インヤンガイ、とある街区。薄暗い路地の中心に、赤く染まった死体が無造作に置かれていた。 これで、五人目。 街区を担当する探偵、アヤメは小さく溜息をつき、死体の周りを確認する。「やっぱりねぇ」 苦笑交じりに呟く。赤く染まった布袋が、死体の傍に置かれている。赤の隙間から見える元の色は、青。「参ったねぇ」 アヤメは呟く。治安の悪い街区ではあるが、ここまで連続して殺人が起きる事は少ない。だからこそ、街区を取りまとめる者から依頼されたのだ。 殺人鬼をどうにかしろ、と。 報酬は悪くない。むしろ、良い。寂れた薬屋を営むアヤメにとって、逃す手は無いとも言える。尤も、寂れているのは「前向きになれる薬」だとか「歌が上手くなる薬」だとかいう、怪しげな薬を高価で売ろうとしているせいもあるのだが。「アタシ一人じゃ、対処しきれないねぇ」 何処に現れるかわからない殺人鬼に、一人で立ち向かうのは無謀だ。アヤメは溜息混じりに呟き、それから何かに気付いて小さく口元で笑んだ。 対処し切れぬのならば、対処できるようになればいいだけの話なのだ。 リベル・セヴァンは、集ってきた者達を見回す。「被害者は、これまでで五人。いずれも青い袋を持っていました。最初の二人は、花柄の青。三人目は無地の青。四人目は青と白のストライプ。五人目は、青と言うよりも水色に近いものでした」 ばらばらに見えるが、青というキイワードは崩れていない。「死因は、頭を強打された事によります。ですが、殺害後に体を傷つけ、あたりを血の海に変えています。いずれも夜に行われていますが、場所は街区内というだけで、バラバラです。よって、共通事項は『青い袋』だけになります」 リベルはそう言い、再び皆を見回した。「殺人鬼を捕らえぬ限り、同様の殺人が起こり続けます。どうぞ、お気をつけて」 その日、寂れた薬屋に訪れた者達を見回し、アヤメはにやりと笑った。「良く来てくれたねぇ。アタシ一人じゃ、対処しきれなくてね」 アヤメはそう言い、あらましを説明する。 被害者の五人とも、青い袋を持っていた事。 死因は鉄パイプのようなものによる撲殺で、後にナイフ等で体を切られている事。 殺害場所は狭い路地というだけで、共通事項が見つからない事。 被害者の性別や経歴に、共通性はないという事。「アタシが調べたのは、これくらいかねぇ。共通しているのが、青い袋くらいしかないんだよ」 アヤメは溜息混じりにそう言い、店の奥から青い袋を取り出す。青に白抜きの菖蒲の花が描かれた紙袋だ。「これは、あたしの店の紙袋だ。標的になりそうだろう? だから、余計に何とかしないといけないのさ。商売に響くからねぇ」 アヤメはくつくつと笑う。そうして、皆を見回して悪戯っぽく笑う。「なんなら『恐怖に打ち克つ薬』を飲んでみるかい?」 そう言ってアヤメが取り出した薬袋の中から現れたのは、黄色い飴玉であった。
アヤメの掌にある飴玉を、ひょい、と黒城 旱は取り上げた。 「ま、一個もらっとくよ。サンキュー、アヤメちゃん」 旱は飴玉をポケットに突っ込む。アヤメは「どういたしまして」と言って笑う。 「あー……俺はいいやあ」 虎部 隆はそう言って、手を振る。薬はなるべく飲まない主義なのだ。「というか、探偵の方がまだ、収入がいいと思うよ?」 「そうかねぇ」 アヤメは笑い、肩を竦める。 「わたしも遠慮する。そういう妙な品は、自分の発明品だけで沢山だ」 シュマイト・ハーケズヤも、同じく手を振った。 アヤメは「そうかい」と言いながら飴玉を納め、一同を見回す。 「それで、どう見るんだい?」 「暴霊が犯人ではないか? 青い袋を持った者に殺され、狂った復讐心で動いているんだろう」 シュマイトは、腕を組んだままそう言った。「人間がやっているにしては、無目的すぎる」 「確かに、被害者の性別や経歴に共通事項が無い以上、単純に青い袋を持っている者を見境なく狙っているんだろうが」 ロディ・オブライエンはそこまで言って一呼吸置き、言葉を続ける。