▼0世界、ターミナル、とある放棄チェンバー チェンバーとは、ターミナルに各所に作られた仮想空間だ。 魔法的な技術により多様な空間を形成することが可能であり、特異な世界からやってきたロストナンバーも、それで生活に適応することができる。 そんな、放棄されて長く経つとあるチェンバーを、てこてこと歩く小さな人影ひとつ。 「よーし、ここが最後のおまわりポイントだな」 小さな体をいっぱいに覆ってしまうほど、大きな地図を両手で持って。アルウィン・ランズウィックが、チェンバーの中をのしのしと歩いていた。 アルウィンに課せられた任務とは、使用されていないチェンバーに異常が無いかを確かめて回る、重要な仕事だ。まわる箇所はいくつもあるし、それらをすべてこなすには体力も必要だ。中々に辛い任務なのである。 「うおー、何だかすごいな。色々な建物がいっぱいある、ある、ある……!」 そこは、アルウィンが住んでいたような、土と木と石で作られた住宅が並んでいた。どこかヴォロスの世界を彷彿とさせる建物だ。 けれどそれだけではない。壱番世界にあるような、多様なか達や色合いを持つ住宅群も並んでいた。あるいはインヤンガイのように、無計画に混ぜ合わせたような建物もあった。 他にもたくさんの建造物が並んでいた。ブルーインブルー、モフトピア、カンダータやマホロバ、朱昏やミスタ・テスラ……あらゆる世界の建物を少しずつ持ってきたような、そんな街並み。まるでこのチェンバー全部が、世界の博物館のよう。 まだ見に行ったことも無い世界群の建物。目をきらきらさせながら珍しそうに見上げて、ぱたぱたと通りを進んでいく。 アルウィンは〝ナイト〟だ。よい子なのである。誰も見てないからといって、勝手に壁へ落書きしたり、物を壊したり勝手に持っていったり、そんなことはしない。無論、許可なくマーキングしたりなんて論外である。だってよい子だもん。 「アルウィンは、立派なナイトなんだからなっ。……そうだ、ゴミが落ちてたら拾ってあげなくちゃな。誰もいないんだったら、お掃除するひともいないはずだ」 そうやって意気込みつつ、アルウィンは街の奥へと進んでいく。 ただ、やがて気づく。 「誰もいないって……何だか寂しいな」 ここは無人チェンバーだから、誰もいないのは当たり前なのかもしれない。 けれど誰かの声、誰かの物音、誰かの気配――そうしたものが全く無く、ただ静まり返っているだけの街並みに、異質なものを感じた。 人が住んで、暮らしているはずの所に。誰も、何も、ない。 自分以外が寝静まった夜の静けさだとか、皆が出かけていて自分だけがお留守番をしているおうちだとか。そんなものとは訳が違って。 底が無く、果てが無く。ただただ、からっぽだけがそこに在る。 楽しそうな笑い声も聞こえない。賑やかな音楽も聞こえない。小鳥のさえずり、動物達の鳴き声もない。生活をする音も気配も、ここにはなくて。 「おーい! 誰かいるのかー」 大きく叫んでみた。アルウィンの舌足らずな幼い声だけが、街に空しくこだまする。 ……それだけだ。 すすり泣くように、からっぽの風が吹き付けて。兜の羽飾りを弱く揺らした。 「……やっぱり、誰もいないのか」 しゅん、と残念そうに耳がへたばった。はぁ、と寂しそうに肩を落とす。顔をうつむかせ、溜息をついた。 ――視線を落とした先に。小さい何かがいて。 「うひゃあ!」 驚きでしっぽがピンと逆立った。思わずその場で、後ろに飛び上がってしまう。そのまま尻餅をついてしまう。 どしん、お尻に走る衝撃と痛みに顔をしかめつつ、アルウィンはちっちゃなそれを改めて見やった。 ぷるぷると弾力のある、柔らかそうなボディ。ゼリーみたいなからだ。そこから生えている、ちっちゃな手足。くるんと巻き毛みたいになった頭頂部。不思議そうにアルウィンを見つめる、つぶらな瞳。 アルウィンも、何度か見たことがある。デフォルトセクタンだ。 アルウィンとセクタンは、互いにきょとんとした顔で視線を交し合う。 「おまえ……せくたん、だよな。こんなとこでどうしたんだ? 