▼壱番世界にて あなた達ロストナンバーは今回、壱番世界にてとある依頼をこなしました。 依頼は快調に進行し、大きな被害もなく作戦は終了。帰りのロストレイルがやって来るまで、ちょっとした空き時間ができてしまいました。 そんなとき、とあるコンダクターがあなた達に提案したのです。「じゃあせっかくだし、別荘に案内するよ。ゆっくりしていってね」 ――というわけで、仕事をいつもより手早く終えて、予想以上に時間を余らせてしまったあなた達ロストナンバーは少しの間、この壱番世界に滞在することとなりました。 でもとにかくあなたは疲れていて、どこかに出かける気力もありません。別荘の主でもあるコンダクターは、用事があって出かけたようでした。他の仲間達も同じようにどこかへ足を伸ばしているらしく、あなたには話し相手すらいません。 だだっ広いリビングで、ぼんやりとTVを観るだけのあなた。ソファーの上でだらしなく身体を横たわらせ、ぼんやりとして。 ぴっ ぴっ ぴっ これといった面白そうな番組も見当たらず、頻繁にチャンネルを変えていました。 でもそのうち「これは!」と思えるような番組を見つけることができたので、あなたはがばっと体を起こし、食い入るようにそれを観ていました。 ……ぴっ ですが突然、チャンネルが変わってしまいます。 出かけていた仲間達が、いつの間にか帰ってきていたのです。傍にあったリモコンを手に取り、チャンネルを一方的に変えてしまったようでした。 あなたは無言で抗議の視線を差し向けます。でも仲間達は気がつきません。むしろ仲間内でも「映画が観たい」「いつもチェックしてるアニメが」「相撲が始まる」「見逃していたドラマの再放送が」「いいからニュース見せて」などなど、言い争いが発生している模様。 その隙を見計らって、あなたは引ったくるようにリモコンを取り戻しました。 ぴっ 無言でチャンネルを変えます。 すかさず仲間の一人が、リモコンを乱暴に横取りしました。 ぴっ 無言でチャンネルが変えられてしまいます。 あなたはリモコンを取り戻そうとしますが、相手はリモコンを抱きかかえて奪われないようにしています。なんて大人げない。 他の仲間達からもブーイングが多発。背中をげしげし蹴られています。自業自得ですね。 あなたはついに立ち上がり、TV本体にあるボタンを押してチャンネルを変えてしまうのでした。あなたも大人げない。 ぴっ ぴっ ぴっ ぴっ リモコンと本体とでチャンネルを変え合う、不毛な争いが続きます。 でも、あなた達は真剣でした。譲れないものがあったのです、諦められなかったのです。簡単に負けを認めてしまうわけには、いきませんでした。 ――あっ。本体のリモコンボタン、壊れちゃった。 なら仕方がありません。戦争です。 あなた達は剣呑な空気を漂わせつつ、チャンネルの争奪戦を繰り広げることになります。 そしていつしかトラベルギアを持ち出したり、特殊能力まで開放させたりして。争いは混沌を極めていくのでした。 都心からやや離れた場所にある、ちょっとした別荘を舞台にして。後に『大惨事ロストナンバーチャンネル争奪大戦』と名付けられることになる、くだらなーい戦いの火蓋が切って落とされるのでした。 ――これは、とあるロストナンバー達の、ちょっとした戯れのきろく。
