オープニング

 ――ターミナル・某日。

 珍しく夜が設定されたある日。『とろとろ』ではないとある場所でエルフっぽい世界司書と貴方がたは会っていた。
「いろいろあってな。たまにゃ酒が飲みたくなったんだ。でも一人で飲むと業務に差し障りが出るほど飲んでしまいそうでな。それで誰かと飲みたくなったって寸法だ」
 グラウゼは苦笑して言う。が、どことなく影のあるそれに、貴方がたは内心で首を傾げる。
「料理はもう用意してある。これでも食べながら呑もうじゃねぇか」
 彼の後ろにはテーブルがセッティングされており、料理が並んでいる。どれもこれも美味しそうでいい匂いであった。
 ふと、一人が顔を上げる。と、そこには淡い緑色の羽織を肩に引っ掛けた女性がいた。いつぞやの炊き出しを手伝ってくれた肥前屋 巴である。
「君も来てくれたのか、肥前屋さん」
「まぁな。アタシだって飲みたい夜ぐらいあるさ」
 そう言いながら彼女は懐に手を入れ、何かをテーブルに置いた。それは薔薇の透かし彫りが美しい、小さな水晶の杯だった。酒は一口分しか入らないだろう。けれども、魔術を嗜む者ならば強力な魔力が秘められている事に気付くかもしれない。
「これは、アンダーザローズというモノでね」
 黒髪の女性はその杯をグラウゼに渡しつつ静かに言葉を続ける。
「アンタが秘密にしたい事……特に悔いや憂い、憎しみを念じる事で一口分の酒になる、そんな一品なのさ」
「なぜその様な物を俺達に見せたんだ?」
 グラウゼが不思議に思って問うと、肥前屋はくすり、と笑った。
「なぜだろうね? 強いて言うならばアンタの目に虚が見えたからとでも言っておくよ」
 その言葉に、グラウゼは黙って肥前屋を見る。しかし、彼女は目を光らせて世界司書をみやった。
「誰だって生きてりゃどうにもならない事などに触れ、悔いなどが残る。心に虚を持たない人など、ほんのひと握りにしか過ぎないんじゃないか?」
 それだけ言うと、肥前屋はもう一度くすり、とわらった。
「吐いちまいねぇ、旦那。……アンタらもなにかしらあるんだろ? アタシもさ。だから、皆で吐き合って……互いに秘密にしておこうじゃないかぃ?」
 肥前屋はそう言って、どこからともなく煙管を取り出し、くるくると弄んだ。

 ――これは、ちょっとした『秘め事』だねぇ。

。*。*。*。*。*。*。*。*。*。*。*。
【注意】
(1)このシナリオはロストレイル13号出発前の出来事として扱います(搭乗者の方も参加できます)。

(2)このシナリオで語られた話は、ノベルにはハッキリと書かれますがこのシナリオに参加した人だけが知り得た情報としてお使いください。

(3)場合によっては杯を手にする事もできます。欲しい方はプレイングに『入手希望』とお書きください。複数いる場合は抽選となります。

品目シナリオ 管理番号3045
クリエイター菊華 伴(wymv2309)
クリエイターコメント菊華です。
今回はグラウゼと肥前屋と共に『悲しい思い』やら『悔しかった事』を吐き出してスッキリしようという物です。

 もうロストレイルが終了まであと少しなんですけど、設定固めたいって方にもオススメです。因みにグラウゼと知り合いか否か関係なくどなたでもどうぞ!

