「何を作ろうか」 「おかし!」 アルウィン甘いのがいい! と主張するアルウィン・ランズウィックに、ナウラはそうだなと用意した料理の本を捲る。 「難しくなさそうなのは、やっぱりクッキーかな。でもせっかくだし、もう一つ料理にも挑戦してみないか?」 そのほうがきっとびっくりさせられると悪戯っぽく笑うナウラに、アルウィンも目を輝かせて尻尾を揺らす。 「する! アルウィン、びっくにさせる!」 えへへ、と嬉しそうにするアルウィンに、ナウラも口許を緩めてページを捲る。 二人が突然料理に意欲的になったのは、互いに同居人たちを驚かせたいと思い立ったからだ。直接的に伝えるのが照れ臭い、感謝を込めて。そしてそろそろと近づいてき始めた、別れに際して……。 「初めての料理って言うと、カレーかなぁ。でもあんまり辛いと、ランズウィックさんは食べられないな」 「カレーも好きだ! 甘いのがいい」 「でも甘口だと、皆が食べられるか……」 微妙なところだと悩んだナウラは、びみょ? と聞き返してくるアルウィンに違うのにしようかとまたページを捲る。 あまり難しすぎると、また今度作る機会がないかもしれない。最初に作った今日という日を思い出す縁にするのなら、一人でも作れるような簡単な物がいい。 「おー。おそそしるだ」 「おそそ?」 なに、とナウラが聞き返すと、アルウィンは僅かに覗いている次ページを何度もつついておそそしると繰り返す。首を傾げつつそのページを見たナウラは、ああと相好を崩した。 「お味噌汁か」 「おそそしるー。朝のむんだ、うまいぞ!」 「うん、いいな、これにしようか」 「しようー!」 ばっふばっふ、とアルウィンの尻尾が揺れて同意する。よーしそれじゃあ材料は、と腕まくりをしながら本に書かれたそれらを集め出す。 「まずはクッキーの材料からいこうか。卵」 「たまごー」 「薄力粉」 「はくいきこー」 「バター」 「ばたー」 材料を読み上げつつ道具の準備にかかるナウラは、繰り返しながらぱたぱたと駆け回るアルウィンを微笑ましく眺める。 「お味噌汁の材料まで並べたら、混ぜちゃいそうだし。先にクッキーから焼こうか」 「クッキーから焼くー!」 甘いのと張り切って揺れる尻尾に、うん、と頷いて準備に取り掛かる。調理台はアルウィンには高すぎるので、テーブルに移動してボウルに材料を入れる。お互いに半分ずつ混ぜ合わせて伸ばし、はしゃぎながら型を抜いていく。 「星と月はできるけど、太陽はただの丸になっちゃった」 「タイヨーは赤だ! 色ぬるか?」 「成る程! 上にジャムを塗ろうか」 「甘い、うまいー!」 そうしようとぴょんぴょんと跳ねるアルウィンに、冷蔵庫へジャムを取りに行きながらナウラはふと思い出した記憶に口許を緩めた。 「そういえば、太陽を探して野菜を追い回したこともあったっけ」 「タイヨー? どうして野菜さがす?」 変なイベントに参加したことがあるんだと思い出して笑い、その時のことを詳しく話し始める。おおお、と面白そうに聞いてくれるアルウィンに、ランズウィックさんはとは水を向けた。 「ここで沢山、依頼を受けただろう? どんな依頼があった?」 「アルウィン、猫探した!」 「猫?」 「そうだ! 困ってるやついた、友だちと家さがした、アルウィン騎士だから!」 助けるの義務だとえへんと胸を張ったアルウィンに、ナウラはそっかぁと彼女の頭を撫でた。 「私もランズウィックさんと会えて、一杯助けてもらったな。素敵な騎士だ」 「えーへーへー。ナウラもかっこいセーギのミカタだ!」 「そ、そうかな」 「うん! アルウィン、ナウラに会えてよかった!」 にーっと笑うアルウィンに、ナウラも嬉しくてにーっと笑い返す。