インヤンガイには魔女がいる。少なくとも古城蒔也が今回訪れたその街区ではそう信じられていたし、その魔女のおかげで緊張を孕みつつもこの街区は穏やかな平穏を維持していた。 雑然とした賑わいの町並みを抜け、静謐を湛えた林に取り囲まれた屋敷。そこに、彼の魔女はいるという。「へえ……、これはまた壊し甲斐のあるでかさだ」 案内されるままのんびりと町を抜け、遠く屋敷を目視した蒔也は小さく口笛を吹いた。その感想を聞きつけて、隣を歩いていたネイパルムが痛そうに額を押さえたのが視界の端に映る。「お前の頭には壊すに絡む以外の感想はないのか」「? 他に何かあんの?」 あまりに不思議な発言に思わずそちらに顔を向け、きょとんと瞬きしながら聞き返す。 どれだけ派手に壊れてくれるか、どこに爆薬を仕掛けたら綺麗に吹っ飛ばせるか、あの広さなら手持ちの爆薬で何とかできるか等々、とりあえずでかい屋敷を見た感想はその程度で他に何があるというのか。「だから! インヤンガイには似合わねぇ洋館の謎とか、確かに魔女が出そうな雰囲気だとか、他にも色々あるだろうがっ」「えー。そんな興味ねぇこと言われても」 どうでもよすぎてと肩を竦めると、少し先でついてこない蒔也たちに気づいた案内人が、何をしていると声をかけてきた。うっせぇな急かすなよと顔を顰めた蒔也とは違い、ネイパルムは悪いと合図して再び歩を進める。「おっさん、よくあんなチンピラに偉そうにされて大人しくしてんなぁ」「ツンツン頭の無礼に比べたら、大抵の奴には大人の対応ができようになっただけだ」「何だ、じゃあ俺のおかげってことか? 感謝しろよ、おっさん!」「~~っ、当てこすりだ! ちったぁ堪えろ!」 がーっと振り返って噛みついてくるネイパルムをけらけらと笑って追い越し、屋敷から出てくる何人かに目を向けた。見事なほどに悪人面のチンピラたちで、彼らを案内して来た男に駆け寄ってくる。「まずいぞ、ジャオ、老板がお怒りだ」「何があった」「ホテル側の手違いで、客が何組か来やがった」「そんなもん、追い出せばいいだろうが」「そうなんだが、中の一組がやたら粘って出て行かねぇんだよ」 下手すりゃ暴れ出されるかもしれんと青褪めて報告する相手に、ジャオと呼ばれた案内人は深い溜め息をついた。「大丈夫だ。ここに溺愛してる妹妹がいる限り、いくらフオイェンでも死人は出さない。シェンマもいるんだろ?」「老板やお前には朋友か知れないが、ずっと大姐の部屋の前で突っ立ってるだけのシェンマが何の役に立つんだよ」 早く戻れと苛々したように急かす相手に、ジャオはどっちが役立たずだと言わんばかりの舌打ちをして振り返ってきた。「悪いな、客人。聞いての通り、大哥のご機嫌取りに行かなきゃならんらしい。あんたらの紹介は済ませておくから、しばらく好きにしててくれ」 言ってジャオは出てきた男たちに蒔也たちを指し示し、妹妹の護衛だと手短に紹介してさっさと屋敷の中に入って行った。「自分たちで呼んどいて、この扱いかよ」「今の間に外の確認でもしとくか……。ツンツン頭、お前はどうする」「左はおっさんに任せた」 言って真正面にある玄関から向かって右手に向かって歩き出すと、ネイパルムも苦笑して左に向かった。後ろから余分なものもついてくるが、いらない口さえ挟んでこなければ問題はない。 さて、どうやってこの屋敷を粉々にできるか──もとい。どこかにその手の罠でも仕掛けられていないかと嬉々として外周を辿っていると、ようやく角に辿り着いて曲がったところに二十歳くらいの女性が立っていた。 真っ白のロングチャイナドレスは、胸元に咲いた鮮やかな緋色の花を際立たせている。顔立ちは整っているが悲しげで、目の前に立っているのにどこか存在感が薄い。 いつからここにいたんだと眉を跳ね上げて考えていると、女性が唇を開いた。「帰って」「は?」 唐突な呟きに眉根を寄せて聞き返すと、女性は泣き出しそうに顔を歪めた。「お願いだから、巻き込まれない内に帰って」 じきに抗争が始まると消え入りそうな声で警告めいた言葉を残し、女性は側を通り抜けると蒔也が今曲がってきたばかりの角を反対に辿って屋敷の正面に向かった。「……何だあれ」 不思議そうに目を瞬かせた蒔也は、けれど抗争の言葉を思い出してにんまりと口の端を持ち上げた。「誰かを守れって言われるより、全部ぶっ壊していいって言われたほうが楽だし楽しいよなぁ」 インヤンガイに着いてから探偵に詳細を説明され、つまらない依頼を受けてしまったと内心がっかりしていたのだが。ようやく乗ってきたと嬉しそうに目を細めた蒔也は、屋敷の壁を視線で辿るようにゆっくりと見上げた。 目の前では柄の悪い男が怒鳴り散らしていて、後ろでは辟易した様子のムジカ・アンジェロがさっさと終わらせろと無言で威圧してくる。凡そ脊髄反射で相手の言葉にがなり返しながら、由良久秀はどうしてこんな事態になっているのかと頭を抱えたい気分で一杯だった。 事の発端は、インヤンガイで受けた依頼だ。この街区はインヤンガイにしては珍しく比較的平穏で、事件にしろ事故にしろそうそう起こらなかったらしい。