イラスト/虎目石(ibpc2223)
0世界にあるそのアパートメントはいつ頃からそこに存在しているのだろうか。 新しくもなく、かと言って激しく傷んでいるわけでもなく。そこに住む人々を温かく包み込んでくれる。 きっと住民たちが感じているのと同じように、シュマイト・ハーケズヤにとってもその建物の新旧は瑣末な問題であった。 訪ねればひだまりのような笑顔で迎えてくれる親友がいる。それだけで十分なのだ。「いらっしゃい、シュマイトちゃん!」 今日もまた、シュマイトは親友、サシャ・エルガシャの家を訪ねる。二人で過ごすティータイムはもはや日常の一部。 シュマイトの持参したカラフルなマカロンと、サシャ手作りのドライフルーツがたっぷりはいったパウンドケーキが並べられて。 慣れた手つきでサシャが琥珀色の液体をティーカップに注いだ。 日常の一部だからといって、ただただ無為に過ごすわけではない。これは、日常の一部だからこその大切な大切な時間。 サシャがシュマイトの皿にパウンドケーキを一切れと、甘さ控えめのホイップクリームを乗せてくれる。ありがとう、軽く礼を言ってシュマイトは磨きぬかれた銀のフォークを手にとった。「マカロン、いっぱい種類があって迷っちゃう」「全種類食べればいいではないか」 迷いに迷ってサシャは自分の皿に黄緑色と紅色のマカロンを乗せた。そして黄緑色、ピスタチオのマカロンをかじる。「ん、おいひい」 口の中に物が残ったまましゃべるのはマナー違反だけれど、少しでも早く感想を伝えたくて。「そんなに急がなくても大丈夫だ」 その気持がわかるから、シュマイトの顔にも笑みが浮かんだ。 他愛のない話をしながら時間がすぎる。それがいつものはずだった。 けれどその日シュマイトは、ティーカップの取っ手を持ったまま、少し考えるようにして。唇を引き結んだ彼女はまるで、何かを我慢しているようだった。「わたしたちはいつまで、今の仲でいられるだろうか?」 ロストナンバーとして。 親友として。 絞りだすように呟かれた言葉。 サシャは思う。シュマイトと彼と三人で幸せになりたいと。 しかしシュマイトは、いまだその域には達せられていない。 どれだけ葛藤を続けただろう。そのたびに、彼女を困らせてしまったかもしれない。 それでも、それでも、サシャを大切に大切に思うからこそ、どうしても葛藤から抜け出せない。 だが、時は来た。 互いの答えを明らかにする時が――。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>シュマイト・ハーケズヤ(cute5512)サシャ・エルガシャ(chsz4170)=========
向かい合った二人。零した問いに落ちる沈黙。 「……この不安に一つ、有力な仮説が出てきた」 サシャ・エルガシャからの答えを待たずにシュマイト・ハーケズヤは言葉を繋げた。まるでそれは自分の問いに対する答えを聞きたくないゆえの悪あがきのように見えもするが、そうではない。 伝え忘れていたことがあるのだ。 正しい情報を伝えぬまま判断を仰いでは、正しい答えは得られない。それは、シュマイトの望む所ではなかった。だから、手にもったカップの中の紅茶が冷めるのも忘れてシュマイトは、サシャの黒曜石のような瞳をじっと見つめた。 「わたしは、キミを信じ切れていなかったんだ」 それは自らへの断罪の言葉。悲しげに目を細めて、シュマイトは続ける。 「キミの言葉が、心が、うつろうものだと思ってしまっていたんだ。いや、うつろわないと思うのもうぬぼれか。いずれにせよ、醜いな、わたしは」 友情と恋愛が両立できるものだと信じられなかったシュマイト。恋をすれば、サシャは自分よりも恋人の元へ行くことへ選ぶだろうと思ってしまうことも多々あった。 だが、彼女の心を自分に留め置けると考えるのも自惚れだと思う。 