▼双子の宅にて 今日は出かける用事があった。 知人のとある夫妻から、夕食に招かれたのだ。双子のオメロとオルソはこの日のためにわざわざ新調した、仕立ての良いスーツに身を包んでいた。 特に兄のオメロにいたっては、数時間前から準備万端という気合の入れよう。今は、飼育小屋の中でうろうろする動物園の熊のように、リビングの中をぐるぐると落ち着きなく歩き回っていた。 反して弟はマイペース。失礼にならないくらいの時間には到着できるように、まったりと準備を進めている。鼻歌まじりに、鏡の前でネクタイを結ぶ。 「おい、オルソまだかぁ!」 リビングから大きな声を張り上げる。洗面所にいたオルソは、兄の苛立つ声音に苦笑しながら叫び返す。 「もうちょっとー! というか、オメロが早すぎるんじゃないかーい」 「うるさい、何かの不手際で遅刻するわけにはいかないだろう! 分かったらさっさと済ませろ」 「はーい」 せっかちで向こう見ずで、激しくて。けれどそんな兄の態度も、無邪気で純粋である故。生まれたときからずっと一緒にいるオルソには、兄の良いところも悪いところも知っている。 こうしてロストナンバーという存在になっても、その縁が途切れなかったのは。もはや、運命で定められているからなのかもしれない。 ……いや、単なる腐れ縁? なんて思いながら、微笑ましさ半分・あきれ半分の笑みを零しつつ、ネクタイを整えたオルソはリビングへと向かう。そこでは気難しそうに腕を組み、眉間に皺を寄せて待っている兄・オメロの姿があった。 「よし、準備はできたか? じゃあ確認するぞオルソ」 「うんと、ハンカチは持ったし……」 「違う、もっと大事なことだぁぁぁ」 のん気にポケットを確認する弟の前で、兄はオーバーアクション気味に手を震わせ、激しく唾を飛ばしながら否定を返し。 「オルソ。オレたちは、これから何をしに行く!」 「何って……」 燃えたぎるような兄の言動に、弟はぽかんとするだけだ、不思議そうにぱちくり瞬き。 「ごはん食べに行くんだろう? ボク、前からすごく楽しみにしていたんだ」 それなりに高身長で見た目もクールな好青年の弟・オルソだけど、おやつを前にした子どもみたいに笑みを弾ませた。 「違ぁぁぁうぁ! 重要なのはそこじゃねぇぇぇいぇ!」 兄の身振り手振りが激しさを増す。ぶつかりそうなので、弟は思わず苦笑しながらあとずさり。 兄は、わなわなとオーバーな動きで掌を震わせながら。 「メシを食いに! どこに行くかって! 聞いてんでゅあぁぁぁ!」 「まぁまぁ落ち着いて。えっと、あぐりさんのトコだろう?」 唾を飛ばしながら大声で訴える兄を、弟はどうどうとなだめて。 弟の返答に、兄は納得するように大きく頷いた。 「そうだ、あぐりさんだ……いや、志野夫人とお呼びしたほうがいいのか」 兄は、はたっと何かに気が付くと。あごに手をあて、ぶつぶつと早口に呟く。 「だが待て、見た目どう見てもただの女の子だし。ちゃん付けでお呼びした方がそれっぽいか? しかし、あの方の妻であることは確かだし、うーむ」 「どっちでもいいと思うんだけどなぁ……」 頭をぽりぽりとかきながら、弟は呆れの溜息を漏らす。 「ダメだな、オルソ! おまえは何も分かっちゃいない。こーゆー細かい気遣いはな、女性を丁重に扱うためには必要なことなんだよ。大体、おまえって奴はな――」 なぜか急に説教が始まる。無関係な過去の出来事まで引っ張り出して、くどくどと兄は弟に語る。 弟は最初こそ、ぼーっとそれに耳を傾けていたけれど。やがてそわそわと時間を気にし始め、兄の説教に言葉を挟もうとする。けれどうまく声をかけるタイミングがはかれず、弟はおろおろするのみ。 「ね、ねぇ、あの、オメロ……」 「なんだ、話の腰を折るんじゃない。