理由はこの街区を治めるマフィアが、魔女を擁しているからだ。「まじょ」 胡散臭い響きに由良が正気を確認するように確認すると、探偵は魔女だと重々しく頷いた。「といっても正体は占いを得意とするボスの妹だが、ここでは魔女と呼ばれている。恐ろしいほど占いが当たって、敵対勢力の勢いを悉く殺いできた。どんな事件を起こしたところで彼女にかかればすぐに犯人が知れる、ボスの苛烈な性格も手伝って今や誰も奴らには逆らわない」「それでは探偵の立つ瀬もないな」 冷やかすようにムジカが語尾を上げると、探偵はその通りだと苦く笑った。「俺は元より隣の街区の担当で、ここに探偵はいない。けど最近になって、一つの勢力が息を吹き返してきた。フオイェン──魔女の兄だが──の縄張りから僅かに外れたところで騒ぎを起こし始め、今やこの街区も安全とはいえない一触即発の事態になってきた」「それで、おれたちが呼ばれた理由は?」「魔女に接触して、抗争を避ける術を聞いてきてほしい」「は? そんなもん、自分たちで聞いてこい」「それができたらわざわざ依頼なぞしてないさ」 由良の反論に深い溜め息をついた探偵は、簡単な地図を出して無理やり押しつけてきた。「昔この街区を治めてた別のマフィアの屋敷が、今はホテルとして使われている。普段魔女は馬鹿の目につかないように別の街区で暮らしてるそうだが、最近になっていきなり訪れてきた。フオイェンは僅かの側近を連れて、今そこで魔女と過ごしている。地元の人間では近づけない」「他所者のほうが近づけねぇだろ」「いや、曲がりなりにもあそこは観光客に人気のホテルだ。貸切だと知っているのはフオイェン配下の一部だけ、訪ねた後はあんたらの手腕次第ってことだ」 頼まれてほしいと真剣な様子で頼む探偵に、ムジカがまぁいいさと案外あっさり引き受けた。俺は降りると主張しかけた由良の首を捕まえて、そう言うな一人だと寂しいじゃないかとちらっとも感情の篭らない声で言うなり引き摺るようにしてそのホテルに向かい、今に至っている。 いい加減嫌になって出て行くか暴れるかしようかと目論み出した時、扉が開いて外から一人の男性が戻ってきた。「今日この酒店は貸切だ、帰ってもらおう」「同じ主張なら耳に蛸ができるほど聞いたよ。それでもこちらとしてはここを楽しみに訪ねてきたんだ、そんなことで引き下がれるはずがないだろう? 見れば広大な屋敷だ、我々が端のほうに泊めてもらうくらいできそうなものだが。勿論、宿泊費は払う」 引き下がる気を一切見せずにムジカがにこりと笑うと、入ってきた男性は深い溜め息をついた。その間に騒ぎを聞きつけたのだろう、二階に続く階段から二人の男性が降りてきた。「ジャオ、何を揉めている?」「ずっと二階にいたお前のほうが知ってろよ、シェンマ。リン、お前も何してた」「何って俺は老板の相手に決まってんだろっ。妹妹を任されてるシェンマと違って、こっちは命懸けだっつーの!」 リンと呼ばれた男性の頬や腕には斬られたような跡があって、正に命懸けだったのだと容易く知れる。けれど、お前が側にいるのはただの趣味だろと呆れた顔のジャオの突っ込みに口を開閉する以外言葉がなかったところを見ると、リンにとってボスは生命をかけても側にいたい存在らしい。 ぶすっとした顔で黙り込んだリンにちらりと笑ったのは、シェンマと呼ばれた灰髪の男性。柔らかな印象を受ける彼は階段の途中で足を止め、どこか面白そうに目を細めて由良たちを見下ろしてきた。「ジンメイ──妹妹に曰く彼らを泊めても問題ないそうだよ、下の騒ぎを穏やかに止めてこいとのお達しだからね。帰れと言って帰られない客人だ、力尽くでとなるともっと騒ぎが大きくなる。それは妹妹の望みに反する」 そうだろうと穏やかに笑って告げたシェンマは、いきなり開かれた扉に反応して視線を変えた。「おっさん、何か成果はあったか」「いや。特に不審物はなかったが、」 賑やかに話しながら入ってきた二人を見て、由良は軽く眉を上げた。インヤンガイに来る車中でも見かけた蒔也は、同じく僅かに反応を見せてジャオを見た。「さっき言ってた、ごねてる客ってこいつらか?」「ああ。知り合いか?」「まぁ、ちょっとした。客が駄目なら、護衛として雇ってくんねぇ?」 腕は保証するとにんまり笑う蒔也の言葉に、ジャオは仕方なさそうに頷いた。「妹妹が大丈夫だと判じたなら、それで構わない」 歓迎していない空気は伝わってきたが、渋々でも頷かれたことにようやくこの膠着状態から抜け出せると息を吐いた時、ムジカがところでとネイパルムを見て首を傾げた。「さっき入ってきた時、何か言いかけてなかったか?」「ああ、不審物はなかったが不審な女なら見かけた」「ロングのチャイナドレスの? おっさんも会ったのか」「女?」 ちょっと待てと声を尖らせたのはリンで、シェンマはまさかと小さく呟いた。ジャオもはっとしたように一旦階上を見上げ、睨むようにシェンマを見据える。「妹妹を外に出したのか?!」「いや、でもこの騒ぎを鎮めて来いって言われて来たんだろ。それにここを通らず外には出られねぇはずだ」 誰か見たかとロビーにいる男たちを睨み据えるようにしてリンが声を低めると、その場の全員が一斉に首を振る。