オープニング

 0世界の一郭、まことしやかに言い伝えられ知られているチェンバーがある。
 ホワイトタワー――いや、ホワイトチョコレートタワーという呼び名で知られるそのチェンバーの主はアマネクスイーツノミコトと呼ばれる青年だった。出自世界では妹と力を合わせて泥……ならぬチョコレートをかき混ぜ、そこに陸地を創造したのだだの、巨大な悪龍を打ち負かして美姫を救い出し、感激した美姫にアツいくちづけをされたのだだの、信じるも信じないもあなた次第というような逸話をいくつも口にする男だった。
 アマネクスイーツノミコトはその後幾度か訪れたヴォロスのとある一国に帰属を果たし、残されたチェンバーはその後世界図書館の管轄におさまり、暇をもてあましたロストメモリーたちがかわるがわるに巡回している。
 というのは建て前で、実のところほとんど放置されているのが実情だ。このチェンバーは比較的にずさんな管理をうけていて、実は誰でも比較的にたやすく中に踏み入ることが可能なのだ。
 ホワイトチョコレートタワーという名前の由来は、塔が実際にホワイトチョコレートで出来ているからなのかというと、そうでもなかったりする。残念ながら中央にそびえる塔はレンガ様の材を積み重ね造ったものだし、塔を囲む庭園に伸びる草木も菓子で出来たものではない。ただし塔は二重の壁に囲まれており、外部からの敵の侵攻を阻むための防御壁となっている。むろん、敵の侵攻を迎えての迎撃戦があったという事実もない。ただ単純に、造り手の趣味を投影したものであったのだろう。
 ならばなぜ、この塔がそんな甘ったるい名前で呼ばれているのか。
 簡単な話だ。アマネクスイーツノミコトは無類の甘味好きだった。どのぐらい甘味好きであったのかというと、こうして文書にしたためることすら厭われるほどのレベルだった。どの程度のものであったのか、それは豊かな想像力をもって察してほしい。きっとその想像を軽く超える程度にはすごかったのだ。
 ともかくも無類の甘味好きであった彼は、塔の中に主に自分のためのお菓子工場を設営したのだ。
 昼夜休むことなく作り出される甘味の数々。ビターチョコ、ホワイトチョコ、ブラックチョコ、アーモンドにマカダミアのはいったチョコレート。バニラの香りも豊かなクッキーやビスケット。ふわふわのスポンジにふわふわのホイップを塗り、色とりどりの果実やゼリーで飾りつけたケーキ。キャンディーやゼリービーンズ。プリンやゼリーはつつくとふるるとふるえ、冷たく甘いアイスはバニラ味チョコレート味を初め、果汁で作った色鮮やかなものもある。もちろん和菓子も作られていた。まんじゅうや団子、羊羹やカステラ。ババロアにムースにジュレ、飲み物もホットチョコやアイスココア、果汁、紅茶や緑茶。ありとあらゆるものを作り出す事の出来る兵器――いや、装置を、アマネクスイーツノミコトは完成させたのだ。
 名付けて、甘味無限製造機能。
 甘味を愛するものにとってはこの上なく魅力的なこの装置も、しかし、アマネクスイーツノミコトの帰属を機に、その動きは停止させられていた。

 はずだった。

 ◇

 カフェのテーブルの傍で、ひとりの男がうずくまり、両手で顔を覆って、全身を小刻みに震わせていた。泣いているのかと思った数人が足を止め、うずくまっている男の背に手をかけようとした――その時。男の傍らに控えていた大きな蟻が姿を現し、丁寧に深々と頭を下げた後にホワイトボードで出来たフリップを取り出した。

