オープニング

 親しい人たちにさよならを告げるのは、この店を構えてからと決めていた。
 ガラス張りの扉に、開店中であることを示す為コルク素材の小さなドアプレートをかける。

『ビスポークテーラー "サティ・ディル" あなただけの服をお仕立てします』


 *-*-*


 ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノはゆっくりと画廊街を歩いていた。スタイリッシュな中に可愛らしさを感じる招待状を手に、その場所を目指す。その表情は、明るい。
 少し前までダイアナ・ベイフルックにとどめをさした件で混乱し、悲しみを交えたその混乱の中から抜け出せなくなっていたジュリエッタ。最近ようやくその迷う心に決着をつけたジュリエッタは、笑顔で彼女に会うのも久しぶりだ。
 彼女からは以前ロストメモリーになることを打ち明けられていたが、混乱と悲しみの淵にあったジュリエッタはそのことについて満足に触れ、彼女に言葉と思いを返すことができていなかった。
(今からでも間に合うじゃろうか)
 結っていた髪を下ろし、どこか大人っぽい雰囲気になった彼女は、少しばかり後悔している。親友であり、ロストナンバーとして初めて知り合ったという特別な彼女の決意にしっかり向き合っていなかったことを。


 *-*-*


「サシャ殿」
 ドアベルの音にかき消されないように彼女の名を読んだ。
「サティ・ディルへようこそ。お待ちしておりました、ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノ様」
 ドアの向こうで待ち構えていた彼女、サシャ・エルガシャの『仕立屋』としての顔を初めてみたジュリエッタは一瞬身構えて。
 けれども次に出てきたのはこぼれんばかりの笑顔。
「サシャ殿、招待ありがとうなのじゃ」
 ジュリエッタの太陽のような笑みを受けて、サシャは心の何処でほっと息をついた。
(いつもの、元気なジュリエッタちゃんだ)
「来てくれてありがとう、ジュリエッタちゃん」
 サシャも笑顔を返して、そして彼女を店内のテーブルへと導いた。
 仕立て屋を立ち上げ、決意を持って恋人と共にロストメモリーになると決めたサシャ。その儀式に参加するまで後少し。その旅立ちまでに大切な友人の一人であるジュリエッタに服を仕立てたかったのだ。
「ふむ、飾らない、だけどどこかぬくもりの感じられる素敵な店じゃ。きっとサシャ殿の人柄が出ておるのじゃろうのう……お互い齢を重ねておるわけではないのにどこか大人っぽくなった気がするのう」
「そうだね。ジュリエッタちゃんと初めて出会った時、ワタシ塀を登って落ちたんだよね」
「そうじゃったのう」
 テーブルを挟んで向かいの席に座る。すでに二人の前にはさわやかな香りを漂わせるオレンジティーと、ドライフルーツを使ったクッキーを乗せた皿が。トッピングは明るい笑い声。
 あの頃に思いを馳せる。あの頃とはお互い変わった。大切なものも出来たし、つらい経験もした。そうして成長してきたのだ。
「――」
「――、――」
 思いを馳せると同時に落ちた沈黙。これから決定的に何かが変わってしまうことは、二人共よくわかっている。だがそれでも絶対に変わらないものがあることもわかっていた。
「ジュリエッタちゃんのための服を仕立てさせて欲しいの」
 紙束を机の上に広げた親友は夢へと向かっている。その姿が眩しく見える。
「喜んでお願いするのじゃ」
 彼女には聞いてもらいたいことがたくさんあるのだ。
 好きな人ができたこと、その人との関係は複雑で、前途多難でもあるということ。自分の夢、再帰属について――今はまだ話せないかもしれないけれども、今度服ができた時には、きっと……。



 *-*-*


 これはロストメモリーを生み出す儀式の行われる、少し前のお話。


=========
!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。


<参加予定者>
ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノ(cppx6659)
サシャ・エルガシャ(chsz4170)
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品目企画シナリオ 管理番号2973
クリエイター天音みゆ(weys1093)
クリエイターコメントこの度はオファーありがとうございました。
再び携わらせていただけることに感謝を。

親友同士であるお二人には色々と思うこともありましょう。
語りながら、サシャ様に作っていただきたいお洋服の形を創りあげていただければと思います。


◆プレイングを書くにあたって
お話を聞いて服のデザインを決め、縫製し、出来上がったものをお渡しし、ご納得いただくまでが仕立て屋さんのお仕事です。
なお、お仕立てするのは一着のみ(スーツタイプもOK)とさせていただきます。

ジュリエッタ様
サシャ様にどんな服を仕立ててもらいたいですか?
仕立てるにあたり、何を伝えたいですか?