 肥前屋 巴に関してはシナリオ『【出張版とろとろ】一杯のぬくもりを』をご覧下さい。

推奨
・悩みやら悲しい話が中心のダウナー系な話でも大丈夫な人。
・自分の悩み事、憂いを吐き出してスッキリさせたい方。
・外見年齢がなるだけ20歳以上の人。

説明補足
『アンダーザローズ』
薔薇の透かし彫りが美しい杯。悲しみや後悔、心の虚を念じる事で酒に変えます(その効果として少し心の中がすっきりします。杯の酒を飲んだとしても吐き出した物が心に戻ることはありません)。
 感情が強ければ強いほど、慰めるように甘く優しい味わいの酒になります(アルコール度数は高めになりますが)。

プレイング期間は10日間です。
それでは、よろしくお願いします。

参加者
カグイ ホノカ(cnyf6638)ツーリスト 女 27歳 元クノイチ
星川 征秀(cfpv1452)ツーリスト 男 22歳 戦士/探偵
ヴァージニア・劉(csfr8065)ツーリスト 男 25歳 ギャング
坂上 健(czzp3547)コンダクター 男 18歳 覚醒時:武器ヲタク高校生、現在:警察官

ノベル

起:秘めし宴の、その前に

「すみません、少しよろしいでしょうか?」
 宴が始まろうとした際、席に着かなかった赤髪の女性、カグイ ホノカが口を開いた。グラウゼ・シオンが顔を上げると、彼女は手帳を閉ざし、頭を下げる。
「どうしたんだ、ホノカさん?」
「申し訳ありません、急用を思い出しました」
「……これまた急だねぇ?」
 何かに気づいたのだろう。淡い緑の羽織を揺らし、肥前屋 巴も歩み寄る。その目は笑っているようで……確かにホノカを探っているようだった。それを受け流し、ホノカは言う。
「叶う事なら司書様やナラゴニアの方と一献酌み交わしたかったのですが、どうしても外せない用事ですので……」
 失礼します、と背を向けるその最中。ちらり、とホノカが見たのは、胸元に蜘蛛の刺青を入れた青年、ヴァージニア・劉だった。
(引き止める義理はねぇな。止めた所でまた毒が帰ってくるがオチだぜ)
 彼は過去にホノカと依頼で出会っており、その時の事を思い出して肩を竦める。その様子に星川 征秀と坂上 健は僅かに首をかしげた。
「仕方ないねぇ、あのお嬢さんも。意外と子供っぽいとはね?」
 ホノカが立ち去る姿を見つつ、肥前屋が小さな声で呟いたがそれを聞き取れた者はいない。グラウゼは小さくため息をつくとパンッ、と手を叩いた。
「まぁ、乾杯する前だった訳だし……仕切り直しといこうか」
 その言葉に征秀達は頷き、健が早速とばかりに近くにあった酒の蓋を開ける。
「先に言っとくが俺は今22歳だ!」
「……あ、ああ……」
 急に年齢を宣言されても、と首を傾げる征秀に健はなおも言葉を続ける。グラウゼが何かを察してグラスをテーブルに置くと、彼は片手で礼を言ってグラスの1つを手に取る。
「20になってから飲酒はガンガン経験してるし、日本人男性は平均的には18歳でほぼ背止まりして後は横に太るのと加齢とで縮んでくだけなんだぞ!?」
「いきなり何言ってんだよ。それと何が言いたい……」
 劉がずれたメガネを正しつつ問いかけると、健は全員分のグラスに酒を注ぐとテーブルに瓶を強めに置き、堂々と宣言する!
「成長云々言うなら飲酒は18歳から可能にするべきだと俺は思う!」
「言いたい事はよくわかった」
 肥前屋がうんうん、と頷きながら煙管をくるくる弄ぶと……徐に彼の顎につきつけた。
「……威勢のいいのは認める。だが、酒の飲みすぎにゃあ気をつける事だ、若造」
「ハイ、気ヲ付ケマス」
 その緑色の瞳が妙に鋭く、思わずカタコトな言葉で両手を上げる健。その様子にグラウゼが思わず笑いを漏らした。

