オープニング

▼ミスタ・テスラ、コルロディ島にて
(さて、改めてここに来るのも久しぶりだな……)

 メルヒオールの足は、かつて訪れたあの館へと向いていた。道のりは身体が覚えているようで、考え事をしながらでも自然とそちらへ歩んでゆける。
 故郷世界とは全く違う雰囲気のミスタ・テスラ世界ではあるが、自分にとってそれなりには馴染み深い旅先にもなっているのだ。いわば、この異世界に情が移っているとも言ってよい。

(旅団やファミリーとの一件もあって、色々と情勢が忙しなかった……。今後、大きな動きが無いとも限らない。いつ何があっても良いように、少しは折り合いをつけながらやっていった方が、互いのためかもしれないな……)

 そんなことを思いながら、メルヒオールは道を行く。数歩程度の幅がある直線で、中央に不明瞭な雑草のセンターラインが走っているその道は、草原と畑の中にある。わだちの乾いた土をなぞるように進んでいくと、見覚えのある大きな館が見えてくる。
 かつて数人の仲間と共に、機械仕掛けの子ども達の世話をした、あの館が。

(さて、イーリス。また抜き打ちの家庭訪問といこうか)

 今回は果たして、どのようなトラブルが待っているのだろう――そんなことが頭をよぎり、懐かしむような苦笑を浮かべる。
 けれど、待って欲しい。いつもいつも何か事件やら何やらが、あるわけないではないか。今回の旅路だって世界図書館からの依頼ではなく、ただの旅行である。だからゆっくりできるはずだし、というかゆっくりしたい。

「そうだそうだ。そう毎回都合よく、面倒くさいことなんてあるわけ……」

 自分で呟きながら、何となく察する。
 あぁ、今回も。自分の中にいる何かが、からかうように囁いている。

『今回も何かしら待ち構えているぜ』

 ――と。
 まだ問題に直面したわけでもないのに、メルヒオールは眠たそうな顔のまま疲れた溜息を零した。

 †

 瑠璃、マヤ、ジング、ミオ、ティンカーベルといった、馴染みある機巧人形の子ども達に迎えられつつ、館内へとわいわいがやがや案内されて。工房で整備中であるというイーリスの様子を見に行ったメルヒオールは、開口一番に驚愕と戸惑いで声を荒げた。

「あ、せんせ」
「――っておまえ、その身体……!」

 端的に言えば、イーリスの身体はボロボロだった。
 前に会ったときは、ぱっと見は人間と区別がつかないくらいに球体関節が隠されている、上質なボディを使っていたはずだ。
 けど今は、指も含んだ四肢すべての球体関節が露になっている。しかも左腕部は肩から先がまるごと欠損してしまっているし、右脚部は太股から先の外装がすべて剥がれおり、芯となる骨格(フレーム)部を痛々しく晒していた。足首から先のパーツも無く、左右で足の長さがちぐはぐになってしまっている状態だ。
 髪の艶はなくなり、使い古した筆先のようにぼろぼろ。しかも粗末にばっさりと短く切られている。以前の髪は長くて艶がある金髪で、お洒落に後頭部で結っていたはずだけれど。
 そんなイーリスは、肘掛がある椅子に様々な機械装置を雑多に取り付けたような整備台に腰掛け、あっけらかんと笑っていた。メルヒオールが早足で歩み寄り、心配そうに声を掛ける。

「おまえ、一体どうしたっていうんだ。事故か何かでも……?」
「うん、ちょっと工場で爆発事故があったの。……それもあるし、ほら、私達ってオートマタでしょ? 色々とたくさんのお仕事、もらってるんだ。そうやってるうちに、ボディとか壊れちゃって」

 えへ、と微笑んで教師を見上げるイーリスの視線は、どこか疲れで虚ろだけれども。笑顔には誇らしそうな色がにじんでいる。

「……あ、ごめん瑠璃。ちょっと水晶瞳機関のピント、やっぱり合ってないみたい。あんまりみんなの顔、頻繁にぼやけてよく見えないわ。調整してくれる?」
「やはり、規格外のパーツでは上手くいきませんか……しかし優秀な私はあきらめません。分かりましたイーリス、いま準備しますね」

