――ぽぉん、ぽぉぉん――ぽん、ぽん、ぽぉぉぉん くもくじらの汽笛が響く。 小さな浮島ならいっこぶん、くらいありそうな、大きな大きな雲のくじらが、ぷかぷかぷぅかと泳ぎ漂い、虹のアーチを潜って進む。 少しばかり薄灰の雲色をして。* * *「モフトピアの依頼、手伝ってくれる人いるー?」 インヤンガイ行きの冒険旅行がたくさん並んでいる中、小さいエミリエは、目立たせるためにと手をぶんぶん振りながら、募集の声を掛けた。「お土産あるかもだよ-?」 危ないインヤンガイよりは安心安全可愛いモフトピア、と思ったのか、それともお土産の言葉につられたのか、何人かのロストナンバーが立ち止まる。 集まってくれてありがとうー、とエミリエ。「みんなに、お掃除のお手伝いをしてもらおうと思うんだよ」「掃除?」「うん。くもくじらの、大掃除!」 導きの書を抱きしめて、エミリエは弾んだ声で続ける。「モフトピアのお空の端っこあたりをね、ぐるぐる泳いで回ってる『くもくじら』さんがいるの。名前のとーり、雲で出来たくじらさんなんだよ、ふふっ、面白いよねえ? で、たまぁに浮遊島に立ち寄ったり、するんだって。そのときにね、アニモフさんたちが、くもくじらさんを、雲とかで、ごしごし、洗ったり、お掃除してあげると、喜んでね、お礼にって、お腹の中にあるお宝、いっこくれるんだってー!」 くもくじらのお腹の中には、空に浮かんでいる不思議なものが、ころころと詰まっているらしい。流れ星の欠片とか。雨粒の鏡とか。雷鳴の光とか。「好きなの持ってっていいよーって、ありがとーって、ぽぉんぽぉん鳴くんだって書いてあるんだー。お宝もきっとね、可愛いのとか、綺麗なのとか、不思議なのが、いっぱいたくさんだと思うんだよねー」 ほわほわとした白い雲のクジラのお腹に、ぴかぴかしたお宝の山――そんな図を頭に描いて、エミリエは、いいなぁ、と呟く。「ね、だからね、アニモフさんたちと協力して、くもくじらさん、綺麗にしてあげて欲しいんだ。ちょうどね、今回立ち寄る浮島にいるアニモフさん、人数も少ないみたいで、大変そうだから。お手伝い、宜しくね」 あと、出来たら、可愛くて綺麗なお宝も欲しいなあ。もちろん素敵なお話付きでね!
● 大きな原っぱを有した浮遊島。その縁に点在する集落。 島から生えたように見える桟橋の、ひとつにロストナンバーたちは降り立った。 「ようこそもふー」「待ってたもふー」 歓迎光臨、なんて誰が教えたのか、ようやく読めるような旗を掲げているアニモフたちが、こちらの姿を確認するや、わらわらと駆け寄ってくる。 「1回モフトピアに来てみたかったのよ」 今日の空のように澄んだアイスブルーの瞳の、ツーリストのシレーナにとって、初めてのモフトピアになる。本当にぬいぐるみが動いている様に、知らず、頬が緩む。 「初めまして。あたしはシレーナ。よろしくね?」 膝を折り、アニモフの目線に合わせ、最初に辿り着いた白くまに名乗る。 指ぬきグローブを嵌めた手を差し出せば、白くまはそのままぴょーんとシレーナに飛び込んでいった。わーい、よろしくもふー! シレーナの隣にも、同じくアニモフと挨拶を交わす、長い黒髪に古風な丸メガネをしたハイカラさん姿のコンダクター、水元 千沙 (ミナモト チサ)がいた。 「お手伝いにきたんよ。うちらにできること、あるやろか」 千沙のフォックスフォームセクタン・紺(コン)もちょこりと顔を出す。 「人手(モフ手?)