 挨拶もそこそこに、劉達は並んだ料理を食べながら最近の話題やら、自分たちの行った依頼についてやら話していた。
「顔も好みですが話しっぷりの気風の良さと商売も人情もきちんと計算できる辺りが大変ツボです、姐さん!」
 健が肥前屋にそういって彼女を笑わせたり、グラウゼに「妹に食べさせてあげたい」と料理のレシピを聴いたりすれば、劉と征秀も其々のペースで食事をし、酒を飲む。そうしながらも、劉はちらり、と立ち去ったホノカの事を思った。
(何か、言うべきだったか? いや、あの場で毒舌の応酬をやりあうつもりはねぇ。酒が不味くなる。アイツもその事を考えて……)
 ふん、と鼻を鳴らせば、チラリと見えたホノカの顔が脳裏をよぎる。しかし劉は首を振ってかき消し、食事と何気ない会話を聞く事に専念した。

 程ほどにみんなが酔ってきた頃、肥前屋が杯を見せた。
「そいじゃ、早速始めようか。最初っから使うつもりだったけど……どうやらこの子がしんみりしたのが苦手だったようでね?」
 肥前屋にくすり、と笑いかけられた健は苦笑するしかなく、それにグラウゼがまあまあ、と窘める。
「さて、手本を見せようかね」
 肥前屋はそう言うと、艶やかな紅の惹かれた唇を綻ばせた。


承:そっと今、虚と悔いは語られる

 肥前屋は水晶の杯を手に取り、穏やかな眼差しで語り始める。

 アタシはこう見えても、出身世界では大きな呉服屋の主でね。夫も子供もいたし、すっごく幸せだったよ。ただ、アタシは壱番世界でいえばぬらりひょんに近い妖怪でね。なのに商売好きな変わり者だったのさ。

 そんなアタシが覚醒したのは、こんな夜だった。何者かによって屋敷に火を付けられてね。子供らと使用人たちをアタシら夫婦は急いで逃がして、最後に逃げようとしたんだ。そしたらアイツは、「これだけは燃やしちゃならない」ってアタシが落とした煙管を取りに行っちまったんだ。アタシが追いかけた先で、アイツは大やけどを負ってまで煙管を探し出してくれて……死んじまった。

「確かにこの煙管は母の形見だった。けど、アイツの命と引き換えにしてでも守りたいものじゃなかった。アイツが助かるなら煙管の一本ぐらい失ってもどうってことなかったのに……」
 肥前屋の声が掠れた時、杯に雫が落ちる。と、僅かに音を立てて盃に波紋が広がった。いつの間にか盃は酒で満たされていた。
「すげぇ……。本当に語っただけで酒が出てきた……」
 健が目を丸くしていると、劉もまた傍らで頷く。彼女は黙ってそれを飲み干すと、口をつけた部分を用意した水で洗った。そして、次は誰が語る? と杯を見せた時、健が立ち上がった。
「肥前屋の姐さん、貴女のような人が大好きです。その寂しさ悲しみを慰める為に、この
煩いだけの若い燕が傍に居ても良いですか!?」
 自然な動きで肥前屋の手をとり言えば、彼女は僅かに苦笑する。そしてくいっ、と彼の顎に触れると艶やかな声で言った。
「気持ちは嬉しいねぇ? アンタ、主人に見た目も中身もそっくりだし。でも遠慮しとくよ。主人一筋なんでね」
 からから笑うその傍から「デスヨネー」と苦笑すれば、劉がくっくっ、と意地の悪い笑いを漏らす。そして、次は自分が語りたい、と言えば肥前屋は静かに劉へと杯を手渡した。

「俺の憂いは、故郷の話だ」
 劉はどこか遠い目で言い、傍らの水を飲み干してから口を開いた。

 俺みてえなミュータントは迫害されて、治安のよくねえスラム街に押し込まれていた。通称『バグズ』……『虫けらたち』って意味さ。街そのものがアリ地獄みてえなどん詰まりの場所だけど、いざ帰らねえと決めると心が揺れちまう。あんなとこでも生まれ育った世界だし、母さんとの思い出もあるからな。でも、帰れねぇんだ。