それからはたと我に返り、型抜きの終わったクッキーをオーブンに入れる。 「じゃあ、焼いてる間にお味噌汁を作ろうか」 「くつるー! おそそしる、皆喜ぶかな」 「うん、上手に作って喜んでもらおう」 では、お味噌汁部隊突撃ー! と手を振り上げたナウラに合わせて、アルウィンもぴょんと椅子から飛び降りた。耳がぴこぴこっと動く。 「お味噌汁の具って、何だっけ」 「んー、トーフ。ネギー」 料理本の写真を指差しながらアルウィンが挙げ、ナウラもそれを覗き込んで頷く。 「あ、ワカメも入ってる。だがしかーし、その程度は予測の範疇!」 今日の冷蔵庫に抜かりはなーい! と扉を開けながら自分でばばーんっと効果音を入れると、アルウィンがおおーっと拍手をくれる。味噌の他に煮干や鰹節といった出汁の準備も忘れずにー、と歌うように探していると、アルウィンが突然すんすんと鼻を鳴らし始めた。 「こげくさい」 「え? あ、クッキー!!」 はっとしてオーブンに駆け寄ると、取り出した天板の上段に置いたクッキーがぷすぷすと焦げている。うわあと呟いたきり絶句するしかない黒さの物もあって、思わず二人で無言のまま見下ろした。 「くろいなー」 「黒いね……」 下段に置いた分は、優しい色に焼き上がっていて美味しそうだが。上段に置いた半分が焦げ焦げだと、溜め息しか出ない。けれどナウラがごめんと謝る前にアルウィンが手を伸ばし、黒焦げになったクッキーを無造作に口に放り込んだ。 「うわっ、ランズウィックさん、やめたほうが、」 「まじゅい」 うえ、と舌を出すアルウィンに言わないことじゃないと言いかけたナウラに、悪戯っぽく笑ったアルウィンが同じくらい黒いクッキーをナウラの口に放り込んだ。思わず噛み砕き、口に広がる焦げ臭さに顔を顰める。 「まじゅいだろ?」 「焦げた匂いがひどい……。よくもこんなの食べさせたなー!」 「アルウィンも食べたー」 一緒だと笑うアルウィンに、それもそうかと納得してまだ残る焦げたクッキーを見下ろす。 「けどこれはちょっと、皆も一度は食べるべき不味さだ!」 「うん、まじゅい!」 すかさず答えたアルウィンに堪えきれずに吹き出すと、二人で同じように笑いながら上手に焼けた分とは別に焦げたクッキーも大事にお皿に選り分けた。美味しいほうも味見しようとナウラが提案し、喜んで食べたアルウィンは、おいしいー! と尻尾を揺らす。 「うん、こっちは上手にできた。この次は、」 この次は全部成功させようと言いかけ、知らず言葉が止まった。 次。は。多分ない。クッキーを作ることはできるけれど、その時アルウィンはきっと、ナウラの隣にはいないだろう。 一瞬止まった言葉を苦労して別のそれに変えて、ナウラはオーブンを見上げた。 「二段にしたから、当たる火力が違ったんだろうね」 「むかかしいなぁ」 「うん、難しい」 見るだけで苦い気がすると黒すぎるクッキーを眺めて苦笑したナウラに、まじゅかった、とアルウィンも舌を出す。目を合わせて声にして笑い、お味噌汁は失敗しないようにしようと改めて本に目を通す。 こうして楽しく過ごせる時間は、一体後どのくらい残っているのだろう? 不意に胸を過ぎった思いに言葉が詰まりそうになったが、料理の手順を読み上げることで誤魔化す。アルウィンは調理台に手をかけて背伸びをしながら、ふんふんと真面目ぶって頷いているがくたりと尻尾が垂れている。 分かっていたはずだ。別れの時が近いのも、離れたら多分もう二度と会えないだろう、という事実も。だからこそ、二人で料理をしようと決めたはずだ。 混ぜるのに失敗してクッキーの生地がちょんと鼻先についたのも、口に入れて顔を顰めるほど苦いクッキーになったのも。どれも思い出せばふっと口許の緩む、楽しい時間になった。 