「あれ? ……その声……ああ! ブルーインブルーでの運動会で会ったね!」 
 明朗とした声音でそう言って笑ったのはレイド・グローリーベル・エルスノール。レイドは赤い帽子のつばを指でつまみ上げながら、さらに言を繋ぐ。
「ふっふっふ。あの時さっくり脱落させられたときの借りを」
 言いかけて、蟻の物の怪が手にしているフリップに目を落とす。そうしてそこに書かれていた事の内容を理解すると、顔を押さえ小刻みに震えている男の隣にしゃがみこみ、自らもつられて腹を抱えた。
 レイドが笑い転げてしまった事の理由を知るため、ハルシュタットもまたフリップを覗く。つややかな青銀の毛並、宝石のようにひらめく青の双眸。するりと滑らかに動きながらフリップの前に出て、幾度か瞬きを繰り返す。
「ふ」
 美しい小柄の猫もまた息をこぼした。
「ふふふふふふふふふふ。ねぇ、これってつまり、つまりこれは、お菓子をたくさん食べてもいいってことだね!」
 言いながら双眸をギラリと光らせる。
「おれもついてく! 駄目って言ってもついてくよ!
 と、その様子を目にして足を止めたのはマグロ・マーシュランド。魚とイルカとを足して二で割ったような見目の魚獣人は、水かきのついた短い足でトコトコと歩み寄り、ようやく顔を上げた男――業塵を覗きこんでから懐こい笑みを浮かべた。
「あ、やっぱり業塵さんだ。僕だよ~。前にヴォロスの大食い大会で競い合った事があったんだけど、覚えているかなー? ……何だか嬉しそうだねー。どうしたのー?」
 言ってから、業塵の横に立つ蟻の物の怪に目を向ける。次いでフリップを目にとめて、記されていた内容に目を通し、うなずいた。
「へ~、次はお菓子の食べ放題やるんだね?いいねいいね~♪ 僕も行ってもいいかなー? あの時は勝てなかったけど、次は絶対に負けないよー。ふふふふふふ~……!」
 それぞれに興味を寄せた三人を前に、業塵はようやく落ち着きを取り戻す。
「ひひひひひ……ひっひっふー、ひっひっふー……」
 落ち窪んだ目は涙でうるんでいた。ただ単に笑いすぎたためだ。
 それから息を整えて、業塵は集った三人を前に、低い声音で言を落とす。

 ホワイトチョコレートタワーが先頃何者かによって占拠された。久しぶりに様子を見に行った世界司書ヒルガブが訪れた時にはもうすでに、何者かは甘味無限製造機能装置を再稼動させていたのだという。
 ヒルガブの持つ書が預言を下す。
 何者かが何者であるのかどうかはさておき、その者は装置の正しい動かし方を把握しきれていないらしいという事を。すなわち、装置は目下、異常な速さで甘味を生み出している。大量に生み出された甘味はホワイトチョコレートタワーを破壊し、それを囲う二重の壁をも壊し、やがてはチェンバーの境をも越えて0世界をも蹂躙するだろう、と。
 甘味であふれかえった0世界。ロストナンバーの中には甘味を苦手とする者も多くいるのだ。彼らにとって、甘味で埋め尽くされる世界は阿鼻叫喚の具現そのものとなるだろう。それは避けなければならない。

 四人は果敢にも立ち上がる。
 目指すはホワイトチョコレートタワー。
 0世界の安寧は、今、四人の肩――いや、腹? 舌? の上。




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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。


<参加予定者>

業塵(ctna3382)
レイド・グローリーベル・エルスノール(csty7042)
ハルシュタット(cnpx2518)
マグロ・マーシュランド(csts1958)

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品目企画シナリオ 管理番号2810
クリエイター櫻井文規(wogu2578)
クリエイターコメントターミナルののらくら担当、櫻井です。ええ、どうも、櫻井です。今回この企画の担当に挙手させていただきました。
タイトルとかキャッチとかいろいろあれなような気がしますか? そうですか? 気のせいですよ。

ということで、0世界の危機を救うため、ホワイトチョコレートタワーに行ってください。もうすでに一つ目の壁は突破されかけています。巨人が穴でも開ければ一発です。巨人はいませんが。
装置をどうにかしない限り、お菓子は永遠に製造され続けます。なにをどうやってお菓子を作り出しているのかのメカニズムなんかどうでもいいです。
また、タワーを占拠した何者かに関する記述も何気にさくっと書いてみました。

ということで、あとはお好きに動いてみてください。パロがやりたいならそれはそれで。なぁに、担当は櫻井です。のらりくらりと参りましょう。
それでは、よそしくお願いいたします。

参加者
業塵(ctna3382)ツーリスト 男 38歳 物の怪
レイド・グローリーベル・エルスノール(csty7042)ツーリスト その他 23歳 使い魔
マグロ・マーシュランド(csts1958)ツーリスト 女 12歳 海獣ハンター
ハルシュタット(cnpx2518)ツーリスト 男 24歳 猫/夜魔

