司書の黒猫にゃんこ――三十代のスーツ姿の黒は重々しいため息をついた。「依頼を受けた者たちが健闘し、世界への影響はなんとか防いだが、仕留め損ねたワームが現在、暴れている」 世界樹旅団の侵略名「夢の上」は――インヤンガイで育てた中型ワームを放つという作戦。その作戦には複数の旅団が関わって世界への悪影響を与えたため世界図書館はそれを防ぐために戦ったが、その隙をついてワームが放たれてしまった。「そこで、お前たちにはワーム退治を頼む。こいつは放たれた地区の人間、建物を無造作に襲っている。中型である以上、かなりの苦戦を強いられるだろうから心してかかってくれ」 ワームは、地中を移動し、獲物を匂いで見つけ出すと無数の触手と牙を伸ばして食べにかかる……その姿は壱番世界でいうところのラフレシアとイソギンチャクが合わさったような醜い化物らしい。「こいつは地中から引きずり出す必要がある。もし、捕まって地中に引きずりこまれたら危険だからな。出来ればこの地区にいる者たちの避難もさせたいが」 政府がほとんど機能しておらず、マフィアたちも不仲であるため現地人を混乱させず、避難させるかというのは難しい課題だ。「マフィアであればヴェジーナと鳳凰連合、それに彼らと同盟を結んだ美龍会を使うことができるかもしれない。そこはお前たちのやり方に任せる」 黒猫にゃんこは真剣な顔でその場に集まった者たちを見た。「そして、今回、黒埼壱也の身柄をこちらが保護することに成功した。とはいえ、今はインヤンガイのヴェジーナのアジトにいるが……彼はクランチの部品を埋め込まれている。まだ爆発しないというのを見ると、爆弾はすぐに爆発しないのかもしれない。……彼から聞きしてくれ、そして、出来ればターミナルで保護できればと俺は考えている。むろん、お前たちのなかには彼を快く思わない者もいるだろうが、報告によると黒埼壱也も好きで侵略に手を貸していたわけではない。それに、部品の詳細を聞きだすチャンスだ」 これは曖昧な予言だが、と慎重に言葉を選んでつけくわえられた。「もし、保護に失敗すれば黒埼壱也は殺される……と出た。それには旅団が持つスイッチというものがかかっているらしい。壱也の体内にある部品も無理やり出そうとしたり、スイッチだが破壊したりせず、奪い取らなくてはいけないようだ」☆ ☆ ☆ 黒い衣服に全身の至るところに刺青が彫られた男は周りから聞こえる悲鳴や破壊音のなかを場違いなほどゆっくりと歩いてある建物についた。「まったく、めんどくさいことをクランチも命令してくるもんだ」 ぶつぶつと文句を口にしながら男が建物のなかにはいるとがらんとした空屋にビキニアーマーに大剣を持ったハングリィが立っていた。「ホワロ? クランチから援軍を寄こすっていってたけど……あんた、黒埼の知り合いの学校を襲って、ものすごく恨まれてなかった?」「報告に来たゴーストのやつが義務は果たしたとぬかして、いまはカワイコちゃんにべったでよ、その皺寄せがきたんだよ。黒埼を見つけ出せと、最悪、これも使えと言われた」 ホワロが差し出したのは黒いスイッチだった。それはクランチの部品に存在する機能――裏切った場合は、爆発させて殺すためのスイッチだ。 クランチの部品は万能に見えて、欠点がある。 疑りぶかいクランチはほとんどの場合、部品を与える者に爆弾等の裏切り防止機能をつけるが、それを発動させるにはスイッチが必要なのだ。また、スイッチは同じ世界で発動しないと効果がない。 クランチはその欠点を巧妙に隠蔽し続け、部品を与えた者を操ってきた。 今回、クランチは園丁からの命令で別の任務に動いているため直接動けないため、黒埼の処理を他の者に任せるしかなくなったが、それはある意味、幸運といってもよかった。不要と分かればすぐに切り捨てるクランチならばすぐに黒埼を殺すための爆弾のスイッチを押しただろうが、他の者に指示するとなると即処分というわけにもいかない。 連れ戻すことが不可能ならばスイッチを押せ。 曖昧に濁しているが、処分しろと言っているようなものだ。「まぁ、命令は果たすさ。無理そうならさっさと殺しちまえばいいしな。下手なことをしゃべられるわけにもいかねぇし。俺と、もう一人、乱子がその任務にあたるがお前はどうする?」「一緒に行くわ。ただし、世界図書館の連中がいれば私は奴らを殺す。あんたたちは壱也の回収に行きなさい」「……そうか、がんばってな」 慣れ合うつもりのないホワロはさっさっと建物から出ていくと、そこにはバイクの前に髑髏のヘルメットをもった黒髪の巫女が佇んでいた。「戦いは嫌いだっていってたのに、今回は自分から乗って来たな。乱子」「友が死に、多く失いました。このときがくることを私たちは恐れながらも予感しておりました。……ですから、恨んではいません。ただ、私も旅団の一人として、最後まで役目を全うします」 乱子は髑髏のヘルメットをかぶると、バイクに跨る。ひゃーはー! と奇声とともにエンジンを吼え、周辺に炎が舞い踊る。「ふん、いつもながらヘルメットつけると残念な女だな。まぁいいさ。……終わらない夢なんざ、ただの悪夢だ。さっさと終わらせようぜ」
帰還した者たちからの報告により、インヤンガイに第二隊が出発した。 第一隊の奮闘の結果、旅団も態勢を立て直すためすぐには攻め込んではこない、半日の猶予があると司書は予言した。 まだ太陽が照らす午後。 ヴェジーナのアジトに到着した第二隊はそれぞれの用意を開始した。 「貸しじゃねぇ、貸してくれッて言ってンだ!」 執務室にジャック・ハートの怒声が響いた。同席する百田十三の顔は険しく、その隣に座るセリカ・カミシロは浮かない表情でそのやりとりを見守っている。 街のなかで戦うことを回避することが不可能だとすれば現地人を巻き込むことになる。それならば彼らを避難させておいたほうが心おきなく戦うことが出来ると判断し、協力を仰げるマフィア組織に頼むことにしたのだ。 鳳凰連合のフォン、ヴェジーナのハワード、美龍会のエバの三名とジャック、十三、セリカが対峙する。 「街のヤツらを逃すのと、黒埼を助けるのをナ!」 「カルナバルでの褒賞としてお前たちの力で街の人間を助けてやってくれ、頼む」 フォンは冷淡だった。 「カルナバルの褒賞というが、あれはお前たちの尻ぬぐいを自身でしてもらったに過ぎん。我々は所詮損得勘定でのみ繋がり。旅人よ、お前たちの持ってきた薬のせいでこちらがどれだけ被害を受けたか忘れたわけではあるまい。聞くところによるとあの青年はこの事態の元凶だろう。なぜ、わざわざ助ける」 「ンだァ? テメェらの抗争に今まで誰も巻き込まなかったッて言えンのか! 