1 楽しい始まり 相沢優はコンダクターである。彼は壱番世界で日常生活をしながら、ロストレイルで異世界を渡り歩いている。 そんな二足わらじの生活を送る彼は、大学受験という一つの重要なイベントを終えたばかりであった。 目標としていた大学に見事合格できた優の手元には、もう一つ嬉しいものがあった。それは、遊園地の団体割引券であった。 「3名様以上から割引できます、か」 その時、優の頭に浮かんだのは、同じコンダクターである二人の顔であった。 どちらも賑やかなことが好きそうだ、優は連絡を取ろうとパスホルダーを手に取った。 そこからはトントン拍子で話が進んで行った。コンダクターに限らずお互いの知り合いに声を掛けていって、集まった人数はなんと9人だった。 そして、当日の朝、テーマパーク「ニャンとワンだーらんど」の入口前に9人の男女が集合していた。 テーマパークのメインキャラクターである、ワン太、ワン子、ニャン太、ニャ美の等身大パネルの前にある集合場所は、まだ朝早い時間帯だと言うのに、様々な年齢層で賑わっていた。 「これで全員、だよな?」 そう確認したのは今回の発案者、ワンポイントマークの入ったTシャツと青のジーンズという活動的な格好の相沢 優。 「ちゃんと全員集まってるよ~」 にぱっと笑って応えたのは、燃えるような赤いジャージと黒い短パン姿のこれまた活発そうな格好の日和坂 綾。 先ほどから珍しそうに周囲を見回しているのは、少女のような容貌をしたシュマイト・ハーケズヤ、紫を基調とした落ち着いた色合いながらも、ステージに出演するマジシャンとも思えるような服装をしていた。 その近くで園内のパンフレットを広げて見ている少女が春秋冬夏、ポケットと裾に花柄の刺繍の入ったジーンズに、柔らかいクリーム色のニットワンピースを着ていた。 そのパンフレットを仲良く一緒に見ている少女が藤枝竜、淡い桜色をした水玉模様のワンピースと青い短パンという動きやすい格好であった。 「シュマイトさんと冬夏は、初めてだよな。こちらは、一一一さん。こう見えてツーリストなんだ」 優に紹介されたのは、一一一。今回、一人学生服なので多少浮いている感じがしないでもなかった。 「初めまして、はじめかずひめと言います! 漢字で書くと、一が三つで一一一です。自分の名前を使った漢字の書き取りでは、毎回ぶっちぎりのトップでした!」 緊張しているのか、一に関するトリビアまで、二人に披露していた。 「ファっちは、今日もジャラジャラだな」 呆れた声を出したのは虎部隆、いつものYシャツ姿に紺のジーンズを履いていた。 その隆の視線の先にいたのはファーヴニール、デザインシャツを適度に着崩し、シルバーのアクセサリーをこれでもかと付けていた。 「そうかな。いつもより少ないくらいだよ」 「少ないってどれくらいだよ」 「1個」 「解るわけないだろ!?」 「それは気がつかないと思うぜ」 ファーヴニールのポケットからひょっこりと顔を出したのは陸抗、紅色の地に龍の柄が黒で刺繍された長袍を着ているのだが、身長17.5cmという大きさのため、今回はファーヴニールのポケットに入り込んでいた。 それぞれがわいわいとしている間に、優が割引き券を利用して、全員分の入場券と一日フリーパスを買って来てくれていた。 ありがとうございます、よっ、太っ腹ー、などと囃し立てる数名に向って、後で料金は回収するからな、と釘をさすことは忘れなかった。 そして、一行は入口を抜けて大広場へと足を進めた。 「はい、相沢せんせー、まずは何から乗ればいいんでしょうか!」 「誰が先生だよ。シュマイトさんや抗は行ってみたい乗り物はあった?」 元気良く手を上げる隆に苦笑しながら、優は初めての遊園地に来た二人に話を振った。 「まずは、皆のお勧めのものから試してみたい」 「俺もシュマイトと同じ意見」 「それなら、まずはジェットコースターから行こうよ!」 綾は楽しそうにマップにあるジェットコースターを指差した。 「定番って言えば、定番だよね」 「早い時間帯だったら、時間掛らず乗れそうです!」 冬夏、竜も綾の意見に賛同する。 「それは、どういう乗り物なのだ?」 「簡単に言えば、安全なスリルを味わうための乗り物って感じかな」 「安全ならばスリルにならないのではないか?」 「それはそうなんだけど、あくまでお遊びだからね。本物だとシャレにならないから」 ファーヴニールの説明にも、シュマイトは納得しきれないようであった。 「それじゃあ、まず、それ乗ってみようぜ」 ファーヴニールのポケットから体ごと乗り出してきた抗の一言で、まずはジェットコースターへと向かうことになった。 2 まさに絶叫マシーン 「これがジェットコースターっていうアトラクションだ」 シュマイトは初めて見る機械だからだろうか、あの素材は何の金属で、動力はどうこう、最大でどれくらいの速度が、などと呟きながら、興味深そうに眺めている。 それを横で聞いた優は興味の方向性が多少ズレているような気がしたが、シュマイト自身が楽しそうなので、あえて突っ込むようなことはしなかった。 「これだけの人数が一度に乗るのは無理そうだから分かれて乗ろうか。それじゃあ、最初に乗ってみたい人は?」 何のかんの言いながらも、しっかりと引率の先生のように場を仕切ってしまう優であった。 「乗ってみたい」 「俺もジェットコースターって初めてだから乗りたい」 遊園地初体験であるシュマイト、抗が手を上げた。 「となると、俺も乗ることになるよね」 抗をポケットに入れているファーヴニールも名乗りを上げる。 「私も乗りたーい!」 「じゃあ、あとは俺でいいかな」 続いて、綾、優の2人が乗ることになり、まずは5人が先に進んで行った。 そして、係員に誘導されて、ジェットコースターの座席へと乗り込んだ。 「それで、俺はどうしたらいい?」 「とりあえず、足元の荷物入れにでも隠れるしかないだろうな」 「動いてから、俺の膝の上に乗ればいいよ」 「こういう時、体小さいと不便なんだか便利なんだか解らないよね」 係員が安全バーの点検に来る前に、抗はファーヴニールの足下の荷物置き場へと身を隠した。 そして、係員の合図で、ジェットコースターがゆっくりと動き出す。 「いいなー、このゆっくりとした感じがワクワクするな」 「スピードが全然出ていないようだが、これでは全然怖くないな」 ガタンガタン、とジェットコースターがゆっくりレールを登っていく。 