ある日。 世界司書の紫上緋穂はにこにこ笑顔でロストナンバー達にチケットを差し出していた。「奈良に遊びに行く人ー! 手ぇあげてっ!」「「「……」」」 いや、行きたくないというわけではない。この子のことだから、何かウラがあるのではないか、そう思ってしまっただけだ。「みんな素直になればいいのに」 ぷーっと頬を膨らませる緋穂。だが詳しい説明前に話に乗るのは危険だと、慣れた者たちはなんとなく感じていた。「えっとねー、この間世界樹の苗木を処分しに行ったでしょ? その後どうなっているか、ちょっと見てきてほしいなって」 ほらやっぱり……ロストナンバー達の間から、ため息が漏れる。だが緋穂はそれを遮るようにして。「ちょっと待ったっ! なんか聞き捨てならない」 扇状に広げたチケットをひらひらさせて。「見てきて欲しいっていうのは建前。かるーく調査して、特に異常がなければその後は付近を観光していいんだよ」「「「おおー!!」」 苗木が植えられた夢殿のある東院伽藍だけでなく、大宝蔵院や五重塔、百済観音堂などを自由に見て回ることができる。「私、あの事件の後気になってあの辺りを調べたのですが、斑鳩の地には竜田川という、和歌にも詠まれた綺麗な川があるそうですね」 微笑を浮かべながら口を開いたのは、苗木の撤去時に法隆寺に向かったユリアナ・エイジェルステット。『ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは』『嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり』 この二首の他にも、竜田川を詠んだ歌は多いらしい。「今は桜の季節でも紅葉の季節でもないけどさ。みんなが行くのは夕方から夜にかけてだから、夕日が紅葉の幻を見せてくれるかもね!」 緋穂が微笑んで続ける。「竜田川には竜田公園っていう遊歩道のある素敵な公園があるよ。ゆっくり散歩しながら過ごすのも素敵じゃない?」 あとは、とパンフレットを漁る。「竜田神社っていう廐戸皇子ゆかりの、逸話が伝えられている神社もあるよ。お参りとかいいかもね」 勿論、甘味処や食事処、土産屋に入るのも自由だそうだ。 帰りのロストレイルが出発するのは夜だから、それまでは自由に過ごしていいらしい。 調査よりも観光の説明が多いというのは、まあどちらかと言うと調査はさくっと済ませて観光してこいということなのだろう。 本当にそうならば……ロストナンバー達は緋穂の手からチケットを取る。 廐戸皇子ゆかりの地で、素敵な時間を過ごそう。=============!注意!パーティシナリオでは、プレイング内容によっては描写がごくわずかになるか、ノベルに登場できない場合があります。ご参加の方はあらかじめご了承のうえ、趣旨に沿ったプレイングをお願いします。=============
●in法隆寺 観光地として名高い京都に負けず劣らず、奈良にも名刹と呼ばれる場所は多くある。この法隆寺もそうだ。 知名度や修学旅行のスポットとしては東大寺に軍配が上がることもあるが、それでも観光客が途切れることがないのはさすが世界最古の木造建築物といった所か。 推古天皇の時代に廐戸皇子により建立され、飛鳥時代を始めとする各時代の貴重な建造物や宝物類を、広大な境内の随所で見ることができる。 「この間は鹿さん達に頑張ってもらったしね」 花菱 紀虎は鹿達の様子を見に来ていた。先日の苗木除去に関する依頼で予想外なほどに鹿が活躍したのは記憶に新しい。世界樹旅団員にとってもその活躍は予想外であったことは報告書の通りだ。 「元気にしてた? 怪我してないかな?」 せんべいを買い求めれば、その様子を見た賢い鹿達は、我先にと紀虎に近づく。 「わ、わっ……ちゃんとあげるから囲まないでっ」 囲まれないように、と移動しつつせんべいを差し出していく。囲まれたら大変なことになるのは痛いほどに分かっている。追いかけられる恐怖も。 「この間はありがとう。