だから言ってるだろう、そーゆー無神経なところがおまえのな――」 「でも、時間……」 「あ?」 「ごはんの時間……遅れてしまう……」 かち。 リビングにある柱時計の針が、ひときわ大きな音を立てて時刻を指し示す。一定の時刻を知らせる機械音が、ぼーんぼーんと鳴り響く。この音が聞こえているというのに、二人はまだ自宅。これは非常にまずい状況だった。 「ばっきゃろう! そーゆーことはさっさと言うんだよぉぉぉ!」 「なんだよ、さっきは喋るなって言ってたくせに」 「いいから早く! あぁもう、せっかくのナントカ前行動が台無しだ!」 兄が慌てて家を飛び出す。 弟は、兄のぶんと自分の上着、そして夫妻に用意していたプレゼントの包みを引っつかみ。玄関の戸締りを素早くきちんと済ませてから、ばたばたと走る兄の背中を慌てて追いかけてゆく。 ▼志野夫妻の宅にて 志野・あぐり(しの・あぐり)は、しずしずと長い廊下を歩いていた。 昨晩より、ずっと書斎から出てこない夫の様子を見に行くためだ。またそのまま眠りこけているのだろうと予想しており、手には夫の着替えを抱えている。 廊下は広くて長く、木の軋む音が大きく響く。夫が自分のためにと用意してくれたこの大きな屋敷も、二人で暮らすにはちょっと広すぎるのだった。 ただ、こうした気遣いも夫の優しさなのかもしれないけれど。 そんな事を思いつつ、あぐりはやがて書斎の扉の前に立つ。こんこん、と軽く扉をたたく。けれど反応はない。 「失礼しますね、あなた……」 遠慮がちにそっと扉を開け、その間からひょっこりと顔を覗かせる。 ぎっしりと本が詰め込まれた豪勢な棚が、いくつある書斎だ。中は薄暗い。部屋の奥から漏れる明かりが、書斎の隅々に深い影をつくっていた。 その影の中に、赤い瞳が妖しく煌く。いくつもいくつも、無数の目が。血の花が咲くように、ぎょろりと見開く。影の中からあぐりを見上げる。 「こんにちわ、皆さん。……私の旦那さまはこちら?」 瞳の群れは、ある一方向を視線で示した。そして瞼を閉じ、影の中に消え去った。 あぐりはやんわりと笑んで「そう、ありがとうねえ」とのんびり返して。 こんなやり取りも、日常の一部。あぐりにとって、影に潜むあの瞳たち――夫が従える、使い魔だとか言うペット――は、口こそきかないけれど可愛らしい同居人なのだ。 以前に招待したお友達は、たいそう驚いていたけれど。 ともあれ、あぐりはそっと部屋の奥に歩を進めた。 小さな明かりを傍のテーブルに置いたまま、ソファーの上で寝転がっている、夫の志野・V・ノスフェラトゥの姿が見えてきた。両腕を枕にし、分厚い本を顔の上に置き、両脚をソファーの肘掛に放り出していた。 「あらあら、またこんなところで寝て……。暗いところで本を読むと、目が悪くなるのに。こういう場所がほんとに好きなのねえ」 くすくす、と鈴が鳴るように小さくあぐりは笑う。傍に着替えを置くと、夫の傍の空いている狭いスペースに腰掛け、彼のからだを小さく揺らして。 「ほぅら、あなた。起きなさいな」 ゆさゆさ。 「時間ですよう。あの子達が遊びにくる時間ですよ」 ゆさゆさ。 「あなたー」 ゆさゆさ。 ……起きない。 「……」 沸き上がる悪戯心。あぐりは、ぺい、と顔の上の本を取る。でも夫の目は既にうすく開き、悪戯っぽく細められていた。 彼は弾むように手を伸ばした。突然の出来事だったので、あぐりは何も反応できず。 気が付けば、仰向けになっている彼の上に、あぐりは引き倒されていて。きょとんと瞳ぱちくり。 夫のノスフェラトゥは、引き寄せたあぐりの髪の中に鼻先を突っ込み、愛しげに大きく息を吸った。 「あぐり。君はいつも、いい匂いがするな」 「あらあら。お料理の匂いが付いちゃったかしら」 「そうじゃない」 苦笑しながら、ノスフェラトゥは上半身を起こした。あぐりも一緒に体を起こす。 