自分の心がが酷く醜いのはとうに気がついていた。それこそ、サシャを取られてしまう――初めてそう、恐れた時に。 「きっと今も『そんなことないよ』と言ってほしくて、この話をしている」 「シュマイトちゃん――」 名を呼んでくれた彼女の言葉の続きを封じるように、シュマイトは真摯な視線でサシャを絡めとる。 「わたしはキミが好きだよ、サシャ」 いつも明るく朗らかで優しいキミ。 どんなシュマイトでも受け入れてくれるキミ。 弾けるような笑顔で名を呼んでくれるキミ。 「キミは何度もそう言ってくれたのに、わたしがこうして『好きだ』と明言するのは、これが初めてのような気がする。ひどい話だね」 シュマイトは自嘲するように笑んで、冷めた紅茶を口に含んだ。 「シュマイトちゃん……」 目の前のサシャは、嬉しそうで、けれども困惑したような、なにか言いたげな顔をしている。 しかし今サシャの言葉を聞いては、きっと色々なものが崩れてしまう――そう思ったシュマイトは、カップをソーサーにおいて再び口を開いた。 「三人で幸せに。良い言葉だ。キミらが幸せならわたしは嬉しい。キミらの不幸など願うはずもない」 「シュマイトちゃん」 「だが最近、分からなくなってきた。わたしにとって何が幸せなのか」 「シュマイトちゃん!!」 懇願するような響きを持って、サシャが声を荒げた。カップの中に新しく注がれていたサシャの紅茶に小さく波紋が広がる。 「待って。一人で結論を急がないで。ワタシを置いてきぼりにしないで」 「サシャ……?」 「ワタシの話も聞いてよ、ね? ワタシの気持ちが聞きたくて、勇気を出して訊いてくれたんでしょう?」 「それは……」 「だったら、ワタシの話もきちんと聞いて。ね?」 サシャが首を傾げるようにしてシュマイトを見つめる。彼女の金色の髪がさらりと揺れて、窓から差し込む陽の光にきらり、輝いた。 「まず、シュマイトちゃんのさっきの質問」 ――わたしたちはいつまで、今の仲でいられるだろうか? 「変なこと聞くねシュマイトちゃん。だってそれはシュマイトちゃん次第」 傾げた首を戻し、サシャはシュマイトの瞳を見つめる。その青い瞳は空の色のようでもあり、ブルーインブルーの海を思いださせる色でもあった。 「あのね、ワタシ0世界に帰属したいの」 「……!?」 「まだロキ様にも話してない。話すのはシュマイトちゃんが初めて」 カタンッ、突然の告白にシュマイトは小さくテーブルを揺らした。 一番に決意を告げてくれたことは素直に嬉しいと思った。だがその内容は、薄々予感していたものではあったが――二人の道の分岐を表しているようだった。 「ずっと前からリリイさんに憧れてて、実際会って話してみて、その想いがもっと強くなった。だからジ・グローブでお針子助手として働きたい」 サシャは夢見るように言葉を紡ぐ。実現の可不可はおいておくとしても、自らの目指す未来が決まったというスッキリとした表情だ。 「ワタシみたいな恋する女の子達にステキなお洋服を仕立ててあげたいの。雇ってもらえるかわからないけど、頑張ってみるつもり」 笑んだサシャの瞳には強い決意が宿っていて。 夢に向かって歩むと決めた、充実した表情をしていて。 「メイドの仕事には誇りを持ってる。でも、もっと世界を広げたい」 羽ばたくことを決めたサシャは、シュマイトの目にも眩しく見えた。 彼女は自分で自分の進む道を、未来を決めたのだ。 (それに引き換え、わたしは……) シュマイトは思う。自分は、今の心地良い関係が壊れてしまうのが怖くて、決定的な一言を言われてしまうのが怖くて、結論を先延ばしにしていたのだ。そしてあろうことか、彼女に結論を、『期限』を決めてもらおうとしていたのだ。 「シュマイトちゃんはどうするの? 元の世界に帰る?」 「っ……わたしは……」 びくっと肩を震わせたのは、醜い心が顔を出したから。