その竜は夕焼けのように赤い。 その竜は人が大好きだったが、ある日子供を人に殺された。 その日から竜は人を嫌い、洞窟の奥深くへと隠れてしまう。 それでも寂しさだけは隠せず、自分だけの世界に侵された竜はついに涙をこぼした。 しかし――その涙は世界にとって、毒だった。●「ヴォロスにあるサントティアという国にはそんな話が伝わっているそうだ」 世界司書、ツギメ・シュタインはロストナンバー達を見てそう説明する。「ここに出てくる竜とは創作されたものだが、国の北東に洞窟があり、その奥に話の竜を模した像が置かれているらしい」 今回問題なのはその像だった。 真っ赤に塗られたその像は元々あった岩から削りだされたもので、高さは10mほど。長い尾は洞窟の壁を這うように生えており、背中からは一対の翼が生えている。そのフォルムは刺々しい。 元々衝撃に強い岩だったのか、欠けている所が一つも見当たらない見事な像だ。 そして、瞳にはスプリンググリーンの鉱石。「この鉱石の中に竜刻が入っている。……作った者が故意に入れたのかどうかは、今となっては分からないがな」 記録によるとこの像は近くの村に住む人々から敬われ、一種の土地神のように扱われていたらしい。 しかし今はその風習は廃れてしまっており、ここへ赴く者はほとんど居ない。 誰が、どのようにして像を作ったのかも知りようがなかった。「……恐らく今から数日後、侵入してきた雨水によりこの鉱石が目から滑り落ちる。岩は強くとも瞳の材質は別物だ、劣化していたのかもしれないな」 そして10m近い高さから落下した鉱石は砕け散り、衝撃により竜刻が暴走するというのだ。 その暴走は酷いもので、洞窟を砕くだけでなく前述の村にまで被害が及ぶらしい。「すぐに準備をし、竜刻の回収へ向かってほしい。それと……お節介かもしれないが、鉱石を取り外す時は慎重に頼む」 頼みの綱である封印のタグを張る前に手を滑らせれば、その場で暴走してしまう可能性も大いにある。 そんなツギメの言葉に、ロストナンバー達は各々の行動を考えながら頷いた。 ……ぽちゃん 水滴が瞼の上に落ち、ふちを伝って目の下に溜まる。 表面張力でぎりぎりその場に留まっていた水は、この一滴により目から零れ落ちた。 まるで泣いているようだ、と誰かが居たなら思ったかもしれない。
孤独とは身体を侵す病魔になり得るものである。 大切なものを失い、頼る先も無かった赤竜は何をどのように思い感じたのか――それを考えていると、マッティア・ルチェライはいつの間にか「むう」と唸っていた。 その声に前を進んでいた脇坂 一人が振り返り、どうしたのかと聞き返す前に首を傾げる。 ここは像のある場所へ続く唯一の道の真っ只中。だというのに、いつの間にか仲間のひとりが居ない。 「ハートさん、どこへ行ったのかしら?」 「あれ、そういえば……」 褐色肌の青年、ジャック・ハートが居ないのである。 はて、洞窟へ入る直前までは居たはずだが……と一行はしばし足を止めたものの、探しに戻るにも時間はかかる。 竜刻以外の脅威は報告されていない。気にはなるが、五人はまず回収作業を急ぐことにした。 ●赤い竜 この洞窟は村から徒歩で15分ほどの所にある。 しかし道は舗装されておらず、所々草に覆われ、長い間誰も来ていなかったことが窺い知れた。 青空の下で静かに口を開いていた洞窟からはひんやりとした空気が流れ出ており、そこだけ外の陽気を忘れさせる雰囲気を纏っている。 中は奥に進むほど暗かったが、マッティアのランタンやペルレ・トラオムの懐中電灯、そして一人のセクタンであるポッケの炎により灯りに困ることはなかった。 「見て見て、松明立てがある。やっぱ人が居たこともあったんだねー」 ジャーキーを噛みつつペルレが壁際を指差す。 かなり腐食した松明立てだ。照らしてみるとそれは等間隔に並んでおり、中には崩れ落ちたのか脚しか残っていないものもある。 「時代の流れってのは、どこの世界でも無情なもんだね」 時が経った証拠。それに触れ、ファーヴニールは目を細めた。 人も、物も等しく時を経る。その人が何を思っていても、その物に対して誰がどう思っていても。それは世界を跨いでも変わらないのだ。 「あっ、もしかして……」 ディーナ・ティモネンが道の先を見て足を早める。 風が緩まるのを肌で感じ、一行は広い空間に出たことを知った。 