 イーリスが辛そうに顔をしかめてそう言うと、瑠璃と呼ばれた少女型機巧人形が固く頷いた。埃で汚れたままの白衣を揺らしながら、複数の機関装置の間をぱたぱたと往復し、何やら作業の準備を始める。

「加えて、全身の細かい部品がきちんと動作しているか確認しましょうか。オーバーホールしてまだ間もないですし」
「お願い、瑠璃。……ごめん先生、すぐ終わるから向こうで待ってて? ジング、先生にお茶を出してあげてよ」
「えぇ、分かりました。――メルヒオール先生、こちらへ」
「あ、あぁ……」

 頬に亀裂が走っているイーリスの横顔は、すました様子だった。人と違って痛みはないのかもしれない。けれど見るからに酷い損傷を負っていても表情一つ崩さないイーリスに、何かやるせない感情がわきあがって。
 瞳を切なそうに細めつつ、メルヒオールはひとまず工房を出た。

 †

 メルヒオールはオートマタの子ども達に囲まれながら、わいわいとお茶をした。それは、故郷世界で生徒に囲まれながら過ごしていた、騒々しい休み時間を思い出させる。
 メルヒオールは思わず懐かしい気持ちになって頬を緩めたが、その思考の隅には棘のようにちくりと刺さるものがあった。すなわち、イーリスのこと。オートマタの扱いのこと。
 その、上手く言葉にならない問いを投げかけると、子ども達は淡々と答えてくれる。

「先生、何を言っているんです。私達は〝オートマタ〟ですよ」

 黒い髪をかき上げながら、少女型機巧人形のマヤは、しれっとした態度で当たり前のように言った。

「オートマタは機械であり、機械とは道具です。道具が使われるのは当たり前じゃありません?」
「私たちオートマタは、使われてなんぼ……」

 いつもとろんとして、ぼーっとした表情をしているミオが、ぼそりと低く呟いて言葉をつなげる。

「使われることは、オートマタの私達にとっては喜び……そう、働くって素晴らしい……」
「イーリスちゃんは、みんなの中で一番先に働くようになったんだよっ」

 ティンカーベルが身体をぴょんこと弾ませながら、自慢げに言葉を挟んでくる。

「ベル達はまだまだ育成が充分じゃないから、本格的な仕事のお手伝いは先のことで、今も訓練中だけど……イーリスちゃんは頑張り屋さんで、成績がすごくて、もうきちんとした一人前のオートマタとして、世の中に出てるんだよーっ」

 ティンカーベルは興奮した様子で、イーリスのことを口早に語る。仲間の活躍を自分のことのように嬉しがっている。

「それは本当にすごいことでね、能力だけじゃなくって思考回路とかたくさんのものが、きちんとした状態に仕上がっていなくちゃいけないの。だから中々〝卒業〟はさせもらえないんだけど、イーリスちゃんは一足先に卒業しちゃった!」
「へぇ……そうなのか」

 相変わらず感情表現に疎いメルヒオールは、ぬぼーっとした表情をしながら顎先を手で撫でていた。
 とは言え内心では、イーリスのそうした活躍を納得していた。色々なことに器用で、皆の世話をするために忙しなく立ち回っていた彼女が、優秀なオートマタとして評価されることはあり得る話だ。

「ですが先日、働きに出ていた工場で事故があったようで……」

 ジングが、やや表情をかげらせながら言葉を挟む。

「感情回路や記憶回路など、重要な機巧に関する故障・欠損は認められなかったようです。事故の前から既にボディは酷使し切っていたようですが、今回の件で……」
「イーリス、最近は張り切ってたんですよ」

 マヤの涼やかな声にも、悲しげな色合いがにじんで。

「もっと高級で上質なボディに換装してもらって、綺麗になるんだって……でもそれも全部、あの有様です」

 マヤが大きな溜息をつく。
 それを聞いてから、メルヒオールは眉根をひそめて怪訝そうに言った。

「……こう、何か救済的な制度みたいなもので、修理とかはしてもらえなかったのか? そういう権利とか何とか」

 機械仕掛けの子ども達は、気まずそうに視線を交し合って沈黙する。つまりは、そういうことらしい。

「……ふむ」

 メルヒオールは頭をぼりぼりと掻きながら、難しそうに唸った。

「あいつの仕事の予定って、どうなってるんだ?」
「イーリスのスケジュール、ですか? そのあたりは街のオートマタ協会に聞いてみないと、何とも言えませんが……」
「そうか」