頭をぼりぼりと掻き、腕を伸ばして大きなあくびをする彼を、あぐりは微笑ましく眺めて。 ノスフェラトゥは、そんな妻に視線を注ぐ。きょとんとして、愛らしく小首をかしげる彼女。ノスフェラトゥは眩しそうに、瞳を細めて。 「……こういうのをな、俺は夢見てた」 「お昼寝をして、お寝坊することが?」 「だから、そうじゃない。こうやって、君に起こされることを、だよ」 「あら、そうなの?」 ノスフェラトゥの話し方は、ぶっきらぼうだけれど。眼差しにうつる感情は、優しく。 「あぁ。君を失ってから、どれだけこんな光景を夢見たことか……」 そう言って、ノスフェラトゥはあぐりの頬に手を伸ばす。大事な大事な壊れ物を扱うように、慎重な手つきで妻に触れる。彼女の頬の柔らかさと暖かさを、その指先で確かめている。 「こうやって、また君に触れられる。それは、ありえないことだと思ってた。だから俺は、君を夢見ずにはいられなかった……これまで、ずっとだ」 「あらあら。現実主義のあなたが、そこまで恋焦がれてくれたのねぇ」 闇の中、静かに揺れる水面のように、真剣な眼差しで想いを口にするノスフェラトゥ。 あぐりは、そよ風を受けてちりちりんと鳴り響く、硝子の鈴みたいに。明るく笑って、言葉を返して。 「こんなにも俺を狂わせたのは、あぐり……君が初めてだ」 「その話は、前にも聞きましたよ」 熱に浮かされたように、ゆらりと言葉を並べる夫。 あぐりは苦笑しながら、でも嫌とは言わず。子どもの悪戯を見守るような目で、あったかく見つめ返す。 「これからは、ずっと一緒ですね」 「もちろんだ。……死が二人を別つまで、ともに」 「いやだ、もう。なぁに、その恥ずかしい台詞」 「本気だ。……例えこの身が朽ちようとも、君を放しはしない」 「もー、あなたったら」 こすぐったそうに笑うあぐりを、ノスフェラトゥは静かに見つめる。夫のそんな熱い視線に気が付くと、あぐりは頬を赤らめて。 ノスフェラトゥは身を傾いで、彼女をそのままやんわりと押し倒――そうと、したけれど。 「――あ、いけない。起こしに来ただけのつもりだったから、お鍋に火、かけたまま。焦げてしまうわっ」 あぐりは、すばやく立ち上がった。 すかり。 夫の腕は宙を空しく抱く。倒れた先に妻のあたたかな体躯は無く、ただ前のめりにソファーへ突っ伏した。 「ほら、あなた。いつまでも寝転んでいないで、そろそろ起きてくださいな。あの子達も来るころだから、支度してくださいね。着替えはそこに用意してありますから」 そう言い残すと、あぐりはぱたぱたと早足で部屋を後にした。 やるせない空気が、ノスフェラトゥの背中に圧し掛かる。疲れた様子で身を起こすと、眉間に皺を寄せながら頭をわしわしと掻いて。 「……ま、いいさ。時間はいくらでもある」 妻であるあぐりは、一度死んだ。死んだはずだった。けれど何の因果か、真理数を失い、彷徨い人たるロストナンバーとなったところで、再会することができたのだ。 手にしたいと願い、けれど叶わぬと思っていた願い。そのかたちが目の前にあることを、至高の喜びと言わず何と言おうか。愛しきひとにまた出逢えたことを考えれば、時の流れから切り離された宿命など些細な問題だった。 この〝今〟を守るためならどのような障害も排除し、どのような恥辱にも耐える決意があった。 だから。 ノスフェラトゥは焦らず騒がず、この幸せをゆったりと味わうのだ。 ソファーから身を起こすと、妻が置いていった着替えに手を伸ばした。 † ノスフェラトゥは、十数人は席につけそうなほど大きくて立派なテーブルの席に、一足早くついている。 洒落た細工の施された食器に満載された料理をカーに載せ、あぐりが運んでくる。 その料理を視線でじーっと追いながら、ノスフェラトゥは納得するように頷いて。 