生きてりゃ、必ず何かに巻き込まれる、敵も味方も必ず生まれる。なら身内や仲間、守れるモンは守るだろうが! 違うかァ!」 ジャックが牙を剥く。 「現地民が殺されるのはそちらにとっても損ではないのか? 街のなかに地中を自在に移動するイソギンチャクが複数いると思ってくれ。たぶん振動で餌となるものを判別しているのだろう。皆を街区外へ急ぎ避難させてほしい。土地勘がないので地図か何かあれば渡してくれないか、出来る限り被害を出さないように戦いたいのでな」 「お願いします。考えたんですが、マフィア同士の抗争があるから危険と判断すれば、みんな逃げるんじゃないんですか?」 十三、セリカの提案にフォンは首を横に振った。 「甘い。ここが危険な理由として争いを出せば他組織がでしゃばってくる可能性もある……お前たちの行動がお前たちの信念ならばそれでもよいが……お前たちは何を抱え、その胸にある虚ろを満たす? こんなことでは決して満たされないことはお前自身、もう気がついているだろう? その穴はお前たち自身の業であり、弱さと自覚しているか?」 フォンは笑った。 「ハワード、エバ、お前たちの動かせる駒は? ……では、ハワード、ここ以外の地区のデパートで安売りをしてくれぬか? そうすれば、住人たちはそちらへに勝手に移動してくれるはずだ。エバは若いのを使って貧民の移動を、病院などの施設も頼む……決して化物がいることは悟られぬな、パニックを起こしては困る。私が別組織の交渉に行こう」 フォンは懐から携帯電話を取り出すと、十三に投げた。 「そのなかにデータとして地図がはいっている。紙類よりも、こちらのほうが使いやすいはずだ」 「助かる」 「礼はすべてが終わってから告げるものだ。あとほかには?」 「敵の能力が分かンねェ。悪ィが黒埼のヤツに防弾チョッキを貸してくれ。それと……テメェらもさっさと他助けて逃げろヨ」 ジャックの言葉にボスたちは顔を見合わせて同時に吹きだした。 「アアン、なんだァヨ!」 「いや、すまない。つい、ああ、本当につい」 「俺のところの若ぇのと同じくらい可愛いぜ! フォン、コイツ、くれよ」 「ハワード、エバ、笑っては失礼……くくく……! ああ、睨むな。意地の悪いことを言ったが、個人であれば、お前たちのことは嫌いではない、感謝もしている。貸し借りなんぞ可愛くないことをいうのでいじめたが……壮大に貸してやるから、無事に戻っておいで、そうしたら酒でものんびりと飲もう。ジャック、十三、セリカ……本当に、こんな愚かなことはさっさと終わらせたいものだ。どんな結末にしろ」 屋敷の一番奥の質素な部屋に匿われている黒埼壱也は保護されてからずっとベッドで眠っていた。疲労が蓄積されているのか目の下には隈がくっきりと浮かび、ひどく衰弱しているのはときどき零れる咳と額に浮かぶ汗から見ているものにいやというほどに感じさせた。 リーリス・キャロンは白く細い手をとると、自分の精気をわけ与えた。その赤い瞳はいつものような輝きはなく、壱也を見つめていた。 「ごめんね、本当は皆に見つからないように匿って壱番世界に連れて帰ってあげたかったんだけど、ばれちゃったし、追っ手も来たみたいなの。この地区の人たちを避難させたらロストレイルに逃げ込もうと思うの。だから一緒に来てくれる?」 聞こえているかいないのか、壱也は目を閉じたままだ。 「あの、黒埼さん、いいですか? 私、吉備サクラと言います。幻覚使いなのであまりお役に立てないかもしれませんが、黒埼さんを守りに来ました。宜しくお願いします」 壱也の体調のことも考慮して出来る限り小声でサクラは自己紹介すると、深々と頭を下げて挨拶する。 その横では病人の前でもおかまいなしに黄金の煙管を吹かした黄金の魔女が問いかけるような視線を送る。 「弱い人間ね。私はそんなものには興味がないわ」 ふぅとため息のような紫煙が漏れる。 「只、その弱い人間に如何程の価値があるのか、そこに興味が引かれたのだけど……起きているなら答えなさい。弱い人間、今ここの状況は貴方を中心として動いている。それほどまでに皆が執着している貴方の価値とは何?」 ふぅとまた白い紫煙が漏れる。 「あの、やっぱり病人の前では煙草はだめだと思うんですけど」 「構わないよ。別に器官が弱いわけではないから」 サクラの声に不意に静かな声が割り込んだ。 全員が注目するなか壱也はゆっくりとリーリスの手を振りほどいて起き上がった。 「今更、気を使ったところでたいした意味はないし……リーリス、サクラ、それであなたが」 「黄金の魔女」 「そう。先ほどの質問だけど、価値は本人が決めるものではなく、他人が与えるものだから俺に答えようがない……サクラさん」 「はい?」 「あなたのここにいる考えを答えてあげて。この人は答えが知りたいらしいから」 「え、ええ、私ですか?」 サクラは自分を指差してもじもじと困ったように俯いたあと 「私は……黒埼さんの誰かを護るために強くなりたい気持ち、とってもわかる気がします。けど、クランチさんは違うって思うんです。普通、力を与えてくれた人に感謝して協力したいって思うはずですよね? なのに脅して思い通りして、心を踏みにじってる……私はそんな人には負けたくない、そんな爆弾に人を殺されたくない。だから私はここに来たんだと思います」 リーリスはにっこりと笑った。 「私はね、ここでお兄ちゃんが死んだら、クランチがあかりおねえちゃんや真人おにいちゃんに近づいて、それで言葉巧みにとりいって、復讐をそそのかした結果、爆弾を埋めかねないでしょ? それが嫌なの」 黄金の魔女は黙って煙管を吹かす沈黙のなかサクラは思い切って声をかけた。 「あの、私、リーリスさんと壱也さんをロストレイルに運ぶのをお手伝いするのに、鼠の幻覚を被せようと思うんです。私はそれくらいしか思いつかないけど、黒埼さんなら他にも生き残れる確率があがる方法を思いつくかなって思うんです。もしあるなら教えてくれませんか? 攻撃は庇えると思うんですけど」 「……旅団に引き渡せばいいだろう」 「それは……旅団は黒埼さんの爆弾を使ってしまうと思います……司書がそう予言したんです」 その言葉に壱也の顔に動揺が走った。 「スイッチさえ手に入ったら、ここに残る方が安全かもしれないわ」 壱也が旅団に属し、侵略に手を貸す経緯をある程度とはいえ察しているリーリスは言葉を選んだ。これで彼が完全にクランチを見限ってくれることも期待して。 「……そうか。無力な俺は切り捨てられたのか」 サクラは咄嗟に両手で壱也の手を握りしめていた。