ジャオは不愉快そうに顔を顰め、蒔也たちに視線を戻した。「その女の特徴は?」「特徴って言ってもなぁ。まぁ、美人だった」「胸に真っ赤な花の咲いた、白い服を着てたな」 蒔也とネイパルムが答えると、リンが大仰に息を吐いた。「何だ、じゃあ違う。老板の趣味で、妹妹は白しか着ないからな」 他の色は混じらないと安堵したように頷いたリンに、馬鹿かとジャオが声を荒げる。「妹妹以外の女がいること自体、まずいだろうが! 捜し出して連れてこい!」 怒鳴るように命じたジャオの言葉で、ロビーに溜まっていた男たちがわらわらと屋敷を出て行く。「リンは大哥に報告してこい。……シェンマ?」 お前も捜しに行けとジャオが声をかけると、ふと我に返ったらしいシェンマは振り返って笑みを浮かべた。「俺の役目は妹妹の監視兼付き添い、だ」 部屋に戻ると言い残して上がっていくシェンマに、ジャオはひどく盛大な溜め息をついた。 騒がしい気配に目を覚ました蒔也は、同じくこの気配で起こされたのだろう、部屋の外をじっと窺っているネイパルムに何かあったのかと呑気に尋ねる。「どうやらこの依頼、失敗したようだ」「失敗?」 何度か瞬きをして聞き返すと、乱暴にドアが開けられて仏頂面の由良が顔を見せた。「お前ら、どんだけ役立たずだ」「あ?!」 喧嘩売ってんなら買うぜ? と蒔也が身体を乗り出させると、由良の後ろから姿を見せたムジカが彼を蹴り入れながら入ってきて静かにドアを閉めた。「魔女が死んだ」「……あれ、俺ら護衛じゃなかったっけ」「だから役立たずって言ったんだろ」 痛い腰を押さえながら由良が吐き捨てると、蒔也はがしがしと頭をかいた。「失敗の響きは気に入らねぇけど、終わったんなら帰るか」「話はそう簡単じゃない。昨夜ここにいたのは一階に泊まったおれたちの他には、二階に魔女とマフィアご一行様だけ。窓は、」 途中で言葉を切ったムジカが顎先で示すまま振り返り、この部屋の窓を見る。 蔓薔薇の装飾が美しく施されているが、どう見ても鉄格子に覆われている。右手にある取っ手で窓を開けることはできるが精々五センチ外に押し開かれる程度で、誰かが潜入できるほどの隙間はない。どうやらこの屋敷の窓は、全てこうなっているらしい。「ご覧の通り、この屋敷の出入り口は正面の玄関だけだ。その扉はおれたち自身が交代で見張ってて侵入者はなし。朝になってボスが部屋を訪ねると、魔女は死んでいた。……では、犯人は?」 状況を説明してどこか面白そうに問いかけられ、蒔也は首を傾げる。定番すぎて言いたくねぇと由良が吐き捨て、ネイパルムも嫌そうな顔をしている。誰だよと蒔也が促すと、ムジカは顔の前で人差し指を立てて弓形に唇を歪めた。「犯人はこの中にいる」「──俺じゃないぞ」「馬鹿か、この屋敷の中って意味だろ」「どうするんだ。犯人が見つからない限り、俺たちも出て行けねぇってことだろ」 面倒なことにと嫌そうにしたネイパルムに、それに関しては大丈夫だとムジカが楽しそうに請け負った。「少し時間をくれれば、おれが解決しよう。ただ、二階にいる面々の事情聴取をするに当たって少々厄介な問題が発生している」「問題だらけだな」「まったくだ。ここのマフィアと敵対してる連中が、魔女死亡を早くも聞きつけてこっちに向かってるらしい。勿論、これを機に敵対勢力の一掃ってことだろう」 犯人も目撃者もついでに第三者も纏めて殺して終わりにする気だと由良の言葉に、蒔也は知らず目を輝かせた。ムジカは察したように視線を合わせ、悪魔めいて綺麗に微笑む。「さっきも言った通り、ここにはロビー以外に出入り口はない。なら話は簡単だ、そこを死守するだけでいい」「は。簡単に言ってくれる」 不服げに鼻を鳴らしたネイパルムを他所に、どうせ依頼も終わったことだしと楽しげに立ち上がった蒔也は、ムジカに向かって目を見たまま浅く頭を下げた。「依頼主サマ、ゴメイレイを?」「――“クローズドサークルの維持”だ。誰も入れるな、誰も逃がすな」 傲然とした命令に、蒔也はにんまりして目を伏せると恭しく一礼してみせた。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ムジカ・アンジェロ(cfbd6806)由良 久秀(cfvw5302)ネイパルム(craz6180)古城 蒔也(crhn3859)=========
