オープニング

▼導きの書が示すもの『とある御伽噺』
 むかしむかし
 まだひとが 文明の灯りを手にしていなかった ずっとむかしの お話です

 世界は 闇に覆われていました
 むかしの世界は 闇と共にあるのが 当たり前でした

 闇の中に住む 未知で不思議で奇妙な 幻想の隣人を ひとは〝妖精〟と呼んでいました
 ひとは 妖精と一緒に 数々の御伽噺を紡ぎ 後世に伝えていきました

 やがてひとは 文明の灯りを 手にします
 未知の闇は 光に照らされ すべてが 解き明かされていきました
 その灯りが あまりにも眩しかったので ひとと共にあった 妖精たちは いつしか みんな いなくなってしまいました

 妖精は ひとり またひとりと姿を消し もう世界にはほとんど 妖精は残っていません

 ――だから

 深淵の黒から生じた その妖精は 生まれた瞬間から ずっとずっと ひとりぼっちだったのです

 ひとりぼっちで 寂しくて 枯れ果てた心に 緑色が宿ってしまいます
 歪んだ妖精は 歪んだ自分自身の緑色と 戦っていましたが 心が空っぽだったので 立ち上がることができず いつしか 諦めてしまいます
 そして 歪な寂しさを埋めるために だいすきな人間を ひとりずつ 食べ始めました

 それを見て悲しんだマレビトは かけがえのない美しいものを 薪にして燃やし 歪んだ妖精を 炎で照らしました
 妖精と緑色は 美しい炎に焼かれ 灰になって消えていきました



▼導きの書が示すもの『とある断章』
 黒が枯れたその果てに
 天を駆けるのは数多の異形 怪物 幻想
 空に蔓延する幾多もの災い 顕現する闇の御伽噺
 人々が黒に抱く恐怖そのもの 恐怖のすべて 空から世界を見下す

 鏃と刃と銃を以って抗おうとも 溢れた黒は留まることを知らず マレビトの反逆は 黒の奔流に飲み込まれる

 痛みと恐怖を 飲み下せ
 蒼へいざなう言の葉を以って 黒の前へ

 蒼の思い出 蒼の数々 天駆ける船と共に紡ぐ 蒼の絆
 暁 蒼天 黄昏 夜空 数多の空の下で重ねた思い出の雫は 黒の渇きを潤す
 人の美しさと醜さ すべてが 雫を彩るもの
 色の天秤は 崩れてはならない

 滴る虹色の雫は 打ち込まれた闇の楔を溶かし 諦念の玉座から 黒を引き剥がす

 すべてが間に合わないとき
 マレビトは かけがえのない代償と 戒めの呪縛を以って 黒と緑を 駆逐する宿命を負う



▼導きの書が示すもの『深淵から響く、心の声』
 ……ここは深淵さ。
 何もかもがあり、何もかもがない場所。
 僕は、ここで生まれたのさ。僕は黒、闇、影。そのすべて。孤独な妖精さ。

 僕の趣味は、人間を観察することさ。文明の灯りのもとで暮らし、集い、戯れる人間の姿を見つめるのさ。そうやって人間を学んでいるのさ。世界を見ているのさ。空の色を眺めているのさ。

 僕は時々、世界に手を伸ばしたくなるのさ。
 けれど、ダメなのさ。
 僕は黒なのさ。灯りのもとで晒される僕の黒は、酷く異常で異質で異形なのさ。まるで灯りの届かない夜のように。
 人間は、見通せないから夜を嫌うのさ。だから人間は、夜と同じ色をした僕を嫌がるのさ。恐れ、遠ざけ、蔑ろにし、恐れたのさ。
 ……もっとも、僕のことが欲しくて、わざわざここに訪れたような酔狂な輩もいたのさ。全部、黒に飲まれてしまったようだけどさ。

 僕ら妖精は、人間がつくる灯りが眩しくて、苦手なのさ。
 でも、大好きなのさ。
 人間が蒼を見つめる背中が、とてもとても大好きなのさ。
 だから、僕は。
 どれだけ人間から嫌われても、どれだけ仲間の妖精が人間を嫌いになっても……僕だけは、人間を嫌いにならないって。そう誓ったのさ。
 世界は美しいはずさ。広い蒼色に満ちているはずさ。そこに暮らす人々の営みは、かけがえのないもののはずさ。僕の中にある、旧き仲間たちの残滓がそう言っているのさ。

 でも。
 でも。
 でも。

 人間の打ち込んだ楔が、僕の概念に喰い込むのさ。黒は怖いという御伽噺が、僕を痛みつけるのさ。
 痛いから立ち上がれないのさ。赤い血の涙が流れるのさ。僕の根源は、ずっと玉座に座りっぱなしさ。
 痛くて、苦しくて。
 でも人間は、全員がそうじゃないはずなのさ。そう信じたいのさ。
 それに、世界だって美しいのさ。色々なものがあるのさ。綺麗なものがたくさんあるのさ。
 だから。諦めない。信じ続ける。そう誓ったのさ。

 ……誓って、いたのさ。もう昔の話さ。僕は枯れてしまったのさ。諦めてしまったのさ。
 緑色の君が、現れてから。
 何もかもを美しく歪める緑が、僕の中に流れ込んで。そうしたら、変わったのさ。
 ……すごいのさ。何も意味を感じないのさ、価値を見出せないのさ。世界にも、そこに暮らす人々にも。あんなものなど、自分を傷つける目障りな存在としか、思えないのさ。だから、食べてしまってもいいだろうって、緑色が囁くのさ。

 ……ああ、でも。それでも。
 できれば僕は、諦めたくないのさ。緑色に、すべてを委ねたくはないのさ。辛くて苦しいけど、抗うのさ。
 緑色。僕の欠片をまとうもの。僕がまだ屈さない限りは、好き勝手にはさせないのさ。

 僕は、好きなのさ。人間が蒼を見つめる背中が、とてもとても大好きなのさ。
 彼らの瞳の先に広がる、世界には。価値があるって、信じたいのさ。美しいものも醜いものも、ぜんぶが価値あるものだって。
 だから、世界を。人間を。もうちょっとだけ、見つめていたくて――。



▼0世界、世界図書館の一室にて
「……」

 メルヒオールは面倒くさそうな表情を隠しもせず、ぼりぼりと頭をかいた。
 目の前には、今回の依頼で同行する仲間たちがいる。しかしなぜだろう。これはおかしい。

(また男がいない……)

 周りを見ると、女性ばかり。しかもティリクティアにゼロにシュマイトと、歳や背が小さい子どもばかりといった顔ぶれだ。

(いや、少なくともシュマイトやあいつは子どもじゃないか)

 でもテーブルの上にあったお茶菓子をわしづかみして貪っている緋夏(ひなつ)を見て、メルヒオールは彼女を子どもに含めることとした。

(前回はヘマを踏んじまったからな。今回はもっと慎重にいくとするか……)

 気分を落ち着けるため、メルヒオールは紅茶をすすった。

「ミスラ・テスタ……蒸気と霧の都! ふふふ、浪漫溢れる響きよね。胸が高鳴るわ」

 ティアは手を合わせながら、わくわくとした様子でいる。前から行きたいと思っていた世界のことに想いを馳せているようだ。
 立てた指を顎にあてがい、友達に買ってくるお土産について思い悩む。

「お土産は何がいいかしら。あの世界なら、お洒落なティーセットなんてありそうよね」
「分かっていると思うが、ティア。我々は遠足に行くのではないのだぞ」

 足を組み、優雅な様子で椅子に腰掛けているシュマイトが、ステッキを弄びながら涼しげに指摘する。

「分かってるわ! 天使を見に行くんでしょう」

 分かっていなかった。
 ふむ、と小さく唸ったシュマイトは、ティアに淡々と説明をし始める。とがめる調子はなく、相変わらずの硬い表情のまま、静かな声で。
 そんな中、頬張ったお茶菓子をむぐむぐさせながら、緋夏がひらひらと手をあげた。

「あとさ。今回のミスタ・テスタの冒険であたし、聞いておきたいことがあるんだけど」
「おやつはいくらまでですか、なんてくだらないこと聞くつもりじゃないだろうな」

 メルヒオールの指摘に、緋夏は口笛を吹きつつさっと目を逸らす。図星のようだ。メルヒオールはあきれたような面倒くさいような面持ちで、肩を落とした。

「皆さん、ちょっと待つのです――」

 と、ここまで一言も発することのなかったゼロが厳かに席を立つ。まったりゆったりのんびりがモットーであるゼロの、今までとは違うその様子に、一同は意外そうにぽかんとしてゼロを注視する。

「ゼロは、少し前からずーっと思っていたことがあるのです。特に、緋夏さんにティアさん。二人はとてつもない勘違いをしてるのです」
「へ、あたし?」
「私もなの?」

 緋夏とティアは互いに顔を向け合い、不思議そうに目を瞬かせた。でもゼロの発言の意図がよく分からない。二人、視線を交わし合いながら同じ向きに小首を傾げる。

「ぬあー、気づかないのですか。もっと気を引き締めるのですー」

 非難するような言葉とは正反対に、ゆるーい調子の声音を響かせながら、ぺしぺしとゼロが机を叩く。
 メルヒオールは(おまえの喋り方が一番、引き締まってなくないか)と心の中でつっこみを入れた。
 一方、シュマイトはゼロの言葉を聞き、納得するように頷いて。

「ゼロの言うとおりだ。今回の旅路は、普通の依頼とはまた違ったものとなる。はじめから遠足や観光気分では、危険な目に遭う可能性も高い」
「そうなのですー。そして忘れないで欲しいのです。ゼロたちが行く世界は――」

 ティアも緋夏も、神妙な面持ちでごくりと唾を飲み込み、ゼロの言葉を待つ。

「ゼロたちが行く世界の名は、ミスラ・テスラなのです!」

 キリッとした凛々しさに溢れる顔つきで、ゼロは一同に言い放つ。
 ティアと緋夏ははっと気がつくと、頬に両手をあてがい、があんとショックを受けて顔面を蒼白にさせていた。なんてことだ、行く先の世界の名前を間違えているなんて、と。
 一方、メルヒオールはあまりのくだらなさに紅茶を噴き出し、シュマイトは被っていた帽子がずれた。
 そんな一向の様子を、いつから見ていたのか。猫耳フードを被った少女のメルチェット・ナップルシュガーは、こほんと大きな咳払いを挟んでから、資料を抱えて一室に入ってきて。

「……メルチェは大人なので教えてあげますが、正しくはミスタ・テスラですよ」

 タとラを強調しながら得意げに、きぱっと鋭くそう言った。
 かくして一行は、ミスタ・テスラへ向かうこととなる。



▼ミスタ・テスラ、機関式改造型飛行船の内部にて
「……面白そうなものは何も見えないわね」

 ティアは円形にくり貫かれた小さな硝子窓越しに、船外の様子を見下ろした。飛行船はまだ、広大な地下整備場に佇んでいる。窓の向こうは鉄と機械で満ちた工房の一角が見えるだけで、味気ない。もしここから空を見渡せたら、どんなに綺麗だろうとティアは思う。

