飛んでいるのかわからない以上、迂闊に気を緩めるわけにはいかなかった。相手のアドバンテージを補うには相手にイニシアチブを取らせないことだ。 そして、恐らく他の場所にいたちびベルゼどもも集まってくるだろう。早急にこの場から離れた方がいい。 「視認に寄った策敵には限界があるな」 どう考えてもこちらの分が悪い。 「ここがただのジャングルだったら本当に不利だったかも」 フランがふと何かに気づいて呟いた。 「うん?」 彼女の呟きを半分聞き損ねてネイパルムが振り返る。 「でも、ここはコンクリートジャングル」 「どういうことだ?」 「いい方法を思いついたよ」 フランは楽しそうに笑ってそれを指差した。 「あれを使うの」 「あれ?」 「そう、あれ」 ■オペレーションモノトーン■ もしこのフィールドに人がいて、関係のない人間に攻撃を当ててしまうと自身に跳ね返るとか、そんなようなシステムだったなら、このタグマッチはもっと緊迫感があったかもしれない。より実践向きだ。 だが用意されたのは人のいない都会の街。モノトーンなコンクリートジャングル。それをただの遮蔽物と捉えるか、それとももっと別のものとして捉えるか。 人がいないからこそ出来ることがあった。 ネイパルムはフランに連れられて一つのビルにやってきた。 「ここは?」 インテリジェントビルの58階にある巨大なフロアをネイパルムはゆっくりと見渡しながら尋ねた。そこには所狭しとモニタが並んでいる。 「警備会社のオペレーションルーム」 フランは楽しそうに答えてコンソールパネルに手を伸ばした。廊下を歩いている時に監視カメラがあるのに気づいたのだ。 普段からビルの屋上で電波を拾ってネットなうしてきた経験がものをいった。まさかこんなところで役に立つとは。 人がいれば自由に使わせてもらえないだろう、揉めれば相手に自分の居場所が知れる。人がいないからこそのやりたい放題。 「さぁて、と…2人はどこにいるかなぁ?」 フランは早速モニタから2人を探したのだった。 >>> その頃、ベルゼとオルグは、フランたちがいたビルにいた。もちろん既に移動しているだろうことは想定内だ。ただ、そこから匂いを追えるかもしれないと考えたのだ。 オルグはしっかりネイパルムの匂いを覚えていた。ジャングルの中だったならいろんな匂いが混じったろう。人がいても同じだ。だが、このモノトーンなコンクリートジャングルには無機質な匂いしかない。彼の匂いを辿るのは思いの外容易だった。 向こうもこちらを警戒しているだろう、待ち伏せもありうる。オルグの手には相変わらず盾代わりの机が健在だった。もちろん、こんなものでネイパルムの弾を止められるなどとは思っていない。簡単に貫通するだろう、だが、机のどこを狙えばこちらに当たるかわからなければ、それだけで一発必中の狙撃の抑止効果には繋がる。 周囲に気を配りながらベルゼもその後に続いた。 程なくして2人は、フランたちのいる警備会社のビルへとたどり着く。 フランとネイパルムは一緒にいるのか別行動かという逡巡はない。追っているのがネイパルムの匂いだからだ。一緒にいればフランを探す手間が省ける。別行動だったら、各個撃破の好機だ。 2人はネイパルムの匂いを辿って56階のフロアに立った。整然と机が並び、パーティションがフロアを区切っている。 死角の多いそのフロアに2人は壁に背を預けながら匂いの元を探した。 と、その時だ。 光の雨が頭上から降り注いだのは。否、光の雨ではない。銃弾はほぼ直線で飛ぶがそれは綺麗な放物線を描いて飛んだ。前面を覆う机の盾をものともせずに。 矢だ。 反射的にベルゼが弾幕を張る。頭上から降り注ぐ光りを放つ矢に意識を集中。 そこに出来た彼の隙に別の光が走った。 ジャリッと音を立ててそれが止まる。 フランのバスターソードをオルグの月輪が止めていた。鍔迫り合いに互いの視線が交錯する。 「今、矢を避ける気なかったでしょ?」 「止めてくれると思ってたからな」 「そういうの…大好き」 語尾にはあとマークをつけてフランはいなすように剣を倒した。力関係が崩れ剣が横に流れる。その流れに逆らわずフランは軽やかに一転した。オルグの横っ面を襲う彼女の尻尾が空を切る。 オルグが攻め込まずに一歩退いたからだ。 ネイパルムがいつ撃ってくるかわからない。まだ、どこにいるかわかっていないのだ。 互いに出方を伺うように間合いをとった。とはいえ、止まったら撃ってくださいと言ってるようなものだ。 その証拠に問答無用でベルゼのヴォイドブラスターが唸り声をあげた。アルデバラン――目にも留まらぬ13連射の貫通弾がフランの盾を蜂の巣に変えようとする。 フランはパーティションを蹴倒しながら電磁加速した。 「なんでベルゼそんなに怒ってるの?」 不思議そうなフランにベルゼは答えるでもなく一歩退く。オルグの剣から放たれる光の刃。