親しい人たちにさよならを告げるのは、この店を構えてからと決めていた。 ガラス張りの扉に、開店中であることを示す為コルク素材の小さなドアプレートをかける。 +:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+ 『ビスポークテーラー "サティ・ディル" あなただけの服をお仕立てします』 +:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+ サシャ・エルガシャは、画廊街の一角に、仕立屋をオープンした。 彼女は今日も服を仕立てている。愛する友人たちのために、感謝の気持ちを込めて。 † †「……服? コケの?」 森間野・ロイ・コケは、少し不思議そうに小首を傾げた。 今日、コケがこ店を訪れたのは、久しぶりにサシャに会いたかったのと、仕立屋を開いた彼女にひとこと、門出のお祝いを言いたかっただけなのだ。コケちゃんのために服を仕立てさせてほしいの、と言われてもあまりピンとこない。肌身離さず持ち歩いている《灰》を、ふと見つめる。「ごめんね、コケちゃん」 そっと手を握られ、コケは目を見張る。なぜサシャに謝られるのかが、わからない。「ワタシ、コケちゃんが辛い時に、なにもできなかった。友達なのに」 そんなこと、ない、と言いながら、コケはゆるゆると首を横に振る。 2年前の、あの素敵な夏。女の子6人で過ごした、きらきらしたサマータイム。 あのときコケは、百貨店ハローズで、皆に冷やかされながら、薔薇をかたどったキャンディと、摘みたてローズのスイートアロマキャンドルを買ったのだ。 似合わないかも、と、言いながら、それでも《彼》に渡すために。 可愛い家具と天蓋付きベッドのある部屋で、お菓子をつまみ紅茶を飲みながらのパジャマパーティー。くすぐったい打ち明け話と、はじける笑い声。 水しぶきの中に浮かぶ、真夏の虹のように幸せな記憶は、ずっとコケのこころを護り続けてくれていた。 《彼》が、ひとにぎりの《灰》になってしまった、今も。 おそらくは―― 理不尽さと矛盾に満ちた、理さえも醜く歪んだあの世界に――いや、世界ではない、世界をつくっているのは人間なのだから――その地に暮らすひとびとに、関わってきたひとびとに、目まぐるしい動向の変化と筋違いの理解と適応を押しつけてくるひとびとに、コケは翻弄されたのだ。 近づきたくて、親しくなりたくて、助けようとして、少しでも力になりたくて、何度も何度も懸命に伸ばした手は、ときには空を彷徨ったままで、ときには払いのけられた。 もはや誰かの死に意味さえ見いだせない。あの世界では、気まぐれに無意味にひとが殺される。死ぬべきではないひとが無惨に死ぬ。まるでゲームの駒のように。ひとは駒ではないのだと、声が枯れるほど泣き叫んで、何が悪かったのと問いたい感傷さえも許してくれない。 自分にもっと力があればいいのにと、何度思ったことだろう。「コケちゃんの気持ち、聞かせてほしいの。ワタシはそれで服を作る」「コケの、気持ち……?」「そう。コケちゃんがまた前を向いて歩けるように」 ――だから聞かせて、アナタの気持ちを。 どんな服を着て、どこで何をしたいのか。 これから、どうしたいのか。 「壱番世界には、天の星が地に落ちて花になった、っていう伝説がたくさんあるの。だから、コケちゃんは、星の化身なんだよ」 だってね。 たとえ世界が滅びても、いつか、瓦礫を割って、小さな緑が芽吹くじゃない? コケちゃんはきっと、誰よりも強いんだよ。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>サシャ・エルガシャ(chsz4170)森間野・ロイ・コケ(cryt6100)=========
花は自分の美しさを知らず されば奥ゆかし(武者小路実篤) † † 「コケの……、服」 手のなかの灰を見つめたまま、コケは黙り込む。 リリイやサシャのもとを訪れる旅人が求めるものは、ときには《変容》、ときには《適応》であるのだろう。今までと違う自分への第一歩であり、新しい世界、新しい人生に馴染むための服。すぐれた仕立屋の手による服は、そんなちからを持っている。 では、自分は。 この友人に、この仕立屋に、どんな服を依頼すればいいのだろう。 今の自分に、どんな未来図が描けるというのだろう。 伴侶と呼んだ男は、こんなすがたになったというのに。 ……もう、取り返しがつかないというのに。 コケの様子を見守っていたサシャは、ふと微笑を浮かべ、立ち上がる。 「ちょっと待ってて。