 ジングが戸惑いがちに返すと、メルヒオールはそのまま黙り込む。表情はいつも通り眠そうなのに、その双眸にはどこか真剣な色合いが漂っていて。
 彼のそうした様子にオートマタの子ども達が顔を見合わせ、疑問に首を傾げた。
 そんな中、ミオはぽうっとした顔を崩さず、考え込むメルヒオールの前で、ねこじゃらしみたいな羽毛の玩具をふんふんと振る悪戯。もちろん彼から反応はなくて。
 どうしたの、とは何となく聞きづらい沈黙の空気を挟み。少ししてから、メルヒオールは急にすくっと椅子から腰を上げた。彼にねこじゃらししていたミオが無表情のままびっくりして、こてんと床に転がった。
 ティンカーベルが目をぱちくりさせながら、メルヒオールへ不思議そうに訊ねる。

「あれ、先生どこ行くのー?」
「ん、ちょっと野暮用にな……」

 メルヒオールは手をひらりと振りながら、部屋を立ち去ろうとする。

「あぁ、そうだ」

 扉に手を掛けたメルヒオールが、僅かに首だけを動かして振り返り。気づいたように一言、言い残していく。

「もうちょっとしたら、イーリス。しばらく借りていくぞ」

 そしてメルヒオールは部屋を後にした。

「あのお嬢さんは、このメルヒオールが頂いていく……そう、彼は海賊だったのです……」

 床にぺたんと座ったままのミオが、いつの間にか両手に広げていた冒険小説を見ながら、起伏のない棒読みで呟いた。

 †

「……あ、せんせ」
「よう」

 数時間後。
 調整が終わって、整備台の上でくったりしていたイーリスが休眠状態から目覚めた。その様子を傍で見守っていたメルヒオールが、のんびりと声を掛ける。
 手術衣のような簡素な布をまとっているイーリスは、調整したばかりで慣れない水晶瞳機関のピントを彼に合わせながら、にこりと微笑んだ。
 各種の整備機関も動作していない二人だけの工房は静かで、彼女のかすかな駆動音もメルヒオールの耳に届いた。
 少しの間、視線が交錯し合う。イーリスが気恥ずかしそうに顔を逸らすと、特に何か聞いたわけでもないのに、自ら言葉を連ねていく。

「な、何だか恥ずかしいな……もう、来るなら先生、事前に連絡くれればいいのに。今は髪もぼろぼろだし、手足は無くなっちゃったし……あ、これでも修理してもらったのよ。マイスターのゼペルトさんが、瑠璃と協力してここまで直してくれたの。本当だったら、目も喉も使い物にならなかったはずだし……骨格も曲がっちゃってたから、とりあえずの応急措置に木製の素材で修理してもらったんだ。軽くはなったけど、何だか挙動がざらざらするのよね。はー、もうイヤになっちゃう。そういえば最近は買い物が私の趣味なんだ。ほら、人間の皆が美容と健康を気にするみたいに、私達オートマタだって気にするところはあるのよ。関節に差す油ひとつとっても色々あって、この間なんか――」

 沈黙を避けるように、イーリスは矢継ぎ早に話題を転がした。顔はメルヒオールから逸らすように、そっぽを向いていて。

「――イーリス」

 メルヒオールはやや強く言い放ち、イーリスの話を断ち切った。イーリスはびくりと肩を弾ませると、言葉を止めて。怯えたように視線を向けないまま、恐る恐る言葉を搾り出す。

「ご、ごめんなさい……あの、私ね、別にふざけてこんな風になっちゃったわけじゃなくて、ね。その――」
「今日は、授業は無しだ」
「え、」

 関節の稼動がうまくいかないのか、イーリスはぎこちなく首を動かしてから、教師をきょとんと見上げた。
 メルヒオールは気だるそうに首を捻りながら、ぽつぽつと言葉を掛ける。

「仕事もしばらく無し。さっき協会に連絡しといた。……さ、行くぞ」
「い、行くって……どこに? 何をするの?」
「この島を出て、都心部に向かうぞ。することは……まぁ教師同伴の自由行動、ってやつか」