ここがきっと目的地なのだろう。 「ランタン、私が設置してくるね」 マッティアとペルレからそれぞれ受け取り、暗視を持ったディーナがランタンを設置してゆく。 彼女にはこの暗闇の中でも真昼のように物が見える。光の位置調整を任せるならディーナが適役だ。 パッ パッ 明るい光に照らされ、大きな像――赤竜の像が姿を見せる。聞いていた通りかなり大きい。 「あれ、かしら……」 「そうみたいだね」 一人とペルレの視線の先には、光を受けてきらりと光るもの。 瞳の鉱石は美しいものだった。磨かれた宝石のような透明感は無いが、一目見て価値のあるものだ、という存在感がある。 「やっぱり話に聞いた通り、高い場所にあるなぁ。……俺、あそこまで飛んでいけるけどどうする?」 ファーヴニールの言葉に一人が思案する。 「暴走を確実に防止するために、下準備をしてからにしない? それにあの高さともなると、ここほど明るくは照らせていないわ。手元を照らす人も必要ね」 「安全第一か。ま、ぱっぱと終わらせて、昔話を聞きに行きたいとこだねぇ」 赤竜の像そのものに興味を持つ者が多い中、ファーヴニールはその像の在り方を含めた見知らぬ文化というものに興味を抱いていた。 新しいものに触れ、それを自分の糧にする。 日常的に異世界と触れ合うロストナンバーにとっては機会の多いことだろう。今回もそうだ。その機会を活かすため、彼は作業が終わったら村を訪れエルフノワールと交流してみようと考えている。 「これ、皆、使う?」 ディーナが大きな荷物をどさっと下ろし、そこから様々な道具を取り出した。 登るのに適した靴に手袋、しっかりとしたロープと細引き、畳のように大きな折りたたみ式のマット、リードクライミング用グッズ一式、こまごまとした物の入ったウエストポーチ。他にも色々とある。 「これは何?」 ペルレが松葉杖のような物を持ち上げ、首を傾げる。 「トレッキングポール。登る時に、使う」 ディーナが試しに手に持ってみせた。鉱石まで向かうのに特別な能力や技術の無い者の助けになりそうだ。 「これってネットっスか?」 「蚊帳。虫を、近づけさせないもの」 「虫……」 「……零世界の商店街で、防護ネット、注文したら……タダでいいって、蚊帳、くれたの。下にマット敷いて、細引きでトレッキングポールに結んで、あまりを中に入れれば。石くらいなら、柔らかく、受け止められそう?」 ディーナの説明を聞き、マッティアは蚊帳を広げてみる。 端に「八畳用」という札が見て取れた。なかなかの大きさだ。 「私もネットやロープを持ってきたのよ。念には念を、竜刻が落ちた時の事を考えて受け止めるためのネットを何重にも張っておかない?」 「俺もギアのワイヤーでネットを作れないかな、って考えてたところっス。こんな所で暴走されちゃ厄介ですしね、それでいきましょう!」 一人の提案に頷くマッティア。 まず目の真下に蚊帳を広げ、その下にネット、そしてマッティアのトラベルギアで編んだネットを設置する。高い所はファーヴニールが担当した。 「よーし、やろっか!」 まずペルレが像の尻尾部分に足をかける。 しっかりとした手ごたえ……いや、足ごたえがした。登るのに問題はなさそうだ。 「油断、しないでね?」 「だいじょーぶ、そんなに脆くな……」 「!」 雨水で湿っていた個所に差し掛かった瞬間、彼女は足を滑らせた。 さほど高くはない位置だが、落ちれば怪我は必至――と思われたが、ペルレはその強靭なギザっ歯で像に噛み付き、難を逃れていた。 ふう、と息を吐くディーナにペルレは笑いかける。 竜刻への道のりは短そうで長いかもしれない。 ●想いと瞳 ジャックは洞窟の中ではなく、外……上に居た。 天井越しに皆の様子を窺いながら、いざという時には駆けつけられるようにしつつ、しかしそこからは動かない。 元々回収自体は自分だけでも安全に行う事が出来た。像の首ごと落とし、支えれば良いのだ。 しかし他のメンバーだけでも回収は十分可能。ならば自分は自分の目的を優先するのみ。 そう、ジャックには皆とは違う目的があった。 「……」 村のある方を見遣る。まだ行動するには早い。 浮かんだままの状態で胡坐をかき、ジャックは再度洞窟に目をやった。 ――今までも竜を祀った場所をいくつか見てきた。しかしそのどれもがある程度人の手により守られ、手入れをされていた。