「「今の私に似合う服を仕立てて欲しいの」」 「……あら」 「え、あんたも?」 東野楽園とヘルウェンディ・ブルックリンの望みと声が重なったのはビスポークテーラー『サティ・ディル』。ふたりがこの店を連れ立って訪れたのは偶然なのだろうがよもや店主に望むことがらも同じとは思うまい、それぞれが意外そうな目でお互い顔を見合わせる。 「今の自分に似合う服、かぁ。要するに今までのイメージをがらっと変えたいってことだよね」 若き店主サシャ・エルガシャは二人に桃のフレーバーをつけたアイスティーを供し、二人が今着ている服装を興味深げに眺めた。 「……まあ、そういうことになるわね」 「うーん、平たく言えばそうなっちゃう感じ? 色々事情があるの」 バニラビーンズで香りづけをしたホイップ生クリームをひとさじすくい、楽園のアイスティーはふんわりと色を変える。いつもと違う服を選ぶことが、紅茶にミルクや砂糖を入れるように簡単にはいかないことなど知っている、そう言いたげな楽園眼差しはそれでもどこかすっきりとした光をたたえていた。 対して、お茶請けにと出された小さなストロープワッフルをかじり、ノンシュガーでアイスティーをちゅるるとすするヘルウェンディの表情にはいささかの迷いがあるようにも見える。 「じゃあ、二人とも詳しく聞かせてもらおうかな。別々のほうがいい?」 仕立屋の仕事はまず、お客の話を聞いて希望を引き出すところから。屈託なく笑うサシャの表情に、楽園はもう一切を決めたような顔で、ヘルウェンディはまだ不安の色を持つ何かを抱えたような顔でこたえた。 「私は特に構わないわ、今更人に聞かれて困るような事でもないし」 「右に同じよ。どっちか帰しちゃうのも時間のムダでしょ?」 「じゃあ、」 サシャが紙束を二つに分ける。 ◆ 失恋は女を変えるっていうけど……そんなものただの切欠にすぎなくて、自分で変えようと思わなければ、何も変わらないんだって気づいたの。遅いかしら。だから髪を切って、心だけでも軽くしようと思ったわ。 でも、それだけじゃ足りないのかしらね……ちょっと、今着ている服は重たくって。そう、折角吹っ切ろうとしてるんだから、それにふさわしい服があってもいいと思うの。 未練が無いとは言わないわ……あの人のことを思い出すと今でも、胸が痛む。けど、立ち止まってても時間は流れるのよ。だったら、前に進みたいじゃない。そう思ったの。 ここに来ようと思ったら、髪を切った時のことを思い出したわ。 ……目標を作ったこと。あの人がすれ違いざまに振り返って、うんと後悔するくらいいい女になる、って。 女が女でいられる時間なんて、長いようで本当は驚くほど短いのよ。だから、急ぐの。他人は変えられない、自分が変わるしかない、いつだってそうなの。 ……お願い、サシャ。今の私にふさわしい、いいえ、私がなろうとしている私にふさわしい服を仕立てて頂戴。 私、生まれ変わるの。 ◇ なーんか……あんたも結構苦労してんのね。 そりゃあ、生きててこれといって何の苦労もない人なんかいないわよ。まぁ、私たちってこのターミナルに居るってだけで普通の人とは違うものね。 そういう話はいっか。 私もね、楽園と一緒。今の自分にふさわしい服が欲しいなって思って。 話すと長いんだけど……あ、それを話すとこからだっけ。 実は私、壱番世界にはもう帰らないことにしたの。 もうね、さんざん悩んで悩んで悩みぬいて出した結論よ。育った場所が嫌いになったわけじゃない、パパとママのことだって大好き。生まれてきた妹に会いたい気持ちも勿論あるわ。……でも、でもね。 私が居なくても壱番世界は大丈夫なのよ、パパもママも妹も仲良く楽しくやっていくと思うわ。だけど、こっちには居るのよね……大丈夫じゃないヤツが。