サシャにとっては自分が元の世界に帰ったほうがいいのだろうか、そんな穿った考えが一瞬のうちに滲み出てしまったから。こういう心は滲みでるのは一瞬なのに、払拭するのには時間がかかるのだとシュマイトは知っていた。 「決めるのはシュマイトちゃんだけど……元の世界には家族や好きな人がいるんでしょ。だったら帰らなきゃダメ」 ――キミがそう告げるのは、誰のため? 「ワタシには旦那様も家族もいない。でも、シュマイトちゃんには帰る家と待っててくれる家族がいる。ハイユ様もついててくれる。それはとってもシアワセな事」 ――キミは寂しそうに笑う、誰を思って? 「答えを出すのはシュマイトちゃん自身」 ――そうだ、それはわたしだ。わたしのため、わたしを思ってキミは……。 「でも、これだけは覚えていて」 彼女の言葉に、シュマイトは自然と下がりかけていた視線を上げる。目と目が合うと、サシャは陽だまりのように優しく暖かく、微笑んだ。 「もし別れる日が来ても、ワタシとシュマイトちゃんはいつまでも友達だよ。たとえ記憶をなくしても思い出は残る筈だから」 その言葉に、視界がひらけた気がした。心を覆い、先を見えなくしてた雲が晴れていく、そんな感覚。 「……そうだな。ありがとう。キミがそう思ってくれて、嬉しい。わたしも、わたし達はいつまでも友達でありたいと思っている」 胸が、熱いもので満たされていく。 今まで胸を占めていたものが『嫉妬』や『独占欲』、『恐怖』と名のつくものだとシュマイトは知っている。そんな醜い心、無くなってしまえばいいと思ったこともあった。 けれどもそれは、自分自身が彼女を信じきれていなかったゆえに浮かんでくるものだと気がついた。 それを証拠に、ほら、どうだろう。今はその気持が薄らいでいるのを感じる。 「……サシャ?」 と、目の前の親友の表情に影が差したことに気がついたシュマイトは、テーブルのを挟んだ状態で彼女の表情を感じ取ろうと、彼女の顔を覗き込むように頭を動かした。 「ワタシはワタシを選んでって言えない。だってシュマイトちゃんの人生だもん」 「!!」 サシャは泣いてはいなかった。けれども、今にも泣き出しそうな顔をしていた。 シュマイトがサシャを大切に思っているように、サシャもシュマイトを大切に思っていて。 本当はずっとこのままでいれたらいい、いつまでも一緒にいられたらいいと願っているのは同じなのだ。 けれども、他人の人生を縛ることは出来ないから――。 「サシャ……」 彼女の表情を見て、シュマイトは唇を噛み締めるようにして俯いた。 そして、しばしの沈黙の後。 「結論だ」 思い切って顔を上げたシュマイトの表情は、何かを吹っ切ったかのようなむキリリとしたものに見えた。サシャは膝に手を乗せて、言葉の続きを待つ。 「わたしは遠くから、キミらの幸せを祈ろう」 「――っ」 わかってはいた。 「元の世界が見つかったら、わたしは元の世界に帰属したいと思っている」 サシャとてそのほうがいいと思っていた。けれども実際にシュマイトがそう選択し、それを口にすると……変な、実感のようなものがこみ上げてきて。寂しさが湧いてこないとは言えない。 「これまでの世界群との接触は、今後の発明にきっと役立つ。わたしはわたしの手で、わたしの世界をより良く変える。それがたぶん、覚醒したわたしの使命だ」 シュマイト自身がそう決意したのなら、サシャにはもう言うべきことはなかった。 シュマイトは、帰る家と待っててくれる人がいる彼女は、帰らなければダメだ、そう思っていたはずのなのに。 彼女が決意したのなら、喜ぶべきことなのに。 なんだろう、少し胸の奥が……きゅぅっと痛む。 「キミとの別れは、さみしいし、こわいし、かなしい。離れたくない。それでも、だ。0世界に残っても、わたしができる事はそう多くない」 「シュマイトちゃん……」 サシャは決意をした彼女を見つめ、そして自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。 