▼壱番世界、お昼過ぎ、別荘にて 今、リビングでは四人のロストナンバーが集っていた。 一行は互いにけん制するような視線を向け合い、見えない火花をばちばちと散らしている。卓の上には、この別荘唯一のTVを操作できるリモコンが、ちょこんと置いてあった。 「やっぱりそりゃさ、オレちゃんにも譲れないモンはあるわけよねー。オレちゃん、ぜってーに『日本全国天上天下唯我独尊漫遊伝サイバーエレキトリックラビットマンR』見るんだもんねー!」 玄兎(くろと)は、びっびっとキレのいい動きで様々なポーズを取りながら、活発そうに言い放った。 「可愛らしいふわもこ、それは宝であり夢なのです」 がたっ、と音を立てて椅子から立ち上がったのは、シーアールシー・ゼロだ。いつもはのほほんとしている表情が、今回ばかりはキリッと強く締まっていて。 「ゼロは『世界のふわもこ便り:総集編スペシャル』を、皆で一緒に観るのです。皆さんの心の隅々まで、安らぎともふもふに染め上げるのです」 「あ、あのゆるふわゼロちゃんが、今、はっきりと皆に意思表示を……」 いくつかの冒険やお遊びにも同行したことのあるサシャ・エルガシャが、びっくりすると同時に感動の涙を零し、ハンカチを目に当てた。あぁ、ちっちゃな娘さんは立派になりました。時々、立派を超越するくらいにすっごく巨大化するけれど。 「でもダメよサシャ、ワタシだって気持ちは同じ。諦めません、勝つまではッ」 感動で弱くなりかけていた心の防御を引き締めるため、サシャはぶんぶんと首を横に振り。拳をかたーく握り締め、負けじと強く宣言する。 「なんとしてもこの戦いに勝利して、『愛の昼メロ劇場:メイドは見た!~私の彼は旦那様~』を視聴するんだから! ヒロインがアラブの石油王に誘拐された所を旦那様がセスナで追っかけてきたところで以下続く……このままだと気になり過ぎて夜も眠れないッ」 「やれやれ、皆して血気盛んなことだねぇ」 興奮した様子の三人とは違い、高みから見下ろすような声音でゆったりとしているのは、狐型の獣人である水鏡・晶介(みかがみ・しょうすけ)だった。優雅な様子で足を組み、ソファーに腰掛けている。眼鏡をくいっと直してから、テーブルの上にあるグラスを取り、それを品良く傾けた。 「ま、僕はここで大人しくジュースでも飲んでるからさ。今回の不毛な争いにはノータッチってことでよろしく」 「えー、なんだよ。ジュースあるならオレちゃんも欲しいんだぜ」 「ゼロも頂くのですー」 「あぁ、構わないよ。皆のぶんもきちんと用意してある」 水鏡はキッチンへ向かうと、冷蔵庫の中で既にセッティング済みだったグラスを三つ持ってくる。南国風の果物と花飾り付きストローが差し込まれており、いくつかの氷に混ざってトロピカルな色のジュースがたっぷりと注がれていた。 玄兎とゼロは素早く席につくと、水鏡の振舞ったジュースをちゅーっと啜り。 「うひゃっ、デリシャスフルーティ! うまいじゃんこれ」 玄兎は思わず弾んだ声をもらす。ストローで飲むのももどかしく、グラスに口をつけてぐびぐびと飲み干してゆく。 ゼロはおっきく口を開けると、そこへグラスの中身を氷ごと一気に流し込む。ごくんと一飲み。ふにゃーと顔を緩め、幸せそうにげっぷをした。 水鏡は髪を爽やかに掻き上げながら、満足そうに頷いて。 「だろう? 君たちのために特別にブレンドした一級品さ。サシャも良かったらどうだい?」 「えー。戦う気満々だったのに、何だか気がそがれちゃうなぁ」 ぶー、とサシャは頬を膨らませる。でも玄兎とゼロの二人が早速お代わりをしているところを見たら、一杯くらいはいいかなと思えて。 「でもせっかくのご厚意ですし、戦う前の腹ごしらえということで――」 そうしてサシャは水鏡から勧められるがままに、グラスを手にとって口に運ぶ――けれど。 「むっ――!」 液体が唇に触れるか否かのところで、サシャの眉がぴくりと弾んだ。グラスを傾ける手がぴたりと止まる。 サシャはメイドだ。主人へ出す食事に不備などあってはならないこと……そうしたプロ意識によって磨き抜かれた繊細な五感、通称:ハイパーメイドセンサーヴィクトリアンスペシャルは、水鏡のドリンクに含まれる異常を感知したのである。 