ネイパルムたちが部屋を出ると、ロビーで騒然としていた連中の視線が一斉に突き刺さってきた。今にも襲い掛かってきそうな殺意に満ちた眼差しに、蒔也はうっそりと笑って語尾を上げる。 「正当防衛なら、こいつら纏めてふっ飛ばしても責められる覚えはないよなぁ?」 誰に責められたところで別段どうとも思わないだろ。と心中で苦く突っ込みを入れるが、口にはしない。分かってるなぁと嬉々として行動に移られると面倒だからだ、ネイパルムも自分の身体は可愛い。 これに付き合って胃に穴が空いたのは、そう遠い日のことではない。 やっちゃう? と人の気も知らず声を弾ませる蒔也に、どうせ今から嫌でも暴れるんだろうがと嫌そうに由良が止めた。纏めてやったほうが手っ取り早いぜ? と不満げに反論した蒔也は、何かしら思いついたようにじーっと由良を眺める。 何だと顔を顰めて聞き返された蒔也は、にぱっと楽しそうに笑って提案する。 「由良さんを盾にして突っ込んでったらどうだろ?」 「どうもこうもあるか!」 「おっ、やる気だなあ。いいぜ、俺が手持ちの爆弾貸してやるからそれで、」 「何がいいんだ、お前らで勝手にやれ!」 「やめとけ、ツンツン頭。どうせそいつがいたところで役立たずだ」 護衛として招かれはしたが別室待機中に身内に殺されたのでは、防ぐも何もあったものではない。役立たずとは本来こういう場合に使うのだと強調しながら肩を竦めたネイパルムに、仏頂面に拍車をかけた由良が反論してこないのは戦闘に不慣れと自覚しているからだろう。 蒔也は盾ならなれると呑気に肩を叩こうとしているが、何かしら危険を察して由良が避けている。そこに一人でマフィアとやり合っていたムジカがちらりと顔を向けてきて、蒔也を制止した。 「大事な助手だ、今連れて行かれたら困るな」 ちぇーとつまらなさそうに眉を上げた蒔也は、まぁでも壊し甲斐なさそうだしなと呟いて興味をなくしたように視線を逸らした。 今一応仲間を人間爆弾にしようとしただろ!? と僅かに頬を引き攣らせたネイパルムは、きりきりと痛む気がする胃の上をそっと撫でた。 頼むから無事に乗り切らせてくれ。 「おい、ツンツン頭。この屋敷のどこかに触ったか?」 「そりゃここに泊まったんだし、それなりに」 面白がって答える蒔也に、質問の仕方を間違えたと溜め息混じりに問いを変える。 「昨日見回った時、壁には触ってねぇだろな」 「さぁ。どーうだったかなぁ」 触ったかもなと楽しそうに笑う蒔也に、思わず目が据わる。 「まさかとは思うが屋敷ごと全部吹っ飛ばしたら楽して帰れるとか思って、」 「ネーデスヨ?」 ないないないと胡散臭い笑顔で軽く返す蒔也に、思ってやがるこの野郎! と歯を噛み締める。その間にも言葉巧みに殺気立つマフィアと話を続けていたらしいムジカが、決まりだなと頷いて振り返ってきた。 「さて、手筈通りあんたたちは襲撃に備えてくれ。ここにいる面々も喜んで協力してくれるそうだ」 「……こっちでちょっと揉めてる間に何が起こったんだ」 「何って、単なる交渉だよ」 物分りのいい彼らに感謝するとどこかわざとらしい笑顔を浮かべたムジカに、言ってろと由良が吐き捨てている。多分それは、いいように言い包められたマフィアたち全員の心情だろう。 「まぁ、手が増えるならいいとするか」 「さすがに暴れ難いから俺は外に出るけど、赤いおっさんは?」 「トラップを仕掛けに一旦出るが、基本は玄関から中に入れねぇよう迎撃だな」 「センサーで隠してあったマシンガンが乱射、ついでに地雷連動させて一面吹き飛ばすんだな!」 「どうしてそんな物騒な発想しかできねぇんだ!?」 思わず力一杯突っ込むと、蒔也は派手でいいだろとけろっと答える。本当にこのツンツン頭ときたら、壊すことしか頭にないのか。 大きく溜め息をついて楽しげな足取りで外に向かう蒔也を見送り、ネイパルムは周りで複雑な顔をしているチンピラたちを見据えた。 「無線は幾つ用意できる」 「手持ちで五つだ。本拠に戻るにゃ時間がねぇだろ」 「なら俺とツンツン頭が一つずつ、あんたらは三手に別れて屋敷の周りを見張れ。賊が来たら連絡してこい」 ネイパルムは玄関から離れられないが、多分蒔也が嬉々として向かうだろう。今の蒔也は誰も屋敷に入れない出さない、といった基本指示を浮かれて忘れている気がする。下手をすれば自分たちが犯人扱いされるという危惧もない気がする。 「護衛として来といて魔女を殺されてりゃ、疑われんのはしょうがねぇか」 「いや、あんたらが護衛として招かれたのは今襲ってくるシャオイーの連中を警戒してだ。まさか俺たちしかいないこの屋敷内で、大姐が殺されるなんて……」 ぽつりと呟いたネイパルムに答えたのは、チンピラの内の一人。ちらりと視線をやると、相手の男は少し離れたジャオたちの背中を不安げに窺っている。 「大姐が亡くなられたら、俺たちはこれから一体どうしたら……」 「これからを知りたけりゃ、一先ずここを生き残れ」 恨めしげな呟きにネイパルムが冷たく突き放すと、はっとしたように男は神妙な顔で頷いた。 そうだ、余計なことはあっちに任せて彼らはとにかくこのでかい密室を守らなくてはいけない。そして何より、蒔也の暴走を思うだけで痛む胃を──。 「どうしてあんたと泊まるとこうなる」 溜め息混じりにそう嘆いた由良に、ムジカは当然ながら堪えた様子もない。寧ろ退屈な依頼の中、面白い出来事に遭遇できたと喜んでいるようだ。 そもそも依頼を受けたのもムジカであって自分ではない。凡そ無理やり引っ張ってこられただけだ、早く帰りたくて仕方ない。 じきに屋敷はマフィアに囲まれ、迎え撃つ仲間の一人は破壊狂。そちらに参加なんて自殺行為すぎてする気はない、命は惜しい。それならムジカと行動を共にするしかないが護衛失敗に難癖をつけられるのも御免だし、犯人扱いされるのではないかとひやひやする。 