白銀の鬣(たてがみ)は真紅の双眸に光を宿し天を駆けた。 一歩一歩を踏み出し、空の雲を踏みしめるが如く。 その眼前に見据えた街を一瞥し、身に纏う雷を自らの鬣の如く靡かせる。 瞬間、ごうごうと鳴り響く黄金の光は地上へと突き刺さるが如く、大地へとその身を埋めた。 *** 周辺一体は赤茶けた岩場で成り立っていた。 ふいに頬を撫でる風は荒々しく、旅人達の喉を乾かせる。 目の先には谷が広がり、視界に映るのはカルナ、トゥダイの二国。これらの国へ行商をする者が残した水呑場が近くにあるばかりだ。「天馬狩りねぇ……本当にあんたらがあの天馬を狩れるっていうのか?」 竜刻の大地ヴォロス――乾いた岩陰の隅で狩人服に身を包んだ精悍な男は眉を顰めた。「まぁいい、狩れなけりゃ殺られるだけだ。三ヶ月前の――俺の街もそうだったからな」 依頼を請けこの大地に降り立った旅人達を一瞥後、男は喉を重く鳴らすと事のいきさつを口ずさむ。 ヴォロスで言う三ヶ月前、今旅人達が立つカルナとトゥダイ二国周辺の岩場に阻まれた国境よりも更に西、まだ名も知れぬ国で起こった、これは事件だ。 男――レナスがの住む街アンシェが一日で壊滅という形に追い込まれたのは。「白銀の天馬だった……。城、いや俺は城は知らんからな。教会の白馬と同じくれぇだってのに、街を守ってる壁はそいつの体当たりだけで焼き菓子みたいに崩れちまったよ」 白銀の天馬。これは今回の依頼内容である標的だ。 レナス住んでいた街、アンシェを襲った白銀の天馬は通常の馬と同程度、ないし一回り大きな姿で現れ人々を襲ったのだ。生き残りの一人である彼が言うには当初自警団も総出でこれの討伐に当たったらしい。「だが、俺たちはヤツに負けた。なす術も無く、な。街一番の馬鹿力も騎士上がりの人間だってヤツの前ではただの人間だった」 彼が言いたいのは、つまり天馬に近づくと何かしらの力が働き、特殊な能力及び突き出た力は封印されるというものだろう。「阿鼻叫喚だったよ。力の強いヤツは我先に警備に当たってたからな。最初に死んだ奴らが強かったから、残った街の人間は助けられもせずにばったばた死んでいきやがった」 ある者は雷に貫かれて、ある者はその力強い身体に当たり、民家よりも高く飛び跳ねた後に絶命した。 レナスは自警団の中でも力の弱い――と、本人に言えば激昂するであろうが――部類であったため、難を逃れ命からがら生きている。「それで、結局生き残った俺は行く宛てもねぇ、天馬狩りを考えたのさ」 行動が多少突飛ではあるが、この先に控えるカルナとトゥダイの二国が不仲であるという状況は一般市民にまで影響を与えているらしい。 数年間続いた小国二つの諍いは周辺の国家で耳にする分に良くないと、これは司書から聞いた情報だ。 レナスとて生き残ったはいいものの、二国が互いに不信感を抱くことで現在入国審査に対して厳しい現状に爪弾きにされてしまったのである。「俺は身分証明も何も無い……だから他の国にだって行けやしない。まァ、だから皆のあだ討ちにゃもってこいな存在ってわけだ」 もう一度旅人達を見たレナスはそうやって、通った鼻先をすんと鳴らし、堀の深い目尻に若い皺を寄せるのであった。 *** 0世界世界図書館。リベル・セヴァンは竜刻の回収を旅人達に依頼した後、もう一組の旅人を集め導きの書を捲った。「竜刻の回収は別班にお願いいたしましたが、皆さんにはもう一つの依頼をお願いしたいと思っています」 険しく寄せる眉は相変わらずに、彼女は続ける。「先ほどの竜刻によって誘き出された白銀の天馬の討伐及び体内の竜刻回収をお願いしたいのです」 リベルの依頼に身構える旅人達は彼女と同様、眉間に皺を寄せ彼女の話を一言も漏らすまいと頭に入れるように頷いた。 白銀の天馬は元々竜刻があろうと無かろうと人間を襲う、凶悪なモンスターである。 ヴォロスの一部地域では古代よりこの『白い馬』を災いや狂乱の化身として崇めていた地域もある程であるのだ。雷を身に纏い、空の彼方から駆ける天馬は、けれどいつからか一つの竜刻を求めるかの如く現われ、消えるようになったのだ。