(地平線の向こうにまで広がるミスラ……じゃなかった、ミスタ・テスラの街並みと、彼方まで続く青い空が見えるに違いないわ……早く見てみたいものね)

 弾むように窓から離れると、ティアはスカートの裾を揺らしながら早足で廊下を駆ける。ミーティングの場所に指定された部屋へと向かう。
 今、一行は地下工房に秘蔵された飛行船の内部にいた。この船は断章石にまつわる依頼を通じ、その関係者からシュマイトが譲り受けたものだ。現在は元ロストナンバーで現地の住人となっているクリスティ・ハドソンのもとで丁重に管理されており、それに今、一行は搭乗しているのである。
 ティアが部屋に到着すると同じくして、シュマイトもそこへやってきた。

「すまない、少し機械類の微調整をしていた。……皆、揃っているな。ではミーティングを始めるぞ」

 飛行船内部は、壱番世界で言う19世紀末のヴィクトリア朝を彷彿とさせる。アンティーク感の漂う調度品の数々で装飾され、前時代的で品のあるレトロっぽい雰囲気が漂う。本来は無骨で最低限のものしかなかったのだが、シュマイトがハドソンと協力して洒落た風味に仕上げたらしい。
 ともあれ、彫刻の施された円卓にはロストナンバー達が集っている。机の上には紙の束や写真といった資料が広がっており、皆がそれを見下ろしている。

「ゼロとティリクティアは、この世界もこの依頼も初めてだったな」

 メルヒオールが訊ねると、二人はこくりと可愛らしく頷いて。

「えぇ、そうよ」
「そうなのですー」
「まあ出発前にも話し合ったが、確認の意味も込めておさらいしておくか……重要なことだからな」

 メルヒオールは、封筒から資料の束を取り出した。世界司書やハドソンから受け取った情報である。
 その中の、とある一枚の篆刻写真(てんこくしゃしん)――壱番世界の言葉で表現するのであれば、時代がかったセピア色の旧い写真といったところ――を、何枚かの資料とともに皆の前へと差し出す。


【断章石について】
・事件の原因は、この〝断章石〟という存在である。
・断章石。今回の事件に関わる怪奇現象を引き起こしている物体の名称である。見た目は指先でつまめる程度の、緑色に透き通った宝石のような鉱物。ヴォロスにおける竜刻のように膨大なエネルギーを内包しており、放置しておけば世界群に影響を与える危険性を持つ。
・強い想い(主に負の感情)に反応して誰かの身体、あるいは精神に寄生し、宿主とする。宿主が抱いている想いを極端に歪めた形で認識し、その欲求を果たすために多様な形態(怪物のような姿が多い)をとる。
・そうして具現化された存在は「怪異」と呼ばれ、宿主の意思とは無関係に様々な凶行へと及ぶ。
・依頼内容は、あくまでこの断章石の回収、あるいは破壊である。そのためなら手段は問わない。例えば「犯人である人物を殺害し、断章石を無理やり抜き取る」ことも方法のひとつではあるが、断章石や怪異についての情報を参考にし、別の方法を取ってもよい。
・その他の回収手段としては「怪異を徹底的に撃破する(ただし怪異の力は強大であるため、力任せの撃退はかなりの危険を伴う)」「宿主にアプローチして心の状態を変化させ、断章石が宿主を放棄することを誘発させる」等が挙げられる。
・断章石を回収、あるいは破壊した場合、断章石に関わった現地世界の人物は、それに準じた情報や記憶の一部を失う(あるいは不都合のない程度に記憶を歪ませて認識する)。その際、接触したロストナンバーのことも忘却するケースが多い。


 ティアは気難しい顔で資料に目を通しながら、確かめるように呟く。

「まるで、御伽噺に出てくる悪い宝石よね。綺麗だけど、何だか見ているだけ怖くなるような緑色をしているわ。……これを回収・破壊すれば、悪い未来は止められるのよね」
「まあ、そうなるな」

 メルヒオールは頷く。そしてシュマイトが新たな資料を皆に提示した。

「今回、この断章石に狙われてしまうこととなった人物……事件の犯人とも言えるが被害者とも言える、重要人物が――彼だ」


【重要人物の情報】
・名前は無数に存在しており、そのひとつに〝ダーク〟という呼称があるため、それを仮称とする。
・この世界に暮らす妖精の一種。本来、性別は存在しないようだが、10歳前後の少年の姿をしている。実年齢は不明。全身黒ずくめの格好で、髪も黒。黒い長套を羽織っている。
・文明の灯りに追いやられ、減少していった妖精の生き残り。同種の仲間は存在しておらず、基本的にはずっと独りで暮らしてきたようだ。
・幼い見た目とは裏腹に、老成し達観したような思考を持つ。人間に対して肯定的な感情を抱き、強い興味と好奇心を以って長い間、人々や世界を観察してきた。世間知らず故に奇行や不思議な言動も目立つが、基本的には知的で穏やかな性分。純粋。
・黒、影、闇にまつわる666の特殊能力を持ち、その力は未知数。大いなる力を授ける、神のような存在であるとも言われている。いくつかの御伽噺にも存在が記述されていおり、大抵は「夜を恐怖の闇で満たした悪い妖精」と描写されていることが多い。
・少年の姿は仮初めの姿であり、数ある顕現体のうちのひとつに過ぎない。天使や竜、巨人、獣といった666の顕現体を持つが、真の姿は謎とされている。
・その他にも「その姿は、見るだけで人の心を発狂させる」「闇と影に潜み、常に人を監視し、隙あらば深淵に引きずり込もうとしている」「その黒い影に包まれた者は、安らかな死に抱かれる」「剣も弓もすべてを飲み下し、魔法すら喰らってしまう怪物である」「どんなに強靭な戦士であっても、決して勝つことはできない」といった言い伝えが残る。故に、旧くからの伝承を信じる者からは未だに恐れられている。
・そうして存在が否定され、拒絶され、迫害され、恐怖されているにも関わらず、ダークは人間に対する好意を失っていない。
・しかし永き時間を経て、どこか諦めの気持ちが生じてしまっている。一方、やはり人間に期待し、諦めきれない気持ちも残っており、そのふたつの気持ちが拮抗していたようだ。
・そうした感情の動きに断章石が目をつけ、寄生されてしまったと推測される。


「……人間じゃない、って言い方はアレかもしれないけどさ。何だか今回は変わったヤツが重要人物なんだねー」

 椅子の上であぐらをかきながら、緋夏がおもむろに呟く。

「それに何だか、このダークっていうの。何だかゼロに似てるよね」

 一同の視線が、ゆっくりとゼロに向けられる。ぽやっとしていたゼロは、おっきな瞳をぱちくりとさせながら首を傾げた。

「こう、ひとりぼっちでいたとか、皆とはまた一味違った能力持ってるとかさ。ひょっとしたら、親戚か何かなんじゃない?」
「世界を超えた先に親戚なんているわけないだろ……」
「ふむ、だが面白い意見だ」

 メルヒオールが疲れた様子で言葉を挟む一方、シュマイトは興味深そうに頷いて。
 けれどもゼロは、伸ばしっぱなしの髪が躍るくらいにぶんぶんと首を横に振る。

「ゼロに親戚という概念は存在しないのですー。ゼロはゼロでゼロしかいないのでゼロであってゼロゆえにゼロなのですー」
「……よく分からないけど、ひょっとしたらこのダークっていう妖精の彼の気持ち、ゼロならよく理解できるのかもしれないってことなのね」

 ティアはふふふ、と品のある笑いをこぼしつつ。

「もちろん私たちも見ているだけじゃないけどね。……でもだからと言って、直接に話し合いをしてもそれだけでは解決できない……のよね。断章石が生み出す怪物、怪異にはそんな特性があったはずだわ」
「ああ、そういうことになる。……緋夏、ゼロと遊んでないで話ちゃんと聞け」

 ミーティングに早くも飽きたらしい緋夏は、ゼロにちょっかいを出しても反応が淡白なのをいいことに、ほっぺを突付いたりつまんだり引っ張ったり押しつぶしたりして遊んでいたので、メルヒオールに注意された。「へーい」と素直に返事はするものの、つまらなそうに唇をゆがめ、そっぽを向く。
 シュマイトはそれを気にすることもなく、皆へ新たな資料を差し出して。

「ティアの言うとおり、端的な交渉だけで事件を解決するのは不可能だ。それは以下のような怪異の性質による」


【怪異の情報】
・断章石の宿主によって、無意識に生み出された存在。
・言葉を操り、思考をする知能もある。だがその言動は狂気的。
・宿主の感情や生命力をエネルギーに活動している。宿主の想いや心情に変化がない限り、怪異は何度でも復活する。ただし宿主の生命力が枯渇した場合、断章石は宿主を放棄して行方をくらませることがある(これは「一時的に断章石の活動を抑制させた」として、依頼終了の条件には含まれている)
・宿主の願いに関係する一定のルールに基づき、対象を襲ったり誘拐するなど、様々な凶行に及ぶ。
・怪異は以下の共通法則を有する。

[1:不可視である]
 怪異は、大衆の前には基本的に姿を見せず、居たとしても大衆の目に映ることはない。ミスタ・テスラ特有の時代背景により、人々が「怪異といった御伽噺のような存在など、今の時代には在りえない」と信じてしまっているためである。なので一般人に「怪異といった怪物がいる」と主張しても、それを聞いた者が怪異の存在を信じることはほとんどない。
 それは断章石の宿主となる人物にいたっても同じで、宿主は自分が怪異を出現させていることは基本的に知らないし、それを自ら認めることもほとんどない。よって「あなたが怪異を発生させるから○○をやめて」と真正面から説得しても、怪異という異質な存在を受け入れてはくれない。これはロストナンバーの覚醒条件における「世界の真理」が、知識だけでは受け入れられないことと似ている(一部の人間や宿主が、怪異の存在を自ら認識・把握しているケースも例外的には存在する)。

[2:神出鬼没である]
 怪異は、ひとの想念や感情から溢れ出る存在である。感情を「空気中に拡散して漂う霧のようなもの」と仮定すれば、感情はどこにでも存在するし、どこにも存在しないとも言える。よって、怪異は急に現われたり消えたりするため、捕縛して隔離すること等はできない。

[3:物理法則を無視する]
 怪異は霧のように希薄で不確定な存在であり、科学的に存在を証明できない。故に科学的な法則に縛られず、それを無視したような逸脱した特性や能力を持つ。まるで御伽噺の竜や悪の魔法使い、怪談の中の異形たちのごとく。
 なお、怪異は標的が独りになった時を見計らって広い迷路のような幻想空間に閉じ込め、そこで凶行に及ぶことが多い。