が足りないんだもふ」「助かるもふ」 「くもくじらさん、きれーにすればいいんだもふー」「きゅきゅっときれいするもふ」 「でっかいから、大変だけどお願いしたいもふ」「お願いもふ」 前から右から左から、一斉にアニモフがしゃべる。千沙は、それぞれににこにこと頷いた。 少し遅れて、綾賀城 流 (アヤガシロ ナガレ)とアルウィン・ランズウィック。 爽やかに人好きのする笑顔の青年と、狼の尻尾と耳付きの騎士少女、身長差軽く頭2つ分以上はある彼らは、新年バンジージャンプ大会以来の親友でもあった。 「張り切ってるなー、ランズウィック」 「困ってる人のお手伝いも騎士の役目だ!」 えへんと胸を張る。それに動機はもう一つあった。 「くもくじらも楽しみだぞ! くじらって大きい魚みたい? しかも雲だって。 ワクワクするなー」 「あー、俺も雲で出来た鯨って聞いて気になっちまってな。羊のようにもこもこしてるんじゃねーかと思って……」 「もこもこ! もこもこのでっかい魚なのか?! ふわふわなのか?!」 「おや、君たちもくもくじらに興味があって参加したのかい?」 二人に声を掛けたのは、コンダクターの鷹月 司 (タカツキ ツカサ)、眼鏡にヨレヨレなスーツと白衣の、史学科講師。横には彼のフォックスフォームセクタン・は~りぃがいる。 「面白いよね、雲で鯨なんて、ね」 禁煙パイボを咥えたまま、器用に話す。 「鯨というからにはきっと大きいのだろうけれど、壱番世界の鯨ならどれに近いのだろうね。それに、雲で出来ているというけれど、どんな雲なのかと不思議で不思議で」 (ふむ。雲か) 最後尾で彼らの話を聞くともなく聞いていた、紳士姿のツーリストのアンリ・王壬 (-・イクルミ)、さて、と考え込む。 (“くもくじら”…… 仮に、全身“水分”だとすると、我輩には不向きかもしれぬが……) もし全身ずぶ濡れになる可能性があるのなら、彼にとって少しばかり面倒なことになる。 と。つんつん、と、彼の灰色フロックコートを引っ張る黒くまがいた。 「何だね?」 「あっち。準備、出来た、もふー」 原っぱのあちこちに点在する、アニモフの集団を指さす。 「みんなのバケツ、あるもふ。洗った雲、入れてある、もふ」 掃除の準備は整っている、と、伝えたいらしい。 (……まあ、モフたちが出来る程度のことなら、別段、大丈夫であろう) 白手袋を嵌めた手で、黒くまの頭をひとなで。 「では、行くとするか」 ● ――ぽぉん、ぽぉぉん ――ぽん、ぽん、ぽぉぉぉん 汽笛のように聞こえる声。 大きな影が地面を覆う。 きたもふ、と上を指すアニモフたち。 おおきなおおきな雲が浮遊島の上を通り過ぎ――かけて、原っぱにふうわり舞い降りる。 ふうわり。 ふうわり。――ふわん。 かしゃり。 いつのまにやらカメラを構えた司、着陸直後の瞬間を捉え、シャッターを切る。 「形態は、シロナガスクジラ、に近いかな?」 「ふむ、同意しよう。細かいところは省かれているが、そのように見える」 絵本の挿絵のような鯨であるな、と、アンリは思う。 その横で、千沙が取り出したのは、いつもの素描のための筆と紙。 「うちは鷹月さんみたいにカメラとかもってへんけど、思い出になるかなって思てね」 「ほう、和服のは絵描きだったのかね」 「日本画ゆうんよ。うちの特技」 一方、はじめて鯨なるものを見たアルウィンは、いささか興奮気味だ。今にも駆けだして、周囲を回りかねなかった。 「すごいな! でっかいな! ナガレ、くじらはみんなこんなでかいのか? 川魚なんて、めじゃないな! 好きと出奔だな!」 「月とすっぽんな。ま、そうだな、鯨のなかでもでかい方じゃねーか?」 そう何度も実物を見たことがあるわけではない。