「友達だって親友だっていつか別れる日はやってくる。ずっと一緒に、永遠に続く友情なんて口約束でしかない」 いつか、はきっと遠くない。そんな予感がしているからこそ、自分にも言い聞かせるように。 「ワタシはシュマイトちゃんとの友情がずっと続くって……信じたいし、信じてるよ」 「ああ……わたしもだ」 いつの間にやらサシャの瞳には大粒の涙が溜まっていて。彼女はそれがこぼれ落ちぬように一生懸命耐えているようだった。シュマイトは、そんな彼女を見つめる自分の視界がぼやけていくのを感じた。 いつか、が近くに迫っているであろうことを、二人は肌で知っている。でも、だからこそ。 「だからせめて、その瞬間までは、隣にいさせてくれ――」 ほろりと透明な雫が弾け、頬を伝う。 これで互いの顔がよく見えるようになるかと思ったら、後から後から雫が溢れだし、ついにはぽろぽろと雫のまま、テーブルクロスにシミを作っていった。 まぶたを閉じて、シュマイトは瞳に湧き出る涙を落とす。はらはらと零れ落ちる涙は、ズボンにもシミを作る。 普段は絶対見せないこんな泣き顔も、サシャにだったら見せられる――。 「ワタシも、隣にいさせて」 ふわり、温かいものがシュマイトを包んだ。慌てて瞳を開ける。その視線の先に、サシャの姿はなかった。代わりに、シュマイトを背中から包むのは、彼女の熱。彼女の香り。 抱きつくように背中から回された腕に手を添えて、シュマイトは何度も何度も頷いた。その度に、雫がこぼれ落ちたが気にしている余裕などなかった。 サシャの頬にも涙は伝っていた。シュマイトがそれを知るのは、首筋にぽたり、温かい雫がこぼれ落ちてきたから。 ああ、彼女も自分と同じなのだ、そう思うと更に涙が止まらなくなり、二人はそのまま静かに泣いた。時折小さくしゃくりあげる声が、ティータイム途中のテーブルの上に響いていく――。 *-*-* 「紅茶入れるから、ちょっと待っててね」 「ああ。わたしは菓子を並べよう」 暖めたポットに茶葉を入れて、熱いお湯を注ぐサシャ。シュマイトはサシャの用意した皿に、持参したマドレーヌを並べていく。 プレーン、チョコチップ、クランベリーに抹茶にレモン味。カラフルな方がサシャは喜ぶかもしれない、店先で散々迷って全種類買い求めてしまった。 場所はサシャの部屋だから彼女がもてなすのが当然なのかもしれないが、もてなしもてなされるだけでなく、二人で作るティータイムの方がなんだか特別な感じがする。 「はい、シュマイトちゃん」 「ん、ありがとう」 淹れたての紅茶の香りを纏ったサシャが、ティーカップをシュマイトの前に置く。いつでも、彼女の紅茶は良い香りがする。 「今日はエッグタルトに挑戦してみたんだ」 「ほう、美味しそうだな」 サシャが切り分けたエッグタルトをシュマイトの前の小皿へと乗せる。シュマイトは磨きぬかれた銀のフォークを手にとった。 「わ、マドレーヌ美味しそう! どれから食べるか迷っちゃう」 「逃げはしないから、全種類食べればいいではないか」 こんなやりとり、前にもあったような……二人は顔を見合わせて微笑む。 日常の一コマなんだから、同じようなやり取りがあって当たり前なのだ。その当たり前が大切なのだ。 後どれくらい、こうして日常が送れるのだろうか。それは誰にもわからない。 ただいつか、日常が日常でなくなる日が来る。 その日のために、こうして日常を大切にしながら過ごしていくのだ。 日常はいつか、思い出になる。 そしてそれはきっと、世界を隔てて離れても、記憶を失ったとしても、消えぬものだと信じている。 せめてその日が来るまで、隣で――。 【了】
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