「兄ちゃん、どちらから来なすったい。視た処お上りでもあるめえ?」「おぅよ、こちとら生まれも育ちも――っとと、いけねぇいけねぇ」「なんでえ、云えねえのかよ」「まぁまぁ細けぇ事ぁいぃじゃねぇか。おめぇだって似たようなもんだろ?」「かっ、痛ぇ処突いて来やがる」「お互ぇ様ってな」「違ぇ無ぇ。……いやな。お城じゃあ此処んとこ国中から腕っ節の強ぇ侍やら呪い師やらを只っ管掻き集めてるってんでな。てっきりあんたもそうなんじゃねぇかってよ」「また藪から棒にきな臭ぇ話だなオイ。俺ぁ只墨買いに来ただけだぜ」「墨? あぁ成る程ねぇ。それでンなナリしてるって訳かい。そう云う事なら花京に来んのが、まぁ筋だわな。で、宛てはあンのかい?」「当ン前よ――と云いてぇとこだが、情け無ぇ事にこれっぱかしもありゃしねぇんだ。どっか好い店識らねぇかい?」「そうさな、其処等中に在る事ぁ在るが……物の良し悪しで云やぁ《茜宿》だ」「あかねやどり、ねぇ」「何も書き物だけじゃ無ぇ、大概のモンは揃うぜ。勿論……コレもな。まぁちょいとばかし気の短ぇ野郎も多いけどよ、賑やかで退屈ぁしねぇ町さ」「ほぉ、いいじゃねぇか」「あんたなら気に入るだろうぜ。――っと。俺ぁこっちだ」「そうか。色々聞けて助かったぜ。あンがとよ」「なぁに、袖振り合うもなんとやらってな。花京にゃ暫く居っからよ。見掛けたら聲掛けてくれや。安くしとくぜ。じゃあな」「おぅ、達者でな。あばよ」 一棟のみならばこじんまりとした木造家屋がみっしりと肩を寄せ合い。 道行く人々は急ぎ足でもなければ誰しも連れ合い。 客寄せの威勢の良い啖呵と哂い聲、時に怒号が飛び交い。 路地裏に居てさえ届く、明るくてせっかちな喧騒。 何処か浮き足立って視得るのは、此の街にも歳の瀬が訪れつつ在るが故か。 近くに飴売りでも居るのか、仄かに甘い香りが鼻を擽る。「へへへっ」 祇十が初めて訪れた花京は、総てが懐かしさと新鮮味に溢れていた。 名は違えど、やはり此処は江戸に酷似している。 其の事が無性に嬉しくて、つい笑ってしまう。 殊に此の《茜宿》と来たら、肌寒い此の季節でも何処か温まった町の空気も人の形も、呆れる程故郷の下町と似通っているのだ。流石に構造は異なるが、なまじごちゃごちゃした処までそっくりなだけに、下手をすればいい大人が迷子になりかねない。 尤も、祇十はそれも悪く無いと想っている。 どうせなら寄り道がてら迷いに迷って物見遊山を決め込んでやろうか。「あぁ、そう云やぁ」 旦那は達者でやってンのかねぇ――ふと、先日筆の事で世話になった鬼面が脳裏に浮かぶ。思えばあの骨董品屋を訪ねる折も、随分と道に迷ったのだった。謝られて逆に恐縮した事、語り合った事、御代代わりに一筆書いた事が次々思い出される。あすこで好い筆に出会わなければ、今日此処に足を運んでいたか如何か。「…………」 帰ったら、もう一度店を覗いてみようか。ならば土産のひとつでも。「大した用でも無ぇってのに手ぶらじゃあんまりだしな」 妙案は祇十の足取りを、より軽やかにし、人波に乗せる。 その慣れた調子と身のこなしは、すっかり《茜宿》の通人そのものだった。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>祇十(csnd8512)=========
「ここいらはむかし『丹閨(あかねや)』といいならわしたもんでありんす」 「へえ」 飛燕と八手柄の袖から伸びた生っ白い手が徳利を傾げると、麝香の香りが漂う。 なみなみ乍ら波ひとつ起きぬ乱れなき手並で、客は猪口を口につけた。 「好い丹がとれると評判で、旅人衆がこぞってござんして」 女は徳利をそっと置き、客の首筋から胸元へと手を廻し、背に頬を凭れて。 捲れた袖より伸びた腕は客の頬――”粋”の字をひたり、温める。 