しかしここはどうだろう。 何事も事前に調査をしておくジャックは現地にて物語を再度聞いていた。自分自身の両耳で。 嵌め込まれた竜刻の暴走。 (もし、これがきちんと祀られた像に起こっていたら……) こんなにも、言い表せない違和感を感じていただろうか。 「そこ、苔みたいなの、生えてる。注意して」 「了解っス!」 ディーナにサポートされつつ、一行は慎重に竜刻へと近づいていた。 マッティアはギアのネットが解けないように意識しながら上へと進む。その手元が明るく照らされた。 「ちょっとはマシでしょ?」 ペルレがニッと笑い、懐中電灯を口に咥えなおす。 数分経ち、ついに五人とも竜の頭上へと到達した。ペルレはなにやら当初の目的を忘れ、登頂達成した冒険家のように満足げな顔をしている。 「さーて、あとは本命だな」 体を変化させ、竜の翼で飛んできたファーヴニールが竜の瞳に近づく。 改めて間近で見ると大きな鉱石だった。一塊だけでここまで大きいとは素晴らしいとしか言い様がない。スプリンググリーンは色褪せておらず、そこに存在している。恐らく何十年も昔から。 その緑色の向こうに何か別の物質が見えた。 ほとんど形は分からないが、あれが暴走すれば村にまで災厄をもたらすという竜刻なのだろう。 では取り外しにかかろう……とファーヴニールは両腕を竜腕に変化させるが、 「んっ……?」 力加減が難しい。 周りの岩と鉱石の強度に差がありすぎるのだ。 「ちょっと、待ってて」 ぐ、っと腕に力を込め、移動したディーナが体を乗り出す。 片手には、複雑な模様を宿したサバイバルナイフ。 それを慎重に鉱石へと立て、一回り小さめにくり貫く。 「これで、外しやすくなったはずだよ」 「よしっ、じゃあ落とさないように……っと」 その様子にマッティアが手にぎゅっと力を込め、我に返ったペルレがじーっと手元を見、瞼の上に腰掛けた一人とポッケが見守る。 カッ ……ッコン 竜刻の封入された竜の瞳。 両手に収まったそれを見下ろし、ほっと息を吐き出し、握り締め、ファーヴニールは高く掲げた。 「完了!」 ●洞窟の中で 「嫌うのって、疲れるんスよねー」 ディーナのウエストポーチに入った竜刻を見て、マッティアが呟く。 「思い切って諦めちゃえば良かったのに。『人間は、こーゆー生き物なんだ。なら、どーでも良いや』って。諦めるには……寂しすぎたんスかね」 「他に何も無かったのかな」 ペルレは改めて洞窟内を見回した。 暗い、ひんやりとした、音すら僅かにしか存在しない空間。 「ここにひとりは……さびしーなー」 まるで物語の竜の心を映しているかのようで、ペルレは眉をひそめた。 「孤独ってのは一種の毒だよね」 「そうっスね。孤独の中本当に強く生きてける人って少ないと思いますよ」 それなりに単純であると自覚しているマッティアだったが、もし自身が完全な孤独の中に閉じ込められ、そこでは楽しかった思い出を振り返る事しか出来ず、その先に何もない事を知ったならば……と、考えると、少しこみ上げてくるものがある。 「……」 「……ほらっ」 それを知ってか知らずか、ペルレはごそごそとリュックを漁ると、ジャーキーを一本マッティアに向かって放り投げた。 ジャーキーは上手くキャッチ――される事なく、頭にヒット。 いつぶりか分からぬ笑い声がふたつ、洞窟内に響いた。 その笑い声は反響し、竜の頭の上にまで届いていた。 そこに留まっていたディーナと一人の表情が思わず緩む。 ふたりは竜に新しい目を取り付けていた。落ちたりしないよう接着剤をたっぷりと使い、はみ出た分は布で綺麗に拭き取る。 「ばっちり、だね」 「ええ、良かったわ。目が無いと可哀想だもの」 「うん。もしかしたら、また……誰か来るかもしれない。その時に目がなかったら、この子も……寂しい気がする」 ぺたり、と像に触れ、ディーナは呟いた。 一人も上瞼の辺りをさする。 「この子……本当に辛かったでしょうに」 物語の「毒」は竜刻の暴走を指していたのではないか、と一人は思った。 そしてこの竜から悲しい強さ、そして優しさを感じ取る。 好きな人間と、好きな子供。その片方にもう片方を傷つけられたその時、きっと竜は深い絶望と悲しさを抱いたはずだ。しかし、復讐はしなかった。 しようとしなかったのか、出来なかったのかは分からない。しかし一人はなんとなく前者のような気がしていた。 