お礼だよ」 せんべいを差し出しつつ目を細める。正直どれがこの間手を貸してくれた鹿なのか判別はつかなかったが、集まったすべての鹿に感謝しておけば間違いはないだろう。 (……無事だとは思うけど、あの後どうなったんだろうな……) 少しの心配を表情に表しながら夢殿を目指すのは、苗木の除去にも参加した椎橋 楓だ。あの時はとてもじゃないがゆっくりと建造物を見ていられる状況ではなかった。それに楓はほぼ空中から見下ろす形で見ていたから、今日はきちんと歩いてその積み重なった時間を感じたかった。 東院伽藍の門を潜ろうとしてふと足を止める。恐る恐る振り返って、そしてきょろきょろと視線を動かして。 「今回は鹿……いないよね?」 要らない心配かと思ったが視界に入ったのは鹿にせんべいをやりながら近づいてくる紀虎の姿。紀虎自身は囲まれないようにと移動していただけなのだが、いつの間にやら東院伽藍まで来てしまっていたらしい。 「!」 さすがに門の内までは入ってこないだろう、そう思いつつもやっぱりあの時の『あの光景』を見た者としてはちょっと不安もあって、楓は急いで門を潜った。そして目の前に広がる光景に、意識を奪われる。 夢殿を中心に、観光客達が思い思いに写真を撮ったり建物を見上げたりしている。普通の光景だと言われればそれまでなのだが『異様な光景』を知っている楓からしてみれば――。 「……まるで『あんな事』なんてなかったみたいだ……実際には、起きていたわけだけど」 酷く複雑である。思わず顔に出てしまうほどに。 同じ頃、建物近くまで寄って夢殿を見学していたのは百田 十三とユリアナ・エイジェルステット。二人もやはり、この場で苗木除去に尽力したのだ。 「ここを訪う前に少し調べたのだが」 十三の言葉にユリアナは黙ったまま彼へと視線を移した。十三は夢殿を見つめたまま、続けて言葉を紡ぐ。 「何故あの時、聖徳太子と目される人物は夢殿を護ったのだろうな」 思い返せば確かに、世界樹によって顕現した廐戸皇子は夢殿を守るような行動をとったように見えた。十三が思い出しているのはその時のことだ。 「夢殿は聖徳太子の遺徳を偲んで建立されたと聞く。彼は自己の業績を護りたがるほど利己的な人物だっただろうのか。それが、良く分からん」 「……『夢殿』と呼ばれる建物は、廐戸皇子の邸宅にもあったそうですよ。勿論、後から作られたこの八角円堂と同じ形をしていたかは定かではないそうですが」 「ほう」 「もしかしたら、邸宅にあった同名のそれを懐かしんだのかもしれませんし……」 ユリアナは言葉を切って、静かに十三に倣って夢殿を見上げる。 「自分を偲んでくれた人達の心を守りたかったのかもしれません」 「自分を偲んだ人の縁を護りたい、か。それなら少しは分からなくもない」 彼女の意見を聞いて十三は小さく頷いた。本来の所は確かめるすべはないが、そう思っておくのも悪くはない。 「……それすら歪めてああいう形で顕現するのか。怖ろしいものだな、世界樹は」 十三がため息を付くように呟いた。 同じようにあの時顕現した聖徳太子を思うのは紀虎。せんべいがなくなって鹿が離れていってから、そっと夢殿を見上げて。 「あの顕現した彼は俺達が思い浮かべる偶像なのか……はたまた」 遠く、時を超えた先の偉人へと思いを馳せる――。 「うわぁ、おっきい建物……! すごいなぁー」 田舎育ちのソア・ヒタネは巨大な建造物や文化財にあまり縁がない。だからとてもとても新鮮で、あれもこれも見たい。 「あれ? でもこれって五重塔だったような気がします……」 ソアが入り口でもらったパンフレットを見ると、やはり『五重塔』と書かれているのだが、目の前のこれは――。 「……四、五、六……ろく?」 数えていた指が止まる。何度か数えたが、六重の塔に見える。 首を傾げるソア。それがあれっ 一人多いぞの仕業だとは、彼女は知る由もない。 「これがこちらの世界の宗教ですか。多神教なのですね」 「あ、確か……ジューンさん、ですよね。