「なかなか豪勢じゃないか」 「お友達を呼んでの、せっかくのお食事ですからね。腕を振るったのよ」 得意満面に語るあぐりを横目に、ノスフェラトゥは料理のひとつに手を伸ばし、指ですくってソースをひと舐め。 「うむ、こいつは中々」 「こらこら、お行儀悪いことしないの」 言葉では叱りながらも、声音にはそれほど、とがめるような色合いもなく。 肝心のノスフェラトゥも、ひらひらと手を振ってごまかすだけ。 「そういや、あいつは。菫はどうした」 「スミレですか? 長期間の依頼があって、今日は来れないのだそうですよ」 「タイミングが悪いな、まったく……」 「あの子もあの子で、頑張っているのだから。仕方ないですよー」 そんなやり取りをしながら支度をしていると、やがて玄関の呼び鈴が大きな音を立てる。 ぱたたとあぐりが玄関までお出迎え。扉を開けると、顔つきのよく似た双子の青年が並んで待っていた。 そのうち、やたら緊張した面持ちをした赤髪の青年が、背筋をびしっと伸ばして。 「ほほほ、本日はお日柄もよく……!」 「あぐりさん、こんにちわ。今日はお邪魔しますね。あ、これどうぞー」 その隣に立つもう片方の、青髪をした青年がのほほんとした様子でお辞儀をし。手に抱えていた花束を、あぐりへと渡した。 まるで対照的な二人が面白くて、あぐりはやんわりと笑みながら花束を嬉しそうに受け取り。 「まぁ、素敵なお花。ありがとう! どうぞお二人さん、お食事の用意は済んでますよ」 そうして二人を屋敷の中へと招き入れる。 † 「は、はじめまして! オルソの兄のオメロです。ほほほ、本日は春のうららかな日差しに恵まれ……」 「……何を言っているんだ、君は」 ノスフェラトゥが怪訝そうな顔つきで返した。はぁ、と呆れる溜息をつきながら、彼は席を立ち、双子に背中を向ける。棚から何かを取り出している。 「君たち、その服も仕立てたばかりだろ」 「え」 「すごいですね! 何で分かるんですか?」 「値札ついてる」 取り付けたままの値札が、ご丁寧に誇らしくぶら下がっていた。 弟はあぐりと一緒に、あっけらかんと笑っている。けれど兄は顔を真っ赤にし、急いで値札を引きちぎろうと躍起になっている。 そんな二人はさておき、ノスフェラトゥは棚から一本のワインボトルを取り出した。 「さて、今晩はこいつを開けるか……」 「あれ、それって……クリスマスにボクらから没収したワインですよね?」 「バカやろう、没収だなんて人聞きの悪いこと!」 弟の発言にすかさず兄が、オーバー手振りも交えて必死に抗議。やっぱり唾が飛ぶので、弟は苦笑しながら手でガードしつつ。 「志野の旦那さまは、オレたちのお健康をお気遣いくださっていただいて、ワインを預かってくださりますっておられるんだぞ!」 「オメロ、ちょっと言葉がおかしくない?」 「ええい、うるせぇ!」 言い合う二人の様子に、あぐりはころころと笑う。 ノスフェラトゥは肩をすくめ、小さく溜息をつくだけだ。 「色とラベルは似てるが、あの時のクリスマスに君らに渡したプレゼントのワインとは、別のものだ。第一、君らはまだ未成年だから、あれは飲ますわけにはいかないな。もうしばらくはお預けだ。……これは壱番世界で手に入れてきた、シャンメリーというやつだ」 「何か違うんですか」 「一見は酒に見えるが、アルコールが入っていない炭酸飲料だ。ようは、酒に見えるジュースだな」 「……ん? おっ、ということは!」 何やら気がついたらしい。赤いほうの兄は、ぽむと手を叩く。青いほうの弟も、兄の考えを視線のやり取りだけで見通したらしい。同じように手をぽむっと合わせた。 そして二人、得意げに指を立てて、夫妻に向かって弾むような声音で言う。 「お近づきのしるしにプレゼントを買ってきたんです、ボクたち」 「今が使い時かと! ってなわけで、ぜひ使って差し上げて頂きたく候!」 