[4:迷信の制約を受ける]
 物理法則に縛られないという点は、怪異にとっては前述のような長所となる一方、致命的な弱点ともなり得る。それは「迷信で信じられている制約を受ける」というものである。
 迷信とは、言い換えれば「人に信じられていながらも合理的な根拠を欠いたもの」であり、それは「非常識の中の常識」とも言いかえることができる。
 例を挙げるのであれば「幽霊は昼間から姿を現さない」「悪魔は残酷で恐ろしいが交わした約束を破れない」「狼男は銀の武器に弱い」「吸血鬼は十字架や太陽の光に弱い」「ゴーレムを壊すには額の文字のeを削る」などである。
 物理法則を無視し脅威の力を誇る怪異でも、古来から信じられている伝承や広まっている迷信には逆らえない。怪物が怪物であるための強さだけでなくその制約をも付随させた上で、ひとの想念は怪異を生み出しているのだ。
 よって怪異が引き起こす凶行は、童話や寓話、御伽噺、伝承などの一部を模していることがあり、そこから制約や弱点、事件の解決方法を推測することができる(例外もあり、必ず役立つとは限らない)。


「質問があるのですー」
「どうしたの、ゼロ」

 ゼロがゆらりと手をあげたので、ティアがそれに反応して。

「このダークさんに対するアプローチが失敗してしまった場合は、やっぱりダークさんをやっつけなくてはいけない、ということですかー」
「んー。……まあ、そういうことになるな。なるべくは避けたいところだが……とりあえず、ダークとやらが生み出した怪異の能力はこんな感じらしい」

 メルヒオールは言葉を濁しつつ、ぼりぼりと頭を掻いて。別の資料を手に取り、皆にも回す。


【今回の怪異について】
・黒い色をした、影のように広がる巨大な怪異。
・空での目撃証言が多く、早くも多数の事件を引き起こしているが、現在のところ幸いにも死傷者は出ていない。
・ダークが持つ性質と融合しているためか、怪異の特性のほか、ダークと同じ666の別形態と666の能力を持つ。そのすべてを把握することはできていない。
・通常の方法による撃退は不可能。とある代償を支払わない限り、直接倒すことはできない。


「撃退は不可能……って、え、何これチートじゃん」

 げ、と緋夏はあからさまに苦い表情を浮かべる。ゼロやシュマイトは顔色ひとつ変えないが、ティアは顔色に緊張と不安をにじませて。
 メルヒオールが難しそうに眉間を歪ませつつ、頭をわしわしと掻く。

「この怪異だけでも対処がアレだが、問題はもうひとつある。……提示された情報から推測するに、今回の重要人物は断章石による怪異の顕現がなくとも、素の状態で俺達と同等かそれ以上の力を持っている可能性が考えられる」
「666の姿に666の能力だものね。見ただけで発狂するだとか、何だか実感がわかないけれど……想像以上の怖さや強さを持っている、ということよね」

 不安を隠すように胸に手をあて、ゆっくりと溜息をつくティアの後にシュマイトが言葉をつなぐ。

「場合によっては、怪異だけでなくこのダークとやらとも戦闘をしなくてはならない、ということだな」

 どのような情報にも全く動じないシュマイトの態度は、ある意味では鋼鉄のように冷たいと表現できるかもしれない。けれども今は、そんな鉄の精神力が他の仲間たちには頼もしくもあり、支えにもなっていて。
 シュマイトの態度に感化されたティアは、不安を飲み込むようにこくりと強く頷き。

「私たちも向こう側も、余分な血を流すことがないよう……彼を無事に助けてあげなくちゃいけないわね」
「頑張って、皆でダークさんを助けるのですー」

 ゼロは拳をつくった両手を、のんびりと高らかに挙げた。

「……で、このダークってのを助けるために、なんでわざわざこんなのが必要になるの?」

 緋夏がくいくいと床を指差す。この飛行船のことを言っているのだ。メルヒオールはあきれるように脱力して。

「……最初のミーティングの時に言ったはずなんだが……」
「あれ、そうだっけ? 忘れちったー、てへぺろ」

 悪戯っぽく舌先を出し、自分の頭を自分ではたいて誤魔化す緋夏。注意すべく口を開こうとしたメルヒオールを遮るように、シュマイトは軽やかに手を差し上げる。

「構わない、私が改めて説明しよう。……いくつかの新聞記事にも記されていた通り、ここ最近、ミスタ・テスラ世界では謎の墜落事故が相次いでいる」

 様々な新聞会社から集めた記事が、机の一角に重ねられている。
 その一面には、煙を噴き上げて今まさに墜落してる飛行船や、空に広がる正体不明の何かを捉えた篆刻写真が掲載され、あるいは正体不明の影の予想図らしき緻密なイラストが描かれていた。
 見出しには「巨大機関を搭載した大型飛行船、墜落。幸いにも死者はゼロ」「相次ぐ飛行船の墜落事故、原因は不明」「天使の出現!? 海洋上空にて正体不明の何かが目撃される。頻発する墜落事故との因果関係は?」「竜を見た! 墜落事故の生存者は語る」「空飛ぶ怪物、それは怪鳥? あるいは――目撃情報、多数報告」「止まらない墜落事故、解明待たれる」「空輸が滞り、経済に打撃。専門家が予測する今後とは」といった文字の羅列が、目立つように躍っている。

「不思議なのは、事件の数が多いわりに死亡者が一人もいないことよね」
「ひょっとするとダークさんが、ふしぎぱわーで怪異さんを抑え込んでくれているのかもしれませんですー」
「御伽噺にもそうと捉えられる記述もあるし、相当大きな力を持つとも伝えられていたしな……ゼロの予測は妥当な線だ」
「へー、そうなんだ」

 4人は新聞記事を手に取り、それらの文字をざっと追いながら呟く。
 シュマイトはステッキを手に、ゆったりとした足取りで部屋を歩き始めた。その視線は仲間たちではなく、どこともない場所に向けられていて。

「ダークが人間に対し、興味や好意を抱いているのは明白だ。且つ提示された御伽噺の断片から、人々が暮らす世界そのものにも意識を向けているような節がある」

 皆は資料から目を離し、シュマイトの足取りを追いながら、その独白に耳を傾ける。

「ダークは、仮初めのからだに潜ませている本来の姿が異形である故に、人々の前に出ることを良しとしない。しかし本当なら人間の社会に、世界に、人々に触れたいと考えているはず……私たちは、そう結論付けた」
「なるほど、シュマちん頭イイッ」

 納得したようにぱちんと指を鳴らす緋夏に、シュマイトはきょとんとした表情を向けて。

「何を言っている。結論をそうまとめ上げるきっかけとなった発言は、緋夏、おまえの成果だったろう」
「……そうだっけ?」

 本当に覚えていないといった様子で腕を組む緋夏に、メルヒオールは重い溜息をひとつ。

「おまえ、実はもう頭がボケてるんじゃないのか……」
「えー違うよ。昼寝したら忘れちゃうだけだって」
「にわとりさんなのですー」
「ゼロの言うとおりだ……ったく」
「え。あたし臆病じゃないよ。チキン野郎じゃないよ」
「そういう意味じゃねえよ」

 そんな漫才をしている最中、ティアが資料の束をとんとんと整理しながら、真剣な声音を響かせた。

「私たちがすべきことは、少しでも多く彼にこの世界を見せること。人間のあり様を見せること……だったわよね」
「世界を救うために、世界を巡る旅行に出発するのですー」
「ああ。そして、その旅路に使う移動手段が、馬車や蒸気式自動車や機関車では心許ない。故に――こいつの出番、というわけだ」

 シュマイトが手元のステッキを軽やかに回し、先端で木製の床をコツンと小さく叩く。

「私たちは飛行船を使い、ダークを連れて、世界を巡る。より多くの人の姿とその営みを、世界の姿を見せ、ダークの心に光を灯すのだ」
「それで、問題はどこを巡るかなのよね……」
「旅行先の相談なのですー」

 席を立ったゼロが、別の資料の束を抱えて卓の上にどさっと置いた。旅行のパンフレットや観光案内といった資料である。

「別に関係なく、各々がおすすめの場所とか決めてテキトーに行っちゃえばー?」

 椅子の上であぐらをかく緋夏が、軽い調子でそんなことを言う。メルヒオールが嘆息交じりに彼女へ抗議する。

「気楽過ぎるぞ。おまえ、もっとに慎重になれないのか……」
「先生は考え過ぎじゃない? だってどこで何を感じてくれるかなんて、そのダークって奴次第なんだしさー。性格も変わり者なんだし、実は陰気な場所が好みかもしんないじゃん」
「確かに今までの重要人物とは違って、どこか予測不能な面も内包していると言えるか」

 シュマイトは同意するように数度頷いてみせた。
 ティアも「なるほどね」と頷きを返すと、面々を見渡して。

「そういう意味なら、このメンバーは理に適ってるわよね。たぶん皆、それぞれ違うタイプの思考を持っていると思うし……色々な可能性を試す必要があるなら、最適かもしれないわ」

 ティアにそう言われると、各々は改めて同行する仲間たちを確認した。
 面倒くさがりの教師、冷静沈着な発明家、陽気で向こう見ずな炎娘、勝気だけど品のあるお姫様、ぽやんとまどろむ不思議少女――。

「ふむ。偶然か必然か個性ある顔ぶれが揃った、いうところか」
「……まぁ何とかなるだろ」
「ちょっと先生、なんであたしから目ぇ逸らすのさー」

 緋夏は不満も隠さずに、ぶーと唇を尖らせて。

「うるさい、おまえが一番心配なんだよ……」
「心配って……キャッ、先生ったらあたしのことそんな目で見てたんだ? 女生徒だけじゃ飽き足らず……この食いしん坊めー」
「……殴るぞ」

 つんつんと指で突付く仕草をしつつ、体をこすぐったそうにくねらせる緋夏。言葉尻はからかうようにとても軽い。メルヒオールの尖った視線もなんのその。

「えっ、二人ってそういう関係だったの?」
「愛の告白なのですー」

 ティアは、楽しい玩具を見つけた仔犬のような勢いでがたっと席を立つと、興味津々に弾んだ声で訊ねてくる。ゼロもそれに便乗し、抑揚の無い声で彼をひやかして。

「あー、もういい加減にしろよおまえら!」
「――さて、盛り上がっているところ悪いが、そろそろ約束の時間が迫ってきたようだ、出発するぞ」

 わしわしと乱暴に頭をかきながら怒るメルヒオールを遮って、シュマイトはぱんぱん、と合図するように手を叩く。
 メルヒオールも、これ以上噛み付いてもどうせ小娘たちの玩具にされるだけだと知っている。なので顔に苦渋をにじませながら、大きな溜息をもらすだけに留めておいた。

「ダークについては、クリスティ・ハドソンが〝召喚〟してくれる手筈となっている。我々はこれから合流地点へと飛行船を飛ばす」
「飛行船の整備と管理も、そのハドソンって元ロストナンバーがやってたんだろ。それだけじゃなく怪異に関する情報収集、滅びかけた妖精の召喚までやってのけるのか……まったく何者なんだ、そいつは……」
「鍛え上げた女子力のたまものでしょうかー」

