ヴォロスのとある地方に「神託の都メイム」と呼ばれる町がある。 乾燥した砂まじりの風が吹く平野に開けた石造りの都市は、複雑に入り組んだ迷路のような街路からなる。 メイムはそれなりに大きな町だが、奇妙に静かだ。 それもそのはず、メイムを訪れた旅人は、この町で眠って過ごすのである――。 メイムには、ヴォロス各地から人々が訪れる。かれらを迎え入れるのはメイムに数多ある「夢見の館」。石造りの建物の中、屋内にたくさん天幕が設置されているという不思議な場所だ。天幕の中にはやわらかな敷物が敷かれ、安眠作用のある香が焚かれている。 そして旅人は天幕の中で眠りにつく。……そのときに見た夢は、メイムの竜刻が見せた「本人の未来を暗示する夢」だという。メイムが「神託の都」と呼ばれるゆえんだ。 いかに竜刻の力といえど、うつつに見る夢が真実、未来を示すものかは誰にもわからないこと。 しかし、だからこそ、人はメイムに訪れるのかもしれない。それはヴォロスの住人だけでなく、異世界の旅人たちでさえ。●ご案内このソロシナリオは、参加PCさんが「神託の都メイム」で見た「夢の内容」が描写されます。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・見た夢はどんなものか・夢の中での行動や反応・目覚めたあとの感想などを書くとよいでしょう。夢の内容について、担当ライターにおまかせすることも可能です。
暗闇だ。 先の見えない、完全な真っ暗闇。 闇の中に、その部屋はあり、彼はいた。 ごく普通の家庭にありそうな、六人がけの食卓。 彼の座る椅子が一脚。 机には、箸が一膳。 それ以外は何も見えない。 残り五脚の椅子も、食堂内にあるであろう食器棚も、炊事用の家電製品の類いも、彼以外の人々も、何も。 奇妙な薄闇が、彼の視界を阻んでいるから。 (……) 沈黙とともに見遣ると、誰かの手が食卓に皿を置いてゆく。 目に見えるのは手だけで、それが誰の手なのかは判らない。 判らないのだが、彼は、それを当然の、普通のこととして受け入れている。 感謝と慕わしさ、煩わしさと負い目、引け目。 そんなものが彼の心の表面を撫でてゆく。 湯気を立てる豆腐の味噌汁、麦を入れて炊いた米飯、飛び魚の干物、葱と茗荷の載った冷奴、瓜と茄子の浅漬け。 手の――骨と肉の様子からして女の手だ――並べるそれらを、椅子に腰掛けたまま黙って見つめたあと、やはり黙って立ち上がる。 三歩進むと、そこには扉。 扉を開けると、そこには――――異界。 美しすぎる一面の桜の下で、大柄な犬がかすれた声で吼えている。 空では、人の顔をした魚が槍を振り回し、木々の陰では逆さまの花が、土に鮮やかな花弁を埋め、根を風に揺らしている。 流れる雲には、三本脚の、瞼のない妖精たちが無数にいて、意味のない歌を可憐な声でうたっている。 草陰の虫は女の声で啜り泣き、煌めく翼を持った小鳥は、古の王の如くに威風堂々と哄笑を響かせる。 極彩色の風が揺れている。 白と黒で構成された沈鬱な森が鎮魂のメロディを奏でている。 ――理解の出来ない、美しすぎる、しかし醜悪な、異質な何か。 そんなものが、ここには、溢れかえっている。 (……) 彼は淡々と弓に矢をつがえた。 いつの間に弓と矢があったのか? そんな問いは無粋だ。 矢をつがえ、構え、引き、放つ。 犬が吹き飛んで、憐れっぽい鳴き声とともに、粉々に砕けて消える。 繰り返す。 花が甲高い笑い声とともに枯れた。 繰り返す。 妖精たちは羽を失って空から堕ちた。 繰り返す。 虫も小鳥も、歌をなくして沈黙を撒いた。 繰り返す。 森は燃え、風に解けて消えた。 永遠に繰り返される徒労のような時間。 ふと、彼は弓を捨て―― 「行かないで」 誰かの声に、振り向きもせずすべてを切り捨て、打ち捨てて―― 「行かないで」 差し出される手を、意識の外に追いやって―― (あれは、誰の声だったか) (覚えがあるような、ないような) (愛しくもあるような、煩わしくもあるような) (あれは、一体、誰だったか) 目の前に広がる、異質で異様な、しかしどうしようもなく目を離せない『何か』に惹かれ、焦がれて、彼は手を伸ばし――……そして。 「……」 天蓋の落ち着いた青が目に入る。 荷見 鷸は、それで、自分が今、ヴォロスの一都市メイムにいることを思い出した。 未来を垣間見せると言われる、メイムでの夢。 それに興味を覚えて、ここに来たのだ。 「起きたか。――どうだった?」 付き添いを頼んだ、朱金の髪の人物が問うて来たが、聴こえなかった振りをして、鷸は首を横に振った。 「……ただの夢だ」 意識の奥底にある、軽薄で無責任とも取れる感情を認められず、呟く。 朱金の人物は、そんな鷸を見遣り、 「そうか」 それだけ言って口を噤んだ。 沈黙が周囲を満たす中、鷸は夢の内容を反芻し続けていた。 鷸は、自分では認めようとはしないが、他者を想える、気遣える人だ。 自分にも、壱番世界の崩壊を防ぐ手伝いが出来るなら、と思ってここにいる。 自分を、何かと気にかけてくれる人々のためにも、壱番世界をこのまま滅亡させるわけには行かないと思っている。 そのために、鷸はロストナンバーでい続けている。 (それなのに……) ――だから、絶対に口にしてはならない。 絶対に、誰にも、この内面を知られるわけには行かない。 (……何故だろうな、この、気持ちは) 認めたくないと、鷸自身思っているのに、消すことも出来ない。 だからこそ、誰にも気取られるわけには行かない。 ――ディラックの落とし子の描く、論も何もない決定的に間違った世界に、何故か、どうしようもなく強く、囚われでもしたかのように惹かれている、などということは。 あの、『世界がつくり変えられる』薄ら寒い、激烈にして異質な違和感に、根源的な恐れを抱きつつも、知らず知らず魅せられ、惹き寄せられている、などということは。 「……そうとも、ただの夢だ。それ以外の、なにものでもない」 己が心に立った漣を打ち消すように呟き、鷸は立ち上がる。 ――認めない。 誰にも知られてはならない。 この、あまりにも身勝手で異質な、好奇の感情を。
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