「体内の竜刻同士が引き合い、このような現象を起こしているのでしょう。竜刻を持っている者と意思疎通も出来ない、ただその『竜刻』に引き寄せられるだけの敵ですが、雷も、それに獲物の弱体化をも駆使して襲う危険な魔物です。十分注意の上、支度をお願いします」 白銀の天馬が現れる日時を旅人達に教えたリベルは、戦闘する筈であろう乾いた岩場と水飲み場について説明をした後、もう一つを口にした。「この作戦が失敗した場合、カルナとトゥダイという小国のどちらもが諍いを始める前に壊滅の打撃を与えられるでしょう。勿論、別班の方々にお願いした竜刻が回収できる可能性も非常に低くなります。また天馬がどんな状態であり、どんな形で依頼を解決しても敵が『生きている』場合は街の生き残りである男性が死亡します。これは導きの書が示す確定した未来であり、変えられる未来でもあるのです」 どうかよろしくお願いしますと、下げられたリベルの一礼へ旅人達は重い視線を逸らすようにして旅支度を始めるのである。
ヴォロスに到着したのが半刻前、目的地の岩場から頭上を見上げれば既に天馬は少年のもとへと歩みを進めていた。 「司書の言うとおりあまり時間が無いようだな」 「相談する暇も無い……ってことだね」 白皙の肌に同じ白色を靡かせるハクア・クロスフォードは天馬を見るなり舌打ちをし、その胸元から彼と似た空気を放つ銃を取り出す。同時に敵へ近づくミトサア・フラーケンも幼い少女の如き容姿を険しくしながら見た目とは裏腹に一定のスピードを保ったまま、岩場の中へと入っていく。 「しかし……私のテレポートとアポーツはどこまで封じられるのやら」 「能力制限がどこまでつくのか疑問が残るな。だがそれをいちいち検証している暇も無い」 「ああ、とにかく私達はあの天馬を落とすことが先になるのだろうな」 続いて、ハーデ・ビーラルとロディ・オブライエンが岩肌を踏む。 旅人達にとって天馬の所持すると言われる能力制限というものは脅威であり、まだ知らぬ領域だ。 「能力の制限があっても多少は効くだろうからな、皆には風の結界を施させてもらった。俺自身はこれでの銃撃になると先に言っておく」 「分かった」 足を速める一方でその間にやりとりする情報は微量とはいえ重要だ。自分は白銀の銃で天馬の翼を狙い撃つと言えば、ロディも同じ銃使いとして遠距離戦に乗じる事となった。 「ボクは正直なところ能力制限の負担はあまり受けたくないんだよね。岩場からの遠距離を重点にするから皆よろしくだよっ」 「おびき寄せ、だな」 ミトサアはそもそも遠距離攻撃というものを持っていない身であったから、銃戦の合間に彼女なりの下準備を行うつもりらしい。 「私も接近戦になると思う。この調子だと上空へは行けないが……」 「じゃあハーデ、ボクを手伝ってよ」 足の速い少女はまだ空からこちらを見下ろしている天馬へ、考え込むように顎を下げたハーデへ至極明るい表情でそう微笑みかけた。 これにはハーデも断る理由がないようで、女性二人は岩が上手く詰みあがり影になっている場所へと移動を始める。 「俺は天馬の翼を貰う。お前は?」 「ロディ、お前に合わせる」 一通り方針を頭に入れてハクアは前方の敵を見やった。 天馬は身に纏った雷を光らせ一直線にトゥダイとカルナへ向かって走っている。どうやらこちらには気付いているものの、戦闘らしいアクションが無い状況に眼中からは零れているらしい。 (先ずはあれを落とすのが先決だな) 空中に居る天馬から放たれる雷撃を一方的に浴びるのは割に合わない、ハクアは銃を構えるとそのまま数歩前方へ走り、岩場でも比較的開けた所で白い弾丸を発砲するのであった。 災いの化身である天馬、白い翼を羽ばたかせ天空を駆ける。 白銀のたてがみは宙を切り裂き、雷は彼の牙の如く大地を食む。 「ロディ! 本当に空で大丈夫か!?」 ハーデとミトサアは引き続き攻撃の下準備をしている。その間ハクアとロディの銃撃が天馬の翼を狙うのだが。 「遠距離ならば能力を制御されることはないだろう。