 ゼロが間延びした甘ったるい声で呟く。緋夏は感心したように声をもらし、ティアは目を輝かせた。

「へー、女子力ってそんなこともできんの」
「すごい女子力ね! 私も見習わなくちゃ」
「まぁ俺たちが動きやすくなるなら、何でもいいけどな……」

 そんなやり取りの間に、シュマイトは操縦席へと向かっていた。

 †

 飛行船の上甲板・船尾部に操縦席は設置されている。傍目からは大型のパイプオルガンに様々な機械を連結させたようにも見える。何本ものレバー、無数のスイッチ、いくつものコック、盤と針でできた状態表示装置など、凄まじい量の機械が雑多に組み合わさってできている。

「さて、トルイズ。君から譲り受けたこの空飛ぶ船、ありがたく使わせてもらうぞ」

 その中央にある豪奢な革椅子に腰掛けるシュマイトが、水晶がはめ込まれたひときわ大きなレバーを捻る。待機状態だった機関が稼動をはじめ、飛行船そのものが震えだす。胎動の響きが空気をも震わせる。

「発進動作、開始――主力機関、作動――出力上昇、異常なし――蒸気導力管、開放。各部に導力を伝達、接続開始――制御演算機関稼動、状況確認。すべて正常値――推進機関、問題なし。最大出力で固定――」

 幼さを残すシュマイトの唇から、機関の動作状況が淡々と紡がれる。たくましく、ぴんと張り詰めるような固さをはらんだ声だ。ピアノの鍵盤を思わせる入力装置へ鮮やかに指を打ち付け、発進の支度を整えていく。
 やがてシュマイトは伝声通信機関のひとつを手に取った。真鍮製で黄金色に輝くコップのようなものに、太い管がついたような装置。蒸気の力で離れた場所に音声を飛ばすことが出来る。
 装置の脇についたボタンを押せば、船内をめぐる任意の伝声管が反応し、備え付けられたベルをけたたましく鳴り響かせ、通信を知らせる仕組みになっている。

「いよいよ発進するぞ。事前に渡した指示書に従えば問題はないはずだ。大きな揺れや振動に注意してくれ」
「了解なのです、せんちょー」

 伝声機関装置の向こう側から、緊張感のない返事があったので、出た主はゼロのようだ。
 装置を元の場所に置き、シュマイトは目の前に並ぶ操縦制御盤へ意識を戻す。
 椅子の脇に挿していたステッキを手に取り、上甲板から見える風景の奥、暗い工房内にある機械を先端で指し示す。軽くその先を弾ませるだけで、工房内の機械たちはシュマイトの思うとおりに動作を開始し、工房天井部の隔壁をひとつずつ開放させていく。

(そういえば、まだ船の名を決めていなかったな。落ち着いたら考えることとしよう)

 やがて最後の隔壁が開くと、差し込んだ太陽の光で暗い工房内が隅々まで照らされた。巨大な風船を担いだような飛行船の全体のシルエットが光のもとで露になり、木製の茶色と金属の金色で構成された船体を美しく輝かせる。その船首には、まるで守り神のように白銀色の女神が彫刻され、闇を打ち払うかのような眩さをたたえていた。

「さて、出発だ。妖精と共に、御伽噺を紡ぐとしよう――」

 闇色の御伽噺が、幕を開ける。


▼おまけ
「わあ……すごーい! 本当に空を飛んでいるのね……あ、操縦お疲れ様、シュマイト。これ、中のキッチンで作った差し入れよ。……でも手が離せないかしら?」
「いや、問題はない。一時的なら自動制御に切り替えられる。……しかしティア、甲板に出てくるのは構わないが怖くないのか?」
「ちょっと怖いけど、でもいい眺めだしへっちゃらよ。それに、こうして外の風も全身で感じてみたかったの。ロストレイルだと、窓から顔を出すのがせいぜいだもの。……でも風が強いから、スカートだとちょっと大変ね」
「ひゃー、すっごい眺めッ。こっから飛び降りたら気持ち良さそうだよねー!」
「バカか、おまえは……そのまま落下して死ぬぞ」
「へーきへーき! 火ィ吹いてちょっとくらいだったら空飛べるから」
「……おまえ、そんなことできたのか」
「ううん、やったことないから分かんない」
「……」
「うむ。ティア、差し入れのお菓子の味は上々だ。……ところでゼロの姿が見当たらないようだが」
「あれ? 外を見てくるーって言って、私より先に上がっていったけど」
「私は姿を見ていない。ふむ、気配に気づかなかったのか……?」
「ゼロのことだし、上の風船みたいな奴にでも引っ付いていたりして? あはは、なーんつって」
「廊下でごろごろ転がって、どっかの隅にでも丸まってんじゃないのか……」

 †

※飛行船の船体を牽引し浮遊させている、流線型の巨大な気球部の上側にて。

「あばばばばばばばばばばば」

※気球部の特殊繊維にしがみつき、叩きつけるような強風の直撃を顔面から受けながら、口に入ってくる空気で唇や頬が振動するのを愉しんでいるゼロの図。


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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。

<参加予定者>
メルヒオール(cadf8794)
シュマイト・ハーケズヤ(cute5512)
ティリクティア(curp9866)
緋夏(curd9943)
シーアールシー ゼロ(czzf6499)

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品目企画シナリオ 管理番号2782
クリエイター夢望ここる(wuhs1584)
クリエイターコメント【シナリオ傾向タグ】
旅、観光、喜び、癒し、愉快/シリアス、推理、バトル、ホラー、ミステリー、オカルト


【補足】
 今回のシナリオにおけるキャラクターの活躍シーンは、以下のような「フェイズ」によるシーン構成を想定しております。
 各フェイズは基本的に1回のみですが、状況によっては何度か繰り返されることもあります。

◆行動フェイズ
 行動フェイズに参加するキャラクターは、怪異の発生原因となっている犯人に、様々なアプローチをしていきます。事件を違った結末に導くための、重要なフェイズとなるでしょう。イメージキーワードは説得、変化、導きなど。

◆戦闘フェイズ
 戦闘フェイズでは、行動フェイズでのアプローチによってもたされることとなった、約束された結末(ハッピーエンド)を否定すべく、怪異がさらなる猛攻を仕掛けてきます。いわば、わるあがきです。宿主の精神がアプローチにより変化してしまったことは、断章石が活力を失うことを示し、怪異にとってそれは自らの消滅と同じであるからです。消滅を回避するため、怪異は襲い掛かってきます。
 このフェイズに参加するキャラクターは、各種情報から各々が導いた答えをもとに、怪異に立ち向かうこととなります。イメージキーワードは巻き返し、リベンジ、底力、決戦など。
 なお、前述の行動フェイズにおいて宿主に適切な変化を与えられた場合、戦闘フェイズにおいて怪異を撃退しても、宿主に悪影響はありません。


【大まかなプレイング方針】
・各フェイズで、どんな行動をする? あるいは1つのフェイズに絞ってアプローチしてもいいみたい。
・怪異の発生を止めるために、あなたはどうする? 怪異とひたすら戦う? あるいは事件の重要人物と接触して変化を促す?
・事件に関わる重要人物の心情を変化させるため、あなたはどうやってアプローチをしていく?
・強大な力を有する怪異に、あなたはどうやって立ち向かう?
・いざというとき、あなたには犯人を殺害する覚悟がある?

・《重要!》本当なら失いたくはない、あなたの大切なものはなんですか? それは道具や体や物品といった物質、物体でしょうか。あるいは心や想い、絆や感情、人物関係、記憶や思い出といった精神的なもの、見えないものでしょうか。(注意:依頼失敗時、それを失うことになります!)
・上記の記述がない場合、WRが任意で決定した何かが喪失、欠損、変質等で対応する可能性があります。


【追記1】
 依頼の目的は「断章石の回収」ですが「怪異の発生を食い止めて、これ以上事件を発生させないようにする」とも言い換えることができます。
 怪異が事件を起こすこととなる背景は決まっており、怪異の発生源となる犯人や、それに関わる重要人物も特定されています(今回はダークという妖精です)。
 端的な解決方法は示されています(宿主の殺害)が、違ったかたち……いわばハッピーエンドの結末を迎えるには、「重要人物の心情を変化させ、怪異の発生源ともなる負の感情を絶つために、どんなアプローチをすれば良いか?」を考える必要があります。
 OP時点でキャラクターに与えられている手がかりを参考に、あなた達のキャラクターが取りそうな行動を考えてみてください。どういったアプローチを取っていくかで、当シナリオが辿る結末は変化することでしょう。大体の正解は用意してありますが、その解釈や利用については、プレイングに委ねられます。
 また、怪異の撃退方法や制約についてを推理することで、怪異の行く末も変化します。力任せの撃退は一時的撤退に過ぎないため、いつしかまた事件を起こす要因となるかもしれません。しかし怪異の性質について予測が立てられていれば、宿主を巻き込むことなくうまく撃退することができ、怪異は消滅するはずです。

【追記2】
 今回の依頼を端的に述べてしまえば「ひとりぼっちな妖精を連れ、飛行船を使って様々な場所を巡る」ということになります。どのような場所をめぐり、その先で何を感じてもらいたいかがポイントかもしれません。どうすべきかのヒントは、OPを読んで見出してみてくださいね。
 よって、今回は「戦闘フェイズ時にどうするか」よりも「行動フェイズ時にどうするか」がとても重要です。頑張ってください!

【追記3】
 ご用意しました企画シナリオOPが、オファー内容から期待していたものと大きく異なっていた場合は、参加者各位でご相談の上、キャンセルして頂いても構いません。


【挨拶】
 お待たせしましたっ。
 この度はオファー、ありがとうございます。夢望ここるです。ぺこり。

 オファーを受けてから少しずつ準備を進めていたOPがあったのですが……途中から新しい構想が降ってきたこともあり、ほとんど全てを書き直しておりました。当初は空を彷徨う古代遺跡の探索だったり、人間に恋した黒い妖精に常識を教えるなどの内容だったのですが「飛行船を使った空の旅」を前面に押し出したいと考え、その末にこうしたOPとなりました。ああ、長編Verで書きとうございます……!(ふるふる)(でもがまん)

 さて、ミスタ・テスラ(勝手な略称:ミステス)を舞台に、奇怪な事件に挑むシナリオです。ヴォロス世界における「暴走する竜刻を回収せよ」というシナリオをモチーフとした、「ミステス版・竜刻回収シナリオ」といった感じになっております。+αで、ちょっとした推理要素も加わっています。
 以前にもリリースしております、この闇色断章のシナリオ。追記や情報という部分が多くを占めてはおりますが、OPは相変わらずのボリューム(※15000文字前後)でお送りしております。
 今回も前回と同じく様々な箇所にヒントやミスリードを散りばめてありますので、色々と堪能していただければと存じます。

 ともあれ、ホラーとミステリーな風味を含んだ、ミステスでの素敵な冒険をご提供できればと思う次第です。
 それではチケットを片手に、幻想旅行へと参りましょう。行き先は夢想機構ミスタ・テスラ!