まぁ、実の父親なんだけど。 ほんと、ほっとくと無茶してばっかりなの。いっつもどこかに怪我して、どこかで死にそうになって帰ってくるんだから。アイツには多分私がいなきゃダメなのよ。 だってそうでしょ。毎日ケンカしてばっかりの私が心配するくらいなの、アイツにだって知り合いとか、もしかしたら友達とか、いるかもしれないじゃない。一緒に依頼に行く人達にだって色々迷惑かけてると思うの。 だからこれ以上無茶させないように、見張ってやらなきゃ。 アイツが死んで頭を下げに行くのが私かと思うと腹も立つしね。 だから、その……。 サシャに、新しく服を作ってほしくて。 ほら、あるでしょ。なんか、小娘っぽく見られないようなやつよ! ◆ 「……そっか、二人の話はよくわかったよ。話しにくいことを聞かせてくれて、ありがとう」 二つの紙束をとんとんとまとめ、サシャは楽園とヘルウェンディにそれぞれにこりと笑いかける。 「じゃあ、今日は採寸をするね。次に来てもらうのは仮縫いでデザインの確認とサイズ調整をする時かなぁ、あとは完成を待ってもらう感じ」 何度も足を運んでもらうから少し時間がかかるけれど、と申し訳なさそうに眉を下げるサシャに、楽園とヘルウェンディは期待を込めた眼差しで応えた。 「いいものに手間がかかることくらい知っているわ」 「そうそう。楽しみにしてるから、よろしくね?」 「かしこまりました。サシャ・エルガシャ、張り切って淑女お二人の服を仕立てさせていただきます」 サシャの目が仕立屋の色をそなえて輝き出す。 ◆ 「……とは言ったものの、困ったなぁ」 閉店の札をかけたサティ・ディルの作業机でひとり、サシャは難しい顔をしてペンを指先で弄んでいる。 「二人とも、どんな服がいいってあんまり聞かせてくれなかったな」 楽園もヘルウェンディも、今の自分にふさわしい服をと言っていた。 だがそれがどんなものかは、きっとまだ二人それぞれぴんときていないのだろう。 「これが腕の見せ所ってやつかな? ……うう、難しいよーー!」 変わりたい、今よりずっと素敵に。 乙女の願いはシンプルなようでいてとても複雑だ。 「……でも、二人とも」 変わりたいからこの店を訪れてくれた。その誇らしい事実が、サシャを奮い立たせる。 __私がなろうとしている私にふさわしい服を仕立てて __ほら、あるでしょ。なんか、小娘っぽく見られないようなやつよ! 「ふふふ」 口元がほころび、ペン先がするすると走る。 乱暴な話だが、イメージを変えるだけなら、いつもと違う服屋に行ってマネキンが着ている服を一式買ってしまえばそれで済む。だが彼女らはそうしない、彼女たちが変えたいのは、もっと。 「そうだなぁ……」 黒いゴシックドレスに真っ赤なリボンが似合っていた楽園には、もっと淡い色も似合いそうな気がする。たとえば……。 「金色の瞳には、緑色かな」 ウェスト部分に切り替えの無い、すとんと落ちるけれど広がりのあるキャミソールワンピースのデザイン画が、まっさらな紙の上に描かれてゆく。丈は膝より少し長く、深い緑色の生地をメインに。裾部分には淡いアッシュグレイの生地を足して、緑色の濃さを中和する。シンプルだけど少女らしい愛らしさも添えるため、生地と生地の継ぎ目は細いレースで飾ってみよう。 肩紐にも生地の継ぎ目を飾るのと同じレースを使って、少し太めの仕上がりに。しっかりした着心地と華やかさを併せ持ったデザイン画の中の少女は、ワンピースの生地と同じ色の細いリボンを首に巻いていた。 「うんうん、可愛い。肩紐のレースは取り外し出来るようにしようっと」 肩紐をシンプルにすれば下にTシャツやカットソーを着るコーディネートもいいだろう。