クリエイター藤たくみ(wcrn6728)
管理番号1682-14716 オファー日2012-05-31(木) 19:11

オファーPC 荷見 鷸(casu4681)コンダクター 男 64歳 無職

<ノベル>

 今時珍しい、蒸気混じりの警笛が鳴り響く。
 トンネルを抜けた折、やたらに揺れる鈍行の車中に落ちた深い影に、真夏の白く強い日が差し込む。澄んだ車窓の向こうは山と森に囲まれた田の狭間に点在する家屋に加え、近代的な趣の建築物も散見されたが、やはり懐かしい景色だ。
 最後に訪れたのは未だ妻が生きていた頃。故郷を見せて欲しいと乞われた時以来の帰郷となる。
 ふと、隣の座席を振り向いた。無論、妻の姿などそこには無い。向かいにも、他の座席にも誰も居ない。そもそも人気の少ない車両を自ら選んだ事を改めて思い出しながら、鷸は溜息混じりに老眼鏡を外した。膝上に広げたままの、古びて変色したノートに視線を落とす為だった。

 鷸の元に訃報が届いたのは数日前の事。亡くなったのは、(鷸に云わせれば大昔)鷸と共に学問を学び、鷸と異なりそれを生涯貫いた、古い友人だった。

「荷見先生」
 焼香を終えて立ち去ろうとする鷸を呼び止めたのは、夫を送る哀悼と古馴染みを見た安堵を綯交ぜにした面の夫人。
 この偏屈者を昔から知る彼女の中で、鷸は未だに「荷見先生」であるらしい。学問から退いて久しい鷸としては如何にも調子が狂うが、今更是正するのも面倒なので黙っている事にした。
「お変わりありませんのね」
 そのむっつりした様子に夫人は何処か懐かしげな目をしてから、徐に茶の子の包みと――紐で封を施されたA4の茶封筒を差し出して来る。
「これは……?」
「あのひとからです。……床に伏せる前から云っていたんですよ」
 チョーサンが来たら熨斗付けて返しとけ、って。
 畳んだハンカチで口元を隠しながら、未亡人は冗談めかしてそう云うと、ふくよかな頬に一筋、涙が流れた。

 封筒に収められていたのが、このノートである。若かりし頃の鷸が、自身の故郷の民話伝承を題材にした研究を纏め、後に友人に託したものだった。
 軽く目を通してみたところ、赤い文字の加筆が散見され、成果の有無に係らず手を入れていた事が窺えた。一切触れずにいた身としては頭の下がる想いだ。
 おれに続きをやれと、そう云ってるのか。
 ふ、と車窓の光が闇へと変じ、思索は途切れてしまった。再び列車がトンネルに入ったのだ。これもまた人の手に因る山中異界か。
 我ながら陳腐な発想だと、自嘲気味に鼻を鳴らす。

 思えば荷見鷸と云う男の生は、その繰り返しだった。

 山間とは云え、やはりそれなりに暑く、駅から宿へ向かう最中に鷸はすっかり汗だくになってしまった。人と会う事さえ稀だと記憶していた田舎道では、陽炎の只中に居てさえどこか浮き立つ気配を纏う者達の往来が認められる。
 鷸はその理由にすぐ合点が往き、たった今擦れ違った若衆――が向かう先にある山――を振り返る。麓にうっそうと茂る森。そこでは今頃、櫓を組むのにおおわらわだろう。この時期に差し掛かったのは偶然だが、望外の喜びとなった。
 程無く宿へ到着し、窓辺で響く涼しげな音と冷茶に、漸くひと心地つく。
 室内を見渡してみた。決して手狭な訳では無いのにこじんまりとして感じられる窓の他は二方を襖に囲まれ、中央に津軽塗りの卓袱台があるだけの一間。
 妻と泊まった部屋だった。同じ宿をとったらここに通されたと云うだけだが、或いは女将が覚えていてくれて、気を利かせたのかも知れない。
 瞑目する。また、風鈴が揺れた。虫の音。風にそよぐ木々。古い木材と、藺草と、夏の青臭さが入り混じる香り。こんな余生も、悪くは――。

 己を喚んで居る。深い霧の中、所々転がる岩が何故か人に視得る。
 おどけた調子でからかう様に愉しげに、霧の彼方から聲がする。
 ――チョーサン! ははははっ、此処だよ!
 若い頃のあいつの聲だ。何だ、未だ此方に居たのかね。
 ――チョーサン! 早く来いよ!
 初七日も過ぎていないものな。しかしせっかちなのは相変わらずだ。
 ――はやく。
 判った判った。そう急かさんでくれ。……ああ、あの岩だろうか。
『けっきょくいってしまうんですね、わたしをおいて』
 誰だ。
『あなた』