このままでは彼がどこか別のところに行ってしまいそうに思えたから。 「無力じゃありません! まだ、黒埼さんは生きてます。出来ることはあります。ある筈です。見つけましょう、みんなで! 諦めないでください」 「お兄ちゃん、選んで。私たちのことを信じるのか、どうなのか」 「今更」 壱也が吐き捨てる。 「生きろと?」 「お兄ちゃんが死んだら、残された二人はどうなるの? 頭いいんでしょ! なら、わかるわよね! 二人はお兄ちゃんが守りたいって思うくらいに、守ってあげたいって思ってるんだよ!」 リーリスが叫んだ。 いつもなら精神感応をしてどんな言葉がほしいのか、どんな態度をとるべきなのかを察するが、壱也の能力を考慮してあえてしていない。 同行者たちには細心の注意を払って精神感応と魅了をしているが、もしここで彼らが壱也を殺すなら敵対しても彼を守る覚悟があった。 なぜ、だろう。 壱也が単体ではとても弱い、けど面白い存在。だから助けようと思ってしまうのだと、思う。 本当はここなら優しく宥める言葉をかけるべきなのに、気がついたらリーリスはまるで塵族のように感情に任せて言い返していた。 リーリスの赤い瞳と壱也の目が見つめ合う。 「弱い人間、あなたの言った問いの答えがここにあるみたいね。言葉にすると陳腐だけど、他の人間も死んでほしくないから、それ故にそれぞれの理由からあなたに求める価値がある……もしくは、自分たちの価値のため? なら、あなたはそれに答える義務があるわ」 有無を言わせない言葉に壱也は黙った。 答えを求める黄金の魔女の眸が、 リーリスの迷いと戸惑いの眸が、 サクラの祈りと決意の眸が、 「……君たちは忘れている。覚醒すればいずれは忘れられる。俺は二人に俺のことを忘れてほしい、黒埼壱也を消してしまいたい……人を殺したことも、ここに至るまでのすべてを後悔していない。償えというなら君たちのしたいようにしてかまわない」 投げやり、とは少しだけ違う、諦念の声が淡々と告げると手を差し出したそこにはスイッチを存在した。 全員の顔が強張る。 「これは」 「たぶん、部品のスイッチだ。気がついたらこれが手のなかにあった」 三人は視線を交わす。今回の依頼の参加者たちで未だに特定できていない旅団員たちに接近し、これを盗みだせる者がいるのか思い出そうとして、ふと疑問が生じた。 「私たち九人だったよね?」 「そうでしたっけ?」 「……どういうことなのかはわからないけど、スイッチがある以上、あなたは死なないってことね?」 「これが本物ならば、ね」 壱也は自分の左胸を気にするように手で撫でた。 「これが本物である証拠はない。誰が渡したのかもわからない。ただの混乱の種が増えたというだけだ」 「だったら、それをスイッチ以外の物に変えればいいんじゃないかしら? たとえば黄金に」 「そんなことをしたら誤差を起こして爆発するだけだ」 黄金の魔女の提案を壱也はあっさりと切り捨てた。 「君たちは、これをどうしたい」 「どうって」 壱也は笑ってサクラにスイッチを投げた。サクラは慌てて両手でスイッチを握りしめる。本当に小さい、両手で握りしめる程度の大きさだ。見ればごくありふれた接点切替式のスイッチで、ひっくり返すと剥き出しの赤と黒の配線が見えた。 「これ、どこに繋がって」 「オイ、協力とりつけたゼ、黒埼、テメェはこれをつけろ」 ドアを勢いよく開けて入ってきたジャックが防弾チョッキを投げる。 「あの、これ、どうしましょう」 「それは?」 「まぁ、まるでリモコンみたいですわねぇ」 サクラが差し出したスイッチを見た十三が眉間に皺を寄せた。その横にいる死の魔女も十三に寄り添うようにしてスイッチを見つめる。 リーリスがかいつまんで説明するとジャックは鼻を鳴らした。 「ハッ、ようはコイツとこれもついでに守ればいいって事だろうォ?」 「あらあら、まぁまぁ、誰か知りませんけども、面白いプレゼントですわ! ケラケラ、ジャックさんのいうとおりですわねぇ。……まったく、ワーム退治に現地人の避難、壱也さんを守って旅団をコテンパンにする。もう本当に嫌ですわ。やることが多いでいこと! 皆殺しにしてしまえば簡単ですのにね!」 サクラが顔を強張らせる。十三が無言で窘める視線を向けると死の魔女はまたケラケラと笑った。 「まぁまぁいやですわ。私、ちゃんとみなさんに従うつもりですわよ? 守るのでしょう?」 「は、はい。黒埼さん、ね!」 サクラが微笑みかけると、壱也は防弾チョッキを手で撫でていた。 「あなたたちが守るというならば、そうしてくれて構わない。いつ捨てられていい」 「お兄ちゃん!」 「どうせここで死んでも俺の目的は……!」 「いい加減にしやがれッ!」 ジャックが壱也の胸倉を掴み、真っ向から睨みつけた。 「いつまで逃げてんだァ! テメェは待ってるヤツがいるんだろう! やっちまったことは仕方ねェ、背負うしかねェだろう! 俺らはテメェを殺させねェ、守ってやる。それは俺らのしたいことだ。生き残ったあとはテメェ自身で選べ!」 乱暴にベッドに投げられた壱也は咳き込んで、ジャックを見た。 「自己満足もここまでくると立派だね。……スイッチを持っているはハングリィ以外だ。彼女は俺を攻撃は出来ない」 「どういうことだ?」 十三が問う。 「俺の能力は精神に繋がって力を引き出すものだから、一度繋がった相手は俺を本能的に守ろうとする。キャンディポットのときは効き過ぎて彼女は俺に依存したが……クランチが部品を任せる可能性があるのはゴーストだけど、アレはナラゴニアに残してきた子のことを気にしていたから……クランチが今の段階で自由に動かせるのは、たぶん、乱子とホワロ。乱子はシルバィたちと親しくしていたし、ホワロは俺の繋がったことは一度もないから」 「二人の能力はわかンのかァ?」 壱也は首を横に振った。 「乱子は炎を使う程度しか、ホワロはまったくわからない。彼はクランチの命令を影で実行する人間で、あまり表舞台に出てこない。俺自身、以前、壱番世界のことがあって避けていたから」 「クランチは、こういう事態のためにわざわざそういう人を作っておいたんだね」 リーリスが呟く。 「じゃあヨ、ハングリィのヤツは壱也の追っ手にはならねェ……ワームのほうにも旅団がついてんのか?」 「シルバィが死んで激情に駆られた彼女がそのままこの世界を去るとは考えづらい、ワームをある程度操作するには近くに見張る者がいるから……俺を殺すことが望めない以上、彼女はワームの傍にいると思う」 「その情報、他のヤツにも言っておいたほうがいいナ」 部屋を出ていこうとするジャックを壱也は目を細めて見つめる。 