§ターミナル・イタリアンレストラン (フランちゃん、ちょっと変ですぅ) コース料理の大半を平らげた撫子は、皿の減らないフランを見つめながら独りごちた。 小柄な友人が自分と比べて食が細いことは把握しているが、今日のフランの様子はそういうことを抜きにしても少しおかしい。 こころ此処に在らずといった体でフォークにパスタを絡めてクルクルと回し続けて、一向に口に運ぶ気配すら見せない。「フランちゃん、ダイエット中ですぅ?」「……」 (返事はない、ただの屍のようだ、ですぅ) 呼びかけても上の空な友人に心のなかで一つボケを入れると、身を乗り出して少しばかり大きな声で呼びかける。「フランちゃーん、フランちゃーん、聞いてますぅ?」「…………え? あ……ごめんなさい……あっ!」 ようやく声に気づいたのか慌てた様子で謝るフラン。 頭を下げるついでに、パスタを絡めて踊っていたフォークがするりと指から抜け落ちる。 響いた硬質な金属音に続いてフランの口から漏れる嘆息。 大したことでもないのに、大仰に肩を落とすフランの顔色は何時になく優れないように見えた。 (やっぱり変ですぅ……)「フランちゃん、どうしたんですぅ? なんか元気ないですぅ。私ができることなら相談に乗りますですぅ」 ぱちぱちと瞬きをしたフラン。 深呼吸を一つすると微苦笑を浮かべる。「……ありがとう撫子ちゃん、心配かけてごめん……私は大丈夫だから……ご飯冷めちゃうし食べるね」 フランは既に冷め切って湯気も立っていないスープパスタをようやく口に入れる。 その動きは食事を楽しんでいると言うよりは機械的な咀嚼。(フランちゃん、絶対大丈夫じゃないですぅ……ここは年上としてお役立ちを見せるところですぅ☆)「フランちゃん! こんど壱番世界にお出かけしましょう。彼氏さんもお誘いして、前にお約束したダブルデートですぅ☆」 塞ぎこむことがあるなら、それ以上に気を晴らしさえすればいい。とてもシンプルな発想。 『えっ!?』と虚を突かれたように一寸止まったフランの表情がゆっくりと笑みに変わった。「撫子ちゃん……いつもありがとう」「フランちゃんのためなら、火の中水の中……ですぅ☆」‡ ‡ §コタロ宅 殺風景そのものだった己の部屋にいつの間にか彩りが増えていた。 ただの日差しよけに過ぎなかったカーテンは、居者の性格を意識してくれたのかシックな色合い……しかしながら裾が刺繍で飾られたものに、板を打っただけの床には来客用を含めた大きめのクッションが置かれ、今己が着座しているダイニングとされた区画には、撥水性の高いカーペットが敷かれている。 壁にかけられていた明るい色合いのエプロンを纏う撫子が、冷蔵庫の中から一抱えはありそうな鍋を取り出してコンロにかけている。 キッチン家電を壊しすぎて『コタロさんは侵入禁止ですぅ☆』と張り紙されてしまった台所の先からは、火の揺れる臭いと共に鼻腔を擽る匂いが漂う―― プライベートなはずの自宅に誰かの色が入るという緊張感、それは過去のコタロが想像したこともない感覚だったが決して不快ではなかった。「ということでぇコタロさん? フランちゃん達とダブルデートすることになりましたぁ」 四、五人前は入りそうな大鍋をゆっくりかき混ぜながら撫子が話しかけてくる。 唐突な、いや彼女はいつも唐突だが、言葉に己の顔筋がぴくりと引き攣れたように動く。 (……ダブ……ル?? デート…………???) 咀嚼しかねる撫子の言葉に脳がショートしかけたところで、彼女が待ってくれるはずもなかった。「コタロさんがカンダータにお出かけしている時に約束したんですぅ。フランちゃん達も無事に帰ってきましたしぃ、そろそろ行こうかなって今日お話してきました☆」 (……ダブルデートか…………確かあの……漫画に、だがあれは……) 思い浮かべた漫画の光景は、表向き仲良さげな二人の女子が己の彼氏を経由して丁々発止する針の筵。 脂汗混じりに読んだものだが―― (……馬鹿な、撫子が……そのような……)「ご迷惑ですぅ?」 いつの間にか声は近くにあった。 大鍋越しに己を覗きこむ彼女の瞳。 (……そのようなはずがない) 不謹慎な想像を微かに刻んだ笑いの中に打ち消して頷く。