「プレゼント……?」 「まぁ、素敵ね」 あぐりは嬉しそうに、柔らかく手を合わせてにっこりしている。 二人が差し出したプレゼントの包みを、ノスフェラトゥはいぶかしげに受け取った。大きさは両手に乗せられるくらい。重さもあまりない。 開けた紙箱の中には、無駄に大きなねじ回しのような器具が入っていた。ワインオープナーというものだった。ワインボトルと器具を固定し、コルクの栓を簡単に開けることができる道具なのだ。にまりと笑みを浮かべる、擬人化された太陽が彫刻されている。 「ほぅ、君たちにしては随分、洒落たものを買ってきたじゃないか。せっかくだ、このシャンメリーを開けるのに早速使わせてもらおう」 オープナーを手に取ると、ノスフェラトゥは慣れた手つきでシャンメリーの蓋を開ける。ぽん、と甲高くて弾むような音がした。四つのワイングラスに、金色に透き通った液体を注いでいく。 双子の目には、その仕草の全てが大人びた魅力的なものに見えて。おおお、と感嘆の声をもらしながら、注がれるシャンメリーを見つめていた。 そんな双子を見て、ノスフェラトゥは苦笑する。 「いいから座れ。食事が冷める」 「了解であります! よっしゃ、早く座るぞオルソ!」 「もう座ってるよー」 「何だと、早いな!」 「騒がしいな君らは……」 「あら、でも賑やかでいいじゃないですか。うちのスミレもあなたも物静かだから、こんなにはしゃぎながらの食事は心が躍るわ」 「俺には、うるさいだけにしか聞こえんがな。……まぁいい」 言いながらノスフェラトゥは、双子やあぐりにシャンメリーを注いだグラスを手渡して。 「君らはまだ未成年だからな、本物はお預けだ。偽物の酒だが、せめて雰囲気だけでも味わってくれ――乾杯」 「はい、乾杯ね」 「乾杯ッス!」 「乾杯でーす」 四つのガラスの杯が、ちん、と打ち合わさった。透明感のある澄んだ音が鳴り響く。 四人の夕食は、こうしたやり取りから始まった。 兄のオメロは、緊張のあまりとんちんかんな返答や行動ばかり。ナイフを両手に持ったり、自分の鼻に料理を運んでしまったり。 弟のオルソはマイペース。隣の兄などは気にせず、がつがつと料理を口に運んでは、あぐりにおかわりを頼む。兄は、弟のがっつくような態度を失礼と思って「こら」と叱るけど、あぐりにとってはおいしそうに食べてくれることが嬉しく、気にした様子はない。 基本的にはあぐりと双子が言葉を交わしあい、ノスフェラトゥは黙って食事を続けるだけ。でも、あぐりや双子の会話の端々で、静かに口元を緩めるなどの仕草は見せていて。まったく楽しんでいないわけでは、いないようだった。 † 食事のあとは、ひとしきり雑談をし。 双子は予定通り、そのまま志野夫妻の屋敷に泊まることとなった。双子はあてがわれた一室で、すっかり眠りこけていた。 けれど。 夜中に突然、耳をつんざく甲高い笑い声が、屋敷中を貫いて。 「ひ! ななな、なんだぁおい!」 「オメロ、寝言うるさいよ……」 「バカ、オレじゃねえよ! いったい何だ何だ」 「え、あ。ちょっと待ってよ」 寝ぼけまなこを擦る弟は、兄が寝台から飛び出すのを見ると、慌てて体を起こして追いかける。 二人は暗い廊下に飛び出し、屋敷の様子をうかがった。そこに、明かりを持った寝巻き姿のあぐりが、慌てて駆け寄ってきて。 「二人とも、大丈夫?」 「あ、大丈夫ですよ」 「あぐりさん! いや、ちょっと軽すぎるか。志野夫人……いや、これもどうか。あぐりの女将……あぐりママ……」 「あぐりさん、さっきのは何なの?」 呼び方にこだわってぶつぶつと呟きながら悩む兄を差し置き、弟が訊ねる。あぐりは戸惑った様子で、首を横に振り。 「分からないの……。てっきり、あなた達に何かあったのかしらって、気になって来てみたんだけど、違うようね。