「意図的かどうかは、分からんな」 「わたしの推理に根拠はあれ以上、特に無い。が、間違いない。天才的な勘が、そう言っている」 胸を張って言い切るシュマイトに、旱は「うーん」と言いながら腕を組む。 「俺は、意図的のような気がするな。青い袋を、血で赤に染めてるんだ。犯人にゃ、どうしても青い袋を赤くしなきゃなんねぇ理由でも、あるのかもなあ」 「犯人にしてみれば、青い袋を狙うだけの理由があるのだろう。だが、だからと言ってそれを斟酌する必要性は感じないな」 ロディは溜息混じりに言う。 「青と赤が混じった袋、だよな。それって、心臓を連想させるんだよな。壱番世界の床屋の看板って、血管をモチーフにした色合いでそうなってるらしいし。そういうのに妄執を抱く人の犯行……病弱な奴が妬んでやった、とか」 隆はそう言い、苦笑交じりに「まさか、ファージが世界を変える儀式をしてるんじゃないよなー」と付け加えた。 隆の言葉に、一同はしんと静まり返る。絶対に無い、とはいえないが、世界司書であるリベルが何も言ってはいない。 「一応、頭には入れておくのがいいだろうな」 旱が言い、皆が頷く。可能性がゼロではないのならば、考慮しておくに越した事はない。 「いずれにしても、これ以上被害を出さない為にも、此処で捕らえておかねばな」 ロディの言葉に、皆が頷く。 「となると、囮を使うのが早そうだな」 旱が言うと、一同が頷く。 「この店の袋があるから、それを使えば良いだろう」 ロディがそういうと、シュマイトが「同感だ」と続ける。 「むしろ、本当の狙いは『アヤメの店の袋』という可能性もあるからな」 シュマイトの言葉に、皆が一斉にアヤメを見る。アヤメは何を言うでもなく、のんびりと煙管を吸っている。 「アヤメちゃん、心当たりは?」 静かに、旱が尋ねる。アヤメは「さてねぇ」と言ってにたりと笑う。 「もし、アヤメの店の袋が狙いならば、犯人探しも少しは楽になるのだが」 シュマイトの言葉にも、アヤメは答えない。ただ黙って、煙管を吸うだけだ。 「まあ、いい。囮は誰がする? 襲撃された際に対応できる人間が囮を務めれば良いんだろうが、犯人を警戒させてしまう可能性を考えると難しいところだ」 ロディはそう言い「誰も居なければ、俺が務めるが」と付け加える。 「わたしが囮になろう。わたしならば警戒もそこまでではないだろうし、対処も不可能ではない」 シュマイトが言うと、旱が「俺もやるぜ」と言う。 「シュマイトちゃんにだけ、危ない真似をさせられないからな」 「なら、二人に囮役をやってもらって、俺とロディさんで応戦する。それで良いかな?」 隆の言葉に、ロディが頷く。 「犯人が出ない可能性を考えると、見回りも必要だろうからな。勿論、すぐに駆けつけられるだけの距離は保っておく」 「行動方針が決まったようだねぇ。なら、これを持って行きな」 アヤメはそう言い、青い袋をシュマイトと旱に手渡す。 「アヤメ、店でもしばらく青い袋を使わないようにしてくれ」 シュマイトがそういうと、アヤメは「了解」と言って頷く。 「周囲にも呼びかけておく必要があるよな」 隆の言葉に、シュマイトは「そうだな」と頷く。 「六人目を出さない為に、また犯人が囮を襲ってくる為に、必要な事だろう」 「では、手分けして声をかけておくか」 ロディが言い、四人は揃ってアヤメの店を出る。そして別れようとしたその時、旱が「ちょっと待ってくれ」と呼び止めた。 「アヤメの事だが……彼女が犯人ってセンも、一応頭に入れておいてくれないか?」 旱の言葉に、三人が顔を見合わせる。旱はポケットに手を突っ込み、先程アヤメから受け取った飴玉を取り出す。 「おかしくないか? 恐怖に打ち克つ薬ってのに、なんで飴玉なんだ? 俺の勘が正しけりゃ、この飴玉ん中に麻薬に近い成分が……」 旱はそう言いながら、飴玉を匂ってみた後、軽く舐めてみる。 「……麻薬だって?」 隆が絶句する。 「もしそうならば、犯人の狙いがそれだという可能性も、あるんじゃないか?」 ロディの言葉に、シュマイトも「だな」と頷く。 