が、それにしてもこれはでかい。 流は苦笑して、アルウィンの兜に手を置き、軽く叩いた。 「ランズウィック、わかってるか? これからこいつの掃除だぜー?」 「……あ」 大きさに浮かれていたアルウィン、流の一言で我に返る。 くすくす、と、横で聞いていたシレーナが微笑みかけた。 「大丈夫よ。出来るところから片付けていけば、いつのまにか終わってるわ」 ● ――ぽぉぉぉぉん 長い長い声。それが合図だった。 鯨を拭くための真っ白な雲のつまったバケツを渡されて、各々掃除に取りかかる。 シレーナは近くにいたアニモフに尋ねてみた。 「お手伝いさせてね? どうやったらいいの?」 「んっとね、見てるもふー」 そう言って、白くまは雲の切れ端をバケツから取り出すと、鯨の表面を擦り始めた。白い雲の切れ端に汚れが移り、代わりに鯨は白くなっていく。 「で、汚れちゃった雲は、あっちに渡してもふー」 白くまの指さす先には、大きなタライでじゃぶじゃぶと雲を洗うくまたち。水の入った瓶を頭に乗せて運んでいるくまもいた。 「で、綺麗な雲をもらって、またお掃除するんだもふー」 「わかったわ。教えてくれて、ありがとう」 にっこりとシレーナは微笑んで礼を言うと、早速掃除に取りかかる。 少し離れた場所にいた司も、そのやりとりの一部始終を見ていた。 「なるほど、この雲がスポンジの代わりになるわけだね」 几帳面な性格柄、司は丁寧に丁寧に拭き上げ始める。 黙々と作業しながら、白くなっていくくもくじらの表面を撫でた。 (面白い感触だ。柔らかな弾力があって、滑らかな手触り、それに、ほんのり温かい) と、 ――ぽすん。 頭の上に何かが落ちてきた。 ころんと倒れた、見覚えのあるフォックスフォーム。 「は~りぃ、どこへ行ってたんだい? みんなの邪魔しちゃ駄目だよ?」 大人しくしていて欲しいが、珍しいものを見てはしゃぐ気持ちはわかる。暇なのも分かる。 「……掃除、やってみる?」 濡れた雲の端っこをちょっぴり引き裂いて、は~りぃへ差し出してみると、不思議そうな顔で受け取る。司にはそう見えた。 こうするんだよ、と、手本を見せれば、は~りぃも倣ってくもくじらを擦り始め。 かしゃり。 微笑ましい姿を、すかさず司はカメラに収めた。 何種類かの動物用ブラシ、カット用鋏を持参してきていた流は、少しばかり残念そうにくもくじらを見上げた。ふわふわの躰を梳いて、綺麗にカットしようかと思っていたのだった。 「ま、これはこれで掃除のし甲斐があるか」 ふわもこではなかったとはいえ、依頼は依頼だ。気持ちの切り替えは早い。 腰回りに用意した太いベルトを巻くと、ブラシのいくつかを選別して取りやすい場所へ挿してゆく。今日はいつもの白衣ではなく、汚れても良い作業用の服装をしている。流自身の体格の良さと相まって、ガテン系の兄ちゃん風にも見える。 うっすらと汚れたくもくじらの体表に、まずは細かい塵ゴミを浮き立たせるようブラシで一方向へ勢いよく撫でる。さっさっとリズムよく手際よく。 鼻歌交じりで流は作業に集中していく。 「♪~~」 片手で始めた動作に、手持ちぶさたな空いた手が、無意識に腰から同じブラシを抜く。と共に、ひょいと梳ききったブラシが宙に浮く。手から手へ、新たなブラシが持ち替えられながら梳かれ、投げ上がるころには、他方のブラシが手の中に。 綺麗な円を描いて動くブラシに気がついたアニモフたちが、流の後ろに集まりだした。一方、流は黙々と作業に――傍から見れば職人技かパフォーマンスにも見えたが、没頭している。 