大丈夫だ」 メンバーの全員が全員、理性的であるとは限らない。しかし、ロディは極めて平常心に努めた表情で凛とした口元を引き締め、空へと飛び立ったのだ。 (人員が減らんようにしないといけないな……) 上空を駆ける能力があるのならば、それは天馬の標的にされやすいということである。 飛び立ったロディを見やり、ハクアはまだ標的を変えぬ天馬へ向かい一発、二発と銃弾を打ち込む。 「標的を変えさせるぞ!」 ロディも空で純白を思わせる姿に煌びやかな金糸をなびかせ黒塗りの銃を構える。打ち込む弾丸は雷を纏い、天馬に対して最大威力は発揮出来ていないようだったが、鉛弾は翼を射抜き優雅に天空を駆ける視線が彼へと定まった。 「援護を頼む」 青空に伸びる翼は天馬と違い、蝶のように柔らかくそよいでいる。ロディは敵の視線を少年の居る方角から逸らすと同時に自らは背後へ引く。 「了解した!」 指にかかるトリガーは重かったが銃の使いに慣れたハクアの弾丸はまた天馬の翼を射抜き、風穴を開けた。 (このまま落ちてくれるか、いや、落とさなければな) 自分の白い銃弾はもう少し攻撃を続ける事によって威力の高い銀弾へと変貌する。そうすれば、ロディの攻撃に加えて天馬の翼を射落とす力となるだろう。 あとは空中に浮かぶその身体を自らに宿る風の魔法で狂わせてやればいい。 視界に浮かぶ天馬の勢いは急速に高度を落とし、それでもまだ飛行力を失っていない、身に纏った雷を禍々しくうならせハクアとロディへと向かわせる。 速度は空中でバランスを失った天馬だ、銃弾より遅くとも肌を掠めるだけの速度はあるのだ。 「避けられるか!?」 「ああ、少々肌には来るがな」 雷はロディではなくハクアへ向かってくる。脈動する身体は上手く岩へ雷撃を衝突させ、更に天馬へと数発の弾丸を撃ち込むことができたが、如何せん岩場での退路は多くない。 攻撃を避けたハクアの足は少しばかり岩肌で足の裏を痛めたが、見上げた天馬へと向けた銃口は鋭く翼の根元を撃ち抜いた。 「ロディ!」 天馬の右翼が撃ち抜かれたと同時に上空からロディの弾丸が対の左翼を打ち抜く。 風穴が、小さくとも肉眼で観察できる程度には、開いた。 「ハクア、落とせ」 「! ……あぁ」 ロストレイル内でメンバー達にはあらかた自分の出来る戦闘方法は話しておいた。だからか、ロディはすぐさまハクアへ、風の魔法を使えと合図を送ってくるし、それに応じるが為に精神を集中させる。 仲間を巻き込まぬよう、そしてミトサアの待つ岩場へ天馬が落ちるよう。 強風が天馬を襲い、白い馬が纏った雷はロディとハクアを襲ったが、それが断末魔の如く、敵は谷間へ落ちてゆくのであった。 *** 白き天馬は災いの源。 数多の街を薙ぎ倒し、命の全てを食らってゆく。 「なぁ、お前らこんなんで本当に天馬を倒せるのか?」 ミトサアとハーデが共に天馬を倒す準備を整える岩場。先程から息を切らせたレナスが二人の女性を眺めながら溜息をついている。 彼は全員がヴォロスについたのと少し遅れて合流していたが、天馬の襲来により四人より遅れてこの場へと着いたのだ。 「ちゃんと信じてよ。ボクたちが必ず天馬をやっつけてあげるからさ」 ぶ厚い岩肌を削り、小石集めをハーデに手伝ってもらいながら、ミトサアは愛らしい茶の瞳にカーブを作り、レナスへと微笑みかける。 対照的に、少女とは思えない怪力は岩を削り、塊として作り上げ天馬の大きさを測るように天空を見た。 「もう直ぐで落ちてくるな。ロディとハクアは上手くやってくれたらしい」 「うん、ボクたちも頑張らないと。ハーデもお手伝いありがとう」 いや、とハーデは色素の黒い肌を朱色に染め、不器用に微笑む。見た所、彼女は人間と接することにあまり慣れない性格のようで、見た目こそ年下のミトサアではあったがそんな空気を愛おしく感じもする。 「雷で水呑場は危なそうだからね、なるべく離れて戦おう。今集めてもらった石とかもボクが投石してなんとか天馬に当てるからさ」 「しかし、私は戦うことしか出来ぬ存在だ」 「だけど、キミは一人じゃないよ。