「待って」 「アン? なんだヨ?」 「ありがとう。……忙しいのに引きとめて悪かった。すこし、休ませてもらっても構わないかな? ひどく、疲れた」 ジャックが情報を別室で待機していたネイパルムとレナ・フォルトゥスに伝えると 「だったら、悪いがあんたのテレパシー能力を借りられないか? 無線はあるが、敵の位置をお前らと共有しておいたほうが俺はなにかと都合がいい」 スナイパーであるネイパルムは真っ向からの戦闘には不向きだ。彼自身もそのことを理解しているので今まで銃の手入れをしながら十三が手に入れた地図を頭のなかに叩きこみながら数か所のポイントを発見し、そこから頭のなかで数パターンの戦闘のイメージをシュミレーションしていた。 「でしたらあたしのテレポートも少しは役に立つかもしれませんわ。飛んで移動するよりもはやく動けますから」 レナは別室で魔法カードを用意していた。これならば即座に魔法が使え、またレナでない者も彼女の魔法の効果を使用することが出来る。 「そうだな。ん? おい、セリカ、お前も頼めないか」 ネイパルムの呼び声にドアから廊下を歩くセリカが見えたが、彼女は思い詰めた顔で歩いて行ってしまう。 仕方なくジャックが追いかけてその肩に触れると、びくっとセリカは大きく震えた。 「あ、え? なに」 「確かテレパシーの力があッたよナ? それを貸してくれとヨ」 「……わかったわ。私でよければ協力する。じゃあ、地下でぎりぎりまで訓練したいから」 セリカは気丈に微笑み、すぐに背を向けて歩きだした。 「おい、セリカ、待てヨ」 「なに、ジャック」 肩を掴んで引き止めるジャックにセリカは疲れ果てた顔で応じた。 リーリスとセリカは大怪我を負って帰還を余儀なくされた仲間たちとは別にインヤンガイに留まることを選択した。壱也のこととともに旅団の動きを警戒する者が現地に待機していたほうがいいと考えての配慮だ。しかし、セリカの場合はここに自ら残ることを志願したのは責任からだった。 「休んでンのか、お前」 「大丈夫よ」 「オイ」 「ほっておいて! ……ごめんなさい。けど、私、ワームを仕留められなかった。私自身の甘さのせいで」 ここ最近、セリカは眠れない日々が続いていた。目を閉じて浮かぶのは死んだ者の顔。誰も助けることが出来なかった。それは悪夢となってセリカを責め続ける。 「私、間違えてばかりだわ」 きぃの羽化に失敗したが、救いたくて手を伸ばした。なのにきぃの仕掛けた罠にはまって殺すことになってしまった。ムカデはセリカをままと言いながら狂い笑った。フウマの涙が ここから逃げてしまうことは許されない。逃げてしまったら夢はずっとセリカを追い続け、苦しみ続けることになる。 「それはテメェだけが背負うモンじゃねェだろう」 「ジャック」 「俺や、リーリスもいただろうがヨ」 折れてしまいそうになるセリカの心に気がついたジャックはぎりぎりのところで掴んで立たせてくれた。 けど、セリカは自分で立ちたい。立たなくちゃいけないのだ。 「もう、死はたくさんよ。誰かを殺すのも、殺されるのも……私は戦うわ。ワームと」 「そうかヨ」 「ジャック、ありがとう。私、いつもあなたに背中を叩かれているわね」 くすっとセリカが笑うのにジャックは仕方なさそうに肩を竦めた。一見ぶっきらぼうなジャックが背を預けて戦う者としてとても頼もしいことを知るセリカは、ここ数日覚えなかった安堵を感じることができた。 ☆ ☆ ☆ 世界樹旅団のホワロは不思議そうに懐に手をあてた。 ここにスイッチはある。けれど 「……これは……」 バイクに跨り、ホワロを待っていた乱子は気がついた。 「あら、これは」 バイクのキーについていたスイッチ。 大剣を握りしめていたハングリィは不意に足元に落ちているそれに気がついた。 屈みこんで拾い上げたスイッチを握りしめて笑う。 「みんな、殺してやる!」 なぜかスイッチが転がる。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ…… どのスイッチも接点切替式の単純な構造で、裏を見れば赤と黒の配線が並び、途中で途切れている。 その空間は何かに繋がっているのか。 たとえば誰か、 もしくは魂に、 ぱきん。 音をたててスイッチが割れる。 まるで魂が破壊されるような不吉な音。 これによって誰かが爆発したかもれしない。 死んだかもしれない。 それを嘲るように笑う声がどこからかした。そう、誰もいないのに、どこからか…… ☆ ☆ ☆ 太陽が完全に沈む少し前、リーリスは誰よりもはやくアジトから飛び立ち、ここら一帯の地区にあるすべての建物を見下ろせる空中まで飛んだ。 魅了の力を最大するために目を四つにして、地上を見下ろす。 赤い目が最大限に輝く。美しく、優しく、目に見える地上を包むように。 ……ねぇ ……愛しい者と逃げろ ……ねぇ ……弱い者と逃げろ ……庇って ……連れだって ……今日一日、ここは無人の地となる! これでよしっと、リーリスは満足げに微笑んだ。リーリスの魅了は目が見る範囲で効果を最大限発揮したはずだ。それに鳳凰連合やヴァジーナの手がまわっているから、人々はほとんど自分の意志と考えてここを去ったと思うので混乱はないはずだ。 「あ」 リーリスは地上を走る黒いバイクを見つけた。 「おじちゃーん、よろしくね!」 ネイパルムは思わず舌打ちした。自分から申し出たことだが、テレパシーの突然とふっと落ちてくるような違和感はどうにも慣れそうにない。 精神感応に応じてくれたジャック、セリカ、リーリスのテレパシー能力に慣れるためずっと繋いだ状態にしているが、突然声をかけられると頭がハンマーでたたかれたような不愉快さがある。 「二日酔いみたいに響きやがる!」 ネイパルムは敵の襲撃を危惧して仲間との打ち合わせが終わり次第外に出た。用意してもらったマイク型の無線機をつけると、地図で目星をつけた廃屋の屋上の真下の部屋に身を隠した。幸いにも巨体を隠すことも、我が身の赤も目立たないように黒く染めているのでなんとかなっている。 もし旅団がこちらに来た場合を考慮して、入口などに地雷を設置し逃亡ルートと別のポイントも確保した万全の状態だ。 相棒を肩にネイパルムは片膝をついていつでも撃てる体勢に入ってスコープから場所を確認する。確かに黒いバイクには二人乗っている。もう一人いるはずだ。 どこだ? ネイパルムはスコープから別の敵も探す。 「いねぇな。気配を消してるのか? ん?」 ネイパルムの目と力に範囲の制限があるジャックはわからないが、セリカはこれが彼らも見えているはずだ。