「あんたが居眠りでもして犯人を見過ごしたんじゃないのか」 投げ槍にムジカの背に投げつけると、それは自分がしたって自己申告かとさらりと聞き返されて顔を顰める。 「第一発見者を疑えってのがセオリーだろう。ボスが犯人じゃないのか」 「ボス、ね」 意味ありげに繰り返しただけのムジカにちっと小さく舌打ちし、蒔也が楽しげに出て行ったのを視界の端に捕らえて顔を巡らせた。ロビーにいたほとんどがネイパルムに従って出て行くのを眺め、ムジカに低く声をかけた。 「昨日見張りの間、二階に行ったか」 「いや。まだ誰かしら起きてる気配がしていたからな。……行ったのか」 興味深げに聞き返され、ぶっきらぼうに頷くと面白そうな目を向けられる。 「受けた依頼は魔女に占いを聞くことだろ。さっさと終わらせようと思ったんだが」 「会えたのか」 小さく頭を振り、昨日の記憶を辿る。 「部屋を確認しようにも、どこか分からなかった」 「……へぇ」 伏せて語った言葉にも何度となく頷いたムジカは、さり気なく顔を巡らせた。 二階から下りてきて、青褪めた顔をしているのは三人。ジャオ、シェンマ、リンはそれぞれひどい顔色をしながら、時折二階に痛ましげな目を向けている。 「部屋の前にいるはずのシェンマは、いなかったのか」 階段は屋敷の真ん中、廊下は薄暗いとはいえ等間隔にランプが灯っていて人の有無程度は確認できる。場所さえ分かればシェンマを誘き出して忍び込めると考えていたのだが、肝心の目印がなかった。 当然階段の途中で擦れ違ったりしていない、では彼はどこにいたのか? 「一つ質問をいいだろうか」 ムジカが少し離れている三人に声をかけると、不安と苛立ちの強い目が向けられてくる。気に留めた様子もないムジカは、順番に顔を眺めて口を開く。 「昨日の夜、例えば一階に下りたりしなかったか?」 「してない」 必要性がないと顔を顰めたのは、リン。部屋で仕事をしていたと返したのはジャオで、シェンマはずっと妹妹の部屋についていたと答えた。 「部屋の前でずっと? なら、彼女はいつ殺されたんだ」 「知らない」 「そんな有り得ない話があるか」 馬鹿にしたように由良が鼻で笑うと、リンのほうが怒気を見せた。すぐにも殴りかかってきそうなところをジャオが制し、ムジカが苦笑するように手を上げた。 「失礼、けれど彼の言葉も尤もだ。シェンマが部屋の前に立っていたなら犯人は、」 言いかけ、ムジカは眉根を寄せるようにして考え込んだ。 「考えてみれば、おれはまだ魔女が死んだとしか聞いていない。どうやって殺されたのか、いつ殺されたのか、死体の様子を見ないと何とも言えない」 言いながら肩を竦めたムジカは、困ったように三人を見る。 「やはり伝聞だけでは状況がよく分からない。おれたちも現場を見たいんだが」 「何なら写真を撮ってやってもいい」 ついでのように由良が口を挟むと、リンが写真?! と厳しく語尾を上げた。その視線を真っ向から受け止め、必要だろうと眉を上げる。 「現場保全は基本だろう。誰かが触る前にそのままの状態を写しておけばいい」 死体が撮れると僅かに気分が高揚したのを隠して尤もぶって説明したが、やめてくれとシェンマが眉を顰めて頭を振った。 「現場保全なんて今更だ。とっくにフオイェンが部屋で大暴れした後、妹妹を抱えて嘆いている」 「老板の気持ちも察しろよ、たった一人の妹妹が自分の目が届く範囲で殺されたんだぞ!?」 「気が済めば大哥も下りてくるだろう」 しばらく時間をくれと溜め息混じりに頼んできたジャオは息苦しそうに襟を引っ張り、水を飲んでくると言い置いて歩き出した。ムジカがそれを追いかけたのを見て、由良はその場に留まった二人を観察する。 苛立った様子で爪を噛み、ソファに座って足を揺らしているリンは昨日見た傷だけでなくそこらじゅう治りきらない傷跡だらけで、これが他人の仕業ならよく堪えているものだと感心する。 「老板は、」 ぽつりとした声に、立ったままだったシェンマは顔を向けた。リンは誰も見ないまましばらく躊躇い、口を開いた。 「妹妹を喪って、大丈夫なのか」 「……さぁな」 「っ、お前……!」 シェンマのどうでもよさそうな返答に、苛立ったリンが目の前にあったローテーブルを蹴り飛ばした。向かいのソファに当たって何かが壊れるような音がしたが、外から聞こえてくるけたたましいサイレンに紛れた。煩いと顔を顰めていると、始まったみたいだなと戻ってきたムジカが窓に目をやった。 「リン、取り乱すな」 ジャオの低い諌めに、リンは舌打ちして拗ねた顔を背ける。それらのやり取りを気にするでもなく外を眺めているシェンマに、由良は唐突に問いかけた。 「魔女は本当に死んだのか」 何気ない問いかけに、ジャオとリンは弾かれたように由良を見てくる。シェンマだけはゆっくりと頭を動かして由良を見つけ、おかしなことをと口の端を引き攣らせるように持ち上げた。 「フオイェンが言ったろう」 「俺は聞いてない。死体も見てない。そう騒いでるのを聞いただけだ」 あんたらは見たのかと確認すると、ジャオとリンは一瞬言葉に詰まった。 