サシャ様
ジュリエッタ様に仕立てる服に、どんな思いを込めたいですか?

お教えください。

それでは、プレイングお待ちしております。

参加者
サシャ・エルガシャ(chsz4170)ロストメモリー 女 20歳 メイド/仕立て屋
ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノ(cppx6659)コンダクター 女 16歳 女子大生

ノベル

 ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノと小一時間ほど歓談して彼女を送り出したサシャ・エルガシャは、CLOSEの札を下げた店先で小さく息をついた。
 久々の親友との歓談に疲れたわけではない。元気を取り戻した彼女と過ごす時間がサシャを疲れさせるわけはないのだ。むしろもっと話していたい、叶うことなら一晩中でもという思いもあった。
 紅茶を美味しく淹れられなかったわけでも、お茶請けの選択を間違えたわけでもない。
 ジュリエッタから服のデザインの参考になる話が聞けなかったわけではない。むしろ彼女の話の端々から感じられる想い人への想いの欠片がサシャをワクワクさせた。ジュリエッタは相手の名前をはっきり言ったわけでも、相手のことを詳しく語ったわけでもない。けれども恋する乙女特有の、常に浮遊しているような雰囲気が見て取れて。これまでのような、実家再興のために有能なお婿さんを探していたジュリエッタとはまた違う雰囲気を彼女は纏っていた。言葉で表すとすれば、『実家再興』という動機付けの要らない本気の恋に落ちたのだろう。
「どうしようかな……」
 扉を開けて店内へと歩み入って、おもてなしに使用した茶器のたぐいを木目に温かみのある木を使ったワゴンに乗せて、キッチンへと運ぶ。
 ふぅ、ともう一度息をついて、洗い物をしながらサシャは先程までのジュリエッタを思い浮かべた。
 問題があるとすればただひとつ。
 サシャはジュリエッタと今と昔入り乱れた話をしながら、一着の服のデザインを思い浮かべた。もちろん、彼女にぴったりだと思ったし、自信もあった。
 だが、ジュリエッタにも是非サシャに作って欲しいと思う服がある。しかもそれは細かな部分まで希望があり、どんなシーンで着るかもすでに決めてあった。
 二着に共通するのは、『民族衣装』であるという点。
「うーん、どうしたらうまくいくかな」
 洗い終わった食器の水滴を布巾で拭き取りつつ、サシャは呟いた。手早く一客分を棚にしまい、もう一客分は再びワゴンに載せる。ティーポットに茶葉を入れてお湯を注ぎ、蓋をしてティーコジーをかぶせる手際はさすがといったところか。カップとティーポット、それに小皿に広げたラスクを乗せたワゴンを押してテーブルへと戻った。このラスク、商店街のパン屋で売られているものだが、フランスパンをうすーく切ったものを使っており、まぶされた砂糖が溶けて表面がコーティングされているよう。それでいて薄いものだから噛めばさくっと音を立てて軽く食べられる。ちょっとお行儀が悪いかもしれないが、頭を使う仕事に糖分補給は大事。素手でつまんでいただく。
 どちらかの形を採用してどちらかの特徴をそこにさり気なく込めるか……いや、形も違えば意図された用途も違う。その上サシャの方はすでに元になる民族衣装をアレンジ済みのものを考えている。ジュリエッタは決まった民族衣装がほしいと言っているのだ。入れて欲しいデザインも聞いてある。この二つを無理矢理合体させてはジュリエッタの欲しているものにも、サシャの作ってあげたいものにもならない気がした。
 こういう場合、通常は依頼人の希望のイメージを優先させるものであるが、今回の場合は特別だ。勿論、ジュリエッタの望む服ならばどんな服でも喜んで仕立てたいと思う。しかし、今回はどうしても自分のイメージした服を着てもらいたいという気持ちも強かった。
 これがジュリエッタに全く関係ない民族衣装なら、そちらをもう片方に吸収させてアレンジをするといった思い切った判断もできる。だがそうではないからこそ、どちらも大切にしたいという思いがきっと、ジュリエッタにもあるはずだからと思えばこそ、サシャもためらっているのだった。
「いっそのこと、スカートと袖の生地をあれに……ううん、だめ。それじゃあ重くて活動的なジュリエッタちゃんには窮屈だわ。せっかくの、あの民族衣装特有の柄の精緻さもひだに隠れてしまうだろうし……」
 思いついた案をデザイン画の端に書いてはバッテンをつけて。ジュリエッタが持ってきた参考写真を手に取る。
 二つの民族衣装が上手く相容れないのは、二つの民族が相容れないのとは違う。
 生まれた国が違っても、生まれた時代が違っても、人は共に歩いていける。それはサシャが一番良く実感していたし、ジュリエッタが一番わかっているはずだった。そして、生まれた世界が違うとしても、きっと――。
 依頼された服だけでなく、自分が彼女にぴったりだと思った服をどうしても着てほしいと思うのはサシャの我儘だろうか。
(仕立屋失格かな……)
 気持ちの押し付けになってしまうだろうか。『商品』を押し付けるような『商売』は商売人として間違っているかもしれない。
 けれども誰かの為を思って服を仕立てるのは間違いだろうか――いや、間違ってはいないはずだ。
「私は仕立屋。けれどもそれと同時にジュリエッタちゃんの親友」
 親友が親友のためにプレゼントを送るのに何の躊躇いがいるだろうか。相手のことを思って何かを作るのに、何の躊躇いがいるだろうか。
 自分自身に言い聞かせ、サシャは決意する。ジュリエッタの希望と自分の希望、どちらも叶えることに。
 恐らく忙しくなるだろう。通常の仕事に加えて二着仕立てるのだ。睡眠時間を削らねばならない。恋人に心配を掛けるかもしれない。それでも、やり遂げたいと思う。
「よしっ!」
 ぐっと拳を握って気合を入れて、冷めてしまった紅茶を口に含んだ。ラスクを一枚かじると、反故にした一番上のデザイン画を丸めてゴミ箱へ。スラスラとペンが描き出すのはジュリエッタの希望した民族衣装のシルエット。
「それにしてもこの模様……どこかで見たことあるようなきがするのだけれど」
 エプロンの刺繍の柄に取り入れてほしいとジュリエッタが描いて持ってきた模様は主に直線で構成されている。網目のように細く線が入っている部分があるかと思えばそれを区切るように幅の違った縦線が入っていて。柄の密集した部分とそうでない部分の差がまた印象的な模様を作り出していた。
「どこでだったかな?」
 首を傾げながらもサシャはペンを動かす手を止めなかった。
 二着分のデザイン画を納得するものにまで仕上げるのはそれ相応の時間がかかった。デザイン画を家に持ち帰ってまで作業もした。
 あくびを噛み殺して店に立つ日が続いたけれど、不思議と辛いとは思わなかった。
 むしろデザイン画が実際の服になっていくごとに気分は高揚していき、これを着たジュリエッタがどんな顔をするかと考えていたら、いつの間にか時間が経ってしまっていた。そんな時は以前別の友人からもらった置き時計のウェストミンスター式チャイムがサシャに休憩を促してくれる。
「ん~一旦休憩っ!」
 両手を上げて背伸びをして、軽くストレッチをする。休憩のも重要な仕事の一つだ。