「まーまー、そこは後のお楽しみってことで」 「よいしょっと。お邪魔しまーす」 ひょっこりと抗がファーヴニールの膝へと登ってきた。 そのすぐ後、ジェットコースターが、ガタン、と動きを止めた。 「お、これはまさか?」 「そうそう、そのまさかなんだよねー」 「くぅー、この間が何とも言えないんだよね!」 「きたきたー!」 「え、俺何にも見えないんだけど?」 ガコン、と音をたてると、勢い良くジェットコースターが発進した。 「ひゃっほぉおー!」 「おおおおおお!?」 「あーはははは!どうどう、凄いでしょー!!」 「あははは、楽しいぃー!!」 「うわわわわ!?」 右へ左へのカーブが来るたびに、口から声が溢れる。安全バーがあるのだから、放り出される心配はない。 しかし、風を切る激しい音、飛ぶように流れる景色、体に掛かる遠心力が、飛び出しそうな錯覚を与えてくれる。 安全ではスリルにならないと思っていたシュマイトだったが、実際に乗ってみれば、十分にスリル満点であった。 さらに、ぐるりと一回転しているレールがシュマイトの視界に飛び込んできた。 「おおお! まさか一回転するのか!?」 「一回転入りまーす!」 そして、ジェットコースターが360度回転に入った時。 振り落とされないように、ファーヴニールの膝に捕まっていたはず抗とファーヴニールの目が合った。 「え?」 それは、どちらの声だったのだろう。 時間が止まったかのような一瞬、互いの驚いた表情はしっかりと二人の網膜に焼き付いた。 次の瞬間、抗はファーヴニールの頭上へ、地面へと向かって落ちて行っていた。 「抗ぉぉーー!!」 「え、何、どうした?!」 「坑が落ちたぁぁー!」 「ええええー!?」 これぞ、まさに絶叫マシーンとボケる余裕は誰にもなかった。 「え、ど、どこに?! 轢かれたとかないよな?!」 「それも有り得るのか?!」 「縁起でもないこと言わないでよ!?」 「なに、それほど慌てる必要はないだろう」 慌てふためく三人とは対照的に、シュマイトは一人落ち着いていた。 「抗ならおそらく。うむ、やはりな」 頭上を眺めていたシュマイトの言葉終わる前に、抗が見事にファーヴニールの膝へと落下してきた。 「いやー、驚いた。宙返りするなら、言ってくれないと落ちるって」 「良かった! 本当に良かった! 俺、自分が新聞の見出しに載ったところまで想像したよ!」 「あはは。俺がPK使えなかったら、死んでたとこだよな」 予期せぬハプニングをほとんど動じることなく坑は笑い飛ばしていた。 その後は何事もなくジェットコースターは終了し、残りの一、竜、冬夏、隆もジェットコースターを楽しんだ。 そして、竜と綾の発案により、三半規管の限界に挑戦しよう企画が持ち上がった。 二回、三回は全員ノリノリだったが、四回を越えたあたりから、脱落者が目立ち始めた。 「よし、じゃあ最後にもう一回行こう!」 「いや、さすがにそろそろ」 「なんで、優は乗るたびに元気になってるの?」 「私も一緒に行きます」 「とーかちゃん、無理しないでいいんだよ?」 「え、だって楽しいよ?」 きょとんとした顔で応える冬夏には、無理をしている様子は全く見えなかった。 (あれ、なんでこの子、こんなに普通にしてられるんだろう…) 優と冬夏を除く全員の心が一致した瞬間だった。 「じゃ、じゃあ、さすがに他の絶叫系のアトラクションにしようぜ! 遊園地はジェットコースターだけじゃないからな!」 五回目を終えて戻った二人に、隆が慌てたように提案した。 既にライフが0になりかけている三半規管に鞭打って、フライングカーペット、フリーフォールと順調に絶叫系アトラクションを制覇していった。 率先して全員を引き回していたのは、回数をこなすほど元気になっていく優と全く様子が変わらない冬夏であった。 「次は、どこ行こうか?」 「あ、じゃあ、ここから近いコーヒーカップに行ってみません?」 (ねぇ、あの二人なんで、あんな普通なの?) 酔っ払いのような覚束ない足取りで歩いていた全員の心の声であった。 3 コーヒーカップの新たなる歴史 コーヒーカップに乗り込むメンバーを決める時、一つの奇跡が起こった。 グーパーでグループ分けをしたところ、ファーヴニールと抗と優と冬夏とシュマイトのグループ、隆と綾と竜と一のグループができた。 片方はストッパー0というグループが誕生した瞬間であった。 「あっち、大丈夫かな」 「さすがに、そんな無茶はしないんじゃないかなぁ」 「子供じゃないんだし、大丈夫だろ」 不安そうな優を励ますように、冬夏やファーヴニールは声を掛けたが。 「 ま わ せ ! ま わ せ ! 」 「一一一、行きます。誰にも私は止めらないー!!」 「一ちゃん。頑張れー!」 「あっちより速く回しちゃえー!!」 二人のフォローは音速で崩れ去った。 「大丈夫なのかな、あれ」 「うん、まあ、大丈夫だよ。きっと、うん」 「まあ、好きにさせてやれば良かろう。幸い、他にはそれほど乗っていないようだ」 「抗さんは、そこで大丈夫ですか?」 「うん、平気平気」 コーヒーカップの真ん中の円盤の上に抗は腰掛けていた。 平和にまったりとコーヒーカップを楽しんでいる優たちであったが、そうは問屋が卸さなかった。 「そっち遅いぞ! もっと回せ回せー!」 「負けた方が、ジュース奢るんですからね!」 ぐるぐると回してはしゃぐ隆と一が、そんなことを言ってきたのである。 「あれ、そんな話あったか?」 「私は初耳だ」 「あいつらも、良くやるよな」 「うーん、ジュースくらい別にいいんだけど。負けるのは、なんだか悔しいね」 「それなら、勝ちます?」 コーヒーカップの回転で乱れる髪を押さえていた冬夏が切り出した。 「え、どうやって?」 「ニル兄が回せばいいんですよ」 優、抗、シュマイト、そして冬夏の視線を受けたファーヴニールは、最初はきょとんとしていたが、冬夏の言っていることを理解すると、にやりと不敵に笑った。 「それじゃあ、全員しっかり掴まったな?」 優の最終確認に、力強く全員が頷いた。 コーヒーカップの円盤を掴んだファーヴニールの両腕が、瞬く間に異形の腕へと変形していった。 「よっしゃ、ちょっとだけ本気出しちゃおうかな!」 その時、コーヒーカップの歴史が動いた。 歴史の目撃者は後に語った。 (プライバシー保護のため音声は変えてあります) 「おかしいですよ、コーヒーカップがあんな音たてるはずないです! だって、BGMが掻き消されたんですよ!」 「回転が速すぎると、色が混ざるって理科の実験を思い出しちゃった」 「反則じゃないですか! こっちはか弱い乙女一人なんですよ!」 「よくバターにならなかったなって思った。全員無事だったのを見るまで、煽った責任感じて生きた心地がしませんでした」 4 バンジージャンプは捻らない 「絶叫系を語るなら、これは外せない!」 そう力強く隆が指さしたのは、バンジージャンプだった。 「これは、どういう乗り物なんだ?」 ファーヴニールのポケットから顔を出した抗に、優が説明をした。 「どこぞの部族の成人の儀式のための度胸試しのようだな」 それを横で聞いていたシュマイトは、悲鳴を上げながら飛び降りている参加者を眺めながら最もな感想を呟いた。 「もちろん、全員で挑戦するぞ!」 「俺、無理だろ」 「わたしも身長制限に引っ掛かっているようだな」 息巻いている隆に、抗とシュマイトは冷静に辞退していた。 「それなら、残り全員参加だ! 逃げた者は、チキンハートの称号がもれなく贈られるぞ!」 「何で、隆はそんなにテンション上がってるんだろうね、一ちゃん」 「ほら、さっき煽ったくせに負けちゃったからじゃないですか?」 「なんだ、そんなこと誰も気にしてないのに」 「うっさい! ジュース代は全て俺の財布から出てんだからな!」 「あれ、そうなんだ?」 思わず優は、驚いたような声を出してしまった。 「だってねえ、煽ったのは隆だしー」 「女の子一人に回させてただけですしー」 「言い出しっぺですしー」 綾、一、竜が次々と口を開いて、最後に顔を見合わせると。 「ねー?」 と、声を揃えて隆へと向き直った。その三人の表情は優からはちょうど見えなかったのだが、青い顔をした隆がささっと目を逸らすのは目撃してしまった。 「うん、頑張れ?」 優は菩薩のような優しい表情を浮かべていた。 「高ぁっ!?」 「足がガクガクしてきました」 「うわ、下で見るのと登って見るとじゃ大違いだ」 「ふっふっふ、本当の恐怖はこれからだ! さあ、誰から飛ぶ!」 依然としてテンションが高い隆であった。 「俺が最初に飛ぶよ」 気負った様子もなく、むしろ楽しそうに優は前へと進み出た。 「とぉーー、あーははははは!」 係員の指示に従って、ためらうことなく飛び降りて行った。しかも、聞こえてきたのは悲鳴ではなく楽しそうな笑い声だったという。 「次、私ね!」 さきほどの優と同じようにためらう様子もなく、さらには軽く助走までして綾は綺麗に空中へと飛び出した。 「ひゃっほーー!」 綾の楽しそうな声が聞こえてくる一方。 「ちょっと押すなよ! 自分でちゃんと行くから! 自分のタイミングってのがあるの!」 次に飛ぼうとしていたファーヴニールは、ふざけて背中を押そうとする隆と言い合いをしていた。 そんな時、先に進み出たのは冬夏であった。 「係員さん待たせているのも悪いから、私が先に行くね」 それに驚いたのは、残っていた竜、一、隆、ファーヴニールであった。 「え、とーかちゃん!?」 「無理に飛ばないでもいいんですよ!?」 「怖かったら無理しないでいいんだからな!?」 「いやいや無理しないでいいんだよ!?」 口々に引き留めようとする皆に、冬夏は微笑んでみせた。 「大丈夫だよ。だって、楽しそうだよ」 そして、行ってきます、とだけ言い残して、普通に飛び降りて行った冬夏の笑い声が残った面々の耳に届いてきた。 (あれ、あの子、普通に飛んだよね・・・) そんな想いが全員に心に浮かんだ。 「と、冬夏が飛んだのに、俺が飛ばないわけにはいかない! 兄としてのプライドとか諸々のことにかけて!」 妙な対抗意識を燃え上がらせたファーヴニールが、前へと進み出た。 「まあ、待て。ここは、俺がひとつお手本を見せてやる」 そんなファーヴニールの肩を掴んだのは隆であった。 「俺がバンジージャンプの必殺技を見せてやろう」 誰を殺す気なのかはさっぱり解らないが、妙な自信に満ち溢れた隆にファーヴニールは大人しく順番を譲った。 「さあ、見るがいい! バンジージャンプの真髄を!」 そして高飛び込みの選手のように隆は、助走を付けて軽やかに空へと飛び出した。 「空中二回転捻り、前てぇぇー、んんー!?」 素早く体を二回捻り、さらに足を抱え込み前転を決め、体を伸ばしてフィニッシュを決めるはずの隆に異変が起きた。 「なんだこりゃあー!?」 バンジージャンプの紐がいい具合に絡まって結び付き宙ぶらりん状態になってしまったのだった。 普通なら紐が体に絡まっても、ぐるぐる回転するだけで下に降りられるはずが、隆が素早く紐を捻り回したせいで、奇跡のタイミングで結び目ができあがっていたのだった。 突然のハプニングに係員たちが騒然となる一方で、竜、一、ファーヴニールは遠慮なく笑い転げていた。 「ひっ、必殺技、必殺技が炸裂しましたー!」 「じ、自滅、自滅だよー!」 「すげ、し、真髄だよ、本気で真髄だよ!」 結局、隆が宙ぶらりんになったせいで、しばらくバンジージャンプは使えなくなったので、竜、一、ファーヴニールは飛べず、さらには隆を交えて係員さんからのお叱りまで受けるはめになってしまっていた。 ちなみに、先に飛んだ優、綾、冬夏と見学していた抗、シュマイトは、回収されている隆を少し離れた場所から見学していた。そして、その隆の姿は、しっかりと写メに保存されたとかしないとか・・・。 5 美味しいお昼の時間 「なあ、そろそろ昼飯にしようぜ」 「え、もうそんな時間か」 腕時計で時刻を確認した優は、驚いた声を出した。 「それなら、食べ物買いに行こうか?」 「ふっふっふ、その必要はないですよ!」 ファーヴニールの提案に、竜は自信たっぷりに胸を張った。 「皆のお弁当はちゃんと準備してきました! 私ととーかちゃんと優さんと抗さんの四人の合作ですよ!」 「へー! って、どこに?」 「びっくりさせようと思って、パスホルダーに仕舞ってあるんですよ」 竜は自分のパスホルダーをひらひらと振ってみせた。 「では、どこで食べるのだ?」 「休憩所には、テーブルがあったと思うぜ」 「混んでた時のために、ビニールシートは持ってきてあるよ」 「皆は、どっちが良い?」 どちらでも構わないという意見だったのだが、昼時ということもあり休憩所付近は混雑しているだろうという優の判断により、広場でビニールシートを敷いて食事をしようということになった。 