現在は自分たちがリードしている。 「っても、油断はできねぇがな」 敵が視線、もしくはスコープが光に反射したせいで見つかることを危ぶんで、すぐに目を離す。三分に一度は、こうして視線を外せばどれだけ訓練した兵士でもわかるはずがない。 ふぅと深く息を吐いて、ネイパルムは再びスコープを覗く。 「奴さん、飛んでやがる!」 もう一人の敵、大剣を背負った女が軽々とビルの屋上を飛んで移動するのを見てネイパルムは舌打ちした。 「あいつ、このまま上からくるつもりか? けど、ワームは……どこだ? ……仕方ねぇ、俺は俺の仕事をさせてもらうぜ」 「来たわね」 「アァ、来たナ!」 ネイパルムと目を共通していたセリカとジャックは敵が迫っていることに気がついた。 「出発前に準備をしておきましょう」 レナは仲間たちに「メガ・パワースペル」で攻撃力をあげ、「グレート・ヘイスト」で加速の力をあたえた。 「俺らも行くゼ! 場所はわかってんダ!」 ジャックが、その場にいるセリカ、十三、死の魔女、レナを連れて空間移動を発動する。 そのときジャックは、はっとした。 なぜか一人多い気がしたのだ。 しかし、その違和感に囚われていれるのは一瞬のこと。 ジャックたちは敵の数キロ離れた場所に出た。 「……召喚、オーストリット!」 レナは懐から素早く魔力キャンディを取り出すと、それを口のなかに放り込んで舌で舐めた。そのとたんに体内からいつも以上の力が湧きおこるのを感じた。力がみなぎるままに杖を振う。杖は先端からあふれ出る魔力が空中に光の線を描き、魔法陣が完成する。そこに召喚された数羽のダチョウは不思議そうな顔をして自由に走り出した。 「袁仁招来急急如律令! ワームを誘き寄せるべく煩いほどに走り回れ! 飛囀招来急急如律令!人の歩き回る大きな音を立てて地面近くを飛べ!」 十三もレナと同じく、式神を囮にワームをおびき寄せる作戦だ。 「あらあら、まぁまぁ、これでかかるかしらねぇ」 「死の魔女」 十三の後ろに隠れていた死の魔女がケラケラと笑う。 「ふふ、私も、以前の敗北から学んだのですわ。インヤンガイの科学力を得てパワーアップした私の魔法、見せてごらんに入れますわ! さぁ、お行きなさい!」 彼女が開け放った鞄から無数の鼠たち……作戦前に見つけた死体に爆薬をいれたものを使役したのだ。強い衝撃を与えればそれだけで爆発する危険な代物だ。 「十三さんの式神さんが襲われたとき、鼠たちで爆発させるという作戦ですわ。これでしたら、あまり被害がないですわよ?」 「協力感謝するぞ。死の魔女、今回はみなと動くと決めたのか」 「あらあら、やですわ。勘違いしないでくださいですわ。私は殿方に借りを作るのが嫌なだけですわ。あなたの考え方に賛同したわけでは御座いませんことよ?」 つんっと言い放つ死の魔女は以前、インヤンガイで十三に助けられたことに恩を感じ、今回限っては己らしさをあえて抑えて十三の戦いのフォローに回ろうと決めていた。それが彼女のいうところの「借りを返す」行動だった。 思えばロストレイルを降りてからずっと死の魔女は十三の後ろをついて歩いていた。口ではなにかと危険なことも言うが、窘めれば黙り、あえて一人で行動を起こすようなこともなかった。 多少不審に思っていたが、そういう事情があったのかと、不器用な魔女の態度に十三は微笑んだ。 「では移動するが」 「もちろん、運んでくださいますわよね? まさか、非力な私を置いていくなんて言いませんわよね?」 「……仕方のない」 十三は死の魔女を背負って護法と軽身功をミックスした動きで地上から飛び、建物の壁をよじ登り、無造作に置かれた車の上と移動する。 司書の助言では地中を移動するワームならば、車や木の上であれば襲いづらいと考えたのだ。 セリカも同じく一か所に留まることは危険と考えて行動を起こす。魔法に集中するレナをジャックと共にサポートする。 「まだ、こな……!」 セリカの目が、無数の触手に囚われた憐れなダチョウを見つけた。それに鼠たちが群がって爆発するが、ワームはびくりともしない。 「いかん!」 十三が声を荒らげる。すばやく式神を呼びよせようと意識を集中した僅かな隙が生まれた。 「いけませんわ!」 「死の魔女!」 十三を突き飛ばした死の魔女がまるで紙のように一メートルほど離れたビルの壁に叩きつけられ、ぐったりと崩れる。十三は咄嗟に顔の前で両腕を構えた。すぐに骨が痺れるような打撃を受けた。 輝く大剣がさっと退き、再び振り下ろされる。 「くっ」 「させねェ!」 ジャックが空間移動で割り込み、鉈で大剣を受け止める。――重い! 予想以上の力だったのに片膝をつき、今にも首を斬りおろされるぎりぎりの状態でジャックは耐えた。 「セリカさん、魔法を撃ってください!」 「けど、効かないんじゃ?」 「いいえ。有あれば、無はありえません! 奴は何かを代価にしている……それはたぶん空腹です。それで動けなくさせれば……ワームが!」 触手の本体がいきなり飛び出してきた。それは司書から説明されたように巨大な、血の色をしたイソギンチャクのような化物だった。 ワームは憐れなダチョウを無造作に引きちぎり、頭上――そこに口があるらしい。――飲みこんだ。 しかし、ダチョウ一匹では満足せず、触手を伸ばして袁仁、飛囀を捕える。二匹の式神は身をよじり、必死に抵抗するがそれはあまりにも無力だった。 「させない!」 セリカの手が光線を放ち、ワームを撃って動きを鈍らせることに成功した。 「炎王招来急急如律令! 雹王招来急急如律令! 燃やし凍らせ全てのワームを殲滅しろ!」 十三の声に応じて新たな炎と氷を惑った式神が出ようとしたとき、ジャックを攻撃していたハングリィは大剣を引くと大きく飛んで、二匹の式神に手を伸ばした。通常の者ならば触れた瞬間に大怪我を負うはずだが、ハングリィは口を大きく開けて式神の首にかぶりつくと、まるで獣のように二匹を食らっていった。 「なんということを!」 驚愕する十三に微笑んだハングリィは腰にある袋を取り出すと、投げた。 「なンだァ!」 「これは……血か?」 ジャックと十三はハングリィの意図がわからず困惑とする。 「さぁ、ワーム! こいつらを食らえ! あ!」 ワームはぐったりと倒れたままの死の魔女に触手を伸ばして肉体に触れたとたん、魔女の体が爆発した。 「自爆!」 赤々と燃える炎にワームが癇癪を起した子供のように触手を暴れさせて悲鳴をあげるのにハングリィは舌打ちした。 「死の魔女!」 十三が叫んだ。 「なんですの?」 意気揚揚と返事が返ってきたのには驚いて振りかえると、ジャックの足元に死の魔女の首が転がっていた。 