ノベル

 壱番世界には多くの城塞都市がある。カルカソンヌと称されるその城塞はフランス南西部に在する。それは二重のガーデンウォールで囲われ、その強固のゆえに戦火の脅威から逃れることも出来たのだという。かの百年戦争にも耐えうる事が出来たというのだから、その強固さは想像するに難くないだろう。
 その歴史的城塞に酷似したチェンバーを前に、業塵は広げた扇で口許を隠し、色濃い隈のついた眼だけをうっそりと動かして、眼前にそびえるガーデンウォールを仰ぎ見る。
 レンガに似た石材を積み上げた壁は、ざっと見たところ、高さは十数メートルほどといったところだろうか。数百メートルほど先で湾曲している様を見れば、このチェンバーは想像していたよりは幾分規模も小さめなのかもしれない。
「おれ、ここに来る前、ヒルガブさんにお願いしてみたんだよ」
 業塵の横でハルシュタットが口を開く。
「おれたちがチェンバーに入った後、一時的に、チェンバーを外から閉じちゃうことはできないのかなと思って」
「……ほう」
 業塵が低くうなるような声を落とした。落ち窪んだ眼光がハルシュタットが告げる言葉の先を促すような色を浮かべる。
「やってくれるって」
「ほう」
「今回の件が解決したら、おれたちからヒルガブさんにメールを送る。それまでは他の誰かがチェンバーに出入りしたりできないようにしてもらうんだ」
「へぇー。それじゃあさ、つまり、アマネクナントカの暴走はもちろんちゃんと止めるとしてもさ。その前に、中にあるもの、思いっきり満喫しちゃってもいいってことだよね」
 口を挟みこんできたのはレイドだった。レイドもまた眼前にそびえるガーデンウォールを眺め、金と銀のオッドアイをひらひらとひらめかせる。
 業塵は扇で口許を隠したまま、うっそりとした視線をレイドに向けた。その視線をうけ、レイドは何事かを含んだような笑みを満面に浮かべて大きくうなずく。
 その首肯を機としたように、業塵の喉がふつふつと震え始めた。
「ふ……くく……くくく……ふひ……」
 ひきつれたような笑い声をこぼす業塵の足元でハルシュタットもまた小さな笑みをこぼしている。青い双眸は三日月のように細められ、悪戯がうまく運んだときの子どものように笑っていた。
「これで、ちからいっぱい食べられるね」
 満ち足りた笑みをこぼしつつレイドが言う。が、その笑みも、何かを思い出したかのような表情へと移り変わり、弾かれたようにハルシュタットに視線を移す。
 ハルシュタットは笑っていた。レイドを見つめ、双眸を糸のように細めている。
 言なき声が示唆するものを察知して、レイドもまたにんまりと頬をゆるめた。
「僕たち、猫同士だね」
「うん」
「おいしいもの、いっぱい食べようね」
「うん」
 マラソン一緒にゴールしようねと言い合った者同士に、後に小さな亀裂が生じることなど、よくある話。そんな色も含ませながら、ふたりは互いの顔を見つめあい、互いに極力親しげな表情であろうと努めあう。
 彼らから数歩ほど離れた距離に立つマグロは、姉のフカから持たされた手紙を大切に抱え持ちながら、そびえるガーデンウォールの上部を仰ぎ見ていた。
 近くには扇で顔を覆い隠したまま肩を震わせている業塵と、どう見てもニヤニヤとした意味ありげな笑みをたたえつつ互いを牽制しあっているようにしか思われないレイドとハルシュタットがいる。レイドとはコロッセオで拳を交えたことがあった。ゆえにひとまずは挨拶と述べた。が、レイドの頭の中にあるのは、今や眼前の現象に関するものばかり。軽く流されたマグロの挨拶は、けれど、漂う甘いかおりの中、文字通りに溶け込んでいった。
 これは、困ったときに読みな。なんにもなかったら読まなくてもいいからね。
 幾度か繰り返しそう言いつけてきた姉の声を反芻する。そうすることで、少しだけ気持ちが斜めになっていくのが知れた。
 姉はいつまでたってもマグロを子ども扱いする。
「ボクだってもう大人なんだから!」
 頬を膨らませつつも抱え持ったままの手紙は大切に胸に押し当てたまま。