「アヤメの店の関係者、という可能性が高まるな。アヤメは何も言わなかったが」 考え込む三人に、旱は「うーん」と唸る。 「麻薬、ではないな。それに近い成分も無い。禁断症状に困ったアヤメの客が、やばい事に手を出してんだと思ったんだけどな。だから、アヤメの店の客が怪しい、と」 青い袋や、訳のわからない飴玉。それらが偶然にしては出来すぎる、と旱は考えていた。ならば、犯人は店の客、若しくはアヤメではないか、とも。 だが、飴はただの飴。特に怪しい成分は無い。 「外したか?」 ちっ、と舌を打つ旱に、隆が「いや」と首を振る。 「まだ分かんないさ。とにかく、詳しい推理とかってのは、黒城さんに任せる。俺は、脚で稼ぐさ」 隆の言葉に、旱は「そうか」と頷く。 まだ、可能性を全部否定されたわけではない。頭に入れておいて、損は無いはずなのだ。 「では、これからは情報収集も兼ねて、注意を呼びかけよう」 ロディがいい、皆が頷く。 「勿論、わたし達も注意を払いつつ、な」 「シュマイトちゃんは、特に気をつけるんだぜ。何せ、囮役だからな。可愛い顔に傷一つつかないようにするんだぜ」 旱が言うと、シュマイトは「ははは」と笑う。 「口が上手いな」 「まあ、とにかく動こう。夜はすぐやってくるからな」 隆が言うと、四人は顔を見合わせてうなずき合い、解散する。 周囲への呼びかけと、情報収集をする為に。 隆は、呼びかけに回る最中に、一つ前の事件現場を通りがかった。立ち入り禁止のテープが貼られたそこは、未だに赤黒く染まっている。 思わず口元に手をやる。喉の奥が熱くなり、唾を飲み込む。 「俺だって、コンダクターだぜ?」 こんな事では怯まない、と隆は続ける。 赤黒い地面は、一部分だけ途切れていた。恐らくは、被害者が倒れていた所だろう。まるで、切り取られたかのように、そこだけ綺麗だ。それは同時に、流血の多さを物語っている。 「スプラッタを通り越して、異常だな。血の海で泳ぎたいとか?」 嘲笑交じりに呟く。「どちらにしても、まともじゃねーな」 隆はぐっと拳を握り締め、走り出した。周囲への呼びかけを、なるべく沢山行うように。 ロディは、街区内を見回しながら呼びかけをしていた。 「結構入り組んでいるな。囮役と、離れすぎないようにしないと」 ポツリと呟いた後、胸元の銃を確認する。 「最悪、準備だけはしておくか」 捕らえるのが目的だ。決して、殺すのではない。それでも、最悪の場合は射殺しなければならぬかもしれない。 相手は武器を持っているようなのだから。 拳銃を取り出し、冷たく重い感触を確かめる。トラベルギアである、デス・センテンスだ。黒塗りに金の装飾が施された、オートマチック拳銃。 それをロディは握り締めた後、また再び収めるのであった。 シュマイトは、街区を取り締まる自警団の事務所に居た。「青い袋」事件が起こる少し前の事件記録を、確認する為だ。アヤメの手伝いだと名乗ると、すんなりと事件記録簿を見せてくれた。 「もし暴霊説が当たっているならば、暴霊を出した犯人がいる筈だからな」 ぱらぱら、とめくっていく。が、特に関わりのありそうな事件は無い。 「無いのか?」 「青い袋」事件まで、辿り着いてしまった。シュマイトは溜息混じりに、それを見る。そして、一件目と二件目の事件記録に目を留める。 赤く染められた紙袋は、アヤメの店のものだった。 呼びかけをしつつ、旱は街区をぐるりと見回す。 「インヤンガイか。初めて来るが……こりゃあ、俺の故郷にそっくりだぜ」 くつくつ、と笑う。汚い街路に、すえた臭い。鼻が曲がりそうだ、と付け加える。 「恐怖に打ち克つ薬、か」 麻薬でも、麻薬に近い成分でもなかった。単なる飴玉。それなのに、アヤメは「恐怖に打ち克つ薬」だという。 「何で、アヤメちゃんはこんなもんを売ってるのかねぇ」 旱は呟く。いずれにしても、怪しい事に変わりは無い。アヤメと、アヤメの客に警戒して良いかもしれない。 「まあ、いいさ。同じ探偵のよしみだ。