「あれ~?」 「どうしたんだ、綾」 「コーヒーカップが点検中だって」 「え、本当?」 「うん、ほら」 「あー、本当だ。さっきまで普通に動いてたのにな」 「私たちが乗った後くらいだよねぇ」 「乗れて良かったねー」 「やっぱり日頃の行いがいいからですよ!」 談笑しながら通り過ぎる一行の中、隆だけは笑えていなかった。 (いやこれって、まさに俺たちが原因じゃね?) 喉元まで出掛けた真実を、隆はぐっと飲み込んだ。 そう、元はといえば煽ったのは自分。 大人になるって、こういう事なのかな、と隆はそっと遠い目で透き通る青空を見上げて歩いていた。 「じゃじゃーん!」 「おー!」 広げられたビニールシートの上には、お弁当が広がっていた。 美味しそうなきつね色の唐揚げ、食欲そそる匂いのアスパラベーコン、ふっくらとした卵焼き、しゃきしゃきとしていそうなレタスとブロッコリーとタマネギとプチトマトのサラダという洋風のおかずが詰まった二つのお弁当を作ったのは、冬夏。 蓮根、竹の子、椎茸、人参、蒟蒻、いんげん、里芋の煮物であり、多少型崩れしているものもあるが、しっかりと味が染み込んでいそうな和風のおかずが詰まったお弁当を作ったのは、優。 おかか、しゃけ、明太子の具の三角おにぎりと同じ具の俵結びが詰まったお弁当とハム、卵のサンドイッチが詰まったお弁当を作ったのは、竜。 抗が得意げにそれぞれのお弁当の解説をしていった。 「抗は、何か作ったのか?」 「俺は手伝いと味見専門だったぜ!」 胸を張って言い切る抗はいっそ清々しかった。 そして、いただきまーすと楽しいお昼ご飯が始まった。 「この煮物作ったのって、相沢さんなんですよね?」 「うん、そうだよ」 「凄く美味しい。味もしっかりと染み込んでるし。今度、作り方教えてくれませんか?」 「本当? そこまで言ってくれると嬉しいな」 「とーかちゃんの作った唐揚げも美味しいですよ!」 「うん、俺もそう思う。これ下味に何か混ぜたよ?」 「はい、揚げる前に少し味付けしてあります」 「私なんて、普通のサンドイッチとかおにぎりなのに」 「いやいや、おにぎりを綺麗に握れるのって凄いと思うよ」 「しかも、藤ちゃん手際良いよね」 「えへへ、熱いご飯でも、平気で握れますからね!」 ほのぼのとした空気を生み出し、微笑ましい食事風景が広がる一方。 「おいひちぇばじぇんべぁだうべふぁんじぇはんあ」 「はうえいんひぃあうえちいるいあうっどおえおいえだ」 「るうぇいおいおっほうぇうかえうりんほおうそべう」 端で聞いていると、全く意味が分からない会話を繰り広げている隆、綾、一であった。 実際、側で食べているファーヴニールには何を言っているのかさっぱり解らなかった。 俺、チケット持ってるのに何でこいつらの言ってること解らないんだろう、そんな風に考えていた時期もファーヴニールにはありました。 「おまえら、食いながら喋るなよ。っていうか、何でそれで、会話ができてるんだよ」 「ひゅーなれじゃびゅあ?」 「何て言ってるのかさっぱり解らないから」 不思議そうに隆は、ファーヴニールを見つめた。 そんな時、隆の前にあった唐揚げを、綾が取って食べてしまった。 「るえおあいー!! じゃふえなんっうあなお!!」 「あうでふぁう~しほるうお」 「ひぃうえあじあえいおにあうつうふぁいうえあ!」 それに気づいた隆は、口からものを飛ばしながら何か叫んだ。それを受けた綾が何か言い出せば、綾を援護するように一も口を開く。 会話の内容は当事者以外は全く持って理解できていなかったが。 「まあ、楽しく食べてるようだ。多少の行儀の悪さは大目に見てやってもよいだろう」 「多少ねぇ」 叫びながら食べているせいで、そこら辺にご飯粒やら何やらが飛び交っている状況は、どう贔屓目に見ても多少の行儀の悪さではすませられそうにないものであった。 しかし、関わったら負けかな、という真理に覚醒したファーヴニールは、見ない、聞かない、気にしない、という悟りを開いた。 「ほれ、抗。こっちの肉も食べると良い」 「お、シュマイト。ありがとな」 シュマイトが切り分けた唐揚げを、抗の前の皿に置いた。そこには、抗のためにと小さく切り分けられたおかずが並んでいた。 小さいといっても、抗にとっては自分の顔くらいある大きさである。それを両手で持って、一心不乱に食べる姿は、まるで小動物のようであった。 そして、その姿を何とも言えない暖かい表情で見守るシュマイトとファーヴニールであった。 ぶっちゃけ、シュマイトは自分が食べるよりも抗に食べさせることに夢中になっていた。 「ん、何だ? 欲しければ、まだあるだろ?」 「ううん、ちょっと癒しが欲しくなっただけだから。抗は気にせず、そのまま食べててくれればいいから」 「ふ~ん、それならいいけどな」 とても優しい笑顔を浮かべるファーヴニールを不思議に思いながらも、口一杯に食べ物を頬張る抗であった。 6 ダッシュ イン ザ ミラーハウス 「次、あそこに行きましょう!」 竜が指さしたのは、ミラーハウスだった。 「古典的だけど、王道なアトラクションだな」 「どういう乗り物があるのだ?」 「ん~、乗り物ではなくて、ちょっとした仕掛けのある迷路ですね」 シュマイトの疑問に竜が得意げに応えた。 「ちょっとした仕掛け?」 「そうそう、通路が一面鏡貼りになってる迷路なんだよ」 「普通に進もうとすると、鏡にぶつかっちゃうんだよね」 「聞いただけだと、それほど面白味のなさそうな場所だな」 「まあまあ、聞いてみるのとやってみるのとじゃ、全然違うからさ」 はいはーい、と元気良く手を挙げた竜に、全員の視線が集まった。 「ただ行くだけじゃ面白くないんで、一番鏡にぶつかった人と一番時間が掛かった人がポップコーンを買って、皆で食べるってのはどうでしょう?」 「お、いいね。そういう賭があった方が燃える」 「賛成~」 竜の提案にすぐに食いついたのは、隆と綾であった。 「では、どうでしましょう、相沢先生?」 ファーヴニールが茶化しながら、優へと話を振った。 「いいんじゃないか、誰も反対しないみたいだしな」 鶴の一声ならぬ、優の一声によって、ミラーハウスタイムトライアルが成立した。 「おー、すげえ」 ミラーハウスの中に入った全員の先頭で、抗は目の前にある鏡をペタペタと手で触っている。 