クリエイター瀬島(wbec6581)
管理番号1209-15844 オファー日2012-04-01(日) 23:08

オファーPC 祇十(csnd8512)ツーリスト 男 25歳 書道師

<ノベル>

__じゅじ【呪字】

"和國にて書き表すことの一切を禁じられている文字群。書道師でない一般の人間が書き記したものですら人を殺める力を持つとされており___"

 焦げた書物に記された文章は、そこで途切れていた。
 あれを読んだのはさて、いつの時分だっただろうか。

 この世に書けないものなどありはしない。もし本当にそんなものがあるのなら……。

__書かずにおれるかよ

 そう、強く強く思ったことだけは、やけに覚えている。

 それから時は流れたが、ただまっすぐ、まっすぐにしか歩まなかった道は、どこかでひっそりと曲がっていたのかもしれない。





「ごっそさん、うまかったぜ」
「毎度ぉー」

 馴染みの蕎麦屋にふらりと入って、ぬる燗をついと三本。祇十が一度くぐった暖簾をもう一度くぐると、チェンバーでコーティングされていたはずの夕暮れ空はすっかり星模様に変わっていた。祇十がこの程度で酔うようなことは無いだろうが、それでもほんのりと熱を持った祇十の頬と額を夜風が心地よく撫でる。

「七ツ下がりの春雨や……なんつってな」

 このチェンバーの主が管理しているのであろう暦に従って季節ごとに少しずつ変わる、月星の位置や日の長さ、毎日の天気、そういう機微のようなものをおそらく祇十は好んでいた。一月前にはまだ淡墨のようだった足元の影がいつの間にか色濃くなっているのに、自然と目を細める。

「いい風じゃねえか、こんな夜は墨もよく伸びるぜ」

 すん、と鼻で息を吸う。
 明日は雨だろうか、微かにまとわりついた湿り気がそれを予感させる。雨粒が落ちるまでいくのはよろしくないが、こんな風にほんのりと、重くなる寸前のような空気なら、まっすぐ広がった紙の上で墨ものびやかに躍ることだろう。

「……?」

 ふと。うっすら入った酔いを醒ますかのように深く吸った空気のなか、墨の匂いが混じっていた気がして、祇十の目が光を帯びる。0世界に居を移して以来、自分が書をしたためる以外ではついぞ嗅ぐことのなかった清冽な香り……これは。

 書道に使う墨とは、膠を使うために悪臭が伴うものである。それを消す為に使われる香料のよしあしで大まかな墨の格付けが分かると言われているが、祇十が今感じ取ったのは『竜脳』の香り。ニセの麝香や樟脳などよりよほど価値があり、かつての祇十の故郷でもめったにお目にかかることのない高級なものであることを示していた。そんな匂いが、何故、ここに?

「おい、そこの! ……っち、聞こえちゃいねえ」

 いつもは曲がらない、帰り道からは外れる小さな路地の角。そこを横切る何かの影。人かどうかは判然としなかったが、祇十は迷わず『それ』に声をかける。
 酒など、とうに抜けていた。





「!?」

 影を追い、路地を曲がる。
 わずかではあるが、いまだ消えない墨の匂い。

 それよりも、祇十の心を騒がせたのは。

「ここって、おいおい……夢なのか?」

 飴屋の看板。
 造り酒屋の藍い暖簾。
 立待月が照らす白砂利の通り。

 ここは、ここは。

 ここは0世界のチェンバーだったはずだ。あの路地の先には、簡素な西洋風の長屋が並んでいただけだったはずなのだ。それが一体全体、何が起こってしまったのか、祇十の目の前に広がっているのは、和國の、見慣れた町並み、だった。
 同じ夜空の下、まるで狐に化かされたように、祇十の足元の全てと、月の形が変わっていた。