手伝ってやるか」 報酬はデートとかな、と旱は呟く。それも悪くないかもしれない。 再び集結し、互いの情報を交換し合う。中でも、シュマイトの「一件目と二件目の紙袋は、アヤメの店のもの」という情報が、皆の気に留まった。 「アヤメに尋ねた時、アヤメは答えなかった。事件について、調べたと言っていたにも関わらず、だ」 シュマイトは言う。 「心当たりを聞いても、さあ、の一言だったしな」 旱も思い返しつつ言う。 「じゃあ、アヤメさんも怪しいって事か?」 隆の言葉に、ロディは「どうだろう」と言う。 「肯定も否定もしなかった。それだけで怪しいかどうかは分からない。勿論、頭に入れておくことは大事だが」 「そうだな。今は次の殺人を出さないべく、囮作戦を実行するだけだ」 シュマイトはそう言い、紙袋を取り出す。 「もしアヤメちゃんが犯人ならば、囮作戦は筒抜けだ。成功するかどうかが、アヤメちゃんを疑う要素の一つになるだろうさ」 旱も紙袋を取り出しながら言う。囮作戦の決行だ。 「じゃあ、二人はなるべく離れすぎないようにうろついてくれ。何かあったとき、すぐに駆けつけなきゃいけないからな」 ロディが言うと、隆も「そうそう」と言う。 「一応、位置は把握しておくつもりだけど」 シュマイトと旱は「分かった」と言って頷く。 周囲には、警戒するように声をかけている。紙袋を持った者を襲いたいのならば、シュマイトか旱を狙うしかない。 一同は顔を見合わせた後、配置に付く。旱とシュマイトは距離が離れすぎぬよう、かといって同じように動かぬように、辺りを歩く。旱は加えて、千里眼でもって周囲を見渡しつつ歩く。 ロディと隆は、それぞれ二人の位置を確認しながら、すぐに駆けつけられる程度の距離を保ちつつ、警戒する。 ――からから。 シュマイトは、何かを引きずるような音を聞いた。鈍い金属音だ。ざりざという、地面をこする音も同時に聞こえる。 「その袋を、どうして持っている?」 男の声だった。シュマイトは「来たか」と小さな声で呟く。 「駄目だ、その袋はいけない。持っていてはいけない。騙されているんだ!」 ――からからからから。 じりじりと、男の声が近づいてきていた。シュマイトは振り返り、ポケットの中をまさぐる。 ポケットにはトラベルギアである拳銃「ラス11号型」がある。既に《晶》の魔法弾丸を込めており、犯人が襲ってきたらいつでも撃てる準備をしてあるのだ。 「キミが、一連の犯人か?」 静かに、シュマイトは尋ねる。 「危ないよ。僕はね、教えてあげてるんだ。危ないって、騙されてるって、教えてあげているだけなんだよ」 優しい声だ。小さな子を諭すような、柔らかな口調。その手に曲がりくねった鉄パイプさえなければ、普通に会話だけしてもおかしくないかのように。 「それが、キミの武器か?」 「武器?」 男はきょとんとしている。手にしている鉄パイプが、武器として彼の中で一致していないのであろう。 「僕は、分かって欲しいだけだ。その袋、捨てた方がいい」 「何故」 「どうして分かってくれないんだ。あなたも、分かってくれないのかい?」 男は、にたり、と口元だけで笑った。目は全く笑っていない。むしろ眉間に皺を寄せ、哀しそうな表情にも見えるのに。 口元だけが、笑っている。 「暴霊、という訳ではなさそうだな」 シュマイトは呟き、銃を構える。男の顔が、明らかに歪んだ。 「分かってくれないなら、簡単な方法を取るしかない。それが、一番簡単で、手っ取り早くて、確実なんだよ」 くつくつくつ、と男は笑う。哀しい表情に、笑みを携えた口。男はゆっくりと、鉄パイプを振り上げた。 「やめろ! そこまでだ!」 男がびくりと震え、振り返る。そこに立っているのは、隆。隆はにやりと笑い、びしっと男を指差す。 「あんたが何でこんな事してるのかは知らないが、他に方法があるだろう?」 「方法?」 「例えば、献血車を襲うとか」 隆の言葉に、男はきょとんとした後、ははははは、と声を立てて笑った。 