サシャはドリンクを飲むことなく、グラスを水鏡へとつき返した。 「ちょっと水鏡様、これ何か入れたでしょう!」 「えー、何がサー。別に薬なんて入れてないヨー」 「……水鏡様? ワタシ、薬を入れたかどうかなんて聞いていませんよ」 にこぱ、とサシャは花のように可憐な笑みを浮かべて。 一方、水鏡は優雅な仕草でソファーに座ったまま、逃げるように顔を背けた。サシャには死角になって見えないが、水鏡の表情は忌々しそうに歪められている。 サシャはきゅぴんと得意げに瞳を輝かせると、右手の五指をピンと伸ばし、その中指を鼻筋へ合わせるようにあてて、ふふりと決めポーズ。左手は腰に添えている。 「謎は解けました。水鏡様……あなたはジュースに毒を入れて二人を手にかけようとした。間違いありませんね! ――あ、ところで玄兎さま、ゼロちゃん、大丈夫?」 そんな推理をしている背景で、水鏡の毒入りジュース飲まされた玄兎とゼロは、ばたりと床に突っ伏していた。眠り薬でも入っていたのだろうか、サシャの言葉にも返事がない。ただのロストナンバーのようだ。 水鏡はソファーに座ったままテーブルの上に両足を乗せ、頭の後ろで腕を組み。先ほどまでの、余裕たっぷりで涼しげな雰囲気とは違い、何だかだらしない。つまらなそうに唇を尖らせている。 「ふん、作戦失敗か。……て言うかサシャはなんで探偵みたいな物言いなわけ?」 「『銀色狼メイドの探偵怪奇ファイル』も観ているからです! ちなみに、さっきワタシが言った番組の後にやってますっ」 「ち、さりげなく二つめの番組のアピールをするなんて、卑怯な」 「卑怯なのはそっちでしょう! やるなら正々堂々、真っ直ぐ戦いなさーい!」 「へぇ、力押ししてもいいんだぁ」 ゆらり。ソファーから立ち上がった水鏡の顔に、黒い影が差す。眼鏡だけが刃物のように剣呑な輝きをちらつかせる。その殺気に、思わずサシャはたじろいで。 「えええ、ちょっと待って、待ってください。ワタシは戦闘なんてできない、か弱いどじっこメイドなんですよっ」 「自分で自分のこと〝どじっこ〟なんて言うメイドが信用できるか」 コォォ、と水鏡が甲高い息吹をもらす。その両眼が赤い輝きを放つ。雲が太陽を隠した時のように、部屋全体が不自然に暗くなる。どこからともなく冷たい風が吹雪のように吹きつけ、部屋の気温が急激に低下し始める。 サシャは己の腕で体を抱き、鼻水を滴らせながらぶるぶる凍えて。 「ははは、凍えて身が悴むだろう? 安心していいよ、風邪薬くらいは奢るからさ」 「ひゃー、寒いっ……! うぅ、だんだん眠く……」 頭や肩に積もった雪を除ける余裕もないサシャは、うつらうつらとしてきた意識に抗うこともできず、力なく倒れて。 それと入れ替わるように、毒で気絶していたゼロがむくりと体を起こす。水鏡は予想外の動きにぎょっとした。 「げ、なんでもう動けるんだ……!」 「ゼロのお仕事は、まどろむことなのです。まどろみに、毒は必要ないのですー」 ゼロはいつもどおりの緩さでそう言い放つと、自分の口に手を突っ込む。肘くらいまでずぼずぼ突っ込む。咥内の奥から取り出したのは、透き通った紫色の飴玉みたいな球体。ジュースに含まれていた毒素を結晶化させたらしい。 ゼロはそれをゴミ箱に投げ入れてから、リビングにあったクッションのひとつを手にとって。 「ちぇすとー」 クッションを軽く叩いた。するとそれは一気に膨張する。リビングにあったもの全てを外へ押しやるくらいに、ぼふんといっぱいに膨らんだ。水鏡は鼻っ面からクッションに押しつぶされ、壁へと叩きつけられた。 クッションはリビングを充たすくらいに膨らんだので、無論、そこにいた他の皆も無事ではない。