 よっこいせ、とメルヒオールが椅子から立ち上がる。イーリスは目をぱちくりとさせている。まだ彼が零した言葉の意味を理解できていない。

「……え、あの、それって、え?」

 メルヒオールは恥ずかしさを隠すように背中を向けると、面倒くさそうに言い放つ。

「……だから、おまえは休みなの。で、それに俺が付き合ってやるってこと」

 メルヒオールは返答を聞かぬまま、逃げるように工房を出て行こうとする。

「外で待ってる。定期便が出航するまで、あんまり時間無いんだからな。支度ができたらすぐに――」

 がたがたどたんばったん。
 騒々しく物や道具にぶつかったりしながら、イーリスは整備台から跳ね起きた。使い物にならない片足の代わりの杖を引っつかみ、ふらふらと危なっかしく身体を揺らして壁に当たりつつ、別の出口から工房を出た。

「ミオ、私の部屋から荷物取ってきてちょうだい! ジング、関節に油差し直すから手伝ってよ! 瑠璃、蒸気導力の再補給したいんだけど急いで準備できる? ベル、私出かけるから服着るの手伝ってくれない? マヤ、私が居ない間はおうちのことよろしくね!」

 少しぼそぼそと枯れてしまっている、けれどよく通る声を、鈴みたいにころころと響かせて。イーリスは仲間たちに呼びかける。
 忙しなく皆で準備を始める生活音が、どたばたと館のそこかしこで生じている。

「まったく、別に少し出かけるってだけなんだが」

 呆れ混じりに溜息を零す。
 さて、出かけた先ではどうするか。
 まずは食事か、あるいは服でも買ってやろうか。お出かけ用の服は前からも欲しがっていたような気がする。
 けど、その前にまずはボディの購入か。片手片足もない状態では色々と不便だろう。けどオートマタのボディなど、現地の値段でいくらくらいするのだろうか。

「……カネ、足りるかな」

 少し不安げに、こっそりと財布の中身を確認する。
 でも向こうには元ロストナンバーのクリスティ・ハドソンなる人物もいることだし、何かあれば助けてくれるだろう。たぶん。

 †

「せんせ、お待たせ!」

 やがて。
 杖と片足を巧みに使ってひょこひょこ早歩きしながら、お出かけ用のワンピースとつばの広い帽子でおめかししたイーリスがやってきた。スカートの裾を元気良く揺らしつつ、外で待っていたメルヒオールの石化して動かない腕に抱きつく。

「ほら、先生が私の荷物を持つのよ!」

 当然と言った様子で言い放つと、大きく膨らんだ鞄を両手で抱えたミオが、重さでふらふらしながらメルヒオールにそれを手渡してきた。何が入っているのかずしりと重い。

「く、何だよこれ、重いな」
「文句言わないの。――じゃあ皆、行って来るね! ほら先生もっ」
「――、」

 ここが故郷ではないし、いつかは元の世界に戻ろうとも思っているメルヒオールは、一瞬だけ躊躇する。
 けれど、にこやかに手を振って送り出してくれているジングやティンカーベル、どこからか持ってきた大きな旗を瑠璃と一緒に振っているミオや、手を振ったりはしないが涼しげな顔で見送ってくれるマヤといった面々を見ると。
 例え嘘であっても。一時的であっても。ここを〝家〟のひとつと考えるのも、悪くはないかとも思えて。

「……じゃ、いってくる」

 でも素直になるのも照れくさくて、ぶっきらぼうに低くぼそりと呟くのが、彼の精一杯。

「「「いってらっしゃーい!」」」

 明るい声が、二人を送り出してくれる。
 そうして、都心部へと休暇に繰り出した。


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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。

<参加予定者>
メルヒオール(cadf8794)
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「……ところで、せんせ?」
「何だよ」
「先生って、いつもどこから来るの?」
「……あっち」
「あっちってどっち! ねぇ。今度、私も連れて行ってよ。先生のお仕事、手伝ってあげる! 私、もう一人前なんだよっ。何でもできるよ?」
「――と、船がいっちまうな。急ぐぞ、イーリス」
「ちょ、ちょっと先生! 私、せんせみたいに早く歩けないんだから、もうちょっとゆっくり歩いてってばッ」
「あ、悪い……」

品目企画シナリオ 管理番号2370
クリエイター夢望ここる(wuhs1584)
クリエイターコメント【シナリオ傾向キーワード】
お出かけ、お休み、お遊び、どたばた、まったり、ゆったり、のんびり

【大まかなプレイング方針】
・ミスタ・テスラで、NPC:イーリスと共に休日を過ごすこととなりました。昼間は何をしよう? 夜は何をする? ところで泊まっていきますか?
・イーリスにどんなことをしてあげようか? あるいは、イーリスは何をしてくれそう?(せがんできそう?)
・ところで、イーリスが「先生が住むところに連れていって」と本気で頼んできたら、どうしますか?