「――っ!」
 りぃん。
 夜虫の饒舌なる合唱に風鈴が加わる。夜闇の隅、皿の上で渦巻く線香の先細った火種から、音も無く灰が落ちて、今度は皿に螺旋を描く。
 冷や水を浴びせられたように身体が冷たい。息が、胸が苦しくて、上体を起こしている事にも気が付かなかった。夢に慌てて飛び起きたのか、夢の最中に飛び起きたのか、それすら覚束ない。
 鷸は呼気を荒げたまま、堪らず額を押さえた。何度も夢想し夢に観た、あの場所。それは原風景と呼ぶべきものなのかも知れない。そして、遠くで誘う友人と、突如耳元で囁く、声。
 おまえ。
 違う。あれは時に自分が働いてでも鷸を支えようとまでしてくれた、鷸には勿体ない女房だった。未だ生きていたとしても咎めたりするまい。

 翌朝より鷸は行動を開始した。改めてノートに目を通すと記憶から抜け落ちている事が少なからずあり、考証の精度を増す為にも、先ずは役場をあたる事にする。図書館すら望めぬ田舎で、記録を網羅した施設は他にない。調べるのは無論、行方不明事件に関する記録だ。

 常より山と付き合い続けているこの界隈では、しばしば人が居なくなる。古今東西を通して山岳部となれば遭難がつきものだが、日本国内では特に信仰や民話と結びつけられ、超常現象として畏れられてきた。所謂神隠しである。鷸の地元も例に漏れず、誰かが山で失踪する度、そう囁かれたらしい。
 幼少のみぎり、鷸は猟師をしていた祖父より寝物語に何度も聴かされた。山にはひとが踏み入れない領域がある、山に気に入られた者達は、そこに――異界に居て暮らしているのだと。だから幾ら捜しても見付かりはしないし、また見付けてはいけないのだと。
 だが、鷸はその異界に魅せられてしまった。一方で親の影響か、論理的な思考をするようになってもいた彼が志したのは神秘学ではなく、民俗学だった。

 虫取り網を担いでよたよたと自転車を漕ぐ少年と擦れ違い、その背を見送る。
 お陰で多くを思い出す事が出来た。新たな発見こそ無いものの、気付いた事ならある。次の行き先も決まったが、うっかり資料を読み耽り、結局役場の閉館まで居座ってしまった。既に空は赤みを帯び始めている。続きは明日だ。
 鷸はハンカチで汗を吸いながら、昨日の若衆が向かった、あの森の方を見た。

 そこには寂れた神社がある。常に閑散としていて、この夏祭りの時期を除けば誰も寄り付かない。子供の遊び場になっても良さそうなものだが、大人達は理由も告げず、それを頑なに禁じた。
 ぱっと見は一般的な神社そのものだが、少しでも通じていれば違和感を感じる筈だ。狛犬は参拝者に身体を向けながら首のみ拝殿側を振り向く奇妙な姿勢。拝殿をぐるりと裏手に回ればそこに本殿は無く、拝殿の背に設けられた裏口のような両開きの扉より、木々の狭間に申し訳程度の小道が続く。
 がさがさと木々を飛び移る、何者かの気配。鴉の啼き聲。森は真っ暗だ。
 ――チョーサン。
 頭上の聲の方を視れば、友人が山道から此方を見下ろしている。
『あなた』
 傍らの聲に振り向けば、妻が無表情でじっとこちらを見詰めていた。

 目を覚ました。
 山吹色の日差しが壁の一部を染めている。枕元の腕時計が、午前四時を示していた。起きるには未だ早いが、寝つける気もしない。已む無く鷸は身を起こすと、煙草に手を伸ばした。ノート片手に窓辺へ腰掛け、蚊取り線香の煙に紫煙を絡めながら、ぼうっと夢の事を想う。
 夜毎観る、友人と妻。己の中に迷いでもあるのか。夢に意味など。何を。
 さっと風が吹き、煙が室内で白く薄まる。ぱらぱらと捲れたノートのとある頁で、『夏祭』の文字が赤い楕円でぐるぐると囲まれていた。

 鷸は如何にも落ち着かず、早くから神社へ足を運んだ。境内では概ね組み上がった櫓と、申し訳程度に招かれた香具師の出店が幾つか。今は無人だ。
 例の狛犬と同じ方をみれば拝殿に表向き変化は無い。けれど、薄汚れた古木で形作られたそれをぐるりと回り込むと、真新しく彩度を帯びた本殿が増設されている。本殿の背から山林を見上げれば、あの獣道は茂みに埋もれてしまっていた。鷸の記憶では、元々の本殿はこの茂みの先、山の中腹にひっそりと佇んでいる。