「……さて、そろそろ参るか」
 扇から顔を覗かせた業塵が低い声音を落とす。そのまま扇を一息にたたみ、すらりと持ち上げて頭上にかざす。その先端に張り付いていたのは一匹の蜘蛛だ。蜘蛛は、次に扇がゆらりと動いたのを待っていたように、風にのり上空へと飛んでいく。吐き出す糸が光をうけてかすかにひらめいた。
 扇はさらにゆらゆらと揺れる。そのたびに蜘蛛が宙へ向けて吐き出されていく。ほどなく、蜘蛛の糸ははっきりと視認できるようになった。
 と、続き、業塵の身体がふわりと宙に舞い上がる。その手にあるのは幾重にも折り重なった蜘蛛の糸だ。糸の先は壁の上部へ伸びている。
「うわあ!」
 マグロが声をあげた。互いに牽制しあっていたハルシュタットとレイドも、マグロの声につられて顔をあげる。彼らの視線の先、業塵はあたかも伸縮する糸によって壁の上部に飛びのったかのようにも見えた。
 世界司書の談によれば、このチェンバーは二重の壁で囲まれているのだという。予言の通りになるのであればナンチャラ装置――装置の名前などどうだっていいことだ。ともかくも甘味を製造するからくりが暴走を続ければ、いずれはからくりを置く塔も壁もすべてが破壊されるであろうという。とはいえ、今はハルシュタットが世界司書ヒルガブに頼んできたことによって、少なくとも甘味がチェンバーの外に漏れ出るようなことにはならないだろう。
 ――だが。
 壁の上でうっそりとした表情で肩を落とす業塵を見上げ、レイドが声をかけた。
「どう? どんな感じ? 今どの辺まであふれてる?」
 隠しようのないわくわくで声が弾む。この壁の向こうにはきっと甘味があふれ返っているに違いないのだ。レイドの脳内にあるイメージ映像としてはボールプールが近しいだろう。その中に飛び込んで意のままに甘味を食していくのだ。――何しろレイドには『妖精猫の道具袋』がある。一見すれば変哲のないただの道具袋のようにしか見えないが、そのじつ、壱番世界では有名な青い猫型ロボットのあれの腹部についているような機能を備えた代物だ。空間拡張の魔法をかけたこの袋には、ほぼ際限なく、いくらでもモノをしまいこむことが可能なのだ。食べきれなければ持ち帰ればいい。シンプルな考え方だ。
 ハルシュタットもまた、壁の中に広がるボールプールをイメージしていて、自身がもつ無限の胃袋を満足させるため、アップを始めている。軽やかな跳躍を繰り返すたび、つややかな毛並がふわふわと舞った。どれだけ食べても満たされるということを知らない彼の胃袋は、レイドの道具袋に比べれば種も仕掛けもない、天性によるもの。ゆえにだろうか、あるいはこのメンバーの中では唯一レイドのみとの面識を得ているからだろうか。ハルシュタットがレイドの道具袋を見る目は、どこか上から見ているような色さえあるようにも見えた。もっとも猫の姿態をとっている現状では、どう見てもレイドのほうが大きいのだが。
 業塵の視線が落とされる。マグロがそれを仰ぎ、首をかしげつつ口を開けた。
「おっきい壁だねー。どうやって向こう側にいこうかなー……」
 ひらめいたのはトラベルギアである銃銛を使うというものだった。銛を放ち、それを用いて壁をのぼり向こう側へと至る。――だが鋼鉄製の銛では、たぶん、この壁を射れば壁面を破壊してしまうだろう。壁を破壊すれば、やはりボールプールのようにイメージしているお菓子の波をいたずらにあふれさせてしまうことにもなるだろう。よって、マグロのギアは今回においては日の目を見ることはなさそうだ。
「……」
 壁の上、業塵は小さなため息をひとつ落とす。
 少なくとも今立っている壁の傍には甘味の波は押し寄せていない。見渡す限りの庭園が続いているだけだ。イメージと違う。本来ならば今すぐにでも甘味の渦に身を躍らせて、心ゆくまで駆逐――もとい食し尽くしてやっていたところだ。それだけではない。彼の妄想の中では全身が甘味で形作られた巨人のような何かさえもが、壁の中で暴走していたのだ。数メートルほどの大きさのもの、十数メートルほどのもの。果ては数十メートル級の何かが四人をめがけ走行してくる。それに臆することなく果敢に立ち向かい、端から駆逐して――もとい食し尽くす場面までもシミュレートしていた。それが、巨人どころか渦まく甘味の荒波さえも見えないのだから、話が違う。
 あの世界司書、いずれきっと呪ってやろう。そんなことを考えたかどうかはさておいて。
 業塵は再び扇を大きく振った。その先端から再び蜘蛛がばらばらと生み出される。生み出された蜘蛛の半分は風にのり、壁を伝って流れていった。吐き出した糸が壁の補強をしていく。
 残る半分は壁の下にいる三人のもとへ降り立ち、伸縮する糸の束を吐き出しては構築していった。
「これって」
 レイドが言う。手の中に用意された糸の束はなかなかに強度も高い。なるほど、これなら人ひとり運ぶことも自在だろう。
「ふ、……ふふふ」
 再び洩れる笑みを抱え、業塵を真似て地を蹴り上げた。猫がもつ身体能力を備えたレイドの身体は、糸の効力をうけてその能力を飛躍的に高めている。壁を平行に駆け上がるようにしながら壁の上部を目指した。続いてハルシュタットが倣い、最後にマグロが壁をのぼる。