水鏡の吹雪で氷漬け&居眠りな状態だったサシャは、ドアを突き破って廊下に押し出され。毒で倒れていた玄兎は、窓硝子を割りながら中庭に放り出されていた。 リビングにあった家具の下敷きになっていて身動きひとつしなかった玄兎が、前触れもなくよいしょと起き上がる。 「――うし、充電完了バリバリチャージ! 寝る子は育つって言うもんね、ニャハ☆」 どうやらちょっと寝ていただけで、体内の毒は浄化されてしまったらしい。鼻息荒く、腕をふんふんと動かして準備運動。その手に、桃色紫虹色黄色水色など毒々しい色合いで彩色された、チェーンソー型トラベルギアを顕現させて。 「逆らうヤツは、オレっちのトレビアンなギアでエブリワン☆デストロイしてくれるわーッ! ヒャハハハッ」 耳障りなほどの黄色い声をあげながら、玄兎はなぜか別荘の外壁をチェーンソーで切りつけ始めた。 リモコンを奪取するためなら、おうちの破壊なんて必要ない。ならなぜ、そんなことをするかと言うと――こう、何となくの勢いなのだろう。 「解体処理ならお手の物! ブレイクだっぜぇぇぇっ」 壁や柱が、傷つけられて。皆も気づかぬうちに少しずつ、家が傾き始めた。 † 「力押しには弱いけど、知略だったらきっとそれなり……うふふ、今に見てなさーいっ」 サシャは企みを含む笑みを漏らしながら、別荘内にある廊下の数々を凄まじい速度でモップ掛けしていた。ワックスも掛けたため、輝くほどにピカピカだ。その分、ものすごく滑る。つまりは罠を仕掛けたのである。 ちなみに今、リモコンはサシャの手にあった。ゼロによるクッション巨大化の衝撃で、こちらに吹っ飛んできたらしい。 「リモコンはワタシの手にあるから、あとはお邪魔虫の皆さんを駆逐するだけだねっ」 そうして一人、せっせと罠をセッティングしていると。 けたたましい音と共に突然、近くの壁から金属の刃がにゅばっと突き出てきた。木の破片が飛び散った。煙のように木屑が舞った。のこぎりみたいな刃そのものが、凄まじい勢いで回転しているらしい。回転のこぎり、すなわちチェーンソーが壁に円形を刻む。丸く切り取られた壁を突き飛ばして、カラフルな色合いをした人物、玄兎が飛び出してきた。 「壁から飛び出てジャジャジャジャーン☆」 「ええええ、おうち壊してる……!」 常軌を逸脱した強攻策に、サシャの開いた口も塞がらない。玄兎はにししと面白そうに哂いながら、サシャへチェーンソーの切っ先を向けて。 「ヒャッハー! デストロイされたくなければ、オレっちに――」 玄兎は廊下を駆けて、サシャへ肉薄しようとした。けれどサシャによって磨かれた廊下は、足を踏み出してもつるつると滑ってしまって。一歩も進めず、ただ両足をしぱたたたと動かすだけになっていて。 「リ、リモコンを――よこ――せ――!」 「いやです!」 んべーっ、と舌先を出してから。サシャは足元に置いた盥を、ゴルフよろしくモップで弾き飛ばす。盥は玄兎の顔面に命中し、尻餅をついた彼はそのまま廊下の向こうへつるーっと滑って壁に激突。その地点の天井に仕掛けておいた無数の盥が、追い打ちのようにばこばこ落下して、玄兎は盥の山に潰され見えなくなった。 「一丁あがり! さー、次は水鏡様とゼロちゃんね。でもあの二人に『リモコンを渡さないとケーキ全部独り占めしちゃうよ! あ~おぃひぃ、ひあわふぇ――リモコンとケーキ究極の二択どっちを取るか作戦』が通用するかなぁ。食べ物に騙されたのと、食べ物で騙した張本人だし……」 うーんと頭を捻りながら、サシャは次なるトラップを仕掛けようとそこを後にする。 † 「――ぶはっ、やっと抜けられた……」 巨大化したクッションに潰されて身動きの取れなかった水鏡だが、魔法でクッションを吹き飛ばし、ようやく廊下に出てこれた。 