「それに目えつけなんしたあきんどが、湯女やら飯盛女やらひっぱってきて、おしげりなんしと旅籠なんぞはじめなんした」 遊女が語る処には、旅籠は繁盛したものの、集まる人足に部屋も女も不足した。 ならば吾が、否吾こそと、二番煎じに三番煎じ、実に多くの宿が建ち、これらは、『茜八(あかはち)』の通称で親しまれる様になった。 後に丹閨一帯は上方より『茜宿』と改められ、更に茜八界隈は堀に囲われて、公認の傾城町となったと云う。 「だれがおいいになったやら、花京に茜八やどりぬも――」 「旅籠はひとつも覚えてねぇ、ってか?」 「――あれれ。しまいまでわっちにいわせておくんなんしよ」 どうやら亡八に因んだ駄洒落だったらしい。差し詰め吉原七不思議か。 「悪ぃ悪ぃ。真逆当ってるたぁ思わなくてよ」 女は口を尖らせて、一番肝心な落ちを掠め取った張本人をぎゅっと抓る。 「痛ぇっ!」 客――祇十は悲鳴をあげるも首を廻し、脂汗をかき乍ら女に笑い掛けた。 「じれったいひと」 絶えず伏目がちで眠たげな眼は、長く厚い睫毛に隠れて殆ど窺えぬ瞳に批難と甘えと仄かな熱を宿し、美丈夫の面を見上げて、また背中に顔を埋める。 ふたり、暫し言葉も無く、そうしていた。 「……なぁ」 徐に、祇十が問う。 「おめぇは此の街を如何思う」 「どうでござんしょ。茜八堀の内側が、わっちの……ぜんぶでありんすから」 格が上がれば尚更、暮し向きの豊かさに自由の二文字が背を向けてしまう。 祇十とてそれは心得ている。故に同情したものか、或いは只の気紛れか。 「俺ぁ今日、一日中歩き廻ってみたんだけどよ」 兎に角、話し始めた。 自分が見聞きした物の事を、こいつに聞かせてやろうと思った。 茜宿を訪れて、先ず祇十が求めたのは、絵画である。 彼自身、覚醒前は評判の美女や花魁の画を買いに浮世絵売りの元へ足繁く通ったもので、此度もそうした目の保養を期待せぬと云えば嘘にはなるが。 目的はまた、違っていた。 「こりゃあいいや。小股の切れ上がってそうなべっぴん揃いじゃねえか」 懼らく。 訪れた店では貸本もやっているのか、奥では大工か何かが大聲で朗読し、数名の町人が囲んで耳を傾けている。故郷でも度々目にした光景に、口元が緩んだ。 一方で軒先には台に頭上に暖簾代わりか所狭しと絵が並ぶ。美人画が目を惹くのは云うに及ばず、他にも花鳥画風景画等、ひと通りのものは揃っていた。 「どれが気に入りだい」 初老の店主らしき男が親しげに離し掛けて来る。 「そうだな。此処は西国一の器量を選んで遣りてえが……如何もうまくねえ」 「画風が気に喰わねえのかい?」 「違ぇよ。だっておめぇ、さっきっから比べりゃ比べるほど隣の女が好く見えて来ちまってよ、てんでん決まりやしねえんだこれが」 「兄ちゃん、それなら『燕太夫』なんか如何でえ」 祇十と店主の遣り取りに、丁度今来たばかりの客が身を乗り出して指差した。 「どれどれ、つばくろ、燕……」 「ほれ、其処の」 「……――成る程な」 大きく切れ長で眠たげな瞳。鼻筋は程好い丸みを帯び、やや厚く膨らんだ唇は紅と口元の黒子の所為で際立っている。取り立てて両隣の美女が劣っているとは想わぬが、絵師の仕事が粋なのか、此の太夫の魔性なのか。 「太夫って事ぁ廓の花かい」 兵庫の型と飾り気でそれは窺えるが、其処は視識らぬ街の事。 「何だ御客さん識らねえのか。遊び慣れてそうだがなあ」 「燕太夫ってえのは茜八堀で一等人気の遊女が代々襲名してんのさ」 「なんのまあ、主はわっちの絵姿みた足で茜八堀においでなんしたと?」 「びびる事ぁ無ぇだろ、何か拙かったかい?」 「あきれておりんす。こんなせっかち茜宿にだってそうはおざりいせん」 「へへっ、おめぇだって太夫の割に馴染みでも無ぇ客とってんじゃねぇか」 「……………そんな事より、さ。ほら。続きをおきかせなんし」 「敵わねぇな全く。まぁあれだ、何も行き成りこっちに来たって訳じゃあ無ぇ」 実は、祇十には他にも予てより目を付けている一枚がある。 果たして何れをとるべきか。