ヴォロスのとある地方に「神託の都メイム」と呼ばれる町がある。 乾燥した砂まじりの風が吹く平野に開けた石造りの都市は、複雑に入り組んだ迷路のような街路からなる。 メイムはそれなりに大きな町だが、奇妙に静かだ。 それもそのはず、メイムを訪れた旅人は、この町で眠って過ごすのである――。 メイムには、ヴォロス各地から人々が訪れる。かれらを迎え入れるのはメイムに数多ある「夢見の館」。石造りの建物の中、屋内にたくさん天幕が設置されているという不思議な場所だ。天幕の中にはやわらかな敷物が敷かれ、安眠作用のある香が焚かれている。 そして旅人は天幕の中で眠りにつく。……そのときに見た夢は、メイムの竜刻が見せた「本人の未来を暗示する夢」だという。メイムが「神託の都」と呼ばれるゆえんだ。 いかに竜刻の力といえど、うつつに見る夢が真実、未来を示すものかは誰にもわからないこと。 しかし、だからこそ、人はメイムに訪れるのかもしれない。それはヴォロスの住人だけでなく、異世界の旅人たちでさえ。 そのメイムに一つだけあるという幻の天幕のことを知っているだろうか? そこには二つの寝台が並んでおり、二人の客が一緒に眠ることで同じ夢……二人の未来を示す夢を見るという。 だが、実際にその天幕で夢を見たという話は殆ど聞かない。なにせ幻、なのだから。 *-*-*「シュマイトちゃん、シュマイトちゃん、あの館でも夢が見れるのかな?」 初めに気がついたのはサシャ・エルガシャだった。シュマイト・ハーケズヤの腕を引っ張るようにして、反対の手で指をさすのはメイムに多数ある「夢見の館」の一つ。「『夢見の館・シュタイム』と書いてあるから、あそこも夢見の館なのではないか?」「行ってみようよ!」 答えたシュマイトは、腕を引かれて歩み出す。親友のこんな行動的な部分、嫌いではない。 二人は旅行にきていた。それもただの旅行ではない。 サシャが異世界に旅立てなくなる前に、そしてシュマイトが元の世界へ戻る前に、二人で出る最後の旅行としてメイムを訪れたのだ。「入っていいのかな……」 石造りの建物の前に立ち、木の扉を前にしてサシャは足を止めた。なんだか、今まで見てきた他の夢見の館とは違った雰囲気を感じる。それはシュマイトも感じていた。「……大丈夫だろう。開店を示す看板も出ている。休みであれば、この扉も開かないはずだ」 そっと、ドアノブに手を伸ばすシュマイト。カチャ……小さな音を立てて扉は開いた。 中からはメイム特有の香の匂いが漂い出てきた。そのことにほっと息をつく二人。「いらっしゃい」「いらっしゃいませ」 風の流れで気がついたのだろうか、中から二種類の声が飛んできた。どうやら営業中であるらしい。サシャとシュマイトは顔を見合わせて頷き合い、館へと足を踏み入れた。「あれ? 天幕が一つしかないよ、シュマイトちゃん……」「確か他の夢見の館は、屋内にいくつかの天幕があるはずだな」 扉をくぐればそこは広々とした空間になっていて、幾つもの天幕を置くことは出来そうだった。けれどもその空間にある天幕は一つだけ。それも、普段夢見の館で使われているものよりも大きく感じた。「運がいいね、お二人さん」 と、歩み寄ってきたのはフードを目深に被った人物。男か女か窺えぬが、声からしてそこそこ若いであろうことは窺えた。「ここはシュタイム。シュタイムとは『2』を表す。その名の通り、二人用の夢見の館だよ」「二人用……?」「シュマイトちゃん、あの噂!」 訝しげに眉を寄せたシュマイトの肩をサシャが揺さぶった。思い出すのはメイムへと至る道中で聞いた噂。幻の天幕。「まさか、ここが?」「はい。めったに看板を下げませんが……ここでは二人で夢を見ていただけます。同じ夢を、お二人の未来を示す夢を――」 もう一人、淡々と告げるのは褐色の肌に肩までの銀の髪を揺らす少女。折れそうに細いその腕には、ブランケットが抱かれている。「どうする? 夢を見ていくかい?」「――怖い、のでしたら、このままお帰りください」 二人は決断を迫る。 シュマイトはつ、と視線を天幕に向けた後サシャの漆黒の瞳を捉え、問う。「サシャ、君はどうしたい?」「ワタシは――……」 サシャも天幕を見て、シュマイトを見て。瞳を見ればわかったから、穏やかにサシャは微笑む。「シュマイトちゃんとおんなじだよ」「そうか」 その答えを聞いてシュマイトも微笑む。そしてフードの人物を見て、はっきりと口を開いた。「試させてもらおう」 互いに別の世界で生きていくと決意した二人は、どんな夢を見るのか。 あるいは、見られないのか――。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>シュマイト・ハーケズヤ(cute5512)サシャ・エルガシャ(chsz4170=========