一通り手の届く範囲を梳き終わり、ひときわ大きく投げたブラシ2つ、 「……よっと!」 後ろ手に受け止めたところで、わっと背後で歓声が上がり、驚いて振り返る。 「わー!わー!」 ぱふぱふぱふ。アニモフたちが並んで座り込んでいる。贈られる拍手に目を丸くし、手の中にあるブラシに今更気付き、流は照れた顔を見せた。 「素晴らしい芸だね。どこかで学んだのかい?」 アニモフの後ろでカメラマンよろしくシャッターを切っていた司が尋ねる。 「勤務先の子供達に楽しんで貰おうと思って、自己流で覚えたんだ」 「はー、ナガレは医者で芸人なんだなー。完投した!」 ● 流のパフォーマンスに惹かれて集まってきていた面々を見て、アルウィンがごそごそとリュックをまさぐりながら提案した。 「ちょっとお休みする? 果物とお茶、持ってきたぞ」 「あ、俺も、重箱弁当と、クッキー持ってきた。手作りだからちょっと見た目は歪かもしれないが、味は保証するぜ」 ぐっと親指を立てて笑顔で請け負う流に、アニモフたちがそわそわいそいそと席を設け始め、そのまま休憩タイムへ突入することになった。 座の中央には、空の海で取れたという葡萄や色鮮やかな魚や乳白色の発光する飲み物が置かれたが、やはり人気があるのは、アルウィンと流が持ち込んだ食材。アニモフにとって未知の食材は興味の的だった。 「これうまいもふ!」「こっちのもおいしーもふ!」 「旅人さんの食べ物は、ぜっぴんもふー」「はふー」 アニモフの頭に、ぽんと花が咲く。ほわ~んと余韻に酔いしれる様は、幸せそうで見ているこちらも嬉しくなってくる。 「綾賀城さんは、お医者はんなのに、あんな芸も出来て、料理も作れて、なんでも出来るおひとなんやねえ」 千沙が改めて感心したように綾賀城流を見る。 「この焼き菓子も美味しいわあ。今度、作り方教えてくれへん?」 「っても、レシピ通りなんだけどな。まあ、どれも喜んでくれるから覚えただけで、そんなたいしたことじゃないって」 ひらひらと仰ぐように手を振って照れたように笑う。 「あ、でも。じゃあ、代わりに俺に絵の描き方のコツ、教えてくれるか? 子供達にも教えてあげたいからさ」 少し離れた場所でやりとりを見ていた司、アルウィン持参の林檎をナイフで器用に剥いているシレーナに話しかけた。 「彼は本当に子供が好きなんだねえ」 「いいお兄さんしてるわよね」 「ところで、貴女の写真も一枚撮らせて頂いてもいいですか?」 「あら、こんなところを?」 「とても様になっているようにお見受けしたので」 それは、ナイフ遣いが、だろうか、林檎を剥く姿が、だろうか。シレーナは一瞬考えて、どうぞ、と目線で促す。 「ありがとうございます」 邪気のない笑顔で、司はカメラを構えた。 幾匹かのアニモフの向こう、アルウィンとアンリが並んで紅茶を啜っている。 「はー、小僧ポップにチミ笑う!」 湯気の立つカップを両手に持ち、アルウィンがしみじみと言う。 「…………。その状況から推して、五臓六腑に染み渡る、と言いたいのではないのかね?」 なんとも言い難い表情をして、アンリがアルウィンに問う。 「あー、アルウィン、また間違えたか?」 「ああ。五臓六腑とは、人間の内臓全体を言い表す言葉だ。五臓は、肝・心・脾・肺・腎を指し、六腑は、胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦を指しているのだぞ。断じて小僧ぽっぷではない」 「?? 小僧ポップは大草原隊? 小僧が感心、不敗人、……む、むずかしいなー?!」 