それを避ける場所を読んでベルゼが再びアルデバランをお見舞いする。有無も言わせぬ勢いのベルゼに内心で肩をすくめつつフランが言った。 「もしかしてアキバでのアレの恨み? いいじゃんツンギレ系で時々デレる女装メイド! 可愛かったじゃん!」 ブチッ。フォントサイズ80Pの極太ゴシック体という大音量でそれは鳴った。 フランの言葉にベルゼは亜光速の速さでキレたのだ。今のベルゼならカーボンナノチューブだって簡単にブチっと引きちぎれそうな勢いだった。 語られてはならぬ黒歴史。「じょそうめいど?」とオルグがクエスチョンマークを浮かべている。 想像するんじゃない……というか。 「デレてないっ!!!」 ベルゼは絶叫しながらフランに襲いかかった。 フランはそんなベルゼに挑発するような笑みを向けている。「捕まえられるものなら、捕まえてごらんなさい」ってなもんだ。 短気なベルゼは完全に頭が沸騰状態だ。彼には前回の借りを返すという大いなる使命があったのだ。 「待て!」 というオルグの制止の声は彼の右耳から入って左耳に抜けた。 フランが何の躊躇いもなく、ガラス張りの窓ガラスを叩き割り背中から空に向けてダイブする。 「逃がすか!」 ベルゼは自らの羽を広げてそれを追った。 外に出たら、相手の思うつぼだ。ネイパルムはどこにいる? オルグは窓の傍まで走った。高さ約170m。 「もしかして飛べないのは俺だけか?」 その時、向かいのビルの窓が光ったような気がした。 オルグは周囲を見回す。火災時緊急避難用スライダーがあった。と言ってもこの高さだ。それは地上まで続くものではなく、隣のビルに逃げ込めるようになっている。 それが既に隣のビルの接続されていた。つまりネイパルムはフランを囮にこれを使って向こうに移動していたというわけだ。 オルグは何の躊躇いもなくゴム製スライダーの中へ飛び込んだ。 刹那。 匂いがした。ネイパルムの匂いだ。オルグはスライダーの入口を見上げた。そこではちょうどネイパルムがハンドグレネードのピンを抜いたところだった。 さきほどの向かいのビルの光はフェイクか。 オルグは日輪をスライダーに突き刺し滑りを止めると身を横にそらした。ハンドグレネードが彼の傍らを通り過ぎ落ちていく。ピンが抜かれてから5秒足らず。ハンドグレネードが爆風と共に鉄片をばらまいたときには、オルグは突き立った日輪の柄を足場にスライダーを駆けあがっていた。 スライダーから出るとネイパルムが窓の下にライフルの銃口を向けていた。ほぼ自由落下でフランを追うベルゼを狙っているのだ。 「させねぇ!」 オルグは月輪の切っ先をネイパルムに向けた。光の刃が光と同じ速度で放たれる。 オルグの声に反応したネイパルムは既に動いていた。だが掠めた光の刃が彼の強靱な鱗に傷を作る。 オルグは月輪を納めると机を蹴った。銃撃を見切るような器用な真似は出来ない。だから、一歩毎に走る方向をランダムに変えて間合いを詰める。左手が先ほどのスライダーを掴んだ。開いた右手はネイパルムに向けられる。その翳された掌から放たれたのは黒い波動。 だがネイパルムもライフルを捨てて走り出しながら大きく息を吸い込んでいた。炎を纏ったブレスが黒い波動を巻き込む。 赤い炎と黒い炎が互いを燃やさんと渦巻くのを横目に、弧を描いたスライダーから日輪を回収したオルグがネイパルムを襲う。 ネイパルムは一度息を吐ききったため、すぐに次の炎を吐けない。バックステップで距離を保ちながらリボルバーを構えたが。いかんせん二足歩行の移動は苦手な上に、既にこの距離では照準を合わせて撃つツーアクションの銃よりも、照準を合わせながら斬る、或いは投げる、その動作がワンアクションで済む短剣の方が速かった。 ただ。 間に合った。 肺いっぱい息を吸い込めなくてもいい。一瞬さえ作れれば。 オルグのオレンジ色の剣が金色を帯びて走る。 ネイパルムは体重を背に預けるようにして息を吐いた。 目くらまし程度に放たれたネイパルムのファイアーブレス。 日輪、いやその刀身に触れるものを全て焼き付くす業火の剣には確かな手応えがあった。 <<< 一方、その少し前。 フランとベルゼはほぼ自由落下での空中戦を繰り広げていた。約170mの高さを自由落下、単純計算すれば6秒足らず、空気抵抗を入れても10秒もあれば地上に到着するだろう短い時間。 フランが自由落下を続けるから、それを追うベルゼも必然的に自由落下していた。まさかその背をネイパルムが狙っているとも気づかずに。いや、ネイパルムの存在を彼は綺麗さっぱり忘れていた。匂いはあそこにあると言っていたし、オルグが何とかするだろう、と思っていたんだと後に後付けの理由を語っているが、この瞬間は実の所、頭に血が昇っていただけである。 フランが両手を広げた。 手には何も持っていない。