 どのみち薬をかっぱらって組織から追われる身。舞い戻った所で始末されるのがオチだな。故郷と組織を捨てた所で、他に食い扶持稼ぐあてがあるのか、と言えば正直ねぇな。俺はチンケな毒蜘蛛。ギャングの使い走り以外の生き方を知らねぇ。でも……。

 そこまで言い、劉は前の席に座った征秀に目を向けた。そして、その杯を僅かに握り締める。酔っ払っちまったのかな、と頭を書きながらも、きちんと征秀の黒い瞳を見た。
「星川と……頼れる相棒と一緒なら何とかやってけそうだって思った。なあ、星川。お前の事相棒って呼んでいいか? 俺さ、お前がいるなら変われると思うんだ」
「劉……」
 その言葉を征秀は真面目な顔で受け止める。劉は眼鏡を正し、なおも覚悟を持って言葉を続ける。
「もっと強く、しぶとく、したたかになって、やられっぱなしじゃねえ男になりてえ。お前の輝きに釣り合う男になるのが今の『夢』なんだ」
お前が俺と居たいって言ってくれてマジで嬉しかった、と付け加えながらもノロケてしまったか、と苦笑して「忘れてくれ」とも言うけれど、それでもまだ言葉は続く。
「提案なんだが、俺とお前で組んで便利屋っていうか、探偵事務所みてーなのやんねぇか? 
依頼とは別によ、ターミナルのトラブルシューティングみてーなのやりてーんだ」
自警団の手が回らない事もあるだろう、と睨んだ劉は、そういう些事をすくいあげ、泣く人を一人でも減らしたいんだ、と真剣に言った。普段の気だるそうな劉とはちょっと違う気がし、冗談ではない、と聞き手達は察する。
「俺とお前、戦闘スタイルの相性いいと思うんだよな。コンビなら……最強だ」
 にやり、と笑う劉の手の中。杯は静かに酒で満たされる。そして彼はよかったら飲んで欲しい、と征秀に手渡す。
「ああ」
 笑顔で応じて、征秀はその杯を呷った。その杯を水で洗うと劉の茶色い瞳をしっかりと見た。
「なら、俺も答えないとな……」

転:絆は更に深まり、決意は更に強まる

 劉からもらった杯を手にしたまま、征秀は静かに息を吸って、口を開く。
「俺は故郷に帰らずにこれからもロストナンバーでいることに決めたんだ。その選択に悔いはない……けど、全く気掛かりがないわけじゃなくてな」
 今日は故郷への未練を断ち切りたい、と付け加えて征秀は語り始めた。

 俺が故郷で戦士の職についていた頃、ある依頼に失敗して依頼人を死なせた。残された彼の娘は記憶を失い、長きにわたって苦しんでいた。二人を護衛しなきゃならなかったのに、守れなかっただけじゃなく、仲間だった……大切だった人が狙われて助けを求めていたのに、つまらない意地を張って見捨て死なせてしまった。

 ――全ては、俺が弱くて不甲斐なかったからだ。

 彼らを手に掛けた連中と戦う機会はあったが、仕留められないまま覚醒した。故郷に帰らないと決めた今、奴らによって犠牲になった人達の仇は討てない。もしかしたらとっくにくたばっているかもしれないし、そいつらの操る魔物によって世界が滅んでいるかもしれないが、それを確かめる術なんてない。戻らないと決めたのに、まだ捨てた故郷が気になるなんて……。

(全く、情けない話だよな)
 征秀がため息を吐くと、僅かな水の音を聞く。いつのまにか、杯は酒で満たされていた。征秀は1つ頷くとおもむろに劉へと差し出した。
「ん?」
「この酒、あんたが飲んでくれないか」
 劉が黙ってそれを受け取り、征秀はにこっ、と笑って言葉を続ける。
「おれはこっちの世界で、あんたの隣で生きていくって決めたんだ。相棒として、俺の悩みを解消するのを少し手伝ってくれないか?」
「……ああ」
 軽い調子で言う征秀に、劉もまた笑みを返して杯を呷る。そして、用意された水で口をつけた場所を洗うと、そのまま頷いた。
「よろしく頼むぜ、相棒」
 脳裏に浮かんだのは、ギベオンでのシガレットキスだった。親友であり相棒となった2人は、互いに固い握手を交わして、心から笑いあった。