もう、夫は眠ってて起きてくれないし……」 ぷぅ、と不機嫌そうに頬を膨らませるあぐり。 そうしていると、どこからかガタガタとけたたましい音が聞こえてくる。まるで、誰かが床や壁を打ち鳴らしているかのように。 「ま、まさか泥棒か……っ? そんなら大変だ、とっ捕まえてやる!」 「えっ、何それ! やだよ怖いよ、ボクやだよ」 弟は目を潤ませ、いやいやするように首を左右に振る。兄はそんな弟の肩に、ぽむと手を置いて何度も頷く。 「怯え、すくむ気持ちは分かるぞ、オルソ……だが! 志野夫妻のお屋敷を荒らされるわけにはいかないだろうがッ。突撃だぁぁうぁ!」 「ちょ、ちょっと待ってよ」 どたばたと走り出す兄の背中を、弟はびくびくしながら追いかける。その後ろを、あぐりが慌ててついていく。一行は廊下を駆け、騒音の発生箇所へと向かってゆく。 音の発生源と思わしき場所は、夕食をしたあのダイニングルームだった。叩きつけるような音、砕けるような音……様々な音の洪水が、扉越しに聞こえてくる。そんな中で、あざ笑うかのような甲高い声がやたらと耳に届き、頭の中で反響した。 中を確認しようとするが、なぜか扉は少しも開かなくて。 「な、なんだかすっごいガタガタうるさいよ……オメロ、やめておいたほうがいいんじゃない?」 「ここで引き下がったら漢がすたる! オルソ、オレに何かあったら後は頼んだぜっ」 出現させたグローブ型のトラベルギアを装着しながら、兄は体当たりで扉を無理やり開けた。突っ込むように扉を押し開くことになり、部屋の中へと転がり込んだ。 内部では旋風が巻き起こっていた。あらゆる家具や調度品が、渦を巻いて宙を旋回している。それら壁や床・天井に当たって、耳障りな破砕音をぶちまけている。 その中央では、夕食時に双子が夫妻へと贈った、あの太陽の彫刻がされたオープナーが浮かんでいた。にまりと笑う太陽の彫刻が、本当に哂い声を出している。妖しい緑色の光を発しながら、げらげらと哂っている。 「ひゃあああ! あの道具動いてる喋ってる笑ってる跳ねてるうううう!」 「やだ、お部屋がめちゃめちゃになっちゃう……」 弟は顔に手をあて、正気でも失ってしまったかのように叫び。 扉の縁へ、あぐりは力なく寄りかかる。泣き出しそうに、その双眸が震えている。 「ああっ、あぐりさんがお困りってらっしゃっておられる……! く、あぐりさんを悲しませてなるものかっ。化け物め、このオメロが相手だぁっ」 兄は怯むことなく、オープナーに正面から突っ込んでゆく。拳と同化し、赤い閃光を放つトラベルギアで殴りかかる。 しかしオープナーに接触する直前、拳は見えない壁に阻まれてしまう。オープナーの目が爛々と輝き、兄の体が不自然に宙へと浮いて、勢い良く壁に叩きつけられた。兄はうめき声を上げながら、力なく床へ倒れこむ。 「オメロさん、しっかり!」 「オメロー!」 あぐりとオルソの二人が、地に倒れ伏せたオメロへ寄り添った。彼の額から、つぅと赤い液体が滴って。 「あっ、頭から血が……大変!」 「うぅ、よくもオメロをぉ……!」 兄の傷ついた様子を見て、弟はぎゅっと強く指を握り締めた。恐怖で涙を浮かべながらも、闘志に満ちた目つきでオープナーを睨みつける。 弟は、グローブ型の青いトラベルギアをはめ込んだ腕を構える。 「……あ、あぐりさん達にプレゼントしたものを、壊すのは勿体無いし……すすす、すっごく怖いんだけど……! で、でもこのままにはしておけない! くらえ、怪物うッ!」 手の中に青く輝く光弾を生み出すと、弟は遠慮なくそれを投げつけてオープナーに命中させた。爆発と衝撃波が広がって、双子とあぐりを吹き飛ばす。 「おいオルソ、ここは家の中だぞ! 使う技を考えろおおお」 「だってこのままじゃあぐりさんのおうち、荒らされちゃうじゃないかぁ!」 