 壁の中、前方数百メートルほどの距離を置いて第二の壁が見える。その間にはそれなりに手入れの届いた庭が広がっているばかり。
 ほとんど差異のないイメージを抱いていた四人は、ほぼ同時に同じようなため息を落とす。渦まく甘味の波、その中に身を躍らせる自分。そんなイメージがはかなくも散ったのだ。
 が、その中で、グローリーベルを持つケット・シーがいち早くに思考の切り替えを整えた。レイドは帽子の下のオッドアイに光を帯びて、自身の足元に伸びる影に向かい声を放つ。
「レギオン」
 呼ばれ、レイドの影から現出したそれはハルシュタットと同じぐらいの大きさをした猫のかたちをしていた。レイドの足に甘えつくような仕草を見せる漆黒の獣に、レイドは言葉短く、簡潔に指示を下す。
 その傍らでは、業塵がレイドと同じく、羽虫を生み出して何事かを命じていた。
「お菓子の発生源である装置の場所を探してくれるかな? ついでに装置を再起動させたっていう人のことも」
 穏やかな口調で命じるレイドに、業塵も小さな首肯を見せた。
「味が混ざるような出現の仕方をされては元も子もない……そのような事態は避けねばならぬ」
 日頃は感情の波のあらぶるのを見せることも少ない眼光に、今は内側からたぎる何かをありありと浮かべている。その眼が浮かべる威光に、ハルシュタットもまた重々しげに表情を硬くしてうなずいた。マグロだけは内心で問題はそこにあるのかどうかを考えもしたが、しかしすぐに、まあいっかという安易な回答に行き着く。
「……甘味を生み出す装置までの最短距離を調べておる」
 閉じた扇をゆるりと持ち上げ、業塵は遠目に見える第二の壁を指した。
 ほどなくして戻ってきた羽虫が扇に止まり、声なき声であるじに結果を報じる。業塵は深くうなずき、三人の同行者たちの顔を見た。その表情はわずかながら緩んでいる。
「……塔の内部はすでに甘味が山を築いておるようだ」
「お菓子の山」
 ハルシュタットが声を弾ませる。
「うん、どうやら装置を再起動させたのは女のひとのようだね」
 レギオンが早々に帰還した。レイドはレギオンの頭を撫で、労をねぎらう。
「第二の壁を越えたらわりとすぐに塔はあるみたいだ」
 レイドの影の中に戻るレギオンを見届けた後、視線を持ち上げてレイドは笑った。
「なるほど、アマネクナントカは甘味製造装置を置く塔を居住場所とは違うところにしたんだね」
「甘味無限製造機能だよ!」
 マグロが訂正をはさむ。が、そんなことはとりたてて問題ではない。
 レギオンと羽虫が運んできた情報によれば、第二のあの壁の中にある庭園こそが、司書の談の通りのしろものであるらしい。つまり眼前に広がる美しい庭園になどかまけている場合ではないのだ。
 壁近くにある大きな木をめがけ、レイドが糸を放つ。伸縮自在の糸は繰る者の意思の通りに伸びてあるじを運んだ。まるで翼をもつ鳥のように宙を舞うレイドは、目指す大木の幹の上に飛び移るとすかさず次なる大木を目指して糸を放つ。
 業塵が続く。その動きの俊敏さを見れば、同居人たちは目をまるくするかもしれない。比較的に気だるそうにしていることの多い業塵が、今は携帯でメール文を作成するときに見せる指の動きのごとくに的確かつ俊敏な動きを見せているのだ。
 ふたりの動きの速さに負けず、ハルシュタットもまた滑らかな飛行を見せる。ぷにぷにとしたやわらかな肉球はクッションとなり、幹に留まる必要もなく移動を続けることができた。蒼穹を舞う動きには無駄もなく、まるで目には見えない自由の翼を背に伸ばしているかのようだ。
 マグロは壁の上、先行していった三人の背を送りながら、判断に迷い、わずかにあわあわと揺らめいている。そうして思い出したのは姉から預かってきた手紙のこと。困ったときに読みな。フカの声が聞こえるような気がする。マグロはいそいそと手紙をひらいた。
 ――『マグロへ
 どーせアンタの事だから食って減らせばどうにかなるとか思ってんでしょ? ……やめときな。太るわよ? 海豚になるわよ? リベル司書から機械の使い方聞いといたから参考にしな。(~以下操作説明~)……いい? 食い過ぎんじゃないわよ? 海 豚 になるわよ?』
 したためられていたのはそんなような内容だった。
 業塵とレイドがこぼす笑い声が遠ざかっていく。三人ともマグロがついてきていないことになど気がついてもいないようだ。
 とりあえず、今回の依頼の担当司書はリベルではなくヒルガブだったはず。にも関わらず、あえてリベル司書を訪ねて行ったらしいフカの行動にはなかなかの敬意を表する。が、マグロはそんなことよりも何よりも、姉がしたためた手紙の一文を読み、頬を膨らませていた。
「……ボク、もう、海豚だもんっ!」
 海豚と書いてイルカと読む。そんなことはさておいて、マグロはむううと小さくうめき、持たされた手紙をベルトの内側にしまいこんだ。
 何よりも子ども扱いされ続けていることに腹がたつ。
「ボクだってもう立派なハンターなんだから!」
 言うがはやいか、先ほどまでの逡巡などまるで初めからなかったかのように、マグロも糸を放ち足場を蹴った。宙を舞うその姿は、広い海原を自在に泳ぐ際に見せる勇猛ささえ滲ませている。
 ともかくも、こうして四人はほどなくして難なく第二の壁の上へとたどり着いたのだった。