「夢でもなけりゃ狐でもねえってわけかい……」

 頬をつねって、眉に唾を塗ってみて、それでも目の前が変わらない(変わったままというべきだろうが)ことを何とはなしに祇十は受け入れる。酒が見せる幻以外に、そういうことも起こりうるのだと、納得してしまうのがいいような気がしていた。小難しいことを考えるのをやめたとも言うのだが。

 しかし、この見覚えがある町並み。さっきまで祇十が歩いていたチェンバーの静けさのせいでさほど違和感を感じなかったが、人通りが全くない。建屋に誰かがいるというのとも少し違う、ただひたすら人の気配がしない。まるで祇十ひとりを残して誰もいなくなってしまったような気すらする。今見ているものが夢なのか幻なのかは祇十自身まだわからなかったが、ただひとつ確かなもの、まだ残る墨の香りをたどっていけば、『何か』は分かるだろうという妙な確信があったようだ。祇十の足取りに、迷いはなかった。





 竜脳の香りを辿り、祇十は歩く。自分をここに誘い込んだ影すらも見えない町並みを、ただ鼻と勘に従って。

「(俺の鼻がモノの役に立たねぇってんじゃねえなら……)」

 あの香りは、和國幕府お抱えの書道師のみが使うことを許されている最高級の墨のもので間違いない。年賀の挨拶でいやいやながら本家の敷居を跨いだとき、したり顔のくそ生意気な若当主が見せびらかすように届けさせていたのを、醒めた目で眺めていた記憶の中にこの香りがあったはずだ。

「(書けりゃぁ何でもいいだろうにっつってブン殴られたんだっけなぁ)」

 その気持ちは今でも変わっていない。書きたいと思って、そこに紙と墨と筆があったならば、それ以上に何を望み、選ぶことがあるものかと。だけど、あんなに美しく輝く墨を擦ることが出来たならどんな色が見られるだろう、あれで書く字はどんなにか美しくなるだろう、そんな淡い憧れを素直に持てるくらいには大人になったようにも思う。
 そんな事を思い出しながら、一歩ずつ進む道のりはまるで、過去を遡っているようでもあった。

「ガラじゃあねえな、あの世からお迎えが来たんでもあるめえし」

 ひとりごちたその言葉。

「……? 何だありゃ」

 空気が少し淀んだ気がして、ふと足を止める。見慣れていたはずの光景に突然あらわれた、見覚えのない竹垣。ここは確か古い長屋があったが、祇十がロストナンバーとして覚醒する二、三年ほど前、小火を出して取り壊されていたのを覚えている。
 記憶と違う風景。それが語りかけているのはいったい何だろう。

「……、……牢屋か」

 ものものしい竹垣が囲うには驚くほど簡素な建屋、その中にはただ地下へと続く階段があった。本当なら見張りの人間がいるのだろうが、ここにも人の姿はない。ただ、何か。今まで歩いてきた中では毛の先ほども感じなかった『生の気配』をこの下から感じて、祇十はしばし立ち止まった。





 土壁の黴臭さ。ひどい湿気。足元には鼠、油虫が這っている。立っているだけで陰鬱になるような地下牢の空気、その一番奥には何故か松脂の燃えるにおいがした。誰かが灯りのために火を焚いている。ぼんやりと漏れるオレンジ色の光を頼りに祇十が足を進めると、何やら壁を殴るような音が聞こえてきた。どうやら一番奥の牢に、誰かが囚われているらしい。

「……」

 中に囚われている人物は祇十に背を向けていたが、鬼気迫る様子は背中だけで十二分に感じ取ることが出来た。それゆえ声をかけることは、躊躇われた。

「…………ば、おうが……まだ……」
「?」

 ゆらり、たいまつの火がゆらめいて光の範囲をぐにゃりと歪めさせる。そこに映し出された光景と、いつの間にか消えていた墨の香りの代わりのように漂う、血の匂い。
 ざんばらの頭は、自分で髪を切ってそれで筆を作ったから。血の匂いは、腿を切って流れる血を墨代わりにしているから。いまだ祇十の存在に気づかずに背を向けたままの人物は、一心不乱に、文字通り命を削って『何か』を書いていた。時折漏れる唸り声は、墨が足りずに皮膚のあちこちを切るときのそれだろうか。
 こうまでして、いったい何を書き残そうとしているのか。祇十がもっとよく見ようとたいまつを手にした瞬間。