 *


 仮縫いのためにサティ・ディルを訪れたジュリエッタはお土産にとベーグルサンドを持ってきてくれた。ドライトマトを練り込んで焼いたベーグルを半分に切って、レタスやスライスしたトマトとオリーブにチーズとローストした鶏肉を挟んだ、ボリュームはあるがヘルシーな一品。
「ありがとう、後でいただくね!」
「わたくしもさっき店頭でいただいてきたのだが、美味じゃったぞ」
「ふふ、楽しみ」
 ジュリエッタをフィッティングルームへと案内して、サシャはトルソーに着せた民族衣装を持ってくる。それは三色のシーチング生地で作られた、いうなればエプロンドレスだった。
 白い生地はブラウス、水色の生地はスカートと付け外し可能な袖、薄黄色はエプロンの部分を表している。
「細かいサイズの調整をしたいの。まだ本番用の生地じゃないから、色とか細かいデザインは変わるからね」
 言いながら、サシャは次々とジュリエッタに着せてはまち針で細かいサイズの調整をしていく。
「ふむ、完成が楽しみじゃのう」
「でも」
「ん?」
 しゃがみこんで裾の調整をしながら声を上げたサシャを見て、ジュリエッタは先を促す。
「ヴェネツィア風じゃなくてよかったの?」
 ジュリエッタが頼んだ民族衣装とは、同じイタリアでもカラブリア地方のものだった。彼女と縁の深いヴェネツィアのものでなくてはいいのか、少しだけサシャは気になっていた。
「ああ、本当はヴェネツィア風にしたいところじゃが、裾が長すぎて転びそうじゃから」
 しかしジュリエッタに理由を聞いてみれば、それはなんとも彼女らしい理由で。「ジュリエッタちゃんらしい理由だね」と思わず吹き出してしまう。
「この衣装は袖が取り外し可能で実用的な所が気に入っておるのじゃ」
「実用的……そっか。ジュリエッタちゃんはこの服を実用的な事をする時に着たいんだね」
「そうじゃな。詳しくは、服が完成した時に話そうと思う。それまでにわたくしも頭の中と心の中を整理してくるつもりじゃ」
 わかった、完成までもう数日待ってねと告げる。今話せないことは無理に聞き出そうとは思わない。だっていずれ話してくれるって言ってるんだもの。信じないでどうするの。


 *


 更に数日後、ジュリエッタがサティ・ディルを訪れると、OPENの札が降りているというのに扉を開けても親友の元気な声が聞こえてこなかった。不思議に思ってそっと足を踏み入れるとその理由がわかった。
 サシャは金の髪を机の上に広げて、眠りに落ちていた。夜更かしが続いたのか、目の下にはうっすらとくまができている。
「わたくしのために無理をさせたのではあるまいな……?」
 ジュリエッタは店内を見回して、そして少しばかり店奥にも入らせてもらってブランケットを見つけると、サシャの肩にそっと掛けた。そして音を立てないように店の扉を開けて外に出て、OPENの札をCLOSEへと変える。少しでも彼女に休息をとって欲しかったから。
 彼女の向かいの椅子に腰を掛けて、そっと彼女の寝顔を見る。疲れてはいるようだがどこか満足した様子のその横顔に、ほっと息が漏れた。