 第二の壁の内側に広がったのは、飴でできた大樹や草花で作られた庭園だった。
 流れる澄んだ小川は炭酸水でできている。城郭や塔は白い焼きチョコを積み上げて作られ、その他にも多様な甘味を用い、チェンバーは見事なお菓子の城を作り上げていた。アマネクスイーツノミコトが帰属を果たしチェンバーを去ってからどれほどの時間が経っているのかは知れない。管理はロストメモリーや世界図書館が担っていたというが、眼前に広がるお菓子の宝物殿を腐敗もさせずに管理をしてきたという点だけをみても、わりとちょっとアレなのかもしれない。などという無粋は考えもせず、四人は歓声をあげながら庭園の中に降り立った。
 予言はまだ完遂されていない。少なくとも塔はまだ破壊されていないし、当然のことながら壁も破壊などされていなかった。

 散会の合図など誰も放たず、誰も待たず。四人は先を競うようにしてチェンバーの探索に乗り込んでいく。マグロは小川の中に飛び込んだ。適度な甘さの炭酸水はしゅわしゅわと弾け、マグロの喉や皮膚を惜しげもなく潤していく。レイドは城郭や塔の壁面を興味深く見上げながら歩き回り、そのついで、目を惹いた菓子は流れるような所作で道具袋の中へ放り込んでいく。もちろんその無駄のない滑らかな注意力は、自身の口の中へマシュマロを放り込む作業にも余念がない。
 一方、業塵は装置を有する塔の中に潜入を果たしていた。潜入とは言っても、特に施錠などがされていたわけではない。とてつもなくフリーダムな状態であった扉は、分厚いチョコレートでできていた。わずかに溶けたチョコレートが指先に触れる。首をかしげつつしばし指先を見据えていた業塵だが、そろそろと指を口の中に挟みこんでみて、そうした後に満面に驚愕の色をにじませた。
 尖った心や疲れた身体をも一瞬で溶かし癒してしまうであろう甘さをもった、上質なチョコレートだ。ありがとう、ありがとう。業塵の魂が世界中への感謝で満たされる。すべての食材への感謝を述べれば、それはまるで壱番世界の日本で日曜の朝にやっているアニメのような感じにもなってしまうだろう。
 業塵が歓喜を咆哮する。その横をすり抜けて、ハルシュタットは塔の中にあるはずの装置を探した。
 装置を再起動させたのは女だという。――女。ならば、ハルシュタットにはお菓子を無限の胃袋に放り込んでいく以外にも、やれることがある。
 目についた一室への進入を果たしたとき、ハルシュタットは猫のそれではなく、見目の美しい人間の青年のそれへと変容していた。