「それは面白い! それならば、確かに、あの袋は袋として用を成さない! だが、それだけだ!」 「な、なんだよ」 隆はむっとしたように言い返す。 「献血者は、ちょっと違うようだぞ」 シュマイトの突っ込みに、隆は「例えばだよ、例えば!」と言い返す。 「あなたみたいな人ばかりなら、良かったのにね」 男は微笑んだ。大声で笑っていたのを、ぴたり、と止めて。そして、再び鉄パイプを振り上げた。 「くそっ!」 隆はトラベルギアのシャーペン「水先案内人」を構え、芯を爪で折り飛ばす。男の頬をかすめ、鉄パイプの軌道がそれる。 ――ガキンッ! 軌道のそれた鉄パイプを、旱が蹴り飛ばした。男の手元から離れた鉄パイプは、がらがらと音を立て、地面を転がっていく。 「何を、するんだよ?」 じんじんと痛むらしい手を震わせつつ、男が問う。 「それはこっちの台詞だ。何してるんだよ、おまえ」 眉間に皺を寄せ、旱が睨み付ける。男は「あなたもか」と、嘲笑混じりに言う。 旱の持っている、アヤメの店の紙袋を見つめながら。 「あなたも、騙されているんだよ。僕は、教えてあげてるのに。そう、僕は、親切なんだよ!」 男は拳を握り締め、うおおお、と旱に向かっていく。旱はそれを呆気なくいなし、男を地に這わせた。 男は「ぐっ」と言いつつ、地面を見つめながら「何でだよ、何でなんだよ?」と繰り返す。 「僕は、親切なだけなのに……!」 「だから、一体……」 「黒城さん、危ない!」 隆が叫ぶ。旱が男に近寄ろうとしたその瞬間だった。 男は胸元から、ナイフを取り出して旱に向かっていく。 ――がしゃんっ! ナイフが、地に落ちる。 気付けば、男の背後にロディがいた。ロディは男が旱の方に集中している隙を狙い、背に殴りかかったのだ。 男は何度も咳き込み、げほ、と胃液を吐き出す。そこを隆が飛びかかり、男を取り押さえた。 「チェックメイトか。……どうする? 閉じ込めるか?」 シュマイトが、銃を男に向ける。隆は「必要ないんじゃない?」とそれを制す。 「無力化するのが、目的だったし」 「にしても、呆気なかったな。最悪の場合も、考えてはいたんだが」 ロディはそう言い、拳銃を服の上から確かめる。 「まあ、後は自警団あたりに突き出すだけだが……理由くらいなら、聞いてやってもいいぜ」 旱が尋ねる。隆に取り押さえられたままの男は何度も咳き込み、辺りを見回し、転がっていった鉄パイプで視線を止める。 「まだやる気なのかよ?」 隆が呆れ気味に言う。男は「あなた達は、騙されてるんだ」と、唸るように言う。 「その紙袋、青い。青い紙袋は危ないんだ。騙されてるんだ。僕は、そんな、あなた達を、助けたいだけなんだ」 「助けるだと?」 旱は鼻で笑う。ずい、と青い紙袋を突き出しながら。「何から?」 「あの女の店は、いんちきだ! 高い金を出して、薬を、衝動を抑える薬を、買ったのに!」 「衝動を抑える薬、だと?」 ロディの問いに、男は「離せ!」と隆に向かって叫ぶ。急に暴れた為、隆の押さえを振り切ることに成功した男は、ポケットからくしゃくしゃになった薬袋を取り出し、地面へ投げつける。 ころころ、と中から青い飴玉が転がり出る。 シュマイトはそれを一つ拾い上げ、じっと見つめる。 「飴玉に、見えるな」 「飴玉だ! 俺は、高い金を、払ったのに。あの女が、俺を、騙して」 うおおおお、と男は叫んだ。「シュマイトちゃん、それ貸して」と旱はいい、飴玉を手にして匂いを確かめ、ぺろ、と舐める。 「確かに、飴玉だ。恐怖に打ち克つ薬と同じだな」 苦笑交じりに、旱は言う。男は「それみろ!」と叫ぶ。 「分かっただろう? あの女は、あなた達を、騙している! だから、教えてあげたんだ。それなのに、紙袋を、捨てないから! 騙されたままでいるから!」 「もしかして……紙袋を奪おうとしたのかよ?」 隆が尋ねる。 「そうだ! でも、聞いてくれない! だったら、もっと簡単な方法が、あるじゃないか!」 最初は、警告だった。騙されていると、教えたいだけだった。だが、聞き入れてはもらえなかった。 