ヴォロスのとある地方に「神託の都メイム」と呼ばれる町がある。 乾燥した砂まじりの風が吹く平野に開けた石造りの都市は、複雑に入り組んだ迷路のような街路からなる。 メイムはそれなりに大きな町だが、奇妙に静かだ。 それもそのはず、メイムを訪れた旅人は、この町で眠って過ごすのである――。 メイムには、ヴォロス各地から人々が訪れる。かれらを迎え入れるのはメイムに数多ある「夢見の館」。石造りの建物の中、屋内にたくさん天幕が設置されているという不思議な場所だ。天幕の中にはやわらかな敷物が敷かれ、安眠作用のある香が焚かれている。 そして旅人は天幕の中で眠りにつく。……そのときに見た夢は、メイムの竜刻が見せた「本人の未来を暗示する夢」だという。メイムが「神託の都」と呼ばれるゆえんだ。 いかに竜刻の力といえど、うつつに見る夢が真実、未来を示すものかは誰にもわからないこと。 しかし、だからこそ、人はメイムに訪れるのかもしれない。それはヴォロスの住人だけでなく、異世界の旅人たちでさえ。●ご案内このソロシナリオは、参加PCさんが「神託の都メイム」で見た「夢の内容」が描写されます。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・見た夢はどんなものか・夢の中での行動や反応・目覚めたあとの感想などを書くとよいでしょう。夢の内容について、担当ライターにおまかせすることも可能です。=======
世界が赤く染まった瞬間を、よく覚えている ――彼は、彼らは闇の眷属だ。太陽と厭い、闇を愛した。 暗い、暗い世界の中で生きていれば、自然と色彩を強く意識することがなくなっていく。 そんな日々を全て覆した 赤が 紅が アカ が―― ――あれは我々の “糧”の色 だったのに どうしてそれを厭わしく思ったか どうしてそれを呪わしく思ったか どうしてそれを―― あれほど、悲しく思ったか * * * ひゅうひゅうと哭く風が吹きすさぶ。 広い平野を埋め尽くす草は、不気味にざわざわと鳴る。 空には孤高の三日月。 限りなく新月に近いそれは、まるで開き始めた瞳のように。 ――この時間を待っていたのだ。 『下賤で粗野な野蛮人どもめ! その程度の装備と戦力で我々に勝てると思っているのか!』 圧倒的な存在感をまとって戦場の中央にいる、あれは――あれは自分だ。 空に浮かぶ三日月の輝きと同じ冴えた輝きを持つ、若い頃の自分。 まるきり無防備に思える構えを隙と見て、槍を手にした兵士が数人飛びかかってくる。 『愚か者が』 声そのものが刃のように鋭く。風に乗る羽毛のような身のこなしでかわし、返す爪で引き裂く。 鮮血が、空中に散る。 赤い――赤い――色が。 月明かりは細く、辺りは完全に近い闇であったのに、なぜだかその色だけは鮮明に視界を舞う。 スローモーション。 鼓動が強く打つ。体の内側が燃えるように熱くなる。 ふつふつと芯を震わす、耐え難い興奮。 それは悦びのようでありながら、 一方で憎悪をもはらんで。 『下種どもが……貴様らに、この色は似合わん』 次々と折り重なっていく死体。流れ出す赤―― その色が憎い。今目の前の屍たちが流すものが『その色』であることが、許せない。 背後では彼が率いた同胞たちが、次々と尖兵隊を屠っていく。 誰もが一様に、食欲など示さずに屍を大地に放り捨てる。 流れ出した赤は大地に染みて、黒ずんだ色へと変わる。 ――そうだ、変わってしまえ。貴様らにその色は許さない―― 『尖兵隊はただのヒトどもか? ふん、準備体操にもならんな』 冷ややかに吐き捨て、前方を見すえる。 尖兵は時間稼ぎ。本隊はその奥にいる。 横に広がるように陣を敷いている者ども。教皇庁が差し向けたエクソシストの軍。 我々吸血鬼一族を抹殺するために集められた異能たち。 “神”の力を借り、十字架を掲げながら、一心に祈る人々。 そんな姿を見るたび、心が冷える――何と滑稽なことだ。我々を屠らんとするやつらの方が、まるで正義だと言わんばかりに満ち足りた表情で。 目障りだ。全て屠ってしまえ。ああ、何も躊躇することなどない。やつらは、 やつらは、敵だ。 尖兵隊はすでに地に沈めた。本隊は距離を取りたがる、臆病者のエクソシストたち。 向かってこないのなら、こちらから向かってやろうではないか。 『行くぞ同胞よ!』 高らかに命じて自ら本隊に飛びこんだ。 