もしかして、ジューンさんの故郷では違ったのですか?」 隣で呟きが聞こえて、ソアが声をかけるとピンクの髪を揺らしてジューンは頷いて。 「えぇ、連邦加入国家でも星系ごとに色々な宗派がありましたから。みな禁忌が違いますから、私達も気を付けていました」 「そうなんで……ひゃあっ!」 連れ立ってゆっくり歩きながら言葉をかわす。ゆったりとした時間が流れていた所、ソアの身体に衝撃が走った。 「ごっ、ごめんなさい、ごめんなさい!」 よそ見をしていた、注意していなかった自分が悪い――ソアは必死で謝る。だが。 「ソアさん、それは柱です」 「え、あっ……」 ジューンに指摘されて柱を認識するも、ソアは柱に対しても頭を下げて謝った。その光景をジューンは何となく微笑ましく見つめて。 「戦いのあった夢殿は、もっとあっちのようですね」 「こんな観光地で戦いがあったんですね……」 辺りを見回せば楽しそうに観光をしている人達の姿が。閉門時間も近いはずだが、それでも多い。 「いつかわたしも、戦うことになるのかな……」 不安色の呟きは、夕方の風に乗って――。 西院伽藍の中門を潜った所でぶつぶつぶつと何やら呟いている男がいた。老夫婦や子連れの母親が訝しげに自分を見つめていることに彼は気がついていない。 「色々不幸が重なって、小中高と何故か3回とも修学旅行が京都奈良で。何故か東大寺と法隆寺は3回とも入ってたんだよな。そして大学生になってまた今法隆寺、と。微妙に俺の黒歴史こんにちはって気がするぜ、ふふふふふ」 「ママー、変な人がいるー」 「こら、指差しちゃいけません!」 変な人、もとい坂上 健がちらっと声のした方へ視線を移すと、母子はそそくさと彼の視界から出ていく。ある意味こういう扱い離れているといえば慣れているかもしれない、健は記憶をまさぐって。 「奈良に来たら鹿せんべいを買って、鹿とライドバトルをしなきゃなんない気がするけど……東大寺じゃないから止めておくか」 いやさすがに東大寺でもまずいとは思うが。昨今鹿が増えすぎて問題になるくらいだから、もしかしたら鹿の方から仕掛けてくるかもしれない。 「あれ? ユリアナさんっさっき夢殿の方に行ったような」 そっくりな横顔を見つけて首を傾げる健。あのユリアナがあれっ 一人多いぞだとは思いもしない。まあいいやと思い直して再び記憶を探る。 「そういや恋占いの石ってあったな……あれは京都か。記憶が混じってるなぁ」 確かに修学旅行のように連れられて回る感のある旅行では記憶が混じりやすい。個人的に頻繁に訪れているならまだしも、修学旅行は友達との思い出のほうが記憶に残りやすいものだ。 さて、大学生になった健の記憶には、今回の訪問はどんなふうに残るのだろうか。 こちらも修学旅行で法隆寺を訪れたクチ。吉備 サクラはのんびりと歩きながら辺りを見回していた。 「法隆寺、ですか……中学の修学旅行で来たんですよね。東大寺、唐招提寺、興福寺とセットで回らされて」 思い出すのはかつての記憶。 「ふふっ、あんまりあの頃と変わってませんね……たった3年ですもの、そうですよね」 頭に浮かんだ光景と今瞳に映る光景は大して違いがなかった。たった3年。この建物が経てきた時間と比べたら、本当に瞬くくらいの時間だ。 「あ、あれは……」 ふと耳に届いた声に回顧が破られる。そちらを見て見れば、旧校舎のアイドル・ススムくんと健が誰かともめているようだった。 遡ること数十分前。ススムくんは仏像を見学していた。 「たった135歳のわっちでこうでやんすから、こちらの方々なんぞ日々ラジオ体操くらいしてらっしゃるかと思ったでやんすが……居りやせんねぇ、動き回る方」 よく考えると実に面白い光景である。アルカイックスマイルを浮かべた人体模型が、似た表情を浮かべた仏像を見ているのだ。 「なんか目的が根本から違うんだな」 「いえね、わっちも壱番世界出身者として、たまにはお仲間と語り合いたいと思いやしてね? 顔だけ見たら瓜2つでやんしょ?」 