「ご注文の品、出来上がってるよ」
 目覚めた彼女が、布の掛けられたトルソーを運んできた。次いで布の掛けられたワゴンが二台。
「準備はいい?」
 ジュリエッタが頷くと、目の前の白い布が引かれてそこから姿を現したのは色鮮やかなエプロンドレス。
 エプロンは白いシンプルなもの。形はヨーロッパの民族衣装に使われるブラウスの基本形を踏襲している。
 スカートとサスペンダーは濃い目の黄色で、裾の方に紅いラインがアクセントとして三本入っていた。
 エプロンは深海のように濃い青色で、銀糸でジュリエッタが頼んだ模様の刺繍が手縫いされていた。
 付け外し出来る袖は水色で、袖ぐりに金色の縁取りがされている。
 どれもが薄く軽い絹で出来ているため、光沢がある。店内の明かりに煌めくさまは、太陽の下で輝いても遜色ないように見えた。
「おお……素晴らしいのじゃ」
「こっちも見て」
 サシャが続いて示したのはワゴンの片方。布が取られると、そこには袖の部分が何本も置かれていた。ピンクやクリーム色、黄緑に紫、薄いオレンジ。
「実用的にって言ってたから、汚れたら交換できる方がいいかなと思ったの。あと、気分で付け替えを楽しめれば楽しいでしょ?」
「サシャ殿、最高じゃ!」
 パンパンと興奮気味に手を叩くジュリエッタ。サシャは彼女の喜びようによかった、と胸を撫で下ろす。そしてゆっくりと口を開いた。
「好きな人が出来たって聞いたよ」
「……ああ、サシャ殿には話しておこう。真に好きな人ができたのじゃ」
 まっすぐな視線をサシャに向け、ジュリエッタは言葉を真綿でくるむようにして続きを紡ぐ。
「ダイアナ殿の件で鬱屈していた心の内を溶かし包んでくれた彼――世界司書の火城殿に、わたくしは恋をしておる」
「!」
 そこでサシャの中で何かが繋がった。ジュリエッタがスカートの刺繍に取り入れてほしいと言っていたあの模様、あれは確か火城が首に巻いているストールの柄にそっくりであった。
「しかし彼と共に有る為には0世界に帰属せねばならぬ。故郷や両親の思い出は封印され、多分わたくしは今の自分とは少し違う者となるかもしれぬ」
 ジュリエッタの声は少し震えていた。けれども彼女が心に決めた思いは揺らがないから。
「そうまで共にありたいと願う『恋愛』というものをまだ理解できぬと言われたのじゃが……理解したいとは言ってくれた、それだけで十分じゃ。何よりまだわたくし達は知り合ったばかりなのじゃから」
「前途多難だけど、諦めず追いかけ続ければいつかきっと恋は叶うよ。ロストナンバーにはたっぷり時間があるのだから。十年でも二十年でも百年でも」
 そっとその震えを抑えるように優しい声で抱きしめてくれたサシャに、ジュリエッタは微笑んで頷いてみせる。
「サシャ殿が200年掛けて伴侶殿と巡りあえたように、わたくしも急がぬ」
「うん。アナタさえ諦めなければチャンスは無限にある。これって凄い贈り物だよ」
 だから頑張って、肩に手を置いてサシャは励ます。ジュリエッタは再び頷いて、そして視線を服へと戻した。
「この衣装はいつか自身でこの世界にイタリア料理の店を持った際のオーナー服として着たいのじゃ」
「ワタシの服が、ジュリエッタちゃんの一部になるんだね。感激だよ」
 いつか、ジュリエッタの店を訪れる日が来るのかもしれない、そう考えるとサシャの胸は弾む。
「そっちのワゴンは何じゃ?」
 もう一つ、布のかかったままのワゴンが気になったのだろう、ジュリエッタの問いにサシャは深呼吸をしてから答える。