煙と埃にまみれて、ごろごろと床を転がりながら。双子は互いに罵り合う。 けれどオープナーはまだ健在だった。目を輝かせ、すかさず不思議な力で棚を飛ばしてきた。棚は、扉を肉食動物の口のようにばくばくと開閉させながら迫ってくる。 「きゃあ!」 「あぐりさぁぁぁん!」 悲鳴をあげるあぐり。弟は、かばおうと身を投げ出した。でもその過程で、兄をぐみっと踏みつけてしまう。 「があああ! クローゼットに喰われるぅぅぅ」 踏み台にされた兄はクローゼットの餌食になり、木製の扉で体をもしゃもしゃと咀嚼される。 三人の金切り声が屋敷に響く。オープナーの暴走は留まることを知らない。 「そ こ ま で だ」 暗い声と共に、床の全てが黒一色に染まる。底なしのような暗がりから、音もなくぬらりと浮き出て立ち上がる、人影ひとつ。 浮遊するオープナーは、人影に向けてあらゆる家具を撃ち出した。けれど、それは届かない。漆黒の床から弾むように伸びた極細のワイヤーが、家具の全てを巧みに絡みとる。 「俺の家を荒らし、俺の嫁を傷つけようとするとは、ふざけた玩具め。粉微塵にしてやろう」 闇夜に輝く満月のように。その人影、ノスフェラトゥの双眸が黄金色に妖しく輝く。 それをあざ哂うように、オープナーの太陽がげらげらと耳障りな声を響かせて。 「――もう、だめよ皆! 夜中にこんなに騒いでご近所迷惑になっちゃうでしょ、お静かにーっ!」 あぐりがオープナーと夫の間に立ちはだかり、ぴしゃりと言い放った。 するとオープナーがまとっていた光は失せ、宙で渦巻いていた家具たちはどすどすと落下し、オープナー自体も力を失ったようにこてんと床に転がってしまって。 「……はへ?」 「止まった……のかな?」 嵐が過ぎ去ったように、しんと静まり返った室内で。呆気にとられた双子の声が、情けなく漏れた。 † 今は皆が総出で、家の片付けにあたっている。破損した家具や散乱した調度品をかき集め、処分するものとしないものに分けていく。 ものぐさなノスフェラトゥは自分から動こうとはしなかったが、使い魔である蝙蝠と狼を召喚させて手伝わせていた。 「で、次はこれね。――そう、その調子。ああだめよ、もっと静かに優しく。それは壊れやすいのだから――そう、いい子ね」 あぐりがそう指示を出しているのは、先ほど暴走していたオープナーだった。暴走を止めたのもあぐりだったが、どうやら彼女の言うことだけは聞くらしい。ふよふよと宙に浮き、念動力のようなもので大きな家具を元の位置に戻している。 「すげぇ……その純粋な心で、あらゆるものを付き従える! さすがオレ達のあぐりさんだぜ」 「本当だね。……でも、何だか申し訳ないことしちゃったよね。壊れちゃってるアレとかソレとかコレとか、全部合わせていくらするんだろう……」 興奮する兄の横で、弟は不安そうに肩を落とす。兄も言われて気づいたようで、今更ながらがびんとショックを受けた。 ……。 しょんぼりと申し訳ない顔をしながら、双子はノスフェラトゥに視線を向ける。屋敷の主から慈悲を賜りたく、捨てられた子犬のような目で見つめてみる。 「……無論、全部弁償だ」 「えーっ」 「えーっ」 双子たちは床に両手両膝をつき、切なそうにうな垂れる。 けれど。 「ふふ、かわいいーっ。自分で動いてくれるなんて便利だわ、家事が楽になりそうっ」 るんるん気分でオープナーに指示を出すあぐり。双子には、彼女が太陽のように眩しく見えた。心をあたたかくさせるような愛らしさに充ち、美しく輝いているように見えた。 ――彼女の、そんな嬉しそうな笑顔が見れたから、まぁいいか。 大切なのは、モノより思い出。たぶんきっと、何となく。 そう考えると幸せな気持ちになるような気がして、双子はそれ以上のことを考えるのはやめた。 <おしまい>
このライターへメールを送る