 アマネクスイーツノミコトの妹であり妻でもあったアマネクデザートノミコトは、兄が残していった装置に両手を置きながらぼろぼろと涙をこぼしていた。
 かつては共に世界を創り出したりもしていた兄が、ある日突然に姿を消した。世界中を探してまわったが、兄はどこにもいなかった。深い嘆きの果てにロストナンバーとしての覚醒を果たしたアマネクデザートノミコトは、覚醒し訪れた0世界に、ようやく兄の気配を見出した。
 ――だが、兄は彼女の覚醒と入れ違いになるかたちで、別の世界への帰属を果たしてしまっていた。むろん、その後を追いかけることができないわけではない。けれど今は、兄が残していった甘味無限製造機能装置を前に、ただただぼろぼろと涙することしか考えられずにいたのだ。
 兄に会いたい。もう一度共に世界を創ったりしたい。過ぎ去った懐かしい過去の記憶はいくらでも彼女の脳裏を駆け巡る。その想いが、装置の再稼動によってかたちを成していたのだ。
 が、その嘆きは、突然訪れたひとりの青年によって遮られるところとなった。
「どこか痛いところでも?」
 妖艶かつ中性的な魅力をかもし出しながらやってきた青年は、ハルシュタットと名乗り、やわらかな笑みを浮かべる。夜空に浮かぶ淡い月のそれによく似た、どこか儚げにも見える微笑だ。
 アマネクデザートノミコトの目が、ハルシュタットの美貌に囚われるまで、要した時間はほんの一瞬だった。
 ハルシュタットは細い首をわずかにかしげ、涼やかな双眸で眼前の女を見る。もちろん、彼女の傍にある装置がゴンゴンと音を立てながら焼きたてクッキーを生み出していくのを確認するのも忘れない。
 淡い月光のような微笑(アマネクデザートノミコト視点での表現)が、ゆるゆるとしたやわらかな色を浮かべていった。

 業塵は額に流れる一筋の汗を拭い落とす。
 難しい局面だった。さしもの彼も、迫り来る飴細工の兵団すべてを駆逐するのは手こずった。二足歩行のできないそれの行動はパターン化され、先んじた行動をとることも可能だった。が、二足で歩行するそれの行動パターンは変則的で、先んじた行動をとるのはなかなかに難しかったのだ。
 さすがはチェンバー。確か妖精郷という名のチェンバーにはおもちゃの兵団がいたというが、外敵に対抗するための手段は最低限のしたくをしているということか。
 むろん、余すことなくすべてを駆逐した。すべてを腹におさめてやったのだ。メロンソーダで喉を潤した後、業塵ははたりと自我を取り戻す。
 ――このような恐ろしい仕掛けの施されたチェンバーだ。何も知らぬ無垢なる者が迷い込み、兵団によって害をなされないとも限らない。そうなればチェンバーは害を及ぼす危険な場所とされ、最悪の場合、消滅の一途を辿るのではないだろうか。
「僕も同じことを考えていたよ」
 レイドの声がする。うっそりと視線を移ろわせれば、そこに、チョコレートで口周りを汚したレイドが立っていた。両手には刃ならぬ焼き菓子が握られている。
「まぁ、暴走は止めるにしてもさ」
 言いながら口もとを拭い、視線をゆっくりと移ろわせた。
「保護は、されるべきだよね」
「……うむ」
 深々と首肯を返し、業塵もまた視線を移す。
 まずは装置の暴走を止めなければ。
 0世界にも美味しい甘味を提供する店はいくらでもある。万が一にも、予言が成され、装置の暴走による破壊が行われるような事態になってはならないのだ。
 そもそも、ジュース漬けになった菓子など許されないものだろう。何にでもクリームをまぶせばいいというものでもない。みたらし団子の餡に侵食されたグミなど、神をも恐れぬ所業。
「でもさあ、甘いものいっぱいあるんだし、機械を止めたら、甘いの好きなひといーっぱい呼んで、パーティーとかできたらいいよね!」
 いつの間にか追いついていたマグロが言う。
 ゆらり。
 三人は互いの顔を見合わせて笑みを浮かべあった後、ほぼ同時に、同じ場所へと目を向けた。