【忠告!:今回の依頼は危険度がやや高くなっています。前述したとおり、場合によってはキャラクターが何かしらの変化を伴うこともあり得ます。ご注意くださいませ!】

参加者
メルヒオール(cadf8794)ツーリスト 男 27歳 元・呪われ先生
シーアールシー ゼロ(czzf6499)ツーリスト 女 8歳 まどろむこと
ティリクティア(curp9866)ツーリスト 女 10歳 巫女姫
緋夏(curd9943)ツーリスト 女 19歳 捕食者
シュマイト・ハーケズヤ(cute5512)ツーリスト 女 19歳 発明家

ノベル

 クリスティ・ハドソンの手筈でこの世界に呼び出された、黒き妖精王のダーク。
 ロストナンバーの一行は彼と共に、幾つもの土地を回った。飛行船で空を巡り、船を降りて街を散策し、触れ合い、話し合い、笑い合った。何日もの旅路を共に過ごした。
 最初こそ、互いにぎくしゃくとぎこちなかったものの。後先考えずに、とりあえず行動へ移す緋夏が面々を引っ張ったことで、次第に打ち解けていき――旅の日程が最終日を迎える頃にはもう、ダークとはすっかり仲良しになっていた。
 ……だから。だから。
 目の前の光景を、誰も信じたくはなかった。


▼怪異の生み出した幻想空間にて
「く、くそ……こいつ、ら……! 燃やしても燃やしても、次から……次へと……あぁ、もう……鬱陶しい、なあ……!」

 緋夏はよろめき、両手両脚をついた。息も絶え絶えといった様子で言葉を吐き捨てた。
 彼女を取り囲むように、漆黒で包まれた異様なシルエットの怪物どもが群がっている。赤い瞳を輝かせながら。
 周囲に仲間の姿はなく、緋夏ひとりだけだ。断章石に完全な侵蝕を果たされたダークが暴走し、すでに4人の仲間は怪異に喰われて絶命した。
 そんな中、緋夏は炎を纏う異形の蜥蜴に変化して、怪異どもを焼き払っていたのだ。凄惨なまでに傷つきながらも。たったひとりで。

(だめだ……僕の、心は、もう)

 そんな彼女の脳裏に、胸に、響くものがある。弱々しい声。今にも消えてしまいそうな、儚い声。ダークの、心の声。どこからか響いてくる。

(もう、君を傷つけたくないのさ。ひなつ……逃げて、欲しい)
「あんたを置いていけない! あたしは決めたんだ。あんたに色んなものを見せるんだって。あんたを守るために、緑色を焼き尽くすんだって……ダーク、あんたを止めるために戦うよ。絶対に止めてみせる」
(どうして、なぜ、そこまで――)
「友たちを放っておけるかってぇの! 今すぐこいつら燃やし尽くして、玉座から引っぺがしてやるから……待ってな」

 姿の見えないダークを想いながら、緋夏は不敵に笑みを浮かべて言い放つ。
 彼女の手には、いつの間にか握られているものがあった。眩いばかりの赤と白の炎を放つ、灼熱の心臓。緋夏にとっての、心のすべて。思い出と記憶と、緋夏自身を構築するもの。

「あんたを、この世界を守るためなら……大切なものだって、薪にくべてやろうじゃないか。怪異どもの好きになんかさせないよ!」

 大切なそれを、緋夏は喰らう。蜥蜴が獲物を貪るかのごとく、噛み付き、齧り、飲み下す。
 緋夏の体がまばゆく輝く。裂傷から紅蓮の炎を噴き出す、蜥蜴の巨怪に変貌する。怒り狂ったように首を振るい、口から吐き出すまばゆい炎で敵を焼き尽くしていく。
 しかし怪異は闇の奥底から次々と涌き出てくる。勢いは止まらない。やがて、その果てで。

「――」

 すべてを炎にして吐き出し尽くした、緋夏の体。異形の巨体。もくもくと煙をあげながら、ついに地べたへ倒れ伏せ。
 全身があっという間に炭化して。朽ちた砂のお城のように、砕けて潰れて崩れ落ちる。

(ひなつ……)

 漆黒の鎖によって玉座に縫い止められているダークには、その光景を遠くから見ているしかできない。悲しみに顔を歪ませて、虹色の涙をこぼす。

 †

「……ありがとう、お疲れ様」

 ティアの手にあったハリセン型のトラベルギアが、乾いた音を立て砂糖細工のように崩れて無くなった。それに一言、小さく感謝を述べて。
 彼女を取り囲むように、漆黒で包まれた異様なシルエットの怪物どもが群がっている。赤い涎を滴らせながら。
 周囲に仲間の姿はなく、ティアひとりだけだ。断章石に完全な侵蝕を果たされたダークが暴走し、すでに4人の仲間は怪異に貫かれて絶命した。
 そんな中、ティアはトラベルギアを手に、怪異どもを打ち払っていたのだ。凄惨なまでに血と傷にまみれながらも。諦めることなく。

(だめだ……僕に、もう、近寄らない、で)

 そんな彼女の脳裏に、胸に、響くものがある。弱々しい声。今にも消えてしまいそうな、儚い声。ダークの、心の声。どこからか響いてくる。

(このままでは、もっと君を傷つけてしまう……。だから逃げるんだ、てぃあ)
「いや。絶対にいや。こんな暗い場所に、あなたを置いていけないわ。今、あなたは苦しんでる……。私とあなた、愉しいときを一緒に過ごしたでしょう? だったら苦しいときも、一緒よ」
(どうして、なぜ、そこまで――)
「だって私たち、一緒に旅をした友たちじゃない」

 姿の見えないダークを想いながら、ティアは儚げに笑みを浮かべて言い放つ。
 彼女の手には、いつの間にか握られているものがあった。装飾の施された細剣。刀身は空のように澄んだ、透明感のある蒼の宝石で作られている。ティアにとっての、決意のすべて。故郷への想いを構築するもの。

「こんな結末、望んでいなかった。でも、こうなることでしか止められないのなら……全部背負うよ。何を犠牲にしたって構わない。私の全部、あなたのために捧げるわ」

 舞踏会で華麗に舞い踊る令嬢のように。大切なものでできた細剣を、厳かに構える。目を背けたくなるばかりに鋭く尖った切っ先を、差し向ける。周囲の怪異どもではなく、離れた祭壇の玉座で佇むダークへと。

「ダーク。私、あなたを殺すわ。……私は、あなたの友たちだから」

 電光石火のステップとともにティアは飛び出す。乙女が細剣を手に舞う、廻る、躍る。大量の怪異を一体ずつ刺し貫く。
 友たちに武器など振るいたくはなかった。でもその感情は必死に押し殺す。そうして剣を振るうたび、細剣からにじみ出た蒼い茨が手に絡み、棘が突き刺さる。
 痛い、痛い。でも耐える。
 切なそうに唇を噛み、痛みに涙を流し、剣を振るって、戦って。滑るような足取り、舞うような体の運びに乗せて、茨の細剣が何度も翻る。
 しかし怪異は闇の奥底から次々と涌き出てくる。勢いは止まらない。やがて、その果てで。

「――」

 重なる酷使に耐え切れず、細い蒼の刀身に亀裂が走り、砕け散る。
 その時、足元の陰から現れた巨大な漆黒の顎、ティアの体を下から覆うように迫って、襲い掛かって。
 鋭い刃が甲高い音を立てて噛み合ったとき。果実をもぎ取るごとく、乙女の首がちぎれ飛び、血を撒き散らしながら宙を舞った。

(てぃあ……)

 玉座から動くことのできないダークは、悲しみに顔を歪ませて。虹色の涙をこぼす。

 †

「鏃と刃と銃を以って抗おうとも 溢れた黒は留まることを知らず マレビトの反逆は 黒の奔流に飲み込まれる――」

 シュマイトは傷ついた体をよろめかせながら、何とか立ち上がる。

「抗った結果が、これか」

 自嘲気味に表情を歪めて。遠巻きにどこかを見つめて。
 彼女の隣には、同じように傷ついた体を抑えながら肩膝をつく、メルヒオールの姿がある。
 そんな二人の心に、もの悲しい旋律をもって響いてくる声があった。
 それは想いの残滓。緋夏とティアの心の声。真っ直ぐで向こう見ずな、そしてやる瀬ないほどに優しい気持ち。
 けれど、それを抱いていた少女たちは、もういない。彼女らの死に様が脳裏で炸裂する。怪異が見せ付けているのだ。わざわざ。

「くそ……酷いざまだな、俺も」

 メルヒオールは悔しさと不甲斐なさに歯を食いしばる。受け入れたくなかった結果を否定するように首を振ると、にじんだ血と混ざった汗が飛び散る。
 二人は背中合わせになりながら、怪異の大群と戦っていた。けれど、けれど、怪異は無尽蔵に現れる。いくら倒しても。
 黒い水溜りのような深淵から、再び涌き出てくる怪異。シュマイトはすかさずトラベルギアの銃を向けるも、溜息混じりに腕を下げてしまう。

「戦うことが無意味なのは、預言からみて明らかだ。あれには如何なる攻撃も通用しない。緋夏の炎も、ティアの剣も……わたしの銃も」

 復活した怪異。人とも獣ともつかない、闇色のシルエット。その大群が再び、シュマイトとメルヒオールを取り囲む。
 シュマイトは相変わらず、一切の動揺を見せない。淡々と事実を受け止めるのみ。だから己の掌にいつの間にか握られていたものを、無骨で大きなトラベルギアの拳銃に装填する。
 黄金色の銃弾。シュマイトにとっての大切なもの。想い人である男性に関する記憶のすべて。シュマイトは躊躇することなく、けれど慈しむような手つきで弾を込める。

「納得はできんが、このような事態となってしまってはもう他に道がない」
「かけがえのない代償、戒めの呪縛、黒と緑を駆逐する宿命……」

 メルヒオールが呟く預言の一節に、シュマイトは「そうだ」と小さく返す。

「わたしにとってかけがえの無いものだ。ダーク、これをキミに捧げよう。だからもう、こんなことはやめてくれ……」

 メルヒオールも気づく。先程までは確かに無かったものが、手の中で握られていることに。それはくしゃくしゃに丸めた紙片。乱雑に何かが書き殴られているそれ。
 メルヒオールはすぐに分かる。これは、自分が関わった生徒たちの落書きの筆跡だと。丁寧なもの乱雑なもの解読不能なもの遠慮がちなもの。字を見るだけで、憎たらしくも愛しい生徒たち、ひとりひとりの顔と声が思い出せた。