「老板がそう言ったと、」 「シェンマに聞いた」 小さくまるで呻くような二人の答えを聞いて、 「ああ、煩くなってきたな」 ここでは聞き取り辛いと殊更小さく呟いたムジカは、二階に移動しようじゃないかと促した。 やりすぎるなよと噛みつくみたいなネイパルムの警告に、蒔也は分かってるってと軽く手を揺らした。信用ならねぇといった目で見られるが、あまり気にせず両手に持った机と椅子を引き摺るようにして歩く。ヘッドホンから聞こえてくる穏やかな曲調を小さく口ずさみながら、簡易のバリケード作りに協力する。 玄関にはベッドまで持ち出して強度を上げているが、それには触るなとネイパルムの厳命があった。信用ねぇなぁと日頃の行いを棚に上げて軽く拗ねたが、これから詰め寄せてくるだろう連中が吹っ飛ぶ姿を思うと機嫌なんてすぐに直る。 適当に組み合わせて椅子を置いた後、邪魔になる小石を拾って何度か手で跳ねさせる。少しずつテンポが速くなっていく曲調に合わせるようににいと口の端を持ち上げ、無造作に放り投げると無線ががっと音を立てた。 『ツンツン頭、正面来るぞ』 ネイパルムの声に、はいはいと弾んだ声で答えながらギアのマシンガンを取り出す。二挺を繋ぐ鎖がじゃらりと鳴り、わあわあと喚きながらチンピラ風の男たちが雪崩れ込んでくるのを見つけて目を細めた。 「自分を守る以外に手ぇ出すなよ?」 近くにいた味方のはずのチンピラたちに声をかけると、慌てて頷いた連中は少し下がってバリケードに身を隠す。 最初に辿り着いた内の二人が膝を撃ち抜かれて呻きながら転がっているのは、ネイパルムの仕業だろう。玄関から離れないのに的確なことでと眉を上げ、残りは貰ったとばかりにギアをぶっ放す。 不用意に突っ込んできた大半が倒れ、初撃を免れて後退りしている数人は手にしていた銃や剣を撃ち落とされている。続け様に足や腕を撃って戦意を殺いでいるネイパルムに、俺のも残しとけよーと不服を告げる前にビービーと喧しい音が屋敷の近くから聞こえてきた。 『東からも侵入者ありだ。ツンツン頭、そっちに配したチンピラの援護に回れ』 「しょうがねぇなぁ」 言葉と違い嬉しそうに足を向けかけた蒔也は、複数の足音を聞きつけて無線を取り上げる。 「おっさん、こっちも結構大量追加みたいだけど」 『チッ。こっちは何とかする……ああ、閃光弾使うから適当にカバーしろよ』 「閃光弾ねぇ。もっと派手に吹き飛ばせばいいのに」 相手は殺す気だぜ? と笑うように語尾を上げるが、うるせぇと吐き捨てられるのでけらけら笑って東に向かう。残っている何人かが蒔也を狙って撃ってくるが、狙いを定める前にネイパルムに撃たれるせいで避けようとせずとも弾が逸れる。飛び交う銃弾の間を呑気に走っていると、目の前にナイフを構えた男が飛び出してきた。 「っ、止まれ、武器を捨てろ! 女の陰に隠れるしかできない連中が……!」 魔女が死んで好きにできると思うなよ! と何故か勝ちを確信したように怒鳴りつけてくる相手に、蒔也はきょとんとして足を止めた。硬い声で笑った相手がナイフを構え直すのを見て、あのさぁとマシンガンから離した手で相手の足元を指した。 「それ以上、近寄らないほうがいいと思うぜ?」 「黙れ、こけおどしに、」 乗るかとでも続けたかったのだろう相手が足元の小さな石を蹴ったと思うと、足先が吹っ飛ぶくらいの爆発が起きた。軽いバックステップで巻き込まれないよう下がっていた蒔也は、足を失って転がっている相手にははっと楽しげな声を上げた。 「だから言っただろー、人の警告は聞いとけよ!」 少し威力が足りなかったよなぁと鼻歌混じりに反省した蒔也は、マシンガンを持ち直して東東と呟きながら軽い足取りで再び走り出した。 馬鹿みたいに押し寄せてくる相手の数に軽くうんざりしながらも閃光弾を準備していたネイパルムは、少し離れた場所から聞こえた爆発音に軽く顔を顰めた。 確認せずとも先ほど蒔也が向かった方角だ、何があったかなんて想像に難くない。 「また何かしらやらかしてないだろうな……」 蒔也自身の心配はするだけ無駄だ、きっと今頃けらけら笑いながら次なる爆発を目指しているだろう。仲間でさえ爆弾化させようとした男だ、あの厄介な能力を遺憾なく発揮してそこらじゅうに仕掛けているに違いない。 きり、と胃が痛い気がして宥めるように腹を撫で、無線からわーきゃー聞こえてくるチンピラの悲鳴に答えてバリケードの影から顔を覗かせた。グレネードランチャーを使うほどではないと判じて閃光弾を投げつけ、相手の目と足を止めている間にリボルバーの弾を入れ替える。 足を引っ張りそうな味方のチンピラたちも目を押さえて転がっているが、下手に動かれるよりましだろう。 (警告してこの様じゃな) 救いがないと心中に呟き、そちらに敵が向かわないよう被害が少なく突っ込んでくる連中を狙って引き金を引く。一人二人と撃たれて転がる連中がある地点を踏んだ時、ひどく嫌な予感がしてネイパルムは咄嗟に首を引っ込めた。どんっと下から突き上げるような衝撃と爆風が押し寄せ、吹き飛ばされないようバリケードを押さえて遣り過ごしてから顔を覗かせると、予想通り大半が巻き込まれて吹っ飛んでいた。 