「怖いか……?」
「!」

 牢の格子に指をかけた祇十の姿を見ようともせず、中の人物が不敵に笑った。いや、笑ったように感じられた。

「何を、奪おうと……無駄なんだ……! 紙も、墨も、名前も……しゃらくせぇ! 俺のはこの腕があるんだよ! 魂の籠もった腕がよ……!! そうだろ……」

 ぜいぜいと肩で息をしながら、既に何度も切りつけられたであろう左の腿をぐいとつかむ。一瞬の、苦悶に満ちた沈黙ののち、彼の利き手であるその手が、土壁に力強く押し付けられた。そしてそれとほぼ同時に、どう、と体が崩れ落ちる音。

 祇十は、倒れた男に興味はなかった。それが、自分の姿だとわかっていても。
 覚醒する前、故郷でこんなものを書いていた記憶など無い。ならばこれは、どこかで分岐してしまった、本来ならばこうなるはずだった自分の姿なのだろうということも、祇十は何となく察していた。だがそんなことには微塵も心を動かされない。祇十の目を惹きつけてやまないのは、ただ。

「……」

 書き記してはならないと言われ、口伝でしか教わることを許されなかった幻の呪字。覚醒し、和國や本家分家のしきたりから自由になった今ですら、書くことは躊躇われた字。それが、今祇十の目の前にある。それだけが祇十の足をここに留めていた。

__なんてえもんを書きやがる……

 呪字が呪字たる所以……この字が何人もの命を吸い、いくつもの家を絶やし、数多の街や城を沈めた歴史……それを知らぬ祇十ではない。だが、今目にしているそれに呪いの力めいたものは何も感じられなかった。ただ存在を許されたひとつの書として、長らく忌避され続けてきた、字に宿る負の感情すべてを昇華して、そこに在った。それがどれほどに尊くうつくしいことかを、書は黙しながらも雄弁に語っている。

__もっと、見たい

 消えかけたたいまつの火をかざし、牢の鍵をこじあけようと、壁から目を離す。
 その、刹那。





「……!」

 ひゅるり。
 祇十がさっきまで感じていた、たいまつの熱さと湿った空気を払うように、夜風が吹き抜けた。目を細めるが、そこにはもう『何も無い』。
 さっき足を踏み入れた路地の、角の手前。いつも見る西洋長屋の並び。

「……なんでえ、夢か」

 うそぶいてみせた口先とは裏腹に、指はまだ震えている。

__まだ届いてねえ

 あれは『自分』の書ではない。今生きてここに在る自分のものでは。それは祇十にとって純粋に悔しいことであった。そして同時に、自分があれを超えることが出来る可能性があることへの喜びもまた、共にあった。

 見たものは、夢か、幻か。
 ひとつ現といえるのは、その腕に宿る、書道師としての魂。
 道は、前にしか伸びていない。

クリエイターコメントお待たせいたしました、『雪鷹異聞』お届けです。
スケジュールの都合で延長させていただき申し訳ありません、お待ちいただきありがとうございました…!
一度オファーいただきましてお断りさせていただいたこともあり、今回再びご縁がありましたこと嬉しく思います。
if、こうなるはずだった祇十さんの魂を書ききることは出来ましたでしょうか。超えるべきハードルにわくわくする今の祇十さんをうまくあらわせましたでしょうか。ふたり(一人?)の対比が書いていてとても楽しかったです!

オファーありがとうございました!!
公開日時2012-05-20(日) 21:20

 

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