近くを偶然通りかかった健が、ススムくんの独り言を拾った。そしてじっとその姿を見て。 「試しに隣に座ってきたらどうだ?」 なんか罰当たりなことをけしかけたその時。周囲が騒がしくなってきたことに気がついた。 「そこの青年、動くな!」 「「?」」 きょとんとする2人の元に走ってきたのは法隆寺関係者の方々のようである。一様に険しい顔をして、健とススムくんを取り囲む。 「いい年して悪戯は感心しないね。仏像に法被を着せて持ち出すなんて罰当たりな!」 「え? ちょっ、ちょっとタンマ……」 「仏像保護しました。運び出します」 関係者に迫られる健が横目で見ると、ススムくんは肩と足を二人の男に持たれて地面と並行にされ、今にも運ばれようとしている。 「建物外で仏像を見たって通報があったんだよ。ちょっと事務所で話をきかせてもらうよ」 がしっ。両側から腕を掴まれて。 「ご、誤解だ! 濡れ衣だ! 冤罪だ!」 なんとか拘束から逃れようとする健。白衣の裏の武器の数々が見つかったら更に別の方向へ誤解されそうだが……。 「はっ、もしやわっち、高貴さのあまり国宝認定されてどこかの蔵に仕舞われるでやんすか? 志半ばに押入れ入りは嫌でやんす~」 ススムくんの悲痛な叫びが夕方の空に響く。 二人の誤解が解けるのは、それから暫く後のお話。 「わぁ、凄いわ凄いわっ!」 「さっきからそればっかだな」 広い境内を半分ほど回ったが未だにはしゃぎ続けているティリクティアの隣を歩くリエ・フー。苦笑しつつも内心は喜んでいる彼女を見て、来てよかったと思ったりして。 「初めて来たが、結構いいとこだな。異国情緒っていうのかね、こういうのも」 「法隆寺ってとっても広いのね」 五重塔や金堂を見学して中門から出る。出身世界も西洋風、ターミナルも西洋風であるからして、ティリクティアには日本の寺が珍しくて仕方がない。 「ほら、次はどこ行く? 行きてえとこあんならお供してやるぜ、お嬢ちゃん」 すっとさり気なく差し出された腕。その意図を察したティリクティアは腕を絡め、そして引っ張るようにリエの前をゆく。 「東大門を超えて夢殿を見に行きたいわ!」 空いている手で行き先を指さしたティリクティアのワンピースの裾が揺れる。結い上げた髪がいつもと違う彼女を演出していた。 「ねえリエ、仏の表情って不思議ね」 「ああ、確かに西洋の像なんかと比べると全然違ぇな」 夢殿のある東院伽藍までの道程を他愛のない話をしながら過ごしていく。 「ほら」 何の前触れもなくそれが差し出されたのは、漸く東院伽藍が見えてきた頃だった。 「やるよ」 リエがティリクティアに差し出したのは綺麗な鈴。風に揺られてチリリリリン……と澄んだ音を立てる。 「恋愛成就のお守りだとさ」 「貰ってもいいの?」 小首を傾げたティリクティアの手に、リエは鈴を握らせて。 「旅の記念に、な。故郷で許嫁が待ってんだろ? 生きてりゃ逢えるさ、きっと」 女に貢ぐのも男の甲斐性だろ? と笑ってみせればティリクティア鈴を眺めて。 「ありがとう、リエ。こうなったら今日は最後まで付き合ってもらうからね。見学の後は甘味屋巡りよ!」 「ああ、お嬢ちゃんの御心のままに」 少しばかり畏まった言葉を使ったリエにどちらからともなく笑いが漏れる。 普段は駆け足の夕方の時間が、今日はゆっくり優しく流れているようだった。 ●in竜田公園&竜田川&竜田神社 日が傾き始めていて、辺りの色も変わり始めていた。普通に観光に来ているのだったら、名所の閉門時間を気にしたり夕食をどこで取ろうかとそんな事を考えるところだろう。 だが今回ロストナンバー達は、夕方だと分かっていて斑鳩の地を訪れたのだ。それ故取っ掛かりが違う。 リーリス・キャロンは他の観光グループのガイドの説明などを聞きながら法隆寺から移動してきたところだった。 「うん、まぁ面白いかな。京都の方が色々居て面白かったけど。