お茶淹れるね」 いったん奥へ行き、戻ってきたとき。 その手には、銀のティーポットとティーカップがあった。 香り豊かなニルギリが、そっと注がれる。 旧き良き英国のヴィクトリア時代の、選りすぐりのメイドはこうであったろうと思わせる、洗練された所作で。 「どうぞ」 「ありがと」 コケは素直に、ティーカップを持ち上げ、口をつける。 「おいしい……」 「サティ・ディルの独自サービスだよ」 茶目っ気まじりに、サシャは笑う。 「仕立屋としては、まだリリイさんにかなわなくても、紅茶にかけてはワタシ、自信があるんだ」 「ほんとうに、美味しい……」 「昔、旦那様に聞いたことがあるんだけど、もともとヨーロッパでは、お茶を飲む習慣はなかったらしいの」 クライアントのこころをほぐすためのアイスブレイクとして、サシャは雑談を披露する。 「オランダ東インド会社が、東洋の珍しいお土産としてオランダ王室に献上したのがきっかけなんだって。で、英国王のチャールズ2世陛下が、オランダからキャサリン・ド・ブラガンザ様をお迎えしたとき、王妃様が輿入れ道具のひとつとして持ってきて、それが英国でお茶が飲まれた最初みたい。ええと、1662年だったっけ」 「サシャは、そのとき……?」 「ワタシのいた時代より二百年前の話だよ。ヴィクトリア時代は二百年後……そう考えると、二百年て、長いのか短いのかわからないね。あ、このティーセットはね、ロキ様のお友達のシオン様が、開店祝いにくれたものなの」 スターリングシルバーのヴィクトリアン・ティーセットは、シオンが直接英国に出向き、購入したらしい。クイーンアンスタイルと呼ばれるデザインで、当時の貴族の流行であったことはサシャも知っているが、現在ではアンティークとして高額の値がついているはずだ。 いったい壱番世界市場だと如何ほどの金額になるものか、高かったでしょうとシオンに聞いても「いやいや気持ちだから何も聞かずに受け取ってくれようんまあ給料三ヶ月分前借りしたくらいかな?」と言葉を濁して教えてくれなかった。 礼を述べるとシオンは照れ笑いし、 ――この先、たとえ忘れても、覚えてたほうがいいだろうと思ってさ。 矛盾したことを、言った。 サシャの淹れる紅茶が美味いのは、サシャが生きた時代に裏打ちされた財産だから、とも。 リリイがはなむけに仕立ててくれた衣装は、すでに今のサシャにしっくり馴染んでいる。 まるで今の仕事が、昔からの天職であったかのように。 それでも、きっと忘れないだろう。 これからも、多くの旅人にさまざまな服を仕立て、前に進む彼らを見送ったとしても。 紅茶を淹れるたびに、かつての自分の職が誇らしいものだったことだけは感じ取るだろう。 ゆっくりと紅茶を飲み干し、ふ、と、コケは息をつく。 なめらかな頬にうっすらと、薄紅いろが浮かんだ。 頃合いを見て、サシャは、白いままのスケッチブックを広げる。 ……まだ、デザインを決めかねている。 イメージがまとまらないわけではない。 どんな服がコケに似合うか、どうすればコケの魅力を最大限に引き出せるか、友人ゆえに、それはわかっている。 わかってはいるが、コケの話を聞いてから、と、思ったのだ。 「……聞かせて、コケちゃん」 そう、あのとき。 サシャはリリイに言った。 ――突然覚醒して、右も左もわからなくて、誰も頼れるひとがいなくって心細い……、そんな女の子が元気が出るような服を仕立てたいんです。 コケは覚醒して間近というわけではない。だが、伴侶を永遠に失い、道を決めかねている迷子の女の子ではあるだろう。 だから、服を、つくらなければ。 このやさしい友人に。 理不尽な仕打ちに何度傷ついても、決して他者に責任を押しつけたりしない、やさしくつよい友人に。 そのつよさを自覚せず、自身を責め続けている緑の少女に。 強靭なまなざしで、一歩を踏み出してもらうための、服を。 † † 「コケ、フェイが死んじゃったことや、最後まで苦しめてしまったこと、悔やんで、悔やんで」 自責の念に押しつぶされた声はかぼそい。 「たくさん悔やんだのに。今度こそ、今度こそと思ったのに」 「コケちゃん」 「そのあとも、上手く出来なくて……。悔しかった」 華奢な肩が震える。 「マスカローゼたちと話してわかった。いつでもコケは自分のことばかり」 コケは両手で顔を覆う。 「コケちゃんは悪くない。価値観はひとそれぞれだもの」 「……自分の価値観しか知らないのは、ものさしがそれしかないということ」 「コケちゃんが、間違っているとは、思わない」 サシャは言う。 ゆっくりと、言葉を区切りながら。 「ものさしの長さや種類が、ひとによって違うのはあたりまえだよ。