多彩な武器を使う彼女が獲物を全て手放したのだ。 何を仕掛けてくるのか。 いずれにせよ下から上へ攻撃を仕掛けてくるのだ。たとえ中距離攻撃でも、重力の分、上にいるベルゼの方が有利なはずだった。 ベルゼはその手にドラムの槍を具現化させた。このまま真っ直ぐ落とせば簡単に射抜けるだろう。 ベルゼの背をベルゼの知らない場所でネイパルムが静かに狙っていた。 56階の窓からぶら下がった避難用スライダーが小爆発を起こす。 一発の弾丸は重力加速度を伴って走った。だが、それは放たれる直前でオルグの邪魔が入ったため距離の分ベルゼからは大きく逸れてしまった。 フランの舌打ち。 ベルゼは背後で繰り広げられる攻防に気づいた風もなく。 振りかぶった槍をフランめがけて放とうとする。 次の瞬間、フランは放電した。 「!?」 ベルゼの持つ槍はまるで避雷針のように、下から立ち上る雷を一身に集めてしまう。 ただ、ベルゼはその時には槍を手放していた。 電気を帯びた槍がフランを襲う。 だが自由落下は終わりを迎えようとしていた。地面がすぐ傍まで迫ってきていたからだ。放電した時には既にフランは次の動作に移っていた。左手を足下に翳し最大出力で雷撃を放出、鉛直方向から水平方向へと進行方向を変える。紙一重で槍が地面に突き刺さった。 ベルゼは慌てて羽を広げると急ブレーキをかけた。フランに気を取られていて地面が近づいていることに気づかず速度を落とし忘れていたのだ。危うく地面に激突するところをかろうじてかわす。これで激突してリタイアなんてことになっていたら笑えない。 フランは水平方向から目の前のビルを蹴ってベルゼの方へと電磁加速していた。 間合いを詰める気だ。 ベルゼのヴォイドブラスターが火を噴く。かわされることを計算に放ったのは散弾だ。 それを盾で払いながらフランがバスターソードを振りあげる。 ベルゼはそれを迎え撃とうとして、やめた。 何かを感じて後ろへ飛び退く。放ったのは頭上へのバレットレインによる弾幕。 フランのバスターソードがベルゼのいた場所を切り裂いた。 バレットレインが降る弾を受け止める。 そこにはネイパルムがほぼ垂直落下しながら銃の引き金を引き続けていた。オルグの日輪をその身に受けながらも窓の外へ身を投げていたのだ。だが傷は深く飛ぶこともままならない。ただ一矢報いるためか、スナイパーとしての意地か、落下しながら撃っていた。 その弾がバレットレイン絡めとる。 ――絡めとる? ネイパルムが撃っていたのはただの弾ではなかった。粘着弾だったのだ。穿たれた弾幕の穴を抜けてネイパルムの渾身の一撃がベルゼを襲う。 「っっ!!」 痛みを堪えるようにベルゼは息を吐いた。ゆっくり見下ろす。太股に弾痕。 だがそもそも彼の敵はネイパルムではない。フランがその隙をつくようにベルゼをバスターソードで地面に縫い止めた。 「ぐあぁぁぁっ!!」 ネイパルムは仕事を終えたようにそのままドスンと音を立てて地面に転がり落ちる。 それには目もくれずフランはにやにやしながらグラディウスを抜き放った。 ――オルグはどうした!? 万事休すにベルゼがフランを睨みつける。 「何か言いたいことは?」 「いっぱいあるが、どれから聞きたい?」 ベルゼは嘯いた。 ネイパルムは手傷を負っての自由落下だったのだ。オルグの移動速度を考える。空を飛べない彼がエレベーターを使って56階から下まで降りてくるのにかかる時間。 だが、フランにはそれを待つ義理もない。 「医務室でゆっくり聞くよ。…それとも聞かせてあげる、かな? オルグっていいよね。筋肉引き締まってるし」 語尾にはあとマークを付けて既にうはうはのフランの目にはオルベルの文字しか映っていないらしい。 ベルゼは内心でガクブル状態だった。もちろんそれは振りおろされるフランのグラディウスに対してなどではない。このままフランの玩具にされていいのか、と自分に問う。オルグ…腐らせて、すまん。私怨に走って彼を巻き込んでしまったことをほんのちょっぴり反省しながらベルゼは最後の抵抗でもってフランをにらみ付けた。 キン!! そこに金属がぶつかる涼やかな音が2人の間を割って入った。 「!?」 フランのグラディウスが弾きとばされたのだ。 フランは自分の短剣を弾きとばしたものが飛んできた先を振り返った。 そこに日輪を翳し自由落下してくるオルグがいた。 なんて、無茶を…とベルゼは内心で呟きながらもそちらを振り返らなかった。わかっていたのだ。オルグがこの現状に間に合うにはこれしかなかった、と。 まるで狙いすましたかのようにネイパルムをクッションにして多少衝撃を和らげつつ落下、そのままネイパルムの隣に転がって動かなくなったオルグを、呆気に取られたように見ていたフランに、ベルゼは静かにヴォイドブラスターの引き金を引いたのだった。 ――決着!! ■大団円■
このライターへメールを送る