ただ長く人が居るだけじゃ駄目なのねって思うと勉強になるわ」 探していた魔術結界らしきものも食事できそうな霊魂系の存在や強い感情もあまりめぼしい物はなかったが、色々と感じるものはあって。それはそれで面白いと思った。そのまま彼女は竜田神社へと足を伸ばすことにする。 「本当に赤く染まっているね」 「ええ……素敵です」 遊歩道を進む足を少しばかり止めて。ニコ・ライニオとユリアナは、夕日を受けて紅に染まる竜田川を見つめていた。こうして見ると本当に、昔詠まれた歌の光景を見ているようだ――なんて思ったのはユリアナだけで、ニコは実は調査のことも歌のこともあまり頭にはなかった。ちょっとしたデート気分で頭の中はウキウキしている。 「夕日の空を飛んだら気持ちよさそうだけど、壱番世界だし目立っちゃうね」 「ふふ、そうですね。けれどももしかしたら、夕日の朱色にうまく紛れられるかもしれませんよ?」 軽く冗談を口にするくらいには、彼女もリラックスしていて。そのいたずらっぽい笑顔を見るとニコの顔にも笑顔が強く出る。 「秋になると、紅葉のおかげで夕方以外も川面が紅に染まるそうですよ」 「へぇ……」 彼女の言葉に返事をし、ニコはすうっと息を吸い込むようにして。 「じゃあその頃にまた来たいね」 さり気なさを装ったつもりだったが、彼の心中は緊張で満ちていて。 そうですねと彼女が微笑むと、ニコは気取られぬようにそっと胸をなでおろした。 法隆寺を経て龍田神社を訪れたジューンは、自らの出身世界の信仰とこの地の信仰について思いを巡らせる。 「航海士の方は、比較的運命論者の方の割合が高かったように思います。偶像崇拝で船を麗々しく飾り付けられている方もいらっしゃいましたけれど」 独り言のような呟きが、夕日に染まった風に乗る。 「その方の心の平穏といざという時の冷静さに結びつくなら、何を信じるのも自由ではないかと思います」 この国には八百万の神がいるという。古来から人々はそれぞれ、色々なものを信じ、敬ってきたのだろう。現在それでうまく行っているように見えるのだから、ジューンの思いは正しいのだろう。 ピンク色の髪が、呟きとともに風に揺れた。 「ここにもそんなにいないのね……」 「なんじゃね、お嬢ちゃん?」 神社の境内にいた老人を魅了したらお菓子をくれたので、素直に貰うことにして。辺りを見回したリーリスの言葉を、老人は拾えなかったようだ。 「……内緒♪ 何でも全部分かっちゃったら面白くないよ、きっと」 「ふむ……その通りじゃな」 皺の数と同じ程の人生経験の中で何か思うところがあるのか、老人はそれ以上追求して来なかった。 リーリスは廐戸皇子の逸話があるという境内をもう一度ぐるっと見回して。 (貴方が居ても居なくても、ここの人達は変わらなそうよ、皇子様?) こっそりと心の中で語りかけた。 ●in美味巡り 「今までさんざん心配させられたお返しに今日はたーっぷり付き合ってもらうんだからね!」 竜星の戦いで再会した兄、臣 燕と共に飲食店街を歩くのは臣 雀。小さい身体でちょこちょこ人混みを縫ってはあれも買ってこれも買って。だが勿論支払いは、今まで雀に心配をかけた兄の担当である。 「おい雀、勝手に走ってくなよ転ぶぞ! ったく、お転婆なのは全然変わってねえな」 渋々といった様子を見せつつも、燕は妹が選んだ物にしっかりとお金を支払って。雀が冷ました甘酒を受け取る。 和菓子屋の店先に腰を落ち着けて二人が話すのは、覚醒後の事、故郷の事、家族の事、婚約者の事……。積もり積もった話。 「ねえ兄貴、あたし本当に心配したんだから。もう勝手にいなくなっちゃうのはなしだよ。指切りげんまん、約束ね」 「ダメな兄貴でごめんな、雀。でもさ、お前が無事でよかった」 差し出された小さな小指に自分の指を絡めて、空いた手で妹の頭を撫でる。破ることなど出来ない、大切な約束をかわして。 「サシャ、甘味処でいいのか?」 「はい。和菓子についてこの機会にばっちし学びたいのです!」 「相変わらず向上心が強いんだな」 マルチェロ・キルシュの徹底的なエスコートで甘味処を目指すサシャ・エルガシャの金の髪には桜の髪飾りが揺れていて。 (気づいてくれるかな?) 頭の中が甘味でいっぱいでもこれは別。乙女心でちらっと彼を見上げる。 「髪飾り、つけてくれたんだな。似合ってる」 「!」 そんなサシャの心に気がついたのか、ロキは彼女がほしい言葉とそれ以上のものをくれる。 「この間、桜の花言葉を教えてもらったんだ。『優れた美人』『純潔』『精神美』……サシャにそのものだ」 「え……ロキ様、そんな……」 真っ直ぐに告げる彼の言葉に心臓が跳ねる。彼はそんなふうに自分を見てくれていたのか、サシャの頬が熱くなる。 「これ、受け取ってくれるかな?」 差し出されたのは薄紅色のコサージュ。壊れ物に触れるように、サシャはそれを受け取って笑んだ。 「どうせなら花より団子ですぅ☆」 お土産屋さんを物色していた川原 撫子はサクラを見つけ、共に陳列物を見る。見ているのは食べ物ばかりだ。 「日本人のコンダクターさんなら、大体中学の修学旅行で来てるんじゃないかと思うんですよねぇ……私もそうでしたけどぉ☆」 「私もそうでした」 「でもでもぉ、京都でお土産買った記憶はあっても奈良はないんですよねぇ☆ 財布の中身はあの頃とあんまり変わりませんけどぉ、何か面白いお土産ありませんかねぇ~?」 きょろきょろと物色を続ける撫子は、サクラの手に薄い箱が握られているのに気がついた。 「これはご当地カレーです。最近はご当地カレーが百種類以上ありますから、奈良にだってあるとおもいまして。えーっと……奈良幻の薬膳カレー? 結構微妙そうと言うかいいお値段と言うか」 奈良・天平時代の食材だけで作ったそのカレーはレトルトカレーとしては高めのお値段である。 「あ、こっちにもありましたよぅ。奈良大和肉鶏カレー。……鹿肉じゃないんですねぇ」 (鹿肉、すっごい美味って思いますけどぉ) ここで言ったら滅殺されそうなので、心の中だけで。 「それも美味しそうですね。グラウゼさん、レトルトカレー殆ど食べたことないって言ってたから良いですよね」 どうやらサクラはカレー好きの世界司書へ土産を買うようだ。 「……こ、このチョコは」 「どうしました?」 面白い土産を探していた撫子が固まっている。『ご自由にお召し上がりください』と書かれた試食ボックスの中にはころころとしたピンク色と茶色の可愛いチョコが入っているが、その商品名が問題だった。 「さすがにちょっとびっくりしましたぁ☆」 しかしここぞとばかりに試食してみれば、ピーナツが入っていて美味であったのである。 「お品書きのもの全部ください!」 今日ばかりは体重なんて気似せずに食べまくると決めていた。迷った挙句そう言ったサシャを見てロキが少し苦笑して。 「は~んおいひい、しあわせ~」 でも美味しそうに食べるサシャに向けられるのは愛のある眼差し。 同じ店内では、両手に花状態の猫が座席にちょこんと座っていた。猫姿のハルシュタットと 人間姿の花咲 杏、南雲 マリアである。隣接したテーブルには湊晨 侘助と灰燕が寛いでいる。二人のその服装はとてもこの街に溶け込んでいた。 「歩いてばかりやとつかれるやろから。ハルたんはどれを食べるんー?」 お品書きを手に隣のハルシュタットに声をかける杏。すでに目の前には団子がうずたかく積まれた皿があるのだが、まだ食べるらしい。 「りょうてにはなー! どれもおいしそう~」 ほわほわ嬉しそうなハルシュタットは杏の前の団子を貰ってもしゃもしゃ。彼女がお品書きのもの全部頼むのを聞いていても止めはしない。 隣接したテーブルにはすでに山ほどの甘味と空いた器が並んでいて。主に食しているのは灰燕。ひたすら甘味に舌鼓を打っているその姿に、心配そうな声が掛かる。 『灰燕様、御身に障ります。御自愛くださいませ』 姿を見せはしないが声だけで諫めるのは契約相手の白待歌。しかし当の灰燕は頷くだけ。 「負けない!」 その消費量を見てライバル心に火がついたのか、マリアは新たにオーダーしたものが来るまで目の前の甘味を平らげていく。