ボクだってキミがいるから戦えるんだし、ねっ?」 メンバー中ただ一人、接近戦を選んだハーデはミトサアの手伝いをしていてもどこか寂しげな表情をしていた。それは、彼女の生い立ちや職業によるものだろう。 ハーデ本人から直に彼女の人生について聞く暇もなかったが、短い時間でミトサアは漆黒の偵察兵という相手をよく見ていた。 「協力しあえばなんとかなるよ。ロディちゃんもハクアちゃんも手伝ってくれてるし、皆お仕事だし」 だから、ミトサアの言う言葉はハーデにもレナスにも語りかけるように紡がれる。 「ま、先に天馬のトコに行った奴らの訃報はきいてねェんだ。あんたらの実力は認めるよ」 空には翼に穴が開き、バランスを崩した天馬が乱れた速度で下降を始めている。このまま行けばミトサアが待ち受けるこの岩場付近に墜落するだろう。 「ミトサア、そろそろ来るぞ、準備は……?」 ハーデが空を見てこちらへ目配せをする。用意した岩や小石が足りるかは分からなかったが、ハクアとロディがくれたチャンスを無駄には出来ない。 「うん、大丈夫。ボクも頑張るよ!」 少女の身体に不釣り合いの怪力で岩を持ち上げる。サイボーグの身体は的確に天馬が向かってくる方角へ、持ち上げたそれを当てるために肩を上げ、狙いを定めるのだ。 雷は天馬が思うように動かせるらしい。岩場の戦場に飛び交う雷撃は岩場を削り、ミトサア達への間接的な攻撃として降り注ぐ。 「お穣ちゃん、大丈夫か!?」 「こっちは大丈夫!」 「レナス! お前こそじっとしていろ!」 ハクア達が落とした敵の本体は今、地上でミトサアが投げる岩や小石によって確実にダメージを受けている。それは微々たるものであったり、大きなものであったりとまばらなようではあったが、翼のもがれた白馬は血と岩石のこげ茶に穢れ、こちらを睨みつけるかのように見据えている。 少女が上空から受けるロディの支援と共に向かうは天馬本体だ、ハーデは現在電撃と共に崩れる岩からレナスを守るため、細腕に大の男を抱えながら逃げの一手を辿っていた。 「嬢ちゃん、俺は、っ! 皆の仇をうちに来てんだよ!」 「……そうですか」 レナスがどれだけ暴れたとしてもハーデの力が緩むことは無い。 何よりヴォロスという世界での一般人である彼に死んでもらっては困るのだ。天馬討伐の参加メンバーは各々の防御と手数を考える者が多かったが、ハーデはどちらかと言えばレナスの行動に気を遣う部分が多かった。 (矢張り最難関は能力封じ……) 遠目から見て、ロディとハクアは天馬に近づいた様子は窺い知れない。 ならば、接近戦を得意とする自分はどうであろうか。レナスを横目に、ミトサアが対峙する天馬を見ればまだ敵の動きは止まっておらず、サイボーグの少女へ突進を試み白い馬は何度も岩場に衝突を繰り返していた。 「ハクアちゃん! ロディちゃん! 天馬の足を狙って!」 陸にはハクアとミトサアが天馬へ岩と銃弾を浴びせ、ロディが上空から支援する。 戦法として、空を駆ける仲間が居る現状は有利な方向と言えた。少女と青年、二人の間には雷が舞い、それぞれ軽傷程度は負っていたが戦えない程ではない。 (そろそろ、か……) ハーデはレナスを気にしていると言っても、ずっと彼を抱えたまま戦場を逃げるわけなもいかない。自分はあくまで強攻偵察兵なのだから。 戦場があれば戦う、それがハーデであり、この依頼の為に用意したサバイバルナイフは腰元で鈍く光り輝いている。 遠くで聞こえるのは皆の戦う張り上げた声の色と鳴り響く岩が崩れる音、通り抜ける雷。 「手加減はしないよ。ボクは確実にお前を殺す」 ミトサアが遠くで今まで自分に向けていたものではない、鋭く剥いた牙を向けるような宣言をした。メンバー四人、この気持ちは一緒であろう。 投石される岩に続き、銃弾が流れる。 「そろそろだな」 ハーデからは遠いが視界では天馬が、血を流しながらも片足をついていた。 「あ、なんだ?」 岩場の影からまた少し遠ざかって、レナスを下ろせば彼は訝しげにこちらを伺ってくる。