迷子なのか?」 アルウィンは四つんばいになり、そろそろとセクタンに近づく。セクタンは何か考えるような仕草をしたあと、てててとその場から駆け出してしまう。 「あ、おい! 待ってくれよーっ。ここは本当に誰もいないのかーっ?」 袋小路に駆け込んでいくセクタンを、アルウィンは追いかける。 狭い通路に身を滑らせ、階段を昇って降りて、壁をまたいで、通りを駆けて。 そんな追いかけっこを繰り返していると、アルウィンは街の中央にあるひときわ大きな建物の中へと、いざなわれていた。 埃にまみれた長椅子が、規則正しくいくつも並んでいた。天井はとても高い位置にある。外からは何階建てかの建物に見えたが、中は吹き抜けになっているようだ。壁や天井には、何か意味深な絵が所狭しと描かれている。それらの絵画は色褪せてしまっているが、幼いアルウィンにも荘厳さを感じさせた。 「ほえー。すごいなぁココ……それにあれ、何だか綺麗だ! おっきな窓に絵が描いてあって……」 色とりどりのガラスを使って作られた、巨大なステンドグラスがいくつもあった。アルウィンはセクタンを追いかけていたのも忘れて、眩しそうにそれらを見上げる。 そうしていると、ふと視界の隅で何かが動いた。顔を向ける。すぐ近くの長椅子のところに、さっきまで追いかけていたセクタンが、くるんと丸まってじっとしていた。 「あ、みーっけ!」 しゅぴんと指差し、アルウィンは弾んだ声をあげる。 するとセクタンは丸まりを解き、ぱたぱたと嬉しそうに手足を動かした。 アルウィンはにししと笑いながら姿勢を低くし、無遠慮にセクタンへ鼻先を近づける。 「なーなー。おまえ、ここで一人なのか? 寂しくないのか? 遊んでやってもいいぞ!」 アルウィンは小首を傾げながら、まんまるの瞳でセクタンを見つめて。そう提案してみる。 すると、目の前のセクタンがぴょーんとジャンプし、アルウィンの兜の上に陣取った。どこからともなく、丸くて小さな笛のようなものを取り出して咥え、ピーッと甲高い音を鳴り響かせる。 「うひゃあ!」 突然の騒音に、アルウィンの体がびくびくっと勝手に大きく弾んだ。思わずその場でしゃがみこみ、耳を手で押さえてしまう。 頭頂部にいたセクタンが、こんころりんとおむすびみたいに床へ落っこちる。 「な、なんだよ急に。びっくりしたぞ……」 労わるように耳を触りながら、アルウィンは恐る恐る顔をあげる。 床に突っ伏していたセクタンが、ぽよんと体を揺らしながら跳ね起きる。何やら、探るように周囲を見渡している。 それにつられて、アルウィンも周りへ視線を向けてみた。 どこからともなく、色違いのデフォルトセクタンが何体も姿を現した。柔らかそうに体を弾ませ、踊るように歩いてくる。 そんなセクタンの群れに混ざって、フォックスセクタンやどんぐりセクタンがいた。他にもぽんぽこやロボット、ドッグのフォームをしたセクタンも確認できる。上にはいつの間にか、くらげやオウルのセクタンまでもが姿を現していた。 「すごい、セクタンがいっぱいいるっ。あはは、こんにちはーだぞ!」 黄色い声を上げてはしゃぎながら、アルウィンが元気よく挨拶をした。 するとセクタン達はびっくりしたのか、慌てて逃げるように物陰へ引っ込んでしまう。ただぽんぽこセクタンだけは、ぼうっとアルウィンを見上げていたけれど。 「わ、ごめんびっくりしたか? だいじょぶ、アルウィンは悪いヤツじゃないぞ。ほら、お菓子とお弁当だって分けてやるっ」 アルウィンはリュックを下ろすと、そこから取り出した布地の敷物をばっと広げた。さらにその上に、持ってきたお菓子やらお弁当やらをテキパキと広げていく。 その様子を遠巻きに窺っていたセクタン達だが、ぽんぽこセクタンがのそのそと敷物の上に腰を下ろし、お菓子をもぐもぐ口に運び始めると、他のセクタン達も一匹、また一匹と近づき始めて。 「ほらほら、これなんかおいしーぞっ。アルウィンの友達がつくってくれたんだ」 気さくに箱を差し出しつつ、セクタン達にピクニックセットを振舞った。