 そんな様子を見ていたグラウゼが、穏やかな顔で何度も頷く。
「男の友情って奴だな。こういうのってなんだかいいもんだな。二人共、これからがんばってな?」
 と暖かな声援を贈る側から健が茶々を入れる。
「お前ら……もしかしてカップルか?」
「ちげぇよ?! 今の会話のどこをどーすりゃそうなるんだ!!」
「お前、さっきまでの話……ちゃんと聞いてたか?」
 思わず劉と征秀がツッコミを入れるが健はばんっ、とテーブルを両手で叩いて叫んだ。
「煩せぇ!! ホモだろうがヘテロだろうがリア充にかわりねーじゃねぇか!? カップル爆発し」
「はい、黙ろうか?」
 肥前屋の煙管が健の鼻先に突きつけられまたもや「ハイ、静カニシマス」と言ってがっくりとうなだれた。
 実はここまでの間に結構酒を飲んでいた健は少しずつ酔っていたのである。彼は杯を手に取ると、ゆっくり顔を上げた。
「ん? 次いくかい?」
「うん。暗いの、苦手なんだけどなぁ……結構酔っちまったようだ」
 彼はそう言うと、僅かに躊躇った後、心の中で「よし」と1つ頷いた。

 健の脳裏に浮かんだのは、さらりと溢れる銀の髪。彼は嘗ての事を思い出しながら静かに語り始めた。

 俺はKIRINで、人へ踏み込むのはそんなに得意じゃない。

 告白して困られて。彼女が困ってるのを知った時、躊躇った。俺じゃストーカーに思われるかもしれない、なんて考えてしまってさ。結局彼女は……もうここに居ない。遠い、遠い場所に行ってしまった。決して手の届かない場所に……。

 暫くの間、沈黙が流れる。先程までの陽気さは無くなり、ただ後悔を語る姿だけがある。健はぐっ、と歯を食いしばると顔を上げ、真剣な目で言う。
「人と触れ合えば、人は変わる。それは、良い方だけじゃなくて……。それでも俺は恐れて、躊躇って、可能性すら無くすような事はもう二度としない。絶対に手を伸ばす」
 杯をもつ手に力が入る。手を酒が濡らし、妙な冷たさが手に広がった。
「絶対にだ!」
 それは、自分に言い聞かせるためか、決意を表すためか。健は勢いよく杯を呷った。口に広がった芳醇な甘さの先に、鉄のような味が広がったのは何故だろうか?
「最後だ」
 健は杯を洗うと、グラウゼに手渡す。彼は「そうだな」と言うと静かに頷いた。


結:秘め事の夜は続く

「俺は、ロストメモリーだ。……共に覚醒した女房は死んじまって、今は男やもめって奴だな。ま、女房の事は……名前と一緒に半分以上、記憶が、な」
 グラウゼはそんな事を言った上で、言葉を紡ぎ出した。

 俺と女房には夢があった。故郷に戻ったら子供が欲しいってね。覚醒前に居たかどうかなぞ忘れちまったが、とにかく欲しかった。そして、色々あってロストメモリーとなって、『とろとろ』を本格的に営んで……バイトを2人雇った。

 どっちも、すごくいい子でね。一緒に働いているうちに本当の娘のように思えてきたんだ。でもな……その内の一人が……色々あって、死を願うようになっていた。俺は本人に問い詰めたかったが、できなかった。いや、躊躇っちまったんだ。親でもないのに親のような顔して説教したら、相手はどう思うかってさ。もう少し早く、言ってしまえば……、もっと早く気づいていればと思うと、自分が腹立たしいんだ。

