クリエイター錦木(wznf9181)
管理番号1144-11785 オファー日2011-09-21(水) 17:10

オファーPC サイネリア(crsb9673)ツーリスト 女 19歳 ドラゴン

<ノベル>

 夜の色をした水がどうどうと流れ落ちる、ここは滝つぼの神殿だ。
 飛沫の中に立ち居並ぶ白亜の列柱が、滝と周囲とを切り分けている。目を凝らすと、その表面に素朴な筆致で何かが描かれていると気づいた。列柱の間を埋める篝火が引き延ばす影の中、じっと目を凝らす。
「サイネリア様」
 名前を呼ばれ、首を下げる。暗闇の中から、萎びた老人が進み出た。確か、ソンチョウ、という名だったはずだ。腰に大鉈を下げている。ソンチョウの頭越しに、数多里人らの目がサイネリアを――あるいは、サイネリアの足元に横たわる骸を、注視していた。
 滝つぼの真ん中。浅く広い水だまり。四肢を折りたたんだ姿勢で、体の半分を水に沈めたドラゴンは、ただ眠っているだけに見えた。今にも起き上がって、「ふむ。よく寝た。うん、皆何をしておる。我が? 我が死んだ。ふむ。ふむ。死ぬのは初めてだが、随分賑やかなのだな」と、いつもの少しとぼけた声で言って、サイネリアの尻尾に己の尻尾を絡め、たっぷりとふくんだ水気でくすぐりにくるような気さえする。
 しかし尻尾は水中に沈んだままであり、尾の先もゆらゆら水に揺られているだけだ。そのかすかなそよぎのみが、骸に許された唯一の動きだった。
「始めさせていただきます」
 ソンチョウが一礼し、サイネリアは無言で首をそらした。無防備なのど肉が衆目にさらされる。横目にとらえた列柱に、陰影が浮かんでいた。それはドラゴンの形をしていた。ドラゴンは無機質な目でサイネリアを見返している。