「本当に、一面鏡だけだろ」 「確かに、これなら鏡に体をぶつけてしまうのも納得できる」 感心したようにシュマイトは呟いた。 「シュマイトさん、ちょっとこっちに来てください」 「ああ、分かった。今、そちr」 一に手招きされたシュマイトは、そちらに歩いて行く途中で、ごんっと鏡にぶつかった。 「あーはっはっは、引っかかりましたね! 既にレースは始まっているんですよ!」 「慣れてない人から狙うとは、一、恐ろしい子!?」 「弱いものから食べられるのが大自然の掟なんです!」 「ここ、遊園地だけどね~」 得意げな一に、綾のツッコミが冴える。 「勝負に情けは禁物です。今日の友は明日の敵です!」 「それを言うなら、昨日の友は今日の敵じゃなかったっけ」 「そ、そうとも言うかもしれません!」 そんな中、一人こっそりと動き出した人物がいた。 「お前らが、きゃっきゃっうふふしてる間に、俺は先に行くぜ!」 虎部隆、その人であった。 「あいつ本気で勝ちに行ってやがる!」 「なんて大人気ない!?」 「はーははは、悔しかったら追いついてごr」 ごーん、と鈍い音が響いた。 「あーはははは!」 勢い良く真っ正面から鏡にぶつかり撃沈する隆を、綾がお腹を押さえて爆笑している。 「そりゃ、ミラーハウスでよそ見して走ればなぁ」 「くっ、企画言い出しっぺとして、負けるわけには行きません!」 本気で勝ちに行った隆に焦りを感じた竜が、自分も負け時と駆け出した。 「あ、竜走ると!」 優が注意をするも、ごーん、と鈍い音がすぐに聞こえてきた。 「えー、何これ、走らないとダメ? それなら私も走っちゃおう!」 出遅れた綾も元気良く走り出した。 「いやいや、走ると危ないから!」 そして、お約束のようにごーん、と鈍い音が聞こえてくる。 「うわー、そこら辺からごんごん音がしてきた」 「ちょっとおまえら、他のお客さんだって来てるんだから、走るなって!」 注意しようとした優も慌てて走り出した。 「そういう優先生も走ってしまうという罠ですねー」 「ニルは走らないのか?」 その場に残されたのは、ファーヴニールとさきほどぶつけた額を撫でていたシュマイトであった。 「ノリ損ねたというか何というか。そーいう、シュマイトさんは?」 「要は最後にならなければいいのだ。走らずとも良いだろう」 「デスヨネー」 シュマイトの意見は最もであった。 その頃、冬夏と抗はといえば。 「あ、抗さん、そっちは鏡ですよ」 「え? あ、本当だ。冬夏、良く解るな」 「床を見ると区別しやすいですよ」 「お、なるほど賢いな」 「こっちは行き止まりみたいです」 「じゃあ、こっち行ってみようぜ」 「それにしても、さっきから皆の叫び声やら怒鳴り声やら、聞こえるんだけど、鬼ごっこでもしてるんですかねぇ?」 「えー、それだと俺たち仲間外れにされたってことか?」 「そうだったら酷いですよね」 ちゃっかりトップだった。 「くっ、言い出しっぺの私が負けるとは」 「すまないな、ニル」 「いえいえ、ここはレディファーストってことでね」 勝負の結果、ぶつかった回数トップは藤枝竜、最終ゴールはファーヴニールとなった。 最後、二人一緒に歩いてきたファーヴニールとシュマイトであったが、ゴール前にレディファーストと称してシュマイトをゴールさせて、ファーヴニールが自ら罰ゲームを買ってでたのであった。 「私も一緒に買いに行くから」 「えーん、ありがとう、とーかちゃん。ちなみに、とーかちゃん、何回頭ぶつけました?」 「え、私? 一回もぶつかってないよ?」 抱きついたままで動きが止まったのは竜、一瞬何を言ってるのか理解できないで止まったのはファーヴニールであった。 「あれ、どうしたの、二人とも?」 突然、動きが止まった二人を冬夏は不思議そうに眺めた。 「あ、ううん、何でもないですよ!」 「そうそう、何でもないから!」 (あれ、この子って・・・・・・) 二人の心に、そんな思いがよぎった。 7 走れ少女 まずは行動を振り返ってみよう、一は額に指を当てて目を閉じた。 (次のアトラクションに行く前にトイレに行って、出てきたらマスコットのニャン太が近くにいたから、チャンスと思って一緒に写メを撮ろうと子供たちに混じって順番待ちして、写メゲットしたんで皆のいる場所に戻ってきた、はずなんだけど。場所間違えたのかな?) この年で迷子なんてないわー、と一は内心苦笑していた。辺りを見回しても、見知った顔は見つからない。連絡を取った方が早いと思った一は、携帯電話を開いた。 その時、同年代の女の子だちが目の前を通り過ぎた。何でもない会話をしている彼女たちの声があまりにも楽しそうだったので、一はふと顔を上げた。 仲良く歩いていく少女たち、その頭上に浮かぶ壱を意味する真理数が、少しだけ気になってしまった瞬間。 一の周りは、壱の真理数で埋め尽くされていた。 今まで、見えていなかったわけではなく、楽しいから気にならなかった。見えているけど、見ていなかった。楽しいからこそ、ふっと差し込んだ影は深かった。 回りの人たちの頭上に浮かんでいる記号が、自分は違う世界の存在だと否応なく見せ付けてくる。 大勢の中にいるのに独りきり。急に見知らぬ場所に放り出されたような孤独が押し寄せてきた。 逸れた皆と連絡を取ることは簡単だ。携帯だけでなくトラベラーズノートを使ってもいいし、館内放送で呼び掛けてもらってもいい。 だが、そんな当たり前のことが思いつかないほどに、一の心は寂しさで埋まっていた。 いないはずの元の世界の友人だちの声が聞こえるような気がした。昨日見たテレビ、好きな俳優、流行りの歌、他愛の話題で笑い合っていたクラスメイトたち。 一がぐっと唇を引き結んだ時、軽快な音が遊園地のスピーカーから流れ出た。 「迷子のお知らせを致します」 午後の遊園地の雑踏に紛れることなく、聞きやすい女性アナウンスの声は一の耳にも届いた。 「上から読んだら、いちいちいち、さま~。下から読んだら、ちいちいちい、さま~。恋に迷いやすく、現在はただの迷子の一一 一さま~。貴女好みの白馬の王子さまが、中央インフォメーションセンターにて、お待ちでございます」 職務を全うする女性アナウンサーは非常に有能だった。何の感情も込めず淡々と要件だけを伝えるその姿勢は、ターミナルにいる知的でクールな女性司書を一に連想させた。 繰り返します、と再び同じ文面を流暢に読み上げられるのを聞きながら、一は目頭を押えられずにいられなかった。