「俺は、2人とも幸せになってもらいたいんだ。2人とも、生きて欲しいんだ。いつかどっかに帰属しちまうかもしれねぇけど、それでも……」
 グラウゼの言葉に、全員が息を飲んだ。そして健は、自分と目の前の司書が同じような事を悔いていた事に目を丸くする。
「もう、あの子たちは自分の道を歩いている。俺にできる事は限られているが、それでも、何かするさ」
 グラウゼはそういうと、静かに杯を呷った。そして杯を洗うと、肥前屋へと返す。傍らにおいた水を飲み干すと、彼は静かに言った。
「俺は司書失格だな。一体、彼女の何を見ていたんだか……」
 自嘲の笑みを浮かべるグラウゼだったが、次の瞬間にはいつものような温かい笑顔に戻っていた。彼は言葉を失っていた4人に笑いかける。
「それじゃあ、一旦お開きにするかい? もし飲みたいならば『とろとろ』を貸すぞ」
 そう言われたものの、グラウゼが僅かに無理をしているように見え……健はぽつりと言った。
「無理するなよ、おっさん」
「……無理でもしなきゃ、世界司書はやってられねぇよ。依頼はいつでも出てくる。どんな虚を抱えていようが、笑顔で皆を『依頼の成功』を信じて送り出し、皆を出迎える勁さを持たなきゃならん」
 グラウゼはそう言って笑う。けれども一筋だけ涙が溢れ、頬を伝う。
「気遣い、ありがとな」
 その言葉に、健達は其々暖かな物を感じたのだった。

 しばらくして宴が終わり、片付けもあらかた済んだ後。肥前屋はくすりと笑って問いかけた。
「今夜は飲み足りないね。アンタ達がその気ならアタシの家で飲まないかい? グラウゼの旦那も一緒にさ」
「え? ええ? いいんすか?」
 肥前屋の言葉に健は目を丸くする。彼女はグラウゼと共に先に家に行ってて欲しい、と頼むと地図を渡し、徐に席を立つ。
「どうしたんだ?」
 劉の問いに、彼女は笑って答える。
「ちょいとあのお嬢さんのとこに。グラウゼの旦那、例のを」
 グラウゼは「あいよ」と言って包を彼女に手渡す。と、彼女は静かに笑って
「ちょっと行ってくるよ」
 と言って消えてしまった。さすがはぬらりひょんに近い存在である。征秀が振り返ると、肥前屋は既に離れた場所を歩いていた。その背中を見送りながら、彼は思う。
(昔は、嫌な事があるたびに酒に逃げていた。酒は、飲み方によって毒にも薬にもなるというのにな)
 そう、昔の自分は『毒』ばかり飲んでいた、と。だからこそ、これから飲む酒は『薬』である事を、心から願った。

 実の所、一緒に酒を酌み交わしたくない相手がいたホノカは一人、別の場所で酒を飲んでいた。けれども、妙に酔えないのは何故だろうか。
「おや、こんな所にいたのかい」
 振り返ると、そこには肥前屋がいた。気配も何もなかった筈なのに、といぶかしがっていると、肥前屋は包をホノカに手渡す。
「これは?」
「グラウゼの旦那からさ。アンタの分のご馳走だってさ」
 包を開くと、それは美味しそうな料理が詰まったお弁当だった。そして手紙も同封されている。内容はごく普通に『一緒に楽しめなくて残念だ』というような事だった。どうやら本心がバレていないようだな、と思うとホノカは改めて肥前屋を見た。
「……それだけですか?」
「いいや。もう一つ」
 肥前屋はそういって懐から水晶の杯を取り出すとホノカに握らせた。
「語らなくても、念じるだけで酒になる。アンタも吐き出したい事があってあの場に来たんだろ?」
 彼女の言葉に、ホノカは何も語らない。肥前屋はため息を一つ吐くとホノカの手に杯を握らせた。