そういえばツンツン頭が地面を触ってやがったかと苦く思い出しながら地面を窺うと、爆破痕がくっきりとハート型を描いているのを見て思わず沈黙した。 ただのお茶目だろーと、脳裏で蒔也がひどく楽しそうに笑い転げている。そんな想像ができる自分が激しく憎い。 「っ、痛……っ」 きりきりきりと、差し込むように胃が痛いのは気のせいだと信じたい。 背後から聞こえてきた爆音に、蒔也はしまった見逃したと小さく頭をかいた。多分あれは地雷式の爆破可能箇所に、誰かが踏み込んだのだろう。 「結構ぶっ飛んだみたいだなぁ」 思わず引き返して様子を確かめようとしたが、この先に待つ敵を思い出して何とか踏み止まる。それに今戻ると、ネイパルムが何やら言ってきそうな気もする。小言を聞くより爆破したい。 さっきまで聞こえていたサイレンはネイパルムが仕掛けたワイヤートラップだ、確かこの辺だったはずと視線を巡らせると予想した場所からチンピラたちがほうほうの体で逃げてくるのを見つける。 (これは爆破したら駄目なほうだっけ?) 間違った振りをしてもいいだろうかと密かに考えたが、その前に助かったと声を上げられるのでしょうがなく見過ごす。あっちから何人が、と喚くチンピラたちを煩いと追いやって足を向けると、角を曲がってきた数人が蒔也を見つけて一斉に飛び掛ってくる。 殴りかかってくる腕を避けて軽く押しやり、ナイフを突き出してきた相手の腕を捕まえて隣の男にぶつけて転がせる。懲りずに後から湧いてくるのをあしらいながら、トリ餅でべたべたになっている何人かにほらみろとネイパルムに悪態をつく。 (殺傷能力が低すぎて、復活してるだろ) 動けるようになるまで足止めはできていたのだろうが、こんなことじゃ駄目だと頭を振って最初に触れた男に目をやり、にいと笑いかけた。びくりと後退りした相手がいきなり吹っ飛び、周りにいた全員がそれを確認してぎこちなく蒔也に顔を向けてきた。 「さーて、クイズでもしようぜ。お前らの中に、『爆弾』は何人いるでしょう?」 問いかけるなり狼狽えて騒ぎ始める連中に、答えを出す時間も与える気はなくマシンガンを構えて愉悦に目を細める。 それでは、さようなら。 「お前らが殺したんじゃないのか」 一人離れたジャオを追いかけるなり小さくそう問われ、何度か瞬きをしたムジカは静かな眼差しを受けて肩を竦めた。 「おれたちはずっと一階にいた、どこにいるかも分からない相手を殺せるほど器用だと思われてるのか?」 光栄だと言ったほうがいいのかと皮肉に聞き返すと、ジャオは重い溜め息を重ねた。 彼だとて、本気でムジカたちを疑っているわけではないだろう。ただ容疑者の誰も犯人であってほしくないから、儚い望みをかけたに過ぎない。 シェンマやリンが限りなく黒に近い灰だとすれば、ジャオは僅かに灰を帯びただけの白だろう──殺されたのが、誰にしても。 「シェンマやリンは、信用できる相手なのか」 「……俺とシェンマは、親の代から大老板に仕えている。幼い頃から大哥に仕えてきた」 直接的ではない答えだが、事実だけを並べるジャオに口を噤む。 「リンは十年ほど前に大哥が拾った。以来、あいつはどんな仕打ちを受けても大哥の側から離れない」 「ボスが拾ったのか」 「気紛れか、妹妹の占いだったかは分からないが。とにかくあいつは恩義に感じて、大哥には逆らわない」 どれだけ死にそうになってもなと溜め息混じりに続けたジャオは一口だけ水を含むとさっさとロビーに戻り、後ろを歩くムジカは階段まで戻ってくると密やかに死を湛える二階を窺った。 あそこに行かないと、話が始まらない。明らかに嘘をついている人物は一人、「彼」が隠したい「答え」は二階にある。 「魔女は本当に死んだのか」 いきなり核心を突いた由良の質問への反応を見て、タイミングよく騒がしくなった外の連中にも感謝しながら二階へと促す。逆らう理由を持てずにのろのろと足を進める三人に、 「魔女の死体を見つけたのは、何故シェンマではなくボスだったんだ?」 「シェンマだって誰かと交代することはある、今朝は偶々老板だったんだろ」 「ボスに見張りを代わらせんのか」 呆れたように突っ込んだ由良を、リンはぎろりと睨みつける。 「妹妹の安全を考えて側についてるだけだ! 老板が様子を見に行かれて何の不思議もないだろ!」 「しばらくシェンマが張りついてたのは、喧嘩して妹妹が部屋に篭ったからだ。そうでもないと、大哥が離さないからな」 結局喧嘩したままだったのかと哀れむようにジャオが呟き、リンは唇を噛んで項垂れた。由良は不審も露に眉根を寄せ、一人口を噤んでいるシェンマを見て二人に振り返った。 「この二日、ボスや魔女の姿を見たか?」 「何言ってんだ? お前らが来た時、俺は老板についてた」 「姿を見たか、と聞いたんだが?」 ムジカが重ねて問いかけると、リンは軽く怯んだ。けれどすぐに腕の傷を見せ、怒鳴るように言う。 「お前らのせいで老板が暴れた、だから俺はこんな目に、」 「妹妹を怒らせてから大哥は機嫌が悪い。