【まえがき】
 ――そう、ここはミスタ・テスラ。ミスラ・テスタでもミスラ・テスラでもミスタ・テスタでもありませんので、Mr.テスラと語呂で覚えちゃいましょう。
 そんな前置きをしつつ今日和。
 この度はオファーをありがとうございます。今日和、夢望ここるです。ぺこり。

 今回は難しいことも、いつぞやのデート企画にもあったような要素(笑)も特になく、NPCを伴ったごく普通のデートシナリオとなります。

 なお、ご用意しました企画シナリオOPが、オファー内容から期待していたものと大きく異なっていた場合は、参加者各位でご相談の上、キャンセルして頂いても構いません。どうしても納得のできないOPと感じましたら、ご一考くださいませね。

 プレイング期間、製作期間、ともにやや長めに設けてあります。ですが時間があるからとうっかり忘れて、白紙で提出してしまわないよう、ご注意くださいませね。せっかくの企画シナリオですもの! プレイングをお待ちしております。
 それではチケットを片手に、幻想旅行へと参りましょう。行き先は夢想機構ミスタ・テスラ! ごゆるりと、何卒よしなに。

参加者
メルヒオール(cadf8794)ツーリスト 男 27歳 元・呪われ先生

ノベル

▼ミスタ・テスラ、都市部にて
 まず二人が訪れたのは、オートマタの修理を専門に行う大型店舗だった。
 修理をするといっても、鍛冶工房のように薄汚れた場所ではない。都市部の中央にあるその店は、上品な高級感に溢れた内装で二人を迎え入れ、店員もまたその雰囲気に恥じない品の良さで応対してくれた。

「わぁ、このボディって最近話題の職人さんが作った限定モデルじゃない! あ、こっちも雑誌で見たことがあるわっ」

 幸せいっぱいに表情をうっとりさせながら、イーリスははしゃぎっぱなし。それは年頃の少女が洋服を手に、あれもいいこれもいいと、悩ましくも嬉しい悲鳴をあげているそれと同じであって。
 そうしてイーリスがオートマタの部品を物色している様子を、メルヒオールは椅子に腰掛け、遠巻きに眺めていた。
 ふと店内を見回す。腕、脚、関節。髪に眼球。人間であれば分割などできないはずの部位が分解され整然と売られている様には、この世界にオートマタという文化が根付いていることを感じさせる。

「よし、これにしよっ。せんせ、取り換えてくるから待っててね」

 イーリスは弾むように背中を翻すと、店員と共に奥の工房へと引っ込んでいった。

「……パンと水だけの生活が数週間は続くな」

 ぼさぼさの髪に手を突っ込んでぼりぼりと掻きながら、メルヒオールは溜息をもらす。
 でも。
 煌びやかな百貨店内に溢れる、オートマタ専用の部品の数々に目移りしながら、きらきらと目を輝かせているイーリスの顔を見れたと思えば、そう悪い気はしなくて。

 ――しばらくして。

「せ、せんせ。どうかな……?」

 恥ずかしそうにもじもじとしながら、イーリスが戻ってきた。今は簡素な(といっても、繊細な意匠の施されたかなり高級そうな)シュミーズと膝丈のドロワーズだけを着た格好だ。
 そんなイーリスの全身はもう、すっかり綺麗に様変わりしていた。
 欠損していた手足は修復され、球体関節のない人間のような四肢に交換されている。健康的な瑞々しさと柔らかさを内包した肌色は、愛らしい赤みを帯びていて。
 髪も交換されたらしく、みすぼらしく乾ききっていた金髪はしなやかさを取り戻していた。イーリスが恥ずかしそうに顔を背けるだけで、さらりと肩から毛先が流れる。
 人間のそれよりも美しいとすら思える精巧なつくりには、メルヒオールも思わず見惚れてしまった。決して嫌らしい情動ではない。それは、芸術的価値のあるものとして保存されている、裸婦の絵画や彫像を観たときのそれに似ていて。
 思わず手を伸ばそうとし、いや何をしているんだ、と我に帰る。ぎりぎり不自然とは勘付かれない位置で手を止め、誤魔化すようにそのまま手は頭を掻きにいく。