 サイネリアが昼の空なら、兄は夜の空だった。濃く、闇に似て底の見えない、深い青。だが目を凝らせば、その鱗と肌目にかすかな濃淡があって、それがさざ波に似た階調を描いているとわかる。サイネリアにとってはそれだけに過ぎなかったが、人間らはそれに特別の意味を持っているらしい。
「青は、至高の色なのだそうだ」
 盃が傾き、ぐびりぐびりと喉が上下する。戻ってきた兄の口からは、赤い果物をすりつぶして発酵させた汁が伝っていた。裸の胸を伝ったそれは水中で一瞬、赤い渦を巻き、すぐに溶け込んで見えなくなる。
「サイネリアのことを彼らが知ったら、きっと畏れるのだろうな」
「それは困る」
 大樽に差し込んでいた顔を持ち上げて、ぐっと牙を剥く。サイネリアは人間に興味がない。斯様な山麓の滝に来ているのは兄がいるからこそであり、普段は人も分け入らぬ深山幽谷で静かに暮らしている。たまにドラゴン恋しくなった時だけ、ふらりとここを訪れるのだ。サイネリアが盛大に顔をしかめたのが面白いのか、兄はくつくつと喉で笑う。その首にその胸に、常にその身にまといある深い青はない。鋭い爪もない。牙もない。そこにいるのは一人の人間の男だった。金環を描く双眸と、ぞろりと長い紺青の頭髪だけが、兄本来の色彩をとどめている。
「なあ、サイネリア」
 泡の湧き立つような声は、ドラゴンだろうと人間だろうと変わらない。サイネリアと視線を交わす兄の横顔は、滝を囲む列柱の間から差し込む日差しに半分が照らされ、半分は陰になっていた。
「我らと人間はもしかしたら、ずっと昔に二手に分かれたきょうだいだったのかもしれぬなあ」
「……急に何を言うのだ」
「急ではない。ずっと考えておった。そなたとて一度くらいは考えたことがあるだろう? どうして我らドラゴンは人の姿になれるのか、と」
「……まあ、奇妙だ、とは」
 兄の言うとおり、ドラゴンは誰もが人間に変身する能力を持っている。ただし、その変身した姿が人間と呼ばれる生き物の姿なのだとサイネリアが知ったのは、兄がここに住み処を構え、親しく彼らと交わるようになってからだった。相手の存在も知らぬのに、姿だけはそれとなれる。そう考えると確かに、知識といった絶えてしまうものではない、もっと長く続くところでドラゴンと人間は関わっているのかもしれない。
「……だが、少し飛躍しすぎではないか?」
「はは。そうよな。もしも本当にきょうだいなら、人間だとてドラゴンになれてもよさそうなものだ。いや、それではただのドラゴンか。しかし、とにかく、何かしらの繋がりはあると我は確信しておる」
 兄が手をかざす。透明感のない皮膚に覆われ、ふっくらと肉のついた手指は、サイネリアの目にはひどく頼りなく見える。こんな丸っこい爪では魚が捕りづらいだろう。
「我は知りたいのだ。人間とドラゴン、一体斯様な縁があるのか」
「……だから、兄上は人を助けるのか?」
 これこそが、兄が人里近いこの滝壺に住み処を構えているだった。人に惹かれた兄はそろそろと交流を始め、距離を近づけ……気づいた時には神と呼ばれるようになっていた。具体的に何を施したのか、聞いたことはない。だがこのように巨大な柱を幾本も並べたくなるほど兄を慕っていることはわかっている。身体の小さな人間にとってそれは大変な作業だったに違いない。
「手っ取り早かったと言えばそうだろうが、違うな。たとえば目の前で魚が捕れぬとぴいぴい泣いている、自分より若年のドラゴンがいたら、そなたならどうする?」
「……それはもしかしなくとも我のことか」
「さてな。だが、どうだ? 手を差し伸べたくはならぬか? 手本をやって見せて、そなたのところへ魚を追いやって、それでむしゃむしゃうまそうに魚を食う姿を見れると何やらこっちまで幸せになったりは?」
「それは同族だからでは……いや、何でもない。つまり人間が喜ぶと、兄上も嬉しいと」
「然り」
 藪をつついて凶暴ドラゴンを出すのはごめんとサイネリアが言葉を区切るのを、兄はにやにやと口を歪めて眺めていた。その姿が不意に揺らぎ、人の姿と巨大な輪郭が幾重にもだぶる。
 一瞬の後、そこにいたのはサイネリアより二回りおおきな紺青色のドラゴンだった。
「人が困っていたらそれを助けたい、それだけだったのだがな。やはりこの身体の大きさは隠せぬ。今ではすっかり感謝感謝でついには神だ」
 口元には微苦笑が刻まれている。
 と、たっぷりと水毛を含んだ尻尾が、サイネリアの尾を絡め取った。幼い頃よりの兄の癖だ。小さなサイネリアがくすぐったいといくらわめいても、兄は「そうかそうか」と笑うだけで一度もやめてくれたことはない。今でも背筋がもぞもぞ落ち着かない感覚は残っているが、年長じた今は兄なりの愛情表現だと分かってしまい、無下に振り払うのも気が咎めるから、結局サイネリアの尻尾はいつだって兄の好きにもてあそばれる。
「でもどうだ? そなたも一つ人助け。崇められるのも、最初は戸惑ったが慣れてしまえばどうということもない。このサケというのも中々だ」
 サイネリアの前足に抱えられていた樽へ、ぐっと首が伸ばされる。今度はサイネリアが苦笑する番だ。
「やれ、すっかり人間の嗜好に染まってしまって」
「何、良いではないか。我らドラゴン、皆それぞれ人の姿を持ちやるのだから。半分が人間であろうと、何の不都合があろう?」
 戻ってきた兄の顔には酒の泡がいっぱいにまとわりついていて、苦笑は遠慮のない大笑いにすり替わった。

 サイネリアは飛んでいた。川沿いに山を下り、兄の元を目指す。夕の薄闇も、ドラゴンにとってはどうということもない。張り出した枝をすいすいと避け、飛びすがりざま木の実を食みながら滝をまっすぐに降りていく。兄の元に行く間の、道すがらがサイネリアは好きだ。兄と何を語ろうか、考えていると気が弾む。野ばらが草原一面に咲き群れて美しかったことか。あの星の出る時間が段々早くなっていることか。昼に見かけた面白い形の雲のことか。思いつくのは些細なことばかりだけど、いつだってそれが楽しかった。
 白亜の列柱は、この角度からだとたくさんの丸に見える。いくつもの丸が描くゆるい弧の中心にあるのは、濃い青の色彩。兄。四肢を丸めている。もしかしたら眠っているのかもしれない。宵っ張りの兄が珍しいなと思う。夕べ遅くまで人間らに施しでもして回っていたのだろうか。もしそうなら起こすのも忍びない、今日のところは顔を見て帰ろうか。
 だが着水し兄に向き直った途端、それまでサイネリアの頭を占めていたあれこれの考えはそのすべてが霧散した。
 四肢を折りたたみ、翼をぴったりと体に寄せて。丸まったその姿は確かに眠っているように見える。その身体に一切の傷はない。病んでやつれた風情もない。先日別れた時のままに、兄の身体は美しい。だが改めて向き直れば、その全身から生気の一切が放たれていないことに気づけるだろう。生き物、ではない。既に。滝を囲む列柱と同じだ。
 兄さま、とサイネリアは呼ぶ。呼んだ、と思う。滝の音だけが耳を埋める。わん、と耳が鳴った。溺れそうだ。
「兄さま、なん、なぜ」
 今度は、聞こえた。どうしてこれを眠っているなどと思ったのだろう。ざぶざぶと水をかき分け、尾を絡めた。いつもなら力強く絡め返してくるはずの尻尾は、サイネリアを尻尾をすりぬけて、黒い水底に倒れる。ああ、死んでいる。確かに兄は死んでいる。それでもサイネリアは尻尾を絡めるのを止めない。止められない。ここでやめたら、本当に兄は死んでしまうのではないか。サイネリアはそれが怖い。
 どれほどそうしていたのか、闇の中にぼんやり、赤い光が浮かんでいるのを滲む視界にとらえる。それは次第に数を増やし、いつしか列柱を囲む篝火の群れとなってサイネリアの前に現れる。
 片手に松明、反対の手に鋤や鎌。数多人間の老若男女が、神殿を取り囲むよう広がっていた。