大きめの天幕の中に入り、柔らかな敷物に身を横たえる。敷物は大判のものが一枚だけで、枕は二つあった。 シュマイト・ハーケズヤとサシャ・エルガシャはそっと敷物に腰を下ろす。隣に寝る距離を測りかねているシュマイトとは対照的に、サシャはごろんと躊躇わずに横になって伸びをした。 「シュマイトちゃん、枕の中にも香草が入っているみたい。すっごくいい匂いで気持ちいいよ?」 「そうか」 シュマイトは帽子を外して自身の隣へと大切そうに置き、そしてゆっくりと横になった。頭を据えると枕から漂ってくる香りが確かに良い匂いだ。この夢見の館に漂っている香りと自然にマッチして、喧嘩していない香りだからだろう。 「確かに、気持ちがいいな」 深呼吸するように両腕を身体の横で開いて小さく伸びをする。 「っ……と」 隣に横になっているサシャの身体に指先がぶつかってしまい、距離の近さを感じるシュマイト。すまん――そう言いかけて言葉をしまった。そっと、シュマイトの指先を何かが包んだからだ。 「サシャ?」 「こうしてちゃ、だめかな?」 そっとシュマイトの手を包んだのはサシャの手。働き者のその手から伝わってくるのは暖かさと安堵と少しばかりの震え。 (ああ、キミもわたしと同じなんだな) 努めて明るくしているが、不安がないわけではないだろう。ふたりで夢を見る――見れる夢は同じなのか異なるものなのか。 もし異なってしまったら、ふたりの関係を否定されてしまった気分になるかもしれない。 シュマイトは握られた手をぎゅっと握り返して、サシャの顔を見るべく身体を横倒しにした。 「サシャ、大丈夫だ。共に夢を見よう」 「シュマイトちゃん……」 異なる道を行くと決めた時点で、いつか別れがくるのだと覚悟をするようにしていた。しっかり覚悟ができているとは言いがたい。だが、きっとここで見る夢が大きな切っ掛けのようなものになるだろう、ふたりともなんとなくそう感じていた。 「うん、一緒に見ようね」 サシャも身体ごとシュマイトの方を向いて離れないように手を握り締める。 そっと、銀髪の少女がそんな二人にふわり、ブランケットを掛けてくれた。 「覚悟はいいかい? おふたりさん」 「ああ」 「もちろん」 ふたりの返答を受けて「そうか」と頷いたフードの人物はアンクレットかブレスレットの音をシャラシャラと規則的に立てながら、天幕内に設置された香炉に火をつけて回る。その涼やかな音と強く香りだした独特の香の匂いに眠気が引き出されていく。 「おやすみ……サシャ」 重くなってきた瞼が完全に閉じる前に何とか告げたシュマイト。おやすみ――サシャが微笑んだように見えた。 *-*-* 「シュマイトちゃん」 そこは見覚えのある、ロストレイル乗り場だった。サシャはホームに立っている。そして正面の車両の中には、シュマイトがいた。いつものようにクールな表情をしているように見えた。だから、サシャもいつもの様に笑顔で見送らねばと思った。 ――そうだ、見覚えのない行き先。この列車は……。 「シュマイトちゃん!」 ロストメモリーとなったサシャは、特別な事情と許しがない限りロストレイルに乗ることはできない。だから、こうして列車の外から見送ることだけしかできなかった。 シュマイトは呼ばれた気がして顔を上げた。顔を上げると涙をこらえているのがバレてしまいそうで。けれども長い時間を過ごしたターミナルの光景と親友の顔はもう一度しっかりと焼き付けておきたくて、顔を上げた。 冒険旅行に出る際に何度も見たはずなのに、ターミナルはいつもと表情を変えていないはずなのに、なんだか名残惜しい。 笑顔を浮かべて手を振るサシャ。その目元には泣きはらした痕があって。自分のせいだとシュマイトは自分を責める反面、自分のためにそんなに泣いてくれたのかと嬉しくも感じた。 そうこうしている間に発車を知らせるベルが鳴り、扉が閉じられる。