「ふふ、ジャックさん、ナイス・タイミングですわ」 「てめぇなァ」 ジャックが渋い顔をする。 死の魔女はあらかじめ自分の体内に爆弾を埋め込んでおいたのだ。元々身体は死体であるので失ってもさして問題はない。首さえ無事であるならばあとでいくらでも替えがきく。 十三はため息をつくと、首だけになった死の魔女を両手に抱えた。 「無事か、ジャック」 「ああ、腕がちょっときっついがな。てめぇは?」 「……文字を書くことは不可能ではないが」 死の魔女の自爆によって生まれた隙をついてジャックと十三はセリカたちのいる場所まで空間移動で後退した。このまま戦闘に持ち込まれては勝機はない。 「あのアマをどうにかしねェとナ」 ハングリィが守っていてはこの場にいる者たちの攻撃はワームまで到底届かない。 「手持ちが多いのはテメェだ。ワームをしばらく任せていいか? 俺があのアマをやる」 いきなり、ジャックと十三は地中に引きずられる力を感じた。見ると、ワームの触手が足を掴んでいる。 「こいつ! 俺らの場所が……!」 ジャックは気がついた。 ハングリィが投げたつけた血のせいだ。 恐ろしいことにワームは地上を歩く振動とともに嗅覚で獲物を見つけているのだ。 「ジャックと十三を離しなさい!」 セリカの片手からビームが走り、すぐにレナも魔法を唱えようとした瞬間、背後からハングリィが襲いかかってきた。ワームで誘導されたハングリィはその優れた身体能力を駆使して奇襲をかけたのだ。 「くっ! 死の魔女さん、カードを使ってください! ファイアボール!」 レナの懐に移動していた死の魔女は懐に隠されていたテレポートのカードを口でくわえるとぱっと空中に五枚、一気に投げる。カードが輝き、五人をこの場からビルの屋上に移動させた。 「このままだといずれここもばれるな」 十三が渋面で呟く。 「逃げンのは性にあわねェ! あいつら、一気に叩く、先の作戦でいくゼ」 「わかった。出来る限りハングリィとワームを引き離そう」 「ハングリィと戦うなら私も協力させて」 「後ろはあたしに任せてください」 セリカとレナが拳を握りしめる。 全員が視線を交わし頷いた。 燃える炎に灰色の煙がもくもくとあがる。 ハングリィは地面に耳をつけて振動を感じるとすぐに起き上がると口笛でワームに合図を送ったあと駆けだそうとして動きを止めた。 ハングリィの前でばちぃと雷が弾ける。 「俺ァ半径50m最強の魔術師だゼ。腹いっぱいにしてやる! サンダーレイン! ウインドカッター!」 「あら、殺されに出てきたの、馬鹿な男ねぇ!」 ジャックは背後から現れて不意打ちをする。攻撃は的確にハングリィの大剣を狙って落される。更にハングリィの体内で雷と風を生み出そうとするが、うまくいかない。やはりハングリィそのものには特殊能力が効かない。だがそれはジャックとレナの作戦の一つだ。 「ハッ、テメェの防具や武器殴りゃいいンだろ。生身の場所じゃ喰われるからヨ……吹き飛べ!」 ハングリィは大剣の攻撃を避けるようにバックステップを踏む。その隙をついたのはレナの魔法だった。 「くらいなさい!」 三十連続のファイアボールがハングリィを襲った。灼熱の炎が舞うなかに立ちつくす人影をジャックとレナは捕えた。 「これだけ空腹ならば動けないはず!」 大剣を大きく振るって炎を消してハングリィは立っていた。 「やぁ!」 隙だらけの背にテレポートのカードを使ったセリカが後ろから現れて飛びかかる。衝撃にハングリィが地面に崩れると素早く組み敷いてセリカは銃をハングリィに向けた。 「お願い、撤退して!」 ハングリィが何かを呟くのにセリカは目を瞬かせた。 「シルバィ……だめだって、言われたのに……ねぇ、あんた、好きな人いる?」 「え」 突然、この場に相応しくない話題にセリカは驚く。ハングリィは穏やかに笑った。その優しい土色の瞳はセリカを真っ直ぐに見つめて、言葉を紡ぐ。 「私ね、好きな人に、自分をなくしちゃだめっていわれたの。だからね、空腹にならないように注意していたの。だって、空腹すぎると私、自分を無くして……みぃんな、食べちゃうから!」 セリカの肩に鋭い痛みが走る。ハングリィに噛まれたのだ。 「がぁあああああああああああ!」 「あああああああああああ!」 獣の声と悲鳴が重なり合う。セリカが必死に抵抗するのにハングリィは無造作に長い金の髪をひっぱって引き離す。 肉と抉られ、血を失ったセリカは悲鳴すらあげられない。 「うん、けど、もう、いいよね。だって、シルバィは、シルバィは、シルバィは……お前らが殺したからぁ!」 セリカの首がものすごい力で掴まれた。呼吸が奪われたセリカは蒼白のままハングリィを睨みつける。 ハングリィの無効化には代価がある――空腹となる。しかし、彼女はそれを避けていたのは空腹によって理性を失っての凶暴化を危惧してのことだった。 だが、もう気にしなくていい。 誰かを傷つけてしまうことを。愛する人を自分が食べてしまうことを。叱ってくれる人も、心配する人ももういない。 だから 痛みも、空腹も、怒りも、――もう感じない。 空腹が頂点に達し、それを満たすことしか頭にないハングリィは人間の姿をした獣となった。彼女は唯一の武器である大剣を無造作に捨てると、セリカを地面に叩きつけた。 「セリカ! テメェ!」 ジャックが吼える。空間移動でセリカを庇うように立つとハングリィの容赦のない蹴りが腹部を襲った。 「っ!」 骨の砕ける音がした。それはジャックか、ハングリィか――理性を無くしたハングリィにはもう己の体がどうなろうとも気にすることはない。 倒れたセリカを庇った以上、逃げ場のないジャックは自分自身のアクセラレーションによって加速し、鉈でハングリィの拳を受け流していく。 力任せの攻撃が襲いかかるたびに、皮膚が焼けつき、擦り切れる。それもハングリィは触れたものは特殊能力が失せているのでジャックの体は傷だらけとなっていく。 倒れたセリカに地中から触手が伸びと掴むと無造作に空中に投げた。その下に待機したワームが口を大きくあけて待っている。 地中にいるワームはセリカを食べてしまうつもりだ。 「炎王招来急急如律令! 雹王招来急急如律令!」 十三が叫んだ。 「させませんわ! アンチ・メガ・グランビドン!」 レナの魔法にワームが地中から引きずり出した隙に十三の式神が襲いかかる。炎と氷の二つ攻撃はワームのたかい皮膚を溶かした。 「ジャックさん、セリカさんを!」 死の魔女が叫んだ。 ジャックは後ろを振り返ると、身もだえるワームの体に飛びかかる。かたい皮膚を蹴って空中に飛び、落ちるセリカを両手に抱えると空間移動する。 