どれひとつ合っていない。アンリは大仰に溜息をついた。 「仔狼、今度、我輩の愛読書を貸してやろう。少し学ぶといい」 「なんだ? 面白い本なのか?」 「大層面白い――百科事典だ」 ● お茶の時間が一段落して、くもくじらを見上げてみれば、その下半分は、ほとんど綺麗になっていた。あとは残りの上半分。 アニモフたちは梯子を持ち出し、そちこちに立てかけ始める。 「くもくじらーくもくじらー、ふんわかわー」 梯子の上でアルウィンの歌声が響く。 「歌いながらやると楽しいぞ?」 周りのアニモフも巻き込み大合唱だ。 「ふんわかーもふー」「もっふもふー♪」 中にはくるくる踊り出すアニモフもいたりして。 楽しげなアルウィンの姿をカメラに収めていた司も、梯子がぐらぐら左右に揺れるのを見て、慌ててアニモフたちに混じって梯子の脚に飛びつく。 落ちてもそう酷い怪我にはならないと知っていても、危ういことこの上ない。 「アルウィンくん、気をつけるんだよー」 「おー、ツカサありがとなー」 「さて、と。あたしは上の方を掃除してみようかしら」 地を蹴り、ふわんと浮き上がったシレーナが、空中を泳ぐようにして移動する。 「シレーナさんは、空を飛べるんだね」 「液体を操れるのよ。これはその応用ってわけ」 すいーっと梯子を手すり代わりに昇り、アルウィンの兜をぽんと撫でる。 「無理しないでね」 「おう。アルウィン、小さいからここより高い所ダメだなー。シレーナ任せたー」 笑顔で辿り着いたくもくじらのてっぺんには、先客がいた。 「む。ナイフ遣いか」 膝をついてひとりで真面目に黙々と掃除しているアンリが、浮いているシレーナに気付く。 「ナイフ遣いって、嫌だわ、そんなに特徴的だったかしら?」 「林檎を剥いていた、あれはトラベルギアだったであろう? ではナイフ遣いだ」 「……まあ、間違ってはいないわね」 「気にくわないのならば、空飛び女でもいいが」 「それは遠慮しておくわ」 肩をすくめたシレーナがあたりへ目を配る。一面真っ白になっている様子に、アンリひとりで掃除をしたのだろうかと疑問を抱いて紳士を見れば、 「あの小さいモフたちが届かぬところから、始めただけだ」 言いたいことなど分かっている、とごとくに、答えが返ってきた。 「汚れが綺麗になるのは気持ちがよい。我輩はこれより前へ向かうが?」 「じゃあ、あたしは後ろの方ね」 自然に分担が分かれ、シレーナはそのまま尻尾へ向かった。 「ツーリストはんたちは、いろんな能力があってええなあ」 空飛ぶシレーナを目で追いつつ、千沙は掃除の手を止めて考える。 (折角やから、トラベルギアでアニモフさんを描いて、お手伝い要員、増やしてみよかな) 思い立ったからには挑戦してみよう。 千沙はトラベルギアの筆を取り出すと、手近なアニモフを手本に、中空へ筆を滑らす。 ぽんっと、描かれたアニモフが実体化した。 「お掃除の手伝い、お願いしてもええかな?」 「おそーじもーふー」 どことなくのんびりと答えた偽アニモフが、梯子を登り始める。 第一号の素直さに味を占め、千沙は次々とアニモフを描いていった。 旅人さんが不思議なことをしている、とみるや、またもやアニモフたちは手を止めて集まり出す。「僕、描いてもふー」「わたしも描いてもふー」可愛い姿でねだられると、断ることが出来ない。「旅人さんすごーい、手品もふー」「兄弟たくさん作ってもふー」 千沙が気付いたときには、あたりはアニモフで埋め尽くされそうになっていた。 調子に乗って描きすぎたかもしれへん。