 ――あの方は、助からなかったのだろうか。

 あの方は火喰忍軍の最重要のクライアントだった。自分達にとってどれだけ重要であるか見せつけるためだけに、《上忍》である私を護衛兼秘書としてつけた程である。
私は火喰忍軍頭領の意向でもあったが、公私に亘り心からあの方にお仕えし……、ずっと、一番近くにいた。そして、他忍軍対策を兼ねた厳重な警護は、頭領直属のラインで数名の中忍が率いる五十名近い下忍――火喰忍軍の凡そ三分の一程――で行われていた。
それなのに、私は今ここに居る。私は真理に目覚めた当日の記憶が断片的にしかない。推測するならば、私達は他忍軍の襲撃に会い破れ、あの方を守りきれなかったのだろう。一番身近にいた私が、あの方を守りきれなかった。
 私の主要忍務は【他者を籠絡し情報収集すること】で、特技でもあった。抜かりはなかった……筈なのに。

(ここに居る奴らはどんな手段を使っても全員殺してやる。あの世界へ返してなるものか)
 同じ世界に来たかもしれない敵忍軍の名を呟きながら、ホノカが杯を握り締める。と、手を濡らす感触がした。どうやら、杯から酒が少し溢れたらしい。彼女は無言でそれを飲み干すと、蜜のように甘く、とろりとした味が喉へ滑り落ちていった。
「ありがとうございます」
 ホノカが杯を返すと、肥前屋はただ頷いて杯を受け取った。そして、水で洗ぐと懐にしまいくるりと背を向けた。
「今夜は妙に冷えた感じがするね。アンタも早めに帰って眠りな。気が向いたらアタシの家に遊びに来るといい。二次会をしようと思っててね?」
 肥前屋はそういってホノカの手に地図を握らせる。彼女は行くつもりがなかったものの、地図を懐にしまって礼を述べた。
「今宵は、失礼な事をしてしまい、申し訳ありませんでした」
「いや、いいさ。終わった事だ。もう気にしないでおくれ。それじゃあ」
 そう言って立ち去る肥前屋を、ホノカは黙って見送り、姿が見えなくなってから、その場を離れた。
(……様)
 ホノカは胸の中で、嘗ての主の名を呼ぶ。けれども彼女の脳裏によぎったのは、覚醒前に見せた、主の笑顔だった。

 劉達が肥前屋の家へたどり着いた時、彼女はすぐ後ろに来ていた。そして客人を出迎えると美味しいお酒を用意してくれた。先ほどの飲み会とは打って変わって、明るい笑い声と和やかな空気が広がる中、健は思い出したように呟く。
「ホノカもくればよかったのに」
「まぁ、しょうがねぇんだ。用事ならよ」
 健の言葉に劉が肩を竦め、征秀は相槌を打ちながら酒を飲む。
「ロストナンバーである限り、彼女ともまた飲む機会はあるさ」
「もしかしたら、用事が済んだら来るかもしれないし」
 グラウゼがくすっ、と笑えば、釣られて健たちも笑う。そんな様子に安堵しつつも肥前屋は一人優雅に酒を呷るのだった。

――こうして、ターミナルの夜は、更けていく。

 蛇足ではあるが、二次会の後結局参加者たちはけっこう酔ってしまったので『とろとろ』の地下で雑魚寝した。翌日、グラウゼが作る朝食を食べてからそれぞれの拠点へ戻ったのはココだけの話である。

(終)

クリエイターコメント菊華です。
おまたせしました。秘め事の宴の様子をお送りいたします。皆様なかなかよい「虚」をお持ちで……。

これでみんな少しは前へすすめるようになるといいですね。

 因みに参加者さん全員にグラウゼより特製のお弁当(宴の料理の残りとも言う)と小瓶に入ったお酒をプレゼントしております。

 それでは、今回はこれで。縁がありましたらまた何処かでよろしくお願いします。
公開日時2014-02-18(火) 21:20

 

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