ターミナルの日陰の方向、とある道沿いにその店はある。 あまりにひっそりと存在するため、通りすぎる人間が多い、どころかそもそもこの区画に来る人間自体が稀なのだが。 それでもわずかに噂は広がって、ごくごく少数の人間がその店に訪れるのだ。『≪石屋≫～Pedido～』 建てつけの悪いドアを開けると、まず目に入るのは、狭い店内に所せましと置かれた棚。 その棚には様々な≪石≫が雑然と並べられている。丸いものもあればいびつなものもある。赤もあれば青もあり、黒もあれば透明もある。石にもこんなに色や形があったかと改めて気づく。 窓はないが、中は思ったほど暗くはない。ランプの配置がいいらしい。「あ……いらっしゃい、ませ」 店の奥から、一人の少女が顔を出す。 腰まである長い黒髪を、首の後ろでひとつに束ねている。細い体にクリーム色エプロン。下に着ている白いシャツと青いジーンズはやけにぶかぶかだ。おそらく本人のサイズではなく、誰かから譲り受けたに違いない。 見た目は十八歳ほどだろうか。それほど背が低いわけではないのに、こじんまりとした印象を受ける少女だ。見た目は完全な「人」だが、耳がとがっている。ツーリストなのかもしれない。 サンダルを履いた足で小走りにこちらへ寄ってくると、こてん、と小首をかしげて、琥珀色の目を微笑ませる。「えと。初めましてさん、です、ね。ご用向き……どう、なさいますか？」 やたらとたどたどしいその声は、音量は小さいが鈴のようにかわいらしい。 ――この店には何があるのか。 ふしぎな≪石≫を売っている。噂ではそれしか聞いていない。「はい」 少女はにこっともう一度笑った。「ここは、≪石屋≫さん、です」 ……いや、だから。「はい。えと、私が作った石、です。色んな願いごとのお手伝い……できると思います」 願いごと？ “私が作った石”？「壱番世界の……パワーストーン、ご存じですか？」 聞いたことはある。要するに宝石の類に何かしらの力があると考えるアレだ。 はい、と彼女は嬉しそうににっこりした。「私の世界では、皆、ああいう石が作れます。その人の心、願いごとに反応する、力を帯びた石、です」 ？？？「あの、私の目、見ててくださいね」 言われてつい彼女の琥珀の瞳を凝視する。 コーヒー色にも飴色にも見えたその瞳に、自分の目が映りこんだ。 急に心が引っ張られるような感覚―― 何かが一瞬、自分の内側で膨れあがった。 彼女は両手を自分の胸あたりまで持ちあげる。 両の掌で包みこむようにした空間に、光が生まれる。それはくるくると空中で回り、時々火花を散らして明滅し、やがて収束するように小さくなる。 ――光が晴れたとき、少女の掌にはいびつな≪石≫が生まれていた。 それと同時に、こちらの胸騒ぎも小さくなっていく。後に残ったのは波紋を残した水面のような心。「できました」 少女が再びにこりと笑む。親指と人差し指でつまんで持ちあげたのは、縞模様の石――「これは、タイガーアイですね。あ、お客さま、何か迷いがおありですか……？」 え？「それとも仕事運を上げたい……とか、あ、勝ちたい相手がいる……とか」 ……心当たりがないでもない。 結局それは何なのだ。訝しく思って彼女を見つめると、「はい。……あの、私、人の心から≪願いごと≫を読み取って、形にすることができるんです」 どこかはにかむような顔で頬を染めて、彼女は言った。「できた石を身につけていると、少しですけど力を貸してくれます。……お守りパワーストーン、です」 願いごとを叶えるための、お守りを生み出す。 この店は、つまりそういう店。「あの、でも、私が普段気ままに作った≪石≫もたくさんあるので、そこから選んでくれても大丈夫です」 彼女は店内の棚を示した彼女は、慌てたように早口になった。「私にお客さまの願いごとが見えたりするわけじゃないんですけど、でも、私がこれをすると、皆さん落ちつかなくなる、みたいで」 ……たしかに。 心の中にできた波紋が、何やら心地悪いような―― どことなく憂いも誘うような。 ――いくらだ、と訊くと、彼女はびっくりしたように目をぱちくりさせた。「あ、買ってくださるんですか？ 試しに作っただけですけど……はい、あの」 お代は頂きません。