レースをつけるのは金色の金具にするなど、楽園らしさの演出も抜かりない。 「あ、そうだ。羽織ものが要るよね」 話をしている間、ワンピースの袖口からちらりと見えた古傷。長袖でなければいけないとオーダーされてはいなかったが、やはり添えたほうがいいだろう。 「えーと、春夏用かなあ……うん、白で」 風になびくAラインのカーディガン。 そのまま羽織っても、カシュクール状に裾を留めても。 「あとはヘルちゃんの……やっぱりワンピースになるかなぁ」 楽園のデザイン画が一段落し、紅茶をもう一杯淹れたサシャは引き続きヘルウェンディのデザイン画に手を付ける。甘めのゴシックパンクを好むヘルウェンディは楽園に同じく、赤と黒の使い方が印象的な服装をしていた。 「お父様と暮らす……うーん」 きっと心配の絶えない日々なのだろう、ヘルウェンディの口ぶりからもそれはよく分かる。家事もするだろうし、何かあったら駆けつけなくてはいけないかもしれない。 「確か、十五歳だったっけ」 そろそろ、大人として、淑女として背伸びをしたい年頃のはずだ。その為にはやはり女性らしい曲線的なワンピースがよさそうだ。それでいて動きやすくて、家事をするのにちょうどよくて……。 「袖の形、ちょっと変えてみようかな?」 楽園が今日着ていたものに近かった袖の形を一旦取り消して、ふんわりと丸みのある七分袖のパフスリーブを描き直すサシャ。袖口はギャザーを寄せて、捲り上げても可愛らしいデザインに。丈は少し短めの膝上、といってもヘルウェンディが普段着ているパンクなミニスカートよりは大分長めだ。ひらりと軽やかに揺れる裾にはワンポイントで白百合の刺繍を施して。白百合の花言葉は、『子の愛情』。 膝が見える丈はそのまま着ても少女らしい華奢な脚線美を活かすし、アクティブになりたい時はレギンスやトレンカを穿くのもいいだろう。パステルで空色に塗ったワンピースのデザイン画は、踊るように片足を上げていた。 ◆ 「あら、今日はあの子は?」 「ヘルちゃんは午後からの約束なの。一緒に居てほしかった?」 「……別に、あの子がいなければ服が仕上がらないわけじゃなし」 オーダーのとき連れ立って店に入ったヘルウェンディが今日は居ないことを尋ねる楽園に、サシャがアールグレイのミルクティーをサーブする。仲が良さそうにみえたからとサシャが笑えば、楽園は意外そうだがまんざらでもない顔でミルクティーに砂糖を一匙。 「それに、貴女と二人のほうが仕事もきめ細かいでしょうから」 「そうだね、ゆっくりしていって。後で使う予定の生地も見てほしいな」 一旦奥に消えたサシャが、仮縫いを着せたトルソーを引いて再び楽園の前に現れる。固めの白いシーチング生地で出来たキャミソールワンピースとカーディガンはどことなく、主の感想を待っているかのような緊張感があった。 「ふうん……これは実際の生地ではないのよね?」 「うん、縫製はこれとこれを使ってみようと思うんだけど、どうかな?」 ワンピースに使う綿素材の緑色の生地と、リネン素材のアッシュグレイの生地、それからカーディガンに使うシルク生地をそれぞれ重ね、仮縫いの上から当ててみせると、楽園は悪くないといった具合に頷く。 「そうね、このまま進めて」 「かしこまりました。じゃあサイズ調整をするから、フィッティングルームへどうぞ」 ◇ 「こんにちはー。あれ、楽園は?」 「いらっしゃいませ! 楽園ちゃんは午前中に来てもらったところだよ」 「なんだ、残念」 楽園と違い素直に感情を表に出すヘルウェンディにサシャが向けた微笑みの意味は、サシャの秘密だ。 「じゃあ早速見てもらうね?」 「ええ、お願い。すっごく楽しみにしてたのよ」 期待に目を輝かせるヘルウェンディの前に、仮縫いを着せたもう一台のトルソーが運ばれる。