「複数での戦闘訓練?」 世界司書であるシドは、目の前に訪れたリュカオスが差し出した書類に目を落した。「そうだ。依頼を受けて現地に向かうロスト・ナンバーたちの中でも、初対面の者たちも多い。そして、今後は単独で戦うだけでは難しい局面が増えると思われる」「難しい局面な」 シドの脳裏に世界樹旅団の事が浮かぶ。「そこで、初対面の相手とでもある程度の連携を取れるように、予め訓練しておく必要があると判断した」 リュカオスの話を聞きながら、シドは書類を捲っていく。 リュカオスの話は妥当な判断であり、特に反対する理由はなかった。内容も見ている限り、無茶なものではなさそうであった。「解った。許可しよう」「ありがたい。内容については、そこに記したように単独訓練用のコロッセオの時とさほどの違いはない。何か問題があれば、言ってくれ」 そして、退室の挨拶をシドに残して、リュカオスはコロッセオへと戻って行った。 ターミナルに、「無限のコロッセオ」と呼ばれるチェンバーがある。 壱番世界・古代ローマの遺跡を思わせるこの場所は、ローマ時代のそれと同じく、戦いのための場所だ。 危険な冒険旅行へ赴くことも多いロストナンバーたちのために、かつて世界図書館が戦いの訓練施設として用意したものなのである。 そのために、コロッセオにはある特殊な機能が備わっていた。 世界図書館が収集した情報の中から選び出した、かつていつかどこかでロストナンバーが戦った「敵」を、魔法的なクローンとして再現し、創造するというものだ。 ヴォロスのモンスターたちや、ブルーインブルーの海魔、インヤンガイの暴霊まで……、連日、コロッセオではそうしたクローン体と、腕におぼえのあるロストナンバーたちとの戦いが繰り広げられていた。「今日の挑戦者はおまえたちか?」 コロッセオを管理しているのは世界図書館公認の戦闘インストラクターである、リュカオスという男だ。 長らく忘れられていたこのチェンバーが再び日の目を見た頃、ちょうどターミナルの住人になったばかりだったリュカオスが、この施設の管理者の職を得た。 リュカオスは挑戦者が望む戦いを確認すると、ふさわしい「敵」を選び出してくれる。 図書館の記録で読んだあの敵と戦いたい、という希望を告げてもいいし、自分の記憶の中の強敵に再戦を挑んでもいいだろう。「……死なないようには配慮するが、気は抜かないでくれ」 リュカオスはそう言って、参加者を送り出す。 訓練とはいえ――、勝負は真剣。「用意はいいか? では……、健闘を祈る!」●ご案内このシナリオは、参加PCさんが地下コロッセオで戦闘訓練をするというシチュエーションになります。ただし、この敵はコロッセオのつくりだすクローン体で、個体の記憶は持たず、会話をすることはできません。
コロッセオの地面に広げた紙に向かって、一人の男が黙々と筆を振う。 鷹のように鋭い目をした着流しの美男であり、その左頬には「粋」という文字が彫られている。 書道師の祇十である。 その気軽に声を掛けられる雰囲気ではない男の横で、困っている男がいた。 柔らかな金髪は。真ん中で分けて頭の後ろで一つに括られてあり、その手にはトラベルギアである両刃のナイフ、シギュンを持っている。 コンダクターのMarcello・Kirsch、通称ロキである。 これから祇十と協力して戦うのだが、先ほどからずっとこの状態なのである。 「良し。やっこさんが飛び回るってぇなら、こっちも飛んじまえばいいってだけの話でぃ」 書き終わったのか、祇十の持ち上げた紙には「翼」の字が書かれている。 祇十は、その紙を傍に来ていたロキの背に押し付けた。 そして、祇十が念を込めるとロキの背に墨染の翼が広がった。 「これで、やっこさんの相手は頼んだぜぃ」 「えぇっ!?」 祇十は遠慮くなくロキの肩を叩いたのだが。 「それでは、試合を開始する!」 ロキが了承する前に、試合は始まっていた。 リュカオスの合図が響くと、コロッセオの中央に一つの炎が灯った。 