「……ま、いいんじゃないか」
「そう? ふふふっ」

 両手を広げ、くるんとその場で軽やかにターンしてみせるイーリス。艶やかになった金色の長髪が気持ち良さそうに揺れる。

「ありがと、せんせっ。えへへ、じゃあこのボディにしようっと! 次は洋服、選んでくるね」

 イーリスは軽い足取りで、今度は洋服選びに向かった。
 女の買い物は時間がかかるもの――故郷世界の身内はそう言っていたけれど、まさにその通り。
 メルヒオールはあくびをかみ殺しつつ、ぼうっとした様子でいた。サービスに出された紅茶を傾けながら、店員から差し出される領収書に目を落とし。

「ぶっ」
「お、お客様……?」
「げほげほ。あ、いや大丈夫だ。すまない」

 心配そうに見つめてくる店員に、ひらひらと手を振りながら、努めて冷静を装うメルヒオール。破格の金額だ。これはまずい。

「……パンと水だけの生活が数ヶ月は続くな」

 †

「ほらほら、せんせ早く!」
「おいおい、どこまで行くんだ……」

 はしゃぐイーリスが先導する。
 イーリスは、ボディスとスカートが一緒になっているワンピース・タイプの服を着ていた。首元に添えられた赤いリボンがアクセントだ。肩先がふんわりと膨らんだパフスリーブの袖は短く、そこから細くて綺麗な腕がすらりと伸びている。
 そんな彼女の腕がメルヒオールをいざなうように、ひらひらと振られる。前を行く妖精がすばしっこく道案内をするかのようだ。
 その手には、先ほど雑踏街で彼女が買ってきた紙袋があった。中身は知らない。メルヒオールは急かされても決して走ったりせず、のろのろと着いていく。
 住宅が並ぶ坂道を登って、やがて見晴らしが良く、ひらけた場所まで案内される。メルヒオールは疲れた様子でベンチに座り、イーリスがその横にすとんと腰掛けた。
 彼女が紙袋から取り出したのは、揚げ魚のサンドイッチ。

「ほら、食べてみてっ」
「俺は別にいいが……おまえはこんなモンでいいのか?」

 当初、メルヒオールは高級なレストラン街へ赴いた。けれどイーリスに「先生、絶対食事のマナーとか知らないでしょ」とか「先生がずぼらなのはよく知ってるし。だから、こんな場所で食べたら私も恥かいちゃうわ」とか言われて。それならばと案内されたのが、この場所とこの料理。パンからはみ出すほどに大きな揚げ魚は、食欲をそそるような香ばしさを漂わせ、鼻先を刺激する。

「だから、私は別に味が分かるわけじゃないから関係ないんだってば。この〝今〟を楽しめるかどうかが重要なのっ。それより食べてみてよ!」

 急かされるままサンドイッチを手に取り、ひとかじり。
 フライされた魚自体はかなり塩とスパイスが効いていてしょっぱかったが、かためのパンが交じり合うことで塩気は緩和され、程よいおいしさとなっていた。

「おいしい?」
「……まあまあだな」

 そっけなく返しながらも、黙々と食べ続けるメルヒオール。頬張っているその姿は、イーリスには微笑ましく映って。

「素直においしいって言えばいいのに」

 すました色で返す、呆れ半分の笑み。でももう半分は、一心不乱に餌にありつく仔犬を見ているような、あったかい笑み。
 眺めのいい高台で、そよ風に頬をこすぐられながら。二人は庶民の料理のありつく。

 †

 その後に立ち寄った店で、メルヒオールはイーリスの目を盗み、プレゼント用の髪留めをこっそりと購入していた。帰り際にでも渡してあげようと思ったのだ。
 しかし、すぐにバレた。
 今、二人はミドルクラスのホテルの一室にいる。イーリスは綺麗な包み紙を剥がし、洒落た箱の中から髪留めを取り出して、高く掲げていた。