レナスの手にもまだ剣は握られていてこの戦いが避けられなかったものなのだと教えてくれる。 「私も天馬討伐に参加する。貴方はここにいて下さい、最後まで私達がなんとかしますから」 司書の話では天馬が生きている場合、レナスの死は避けられないものだとあった。だから、ここで彼を行かせてはいけない。 ハーデはしっかりと男の瞳を見つめ言うが、そうすることで今まで旅人達の圧倒されたレナスの心は逆に奮い立ってしまったらしい。一度生唾を飲んで、剣を握り締めた。 「みてりゃあんたらの実力はなんとなく分かった気がする。だがな……」 「仇をとりたいのでしょう。ならば、私がやります」 強攻偵察兵として、軍人として。戦うという選択を肩代わりできるのならばそうしたい。 言葉に口を引き締めたレナスに背を向けて、彼が戦闘に関わらないかを確認してから天馬へと進む。 (離れていれば能力の制御は無いのだな) 天馬へ近づく時間を無駄にしたくは無い。自らに宿るESP能力でもって、ハーデは瞬時に最奥の岩陰と戦場とを移動し、ミトサアが投石する場へと辿り着いた。 「あ、ハーデちゃん。レナスちゃんは大丈夫なの?」 少女の健気な表情が自分を見る。その顔には数箇所の傷があり、彼女が今まで戦っていたことを物語っている。 「注意はしておいた。これ以上くるとは……思えないが」 正直なところ、ハーデ自信もレナスが本当に自分を信じてくれるかは分からなかった。だからといって、自分一人だけ物陰に隠れているという選択肢も無い。 「見てなくて、大丈夫?」 岩を一つ、持ち上げてミトサアは大きな瞳を薄く閉じ、言った。その間、二人の間には電撃が走り距離が広がる。 「敵も弱ってきているのだろう。ならば、私も攻撃するのみだ」 「えっ……」 ハーデちゃん。と、ミトサアは自分を呼んだ。しかし、その声を聞くのはハーデが彼女と共に会話をした場所に留まっていた一瞬のみで次の一秒には天馬めがけて距離を縮めたのだ。 最初の一瞬では能力は制限されず、あと数百メートルだろうか、距離が縮まれば赤に穢れた馬へと辿り着く。 (制限されないか――? っ……) 手に持ったサバイバルナイフを取り出し、しっかりと手のひらに収める。光の刃を出して、天馬に近づいたならばそのまま突き立てるつもりだった。 足が岩を踏み、もう一瞬を移動するその時なのだ。雷の鈍い電流と共に光の刃が消え、移動能力すらも半分に減ってしまったのは。 「っあ! ……あぁっ」 ハーデは移動しながらも瞳を大きく見開いた。喉からは痛みに震える自らの声が聞こえ、十九という未発達な少女の身体には激痛が走る。 一秒の半分、能力の制限が自分を襲ったのはその位置だ。 背後から叫ぶかのようなミトサアの声を聞き、上空からはたまた別の場から自分を呼ぶ声が木霊する。 だからこそ。ここで、倒れるわけにはいかない。 能力制限を駆使する天馬はミトサアの作った岩の穴で前足のみで立ち、雷を纏いながらハーデを見つめてくる。 「お前は、殺しすぎた……っ。殺すものは殺されると……――知れ」 司書から聞いた話であっても、天馬はどの国、どの町に出没したとしても、そこにある種族の生活を壊し破壊の限りを尽くしてきたのだとあった。 実際レナスは故郷を失い、このままであれば自らの命すら無くなってしまうのだから。 ハーデは痛みの中を更に前へと進み、威嚇として頭を下げ突進の形をとって見せる敵の首へしがみ付き、サバイバルナイフを突き刺した。 「能力が、制限できるからといってゆだん……した、だろう」 女の声帯である筈のハーデの喉は痛みで渇ききり、絞った音は岩が擦り合うような音色を奏でる。 天馬はというと、しがみ付いたハーデごと天空へ飛び上がらんばかりに上体を逸らし、痛みを訴え身悶えていた。 どんなに力の制御をしようとも、サバイバルナイフは消えないし、体重の全てでもって突き刺した刃が抜けることも無い。しがみ付いたまま身を振られるその力によって、ハーデは何度も地面、岩に叩きつけられ天馬の皮膚を引き裂いてようやく、激痛から開放されるのだ。 *** 白き災いが来たのなら、勇敢な騎士のその剣。 貫かれるその一瞬(とき)をただ待つが良い。 血飛沫上げて倒れるその身体が、肉が、大地に還るその時に。 一つの繁栄がもたらされるのだ。 ハーデが天馬の皮膚を引き裂き、その本体の力を極限まで弱らせたことにより少なくとも敵の攻撃手段である雷だけはぴたりと止んだ。 「ハーデ!!」 「待て、ミトサア! まだ天馬の息がある!」 このメンバーに結束はまだ芽生えたばかりだ。上空から少なからずともハーデとミトサアの様子を気にしていたロディが、雷が止んだ今、残るは止めを刺すばかりの天馬の所へ、少女が歩み寄ろうとするのをそれでも止める。 「――でも」 「止めを刺さなければハーデも死ぬぞ!」 自分とハクアは依頼に対してどちらかというとスマートであったが、女性二人は多少なりとも思うところのある依頼であったらしい。 重傷を負い、天馬の側で倒れるハーデへ、近寄ろうと足を進めたミトサアはロディの声に顔を上げ、歯を食いしばり強い視線を向けてきたが、唇を引き締め次に出た行動はただ投石する為の岩を持ち上げることであった。 陸ではハクアとミトサアが。上空にはロディが天馬へ攻撃を仕掛けている。 敵の傷も深く、ハーデにつけられたナイフの傷が痛々しくおびただしい血液を流し、雷の変わりとばかりに最後の力を振り絞り、その身体を起こそうとしていた。 「ハクア、ミトサア! すぐに片付けるぞ!」 朱色に染まる天馬の身体が起き上がってしまえば、その付近に倒れるハーデが危ない。 ロディは陸で構える二人へ攻撃の合図を送ると、すぐさま自らも黒く光る銃口を天馬の胸元めがけ。 ――撃った。 *** 「ねぇ、本当に大丈夫?」 「ああ、この程度の怪我で倒れる私ではない」 ロディ達三人による天馬への攻撃により、ハーデは現在水呑場の岩肌に身体を休めている。 「竜刻の回収は?」 女性二人を遠巻きから眺めるハクアは、ハーデの怪我の様子を確認すると心配をするミトサアに変わって彼女らを傍観し、天馬から竜刻を回収したロディへと向き直った。 「今終わった。天馬も亡骸になってしまえばただの馬と変わらんな」 天馬討伐を引き受けたメンバーの全員が無事とは言えない。ハーデは命に別状はなかったといえ、こうして休息をとる今でも身体の全てを起こすことが出来なくなっていたし、ミトサアも彼女につきっきりなのだ。 「しかし、一先ずは決着がついたな」 災いの化身であるとされる天馬に、無傷とは言わずとも勝利をおさめることが出来た。ロディの白い衣類も所々と破け、掠った雷に肌は裂け、血は滲んでいたがそれでもこれは喜ばしいものである。 「ああ、あとは……」 ハクアは角のようなロディが持ってきた竜刻を見やり、その背後に視線を巡らせる。当然、先に居るのはレナスだ。 「これからどうするつもりだ」 生まれ育った街を失い、この様子では家族も居ないのだろう。生きる希望を見出しているとはお世辞にも言いがたい男相手に、ハクアが問いかける。 「あー……どうすンだろうなァ」 「行くあてが無いのか」 ロディが問えば、レナスは苦く笑みを零して肩を竦めた。これはつまり「無い」と取っていい合図であろう。 「ない、なぁ。俺じゃ良くて相討ちだろうと思ってたからな。ま、命拾いしたと思っとくしかねェか」 納得はしていない、しかしだからと言ってレナスが天馬を討てるという保障は無く、こうして旅人達が討伐することで助かった命があるのだ。 ここは彼がこの先、別の希望と拠り所を見つけ、生きていってくれることを願うしかない。 「災いの天馬、か――」 ヴォロスで戦う事となった敵の一つ。この相手についての伝承をロディは深く知らない。だからこそ、空を見上げ葬った敵の素性を思い浮かべるのである。 天馬去り、繁栄を取り戻した街々よ。 しかし忘るるなかれ。 災いの全ては己がすぐ隣にあるということを。 END
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