彼女はそう言った。 驚いて見つめ返すと、彼女はぎこちなくうなずいた。「……はい。だって、この≪石≫はあくまで≪お守り≫……力を貸してくれても、願いごとが叶うかどうかって結局本人次第、ですから」 でも、と少女は晴れやかに微笑んで。「――でも、目に見える何かが……それを見れば思い出せる、ずっと寄り添ってくれている……そんな何かがあるのは、強いと思うんです、私」 そして最後に、弾んだ声で付け足した。「お代はいりません。でも、よかったら、その願い事について、お話してくれるととっても嬉しいです」 もちろん義務ではありませんけど――そう言った娘の瞳は、楽しそうに輝いていた。● その店が繁盛しないのは、しょせん≪お守り≫でしかないと思う者が多いからなのだろう。 けれど彼女は――サフ・オルガタントは諦めない。 自分の生み出した≪石≫は、きっと誰かの手助けをできる。それを信じているから。
「いらっしゃいませ！」 奥の戸が開き、ひょこっと若い娘が顔を出した。 ぶかぶかのシャツとジーンズにエプロン。華奢な雰囲気の娘はパタパタとこちらへやってくると、客の顔を見てにこっと笑った。 「ご来店、ありがとうございますっ。あの、今日はどのようなご用向き、ですか？」 「……ああ、ええと」 青年、Marcello・Kirsch――ロキは逡巡した。言葉を選びながら、正直に話す。 「――俺はマルチェロ。このお店にすごく心が惹かれて来てみたんだけど、実はこのお店のことをよく知らないんだ。聞いてもいいかな」 本当のことを言うつもりはなかった。 昨夜見た夢。ターミナルの見知らぬ道を一人で歩いていた自分。 オフである今日を利用して、彼はその道を探し当て、夢の通りにたどった。そして見つけたのがこの店だったのだ。 ――幼い頃から見ていた予知夢。 その力が恐ろしいこともある。けれど、もたらしてくれるものもある。 昨夜の夢が導いてくれたこの店は、一体自分に何を見せるだろう？ 石だらけの店内に不思議と馴染んでいる小柄な娘は、にっこりと微笑んだ。 「ここは≪石屋≫さんです」 「石？」 「その人の心、願いごと、それを編み上げて、≪石≫を作る――いい子ですねっ」 ロキの抱いていたセクタンを撫でる彼女。その表情は朗らかで、ロキの緊張も解けていく。 彼はいつも通り陽気に微笑んだ。 「ありがとう。こいつはヘルブリンディ。俺のことはロキって呼んで」 「あ、はい。私はサフっていいます」 サフはにこにこしながら、ロキを見上げた。 「お願いごとに合ったお守り、お作りしますっ。お代はいりません。よかったらおひとつ、どうですか？」 「願いごとかあ……」 ロキは考えてみた。 ひとつひとつ思い返し、照らしてみる。最近の自分日常。考えていること、悩んでいること、願いごと―― （……あれ？） 彼は軽く唸るような声を出した。 「……今、明確に“願いごと”と呼べるようなものはない気がする」 「あ、そうなんですか？ でも、心がある限り≪石≫は作れます」 その場合、どんな石が出来上がるかは予測できないんですけど――と、サフは困ったように笑う。 それでも心に沿ったものなのは間違いない。だから“お守り”にはなると彼女は言った。 「じゃあ作ってもらおうかな」 結局ロキが承諾したのは、多分サフがキラキラとした目で彼を見ていたからだろう。 ――この目を無視して帰ることなんかできっこないと。彼はそう思ったのだ。 私の目、見ていて下さい。 そう言われ、澄んだ琥珀色の瞳を見つめる。 吸いこまれるような目だった。心が引っ張られるような、そんな奇妙な感覚に襲われる。しかし反発心は生まれなかった――その瞳は、まるで心をなでるかのような穏やかさで。 「――できました」 気がつくと、彼女の掌にいびつな石が生まれていた。 黒い石だ。柱状で、炭に似ているが鈍い光沢がある。無数のまっすぐな線が走っていて、それが傷にも見えた。 原石状ですねと彼女は言った。 「ブラックトルマリンです。電気石、とも呼ばれます」 「トルマリン……」 「電磁波から身を守ってくれる、なんて言いますね。……ロキさん」 サフは案じるような目で、ロキを見上げた。