「俺たちが傷つくのも失うのも、一向に構わない。けど、ダーク……おまえは本当に、これでいいのか?」

 その紙片は宙に放ると魔力に還元され、光の玉となってメルヒオールの周囲を旋回した。
 彼の視線は群れる怪異どもの向こう側にある、石の祭壇を見据えている。心苦しそうな眼差し。

「おまえが失いたくないと思っているなら……最後はおまえ自身が、手を伸ばさなくちゃならないんだ。それを忘れないでくれ」

 決壊してすべてを飲み込まんとする濁流のように。二人のもとへ怪異が押し寄せる。シュマイトの銃が、メルヒオールの魔法が、輝きを放って怪異に抗う。けれど闇の奔流に、それは容易く飲み込まれて。
 怪異が二人を蹂躙した後、そこに残されていたもの。それはひび割れた石の右腕と、シュマイトの服の切れ端と。赤と白と黄とがぐちゃぐちゃに混ざり合った肉片のみ。

(めるひおーる……しゅまいと……)

 玉座から立ち上がることのできないダークは、悲しみに顔を歪ませて。虹色の涙をこぼす。

 †

 ダークは、涙が枯れそうになっているのを自覚した。あと一滴を失ってしまえば、自分はもう完全に緑色に飲み込まれ、何もかもを喪失するだろう。
 それに抗いたかった。屈したくなかった。でも緑色は甘く囁く。

(諦メル時ダ)
(何モカモ、全テ)

 冷たい石の玉座で力無くうな垂れているダークの脳裏に、どろりと濃厚な緑色の声がこだまする。最後の一滴を、手放そうとした。

「ダークさん、ダークさん。ゼロとおはなしをするのです」

 いつの間にか一人の少女が、ダークの座す玉座の前に立っていた。柔らかな白い光を体の輪郭にたたえ、銀色の髪をふわふわとなびかせながら。
 そこに押し寄せようとしている大量の怪異は、少女の放つ光に追いやられ、一定以上は近づけないでいる。

「ゼロにとって夜は、怖いものではないのです」

 腹を空かせた肉食獣のような凶暴さでもがく、周囲の怪異を気にすることもない。ゼロの幼い声音が、暖かさをもって透き通るように反響する。

「夜の暗さと静かさは、眠るのに必要なのです。夜や闇が無いと、人は安らぐのにも眠るのにも困るのですー」
(けれど、もう……僕は……)

 ダークの声はか細く、おびえるように震えていた。
 ゼロは立てた指をあごにあてがい、ふむーとうなり声を上げる。首を傾けて、考えるような仕草。
 少ししてから、ゼロはまたのんびりと話し出す。

「シュマイトさんは、こう言っていたのですー。機械は思った範囲でしか動かない点で、人に劣ると。……いまゼロたちの思った範囲で、状況は何とかならなくなってしまっています。預言されたものの中では、もうどうしようもなくなってしまっているのですー」

 けれど、と。ゼロは言葉を挟んで。

「それなら――思いもしなかったことをすればいいのです。ゼロたちには心があるのです。機械ではないのですー。諦めろと言われて、その通りに諦めてしまってはいけません」

 ゼロは腕を組み、納得するように何度も頷いた。そして両手を差し伸べた。

「ダークさん、それはあなたも同じなのです。ゼロにはダークさんを倒す覚悟はありません。だから一緒に頑張るのです、諦めてはいけないのですー」

 ダークは俯けていた顔を僅かに上げた。物憂げな眼差しで、ゼロを冷たく見返した。

(でも僕は……大切な友たちを、食べてしまったのさ)

 ダークは周囲に虚ろな視線を流す。雲の隙間から差し込むような3つの光の柱が、あるものを照らしていた。
 ひとつは燃え尽きた灰の山。かつて緋夏だったものだ。血だまりの中でごろんと転がっている生首は、ティアのもの。ひび割れた石の右腕は、メルヒオールのそれ。僅かに残された肉片と、血に染まった布の切れ端はシュマイトだろう。

(一人になってしまったのさ。……違う、最初からずっと一人だったのさ。僕は一人じゃないだなんて、そんなのはただの夢……)
「そんなことはないのです! ダークさんはもう、一人じゃないのです。友たちです。ティアさんも緋夏さんもシュマイトさんもメルヒオールさんも、みんながお友たちなのです……っ」

 今まで穏やかさを崩さなかったゼロの声音が、悲痛そうな軋みをあげていた。けれどダークは、弱々しく首を振るだけ。

(僕はもうだめさ……玉座から立ち上がれない。皆を傷つけてしまった。飲み込んでしまった……)

 そうしてまた顔を俯けてしまった、ダークの頭に。固くて優しくて大きなものが、ぽふりと優しく乗せられた。
 生きているメルヒオールの姿が、いつの間にかそこにあった。乗せられたのは、彼の掌だった。

「……勝手に殺すな」
「めるひ、おーる……!」

 驚きに目を見開くダークを見下ろしつつ、メルヒオールはぶっきら棒に呟いた。

「おまえがこうやって、どれだけの人間を無意識に恐れさせちまったのか、それは分からない。俺には想像できないくらい永い時間を、生きてきたんだろうしな……。でも、これを見てみろよ」

 メルヒオールはダークの頭を撫でていた手を引っ込めると懐から何枚かの資料を取り出した。現地協力者のクリスティ・ハドソンに頼んで、早急に集めてもらった資料を参考に作成した、とある調査結果だった。

「おまえを示すとされる、御伽噺の数々……語られていたのは確かに、黒=闇=恐怖の対象みたいなものばかりだった。だが、調べればそうではない御伽噺だっていくつもあった。……人間すべてが妖精を拒絶しているわけじゃない」

 メルヒオールは、黒い鎖で戒められ玉座から動けないダークの腕に、そっと己の手を乗せた。

「おまえの御伽噺は、全部が恐れられるものじゃない。おまえは変われる、変われるんだ……。おまえが、今まで、人を諦めなかったのなら……おまえも、おまえ自身のことを、諦めるな」
「そうだ。諦めるのはまだ早いぞ、ダーク」
「そうだよ! こう、もっと情熱燃やしていこうぜっ」
「私たちが支えるわ」

 諭すようなメルヒオールの言葉に賛同する、3つの声がある。ダークを取り込んだ怪異に、なす術も無く鏖殺されたはずの仲間たち。シュマイトに緋夏、ティアの3人だ。

「皆さん、無事だったのですねー」

 仲間の安否を心配していた、という割りには張り詰めた感も皆無な声音で、ゼロが仲間たちを見回した。

「情報と状況を分析すると、怪異は孤立したわたしたちに仲間の無残な死に様を見せ付けることで、戦意喪失を図っていたようだな……しかし、易々と死んではいられないのでね」

 ステッキを手の中で弄びながら、シュマイトが臆面もなく言う。

(みんな……)

 ダークの瞳が驚愕と切なさで潤む。健在だった仲間の姿と声が、彼を安堵させる。

「うちが肩を貸すって言ったでしょ? やりたいことがあるなら手伝うからさ、こんなトコ早く出ちゃおうぜ」

 にかっと快活に笑う緋夏が、ダークの腕に手を添えた。

「乱暴してごめんなさい。でも私、友たちだからこそあなたを本気で止めたかったの。一緒に、もっと色々な世界を見に行きたかったから……」

 ティアの優しい言葉に、ダークは微笑んだ。けれど力なく首を横にふり、すぐ沈痛な面持ちになって。

(でも僕はあんなにも愚かで獰猛だ。真っ黒なのさ。これでは、誰も僕のことを……)
「そんなことない!」

 澄んだ声を張り上げて、ぴしゃりと。ティアが言い放つ。

「貴方を怖がる人もいっぱいいるだろうけど……でもその中には、貴方を受け入れてくれる人だって絶対にいる。だから行きましょ、ダーク! ……友たちの手を振り払ったら、後で怖いんだからねっ」

 花のような笑みを向けるティアが、ダークの腕に手を添えた。

「機械的に考えるなら、不要な欠陥は切り捨てるべきである……だがひとには心がある故、時に不合理に、且つ気まぐれに動く。だからこうして、誰かのために手を差し伸べるような、非効率なこともしてしまう」

 講釈を述べるように、シュマイトは淡々とダークに告げる。けれどその眼差しは、そっと言いきかせるような静けさと穏やかさがあって。

「しかし、それがひとらしさというものだ。……こんなひとの弱さを笑いながら、世界を見守ってはくれないか。これからも」

 わずかに口元を緩ませるシュマイトが、ダークの腕に手を添えた。
 そして最後にゼロが。鼻先と鼻先をくっつけ合うくらいに、ダークへ無邪気に近づいて。

「怖い妖精さんのおはなしは、もうおしまいなのです。これからダークさんは、まどろみの妖精さんになるのです」
(まどろみ、の……?)
「そうなのです。ゼロたちと一緒に眠ったことを思い出すのです」

 ゼロがしゅぴっと指を上に向けた。何も無かった空間に白い靄が生じ、その中にある光景が像を結ぶ。一行の旅路の様子だった。
 様々な幻像がいくつも浮かぶ中、ゼロはひとつの光景を指差した。それは夜の飛行船内、大きな寝室でみんな一緒になって眠ったときのもの。

「夜や闇が無いと、人は安らぐのにも眠るのにも困るのです。でも夜と闇の妖精であるダークさんなら、夢の中で人と触れ合うこともできると思うのです。なのでダークさんも、夢と安息の妖精さんに転職するといいと思うのです」

 ゼロが指し示した幻像を、呆けるように見上げていたダークのほっぺたに、ゼロが両手を添える。ダークがゼロに視線を戻す。
 無垢で無邪気で一切の曇りがない、ゼロの笑顔が。一筋の涙を零す、ダークの双眸に映る。

「だから今日が、ダークさんの新しい誕生日になるのです!」

 幻想空間の天井を包んでいた、黒い靄のとばりを引き裂いて。あたたかな光が玉座を照らす。
 ダークを玉座に縛り付けていた漆黒の鎖は、煙のようにかき消える。周辺に群がっていた怪異どもも、同じように消滅した。
 5人の力と想いに引っ張られ、支えられ。ダークが、穏やかに顔を緩ませて、ぽろぽろと涙を零しながら。弱々しく体を震えさせ、でも希望に満ちた表情で。
 玉座から。
 立ち上がる。

「「「「「はっぴー ばーすでぃ!」」」」」

 弾むような明るさで。5つの声が彼を祝福した。

 †

「さて、あとは怪異の悪あがきを止めるのみ、だが……」

 シュマイトは周囲を見回した。
 暗雲を裂いて一行を照らしていた希望の光が、急速に弱まっていく。周囲には闇黒が満ち始めていた。怪異がかたちを持って顕現したのとは違うもの。怪異が空間そのものを侵蝕し、底の無い黒で染め上げようとしている。

「今のところ、対抗策はない。闇雲に力を振るうだけでは、あの幻覚も現実になってしまうだろう」
「ふん、666だろうが何だろうが関係ないよ! 緑色なんざ、あたしが全部焼き尽くしてやる」
「いや、無理なのさ」

