ヴォロスのとある地方に「神託の都メイム」と呼ばれる町がある。 乾燥した砂まじりの風が吹く平野に開けた石造りの都市は、複雑に入り組んだ迷路のような街路からなる。 メイムはそれなりに大きな町だが、奇妙に静かだ。 それもそのはず、メイムを訪れた旅人は、この町で眠って過ごすのである――。 メイムには、ヴォロス各地から人々が訪れる。かれらを迎え入れるのはメイムに数多ある「夢見の館」。石造りの建物の中、屋内にたくさん天幕が設置されているという不思議な場所だ。天幕の中にはやわらかな敷物が敷かれ、安眠作用のある香が焚かれている。 そして旅人は天幕の中で眠りにつく。……そのときに見た夢は、メイムの竜刻が見せた「本人の未来を暗示する夢」だという。メイムが「神託の都」と呼ばれるゆえんだ。 いかに竜刻の力といえど、うつつに見る夢が真実、未来を示すものかは誰にもわからないこと。 しかし、だからこそ、人はメイムに訪れるのかもしれない。それはヴォロスの住人だけでなく、異世界の旅人たちでさえ。●ご案内このソロシナリオは、参加PCさんが「神託の都メイム」で見た「夢の内容」が描写されます。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・見た夢はどんなものか・夢の中での行動や反応・目覚めたあとの感想などを書くとよいでしょう。夢の内容について、担当ライターにおまかせすることも可能です。
ふと気づけば、荘厳にして瀟洒、壮麗にして優美な古城の一角、青白い月光に照らされた中庭のような場所に佇んでいた。いつものような仔猫ではなく、中性的な美貌を持つ線の細い青年の姿を取って。 いったいここはどこだっただろうかと考えて、自分がかつて幽閉されていた街の『礎』たる城だと気づく。 「何で、ここに……」 高く聳え立つ城には何の変わりもなく、懐かしくも恐ろしく、あれだけ必死に逃げ続けて、ようやく逃げ果せたと思っていたのに何故、と、彼は足早に出口を求めて歩く。 さくさく、しゃりしゃり、ぱりぱり。 歩くごとに、足元で、細かなかけらが砕けるささやかな音が聞こえ、彼はその違和感に気づいた。 かつて彼がいた頃の城は、塵ひとつなく掃き清められ、整えられていて、こんなかけらが散在するような余地はなかったはずだ。 「いったい、なに、」 大地を見下ろして、彼は瞠目する。 ――彼の踏み締める足元は、女たちの骸で埋め尽くされていた。 咽喉笛を食い千切られ、血を啜り尽くされ、肉を貪られて真っ白になった、無残な――しかし、安らかで幸せそうな慈愛の笑みを浮かべた――、無数の、美しい骸が織り成す大地。 「あ……」 見上げれば、城もまた女たちの骸で出来ていた。 白いドレスを身にまとい、満足げな微笑を浮かべた、美しくも哀しい『花嫁』たち。 それは、彼の――この街を護る夜魔の生け贄として城に遣わされ、彼を愛し愛されて喰らわれた、愛しい女たちの骸だ。 誰ひとりとして忘れたことのない、記憶の中の花嫁の名を呼び、華奢な指先で冷たい頬をなぞってゆく。 「ディアナ」 最初の花嫁。 はにかんだ笑みが可愛くて、そっと抱き締めてくれる温かい腕が大好きだった。 「アプロディテ」 情熱的な花嫁。 喰らわれる身と知っていて、最期まで明るさと強さを失わず、彼の傍にいてくれた。 「アルテミス」 物静かで聡明な花嫁。 彼女の詠んだ愛の詩を、今でも魂のお守のように抱いている。 「ブリギット」 凛とした花嫁。 それでも貴方を愛しましょうと、無数の口づけとともに誓ってくれた。 「ダヌ」 穏やかで温かい花嫁。 空腹と罪の意識、両極の苦しみに懊悩する彼を、母のような強さで包み込んでくれた。 「イシュタル」 ミステリアスな花嫁。 私がここに来たのは運命だから何を罪と思う必要もないの、と彼を憩わせてくれた。 「ウェヌス、ミネルヴァ、アテネ、デルピュネ、イナンナ、モリガン、スカアハ、ロスメルタ、マヤウェル、サラスヴァティ、ウシャス、ラートリー、アナヒタ、ヴァジェト、レギンレイヴ」 青褪めた月光に照らされ、真っ白に浮かび上がるひとりひとりを、いとおしむように、懐かしむように呼び、強張った手の甲にそっと口付けを落としてゆく。 「……判ってるよ、判ってる」 二度と目覚めぬ眠りに就いた彼女らの、声なき声、祈りのような言葉が脳裏をよぎり、彼は哀しく微笑む。 女たちは皆、自分のすべてを差し出す代わりに、もう誰も殺さないでと――もう罪の意識に苦しまないでと、彼に願い続けた。そのために、死してなお永遠の愛を捧げましょうと。 花嫁たちは、いずれ喰らわれる身と知っていて、皆、彼を心から愛してくれた。己の命を奪うものを、魂をかけて愛してくれた。その愛のゆえ、彼に、人間の身勝手でこれ以上罪を重ねさせたくない、苦しめたくないと言ってくれたのだ。 その願い、祈りのような最期の望みを、あの街から逃げ果せた今なら叶えられる。 「判ってる」 自分に確かめる如くに呟くと、大地に跪き、地面を埋め尽くす骸をかき集めるように抱きしめ、口づけて、誓いを口にする。 彼女らの冷たい硬さと死のにおいは、しかし、彼にいとおしさを与えるのみだ。 「もう、誰も愛さないから……殺さないから、だから、ここにいて。おれの心に、ずっと」 無上の愛と敬意を込めて囁くと、花嫁の骸で出来た城は、大地は、彼の中にすうっと融けていった。 すべてが暗闇に飲み込まれ、なにもかもが掻き消える瞬間、くすくすという、軽やかな、明るい笑い声が聞こえた気がして、彼はその場に跪いたまま瞑目し、無償の愛で自分を包んでくれた、優しい女たちのことを無心に想った。 * * * * * 目を開けると、見慣れない天蓋が視界に飛び込んできた。 「……ああ、そっか」 ハルシュタットは大きな欠伸とともに伸びをして、簡素なベッドから飛び降りる。 銀の首飾りがしりん、と鳴って、ハルシュタットは前脚で髭を整え、尻尾をピンと立てた。 「どんな夢を?」 朱金の髪の付添い人が問うてくるのへ、 「……だいすきな人たちの夢」 寂しくも満たされた笑みを見せ、答える。 ――花嫁たちの愛と記憶で、今の彼は出来ている。 尽きかけた魔力と満たされない空腹は、彼女らを決して裏切らないという証だ。 「しあわせな夢だったよ、おれにとっては」 だから、閉ざされた箱庭のような幸福を抱き、誓いのためにハルシュタットは生きる。 己が幸いを疑うこともなく。
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