背を向けたまま話さないのは常だ……、少なくとも俺が報告に行った時は振り返ってこなかった」 ムジカの問いの意味を知って固い声で答えるジャオに、リンはびくりと身体を竦めた。 「違う、老板は妹妹を殺したりしない!」 「その魔女の姿は見たか」 「……二日前から見ていない」 「嘘だ、だってシェンマが中にいる時は扉が開いてたじゃないか! 昨日も飯の後に、」 「だから。姿は見たのか?」 苛々したように由良が遮ると、殴りかかりそうなリンを制してジャオが答える。 「見ていない」 「魔女がそこにいたと証明するのはシェンマの言葉だけ、か」 あんたは何も言わないのかと問いかけるが、シェンマは無言のまま階段を上がる。警戒したように由良が足を止め、つられたように二人も階段の途中で止まった。 ムジカは一人シェンマを追いながら、何気ない様子で言う。 「昨夜玄関を守っている時に、屋敷の外に不審な影を見た。……あれは魔女だろう」 鎌をかけるつもりの言葉に、シェンマの肩が揺れた──笑うように。 「まさか」 明らかに笑った声で返され、ムジカは眉を顰める。 まさか。確か、昨日も聞いた。ネイパルムが不審な女を見たと言った時、シェンマは一人だけ有り得ないとばかりにそう呟いた。 ひょっとしてと口にしかけたムジカより早く、シェンマが続ける。 「死んだ人間がどうやって外をうろつける?」 「死、んだ、……死んだのは今日の朝だろう!?」 噛みつくようにリンが叫び、シェンマは堪えきれないとばかりに笑い出した。階段を上がりきり、振り返ってきた目には明らかな狂気が浮かんでいる。 「フオイェンを殺して、彼女が正気でいられるはずがない。自分が殺したくせに縋って泣くのが腹立たしいから、俺が殺してやったんだ」 高らかに声を上げて笑うシェンマにジャオとリンが飛び掛るのを尻目に、ムジカは二階に上がると唯一開いたままのドアを見つけてその部屋に向かった。遅れて入ってきた由良は、目が合うと隣にも一つと顎先で示した。 この部屋のベッドに横たえられているのは、白いチャイナドレスの女性。胸元には大振りな花が刺繍されていたのだろう、変色した血が辿るように染み込んで赤黒い花を咲かせている。 「隣はボスか」 「多分な。座ったまま事切れてる。死体の様子からして、昨日俺たちが着いた時には死んでたはずだ」 苦く答えた由良は、女性の死体を観察して手元を示した。 「綺麗に拭いてるが、血の跡だな」 「シェンマが言った通り、彼女がボスを殺したんだろう。それを隠すためにリンも協力してると思ったが……あの様子だと知らなかったようだ」 魔女殺しは疑ってたみたいだがと続けながら、隣の部屋との境である壁を眺めている由良に気づいて眉根を寄せる。何かを探すように揺れていた視線が一箇所で止まり、何かを操作したと思うと小さな音がして壁がスライドした。 隠し扉から続く部屋を覗く由良の肩越しに、死体が座っているだろう椅子がちらりと見える。 「ドアを開けていれば、魔女に呼ばれてここにいると思わせられる。その間にそちらに渡り、生きているよう画策するくらいはできそうだな」 「魔女が殺した時も、ここを使ったってことか」 呆気ない密室だと皮肉がちな由良は、多分まだ階段で揉めている三人を窺うように振り返った。 「魔女の動機は知らないが、シェンマはよっぽどこの組織を疎んじてたんだな。あんなに早く敵が押し寄せてきたのは、あいつが内通してたからだろ」 「そうだな、この雑な手口は全て壊すのを前提にしないと成り立たない。……まぁ、それも失敗に終わったようだな」 外の様子を見る程度の役には立つ窓から見下ろして小さく笑うと、興味を引かれたように由良も近寄ってきた。どうしてこんな大惨事になってんだ!? とがなるネイパルムと、綺麗さっぱり片付いたの間違いだろー? と楽しそうに受け流している蒔也を見つけ、由良は大きく頬を引き攣らせた。 「好き勝手にやったようだな、あの破壊狂……」 小さくぼやいた声を聞きつけたようなタイミングで見上げてきた二人は、対照的な反応を見せる。 「こっち終わったぜー。そっちまだならさっさとガンバレー」 「さっさと終わらせろ、このグズ!」 痛そうに胃を押さえながら噛みついてくるネイパルムに苦笑したムジカは、答えようとしてふと気づいた姿に声を呑んだ。 蒔也たちから少し離れた場所に、白いチャイナドレスの女性が佇んでいる。振り返って確かめるまでもなく、後ろで横たわっている彼女だ。哀れむような視線で屋敷を見回した後、ムジカと目が合うと深々と頭を下げてきた。 (あれが、最期の望みだったのか) ネイパルムたちに聞いた話では、昨日の女性は逃げてと伝えてきたらしい。抗争を止めたかったのか、ムジカたちを巻き込みたくなかったのかは分からない。ただどちらにしろ叶わなかったと分かるだけだ。 黙り込んだムジカに不審そうな顔をした蒔也が振り返った先に、もう彼女の姿はない。兄を殺した罪が重いのか、自分を殺した相手に情が残るのか、悲しい顔をした魔女は誰にも何も告げないまま滲むように消えた。
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