らしからぬ葛藤が生じかける。が――、 程無く。瞬く間に達した結論は眞、祇十らしいものだった。 (どっちか迷うぐれぇなら両方買って両方贈っちまえばいいじゃねぇか) 何れも鬼面の主への土産には誂え向きだろう。そう想い乍ら。 「おぅ親仁、其処んとこに貼っ付いてる奴、包んでくんねぇか」 「悠泉かい? 面白いの突いて来るねえ。でもこりゃ名所画だよ」 祇十が示したのは、墨で伸びやかに描かれた、不思議な景観の、水墨画。 何処か霞がかった崖から都を見下ろし、遠くに広がる水辺は、更に向うにも丘が見得る事から、懼らく河なのだと判った。只、その真上に生じた旋風を巻いた雲が水面付近迄、恰も河へ飲み込まれんと、或いは河から昇らんとして居る。 片隅には『尾形悠泉』の画号。 「判ってんよ。それと燕太夫のと、二枚な」 「はいよ毎度あり」 店主は妙に感心した様子で、頼まれた絵を下ろし始める。 「っと、いけねぇいけねぇ。親仁」 俄かに手持ち無沙汰となった祇十は、不意にもうひとつの目的を思い出した。 店主が手を動かし乍ら「未だ何かあるのかい?」と顔を上げた。 「文房やってる店識らねぇか」 「四友なら『隋明』だぁな」 「ずいみょうってぇのか。好い墨あるかい?」 「腐る程あらぁ」 「腐ったら使いもんにならねぇだろうが」 「はっはっは違ぇ無ぇ」 「墨、でありんすか」 「おぅよ、ちぃとっぱかし書をやるもんでな」 「ほんにかえ」 「見えねぇか」 「ちぃとっぱかしじゃあござんせんしょ」 「……へっ。てぇした女だ、おめぇは」 華やかな目抜き通り。雑然とし乍らも美しい色とりどりの暖簾。往来の人波を必死に楽しげに呼込む商人。三味の合奏を竹囃子で練り歩くのは瓦版売りか。それを追う町人と。籠に車と馬、祭りの如き人、ひと。また、人。 年中こうなのだとしたら、祇十にとっては如何仕様も無く喜ばしいが。 そんな昼下がり、親仁に聴いて訪ねた店は、 「……おいおい、でぇじょうぶかよ」 他の建物より奥行きが無いのか、通りから曲り角の様に凹んでいた。造りも古く見るからに方々傷んでいて、例えば神輿が前を通ったら、喧騒と衝撃で倒壊するのではと想う程である。 だが、 「――! 中々のもんじゃねぇか」 『隋明』の屋号は、炭で焼かれた一枚板――あたら分厚く成型すらされていない――に、さしもの祇十も舌を巻く程の豪快乍ら完璧な、一筆。 期待出来る。半ば確信を以て、祇十は襤褸襤褸の引き戸を勢い良く開いた。 「御免よ」 「ふふ、判方のいったとおり」 「何でえ、識ってんのか」 「話だけならいくらでも。茜宿きってのあばら屋老舗でありんすから」 祇十と同じ疑問は多くの者が擁くに違い無いが、品物の良し悪しは別だ。 店内は矢張り鄙びていたものの、筆に硯に墨に紙、一切合切各種整然。 種類も豊富で択ぶ愉しみが祇十の胸を躍らせた。 特に工芸品としても珍重される墨は、質のみならず彫刻師の技が光る。 墨の名を飾る意匠の妙。何れも精緻にして鮮やかな手並だ。併し、 「あん?」 黒色はどれもこれも松煙製と思しきものばかり。他にあるのは朱墨と朱煙墨、前者と後者の相違にやや首を傾げたりもしたがそんな場合では無い。 もしや朱昏、少なくとも西国では松煙しか使われぬのか。早急に確かめねば。 「御若い方。墨を御探しですかな」 不意にしわがれた聲を掛けられたのは、その矢先。 みれば白髪も髭も伸ばし放題の老人が、ぶるぶると杖に寄り掛かっている。 「松脂も悪か無ぇけどよ、俺ぁ油煙探してんだ。胡菜が在りゃあ尚好い」 「古墨で宜しければ御分けしますぞ」 「古墨か……。物は験しだ、見せて貰えるかい?」 「暫し御待ちを」 老人はよたよたと奥へ下がり、待つ事、なんと一刻。 「ふしぎなおひとでおざんす。せっかちなんやらのんきなんやら」 「書の事だけは譲らねぇ、否、何が何でも譲れねぇんでぇ」 僅かに差し込む日の色が紅に染まる頃、老人は古惚けた木箱を携えて戻った。 