「くそ、何で僕がこんな目に……あああ! もう鼻血出てるし、髪もめちゃくちゃだしっ」 鼻の奥から液体が流れてくる感触。ぽつぽつと床に赤い斑点ができた。鼻面を抑えながら立ち上がり、廊下に吊るされていた丸鏡に写る自分の姿を確認すると、髪も服装もめちゃくちゃで。 水鏡は憤慨しつつ、傍にあったティッシュ箱から何枚かを取り出し、両方の鼻に突っ込んた。颯爽と懐から取り出した櫛を使い、乱れた髪をテキパキと整える。身だしなみには気を遣うのだ。 「よし、これでOK。さー、これからどうしたものかな」 「――ありとあらゆるふわもこ可愛い生物が、癒し系BGMとともに延々と映し続ける癒し番組なのですー」 「うお、びっくりしたぁ!」 顎下に手をあて、鏡の前でキメた顔をしていたら。いつの間にか背後にいたゼロがぼそっと呟いたので、水鏡は飛び上がってゼロから距離を取る。 「ゼロの番組にはDVD化される予定も再放送の予定もないので、ここで観ないわけにはいかないのですー」 「えぇいうるさいなっ、僕だってそれは同じだ! 尖り耳で巫女服でお淑やかな性格の、俺好みなドストライクゾーンな娘が、普段脇役で全然登場しないのに珍しく活躍するのが今回の話なんだぞ。これが見逃せるかってんだ!」 どん、と壁に拳を叩き付けながら、水鏡も熱く語る。ゼロは立てた指を口元に当てると、むー、と考え事をして。 「その番組には、ふわもこ生物は出るのですかー?」 「生憎、愛玩動物的なマスコットは趣味じゃないんだ、出ないよ」 「それなら、ゼロは譲れないのですー」 「奇遇だね、僕も譲る気なんて毛頭ないよ。だからチビっこ、君には大人しく眠っててもらおうか」 吐き捨てるように言うと、水鏡はゼロへと手をかざし、魔法を使おうとする。 それを見てゼロは、スカートの中からにゅるりと枕を取り出して、床にぽすんと置き。 「交渉決裂なのです。ちぇすとー」 ぺしんと枕を叩いた瞬間、それが二人の間を遮る巨石みたいに膨らんで。水鏡の指先から放たれた魔法の光弾が巨大枕に命中するが、スポンジに吸収される水みたいに消滅し、何も効果を示さない。 「ん? 何だよこれは、くそっ」 何発か魔法を打ち込んでみるが、全て無効化されている。その間に、枕の向こうから聞こえた足音は遠ざかっていく。 「ふん、逃がすもんか。僕の神聖な時間は誰にも邪魔させないぞ」 水鏡は他の経路をあたって向こう側に行こうと、その場を後にした。 † 高い声と低い声のふたつを駆使し、一人二役の台詞を巧みに演じるサシャが、とある部屋にいた。 「そうよ、例えばこんな感じ。 ――ニナ、貴女は美しい。貴女は私の胸の内で輝く、闇夜を照らす月。夜を歩くのに、月の光がなくては闇を恐れて歩むことすらできない。月は尊い存在だ。 ――あぁハーダイン様……けれど私、怖いの。あなたと出逢って変わっていく自分が怖い。 ――月は日夜、その姿を変えていく。例えどんな形になろうとも、月であることに変わりはない。私の中で輝く愛の星も、変わらないよ。 ――ハーダイン様。 ――ニナ。 見つめ合う二人は熱い抱擁を交わしあい、そしてそしてッ、あああ!」 ちなみに抱擁シーンの再現のため、ハーダイン役はサシャのぽんぽこセクタンが代役をしてる。思いっきり抱きしめられ、火が出そうなほど頬擦りもされているセクタンは、ちょっとうんざりするように顔をしかめていた。 そうして興奮気味に、抱擁シーンを演技するサシャを眺めているのは、ゼロだ。ちょこんと床に正座して、のほほんとサシャのひとり劇場を眺めている。表情に乏しい顔だけど、ゼロは「おー」とぱちぱち拍手してくれていて。 「あ、あははー。何だか照れちゃうなぁ……で、ゼロちゃん、如何だったかなっ? ワタシが観たい番組の魅力、伝わったかなぁ」 「伝わったのです。