「仕立屋のワタシはジュリエッタちゃんからの依頼の服を仕立てた。けれども親友としてのワタシはどうしてももう一着、ジュリエッタちゃんに着てもらいたい服があって」
 押し付けるわけじゃないけれど、着てみてくれると嬉しいな――努めて明るくそう告げると、彼女は太陽のように笑って快諾してくれた。二人連れ立ってフィッティングルームへと移動する。
「これは……着物か?」
 布の下に隠されていたものを見て、ジュリエッタが声を上げた。そうだよ、応えて手際よく着つけていくサシャ。
「初めて出会った頃、金色のかかった茶髪碧眼の見た目と古風な口調のギャップにびっくりしたのを覚えているよ。おしとやかで逞しい大和撫子。一回フラれたくらいでへこたれない」
 ぽん、と帯を叩いてできあがり、と告げる。姿見に映しだされたその姿、やっぱりとても似合ってる。
 サシャがどうしても贈りたかったのは、洋風アレンジの着物だった。丈はアクティブに膝下まで切り詰めて。でも淑やかさは忘れずに裾にはフリルをあしらって。
 柄は少し迷った。最終的には黒地に白い縦縞のストライプ模様であえてシックに引き締めて。
 その代わり、帯は大胆に冒険した。太陽によく似た橙色のマリーゴールドを刺繍した帯。
「和洋折衷、ハイカラでしょ。カジュアルに着こなせるから。カリス様のお城に迷い込んだお転婆さんにぴったり」
「素敵な着物じゃ……真にわたくしの事を思って作ってくれたことがわかる。ありがとう、サシャ殿」
 鏡の中の自分を上から下まで眺めて、振り返ろうとしたジュリエッタの瞳は鏡ごしに自分を見つめるサシャの瞳に引き止められた。
「ワタシからお願いがあるの」
 鏡の中サシャの真剣な表情に、ジュリエッタの肩にも力が入る。返答を待たずにサシャは続けた。
「せめておじい様が他界するまではそばにいてあげて。おじい様にとってジュリエッタちゃんは唯一の家族。貴方がいなくなれば天涯孤独になってしまう」
 サシャの口から思わぬお願いが出てきたので、ジュリエッタは目を見開いて。
「サシャ殿……」
「孫娘を愛し、心の底から心配してるおじい様を一人にしないでほしい。おじいさまの寿命が尽きるのが十年後か二十年後かわからないけれど……おじい様を看取ってから自分の道を決めても遅くないでしょ?」
 彼女の瞳の中が揺れているのは鏡越しでも分かった。その理由も、すぐに分かる。
「旦那様から逃げた、ワタシと同じ後悔を背負い込まないでほしいの」
「サシャ殿……!」
 振り返ったジュリエッタは力強くサシャを抱きしめた。自分のことをそこまで思ってくれるなんて。ありがとう、ありがとう、囁くように零す。
「サシャ殿、大丈夫じゃ。わたくしも元よりそのつもり。お祖父様を悲しませとうない。お祖父様が存命のうちは孫として生きるつもりじゃ」
「よかった……」
 成長しないまま日本に居続けるのは難しいかもしれないが、そのへんの対処はジュリエッタも考えてあるという。サシャは安心して息をついて。
「マリーゴールドの花言葉は『生命の輝き』と『変わらぬ愛』だよ。アナタの明るさは人の心を照らす。自信を持って、ジュリエッタちゃん」
 ぽんぽんと優しく彼女の背中を叩く。抱擁をゆるめてサシャの顔を見たジュリエッタは、温かい表情をしていた。
 サシャの背中に回していた腕を解いたジュリエッタは、そっと彼女の手を包み込むように握って。
「これから違う刻が流れようとも、サシャ殿。人生の先輩として、親友として。これからも共に友情を育んでゆこうぞ」
「こちらこそ」
 サシャもジュリエッタの手を挟みこむようにして。そして笑顔を浮かべる。