今や違う意味で号泣しそうだった。 そんな健気な努力をしている一の耳に届いたのは、やだ、何今の放送~、ちいちいちい~、いちいちいち~、今どき白馬の王子さまだってさ(笑)、というどこぞのカップルや囃したてる子供たちの声だった。 何気ない風を装って携帯電話を開き、メールを打つふりをして、一は静かにその時を待った。 そして、携帯に表示された時間が3分過ぎた時、一はそっと携帯電話をしまった。 その場で何度か軽く跳び上がり、靴をしっかりと履き直す。体を伸ばして、数回屈伸。それから深呼吸をして、空を見上げた。 ああ、こんなにも空は青く眩しい――。 その日、一一 一は風になった。 「いいのかよ、あんな放送してさ」 「迷子になる方が悪いんだよ。それにあれなら、一発で解るだろー」 もちろん、あの放送文を考えたのは隆である。俺に任せとけ、と言い切った隆の笑顔を信用した結果があれである。 今さらながら優は、せめて確認くらいはするべきだったなと後悔していた。 迷子のアナウンスが流れてから5分過ぎたくらいだろうか、 何かが猛烈な勢いで土煙を上げながら迫って来ていた。 本来ならば、人で混み合う遊園地の中で高速で動くなんて不可能だっただろう。 しかし、まるで神の奇跡のように、その疾走する何かの前にある人混みが綺麗に割れていくのだった。 疾走する一を見た優が最初に思ったことは、人間ってあんな表情できるんだとか、どうしてコンクリートで土煙が出るんだろうとかではなく。 さすが陸上部、そんなことだった。 「おー、思ったよりも早か、ぶッファア!?」 タイムを計れば世界記録更新じゃねという勢いのままで、一は見事なラリアットを隆にお見舞いしていた。 「う゛あ゛あ゛あ゛っ!!」 乙女にあるまじき唸り声を上げる一は、主犯である虎部が地面を倒れる込むのを許さず、さらに胸倉を掴んで憎き親の敵とばかりに揺さ振った。 「落ち着け、一! 隆が犯人だけど、確認する前にいきなり掴みかかるな! いや、あってるけど!」 最初の一撃で魂が飛びかけている隆は、されるがままに面白いくらいに首が揺れている。 隆の顔色が若干、いや、かなりアウトのように見える優は、必死に一を止めようとしていた。 「次はどこ行くんだ?」 「あっちのエリアはまだあんまり回ってないと思うな」 「さすがに、一休みしたくなってきたのう」 「シュマイトちゃん、さっきのポップコーン食べますか?」 「私、お化け屋敷以外なら、何でもいいよ!」 「やっぱり、お化け屋敷は嫌なんだね~」 「お前ら、一を止めるの少しは手伝ってくれよ!」 概ね平和であった。 8 お化け屋敷なんて怖くない、わけがなかった それが目に入ったのがたまたまであったら、声を掛けてみたのも偶然であった。 「あれ、何のアトラクション?」 「えーっと、あれは、ホラーハウス『マッドファクトリー』だな」 「つまりは、お化け屋敷?」 「つまりは、お化け屋敷」 ファーヴニールと隆は目を合わせると、揃ってある1人へと顔を向けた。 「ん、どしたの?」 ここに日和坂綾捕獲作戦が発動した。 しかし、本能(?)で危険を察知した綾は素晴らしい脚力を遺憾なく発揮して逃走。急遽、ファーヴニール&優を中心とした説得兼捕獲部隊が結成された。 そして15分後、マッドファクトリーの前には、嫌がる綾を楽しげに連れ込もうとしている集団がいた。 「苦手なものを克服する良い機会ではないか」 「人参食べなくても生きていけるもん! お化けに会わなくても生きていけるもん!」 「大丈夫、大丈夫。怖くないから」 「お化け屋敷が怖くないわけないもん!」 「往生際が悪いぞ! それでも女か!」 「男も女も関係ないでしょ!」 「多数決で決めただろ」 「数の暴力反対だぁー!」 心配そうに声を掛けてくる係員さんに、適当な言い訳をして、一行はマッドファクトリーへと入った。 最初の入り口で、おどろおどろしいBGMに合わせてナレーションが始まる。 「ここは、普通の缶詰工場だった。 ある日、この工場で作った缶詰を食べた1人が食中毒を起こして死んでしまった。そして、この工場で作られた缶詰は、誰も買わなくなってしまった。 工場長は責任を問われ、工場の負債が溜まる一方、工員たちの生活のためにも給料を払わなければならない。どうにもならない現実に追いつめられた工場長は、とうとう精神を病んでしまった。 ある日、工場の出入り口を封鎖して、その日に出勤していた工員たちを殺し始めたのだった。逃げようとした工員もいたが、封鎖された工場から脱出できなかった。結局、全ての工員は惨殺されてしまった。 その後、工場長も動力室で首を吊って自殺した。 それから、この工場では夜な夜な工場長がさまよい歩き、工場内にいる人間を工員とみなして殺して歩いているそうだ。 おおっと、出入り口が封鎖されてしまったようだ。おかしいな、この工場には生きた人間は誰もいないはずなのに。 さて、封鎖された扉を開けるには、動力室に行き出入り口の封鎖を解除しなければならない。 君たちが、生きて再び外へと出ることができることを祈っているよ。 決して、私みたいに殺されないようにね……」 ガゴンっと派手な音を立てて、ドアが勢い良く開いた。 「もう怖いよぉー!!」 既に泣きそうなになっている綾だった。 「ニャンとワンだーランドに不釣り合いな怖さですよぉ!?」 「確かここって、怖くて歩けなくなった人は、係員が外へ誘導してるんじゃなかったっけ?」 「あれ、そんなに凄いんだ。……もしかして失敗した?」 それからは大変だった。 お化け嫌いの綾を怖がらせようという魂胆だったのだが、ぶっちゃっけ普通に怖い。 廃工場を模した通路を進んで行けば、蒸気のような白い煙が噴き出し、何かが倒れる音と悲鳴が響き渡る。 スピーカーを通して聞こえてくるのは悲鳴と怒号に、重く水っぽいものを引き摺るような音。 そして、暗い通路の先の方から聞こえてくるのは、別の集団の誰かの悲鳴。 「これ、ちょっと本気で怖くないか!?」 「はははは。何を言ってるんだ、だらしないぞ、優」 「隆、声震えてるから」 取っ手の付いた重そうな扉が、一行の前を阻めば。 「お前、先そこ開けろよ!」 「これは開けた先に、絶対何かあるだろ!?」 「だから、先に行けって言ってるんだよ!」 「お前こそ先に行け!」 男性陣もお前がお前がと押し付け合う始末であった。