すぐに炎は火柱となって噴き上がると、その逆巻く炎は一体のモンスターへと姿を変えた。 現れたのは、鍛えられた肉体の成人男性くらいの大きさの獣人であり、その背に炎の翼を宿していた。 次の瞬間、その翼人は大きく羽ばたくと、祇十へと目掛けて突進してきた。 襲い来る翼人へ祇十は一枚の紙を投げた。風に流されるように緩やかに舞う紙には、「爆」の文字。 「爆!」 祇十の念に反応して、紙が文字通りに爆発した。 至近距離での爆発に巻き込まれた翼人は、咄嗟に体の前面を翼で覆った格好のまま吹き飛ばされていた。 しかし、すぐにその炎の翼を広げると、空中で体勢を立て直し、次なる標的として、空を滑べるようにしてロキへと迫った。 翼人の伸ばした爪が、空気を引き裂いてロキを襲う。 流れるような翼人の攻撃を、ロキはどうにかギアのナイフ、シギュンで凌いでいく。 が、翼人の得物は両手両足、ロキの武器は一本のナイフ。 手数で負けているロキは、翼人の猛攻の前に一方的な防戦を強いられてしまう。 「なんしてやがんでぃ! 羽があるだろう!」 その声で思い出したロキは、漆黒の翼を羽ばたかせて空へと飛び立った。 すかさず翼人も炎の翼を広げて、ロキの後を追う。 そして、コロッセオの青空の中、紅蓮と漆黒の翼が交差し始めた。 祇十の助言で空を飛んだロキだったが、内心は焦っていた。 地上よりも自由に動ける範囲は、確かに広がる。 しかし、ロキは元々羽が生えていない普通の人間であり、空を飛ぶ事に関しては初心者である。 翼の動かし方に気を取られれば、翼人の攻撃に対応しきれない。そうなれば、必然的に距離を取り避けることに専念してしまう。 翼人の攻撃に晒されることもないが、ロキの攻撃も届かないという膠着状態であった。 (このままじゃ、勝てない) ロキが弱気になった時、脳裏に『彼女』の明るく笑う姿が思い浮かんだ。 護りたい。そう思える人ができたから、俺はここに来たんだ。 『力とは、護るものがあってこそ限界を超えることができる』 祖父のかつての言葉がふと甦った。今なら、その意味も解るような気がする。 「護りたい」 黒い翼を羽ばたかせながら、ロキはギアを握り締める。 「だから、強くなる!」 ロキの力強い意志に応じて、ジギュンの刀身が眩い光を放つ。 「えっ!?」 驚くロキが見ている前で、鮮やかな白い輝きは水面に反射する光のように煌いて収束していく。 シギュンより伸びた細くしなやかな一筋の光。 「鞭、なのか?」 ロキがシギュンを一振りすれば、それに合せて光の筋が鞭のように動いた。 羽ばたく音の方へ目をやれば、翼人が押し迫ってくる。 即座に、ロキは光の鞭で翼人を打ち据える。繰り出された鞭を両腕で翼人は防いだが、その体は衝撃で大きく後ろへ弾き飛ばされていた。 思わぬ鞭の威力に、ロキの心は踊り上がった。 そして、翼人の後を追って、さらに鞭を閃かせる。 ロキの鞭を掻い潜り、炎を翼を広げると翼人は青空へと駆け上がった。 ロキを見下ろた翼人が、一際大きく炎の翼を広げて力強く羽ばたく。 すると、炎の羽根が矢となって撃ち出された。 降り注ぐ炎の矢を前にして、ロキは翼を折り畳んだ。 重力に引かれるままに落下し、炎の矢を潜り抜けた後に、翼を浮かせて体の向きを変える。 地上すれすれで翼を大きく広げて、地面と平行に滑空する。そして、地面を蹴って上へと方向を変えて羽ばたく。 翼人と同じ高さまで一気に駆け上り、一筋の閃光を残して鞭を振う。 「羽の動かし方、少しは慣れてきたな」 炎の翼を盾として鞭を防いだ翼人が、距離を取って再び炎の矢を浴びせてきた。 次々と撃ち出される紅い火矢と迎え撃つ白い鞭の攻防が、青空の中で繰り返されていた。 突然、ロキの足下から地響きが聞こえた。 驚いてロキが目を下に向ければ、コロッセオの地面から続々と塔が生えてきている。 そして、ロキと翼人のいる高さを越えてもまだ伸び続け、見る見るうちに巨大な塔がコロッセオの一画に林立していた。 