ゼロは今から、サシャさんの味方なのですー」 「え、ほんとーっ? やったぁ、ゼロちゃん大好きっ。一緒にケーキ食べながら観ようねっ」 勤労したセクタンを放り投げて、サシャはゼロに抱きつき、頬擦りし、頭をわしゃわしゃと撫でる。 サシャのセクタンは、やれやれと言いたげに手ぬぐいで顔を拭いていた。 † 「なんでここ滑るのー!」 サシャの罠にまんまと引っかかり、水鏡はノンストップで廊下を滑っていた。魔法を使おうにも、滑ってる間に盥がばこばこ落下してくるので集中できない。 そのまま止まれず、降ってくる盥とかヤカンとか鍋とかに頭をごちごちぶつけて。盥が山になっているところへ真っ直ぐ突っ込み、そこでようやくストップしたのであった。 「だー! おかしいだろ、何でこんなに盥があるんだよココ!」 水鏡が盥の山から顔を出す。怒りのあまり、鼻からすぽんとティッシュが飛んだ。 するとその隣から、玄兎がひょっこり顔を出し。 「オレっちのこと呼んだぁ?」 「呼んでないね。そのままそこで眠っててくれ」 「交渉決裂ジエンドバイビー! ってなわけで戦闘開始って感じ?」 「ちっ」 両者、盥の山から弾けるように脱出し。一定の距離を開け、広い廊下の中央でにらみ合う。 すると玄兎が攻撃態勢を解き、ひーらひーらとやる気なく手を振って。 「っつーかさぁ、変な番組観てないで、もう皆でオレっち見ればいーじゃん」 「いや、意味わかんないし!」 水鏡は呆れた顔で、ぶんぶん首と手を横に振る。 それを華麗に聞き流し、玄兎はぺろっと得意げに舌先出して、可愛らしくポーズを決めて。 「今日は特別大サービス! 番組譲ってくれたらこのクロ様、思う存分眺めてもいいぜー。胸きゅんときめきラブハートでイチコロずっきゅんよ? 今なら1分200円☆」 「いるかそんなモン!」 水鏡は唾を飛ばす勢いで反対しながら、鍵型をしたトラベルギアを投げつけた。それが玄兎の影に刺さる。 影を通じて魔力が作用し、玄兎はその場から動けなくなる。玄兎は不思議そうに体を揺するが、不自然な態勢のままほとんど身動きができなくなって。 「僕のジュースが効かないなら、魔法で眠らせてやる……!」 その間に水鏡は指で印を組み、光る指先で宙に何かを描き始める。 けれど玄兎は、思いっきり踏ん張るように唇をギリギリとかみ締め、顔を真っ赤にすると。 「ふんがー! オレちゃんフルパワーオーバーロードォォォ!」 水鏡のギアによる拘束を、パワーだけで引きちぎった。玄兎の影に刺さっていた鍵型のギアがぱんと弾けて消え失せる。 「ちょ、なんて馬鹿力だよ!」 「ふごぉぉぉ」 蒸気みたいに鼻から息を噴出す玄兎は、顕現させたチェーンソーを手に暴れ始める。 ギアを失った水鏡は一旦退いて態勢を立て直すべく、廊下を駆けていく。幸い、サシャの罠はここには施されていなかった。あるもの全てをその凶器で破壊していく玄兎を尻目に、水鏡は逃げて。 廊下が交差する場所で、水鏡は誰かと肩から激突し合う。 「きゃーえっち!」 ぶつかったのはサシャだった。あらかじめ想定しておいた作戦通り、(ぶつかったのは肩なのに)胸を隠すように腕で抱き、身をくねらせながら悲鳴をあげた。 「あ、ごめん俺、エルフと獣人と巫女服の女の子にしか興味ないんだ。メイドは全然萌えないんだよね」 水鏡はひらひらと手を軽く振り、乾いた声音で淡々と否定した。 尊厳を傷つけられた気がして、サシャは真っ白になって両膝をつく。 「ワタシって……そんなに魅力のない……確かにお胸もあんまりないけど……」 「サシャさんはいやらしいのですー」 「それ全然フォローになってないよぉぉぉ! しかも前にどこかで聞いたぁぁぁ!」 床に両手をつき、サシャはわんわんと泣き叫ぶ。 