どちらかといえば完成品のイメージに近い、しゃっきりとした生地のそれは仮縫いながら凛としたたたずまいでヘルウェンディの隣に並ぶ。 「あ、結構可愛い目なのね。うん、いいかも」 「ふふ、ありがとう。実際はこの、淡い水色の生地にするよ」 サシャが反物の状態になっている空色の生地を取り出し、何度かぱたぱたと引き出してトルソーに当てて見せると、ヘルウェンディの目が一層の輝きを見せる。 「うん、すっごく素敵。あんまり丈が長いと鬱陶しいけど、これくらいなら大丈夫そうだわ」 「じゃあ細かいサイズ調整するね、そしたら縫製に入るよ」 フィッティングルームのカーテンの向こうは勿論、男子禁制。 「……すごく不本意だけど、胸が少しゆるいわね……」 「あー……あはは」 ◆ 仮縫いを当ててから、数日後。 楽園とヘルウェンディはサシャに呼ばれ、今度は二人そろって再びサティ・ディルを訪れた。 「いらっしゃい、二人とも。待ってたよ」 にこやかに出迎えるサシャへの挨拶もそこそこに、二人は内心出来上がった洋服に気もそぞろ。セクタンの毒姫とロメオもそれぞれ主の肩にちょんと止まって、普段あまり見ない主の表情に不思議そうな視線を向ける。 「そういえば、自分のデザインしか知らないのよね。実を言うと、楽園のも結構気になってたの」 「他人の服が気になるなんて物好きね」 ヘルウェンディが好奇心の滲む瞳で店の奥に目線をやると、楽園がつんと取り澄ました顔で紅茶を一口。二人の会話が途切れた瞬間、それを合図とするようにサシャが二体のトルソーを巧みに操り二人の前に現れた。 「お待たせいたしました、お二人とも。こちらがサティ・ディル謹製、二人だけの為のお洋服です」 「あら……」 「うわあ……!」 楽園への一着は、ビリジアングリーンのボディにアッシュグレイの裾と白いレースをつけたキャミソールワンピース。上に羽織らせたシルクの白いカーディガンはしなやかなAラインが優雅な印象を与える。ブラックオニキスで飾ったカーディガンのボタンが時折店内の照明を反射し大人っぽい雰囲気を醸し出していた。 そしてヘルウェンディへの一着は淡い空色のワンピース。スクエアタイプの襟元は楽園のキャミソールワンピースに使ったのと同じシンプルなレースで飾られ、ギャザーを寄せた七分のパフスリーブが上品な愛らしさを纏っている。ぴんと広がった裾の右側にはワンポイントの刺繍で白百合が凛と咲いていた。 「……可愛い……わね」 「やだ、これ私……?」 試着してフィッティングルームから恐る恐る出てきた二人は、最初に服を見たときと同じ新鮮な驚きを持って鏡の中の自分を迎え入れる。 「二人とも、とってもステキなレディだよ」 まだ着慣れない服の裾や袖口のシルエットを直しながら、サシャは優しく笑う。 「変わりたい、ワタシの洋服が変わる切欠になるって思ってくれてありがとう。けどね」 本当に自分を変えられるのは、自分自身の力だけ。 それを忘れないのが本当のレディだよと、サシャは二人の背中を押す。 「……やってみるわ、こんなに素敵な切欠を貰ってしまったのだもの」 「うん、何だか現実感が出てきたかも。ありがと、サシャ」 ◆ サティ・ディルの書類棚に二つ、新しいデザイン画が増えた。 ひとつは若木に咲いた白い花のようにしなやかに、明日の朝日に向かう淑女の為のワンピースとカーディガン。 もうひとつは、世界でたった一人のどうしようもない大事な人に寄り添う、見上げればいつでもそばに在る空の色をしたワンピース。 変わろうと覚悟を決めた淑女たちの色は、淡くともしたたかで、美しい。
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