「どうでぃ! こうなりゃあそうそう好きに飛び回れねぇだろう!」 コロッセオの地面に直接「塔」の字を書いた祇十の仕業であった。 「え、それは初心者な俺の方が不利だろう……」 呟いたロキの予想は、見事に的中していたのであった。 翼を畳んだ翼人は、塔の一つに手を掛けて周囲を見回しながら留まっていた。 そして、最後にロキへと頭を向けると、塔を足場にロキへと跳び掛った。 その一撃をロキは、難なく避けたが。 次の瞬間、ロキの右肩に衝撃が走った。 咄嗟に、漆黒の翼を広げて、振り返ったロキの目に入ったのは――。 周囲を囲うように聳え立つ塔を足場にして、縦横無尽に跳ね回る翼人の姿であった。 「嘘だろ!?」 再び迫る翼人を、体を捻ってロキは辛うじて避けるが。 死角からの翼人の攻撃を受けて、成す術もなく殴り飛ばされ塔に叩き付けれた。 苦し紛れに鞭で狙うが、易々と翼人に避けられてしまう。 「それなら!」 塔より高く飛んで、この不利な状況から逃げ出そうとロキは大きく翼を広げた。 が、ロキの死角から跳び込んだ翼人が鋭い爪を振って、ロキの片翼を斬り落とした。 「うわっ!?」 いきなりバランスを崩されたロキだが、残った翼でどうにか地面に降り立った。 地上に落ちた獲物を狙うように、翼人がロキへ猛然と襲い掛った。 「兄ちゃん、こっちに全力で走って来い!!」 祇十の声がした方へと、ロキは言われるがまま全力で走り出した。 「爆!」 祇十の声に被るように、周囲の塔が、その半ば付近で一斉に爆発した。 「うわぁぁぁー!」 いきなりの事態にロキは驚いた。しかし、足を止めようものなら、崩れ落ちてくる土塊で生埋めである。 祇十の傍へ必死に走り抜けたロキが振り返れば、塔の林立していた場所には、ちょっとした土手が出来上がっていた。 「すまねぇ。けえって大変な思いをさせちまったみてぇだな。これ使って傷を治しな」 祇十の差し出した紙には。「癒」の文字が書かれていた。言いたい事はあるロキであったが、全力疾走のせいで碌に喋れない。 仕方ないので「癒」の書を受け取ったロキは、疲労や痛みが癒されていくのを大人しく感じていた。 そして、背に生えていた漆黒の翼が色を失い消えると、ぺらりと一部分の破れた紙がロキの背中から剥がれ落ちた。 「さーて、やっこさん、どう出て来るかねぇ」 祇十が睨み付けていた土手から火柱が噴き上がり、そこから翼人が躍り出た。 「へっ、まだまだ元気だねぇ。なら、次は俺と喧嘩しようぜぃ!」 空から翼を力強く羽ばたかせて、翼人は無数の炎の羽根を二人へと浴びせ掛ける。 「それはさっき見たぜぇ!」 祇十が掲げた紙に書かれているのは、「止」の文字。 炎の羽根が、祇十の前でぴたりとその動きを止める。 「耳を揃えて返してやるよ!」 そして、反対の手で掲げた紙には「返」の文字。 フィルムの巻き戻しのように、同じ動きで炎の羽根が翼人へと押し戻される。 悠々と自分の撃った炎の羽根を翼人は避けてみせたが、どう攻め込もうと考えあぐねているのか、空に止まったまま二人を見下ろしていた。 「へっ、どうしたどうした! 見てるだけじゃ、俺らは倒せねぇよ!」 祇十の挑発を受けたのか、翼人が翼を広げて二人へと突撃してきた。 前に出て迎え撃とうとしたロキを祇十は片手で制した。 何故、と見上げるロキに祇十は得意気に笑った。 「細工は流々、仕上げを御覧じろ」 そして、迫り来る翼人に、一枚の紙をひらりと投げる。 最初の爆発を警戒した翼人は、体の前面を覆うように翼を広げた。 「止!」 紙に書かれた文字が、その場へ翼人を縫い「止」める。 「走れ、兄ちゃん! 巻き込まれちまうぞ!」 ロキの腕を掴んだ祇十は、勢い良く走り出した。 気がつけば、二人の居た足下に巨大な文字が書かれている。 その文字は「雷」。 そして、走り出した二人の足下でもう一枚の別の紙が、ふわりと舞い上がっていた。 そこに書かれていた文字は「盲」、それを使うことで、祇十は誰に気取られる事なく「雷」を書き上げていたのだった。 