「いいから起きろよポンコツメイド、バカやってる場合じゃない! 玄兎が暴れてるんだ、何とかならないか?」 「罠をセットなのですー」 廊下の突き当たりに暴走玄兎の姿が見えた。ゼロはすかさずスカートの中から新しい枕を取り出し、巨大化させる。それは瞬時に廊下を埋め尽くし、障壁になった。けれど。 「うがぁぁぁ」 「げ、突破してきてる」 「見境無く暴れているのですー」 「魅力……ない……」 「いいから早く逃げるんだよ! 貧乳はステイタスで希少価値だって、エミリエが言ってたぞ!」 「そ、そっか……!」 苦し紛れのフォローだけど、サシャの顔へ生気が戻る。三人は狭い階段を駆け上がり、上へと退避して。 「そうよ、ワタシはワタシだったから、ロキ様も好意を抱いてくださったのだもの……! メイドはめげずに頑張りますっ。さぁ、これでもくらいなさいっ。漫画本のシャワーだあ!」 サシャはメイドだ。力仕事に主人の手を煩わせるなど、あってはならないこと……そうしたプロ意識によって鍛え抜かれた秘密の筋肉、通称:ハイパーメイドマッスルヴィクトリアンデラックスを酷使すれば、近くにあった部屋の、漫画本が詰め込まれた本棚をまるごとひとつ片手で持ち上げて、階段の上から転がり落とすくらいは朝飯前なのである。 水鏡はその光景を間近で見ていた。あくまで落ち着き払ったそぶりを崩さぬように眼鏡を直すが、手はがたがたと震え、顔や背中には冷たい汗がにじんでいた。 「い、いま起こった事をありのまま話そう……〝自分でか弱いどじっこメイドとか言ってた女が、漫画本の詰まった重い棚を軽々持ち上げて階段から突き落としてた〟――な、何を言ってるのか分からないと思うが、僕も何がなんだか分からない。自分でか弱いとか言ってなかったか、あのメイド……。実は百戦錬磨の肉弾派メイドとか、これが天下のコンダクター限定トラベルギア修正だとか、そんなモノとは次元が違う……僕はメイドというものの恐ろしさの片鱗を、この目で垣間見た気がするよ……!」 「大丈夫ですかー?」 窓の外の青空に視線を送りながら、わなわなと早口で呟く水鏡を、ゼロは首を傾げて不思議そうに見上げた。ゼロが指でつつくと、水鏡はその手を乱暴に跳ね除けて。 「えぇい、触るなよっ。こんなメイドの傍にいられるか。死にたい奴らはここにいろ、俺は0世界に戻るからな!」 「フラグなのですー」 水鏡は出口を探すため、奥の部屋へと速やかに退避していく。 サシャはじりじりと後退しながら、仕込んでおいたトラップを起動させ、玄兎の進行を妨害しようとした。 けれど大して効果はない。落下してくる盥も、チェーンソーで粉々にされている。ボタンひとつでくるんと180度回転する床は、あらかじめ滑るように磨いてあったけれど、その床ごとチェーンソーで破壊しながら進んでこられては意味もなく。 「あぁもう、玄兎様なんであんなに元気なのっ。あんなひとを、このままにしておけない……! ゼロちゃん、このリモコンを持って水鏡様と奥に行って。あのひとはワタシが食い止めます!」 「これもフラグなのですー」 ゼロは謎の言葉を呟きながら、言われたとおりに奥の部屋へと逃げ込んでいく。 サシャは両手を広げ、凛々しく玄兎の前に立ちはだかり。 「ここから先は通しません! 通りたくば、このサシャ・エルガシャを――」 「ぶなぁぁぁ」 玄兎は背負っていたリュックに手を突っ込むと、無造作に何かをつかんで投げつけてきた。サシャは悲鳴を上げて腕と顔を背けるが、ぺちんと当たったものは何だか軽くて呆気なくて。 「ふ、ふふん。何のつもりかは知らないですけど、そんなもので」 てっきり硬いものでも飛んでくると身構えていたサシャは、強がりながら目をゆっくりと開けた。足元に落ちたであろう投擲物を見た。 