「メガ・ブルーファイアボール!」 青い魔法のオーラを全身に纏ったレナが声をあげると、美しい青の炎がワームを包んだ。 ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ! ワームが叫び、怒り狂う。 十三とレナの背後に逃れたジャックは素早く向き直ると空間移動を発動した。 「テメェも食われちまえ!」 それはその場にいる誰でもないワームを――ハングリィの後ろへと移動させたのだ。 「!」 怒り狂ったワームが触手が伸びてくるのにハングリィが抵抗しようとしたとき。 カチリ――争いのなかで、ハングリィが落としたスイッチを誰かが拾いあげて、押した。 ごぼっとハングリィは血を吐きだし、自分の心臓が吹き飛ばされたのを気がついた。 「あ? ……しるば、ぃ……ご、め」 ワームに拘束されたハングリィは吊るしあげられて頭から食らい殺された。 「これで終わりだァ!」 ジャックは向きだしのワームの体内で竜巻と雷を同時に生み出し、内側をずたずたに引き裂く。 「炎王、雹王!」 十三の声に応えて、二匹の式神が狂えるワームに飛びかかり、その触手を立ち切っていく。 「トドメよ! ファイアボール!」 炎の玉が飛び、ワームの口に入ると爆ぜた。 むっとする焦げ付く匂いにセリカはようやく目覚めた。 「あ……私……ワームは……消えた、のね?」 ワームは跡かたもなく消滅したが悪夢のような悪臭が漂っていた。ジャックは風を起こしてその不愉快な悪臭を洗い流していく。 「夢が終わりましたわねぇ」 十三の式神に守られている死の魔女が微笑む。 「夢が、終わった……夢が……これで、ようやく」 セリカは呟く。瞳から悔しいのか、苦しいのか、辛いのか、嬉しいのか……すべての感情が混ざった涙が零れ落ちる。どうしても止められなくて。 セリカは声をあげることもなく、ただただ己の拳を握りしめて震えながら涙を零し続けた。 ☆ ☆ ☆ サクラは壱也の手を握り、ロストレイルの駅に向けて慎重に歩いていく。 リーリスはマフィアたちの手がまわらない現地人たちを自主的に避難させるために外へと出ていったのに、全員が行動を開始したが、その一時間後にサクラたちは動き出した。 急ぐ必要はない。ギリギリまで彼らがアジトに近づいてくるのを待ってから逃げたほうがいいと壱也が助言したのに従った。 サクラの幻覚で鼠の姿で、無人の街を歩いていく。もしものときは護衛として黄金の魔女がついている。 「いやでも、我慢してくださいね。しばらくすればリーリスさんがきて、空中からロストレイルに移動できますから」 「構わないよ」 壱也は大人しいのにサクラはほっとした。 屋敷からロストレイルまでの道は、どこにいるかわからないがネイパルムもちゃんと見張りを務め、ノートか、リーリス経緯で連絡をとってくれている。 仲間を信じる。 今のサクラの武器はそれしかない。 サクラは、はっとした。 無音のなかに耳に痛いほどのバイク音がする。 「きた!」 「……後ろにいなさい」 黄金の魔女が黄金の篭手を外してサクラたちの前に出る。 バイクがけたたましい音をたてて向かってくるのにサクラは壱也を胸の中に抱きしめた。心臓が痛いほどに音をたてている。 ビルの上にいるネイパルムはスコープのなからそれを見つけると、迷いのなく、引き金をひいた。 風よりも速い弾丸が放たれる。 運転する乱子が気がついたらしくバイクが大きく、動く。 それがネイパルムの狙いだった。 「よし、かかった!」 あえて外した弾は粘着弾だ。 移動するバイクを射撃するのは至難の業である以上、予想に、予想を繰り返し先の手を打つ必要がある。 バイクがじぐざぐに、さらにスピードも変化させながら移動するのは警戒してのことだろう。その動きに合わせてもう一度撃つつもりだ。回避されても構わない。既に粘着弾が仕込んだのでそこに動いてくれるように誘導すればいい。 「なっ!」 バイクが、消えた。 「なんでだ? ……あのホワロってやつか……確か、報告書にあったな。姿を消す力か。だが、いねぇわけじゃねえ!」 ネイパルムは深呼吸をしてすぐに混乱した頭を落ちつけ、肉体の興奮を抑え込んだ。冷静でなくてはスナイパーは務まらない。 予想しろ。 バイクの走りと動き、行動パターン。 「……見えた!」 ネイパルムの引き金が引かれた。 見えないものを撃ち落とそうとした弾丸は真っ直ぐに、飛び――当たった。 きぃいいいいいいいいいいいいいいいい! 悲鳴のような音があがる。 そのタイミングで黄金の魔女は道路に触れた。触れたものが輝く黄金となっていく。これでスリップ狙う。 輝く黄金は見えないものの影を映す。 ネイパルムはすぐにその影を捕え、獲物がいる位置を計算すると二発目を撃つ。 確かな手ごたえが、あった。 バイクがその姿を現した同時に、黒い虎が飛び出して黄金の魔女に飛びかかった。魔女は片手をあげて、虎を黄金に変えた。とたんに虎は霧散する。 「サクラさん、もう幻覚は効かないみたいよ」 「はい」 一度見破られた幻覚は効果がないので解くしかないが、いつでも新しい幻覚を使用できる状態でサクラも警戒する。 サクラ、黄金の魔女、壱也が見る先にはいつの間に現れたバイクに跨った乱子とそこから降りたホワロが立っていた。 「いい腕と目を持ってるじゃないか。さすがにちょっとひやりとしたぜ? 壱也、帰るぜ」 「黒埼さんは帰りません! わ、私たちと行くんです」 サクラが叫んだ。 「ふーん」 ホワロは肩を竦めた。 「先ほどのようにここは見張られているわ。下手なことをしたら撃つわよ? ……お互い死んだり死なれたりするのは嫌でしょう? お願いだからここは大人しく帰ってもらえないかしら? お金なら幾でもさしあげるわ」 黄金の魔女はその場にある石を黄金に変えて差し出す。 はらはらと黄金が落ちる。 「二度は言わないわよ? 大人しく自分の家へ帰れ」 威圧的な言葉で黄金の魔女が告げる。 ホワロは微笑んだ。 その後ろでバイクに乗っていた乱子が動いた。とたんに、ごぼっと何かが音を――彼女の足元にある黄金が溶けている。 「愚かな」 押し殺した声で乱子は告げた。 「貴様にとって命は金で済むのかァ! ならば、……ワタクシ様がこうしてやるぜぇ!」 「ゲッ、やばっ!」 ホワロが慌てて無造作に置かれた車の上に飛び乗った。 乱子は舞い始めた。それは壱番世界の日本に伝わる舞いのようであった。はじめゆっくりと、だんだんと激しくなっていく。 ぼこ、ぼこっと音をたてて乱子の足元の黄金が溶けていく。 それはアスファルトであればありえなかった光景――炎が黄金を溶かしている。 