お手伝いはたくさんいればいるほどいいと思った千沙だったが、もとがアニモフであることをすっかり失念していたようだった。 自分とそっくりの偽アニモフと、鏡に映ったかのように左右対称の同じ動作をしては、笑い転げていたり。本物だ~れだ?を始めたり。数が増えたら増えた分だけ余計に騒がしい。 「はー、収集、つかへんようになってもうたかな……? あれ、紺?」 増殖したアニモフの中にフォックスフォームセクタンを見かけたような気がした。 千沙のセクタンが混ざっているのかと思ったが、カメラを手にした司が走ってきた。 「は~りぃが向かったから何かと思ったら……なんか、面白いことになってるね」 はしゃいでいるは~りぃを中心に、アニモフの群れを撮ると、司がファインダー越しに千沙を見る。 「これは、君が?」 「……時間経ったら消えてまうけど、こういうのもおもろいかもーて思て」 「確かに」 言って、司は千沙とたくさんのアニモフの姿をカメラに収めた。 しばらくして騒ぎが収まると、二人のコンダクターは、作業を再開する。 とはいえ、だいたいが綺麗になっているから、磨き残しがないかの、点検作業だ。ぐるりとくもくじらの周囲を見て回る。 「まるで消しゴムみたいやね、雲でこすったら汚れが落ちるって」 「雲で雲をこする、というのも、不思議な感じだけどね」 「そやなあ。そういえば木炭デッサンではパンを消しゴム代わりにするんやけど」 「ああ、同じ原理かもしれないな。吸着させるというか」 「……この雲、食べられるんかな?」 言って、千沙はバケツの中のまっさらな雲を見る。洗い立てだ。 司の手がひょいと伸びて、雲の端っこをちぎると。 ぱくり。 まるでためらいもなく口に運んだ。 「ちょ、鷹月さん?!」 「やっぱり甘いね。雲は綿菓子のようだったけど、こっちはしっとりだね」 「え、もう食べたはったん?」 「うん。これは……うーん、すあまっぽい、かな?」 「すあま、て……」 「大丈夫、大丈夫。食べたらまずいものは、だいたい分かるから」 司のからりとした様子に、おそるおそる千沙もちぎった雲を舌にのせてみた。 (しっとり、あまあま……、あ、でも、溶けてく) 「モフトピアのものって、ほとんど食べられるから、面白いよね」 その台詞に、他に何を食べたことがあるのか聞いてみたい気に駆られたとき、誇らしげに騎士少女が駆けてきた。 「おーい、チサー! ツカサー! 掃除終わったぞー! ぴっかぴかだー」 ● ――ぽん、ぽぉぉぉぉん 掃除の終了が、くもくじらにも分かるのだろうか。さっぱりと真白になった身体に、どことなく嬉しそうな声で鳴く。 と、その大きな口が、ゆぅくりと開いた。 「旅人さん、お宝だもふー」「こっちこっちーおいでもふー」 アニモフたちは我先にと鯨の口の中へと駆けていく。 「お邪魔する」 鯨の口の前で律儀に生真面目に挨拶をするアンリを見て、アルウィンもぺこっと頭を下げてみた。なんとはなく誰とはなしに、まるで誰かの家に上がるかのように、軽く頭を下げてから口腔へと足を踏み入れる。 ふにふにと柔らかい足元はやはり真っ白で、だんだんと薄暗くなっていく体内もまた、白い雲で出来ていた。ぬいぐるみの中の綿を掻き分けて進んでいるかのような、気持ちになる。 紺とは~りぃの幻の炎で行き先を照らしながら、腰を屈めがちに一行が進んでいくと、突然、ぽかっとした空間に辿り着いた。 天井から一条の光が差し込む、真白いホールのよう。 「旅人さーん、はやくはやくだもふー」 先に着いていたアニモフがそちこちで何かを手に取り、吟味している。 