甘い物は別腹だ。彼女が美味しそうに食べる様子を微笑ましく見つめている侘助自身はお茶だけで。湯のみに手を添えながら微笑んでいる。 「……」 相変わらずすごい勢いで甘味を消費している灰燕の事は見なかったふりだ。でも、やはり少し気にはなって思わず口を開いた。 「流石に、糖分取りすぎじやないですか」 しかし灰燕はやはり頷くだけで。消費量と速度は変わらない。むしろ影響が出たのはマリアの方か――? (はっ……美形二人の前だったわ) 気づき、照れる――ことはなく、一瞬二人に見とれたが、すぐに再び手と口を動かす。観光は二の次三の次だ。 「折角きたのに美術館とか寺とか観光せんでいいんですか?」 「刀は逃げん。今は団子がええ」 呆れ顔で問う侘助に短く告げて、灰燕は団子を頬張った。勿論刀や博物館に興味はあるが、今は甘味だ。甘味の事しか考えられない。 「いいたべっぷり~。よし、まけないよ~」 「む?」 隣のテーブルのハルシュタットの声に、灰燕は視線を移して。そのテーブルに積まれた空の食器に親近感を覚える。いつの間にやら始まる食べ比べ。合間に美味しい甘味処についての情報交換が行われたりもして。 「空気も美味いしお茶も団子も大変美味い! 最高やないの」 ご機嫌に笑う杏の言葉と笑顔が、すべてを代弁しているようだった。 相沢 優とヘルウェンディ・ブルックリンの料理師弟は、優がリサーチしていた美味しい喫茶店と料理店を食べ歩いていた。 奈良に来るのは二度目のヘルは現地の美味しい料理を食べて勉強する気満々。優は自分で料理をするのも好きだけど、同じくらい美味しい料理を食べるのも好きだ。 「美味しい料理を食べるのも、料理の腕の上達に欠かせないよ。新しい発見や、自分でもこういう料理を作ってみたいと思えるしね」 「なるほど、勉強になるわ」 見目の鮮やかな料理達とセットになっていた優しい色合いの茶粥を掬いながら、ヘルは綺麗に橋を使う優に視線を向ける。 「優は和食が得意なのよね。料理のコツとかあれば教えて」 「コツかぁ」 胡麻豆腐を咀嚼しながら優はちょっと考えて。 「まずはきちんと計量するところからかな? 慣れてくると目分量でも平気になるけど、やっぱりきちんと計量するのは大事だと思う。料理と科学の実験って似てるんだ」 きちんと軽量すればきちんとした味になる。アレンジをするのは基本をマスターしてからでも遅くはない。優のアドバイスは続く。 ひとしきり話し終える頃には、食後のお茶が出てきていた。一口嚥下して、二人はふぅ、と満足気なため息をつく。 「そうそう、優のおかげでちょっとだけ料理の腕上達したのよ! 父親には相変わらず酷評されてるけど……」 「はは、厳しいなぁ。でも上達したのはヘルが努力しているからだよ」 優が柔らかに微笑む。努力を認められ、褒められるとやはり嬉しい。またがんばろうという気になるものだ。 「ありがとうね、優」 いい機会だしちゃんと、と思いヘルはしっかりと優の瞳を見て礼を言う。 「ん、また頑張ろうな」 優もしっかりとヘルの瞳を見て。師匠は弟子の成長を心から喜んだ。 「まあ先の事はわからないけど、苗床の討伐が成功して本当に良かった、お疲れ」 「ええ、お疲れ様」 互いに労って乾杯するように湯のみを軽く上げ、二人は笑い合う。 *-*-* 少し前に世界樹の苗木によって壊滅の危機が訪れていたとは思えないほど、奈良の街はゆったりと時間が流れていた。 古都特有の匂いがする。 街を紅とも朱色ともつかぬ夕焼けが照らし出す。 きっと千年以上の昔も、同じ夕焼けが街を包んでいたのだろう。 あの頃と変わったものと変わらぬもの――それが同居しているのがここ、奈良の街であった。 ロストナンバー達はつかの間の羽根休めの時間を過ごす。 今日ばかりはゆったりと、平和な空気を胸いっぱいに吸い込もうではないか――。 【了】
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