「涙が本当に毒だったら。それは討伐の対象になる。討ち取った証なら……きっともっと華々しく飾ってる」 しかしここは華々しさとはかけ離れている。 「だから本当は……」 ディーナは像から手を離した。 「封じ込めたくなるような、もっと悲しいお話だったんじゃ、ないかな。毒って伝えなければ……耐えられないような」 「……伝わっているのは竜の心だけだけれど、人間の心にも色んな話があったかもしれないわね」 村に戻ったら、もし無駄だとしても聞いてみよう。 そう考えながら一人はポッケをぽふぽふと撫でた。 ●新しい瞳に映すもの 竜刻にしっかりと封印のタグが貼られているのを確認し、ファーヴニールはそれを懐に仕舞い込んだ。 「おっ、出口だ」 駆けていくペルレを追うように外へ出ると、日は既に傾きかけていた。それでも長い間洞窟内に居たため、少し眩しく感じる。 目を細めながらファーヴニールは暗い洞窟を振り返った。 「……俺の世界も、昔はこうして、もう少し見えないものに敬意を払っていたのかな」 彼が住んでいたのは科学の発達した世界。 目に見えないものより見えるものを人々は信じ、関心を持っていた。非現実的な怪物という存在……目に見える紛れもない脅威が、実体を持って闊歩していたというのも大きい。 しかし科学が発展したのならば、もちろんそれより以前もある。 故郷の何かを敬い祀るという文化は希薄になってしまったのだと強く感じながらも、ファーヴニールはその過程に興味を持っていた。 ここも、もし文明が進んだならば、こういった信仰は無くなってしまうのだろうか。 今でもこんな忘れ去られた場所があるのだ。 「……な、皆」 「ん?」 自分の脳内で完結していた考え。 そこに考える材料を足したい。そう思い、ファーヴニールは仲間を振り返って言った。 「今日はさ、ゆっくり帰らない?」 現地の人と触れ合う。話す。様々なことを聞く。 そうすれば、また違った見方をする事が出来るのではないだろうか。 世界の新たな側面を見るため、彼らは像に後ろ髪を引かれながらもその場を後にした。 その頃、ジャックは皆が竜刻を回収した時点で村に向かい、今はその真上に浮かんでいた。 何てことのない村だ。家と家の間に余裕があり、居住範囲よりも畑の方が大きい。黒い牛のような家畜も見える。中心部分には広場があり、そこだけレンガで舗装されていた。 「……」 様々な思いが巡った後、ひとりの世界司書の顔が思い浮かぶ。 零世界で初めて出会った、同族に思える相手。 元居た世界で彼は同族を悲しませない生活を与える役割を担っていた。厳密に言うならば彼女は……ツギメは同族ではないが、それでも一種の親しみは持っている。 だからこそ好き好んでこの依頼を失敗させる気はないのだが、全てを忘れてしまったこの村に対してジャックはずっと妙な感覚を抱いていた。 「……チッ」 頭をガリガリと掻き毟り、舌打ちをした後ジャックは精神感応を使用する。 眼下に見える人々が一瞬足を止め、不思議な顔をする様子が見て取れた。 彼が能力で村人の頭に投影したのは、エルフノワールの種族に似た赤肌緑目の女が「私を忘れてしまった」と嘆く悲しげなイメージ。 少しざわつく村を背に、ジャックは猛スピードで洞窟に引き返す。 洞窟の中には新しい目を嵌め込まれた竜。その足元にはペルレと一人が作った仲間の竜や、子供の竜を模った像が並んでいた。 その様子に少し眉間の皺を減らしつつも、ジャックは赤竜に語りかけるように言う。 「誰も来ねェなら……眠っちまいナ、お前もヨ。俺ァ覚えててやるからヨ」 髪を青銀色、目を紫に変色させ、ジャックは力を解放する。 瞬く閃光の中、ジャックは一瞬だけ、普段の彼からは想像出来ない表情をして呟いた。 「キング、クイーン……貴方たちにまで忘れられたら、俺は……」 轟音と共に洞窟の入り口が塞がれる。 粉塵が消え去るまでそれを見ていたジャックは、全てを確認し終えるとその場を後にした。 暗い、暗い、洞窟の中。 天から地中へと潜り込んだ雨水は我が身を削りながら岩肌を滑り落ち、竜の目に溜まる。 しかし零れ落ちるには足りず、その場で微かに揺れるばかり。 それを新たな瞳に映しながら、赤竜はそこに居る。 今は、もう毒の涙は流さない。
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