女性陣に至っては、お化けに恐怖を抱いていないシュマイトを除けば、悲鳴も出せないというくらいに怖がっており、互いに抱き合いながら引け腰のまま進んでいる状況であった。 ただ、シュマイトもお化けは怖くないというだけであり、突然の悲鳴や騒音などの演出効果には驚き悲鳴を上げたりしてはいた。 そして、一行がおっかなびっくり進んでいる時、事件は起きた。 「ふ、ふふ、うふふふ。うふぁははははは!」 突然、肩を振わせて綾が笑い出したのだった。どうにも恐怖のあまり色々なものが吹っ飛んでしまったようだった。 「うわぁっ、いきなり大声出すなよ!?」 「え、ちょっ、ひ、日和坂さん?」 「あ、あれ、もしもーし?」 顔を伏せて笑い続けている綾から、皆はすすすっと二、三歩後ずさった。 「おい、綾。大丈夫か?」 坑がPKで浮き上がり、近寄って綾の頭に触れようとした時。 「ぬぁーははははは!」 綾はいきなり走り出していた。 そして、綾の走って行った暗い通路の先から、何かが壊れる音、何かが落ちる音、さらには重い打撃音と苦鳴まで聞こえてきた。 「………」 思わず全員が全員で無言のまま目を交わし合った。 「おいい!?」 叫んだのは誰だったのだろうか、全員は大急ぎで綾を追いかけ始めていた。 そして、追いついた全員が見たのは、壁から飛び出してきていたホラー人形に、見事なハイキックを繰り出している綾であった。 ホラー人形の頭部は、豪快な破壊音とともに、まるでサッカーボールのように空を舞った。 点滅を繰り返すストロボ照明の演出のせいで、空を舞う人形の頭部はより一層不気味に照らし出された。 「ぎゃああああ!?」 「あいつ、ふっつーに壊してんぞ!?」 「これ、弁償だよな」 「そ、そそそ、そんなことより、早く止めましょう!」 一の叫び声で、我に返った優が逸早く動いた。 「とりあえず、落ち着けって!」 優は叫びながら綾へと手を伸ばす。 その声と動きに反応した綾は、優へと間合いを詰めて蹴り掛ってきた。 「うわっ!?」 とっさに上体を逸らして優は、綾の蹴りをやり過ごした。 が、すぐに、綾の足技が次々と襲いかかる 薄暗い視界の中でも、すぐに気を引き締めた優は、冷静に綾の間合いを見極めてぎりぎりの動きでかわしていった。 いつもだったら、これほど上手くはかわせなかっただろう。しかし、我を失っている綾の攻撃は単調で大振りであった。 おかげで避けやすいが、その分当ればシャレにならない威力があった。 「おい、綾! しっかりしろ、俺たちが解んないのか!」 PKで浮遊している抗は、綾の頭上を飛び回りながら、ずっと呼び掛けていた。 「後で謝るから、許してくれよ!」 綾の攻撃の間を読んだ優が、綾の蹴りを両手で受け止める。 両腕に叩き付けられる力を押し返さず、流れを変えてそのまま引き込み、気合いとともに綾を投げ飛ばした。 しかし、まるで猫のようにくるりと体勢を整えると、綾は見事に着地してしまった。 「なんだそれ!?」 人間技とは思えない見事な綾の体術に、優は驚きの声を上げた。 「こ、これは、恐怖により我を失ったせいで、綾っちの本来の実力が開放されている!?」 「え、ホント?」 「デマかせに決まってるだろー」 「ですよねー」 「お前ら、見てないで手伝え!」 綾を見据えながら一人頑張っている優が、ファーヴニールと隆に怒鳴った。 「いや、俺らは綾っちが、走り出した時に体張って止めるために通路を塞いでいるという大切な役割を遂行中です」 「うんうん、大切な役目だよなー」 「というわけで、俺たちは、ここから優先生の健闘を祈ってエールを送りたいと思います」 お互いの肩を組みながら、二人は優へとエールを送り出した。 「お前ら後で覚えてろよ!」 優の心がちょっぴり挫けそうになった瞬間であった。 「ふむ、このままでは埒があかないようだな。……皆、耳を貸せ」 男性陣の様子を見守っていたシュマイトが、一、竜、冬夏へと声を掛けた。 こうなったら綾の体に一撃入れてでも動きを止めるか、と優が考え出した時。 「今だ、冬夏!!」 シュマイトの声が凛と薄暗い通路に響いた。 「はい!」 冬夏がトラベルギアの四季花扇を取り出した。 「えーい!」 巨大な扇を振えば、漆黒の地に描かれている桜、紫陽花、金木犀、椿と四季の花々が舞い飛ぶ。 自分の周囲を飛び交う花々の全てに、綾が条件反射で四方八方へと無茶な動きで攻撃しだした。 「とおーー!」 その攻撃の合間の隙を縫って、竜が背後から綾へと飛び付いて羽交い絞めにした。 驚いた綾が竜を振り解こうと暴れ出すが、竜も振り解かれまいと必死にしがみ付く。 「でりゃぁー!」 そして、綾が竜を振り解こうとしている間に、持ち前の健脚を活かして一が素早く駆け寄った。 「ごめんなさい!」 バチィッと音がすると、綾の体が一度だけ大きく跳ねてがくりと力を失った。 一がその手に持っていたトラベルギアのスタンガンを使ったのであった。 「うむ、いささか荒っぽいがこんなものだろう。ニル、隆、優、誰でもいいから綾を支えてやるのを、竜と変わってやってくれ」 「え、あ、はい」 「な、なんという手際の良さ」 すぐに優とファーヴニールが、駆けよって綾を支えた。 「おい、綾、大丈夫か?」 浮遊しながら抗が綾の額をピタピタと叩いた。 「威力は抑え目にしたんで、大丈夫とは思うんですけど」 人に使ったことはほとんどないんですよね、と一は心の中だけで言葉を続けていた。 あとでもう一度きちんと謝ろう、一は密かに心に決めていた。 「おーい、スタッフ呼んだから、もうすぐ来てくれると思うぜ」 どうにか事態の収拾の目途がたったようなので、隆は側にあった非常用電話を使いスタッフに事情を話し途中退場させてもらえるようにお願いしていたのだった。 そして、綾はショックで気絶してしまったと誤魔化し、目を覚ますまで施設の休憩室で休ませてもらうことになった。 しかし、綾が目を覚ましてくるまでの間、残りの全員はみっちりこってりとスッタフたちに叱られていた。 9 ラストパレードは煌びやかに 「少し休憩しようぜ」 さきほどのお化け屋敷騒動でぐったりしている男性陣のリクエストを受けて、一行は休憩所へと向った。 ニャンとワンだーらんどのパレードの時間までに余裕があり、小腹も空いてきたこともあり、優の提案によりしばしの自由時間ということになった。 女性陣は意気揚々とお土産コーナーに向かって行き、男性陣は軽食や飲み物を買って荷物番をしていた。 