戦場の空気が爆ぜる。狂ったような哄笑とおびただしい悲鳴、全てがうねりとなって大地を埋め尽くす。 爛々と輝く瞳、鋭く光る牙。 骸が積み重なり、血の匂いが充満する。 ――許さぬ。貴様らが赤い血をその身に宿すことを、私は許さぬ。 せめてその体から奪ってくれる。全て全てその体から吐き出させ、命ごと消し去ってくれる―― 世界が赤く染まった瞬間を覚えている。 人里離れた高台で、杭に打たれ討ち滅ぼされた幾人もの同胞。 そして、最愛の妻と子供たち。 炎に焼かれる直前に見た。杭に打たれた妻の、子供たちの掌から流れる赤い――色。 『吸血鬼は魔性』 ――誰がそのように決めたのだ 『杭に打て。焼き滅ぼせ』 ――誰がそれを許したのだ 『吸血鬼は人を屠る』 ――血を飲まねば飢える、だから人を狩る 『吸血鬼は悪だ、滅ぼしてしまえ』 ――悪でも正でもない。それは厳然たる自然界のルール (弱肉強食の掟じゃ。正当化するつもりもない――これが、生物の在り方。おぬしら人と同じことよ) 戦いの最中、迫りくる我らの牙と爪に身をすくめながら、どこか悲しげな目をして嘆いた聖職者がいた。 ――なぜ、こんなことを。 その唇が吐いたそんな言葉。肌が粟立つほどに不愉快で。 『貴様らが我々を許さぬというのなら、我々も貴様らを許さぬ! ただそれだけだ……!』 振り下ろした爪。引き裂かれる体。 気がつけばその男を跡形もなく踏みにじっていた。 ――なぜ、だと? それならこちらも問おうじゃないか。なぜ私の妻と子は、殺されなければならなかった? 『は……は、は、はーはははははっ!!!』 腹の底から笑った。笑いながら、戦い続けた。刃向う者全てを引き裂いた。踏みつけ、その生命を凌辱した。 舞い散る赤、赤、赤、赤、――…… ……どれほど、戦い続けていたのだろうか。 気が付けば、自分はたった一人。 焼け野原となった大地に、佇んでいた。 空間が揺れる。視界が歪む。地に足がついていないかのような心地悪さに吐き気を覚えて胸をわし掴み、何かを求めて振り返る。 世界は寂々として、細い風の音だけが渡る。 地平線の彼方まで埋め尽くす墓標。 無数の――十字架。 一人、生き残ってしまった。 (これがワシの望んだ結末?) 荒野でたった独り。無限の墓標だけが自分を見つめる。 そんな終幕? 馬鹿な。ワシはただ、家族と一緒に…… 家族と一緒に、幸せに暮らしたかっただけ、なのに。 それなのに、なぜ * * * 「……メイムで見られるのは“未来”だと聞いていたんじゃがな」 ぼんやりと天幕を見上げながら、ネモ伯爵はつぶやく。 ゆっくりと体を起こすと、眠りを誘う香の残り香が鼻をくすぐった。 体がひどく重かった。ため息をつき、小さくつぶやく。 「……いや。未来への戒め、かも、しれんな」 目を閉じ、たった今見たばかりの夢を思い返す。 永遠に続く墓標。 あの下に眠るのは死んだ同胞や妻子ばかりではない。自らがこの爪と牙で屠った聖職者たちも、皆同じように眠っている。 戦いたくなどなかった。 憎悪に身を任せ、殺したくなどなかった。自然界のルール。自分が彼らを許せなかったように、彼らもまた自分を許せなかった、ただそれだけのこと。 ネモ伯爵はすっと瞼を上げる。 あの日の月の光のように冴えた黄金色の瞳は、ただ贖罪だけを冀(こいねが)う。 (ワシは永久を生きる者) “No Name”……誰でもない者、ネモ。 ――贖罪を乞いさすらう名無しの吸血鬼、それが自分だ。 あれから跡目を次代に譲り、長老の座を退いた。 青年の姿を捨て、いとけない子供に身をやつし、世界中を旅して回った。 それは道連れにした仲間を悼み、屠った敵を弔う旅路。 この旅がいつ終わるのか。それは誰にも、自分自身にさえ分からない。 夢で見た墓標は永遠に続くようだった。あの十字架が続く限り終わらないと――そう夢は暗示しているのかもしれない。 だが。 (ワシは諦めぬ) 過去を忘れるつもりはない。罪が消えるとも思っていない。 しかし、今の彼の目に映る“赤”は、暗く哀しいばかりの色ではなくなったから。 (そうじゃ。いつか、きっと……) 夢ではなくこの目で見る未来を、必ず掴み取る―― 空気を漂う残り香が、まるで役目を終えたかのように、すうっと溶けて消えていった。 -Fin-
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