さっきみたいに自分たちがこなした依頼の話をするではなく、何だか黙々とお味噌汁を作る間。葱を切るのに失敗して指先を切った痛みはやがて薄れていくとしても、だいじょぶかと心配してアルウィンが取ってくれた手も、痛そうだと自分のほうが泣き出しそうな顔も、きっと何も忘れない。 離れ離れになってもまたクッキーやお味噌汁を作る時、こんな失敗をしたと思い出す隣には絶対に互いの姿が残る──。 「う、うう……」 「っ、ふえっ、」 堪えきれない嗚咽が洩れたと思うと、ナウラとアルウィンは二人して大泣きを始めた。うわあぁあっと声を張り上げ、互いに抱き締め合って、子供みたいに激しく形振り構わず泣く。何が悲しいのか、寂しいのか、もう自分たちでも分からない。ただ今は泣くことだけで頭が一杯で、そうしてようやく涙が止まった時にはどちらもぐったりと疲れていた。 ぐす、としゃくり上げつつ相手を窺い、アルウィンがナウラを指して笑った。 「お鼻でてるぞ」 「ランズウィックさんこそ、顔がびしょびしょだ」 疲れたままもそっと笑い、相手の顔に手を伸ばして涙を拭う。到底追いつかなくて顔を洗いに行かないといけないのは分かっていたけれど、それでも触れる手の感触を覚えていたい。覚えていてほしい。 「おそそしる、途中だ」 「そうだね。ちゃんと作らないと」 でもまずは顔を洗おうと立ち上がり、蛇口を捻ると乱暴な勢いで顔に水をかけ、タオルがないーと水浸しのまま歩き回った。後で誰に怒られてもいい、今は二人で笑い合えたら、それで。 夏には水遊びもした、今度雪が降ったら思いきり遊ぼう。小さな約束を積み重ね、残された時間を繋いでいく。そうして楽しい思い出で一杯にしたら、この痛いほどきゅうとする胸がちょっとは和らぐような気がするから。 泣くのは終了! と主に自分に向けて宣言し、料理に戻る。最初は出汁が薄すぎて味がしなかったり、味噌が多すぎて辛かったりして、納得いく味になった時には寸胴になみなみと入るほどの量に膨れ上がっていたけれど。 「美味しいー!」 「うん、大成功!」 ぱちんと手を打ち鳴らすほどの出来に満足して、また少し沈黙が落ちた。 「……驚くよね。喜んでくれるよね」 泣き出しそうに呟いたアルウィンを、ナウラは優しく抱き締めて当然だと力強く頷く。 「もう泣かないで、ランズウィックさん。さっき、もう馬鹿みたいに泣いた後だ」 これ以上泣くと、あれを全部飲み干して水分補給しなくちゃいけなくなると出来上がった味噌汁を指すと、アルウィンも震える唇を無理やり笑みの形にする。 「食べてもらおう。そして、一緒に食べよう」 最後に向かう、思い出の為に。もう頭を撫でて慰められる距離にいられなくなった時、思い出して元気になる記憶を。 元気で、なんて野暮な言葉だ。互いの中にある思い出を辿れば、嫌でも元気になれる。そのはずだから、そんな言葉はいらない。 泣かないでと言ったのは自分なのだから、霞むような視界は気のせいだ。振り返るたびに浮かぶのが泣き顔なんて堪らない、アルウィンの笑顔が好きだ。彼女にも、自分の笑顔を思い出してほしい。 「笑顔で覚えててもらう為に、もう泣かないよ。ランズウィックさんの武運長久と幸せを祈ります」 「アルウィンも、ぶーぶちょ……全部お祈りする」 無理やりな笑顔で交わした言葉で、無理なく笑い合う。 「さ、後は仕上げ。ちゃんと持って帰らないと!」 「うん。皆いーっぱい喜ぶ!」 「黒焦げクッキーも義務でー!」 「ぎむでー!」 おおーっと突き出した拳をこつんと突き合わせ、ナウラとアルウィンは嬉しそうに笑った。
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