「タフだよなぁ」 ストローを齧りながら呟いた隆に、残って荷物番をしている男性陣はそれはそれは深く頷いていた。 女性陣が戻って来ると、少し早いがパレードのために席取りをしておこうという話が出た。 一行がパレードの絶好スポットと言われている場所へ行ってみると、まだ早い時間にも関わらず、沿道には結構な人数が席取りを始めていた。 「早めに来て良かったかもな」 お昼に使ったビニールシートを広げて、荷物を置いて場所を確保する。 「まだ時間あるし、隆たちもお土産見てくれば? 荷物はあたしたちが見てるしさ」 綾からの提案を受けて、男性陣もお土産コーナーへと行った。帰り際に、飲み物やポップコーンを買ってくるというさり気ない気遣いも忘れない。 全員でポップコーンを摘みながら話していると、今までと違う軽やかなBGMが流れ出した。 「あ、始まったぞ」 「え、ホント?」 パレードの音楽に切り替わったことに、優は気が付いた。 「でも、まだパレードの先頭も見えてないぞ」 「この辺りだったら、あと5分もすれば見えると思うよ」 「わー、楽しみです。どんなんだろう」 ニャンとワンだーらんどのパレードを見るのが初めて、そもそも遊園地という場所に来るのが初めて、そんな経緯のあるツーリストたちは、それぞれがそれぞれなりにパレードを楽しみにしていたのであった。 「電飾で派手に飾ったキャラクターの車とその上で踊ってるマスコット。後は、行進してるスタッフってところだろ」 「夢がない!」 「中の人なんか、いないんだからね!」 あっさりと現実的なことを言ってしまった隆は非難の嵐に晒された。それを、優とファーヴニールが宥めていると沿道にどよめきが広がった。 顔を向ければ、キラキラと輝いている集団が見えてきていた。 「きたよー!」 色とりどりの明かりで着飾った車が通り、各マスコットキャラクターにちなんだ衣装に身を包んだスタッフが踊りながら行進していく。 沿道にいる子供たちだけでなく、大人たちにも笑顔で手を振っている。車の上にいるマスコットは音楽に合わせて踊っているが、アドリブだろうか、たまに沿道の人たちへと手を振っている。 手を振ってもらった場所は、わーっと歓声が上がりさらに盛り上がりをみせていた。 「わー、手振ってくれたよ!」 「もう一回! 今、上手く撮れなかったよー!」 「あ、今、もう一回こっち向きますよ!」 「ぎゃー! 可愛いー!!」 シュマイトは半ば呆然とパレードを眺めている。 異様な盛り上がりを見せていた女性陣に対して、男性陣はまだ比較的落ち着いていた。男として公衆の面前ではじゃぐことに多少の抵抗感があったのかもしれない。 「シュマイトさん、こういうのはつまらない?」 「いいや、十分に面白い。このような機械の使い方もあるのかと感心させられた。異文化に触れるということは、予想以上にためになるものだな」 「な、なんか、こっちの予想と違うけど、楽しんでくれてるなら、何よりかな!」 そして、パレードが終わるまで、女性陣のテンションはうなぎ登りであった。 「いつまでもここにいると通行の邪魔になるから、もうちょっと違う場所に行こう」 優に促されて、一行はニャンとワンだーらんどの出入り口の方へとぞろぞろと進んで行った。 閉園時間が近くなっているせいだろうか、入口近くに連なっているショッピングモールは混雑していた。 「そうだ。最後に、皆でまた写真撮ろうよ!」 「え、もう散々撮っただろ?」 「解ってなーい! こういう思い出の写真ってのは何枚あってもありすぎることなんてないのだ!」 「全員で撮るなら、誰かに頼まないとな」 「それなら、そこら辺でスタッフさんを探して引っ張ってきますね!」 「迷子になるなよ~」 「あんな放送したら、次はドロップキックかましますよ!!」 物騒なことを言い残しながら一は、遊園地のスタッフを探しに行った。 ほどなくして迷子にならずに、一が連れてきたスタッフに撮影してもらうことになった。 「はい、撮りますよー!」 一枚、二枚、そして、次はこのカメラで、こっちの携帯でも、と次々に皆はスタッフに撮影してもらっていた。 「それでは、皆さん。ごきげんよう~!」 相当な枚数を撮らされたにも関わらず、スタッフは終始笑顔のままで立ち去っていった。 「シュマイトさん、どうしたの?」 「色の付いた写真というのは、初めてなのでな。これは良い思い出として記憶にも長く残りそうだな」 見た目と違い長い年月を生きているシュマイトの言葉の中には、ほんの少しだけ寂しさも混じっているようであった。 「だーいじょうぶ! ちゃーんと焼き増ししてプレゼントするからね!」 「あ、そうだ。プレゼント」 「あー! そうだった!」 「忘れるところだったね」 女性陣がプレゼントという単語に反応して、顔を見合わせて喋り出した。 「何か、買い忘れたものではあったのか?」 「違うんだなー」 「じゃじゃーん。これはなんでしょう?」 優が女性陣へと声を掛けると、綾と一がお土産袋を漁って、9個のストラップを取り出したのだった。 「ストラップ?」 「そうそう、ニャンとワンだーらんどのストラップ。これ、全員分買ってあるんだよん」 「今回の記念として、皆で何かお揃いのもの買えたらいいなと思ったんですよ。発案者は竜さんと冬夏さんですよ」 「それで、お土産屋コーナーで探してて、これが大きさや値段を考えて妥当かなーって思ったんだよね」 抗にはちょっと大きいけどね、と綾は苦笑していた。 「そうそう、優さんはタダでいいですからね!」 「今日の引率お疲れ様でしたってことで、あたしたちからのプレゼントってことでね」 「他の人は、ストラップの代金を一までお支払いくださーい。踏み倒そうとするような人は、あたしが足で踏み倒すんで覚悟してくださいね!」 満面の笑顔だったが、一の有無を言わさぬ迫力に逆らうような強者はおらず、着々とストラップ代金が集まっていた。 「あ~、うん。そういう事なら、ありがたくプレゼントとして受け取らせてもらうよ。ありがとな」 差し出されたストラップを、優は微笑んで受け取った。 今日一日で手に入れたものは。 何枚もの写真、お揃いのストラップ、楽しい思い出。 そして、いつか今日のことを思い出したとき、きっと笑顔になれる。 そんな確かな想い。
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