「…………問題……ない」 喝采する撫子の笑顔に、己は欠片も間違っていないと確たるものが胸に沸くのを感じる。「よかったですぅ☆ あ、コタロさん、フランちゃんはぁ、いちおー普通の子だからバリバリの軍装で完全装備とかしてきちゃダメですよぉ?」 山盛りの野菜シチューと共に置かれた、恐るべき課題にコタロは両眼を見開いた。‡ ‡ §虎部宅 ぼーっと眺めていた携帯のディスプレイが、壱番世界の一日も終わろうとする時刻を示そうとしている。 特別に設定した着信音と共にディスプレイに現れた写真が、発信者が誰であるか告げていた。『もしもし……トラベさん、まだ起きてます?』 電話口から聞こえるのは期待通り、耳に馴染んだ声。『フランさんの起きている時間がトラベさんの起きてる時間だぜ! まっ、寝ているなら夢におじゃまするけどな』『……もう……』 自分の軽口に漏らす照れ笑いのような声が心地よく胸をさざめかせた。 久し振りのゆっくりとした時間、他愛のない会話に花を咲かせる二人の時間は早く過ぎた。 眠気が意識を刈り取りに来る頃合いにフランが話を切り出す。『えっと、トラベさん。今週末……時間あるかな? 撫子ちゃん達と一緒に出かけたいけど……ダメ?』『いや、いいけど。どこいくのか決まってるの?』『ううん……まだ……撫子ちゃんは、アキハバラ? っていう所にも行きたいって言ってたけど……トラベさんいい場所知らないかな?』『うーむ、よっし分かったここは虎部さんがなんとかしよう、みんなで楽しめる場所を考えるぜ。……ところでさフラン、なんか調子悪かったりしない?』『う、ううん……そんなことないけど、どうして?』『いやなんとなくさー、気のせいならいいけど』『……う、うん、大丈夫……ありがとう。それじゃ、明日も仕事だからそろそろ寝なきゃ……ごめんなさい』 (ごめんなさい? ……うーん、なんか変な感じだったけど……もしかして緊張してたとか? そうだな、フランから遊びに行きたいって言い出したの初めてだもんな。きっとそうだ、よっし! ここは虎部さんが一肌脱いでいいところ見せないとな!!) 音の途切れた携帯を布団に投げ捨てるとおもむろにデートスポットのピックアップを始める。(四人で話せる時間と二人の時間を作りたいよな……公園、ボートがあるようなところがいいかな? お弁当はやっぱ女の子に作って貰いたいよな……) 案をまとめること一時間。 エアメールを発送するや、虎部はあっという間に布団の中の住人となった。 (よっし、これで完璧だろ。感激のあまり『トラベさん素敵抱いて!』とか言われたりしてな) もはや夢うつつであった虎部は、まだ記憶に新しいフランの裸身を瞼の裏に思い浮かべたまま眠りに落ちた。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>虎部 隆(cuxx6990)川原 撫子(cuee7619)コタロ・ムラタナ(cxvf2951)フラン・ショコラ(cwht7925)=========
座する軍装の男――コタロ・ムラタナは懊悩していた 理由は数日後に迫った逢瀬、いやただの逢瀬であれば問題などない。 ――バリバリの軍装で完全装備とかしてきちゃダメですよぉ? 平時に相応しい装いをせよという彼女の依願は最大級の難事と言えた。 持ち合わせている服といえば一張羅である蒼国軍装に刃止の付いたシャツ類、そして一束幾らのインナーが少々。 炎天下の壱番世界に完全装備で出かけることを是とする男が平穏に馴染む服など所持する道理など無い。 否――一つだけあった その事実に至った軍人に刻まれた表情は、友が目すれば物笑いになるような面体。 明らかにダメだと理解りつつも藁にすがろうとする情けない引き攣り顔。 視線の先に著名な萌えキャラが微笑みかけている、酔いの勢いに任せ同士から買い受けたTシャツ。 (……詰んだ) 両手から崩れ落ちた姿は失意体前屈。 (こうなれば、いっそ当日……) 時間経過は諦念と弱気で軍人を慰撫する。 常ならば作戦の成功を諦め無謀の吶喊を選択していた、しかし―― (……否、撫子は俺に期待した……できぬはずはない) 足掻くだけ足掻いてみせる……捨身するのは全てが決してからでいい。 