 鼻から熱い蒸気を噴き出しながら興奮する、緋夏の勢いをへし折るかのように。ダークが冷静に言葉を挟む。

「今の怪異の力は、僕の力を吸収してより強大になってしまっている。このままでは……」
「皆で攻撃すれば、何とかならないのか」

 メルヒオールが問いかけるも、ダークはそれを戸惑いがちに否定した。

「けれど――」

 ダークは決意を込めた眼差しで、皆の顔を見上げながら言い放つ。

「きちんと元に戻れる可能性があるとは言い切れない。僕も今までやったことのない方法なのさ。それを使えば……」

 可能性は、ある。しかしダークの視線には戸惑いと不安もにじんでいて。

「それでも君たちは、僕のことを――」
「信じるのですー」

 不安げだったダークの感情を拭い去るかのように、ゼロが両手を上げながらゆるく答えた。

「当たり前じゃん、信じる信じるっ」
「私もよ、ダーク」
「ま、やるしかないなら、もう仕方ないしな……」
「リスクは承知の上だ。君を信じよう」

 思い思いの表情をしながら、他の面々もダークに返す。任せたと、信じると。

「……心得たのさ」

 皆の希望を背負って、ダークが一行の前に立つ。

「誰もが恐れ戦く、黒き妖精王の力を……今、ここに」

 黒い外套に身を包んだ小さな体が、皆を庇うようにして前に立ち。高らかに謳い上げるかのごとく、言葉、紡いで。

『出でよ闇黒、出でよ魂。連なる6の、そのすべて――』

 片手を、伸ばす。
 見えない何かを掴み取るかのように、虚空へと。

『5つの友を糧にして――』
『1つのかたちを呼び起こす――』
『交わり、集い、顕現せよ――新たなる黒の君!』

 這い寄る影の如く沸き出した闇色の何か、ダークの体躯から歪に膨れ上がる。5人の体をあっという間に絡んで包み、飲み下す。

 †

 怪異は狂っているが、知性を持っている。
 その知性が、目の前の状況を嗤っていた。
 自分の宿主となったあの妖精王が持つ、666の力。それとぶつかり合えば、多大な被害は免れなかったであろう。
 けれど、その懸念は杞憂であったようだ。666の脅威は消え失せた。5つの命ですら矮小だというのに。それすらも取り込んで生み出したものは、たったの1つだけ。666に対し1つだけ。
 もはや我に敵は無し。あとは心のおもむくままに、人を、世界を破壊するのみ。虐殺、蹂躙、皆殺し。欲求のすべてを満たすために、いざ往かん。

 †

 怪異が笑う。哂う。嗤う。
 すべてを嘲りながら、怪異は無数の腕と無数の顔を顕現させる。その爪、その牙、触れたものを切り裂き喰らう。妖精王から取り込んだ666のひとつ。それら、上下左右ありとあらゆる方向から襲い掛かる。
 標的は、ひとつの人影。漆黒に包まれた何者か。
 その漆黒は5人であり1つである。ダークの力によりすべてが混じり合い、顕現したもの。5人それぞれが持つ力のすべてを併せ持つ存在。人のかたちをした異質。
 怪異の攻撃を察知して。黒いシルエットが音も無く不気味に歪む。ある人物のかたちを取る。

「そんなものに負けないわ」

 幼さを残す声音が凛と響く。漆黒はティアへと姿を変えていた。輪郭に闇色を纏い、双眸から赤い輝きをにじませる黒の姿に。
 ゼロの特性で∞に強化されたティアの未来視が、すべての攻撃軌道を瞬時に読み取る。花びらが可憐に舞うかのごとく、小さな体躯は猛攻をすり抜けていく。こんなことは造作もない。
 そうして踊りながら紡がれる聖なる歌の調べは、茨を纏う剣に大いなる祝福をもたらす。
 かすりもしない攻撃の波を、悠然と避けながら。柔らかな輝きを放つ剣の、一閃。666の触腕と口、その全てを瞬時に突き刺し、貫き、刺し通す。
 けれど、怪異は生きている。予想外の反撃に戸惑う怪異は、逡巡を振り払うかのごとく咆哮をあげた。
 それは聞くものを恐怖させ、意志を砕き、心を凍らせる呪いの叫び。精神から死をもたらすもの。避けることはできず、そして人の心では受け止めるなど不可能、抗えない。

「うっさい、ンなもんが効くかあ!」

 激しい声音が雄々しく響く。ティアの姿が漆黒に包まれ、次の瞬間には闇色の緋夏へと変わっている。
 炎を纏う魔性の巨躯に変じた緋夏の顎が、すべてを喰らう。ゼロの特性で∞に強化された緋夏は、捕食者として怪異よりも上位の存在となったのだ。怪異が生み出す恐怖も痛みも、火蜥蜴の口がすべてを飲み込む。絶対の死という現象ですら喰らい、さらなる炎の糧とする。こんなことは造作もない。
 緋夏は劫火のごとき炎を噴出させ、怪異を焼やし尽くそうとした。
 けれど、怪異は生きている。怪異は黒い障壁を展開させ、火炎のブレスを防いでいた。
 怪異が発現させる666の防御能力。それらが巧みに重なり合ったこの黒き障壁は、侵入不可能な絶対の領域。人の手で打ち崩すことはできない。

「悪いが……そうはいかないな」

 億劫そうな声音がぼそりと響く。緋夏の姿が漆黒に包まれ、次の瞬間には闇色のメルヒオールへと変わっている。
 怪異の666障壁に対抗すべく、メルヒオールは数多の魔法術式を展開させる。ゼロの特性で∞に強化された彼は、その腕の一振りで1000もの魔法を編み上げた。666の防御障壁はいとも簡単に分解されて消え失せる。こんなことは造作もない。
 さらなる腕の一振りが、1000もの攻撃魔法を形成する。炎、雷、氷、風。あらゆる魔法が怪異を討つべく襲い掛かる。
 けれど、怪異は生きている。怪異は自らの姿を創り変えていた。
 666の姿は常に入れ替わり、その特性と弱点はゼロコンマの単位で変化する。人の目には把握できない速度で変わり続けるそれを、突破することはできない。

「しかし無駄だ。天才の私には通用しない」

 余裕をにじませた声音が涼しげに響く。メルヒオールの姿が漆黒に包まれ、次の瞬間には闇色のシュマイトへと変わっている。
 シュマイトの知性はゼロの特性で∞に強化されている。機械以上の計算速度を誇る天才の頭脳が、独自の定理と方程式とで瞬時に解を見出した。解に呼応する機械の部品、願えば手の内に生成され、思えば瞬く間に組み上がる。こんなことは造作もない。
 完璧な計算で導いた一撃必殺のタイミングで、大砲を模した機械仕掛けの引き金、躊躇なく引いて。銃口から放たれるのは強烈な閃光。周囲を埋め尽くすほどの輝き、太陽のようにまばゆい輝き。
 一瞬の間を置き、爆発、爆音、衝撃波。シュマイトはコートの裾をはためかせながら悠然と立ち尽くしている。
 見上げるほどに巨大な怪異は、穿たれた体躯をよじらせながら喚き叫ぶ。その号哭ににじむもの。怒り、憤怒、激昂、否定。物理法則に縛られぬ己が、屠られるなどありえない。たかが人間ごときに、と。

(認メナイ)

 消滅の危機を目の当たりにしたことで、怪異はさらなる変化を見せた。変態、拡大、変容、異形化。それらを遂げた怪異は666の限界を超え、443556もの能力を持つに至る。
 これを物理的に消滅させることは不可能。ロストナンバーひとりの力は、たったの1つぶん。妖精王の力で666と5が合わさっていたとしても、足らない、足らない。あれを消滅させるには、何もかもが。
 だが変異した怪異は慎重だった。学習していた。目の前の5人に、己の攻撃は通用しないと。
 恐怖しているのだ。ひとを、世界を恐怖させるはずの怪異が。たった5人とひとりが合わさった何者かに。戦慄している。
 だから怪異は矛先を変えた。それはミスタ・テスラ世界そのもの。443556の能力を振るえば、世界にはびこる矮小な命など、塵一つ残さずに消滅させられる。
 怪異の牙が、どす黒い敵意が、次元の壁を越えて世界に襲い掛かろうとする。

「めっ、なのです。それは許さないのですー」

 場違いに甘い声音がのんびりと響く。シュマイトの姿が漆黒に包まれ、次の瞬間には闇色のゼロへと変わっている。
 次元の狭間で、両手を広げて待ち構えるゼロ。既に天文学的な巨大さを誇っている怪異に対抗し、ゼロの大きさも瞬時に同等まで増大する。
 その手に掲げるのは燭台。この世界の文明が作り上げた産物。燭台の放つ光が、ゼロの背後にある次元の裂け目、そこから見えるミスタ・テスラの世界を怪異から守る。
 ゼロの意志が向いている世界に、干渉することは許されない。ゼロが求めるのは安寧とまどろみ。怪異が世界を傷つけること、それは絶対に許可されない。例え443556の能力を振るったとしても、その被害は無限に不条理に窮極に、ゼロ、ゼロ、すべてゼロ。こんなことは造作もない。
 それでも怪異は、狂ったように猛る、暴れる。見えない壁に阻まれた向こう側にある、輝く世界を破滅させるために。それだけを成すために振るわれる、脅威の力。数多の絶望。
 ゼロはその前に立ちふさがるだけだ。ゼロは傷ひとつつかず、身じろぎひとつすることもない。
 そうして無意味に振るわれ続けた怪異の力は1つ、1つと朽ちていく。
 やがて443556つめの、最後の力が振るわれて。無論、何の効果も示すことはできずに。
 怪異は、自壊する。

 †

 戦いを無事に終えて。
 今、一行の飛行船は帰路へと着いていた。

「さ、転職しましょう! ゼロと一緒にまどろむのですー」

 その船内で、ゼロは万歳するように両手を上げながら、ダークにそう提案する。

「でも、どうすればいいのさ……まどろむ、とは? 安堵とは? 眠るとは?」

 ゼロと同じ程度の小さな体躯を、相変わらず黒衣ですっぽりと身を包んでいるダークは、難しそうに首を傾げている。

「こうするのです」

 ゼロがスカートの裾をつまみ、戸惑うことなくがばっと持ち上げた。ぽっこりしたおなか露になる。

「おい、ゼ――」
「見るな変態教師!」

 すかさず閃く緋夏の目つぶし。容赦なく突き出された指二本が双眸を直撃し、メルヒオールは言葉にならない悲鳴をあげながら、ばたばたと床を転がった。
 そしてゼロは持ち上げたスカートを、頭からダークにすっぽりと被せ、服の中に導いた。白い生地の中でぐもぐもと蠢いていたダークの頭、ゼロの首元からきゅぽんとでてきて。二人、おでこが完全にぺとりとくっつくくらいの近さで。