いよいよ発車である――空気が引き締まる。 「シュマイトちゃん……あ」 ぽろり、手を振りつつ、シュマイトの名を呼び続けていたサシャの笑顔の瞳から真珠のような涙がこぼれ落ちた。サシャは慌てて涙を拭おうとする。だが既に遅かった。サシャの涙でシュマイトの心は震わされてしまった。 ガタン ゆっくりと、ロストレイルが走り始める。シュマイトは急いで窓を開けて、少しばかり顔を出した。風によって飛ばされないように帽子を片手で抑えながら、サシャを見る。サシャは涙で濡れた瞳をシュマイトから離さぬように縫い止めるようにしながら、列車を追ってホームを歩いてきている。 列車は加速を緩めない。サシャもだんだんと足を早く動かす。 「シュマイトちゃん! シュマイトちゃん!」 親友として愛しさと、想い。永遠の別離への、抑えたはずの心と涙。慟哭、心の叫び。 もう、なにも隠すことはしない。これで最後なのだから、隠して後悔するのは嫌だった。サシャは涙ではっきりしなくなった視界の中でシュマイトだけをしっかり捉えて彼女の名を呼ぶ。 「サシャ! サシャ!」 シュマイトも負けじと叫んだ。無常にも列車の加速がふたりの距離を広げていく。 溜まった涙は風が拭い去ってくれた。ああ、サシャの顔がよく見える。 「また会おう」 失敗するとわかっていてもなんとか笑顔を作ろうとして。それだけ告げた。別れの言葉は紡ぎたくなかった。これが、永遠の別れになるなんて思いたくなかった。 ああ、この走りだした列車から飛び降りてしまいたい――その衝動を必死で抑え、シュマイトはサシャを見つめる。 彼女と過ごした日々が走馬灯のように蘇る。親友という存在を得られた幸運、そしてそれが彼女だった幸運をシュマイトは生涯忘れないだろう。きっと、これ以上の幸運はないだろうから。 「シュマイトちゃ……きゃっ!?」 サシャの足がもつれた。石造りのホームに滑りこむように倒れこむ。 「サシャ!」 遠くに、心配そうなシュマイトの声が聞こえた気がした。 「っ……」 痛みを堪えて何とか顔を上げる。シュマイトを乗せたロストレイルは、駅から飛び去っていた。だが、まだその姿は目で追える距離だ。 「シュマイトちゃん……!」 何を言うのが相応しいだろう。さよなら? 行かないで? 待っているよ? 全て違う気がする。今のサシャの気持ちと状況にぴったり来る言葉が見つからない。 だから、サシャはもう一度シュマイトの名を呼んで。 きっとシュマイトには届く、そう信じて。 *-*-* 一度の眠りでいくつかの夢をみることはある。 今ふたりの夢の中に浮かんでいるのは一枚の写真。 シュマイトは故郷で、サシャは0世界でその写真を見ていることだろう。 二人で撮った写真。写真立ての中に収められたそれは、静かに色あせていく。 カラーがセピア色に変わる様子は時間の経過を否応なしに感じさせる。 ただ、変わらないものもあった。 写真の中のサシャの笑顔とシュマイトの照れた顔は、変わらないまま。 ずっと――。 *-*-* 夢というものは気ままだ。 先ほど見ていた光景が突然違うものに姿を変える。 見覚えのあるコルク素材の小さなドアプレートは時間というスパイスによってだいぶ味を出していて、ああ、これは未来のことなのだと見ている者に感じさせた。 「サシャママ、まだお仕事中?」 ひょいと仕立屋「サティ・ディル」の扉を開けたのは、10歳前後の少女と彼女に連れられた6歳前後の少女だった。サシャは来客に目を細め、そして「お客様がお帰りになって手が空いたところよ」と二人を招き入れる。 デザイン画もトルソーにかかった見本の服もだいぶ増えた。お得意さんも増えて、サシャの服を好きだと言ってくれる人も増えていた。さっき帰った客も、その一人。サシャは充実した仕立屋生活を送っていた。 「あのね、ロキパパに頼まれておつかいに来たのだけど、ジェシーが転んじゃって……」 「あら、それは大変」 小さい少女、ジェシーは必死で泣くのを我慢しているようだ。膝から血が出ている。きせゅっとスカートの裾を握る手が震えていた。 「消毒しましょ」 サシャがジェシーの背を押して促すも、彼女は足に力を入れて動かない。どうしたの、サシャが顔を覗きこむと、彼女は大きな瞳に涙をいっぱいためて。 