見た瞬間、サシャの表情と動きがピシッと固まる。玄兎が投げつけたもの。壱番世界でも有名なそれ。その名を迂闊に呼ぶことは禁忌とされ、Gのアルファベットで表されることもあるそれ。 かさかさと何本もの脚を動かす、黒光りするあいつ。異世界サイズなのだろうか、全長は20cm強。しかも何だか二本足で器用に立っている。 「××××××××!」 意味不明の何かを叫びながら、サシャはダッシュでその場から逃げる。引きつった顔で涙を流し、助けを求めて右往左往。壁に激突、扉に激突。一番奥の部屋へ逃げ込む。慌てて鍵を閉めると、すぐさまゼロの後ろに身を隠し、ぶるぶると体を震えさせる。 「むりむりむりむり。ただでさえ嫌いなのに、あんな大きいのむりむりむりむり……」 暗い声音で呪詛のように吐き出すサシャ。 一方、部屋を探索していた水鏡は悔しそうに壁を殴って。 「くそ、出口もないし道具もない……! ここまでかっ」 「……ひとつだけ、方法があるのです」 「ヒャッハー! リモコンをよこせぇ☆」 神妙な声で話すゼロに問いかける間もなく、暴走玄兎が扉を凶器で破砕しながら侵入してきた。 たじろぐ水鏡、おびえるサシャ……そんな二人を護るかのように、ゼロは勇ましく一歩を踏み出し。 「ちぇすとー!」 ゼロが叫ぶと同時に巨大化した。天井を突き破り屋根を突き破り、ばこーんとおうちの二階部分を吹き飛ばす。 ふん、とマッスルなポーズを取ってから、ゼロは虫を潰すように手を振り下ろす。「ぴぎゃっ」という玄兎の叫びが漏れた。 でも。 玄兎がその凶器で家を破壊し尽くしたことと、ゼロの巨大化による重さで耐え切れなくなった別荘は。 大きな地響きと、凄まじい量の土埃を上げ。巨大化したゼロすら飲み込むように、どんがらがっしゃーんと崩壊してしまう。損害の無かった部分も、連鎖反応で跡形も無く崩れていって。 「げほげほっ……ああ、おうちがぁ」 「だー! くそ、服も髪も台無しだ!」 「……あれ、オレっち何してたの?」 「リモコンは死守したのですー」 瓦礫の山と化した別荘から、四人が汚れまみれの顔を出した。ゼロは元のサイズに戻っている。 そうして疲れ切った皆の顔に、ぬらりと暗い影が差す。 視線を向けるとそこには、天使のように明るく笑みながら、悪魔のような深い闇の気を背から立ちのぼせる、別荘の主の姿があって。 「別荘を借りていた皆さんへ、提案したいことがあります……♪」 別荘主は、きらきらと輝く弾んだ声音で言った。 「あ、あるじ様っ。すぐに片付けますのでどうかご勘弁をっ」 サシャがおよよと泣きながら弁解する横で、三人は何かを悟った遠い表情を浮かべていて。 「……この戦争が終わったらオレっち、誰かと結婚するんだ……」 「僕も、エルフ耳で獣人で巫女服着てるあの娘と結婚しようかな……」 「死亡フラグが乱立してるのですー」 四人は今まで、数ある冒険や依頼をこなしてきた。怖い目にも遭ってきた。けれど、四人は感じていた。今まで以上にない恐怖を。 「お し お き の 時 間 で す」 四人のロストナンバーは、目の前が真っ暗になった。 † ロストナンバー達の間では、こんな噂が囁かれている。 ――壱番世界に住むロストナンバーの中に、広くて素敵な別荘を何の見返りもなく貸してくれる、心優しい者がいる。 しかし、決して別荘を粗末に扱ってはいけない。 世界司書リベル=セヴァンの激昂モードに匹敵するほどの、恐ろしい恐ろしい〝おしおき〟を――死など生ぬるいと思えるほどの、名状しがたき深淵なる戦慄を味わうことになる――と。 おしおきを受けたとされる、ある四人のロストナンバーは。 口をかたく閉ざし、何も語ろうとはしなかったという……。 <おしまい>
このライターへメールを送る