 だがしかし。
 装置のある部屋へなだれ込んでいった三人が見たのは、もうすでに動きを停止していた装置と、その周囲を満たすあらゆるお菓子の数々と、そうして、窓辺の椅子に腰を落とすひとりの女、その膝の上でホールケーキにかぶりついているハルシュタット――猫の姿だけだった。
 どう見てもホールケーキにまみれているようにしか見えないハルシュタットの背を、女は愛しい者を見るような目で見つめ、撫でている。
「遅かったね! 先に食べてるよ! あ、そこにあるクッキーの山と、そっちの水まんじゅうと、あっちのチョコレートの山、あれ、おれが食べるぶんだから」
 クリームまみれの手を器用に動かして、ハルシュタットは部屋のあちこちを指し示す。
 つまり、部屋の中にあるお菓子のほとんどの所有権は自分にあると、そういう意味のようだった。

 後日。
 装置を暴走させたアマネクデザートノミコトは厳重注意こそ受けたものの、その後は兄が残したチェンバーの管理人となり、解放された。時おりターミナルで小さな出店をひらき、お菓子の叩き売りなどをする姿も見受けられるようになったという。
 あわよくばチェンバーの管理人となろうともくろんでいた業塵の野望は、こうしてあえなく閉ざされるところとなってしまった。が、業塵が見せた懸命な訴えにより、業塵はこのチェンバーの番人として、定期的な見廻りをすることを義務付けられたのだった。この見廻りにはレイドも挙手し、むろん、マグロも混ざりこむかたちとなった。

 ハルシュタットはアマネクデザートノミコトの膝の上、いつでもいくらでも心ゆくまでチェンバーの恩恵を得られる資格を入手したらしい。
 その手段についてはあらゆる方面からの問い合わせを受けもしたらしいが、ハルシュタットはアマネクデザートノミコトの膝の上で、ただただニヤニヤと笑ってみせるばかりだったとかなんとか。

クリエイターコメントこのたびは当シナリオへのご参加、まことにありがとうございました!
過分なお時間をいただきましたこと、まずはお詫び申し上げます。お待たせしましたぶんも、少しでもお楽しみいただけましたらさいわいです。

業塵様>
野望は失敗に終わりました。が、チェンバーの見廻り組としての位置をご用意させていただきましたので、よろしければご活用ください。
考えてみたらこれまでずっとホラーでシリアスな業塵様しか書かせていただいてなかったですよね。違う局面も書かせていただけて、楽しかったです。

レイド様>
初めまして。
比較的にレイド様が動いてくださるシナリオとなったような気がします。二足歩行するという設定でしたので、動きの描写に関しましてはわりと人間のそれと変わらない感じでさせていただきましたが……ど、どんなでしょうか。
レイド様にも見廻り組の位置をご用意させていただきました。よろしければご活用ください。

マグロ様>
初めまして。
んーと、四名様の中ではわりと弱いプレイングであったかなと思います。お姉さんから預かったお手紙の存在が色濃いものだった印象です。
マグロ様にも見廻り組の位置をご用意させていただきました。よろしければご活用ください。

ハルシュタット様>
初めまして。
「何者か」への直接アタックの手段を指定くださったのは業塵様とハルシュタット様でしたが、ハルシュタット様がとられた手段のほうがより効果的だと判断いたしました。何者かに関して「女だったら」というプレイングをくださったのはハルシュタット様だけでした。ので、ハルシュタット様には一番おいしいところを担っていただきました。
チェンバー主であるアマネクデザートノミコトの膝の上、ならびに装置が生み出す甘味を食する優先権はハルシュタット様がお持ちです。よろしければご活用ください。

それでは、少しでもお気に召していただけましたらと願いつつ。
またのご縁、心からお待ちしております。
公開日時2013-08-09(金) 22:50

 

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