灼熱の炎の舞いをネイパルムが撃つが、その弾はあまりの熱された空気によって乱子に届く前に溶け消えた。 ごぼ、こぼ、こぼっ 溶けだした黄金は魔女とサクラの足に這いよっていく。 「おー、こわい、こわい。……っと! 御守!」 車の上に避難していたホワロの腕から出た黒馬が嘶き、ネイパルムの弾を弾いた。 「ん、これは……」 それは攻撃のための弾ではない、閃光弾だ。 ネイパルムは事前にホワロらしい男がかかわった事件の報告書を読んで彼が「黒」に執着することを知っていた。つまり黒に関する物を扱う。この場で黒といえば影や夜の闇しかありえない。ならばそれをなんとかすれば力が使えないものと考えたのだ。 しかし、 「まだいるみたいだな……御守!」 嘶く馬の声に弾かれ空中に散った塵は――リーリスとなった。 住人たちを逃がしたリーリスはネイパルムの目を共有していたので、この事態に気がつくとすぐにそちらへと飛んだ。自身を塵化して敵の二人の内部に入って殺そうと試みたが、ホワロも乱子も護りがかたい。 「私たちを殺すの? そんなことしないよね?」 リーリスは目を輝かせる。 「お前たちは狙いじゃないぜ……ああ、けど、壱也、残念だよ。回収は不可能ってことで」 ホワロの手にスイッチが握られている。 リーリスは咄嗟に壱也を連れて空中に逃げようとしたが、それよりも速くボタンは押した。 とたんに壱也の体が大きく震える。 「お兄ちゃん!」 だが血を流したのは壱也だけではなかった。乱子とホワロも――何が起こったのか気がつかなかった。 スイッチは三つ――それは、すべて赤と黒の配線で、どこかに繋がっていた。けれど、どこに? 乱子はふらつきながら振り返り、バイクのキーについたスイッチが押されているのに気がついた。あれは誰のものだった? あのあいている空洞は、 「あれは」 ぱんっとヘルメットに衝撃が走った。ネイパルムの銃弾がヘルメットに横殴りの衝撃を与え、その場に転がる。 壊れたヘルメットのその隙間から乱子はじっとバイクを見る。 「あれは、私の……っ、ならば、炎よ!」 乱子は炎を弓に変えて立ちあがる。燃え狂う炎が矢となって――まだ動けない壱也たちを狙う。 「えいゃあああああああああ!」 矢が放たれて炎の鳥が生まれ、真っ直ぐに向かう。 「ごめん、ゆりりん!」 サクラが壱也を庇った。炎の痛みに背が焼けつく。それがすぐに消えていくのはゆりりんが自分の痛みを肩代わりしているからだ。 炎の鳥を黄金の魔女が触れて霧散させる。燃える炎に皮膚が焼けつき、激しい痛みを覚えて黄金の魔女は顔をしかめた。 「あとは……!」 鋭い針が黄金の魔女の腹部を突き刺した。 「魔女のおねえちゃん!」 リーリスが叫ぶ。 「まったく、なんていう仕事だ! これで、くだらないすべてとおさらばできるなら、まぁまぁだ! 一人くらい道連れが欲しいからなぁ、黒虎!」 「させない!」 塵化したリーリスが体内から虎を破壊する。 「幻虎招来急急如律令! あの男の腕を斬り落とせ!」 ジャックの空間移動によってかけつけた十三が叫ぶと、幻虎が鋭い牙で襲いかかり、ホワロの片腕が切り落とした。 ホワロは崩れ、赤黒い血のなかで笑う。 「……ようやく、黒が溜まったな……最後の一匹、味わいな……黒龍!」 黒――血が音をたてて形となった。ホワロは黒に関する物を扱い、それで刺青の力を引き出していた。以前の事件の報告書で彼は人間から「黒」を奪い取っていた。そう、つまりは扱う黒は人間の持つ黒でなくてはいけないのだ。――ホワロの身に宿る全身の血を犠牲にして生まれたのは一匹の巨大な龍。 龍は空中まで飛ぶと膨大な音をたてて吼える。 大気を揺るがす咆哮。 音が建物を震わせ、崩していく。 圧倒的な破壊力がその一帯を襲い、誰もが立ちつくしていたが、龍は一分と経たずに霧散した。 術を形成していた黒である血が少なかったことと、使い手であるホワロが死亡したからだ。 「壱也さん!」 サクラは血を流す壱也を抱きしめ、声をあげる。 「お兄ちゃん! 見せて! 私が精気をあげるから!」 「は、はい! すぐに! あ」 サクラは壱也の左胸を見て強張った。 リーリスもそれを見て目を見開いた。 「お兄ちゃんの、部品がある箇所って……心臓、だったの?」 思い出せば、壱也は力を使うときいつも胸を押さえ、咳き込み激しい拒絶反応を示していた。あかりと真人は壱也の体についてなんてと言っていた? 誰も壱也の部品がある箇所を問わなかった。彼の肉体がどんな状態かを知らなかった。 「リーリス! 止まってンな! 俺らの精気をコイツにやれヨ!」 ジャックが怒鳴るのにリーリスは壱也の体にしがみついた。 「私の精気、全部あげても助けてあげるから!」 「もう、いい。もう、いいから……」 「私も、私の精気も使ってください! 壱也さん、諦めないでください! 血をとめますから……とめっ」 サクラの手を壱也はとり、首を横に振った。 「部品で、無理矢理、動けるようにして、いたから……はじめ、から、生き延びるのは、心臓だった、から……俺は、許されないことをした、から……そのツケは支払うべき、なんだ」 「死が償いだというのか!」 十三が怒鳴った。 「そうだゼ、死ぬことが償いじゃねェだろう!」 ジャックの怒声もくわわるのに壱也は穏やかに笑った。心臓が爆発した激痛を、もしかしたらもうそれすら感じなくてなっているのかもしれないが、あまりにも穏やか過ぎる顔だった。 壱也は世界樹旅団に属し、人を殺し、世界を危険に晒し続けた。それは許されることはない。いずれはツケを支払うことになる。ならばその罪を生きて償わせることをここにいる誰もが望んだ。 その言葉ではない、何かが壱也の心に訴え、死するその瞬間に彼の抱える闇が変化させた。 「……そういう、道も……あった、かも、な。……あかり、真人……ごめ、ん。ごめん……せめて、はやく、忘れ……て……本当に、こんなことを、したのに、こんな風に死ねるなら……上等だ」 壱也の瞳から光は失われていく。溢れる血はとめどなく流れて。肉体の熱は徐々に冷たくなっていく。 リーリスは握りしめていた手を、それでも離せなくて、けれどもうその肉体に何も与えることができないと理解して。ただ見つめる。 「お兄ちゃん」 壱也の手には押されてしまったスイッチがあった。 侵略名「夢の上」 侵略世界インヤンガイ。 作戦に関わった世界樹旅団員全員の死亡により、世界樹旅団はこの世界の侵略から手を引くしかなくなった。
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