だから最初は、ほんのはずみ。 奪おうとして抵抗され、突き飛ばされた先に鉄パイプがあった。たった、それだけ。 騙されてるから、救おうと思った。 救うためには、元凶を断たねばならなかった。 つまりは、青い袋。 「青い袋がいけないんだ。あの女の店の袋がいけないんだ! 騙された薬を飲ませないようにしないといけないんだ!」 「あーつまり……おまえは、薬を飲ませないようにする事と、青い袋をどうにかする事。その二つをしようとしたわけだ」 本末転倒だ、と旱は苦笑混じりに言う。 だからこそ、男は青い袋を持った者を殺し、青い袋を赤く染めた。薬は飲めないし、青い袋もどうにかできた。 最初の二件は、それだけだった。だが、三件目から、アヤメの店の袋だけではなく「青」に反応するようになってしまったのだ。 「大分、頭が混乱しているのだろう。何がなんだか、分からなくなっているようだ」 シュマイトが言う。ロディも「確かに」と言いながら、男を見る。 「笑っているからな、あの男。既に、目的が摩り替わっている。並べまくっているのは、単なる言い訳だ」 「本当に、もっと他のやり方があったんじゃねぇの? そんなやり方じゃなくてさ」 隆は、再び水先案内人を構える。ふらふらしながらも、男は尚も向かってこようとしている。 近くに落ちていた、木の棒を手にして。 シュマイトと旱の持っている、青い袋に。 「私が袋を持って、囮になろう。目標物は一つにした方がいいだろう」 「じゃあ、俺たちが全力で捕まえるか」 シュマイトの言葉に旱は頷き、袋を手渡す。その途端、うおおおお、と再び男が叫んだ。 地を蹴ってシュマイトに向かってくる男に、隆は芯を爪で折って飛ばす。男の頬にパチパチと当たり、一瞬の気がそれた。 そこを狙い、旱とロディが向かっていく。男が振り回す木の棒を、旱が腕で受け止め、その隙にロディが男の体に拳を打ち込んでいく。 隆はセクタンを、万が一に備えて待機させた。シュマイトは、目標物となるよう、青い袋を見せ付けるようにかざす。 男は叫び、暴れ、叫び……やがて、その場に倒れた。 「やれやれ、やっとか」 旱が言いながら、男の手首を捕らえる。と、そこにパチパチと言う拍手の音が響いた。 「お見事」 にこやかに現れたのは、アヤメであった。 「アヤメの店の客だったようだが?」 シュマイトが尋ねる。アヤメは「そうみたいだねぇ」と言って、笑う。 「あたしは、否定した覚えはないよ」 「でも、肯定もしなかったよね」 隆が言うと、アヤメは「そうだねぇ」と言う。 「でもさ、だからなんだっていうんだい? あたしは、何も間違った事は言った覚えが無いよ。こうして、犯人は捕まえられたじゃないか」 「あの薬は、どうなんだ? 単なる飴玉のようだったが」 ロディが言うと、アヤメは「そうだよ」と呆気なく頷く。 「プラシーボって奴だよ。高い金を払って買えば、効くような気がするだろう? 中身は、なんだっていいのさ。たまーに、効かない奴もいるけどね」 ちらり、と旱に押さえつけられたままの男を見ながら、アヤメは言う。衝動を抑える薬を、男は購入したといった。 だが、殺人衝動を男は抑えられなかった。全くもって、効いていない。 「アヤメちゃんが要因みたいなもんだよな、今回のって」 旱が言うと、アヤメは「そうかねぇ」とはぐらかす。 「いずれにしても、無事解決してよかったじゃないか。もうすぐ、自警団も来るしね」 アヤメは、くつくつと笑った。 「一番得したのは、アヤメのようだな」 シュマイトが呆れたように言う。アヤメは「そうだねぇ」と言い、煙管を口へと持っていく。 「これで、あたしの店の袋も、堂々と使えるからねぇ」 そう言って、にやり、とアヤメは笑う。 四人は顔を見合わせ、溜息をつく。そうして、遠くから自警団の近づいてくる音が、聞こえてくるのであった。 <青に寄せる者を捕らえ・了>
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