「雷!」 目を焼く閃光が迸り、耳を突き破る雷鳴が轟き、地上から天へと昇竜の如く巨大な雷が走った。 土煙の収まり出したコロッセオの一画で、二人は立ち上がった。 「いやもう何て言えばいいのか。塔といい雷といい、とにかく派手だな」 「たりめぇよ! 喧嘩と花火は和国の華って言うんだぜぃ。派手にしなくてどうすんでぃ」 土煙に噎せそうになりがら、ロキは周囲の状況は探っていた。 リュカオスから試合終了の合図が掛っていない以上、翼人はまだ倒せていないと判断したのである。 それは間違いではなかった。 一陣の熱風が巻き起こり、周辺に漂う土煙を吹き飛ばした。 「へぇ、焼き鳥にして一杯引っ掛けるつもりだったってぇのにな」 「当てが外れた?」 ロキの持つシギュンから一筋の光が伸びて鞭となる。 二人の見ている先には、全身を多少焦げ付かせた翼人が立っていた。 そして、背にある炎の翼は、未だに力強く揺らめいている。 「すまねぇけどな、兄ちゃん。また時間稼いでくれねぇかい?」 「ということは、もう細工は無い?」 「まぁねぃ、あれで仕留める予定が狂っちまった。となると、もっと強い書を用意しねぇと」 祇十は、一旦言葉を切ると力強く続けた。 「だがよ、書ってぇのは馬鹿みてぇに焦って書いちまったら、いいもんにならねぇんだ。俺は何に使う書も、手ぇ抜いたりはしねぇよ。それが書道師の誇りってもんだ」 その瞳には、これだけは譲れないという確固たる決意が灯っていた。 「そのせいで死ぬ事になっても構わねぇ。その方が良い書になるってんなら、むしろ本望ってもんだ。兄ちゃんにもあるだろ? 死んでも譲れねぇってもんはさ」 祇十の言葉に、思わずロキは動揺していた。 「ほれ、しっかり働いてくれよ。そん代わり、後の事は全部俺に任しときな!」 「えっ、は、はい!」 ロキの動揺には気付かず、祇十は遠慮なくロキの肩をばしんと叩いて、その場を離れた。 (今は目の前の事に集中しろ!) ロキは自分の顔を両手で叩いて気を引き締めると、シギュンを握り締めた。 しかし、持ち主の心を映すかのように、シギュンの光はざわめいていた。 今度は地上で、ロキは光の鞭を繰り出し、翼人と冷静に戦っていた。 翼人が接近戦に持ち込めないように、鞭で牽制して常に距離を取る。気を付けるべきは炎の羽根。 相手から攻め込まれない堅実な戦い方で、ロキは着実に時間を稼いでいた。 (このまま持ち堪えて、後は祇十さんに) ――任せる。 そう思った時、ロキはふと気が付いてしまった。 (任せて、終わりって。それじゃあ、何も変わっていない) 鞭を操るロキの手が止まった瞬間を、翼人は見逃さなかった。 翼人の鋭い蹴りが、ロキの腹に決まった。 重く鈍い痛みに動きを止めてしまったロキに、翼人が更に攻撃を重ねていく。 苦し紛れにロキは鞭を閃かせるが、易々と体を捻って避けた翼人が、今度は回し蹴りを放つ。 蹴り飛ばされたロキは、地面に叩き付けられた。 『兄ちゃんにもあるだろ? 死んでも譲れねぇってもんはさ』 先ほどの祇十の言葉が耳に甦る。 断固たる信念を含んだ言葉には重みがあった。 (俺には、死んでも譲れないものなんて) ロストレイルの旅で様々ものに出会ったけれど、命を賭けても良いと思ったことはない。 (だって、適材適所だろ。できる人ができる事をすればいい話だ) そう思っていた。だから、自分は自分のできることを見つけて頑張ってきていた。 でも、それはやってみる前に諦めていたことでもあった。 自分には無理そうだと判断した場合、挑戦する前に他にできることを探していた。 (ああ、そうか。俺、逃げていたわけじゃないけど、挑戦していたわけでもなかったのかもな) 歯を食い縛りながら、ロキは力の入らない体で起き上がろうとする。 (…力が欲しいんだ。…大切な人を、護り抜ける力が) ロキはシギュンを握り締めた。 (他の誰に任せるんじゃない) ロキの心に一つの決意が灯る。 「俺自身の手で、彼女を護りたいんだ!」 