「サシャママごめんなさいぃぃぃぃぃっ……ひっく……サシャママが作ってくれたスカート、転んで、引っ掛けて、やぶれちゃっ……っく」 作ってもらった人に申し訳ない、その気持が小さな少女の胸を痛めていた。物を大切にしようとする心、作り手に感謝する心、サシャ達が育てた孤児の少女にはしっかりその心が根付いている。 「あらあら、そんなに泣かないで。大丈夫よ。レイシー、ボウルに水を汲んで来て。あとタオルも持ってきてね」 「うん、わかったわ」 サシャの指示に従い、大きい少女、レイシーは店の奥に入っていく。 「サシャママに任せて。素敵なスカートにしてあげる」 にっこり笑えばジェシーはほんとう? と涙を止めた。それはサシャの使える笑顔の魔法。 仕立屋生活だけではない。愛する人との生活も、孤児院の子どもたちを世話する生活もうまくいっていた。愛する人とは時々喧嘩もするけれど、すぐに仲直りしてしまう。孤児院の子どもたちはみんな可愛くて、家族がたくさん増えた。 (とってもシアワセ) ジェシーの傷を手当して、スカートの汚れを落としてリカバリする。可愛く修繕されて大喜びのジェシーと手伝ってくれたレイシーにお茶を出しながら思う。 (でも、ここにはシュマイトちゃんがいない) 毎日のように楽しくお茶の時間を過ごしたあの頃を思い出さないことなんてなかった。シュマイトの持ってきてくれるお菓子をサシャは楽しみにしていたし、シュマイトもサシャのお手製のお菓子とお茶を楽しみにしてくれていた。 話題が尽きることはなかった。ささやかなことから世界のことまで、乙女にかかればすべてがお茶に添える花。 (どうしてるかな、元気にやってるかな) カップの中の紅茶に、あの頃のシュマイトの姿が写り込んだ気がして、サシャはふっと表情を緩めた。その時。 「あの、今、大丈夫ですか?」 扉の開く音がして、一人の少女が店内を伺っていた。 「あ、おきゃくさんー」 「あ……私たちはそろそろおつかいにいくね。……サシャママ?」 気を使って立ち上がったレイシーの声も耳には入らなかった。ガタン、椅子を蹴って立ち上がったサシャは、入り口に立ちすくむ少女に釘付けだった。 「シュマイト……ちゃん?」 その少女は白のドレスシャツとネクタイ、薄い赤のベスト、臙脂帽子とテイルコートに白いズボン――色こそ違うが、サシャの記憶に残るシュマイトと同じ格好をしていた。 「ここに来れば、シュマイトを良く知る人に出会えると聞いて来ました。あなたがサシャさん、ですね?」 シュマイトと同じ琥珀色の髪をしたその少女は、サシャを見つめてホッとしたように微笑んだ。 * 自宅に帰ったサシャは、シュマイトとともに写った写真を手にソファに腰掛けていた。 「服の感じが似てると思ったら、その娘はシュマイトちゃんと同じ世界の出身。話、聞いたよ」 優しく語りかけ、色あせた写真のシュマイトの人差し指でなぞる。毎日きちんと埃を落としているから、指に埃はつかなかった。 「世界中で知らない人が誰もいない位有名な発明家になったんだね。画期的かつ歴史的な発明を沢山して、教科書や本に名前が載ってるって。おめでとう」 思いもかけぬ親友の近況。嬉しくないはずはないのに、嬉しいはずなのに。なんでだろう、涙がぽろぽろ零れて止まらない。 (もう会えないけど、シュマイトちゃんはワタシの心の中で生きてる) そっと写真を抱きしめて、涙を流れるままにしてサシャは嗚咽をこらえる。 (二人の心は繋がってる。ずっと、ずっと) 静かにサシャを見つめていた愛しい人は、なにも言わない。なにも問わない。ただ静かに、サシャを胸に抱きしめて、その頭を撫でてくれるだけ。それで、十分なのだ。 * 「――様!」 サシャは図書館で先日の少女を捕まえた。少女は驚いたような表情をしたが、サシャが呼び止めた理由を話すと得心したように頷き、そしてサシャの願いを快く引き受けてくれた。 いつになるかわからない、それはわかっている。けれどもどうしても贈りたい言葉があったから、お気に入りの便箋にその言葉を乗せた。 サシャは年を取らないが、シュマイトの時間は流れ続ける。 ひょっとしたら間に合わないかもしれない。 けれど。 彼女を見ていると、シュマイトが過ごした日々を追えるようで、なんだか希望を持ちたくなった。 最初に彼女をシュマイトと見間違えたのも無理は無い。 彼女はシュマイトの孫娘で一番弟子だというのだから。 (シュマイトちゃんは好きな人と結婚して末永く共に暮らせたのかな) だったらいいな……。 「今度、素敵な服を仕立てさせてね。シュマイトちゃんにも服を仕立てさせてもらったことがあるのよ」 「はい、知ってます! 着れなくなっても大切に、大切に取って置いてるんですよ。時折クローゼットから出してあててるの、ここだけの秘密ですよ?」 少女の口から語られるのは、本来ならば知ることのできなかった親友の近況。サシャは自分の知らぬ彼女のことを聞くという一抹の寂しさとともに、それを上回る嬉しさを抱いていた。 *-*-* ああ、夢から醒めるのだ――自覚があった。 睫毛を震わせて瞳を開けけると、サシャの顔が思ったより近くにあってシュマイトは驚きで身体を震わせた。 「んー……」 サシャの金色の長い睫毛が震える。そして目を開いた彼女は「おはよう」と微笑む。 「おはよう、サシャ」 手はしっかりと繋いだままだった。そしてサシャが近づいてきたのかと思ったら、自分の頭も枕から外れていてシュマイトは心のなかで笑った。 ふたりともゆっくりと身体を起こす。だがなんとなく手を離す切っ掛けが見つからなかった。自分達で決めた未来だとはいえ別れの夢を見てしまったからだろうか。今、手を離しては――なんとなく恐怖が残る。 「二人でいる未来はやはり、あの時点が限界か。原理的にはそれしかないが、やはりつらいな……」 「ワタシもだよ、シュマイトちゃん」 シュマイトが「つらい」と口に出したことに驚きつつも、サシャはそっと彼女の肩にもたれ掛かって。 「だが、写真がしまわれることなくずっと飾ってあった点に希望を見出したい」 シュマイトは自分を鼓舞するかのように、自分を支えるかのように夢を分析する。 総じて物別れの夢だった。けれど、物理的な別れは精神的な別れに直結しない。 (そういう当然の事実を、わたしは忘れてはならない) 「シュマイトちゃん……別れは悲しいけれど、ワタシにとっては望みのある夢だったよ。シュマイトちゃんのその後が聞けるなんて、お孫さんに会えるなんて……」 明るい声で告げるサシャ。しかしその声は少し震えていた。シュマイトはそっと彼女の頭の下から肩を外し、真っ直ぐと向き直る。 「どうしたの?」 まっすぐに見つめた。けれどもすぐには言葉が出てこず、口を開きかけてはつぐんでしまうシュマイトをサシャは首をかしげて見つめて。 「キミが……」 言葉を切る。シュマイトは頭を軽く振った。そしてもう一度改めて口を開く。 「キミがメイムで以前に見たという『花嫁になる夢』は実現したね。まだ言っていなかった」 どくん、その言葉を発しようとすると心臓が大きな音を上げた。だが、今までのように心の悲鳴は聞こえなかった。だから。 「おめでとう」 今まで、シュマイトはどうしても真っ直ぐに彼女を祝福することができなかった。けれども紆余曲折を経て、今ならば言える、そう思ったのだ。 「シュマイトちゃん……」 口元に手を当てて、サシャは泣きそうに顔を歪めた。そして、耐えられずに涙を零した。 祝福して欲しかった人からの祝福。心からの祝福はなんと心に響くのだろうか。 「……あり、がとう」 途切れ途切れに口にして、瞳を閉じて涙をこぼす。そんな彼女をシュマイトは、正面から抱きしめた。 「わたしは一度、世界を超える発明をしたのだ。再びはできないなどとどうして言える」 世界を超える発明の実験の結果覚醒したシュマイト。もう一度同じ発明ができないとは言い切れない。 「今見た夢は起こり得る未来の一部に過ぎず、わたしが再び世界を超える可能性と矛盾するものではない。だから」 言葉を切り、望みではなく決意として想いを固めて。シュマイトは口を開いた。 「わたしはもう一度、世界を超える。そしてサシャ、キミに会いに来よう」 それは約束ではない。約束は相手を縛りつけてしまうから、これは宣言、だ。 「その時わたしは今よりも老いているかもしれない。キミは今のままだろう。それでも――」 「どんなに姿が変わっても、シュマイトちゃんがワタシの親友であることに変わりはないよ」 「――サシャ」 ありがとう、告げて互いに抱きしめ合う。 今ここで眠ったら、大人になったシュマイトがサシャを訪れる夢が見れそうだった。 【了】
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