「こうやって、ぴったりぺったりくっつくのです」
「くっつく……」
「くっつくとあったかいのです。安心してほっこりするのです。まどろんでよく眠れるのです。そして、くっついてごろごろするのですー」

 そうしてゼロはダークを抱っこすると、近くにあった大きなソファーへぼすんと身を投げた。二人はひとつのまま、布団の上を転がるみたいにごろごろ。

「あ、何だかそれ楽しそう! うおー、あたしとティアも混ぜろーっ!」
「え? ちょっと、ひな――っ」

 おしとやかに紅茶を飲んでいたティアの腕を、緋夏が無理に引っ張って。ふたり、雪崩れ込むようにゼロとダークの上にぼすんと被さる。髪の毛をわしゃわしゃしたり、頬擦りしたり、こすぐり合ったり、黄色いはしゃぎ声を上げながら戯れる。

「ふむ、確かに人肌の温かさが安堵をもたらすという仮説は存在する……ゼロの着目点は案外、効果的なのかもしれないな」

 小さな机の上に、分解した懐中時計の部品を広げて整備をしながら、シュマイトは納得するように呟いた。
 一方、メルヒオールは皆にスルーされる中、両目を押さえてのた打ち回っていた。

 †

 とある新しい御伽噺が、ひっそりと生まれた。
 題名は『寂しがり屋の黒妖精』。
 人間のことが好きな黒妖精だが、その姿は人々から恐れられ、嫌われてしまっている。
 そんな黒妖精が、遠くからやってきた旅人と不思議な出会いをしたことで、寂しがりで怖がりな自分を克服するため、魔法の力を使って困っている人たちを助けていく……というおはなしだ。
 いつからか、都市各部の貸し本屋に置かれていた、この本。字も絵も稚拙であり、決して評価されるような本ではなく、大人は見向きもしなかった。
 けれどある時。子どもがその本を読んで感動し、皆にすすめたことをきっかけに、ちょっとしたブームとなったのである。
 著者名が「ロストナンバー」と記された、具体的な出自も不明な謎の作者によって書かれたこの本は、その後もひっそりと、貸し本屋の隅っこに置かれているそうだ。怖がりな子どもたちを勇気付ける絵本として。

 ――こうして。
 闇色断章、第2詩篇は終わりを告げた。

<了>

クリエイターコメント【あとがき】
 以上のように、前半部から最悪のバッドエンドを匂わせてみましたが、今回の第2詩篇は「ハッピーエンド」の結果となります。ダークの心をうまく導き、ともに協力して怪異を退けることができました。

 では、今回のシナリオの解説を少々。本格ミステリーや推理物とは程遠いやもしれませんが、ご容赦くださいませ。

 事前情報にもありますとおり、ダーク(を伴った怪異)はいわゆる「無敵キャラ」のような存在です。直接に戦闘を仕掛けるのみでは撃破されてしまう感じです。
 これについてはいくつかヒントをちりばめておりますが、顕著であるのは「鏃と刃と銃を以って抗おうとも 溢れた黒は留まることを知らず マレビトの反逆は 黒の奔流に飲み込まれる」でしょうか。マレビトは客人、旅人、つまりはロストナンバーのことを示します。よって端的に述べれば「私達が攻撃しても全く効かないよ」という内容なのでした。
 緋夏さんとティアさんが集中的に蹂躙されているのは、直接戦闘を仕掛けるプレイングが記されていたためです。ハズレという名のアタリとして、ちょっとグロテスクに描写させていただきました。死亡シーンは中々描けないものですから、ちょっと愉しかったです。うふふ。

「痛みと恐怖を 飲み下せ」は、ダークに恐怖しないことでもあり、ダークを救うには心を鬼する覚悟も持ちなさい、という示唆でもありました。

「人の美しさと醜さ すべてが 雫を彩るもの」「色の天秤は 崩れてはならない」ですが、雫とはダーク対するアプローチそのものを指します。
 人の美しさと醜さ、色の天秤を崩すなという指示は「人はただ良いものだと説得するだけではダメで、悪いところも汲み取りながらそれでも人は――と説得しなければいけない」という内容だったりしました。

 けふん。
 続きましては、企画シナリオということもありますし、余分な解説などを。

 中盤から終盤にかけて始まるロストナンバーたちの無双タイム(怪異への処刑タイム)(お好みのBGMを脳内再生してご覧ください!)は、OP作成時点から想定していたものでした。戦う相手が無敵キャラなら、試練を乗り越えた先では逆境側が転じて無双を始めなくては、というイメージです。
 強い・すごい・かっこいいをコンセプトに、オーバースペックを強く意識して描写させてみた次第です。なお、無敵化のきっかけはダークの能力なのですが、その根源を支えているのはゼロさんの性質だと思います。0≒∞。なんて。
 各自の闇色モードは、きっとゲームならイベント専用時の形態で、無類の強さを発揮するはずっ。そんな妄想です。愉しゅうございました……(ほっこり)

 OPについて。
 解説役には、先生のメルヒオールさんに、知的な振る舞いの似合うシュマイトさんが適任な位置といった印象。そして解説役を活躍させるための存在、生徒役と言いますか「分かんないよ役」に、緋夏さんというキャラクター(個性)がとても適していると気がついたのです(笑) よってああいったかたちとして描写させて頂きました。

 なおOP作成の段階で、構想に手間取ってしまった次第です……。
 当初に思いついたものでは、日常とラブコメ要素が強いものの想定でした。
 ――黒い妖精が人間に恋をしたけれど、人間界での暮らし方が分からないゆえに蔑まれ、絶望した果てに断章石が寄生してしまう。それを防ぐため、ロストナンバーたちは彼に人間界での暮らしや常識を教えていき、人付き合いで失敗して絶望しないように(言い換えれば、妖精の恋心が実るように)様々なアプローチをしていく――という内容でした。

 あるいは全く違うものとして。
 ――空飛ぶ遺跡にたどり着いたものの、船も大破し、負傷して命を失った冒険家。かろうじて生き残った娘が、この遺跡を父が眠る静かな楽園にしてあげたいと願い、そこに断章石が寄生。空を飛ぶ存在だけを攻撃対象に選ぶ怪異を生じさせてしまい、ロストナンバーたちはそれと戦いつつ、対応策を講じていく。一方、空中遺跡をつけ狙う陰湿な研究者集団が第3勢力として現れ、状況は混沌としていく――なども。
 ただ「手に入れた飛行船を使う」という要素がどれも欠けてしまうので、それをメインに据えるには――と考えた末、あちらのような導入をさせていただきました。

 ノベル上として旅の描写は少なくなっていますが、事前に決めておいたルールに従って結果に反映させておりますので、水面下にて強い影響を及ぼしております。
 ゼロさんは旅路においても、夜や闇を肯定する内容からアプローチしておりました。
 ティアさんは自分の境遇とも合わせ、旅を通じて導くようなプレイングでした。また旅路の最中、ダークを気遣うプレイングがあったのも好印象です。メルヒオールさんも気遣いをしておりましたね。
 緋夏さんはいつも真っ直ぐ! 「情熱と欲望を見せる」というのは、良くも悪くも人間らしさを垣間見せるには良い提案だったと思います。
 そういった意味では、メルヒオールさんやシュマイトさんの提案先も同じような方向性だったかもしれません。

 説得や推理などについては、全般としてはゼロさんとティアさんが良い感じに構築されていました。キャラらしさもばっちりであり、推理もいい感じに的確でした。
 緋夏さんのプレイングはキャラらしく直情的で好感は持てましたが、直接の解決力は持ちませんでした。しかしメルヒオールさんの推理プレイング(すべてが妖精を拒絶しているはずはない云々)とあわさり、ああいったかたちのエンディングとして活用させて頂いた次第です。あの絵本は、きっとひっそりと語られ続けていくことでしょう。
 シュマイトさんは、個性でもある機械に関する知識と感覚をうまく説得内容に結び付けていたと思います。そういった意味では緋夏さんと同じく、キャラのらしさを強調したプレイングと言えそうです。推理に関してはやや的が外れてしまった感はありましたが、他の部分から感じたものを膨らませ、私なりに反映させたかたちとなります。

 ティアさんの護身術や戦闘については、かなりこの場での捏造が多くなっております。
 ハリセンに代わって今回登場させたトラベルギアは、青く透き通る宝石のような刀身を備え、所有者の手に痛みを伴う茨が巻きつく、刺突用の細剣。
 針のような鋭さは、友を想う故に戦うことを決意した、強い覚悟の表れ。空のように澄み渡る蒼の刀身が、健気で純粋な気持ちの表れ。巻きつく蒼の茨は、感情を押し殺しながらも内面では葛藤と苦しみにもがいている痛みの表れ。
 覚悟が強ければ強いほど、蒼の刀身はどのようなものでも貫き穿つような鋭さ・硬さを持ちます。
 しかしその反動による気持ちの抑圧は、か細い腕に茨を絡ませます。茨は直接的な痛みを生じさせるのはもちろんのこと、精神的にも所有者を痛みつけ、問いかけ、試そうとします。
 その痛みをも乗り越えることで茨をも味方につけることができ、攻撃対象を茨で拘束させることも可能となる――そんなイメージをしております。お姫様と細剣はお気に入りの構図です。

 この度はオファーをくださり、ありがとうございました。上記のリプレイが、好みに合えば嬉しく思います。
 それでは、夢望ここるでした。これからも、良き幻想旅行を。



【教えて、メルチェさん! のコーナー】
「こほん。
 皆さん今日和。素敵な大人の女性、メルチェット・ナップルシュガーですよ。
 今回はすごい戦いだったようですね。ですが私たちロストナンバーは、こんな戦いにも臆せず身を投じていく必要があります。怖くて辛いことだけど、でも私たちは独りじゃないです。色んな世界からやってきた仲間たちがたくさんいるんだもの。紡いだ絆もいっぱいありますからね。きっと頑張れば、辛いこともこうやって乗り越えられると思います。

 さ、それじゃあ今回も私と一緒に、漢字の読みかたをお勉強しましょ。

蜥蜴:とかげ
凄惨:せいさん
齧り:かじり
涎:よだれ
厳か:おごそか
細剣:さいけん
翻る:ひるがえる
鏃:やじり
抗った:あらがった
自嘲:じちょう
鏖殺:おうさつ
弄び:もてあそび
獰猛:どうもう
靄:もや
外套:がいとう
庇う:かばう
懸念:けねん
杞憂:きゆう
蹂躙:じゅうりん
躊躇:ちゅうちょ
穿たれた:うがたれた
屠られる:ほふられる
矮小:わいしょう
逡巡:しゅんじゅん
劫火:ごうか
億劫:おっくう
号哭:ごうこく
窮極:きゅうきょく

 皆さんはいくつ読めましたか? もちろんメルチェは大人ですから、全部すらすらと読めますよ。当然です(きぱっ)」
公開日時2013-08-05(月) 23:30

 

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