その時、シギュンが今までない程の鮮烈な光を放った。ロキの決意を力に換えて、ロキの全身に力を満していく。 『ロキよ、石に穴を開けるにはどうすれば良いと思う?』 かつて祖父に投げられた問い掛け。そして、その答えはもう自分の中にある。 ロキはゆっくりと立ち上がった。 「…水滴。繰り返し、滴り落ちる水の粒が、石を穿つ」 光り輝くシギュンを意識してか、翼人が間合いを取ったままロキを警戒している。 (小さな積み重ねが、やがて大きな事を成す) そうだ。いきなり変われなくてもいい。 少しずつ、変わって行けばいい。 小さな一歩でも、繰り返し前に進んで行けば。 「いつか、目指した自分に辿り着ける!」 眼前に掲げたシギュンの刃を指で挟み、ゆっくりと刃先へと指を滑らせる。 ロキの指に合せて、刀身の輝きは刃先へと集まり凝縮していく。 そして、一滴の光の粒が絞り出された。 (これも一歩だ。俺なりの、小さいけど) 「貫けぇええ!!」 ロキは腹の底から叫び、突き出したシギュンで光の粒を貫いた時。 一筋の閃光が生まれ、槍と化して翼人へと撃ち出された。 圧倒的な速さで迫る光の槍は、警戒していた翼人に避ける暇さえ与えず、その左翼を貫き飛ばした。 雷の一撃さえ凌いだ炎の翼を撃ち抜かれた翼人は、次弾を警戒して一気に後方へ飛んだ。 (行ける!) このまま攻め落とそうとロキは、再びシギュンを構えようとしたが。 その腕は意志に反して上がらなかった。それどころか、ロキの体は力が入らず、その場に崩れ落ちてしまった。 それを見た翼人が、ロキへ飛び掛かろうと腰を落とした時。 「よくやった、兄ちゃん! 後は任せな!」 祇十の凛とした声がコロッセオに響いた。 「この鳥野郎! 俺がてめぇに一筆入れて、終ぇにしてやるぜ!」 翼人は、ロキから祇十へと意識を切り換えた。 いつでも飛び出せるように、腰を落として力を溜めている。 「諸行の禍事、我が揮毫を以て終筆せしむ!」 目の前に筆を掲げ、祇十は瞼を閉じて精神を集中する。 祇十の念を受けて、敷かれていた9枚の紙がふわりと浮き上がる。 「臨める兵、闘う者、皆 陣列べて前に在り!」 浮き上がった9文字、臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前、が祇十の言霊に合せて、次々と輝き出す。 「大師流 護法文字 九字之書! とくと拝みやがれぃ!」 祇十が翼人へ筆を突き付けると、9個の青白い光の球へと変じた護法文字が空を駆けて翼人へと殺到した。 だが、翼人は残った片翼を羽ばたかせて、見事な素早さで空へと飛び上がり光球を避ける。 そして、そのまま落ちるように空を滑り、祇十へと特攻を仕掛けた。 しかし、翼人の目に映ったのは、不敵な笑みを浮かべている祇十であった。 「疾く駆けよ! 敵は未だ我が前に在り!」 突然、外れた光球がその軌道を変えて、翼人へと再び襲い掛った。 体勢が崩れることも厭わず、翼人は残された翼で光球を叩き落さんと羽ばたかせた。 が、翼を掻い潜った最初の光球が、翼人に直撃する。 臨、と漆黒の雄々しい文字が顕れる。 ――兵、闘、者、皆、陣、列、在、前 次々と当たる光球に合せて、翼人に九字が刻まれていく。 そして、最後の文字が出現した後、翼人の姿は、水に落した墨汁の如く滲んで消えていった。 「試合終了、そこまで!」 リュカオスから終了の合図が響く。 祇十は倒れ込んでいるロキの元へと駆け寄った。 「大丈夫か? すぐに書を用意してやるから待ってろ」 仰向けに寝転んでいるロキの横で、祇十は紙を広げて書の準備を始めた。 「あんたのお陰で、変わることが出来た気がするよ、……ありがとう」 「はぁ? 何言ってやがんでぃ、俺は何もしてねぇよ。っつか、気が散るから話しかけんじゃねぇ!」 「えー……」 祇十の揺るぎない信念に、ロキは苦笑していた。
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