「これがくもくじらの中なのかー?」 「思ったより広いのね。それぞれ分かれて探してみる?」 「いいね。後で見せ合う楽しみもあるし」 「どんな宝物があるか、楽しみやねえ」 「んじゃあ、いったん解散!」 流の号令で、6人はそれぞれ思い思いの方向へ向かった。 「ランズウィックー、あとはお前だけだぞー!」 「お、おう!」 両手を見比べて、悩んでいる様子のアルウィン、上の空で返事をする。 (う~~~~~~、選べないぞ!) 結局そのまま手に握りこんで、みんなの待つ場所へ戻ってきた。 「……いっこじゃないと、駄目か?」 うっすら涙目だ。 「なんだ、選べなかったのか?」 「だって、アルウィンのと、エミリエのとで、お土産、二つになっちゃうんだ……!」 そういうことか、と一同顔を見合わせる。 「……ならば、我輩の分として持ち帰ればよかろう」 「い、いいのか?! アンリはお土産、要らないのか?!!」 「正直要らん。我輩は、綺麗になったくもくじらさえ見られれば満足であるからな」 素っ気なく返事をしつつ、アンリが何も持っていない両手を開いて見せると、アルウィンの顔が、ぱあっと明るくなった。 「ありがとーアンリー!」 「せっかくだ、ピンク娘に渡すという土産、何を選んだのか、見せてもらおう」 アルウィンが自信を持って開いた手には、サクランボ型のきらきら光る石があった。二つの赤く透き通った石が、澄んだ音を鳴らす。 「可愛いし、それに美味しそうだったから!」 「――ふむ。良かろう」 合格を出したアンリに、アルウィンが再度礼を言う。 「あ、あとな、これこれ! アルウィンのお土産ー!」 反対側の手に握りこんでいたのは、虹の欠片で出来た飴玉の瓶詰めだった。光の反射で七色に煌めく様は、食べるのが惜しくなるほど。 「綺麗やなあ」 ほぅと吐息をつく千沙を見て、アルウィンが問う。 「チサの土産は何だー?」 「うちは、これ」 千沙の手には、月の光を集めて出来た雫。ころんとした形はシンプルで、淡く蒼く輝いている。 「雫になってるところが、気にいったんよ」 「あ、俺の土産も月光だぜ」 流の手のひらから漏れている光。月の光を集めて出来た、掌に乗るくらいの大きさの結晶だった。透き通った薄いレモン色が、暗いところで、ふんわりとぼんやりと光る。 「机の上に飾っとくといいかな、って。なんだかあったかくて優しい気持ちになるしな」 「どちらも素敵だね。僕はこれなんだけど」 司が見せたのは、大きさも形も色も様々な、星屑の欠片を詰めた小瓶だった。傾ければ、しゃらり、と鳴る。きん、とした音にも聞こえ、どこまでも広がっていく。 「ちょうど瓶持ってたから入れてみたら、いい音を奏でるのに気付いてね」 「私のはこれよ」 最後にシレーナが手を開いた。透き通って透明な、ひんやりと見える雪の結晶が、白い肌によく映える。 「本当に素敵。絶対に大切にするわ」 きゅっと握りしめ、胸に押し頂くシレーナの言葉は、土産を手にした皆の気持ちを表していた。 ● 「良かったら、最後に記念撮影なんてどうかな?」 綺麗になったくもくじらを背景に、島のアニモフたちも呼び寄せて。 司の提案に、一も二もなくロストナンバー達は同意した。 (流石に、鯨の全景は無理だから、斜め正面からにしてみたけれど、それでも溢れるね) ファインダーを覗きながら、もっと詰めて、もっともっと詰めて、とばかりに、手で合図をしているが、収まりきらない。後ろに下がれば誰が誰だか分からなくなり、時間が経てば経つほど、アニモフたちがもぞもぞと動き始め、ロストナンバーたちもつられてしまい―― どうするかと考え込んだ司は、手近な雲に飛び乗ることにした。 