 かつて、夏祭りは山への感謝と祈念を目的とした儀礼だった。
 拝殿から本殿へと至る小道の両側を【ベツ】と呼ばれる人々が並び、村の代表【グ】が拝殿の裏口を出て【ベツ】に見送られながら本殿へ向かう。本殿に辿り着いた【グ】は山の神に一年の報告と来年の無事を願う。儀礼では【グ】による参拝以外は終始無言で執り行われ、【ベツ】は更に面を被る。儀礼の最中、誰かひとりでも無作法を働けば、その者は神隠しに遭い、更に集落が凶事に見舞われるのだと謂われている。
 合理的な考察を添えるとするなら、無作法者とは暗にそう仕向けられたのではないか。将来の不安は後付で、例えば直面した食糧危機の対策として大義名分をでっち上げ、口減らしを山の所為にするのだ。【ベツ】が面を用いるのは無作法者を連れ去る役目を担っているからであり、誰がそれをしたのか悟られ難くする意図もあるものと思われる。
 とは云え、それも昔の話。時代は流れ、いつしか儀礼は夏祭りへ、参拝は櫓を囲む、盆踊りに似たものへと形を変えて、今に伝わっている。本殿も此方側に建てられるなどして簡略化されてはいるものの、日頃世話になっている山への畏敬と感謝の念は、失われては居ないのだろう。

 一頻り考察してみて漸く落ち着いた気でいた鷸は、しかし、
「ここは……」
 いつの間にか小さな祠の前に立っていて、酷く狼狽した。自分が解らない。
 開けているとはお世辞にも云えない、密集した樹木の狭間。
 猟師などの山言葉を知る者、或いは【グ】だけが許された聖域。
 茂みを越えて山道を登って来なければ此処には辿り着けない。しかし、歩き始めた覚えは無い。否、歩いた筈だ。だから此処に居る。ならば何故来た? 簡単だ、御神体の所在を確かめに来た。そうとも、他に意味など。

 それはあるにきまっているのだから。

 ちりりぃん、りぃんりぃん。
「っ」
 津軽塗りの不可思議な模様の上に広がるノートがぱらぱらと捲れて、閉じた。西日が差している。風鈴の音に混じり、表通りから仲睦ましげな談笑が聴こえた。
 鷸は卓袱台に突っ伏して舟を漕いでいたらしい。いつ眠ったのだろう。いつ、宿へ帰っただろう。いつ祠へ往ったのだろう。本当に往ったのか。夢じゃないのか。それとも、これが。此処が――違う。此処じゃあないんだ。おれは。

 森の中に街灯など望めぬが、境内の方々にて沢山の提灯が鬼灯のように垂れて、濃紺の夜に浮かぶ祭りの賑わいを、赤々と照らしている。親子連れ、恋人達、老夫婦、学生、あらゆる人々が集い、遊興に歓談に舞踏に精を出す。神社の常を知ればこそ、それは非現実的な光景、異界だった。
 違う。
 櫓を囲む踊り手達は面を被る者も多い。素顔の見れぬ輪の中には、亡人が紛れて勘定が合わなくなる事がある。山に消えた者達が、祭りの夜だけ【ベツ】として古い馴染みに寄り添うのだ。
 違う。
 勘定、そうだ。人数を把握しておこう。面を被った時点で生者でも死者でもなくなる。事後に勘定が合わなければ山へ還ったと人は云う。だが、実際は逆だ。生者が居なくなる。神隠しによって。異界へ往く。

 刹那、ジジっと耳障りな音がした、気がした。

 鷸が偶々目を向けていた【ベツ】の頭上に、稲光のようなものが走る。それは明滅していたが、やがてはっきりと視認できるようになった。数。そう、数だ。
 違う。
 どの【ベツ】の頭上にも、老若男女全てにそれはある。参列客だけではない、今宵招かれた香具師連中にも同じ数が浮かんでいた。綿菓子、射的、金魚掬い、形抜きに――御面屋。息が苦しかった。暑い。そうだ、面を被らなくては。そうすれば、おれは。

 奇妙な鳥の顔を模した面を得た鷸は、少しの間踊りの輪に加わり、けれどろくに身振りもせぬ内に、徐に離れた。そのまま喧騒を幽霊のように擦り抜けると、ふらふらと拝殿の裏手へ回る。終電などとうに過ぎた田舎なのに、何処かで警笛が聞こえた気がした。来るなと戒めるように。来いと誘うように。




 其の夜、未だ祭囃子の続く中、【ベツ】が一人、森に消えた。

クリエイターコメントお待たせしてしまい申し訳ございません。


なんという情報量、なんという世界観をお持ちなのでしょう。
オファー文のみならず鷸様ご自身の歴史、その規模に終始圧倒されながら、しかし非常に楽しく執筆させて頂きました。これほど字数制限に苦しんだのも懼らく初めての経験です。

鷸様は異界に惹かれて以来ずっと境界線で踏み止まっていて、奥様とご友人はそれぞれ現実と夢(異界)の象徴なのだと解釈し、このような形と致しました。うまく描けているかは解りませんが、如何でしょうか。お気に召すことを祈るばかりです。


この度のご依頼、まことにありがとうございました。
公開日時2012-09-09(日) 20:30

 

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