 *


 これは、時を経ても色褪せない友情の、お話。



 【了】

クリエイターコメントこのたびはオファーありがとうございました。
長らくおまたせしてしまい、申し訳ありませんでした。

本文を読んでいただけるとわかるかと思いますが、本来は仕立てるのは一着としておりましたが、今回は二着登場しております。
お二人の、指定されたお洋服への思い入れが強く感じられましてね……どちらかの要素をもう片方に取り入れてともかんがえたのですが、それではお二人の意図を逸脱してしまうのではと悩みに悩んだのです。
最初のサシャ様が悩んでいるのは、私が悩んでいた感じに近いです(笑)
どちらも用途や目的、意図としているものが違うので、下手に合わせられないと最終的には判断しまして、仕立屋としてのサシャ様からの贈り物と、親友としてのサシャ様がどうしてもジュリエッタ様に着てほしいもの、という形にさせていただきました。
 スカートや袖にに着物の生地を使うというのも考えたのですが、ご指定いただいていた色柄がしっかりと着物とのセットになっていましたので、下手に崩すべきではないと判断いたしました。
二着作成する分、サシャ様には苦労していただきました。
職務意識の高いサシャ様は仕事中に居眠りなどなさらないだろうなとも考えたのですが、さすがに連日の無理がたたってついうとうとと……ということでございます。
来るのがジュリエッタ様だから、というのも安心して眠ってしまった一因ではないかと私は思っています。

最終的には字数がオーバーいたしまして、寝起きのサシャ様の顔に紙束の跡がついていて、慌てるサシャ様やつい笑ってしまったジュリエッタ様などはカットとなりましたが……。

この度は書かせていただき、ありがとうございました。
遅くなってしまい、大変申し訳ありませんでした。
公開日時2013-11-21(木) 21:30

 

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