「お、おい! 勝手にひとの荷物を漁るなっ」
「何よ、失礼ね。そこのテーブルの上に出しっぱなしだったんじゃない」

 荷物を整理する際に一度取り出し、しまうのを忘れたようだ。自分の失態に苦そうな表情をしつつ、メルヒオールは慌てる。イーリスは勝ち誇ったように胸を張る。

 ――そんなやり取りを挟みつつ。

 今、時刻は夜中。イーリスは大きなベッドの上でうつぶせになっている。話し疲れたことで、休眠状態に切り替わったのだろうか。人間とは違い、内部機構の切り替えひとつで制御されているオートマタらしい挙動ではある。

「機械仕掛けの子どもはヒトの夢を見るか……? なんてな」

 ベッドの隅に腰掛けながら、メルヒオールは休眠状態からかぴくりとも動かず、寝息も立てないイーリスの髪を撫でた。
 メルヒオールは思考する。

 ――今度、私も連れて行ってよ。先生のお仕事、手伝ってあげる!

 出発前、イーリスがそうしてせがみながら向けてきた笑顔、思い浮かべる。
 でもその願いに応えることなど、できはしない。

「……おまえには、ロストナンバーなんかになって欲しくはないんだよ」

 異世界を放浪する旅人。そう言えば聞こえはいい。しかし地に足をつける居場所を失い、誰の記憶からも存在が抹消されてしまうという恐怖に怯えながら、未知の危険と隣り合わせの旅を続けることになるのだ。そんなものには巻き込めない。

「ねぇ」

 イーリスが、布団にうずめていた顔をもぞりと動かし、不意に言葉を掛けてきた。
 おかしい、休眠状態であったなら急に起きられるはずはない。寝たふりでもしていたのかもしれない。

「寝てたんじゃないのか」
「私、連れていってくれないの?」
「……早く寝ろ」
「なんで? どうして?」

 イーリスに背中を向けながら、メルヒオールはぶっきらぼうに返す。と、彼女はむくりと体を起こし、教師の顔を覗きこむようにしてくる。

「私、何だってできるよ。先生が思ってるより器用で、たくさんのことできるよ? お荷物になんかならないからっ」

 メルヒオールが、イーリスの顔をちらりと横目でうかがう。すぐに逸らす。捨てられた仔犬みたいな双眸に見つめられると、なぜか自分が悪者のように感じてしまうから。
 そうして黙り込んでいると、イーリスはつまらなそうに口先を尖らせて。

「先生、私が機械仕掛けの人形だから、そうやって突き放すんだ?」
「そうじゃねぇ」

 苛立ちも露に言い返す。イーリスの発言に憤っているのではないのだけれど、メルヒオール自身も何だかよく分からなくて。片手でばりばりと首を掻きむしりつつ、冷静でいるようにつとめて。

「そうじゃない。そういうことじゃない。おまえのことは――」
「好きっ?」

 イーリスは期待の眼差しで見つめ返してくる。懐くようにしっぽをばたばたと振る仔犬みたいだ、とメルヒオールは感じつつも、顔を別方向にそらして。

「……嫌いじゃ、ない」
「何それ、もうっ!」
「いてぇ、何するんだやめろっ」

 イーリスはベッドの上に座ったまま、枕で彼の頭や背中、わき腹をぼすぼす叩いた。片腕だけではガードしきれず、柔らかいけど重厚な一撃が何発もメルヒオールを打つ。

「私がね――」

 枕の攻撃が止む。メルヒオールが恐る恐る背後のイーリスを振り返ると、彼女はベッドの上で膝を抱えて丸くなり、ふて腐れたように頬を膨らませていた。

「頑張って労働したり、技術を身に着けてるのってね。先生の役に立ちたいからなんだよ。だって先生、何もできないじゃない? ずぼらだし無愛想だし、可愛げないし、生活力ないし、いちいち世話焼かないとお風呂にだって入らないし」
「悪かったな……」

 ずかずかと指摘するイーリスに、メルヒオールはぶすっとした声音で返す。
 確かに彼女の言葉自体は辛らつだ。でもその物言いの隅には、あたたかさのある思いやりがにじんでもいて。