「一つ、尋ねたい。……そなたらが彼を蘇らせたいと願うのは、それが恵みをもたらすからか?」
 神殿に現れたのは、川の下流に住む村人たちだった。最初、サイネリアは、彼らが兄を殺したのかと思った。そうではなく、彼らは戦勝祈願をかけに来たのだと申し出た。
 ――戦。
 ――何を得るための。
 ――我らの神を取り戻すための。
 人々のまとめ役だという、ソンチョウという男が震える声で、言った。
「……それも、あります。ですが、それだけではありません。……サイネリア様は怒られるやもしれませんが、我らは皆、神様のことが好きなのです」
 ――足を折って動けない私を、神様が村まで運んでくれた、神様は命の恩人だ。
 ――俺の拵えた葡萄酒を美味しいと言ってくれたんだ。
 ――子供に名前を付けてくれると約束した。
 ――どうして、神様は、どうして……
 水底に沈む囁きは、最後はすすり泣きとなって闇の中に溶けていく。ああ、兄は愛されていたのだな。鼻水を啜る音を聞きながら、サイネリアは思った。そしてサイネリア自身、自分で考えていたより兄のことを、そして兄の愛した人間たちを愛していたのだと気づいた。なにせ、これから兄のために死のうというのだ。
「生贄となることを受け入れてくださったサイネリア様にも、もちろん感謝しております。ことが終わりましたら、謹んでお祀り奉ることをお約束いたしますから……」
「我はそういうものは好かぬ。彼が生き返るのならそれで良い。……さあ、始めてくれ」
 彼らはサイネリアが、彼らが神と崇めるドラゴンの妹であるとは知らない。知る必要もないだろう。今更、尻込みされても拍子抜けだ。心残りがあるならば、死出の路から帰った兄がサイネリアの骸を見て慌てふためくのを見れず仕舞いなことだろうか。面倒をかけられたのはこちらなのだから、それくらい許されるだろう。
 横目に列柱をとらえ、サイネリアはのど肉をさらす。列柱に彫り込まれた素朴なドラゴンがじっとサイネリアを見ていることになぜだか安心して、死の刃を受け入れるべく目を閉じる。
 ……だが、結局、サイネリアは死ねなかった。
 瞼の裏が真っ白になり、ああこれが死か、と思ううちに意識は途絶え。目の前に広がる風光明媚な光景に、死後の世界もいいものだと思っていたら、煙を纏って空を駆ける謎の生物(それが「列車」だと知ったのはそれからすぐのことだ)の体内から人間のような生き物が話しかけてきて。
 ……兄のおかげだろうか、と思う。兄は、サイネリアに生きてほしかったのだろうか。今となってはもうわからぬことだ。
 だがそう、いつか、今度は生贄ではなく、いつかくる生命としての終わりの時を迎えたその時にでもあの日のことを聞いてみようか。

クリエイターコメント大変お待たせいたしました!

細部お任せしていただけるということで、お兄様や神殿の様子やら、自由に書かせて頂けて大変書きやすかったです。
その世界では稀な気質の御仁というところから、研究者気質でどことなく変人風味で、素の部分では妹がかわいくてつい構いすぎてしまう困ったお兄ちゃん、というイメージで書かせていただきました。

お気に召していただければ幸いです。
このたびはご依頼ありがとうございました。
公開日時2011-10-11(火) 21:10

 

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