「大丈夫、ですか？……今、何をお考えですか？」 ロキの顔から、いつもの明るさが消えていた。 胸の内が騒ぐ。 静かだった湖面に、石を投げこんだような心地。さざなみとなって湧き起こった想い―― 「……ようやく」 ロキはぽつりとつぶやいた。「ようやく、護りたいって思える人ができたんだ」 落ちつかない心の奥底に、一人の娘がいる。 「ちょっとドジだけど、明るい……向日葵みたいな子」 心の中で思い出せば、いつも笑っている子。 お互いに心惹かれた。彼女と過ごす時間は、陽だまりのように暖かくやさしい。 彼女は特別だと、そう思う。 それでも。 「……俺は生まれ育った土地のせいか、女性にはつい優しくしちゃうんだけど、それで嫉妬とかされてないかなって心配で」 分かっている。不安にさせるかもしれないと。 彼女にそんな思いをさせたくないと本当に思うのに、癖は中々直らない。 この間の運動会も女性とペアで演舞したしね、とロキは苦笑する。 その折の演舞のパートナーは、本当は女性ではない。けれど本人はそれを隠しているようだったから、ロキは気づかないふりをした。もしも“彼女”に誤解されたとしても真実を告げるつもりはない。例え親しい人間相手でも、他人の秘密をやすやすと暴露してはいけない。 でも。 もしも本当に彼女とけんかになってしまったら。 「――何より、あの子のことを俺がリードしなきゃ、って思うんだけど……」 ロキは大きく息を吐き、天井を仰いだ。 「嫌がらないかな、とか……気になって自分から提案をすることができなくてね」 腕の中でヘルブリンディが、主の心がうつったかのように落ちつきなくもぞもぞと動く。 サフの視線を感じた。 ――こんな姿、誰かに見られたくはなかった。 情けないとなじられることが怖かった。 誰かが自分にかけてくれる期待を裏切りたくなくて――ずっと努力してきたつもりだったのに、弱い自分はいつまで経っても消えてくれない。 嫌われたくないと、子供のように怯える自分が、消えてくれないのだ。 「………」 ロキは片手で顔を覆った。 こぼれた吐息が心細そうに散った。 「……分かりました」 黙っていたサフが、ふいに口を開いた。 「ブラックトルマリン――自分の心を“純粋”にする石、です」 「………？」 ロキは顔を上げた。 サフは変わらずににこにこと笑っていた。 「純粋な自分自身、自分が本来持っている力。それを思い出すための石、です」 彼女は掌の炭のような石を、愛おしそうに見つめる。「いらないものを……不安を消して、勇気をくれる」 ――勇気。 「私の作る≪石≫は、“ない”ものを助けられません。人が元々持っている力を増幅するのが役目です。でも」 どこかたどたどしかった娘の口調がなめらかになる。告げることは決まりきっているとでもいうように。 「――でも、勇気を一欠けらもその心に持っていない人なんて、私は存在しないと思います」 サフはエプロンのポケットから小さな巾着を取りだした。 そして掌の石と合わせて、ロキの手にそっと握らせた。 「……一生全てを隠し通すのもひとつの道ですけど、ロキさんは苦しいのでしょう？」 「―――」 「ロキさんが苦しんでいたら、必ず彼女さんも気づきますもん。きっと心配しますよ」 風に舞う羽根のような軽やかさで、サフは笑った。 「ケンカ、することがあっても。いつか、こう、翼をばーっと広げて」 大きく両手を広げて。 そして彼女は、まるで自分の未来の希望を語るように。 「――のびのびーっと、本当の姿で二人並んで飛べたら、きっと素敵ですよね！」 心が―― さざなみだっていた心が、揺さぶられたようにますます波を立てた。 彼女に会いたいと、ふと思う。そしてそれに気づき、彼は納得した。 （ああ、そうか） きっとそれが“純粋”な自分の心。 何て単純、でもとても綺麗だ―― 「ありがとう」 礼を言うと、サフはふわりと微笑んだ。 ほんのりと掌があたたかいような気がして、ロキは石を見つめた。 黒い石に走る無数の線が、まるで夜空に流れる星のように、美しく見えた。 -Fin-
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