「――だから。私が傍で支えてあげたいって、思ったの」

 イーリスをまじまじと見て、思わず目をぱちくりとするメルヒオール。返答に困った。ぷいと拗ねたように目を逸らし、ばりばりと頭をかく。
 それが照れ隠しだと、イーリスは知っている。だから、くすくすと上品に笑い返す。

「ま、いいわ。今回のところは大目に見てあげる。素敵な髪留めもくれたしっ」

 ひったくるように布団を体に巻きつけると、イーリスは横になって。

「いつか追いかけていくから、覚悟しててねっ。じゃあおやすみっ」

 一方的に言い残すと、イーリスは今度こそ本当に本体を休眠させ、動かなくなった。

(やれやれ……)

 はぁ、と疲れたような溜息をつく。その後、苦笑するかのように肩を揺らす。
 イーリスのことで踏ん切りがつかず、だらだらと気持ちを引きずっていた自分が、馬鹿らしくも思えてくる。
 未来を憂いてしまうことで〝今〟が手に付かなくなって、明日が怖くなって、何もできなくなって。けれど、それでは何も成せない。なら望む未来をつかむために、己が〝今〟すべきことを精一杯にやっていくほうがよい。イーリスはまさにそうやって行動している。
 彼女の願いが叶うにしても、叶わないにしても。そこは関係ないのだろう。〝今〟を頑張ることが、彼女にとって大事なようだから。
 そして。自分もそうすべきなのだろうと、メルヒオールは悟った。

「生徒に教えられちまったな……」

 視線の先には、小動物のようにくるんと丸まって眠る、少女の姿がある。休眠状態を示す内部機関の微かな呻きが、寝息の代わりに小さく響いて。

「……さて。明日の残り時間は、どこに連れて行ってやるとするかな……」

 メルヒオールは、限られた〝今〟を使い、どうすれば彼女を少しでも満足させられるかを検討し始める。そんな思考をしながら、気がつけばまどろみの中にいざなわれ、そのままベッドでことんと横になっていた。

 そうして二人は、すやすやと朝までぐっすりと眠る。その寝顔は、ゆるりと心地良さそうものであったそうな。

<おしまい>

クリエイターコメント【あとがき】
 ――というわけで、ミステスにおけるイーリスとのデートを描かせていただきました。キーワードは仔犬。
 イーリスが自分の服をるんるん気分で選ぶように、どんな服を着せようかと資料を漁っていただけで数時間を有してしまったのは、ここだけのお話です……。

 イーリスの願いが叶うか、そのままフェードアウトするかは誰にも分かりません。けれどいずれにせよ、イーリスは先生と共に旅を出来ても嬉しいでしょうし、時間が許す限りこうした邂逅を重ねていくことも愉しむことでしょう。
 当初は少し暗めにする予定もあったのですが……イーリスや先生の性分としては、こうしたまとめ方のほうが様になっているかなとも考え、以上のようにまとめさせていただきました。
 ちなみに最初は張り切りすぎて、買い物だけで文字数上限を突破してしまいました。ですが逆に考えればそれだけ、この二人の交流を自然と描くことができているのかもしれません。
 残りも僅かとなったロストレ生活の中で、また機会があれば彼女と仲良くしてあげてくださいませねっ。

 ともあれこのように仕上がったリプレイが、好みに合えば嬉しく思います。
 それでは、夢望ここるでした。ぺこり。これからも、良き幻想旅行をっ。


【『教えて、メルチェさん!』のコーナー】
「こほん。
 皆さん今日和。メルチェット・ナップルシュガーですよ。
 二人はすっかり仲良しさんね。教師と教え子との禁断の……なんていうものではなくって、何だか正反対の兄妹のよう。
 私たちロストナンバーの旅は、いつか終わりを迎えて、異世界の人々との縁も薄れていってしまうでしょう。でもその日まで、まだ時間は残されているはず。縁の続く限り、仲良くしてあげると良いと思いますよ。メルチェのように立派な大人とは、そういうものなんです。
 さ、それじゃあ今回も私と一緒に、漢字の読みかたをお勉強しましょ。

▼煌びやか:きらびやか
▼意匠:いしょう
▼呻き:うめき

 説明が必要な漢字は、これくらいかしら。皆さんはきちんと読めましたか? もちろんメルチェは大人ですから、これくらいは当然です(きぱ)」
公開日時2013-02-11(月) 23:10

 

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