仕立屋はお仕事上、いろんなものさしを揃えているけどね。ターミナルには、本当にたくさんの世界からひとが集まっているから」 「うん」 コケは頷く。 「沢山の人と触れ合って、その中でフェイのように深く知りたいと思える人が出来たなら、そのものさしを沢山作るべきだった。フェイのための、フェイのことを考えた、フェイの立場に立ったものさし。……なのにコケ、自分のものさしでフェイを幸せにしようとしていた」 ……それでは、だめだった。 ごめんね。 ごめんね、フェイ。 コケ、それに気がついたの、貴方が灰になってからだった。 消え入りそうに儚げに、それでも懸命に泣くまいとしているコケに、サシャは微笑む。 「コケちゃんは心から伴侶さんを愛していた。選択肢を間違えたんだとしても、アナタと触れ合って、伴侶さんは優しい表情を見せたはずだよ。それがぜんぶ嘘偽りなわけないよ」 「でも、無理してた」 「ううん。ひとはそんなに器用に自分を騙し通せる生き物じゃない」 仕立屋は愛用の色鉛筆を手にする。 もう少し、もう少しだ。 「コケちゃんの言うとおり、ものさしは、一種類だけじゃない。仕立屋のものさしがいくつもあるのは、そのひとに合ったものさしを使うからなの」 ねえ、コケちゃん。 花を美しいと思うのは、ひとの勝手なんだよ。 自分のために、自分を癒すために咲いてくれるとさえ、思っている。 たしかに壱番世界の花は、他者の目を惹きつけるために咲く。 けれどそれは、鳥や昆虫のためであって、ひとのためなんかじゃない。 「コケちゃんは、自分のために咲けばいいんだよ。……聞かせてくれたよね。インヤンガイで孤児院を開きたいって」 「ん……、でも。それって」 コケはうつむいたままだ。 「フェイに似た、たったひとりの子どもを見つけて、愛し直したいだけかも、しれない」 「それでいいじゃない。何が悪いの?」 「コケの、自己満足……、偽善、だから」 「自己満足だっていいじゃない。償い? 贖罪? いいじゃない、それで。たったひとりの子供をきちんと愛せないひとが、どうやって大勢の子供を愛するの?」 「……サシャ」 「幸せは個人の主観で決まる。でも、家族がいないのは寂しいことだよ。ひとりぼっちで泣いてるとき、抱き締めてくれるひとも添い寝してくれるひともいないのって、子どもにとっては絶対絶対、寂しくて不幸せなことなんだよ」 ワタシも孤児だったから……、と、サシャは涙ぐむ。 誰かの為に、誰かの分まで、誰かの代わりに。 それを偽善だっていうひともいるけれど。 「偽善だって自己満足だって、救われるひとがいる限り、貫き通せば善になるよ。コケちゃんの夢を応援する。灰から芽吹く花もあるんだよ」 † † コケはずっと無言だった。 何度も何度も手のなかの灰を見つめては、顔を上げ、またうつむく。 サシャは待つ。 もう何も言わずに、そのときを。 やがて、少女は顔を上げる。 もう、うつむかずに、ひたとサシャを見つめる。 「コケの愛し方は間違っていたかもしれない。けれど、本当に好きだった。……ううん、今でも好き」 フェイがコケを愛してたかどうか不安になったこともあった。 けど、コケが好きだということはずっと変わらなくて……、それが、大切なことだった。 「今のままのコケじゃ足りないかもしれないけれど、コケ、これからフェイのような子のそばに居てあげられるひとになる」 「コケちゃん」 「その子が寂しさを感じないように、そして、幸せを……、コケがあげるんじゃなくて、その子が自分で見つけられるよう手伝いたい」 いっぱい落ち込んでごめん、と、コケは言う。 その瞳に、光が差す。 「コケ、がんばる」 諦めずに貫き通す、と、力強く放たれる言葉。 サシャは色鉛筆を持ち直し―― デザイン画を、一気に仕上げた。 † † 仕立てられた服の色はアッシュグリーン。 フェイの灰と、コケの緑が混じり合った絆の色。 着心地の良さと実用性を重視して、デザインはあえてシンプルに。 それは、木綿のエプロンドレス。 弓なりに曲がった襟に施されたのはヤブコウジの刺繍。 花言葉は――明日の幸福。 † † 「サシャ……。ありがとう。……ありがとう、夢、認めてくれて嬉しい」 コケは、エプロンドレスを翻す。 「服、ずっと大切に大切にする。これと一緒にがんばって進んでくから……、サシャに、見守っていてほしい」 緑の髪に、久しぶりに――本当に久しぶりに、 ぽん、と。 小さな花が、咲いた。 ――Fin.
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