「お手伝いさせてくれたり、綺麗な物くれて有難うなー!」 近くのアニモフやくもくじらに、アルウィンが礼を言って回っている。 流も、懐かれたアニモフたちを肩に乗せたり抱き上げたりしながら、礼の代わりと、頭をなでていた。シレーナはアニモフのもふっぷりに埋もれて幸せそう。千沙はくもくじらを見上げて、最後にもう一枚、素描させてもらおかな、などと思っていた。 「ん? 眼鏡がいないようだが?」 気付いたのはアンリが最初だった。千沙もあたりを見渡す。 「写真、撮り終わったのやろか? おらへんね?」 ――こっちだよ~~ 上から小さく司の声が聞こえる。 「あれ!」 シレーナの指の先、雲から乗り出さんばかりにして、カメラを構えている司の姿があった。どうにも収まりきらないからと、上空からの撮影に切り替えたようだ。 合図のつもりか、手をぐるぐると回していて、危険この上ない。 「ほら、おまえらー、上向け、上。写真撮るぞ-! あの雲の上、わかるかー?」 あの状態を早く切り上げるには、撮影を終わらせるしかない、そう思った流が、アニモフたちを促す。彼自身も、手を振ってみたり、笑ってみたり、親指を突き出してみたり――つられるように、周りのアニモフたちも、司へ向けてアピールをし始めた。 そしてようやく司がシャッターを満足に切り始めたとき、 ――ぽぉぉーーぉん くもくじらが鳴いた。 「あ、お土産がくるもふよ」「くもくじらさんのお土産もふー」 きゃいきゃいと騒ぐアニモフに、アンリが問いただす。 「お土産ならば先ほど、彼のお腹の中から持ち出してきたばかりではないか。これ以上、何があるのかね?」 「最後におっきなお土産があるんだもふー」「ふふー」 いいことあるから教えてあげない、そんな表情で、アニモフたちはくすくす笑いながら、今か今かと待っている。 彼らの視線を追えば、くもくじらの身体が宙に浮き始めるところだった。 ふわりふわりと空の半ばへと進み、そして――ぷぉぉん、ひときわ大きな音を立てて、そのなだらかな背から、原っぱをいっぺんに洗い流すほどの量の潮が、吹き上がる。 ざぱりと弧を描いて落ちてきた噴水を頭から被り、アニモフたちはぐしょぬれの仲間と弾けたように笑い出し、それでも足らなくて駆け回り始めた。 「ああ、びっくりした。千沙ちゃん、大丈夫? 濡れてない?」 シレーナは、瞬間的に能力を発動させていた。とっさに近くにいた千沙だけは引き寄せて、水がかからないように配慮していたことを、褒めておきたい。濡れると後が大変だ。 「……おおきに。うちは大丈夫、やけど」 他の、近くにいなかった、ロストナンバーたちは……。 「ぬれもふだー!」 アルウィンは、アニモフと一緒になって、追いかけはしゃぎ走り回っていて。 「~~~っっ」 文字通りに水も滴るいい男になって、流が困ったような可笑しいような表情で髪をかき上げていて。 「……………………」 あとは、1メートルほどの背丈のペンギンが、憮然としてアニモフの中に埋もれていた。 雲の上から一部始終を見ていた司は、それに気付いてカメラを構える。 今まさに島へとかかり始めた虹のなないろ、泳ぎ去っていくくもくじらを背景に、ずぶぬれアニモフと走る騎士少女の追いかけっこ、そして、途方に暮れたような惚けたような見つめ合う4人のロストナンバーを、フィルムに収めたのだった。 おしまい。
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