大きくて食べるのに苦労しそうなものは、アルウィンが小さくちぎってやったりもした。 セクタン達はそれぞれ、フォームに見合った愛らしい鳴き声(?)をあげつつ、アルウィンからもらったお弁当やお菓子をおいしそうに食べている。 アルウィンは、まるでセクタン達の親分にでもなったかのような気分だ。それなら、と思い、アルウィンはがばっと立ち上がる。お菓子で口の端を汚していたセクタン達が、手を止めて不思議そうに顔を上げた。 アルウィンはしゅぴっと指を立てると、なるべく親分みたいに見えるよう、胸を張って堂々と言い放つ。 「よーし、おまえ達。今回は特別に、このアルウィンさまが、面白い遊びを教えてやるぞぉ!」 セクタン達はきょとんと顔を見合わせてから、はしゃぐような鳴き声をあげて拍手したり跳ねたりした。意味を理解したのかしていないのかは、分からないけど。 「ふふーん。とっておきの遊びなんだ、よーく覚えておくんだぞ。まずはえっと……」 セクタンにきちんと言葉が通じるかどうか、とか。ルールが理解できるのかどうか、とか。そんなことは考えない。 そんな御託を考えるよりもまず、自分自身の「楽しい!」を言葉と体で、いっぱいに伝えることの方が大事だし、そっちの方が楽しいからだ。 そんなわけで、アルウィンはセクタンに色々な遊びを教えていく。 † 遊びの伝授のついでに、一緒になって遊んで。 やがて、アルウィンの背中のリュックからけたたましい鈴の音の連なりが鳴り響く。持ち歩いている目覚まし時計が帰宅時間を知らせたのだ。 周囲にいたセクタンはびっくりして、物陰にばたばたと隠れてしまう。ただぽんぽこセクタンだけは、鼻ちょうちんを膨らませつつマイペースに昼寝をしていたけれど。 アルウィンは目覚まし時計を止めると、唇を尖らせて名残惜しそうに呟く。 「ちぇ、もうこんな時間か……おうちに帰らなくちゃな」 音が鳴り止んだことで、離れていたセクタン達が物陰から顔を覗かせた。アルウィンの雰囲気を察してか、セクタンは互いに視線を交し合い、少しもの寂しそうにしている。 互いにしばらく沈黙していたが、アルウィンは迷いを振り切るように首をぶんぶん左右に振った。にかっと快活に笑い、鼻の下を指でこすりつつ、セクタン達に言い放つ。 「よしよし、だいじょぶだ。お遣いに頼まれたら、また遊びにきてやるからなっ」 するとセクタン達は嬉しそうに跳ねたり体を揺らしたりし、わいわいと盛り上がった。 ――そして。 アルウィンはセクタン達に見送られながら、そのチェンバーをあとにしたのだった。 † それから少しあとのこと。 「あー今日も大変だったぞっ。帰ったらごはんごはんっ」 異世界での依頼を終え、帰りのロストレイルから降り立ったアルウィン。ターミナルで仲間と別れを告げた後、自宅へと戻る道を駆けていた。 そんな時、通り過ぎようとした細い路地に、何か見覚えのある影がちらついたような気がして。両足をふんばり、キキーッと急ブレーキ。足元から甲高い摩擦音が響き、土煙が上がった。 すぐに身を翻す。建物と建物の間の、大人が通り抜けるにはひと苦労しそうほど狭い路地を覗き見て、目を凝らす。 暗がりの向こう、遠ざかっていくセクタンの背中が見えた。一匹だけではない。他のフォームのセクタン達が、何匹も何匹も。 「おまえ達……あのときのセクタンか? そうなのかー?」 確証はないけど、何となくそう思ったのだ。 一匹のセクタンがふと振り返り、こちらへ手招きしたように見えた。 アルウィンの耳がピンと立つ。房みたいな尻尾がぶんぶんと左右に振られる。アルウィンの表情に、得意げな笑みが浮かぶ。 「追いかけっこなら負けないぞ! まてーっ」 アルウィンは邪魔な荷物をその場で放り捨て、細い路地に体を突っ込んだ(ちなみに荷物は、そこを通りかかった知り合いが拾って、後で届けてくれたそうな)。 ちっちゃなナイトさんは、今日も元気いっぱいにターミナルじゅうを走り回る。 <おしまい>
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