「手間ぁ取らせるな」 祇十は受け取るなり早速蓋を開け、験し磨りを行う。 処々黒く汚れた箱の中には、飾り気無く、丈の異なる二本の墨が並んでいる。 水に溶けた香りは麝香に近いが、何か違う。膠の所為か? 普通なら牛か魚、稀に鹿。朱昏にしか居ない獣か何かか。製法の問題か。 だが、この混じり気は何処かで覚えがある。 「……?」 ふと、夕日の当る手元に目がいった。 墨の腹に刻まれた、すっかり擦れて暈けた文字、は――お、に――――鬼。 「如何かされましたかな」 「こりゃあ何処の如何云う奴の作だ」 「さて、遡る事も叶わぬ物なれば」 何れ鬼作には違いありますまいな――老人は何だか無責任に結ぶ。 「――へっ。如何にも最近は鬼ってぇもんに縁があるみてぇだな」 壁に差す紅の日に落ちた影が愉快げに揺れる。 或いは筆がこの墨を喚んだのか。だとしたら互いに気の合って重畳な事だ、と。 己の残忍な所業に酔いしれて哂う、鬼の様に――。 「ってなもんよ」 燕太夫の酌を受け、漸く語り終えた祇十は一息にそれを煽る。 酔気が無いでは無かったが、奇妙な事に、書鬼の心は晴れ晴れとしていた。 「へええ」 燕太夫も吾が手に猪口を持ち、吟醸で口を湿らせた。 「主は鬼でありんすか」 ふらりと寄れて、吐息と共に隣の鬼にどっと当る様に寄り掛かる。 祇十は「でぇじょうぶかい」と擁き寄せて、太夫の問いには応えずに、白い面を暫し見詰めて。識らぬ間に畳を転がる徳利に視線を移す。 麝香と女の臭気が混じり。 何故か祇十は今日と云う一日を、墨を、書を、郷里の事を、改めて想い出した。 「――此の街は、俺の里と何もかもがそっくりでよ」 「かえりたい?」 「偶にゃあな」 「もちっといなんせ」 急にあどけない目で祇十を見上げた太夫は、愛しげにぎゅっと抱きつく。 「何。うっかり帰っちまった日にゃ、とっ掴まっておっ放り込まれちまう」 いつか観た、あの夢の様に。 だが――呪字――あんな素晴らしい書を認められるのなら、追詰められ、骨身を、命を削る事になるのも強ち悪い事では無い。機を得られぬ事が正直惜しい。 故に鬼かと問われれば――、 「まだはようおざんすよ」 まるで見透かした様に、太夫は掠れた聲を出す。 「おめぇの云う通りだ。俺ぁ未だ未だ書き足りねぇ」 そし、書き足りぬ侭死に逝く等在り得ざる、耐え難き事。ならば己は生をとる。 祇十は女の肩を撫で、少し寂しく笑った。 「俺ぁよ、此の街が好きだぜ」 戻れぬ故郷に酷似した、けれども異なる此の街が。 「朱昏一の太夫とも、こうして会えた事だしよ」 「うそをおつきなんし」 燕太夫はそう云って、粋の字に触れ、唇を近付けた。 ※ ※ ※ ※ ※ 「して、これがその燕太夫当代の、絵姿と云う訳ですね」 「おう。本物ぁもっとべっぴんだったぜ」 「……」 「如何したい旦那。黙りこくっちまって」 「いえ。では、名所画共々頂戴します。態態有難うございました」 「善いって事よ。筆の礼にしちゃあ未だ足りねぇぐれえだ」 「とんでもない。既に充分過ぎる程ですよ。……そうですね。折角ですので埋め合わせにひとつ、昔話等如何でしょう」 「よっ、待ってました!」 「御期待に沿えるか如何かは、判りませんけれど」 燕太夫と云えば、僕も先代には御会いした事があります。 御承知の通り、当時も彼女は名実共に茜八堀一の花魁でした。 処が、或る時、懇意の書道家に熱を上げて情が遷ってしまった。 終には駈落ちを計画する処まで思い詰めました。 ですが、待ち合わせ場所に書道家が来る前に、彼女は捕えられ。 激しい折檻を受けて……その最中に舌を噛んで自害したのです。 亡骸は荼毘にふされず土葬されたと、聞き及んでいます。 「そして、程無く墓が掘り返され、遺体が何者かに持ち去られた、とも――」
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