静かな気合の声。 床から跳ね起きた軍人の心にふと湧き上がった言葉に微かな笑みが零れる。 『お前の部屋はほんっとに殺風景だな、花くらい置いたらどうなんだ?』 『――……花など無駄だ……戦に必要ない』 昔の友と交わした言葉、蒼国軍人であった己が発した言葉。 あの時、考えもしなかった己がここに居る。 (俺は変わった) その認識は驚愕であると共に喜びであった。 厭生による捨身ではなく己を変えてくれた友と恋人へ報いる、それが今のコタロの原動力。 ‡ ――デート前日 大き目のヘッドフォンから流れるちょっと古めかしいラブバラード。 カウチに半身を横たえた少女の眼は、タブレットに表示させた自分と同い年ぐらいのモデルの姿を追っている。 (ちょっと派手かなぁ。もうちょっと落ち着いてるほうが……) この服を着て行ったら彼はどんな反応をするだろう? 派手な格好に赤面するだろうか? それとも似合っていると褒めてくれるだろうか? その時の彼の顔を想像するだけで思わず口元がにやけてしまう。 もっとも、想い人は機微に聡いわけではなく、ムスッとしてしまう結果になることも結構あった。 でも、自分に申し訳なさそうな表情を見せる彼も嫌いではない。 限りなく有意な少女の夢想は大きなノック音が三回とよく通る誰何を合図に終了した。 確認せずとも理解る慣れ親しんだ声が自分を呼んでいる。 「はーい、撫子ちゃん、ちょっと待ってねー」 (どうしたのかな、デートは明日だよね?) 返事をする少女――フラン・ショコラが浮かべた些細な疑問はすぐに晴れる ゆっくりと開けた扉の外にいた親友――川原撫子は、満載の食材を抱えて満面の笑顔を浮かべている。 「フランちゃん、明日のお弁当一緒に作りましょぉ! 今から一緒に下拵えすればパーフェクトですぅ☆」 親友の行動はいつも唐突。 驚かされてばかりだけど、そうやって巻き込んでくれることが嬉しい。 「はい、ちょっと待って下さいね、キッチン綺麗にしますから」 だから、少女はいつも通り親友の提案に頷いた。 ‡ 「私がいり鶏、コタロさんはおでん、フランちゃんがサンドイッチで虎部さんの好みはフランちゃんにお任せですぅ☆」 フラン宅の台所に撫子がお料理番組の鼻歌混じりに具材を並べていく。 「いり鶏は天婦羅にして、おでんは他にコロッケと煮卵お握りにしますぅ☆ 半分おでんのジャガ芋使って、後は蒟蒻、お肉、練り物を5mm角で切ってコロッケの具にするんですぅ☆」 リズムをつけた解説の言葉を挟みつつ撫子は楽しげに下拵え。 適当なサイズに刻まれて茹で上げられたおでんの具材は専用の器に取り分けられて、昆布と鰹節の出汁の登場待ち。 一口大に削ぎ切りして炒めた鶏腿肉を醤油で味付け、刻んだ野菜を椎茸出汁で煮込み始める。 「えっとぉ、他にはスコッチエッグ、アスパラベーコン巻、ブロッコリー塩麹炒めとかぁ……フランちゃん他に何かありますぅ?」 「これ終わったらクッキーを作ろうかなって、この前レシピみた紅茶風味のクッキーなんですけど」 サンドイッチ用に野菜を細かく刻んでひき肉と混ぜていたフランが答える。 「おー、お菓子は考えていなかったですぅ、フランちゃんのクッキー、楽しみですぅ☆」 和気藹々とした調理時間は過ぎ、下拵は冷蔵庫に押し込められ明日の仕上げを待つばかり。 台所から鍋が揺れるコトコトとした音と、焼き菓子の甘い臭いが漂ってくる。 有り合わせをダイニングテーブルに乗せて二人はちょっとしたお茶会を楽しんでいた。 「撫子ちゃん……お料理の手際、すっごく良くなったね」 「えへへ、そうですかぁ☆ コタロさんのお食事作るようになったから……食べてくれる人がいるとやる気がでるんですぅ☆」 はにかみを浮かべる撫子の惚気に微笑ましさと喜びを感じると共に羨望と微かな妬心を覚える。 「いいなー、私もトラベさんと……」 「いっそ押しかけるとかどうですぅ? きっと断られないですぅ、女は度胸ですぅ☆」 「そうかなぁ?」 「撫子ちゃん、色々ありがとうね」 「友だちが落ち込んでいたら励ますのは当たり前ですぅ☆」 当たり前と言ってくれることが少女に取って最高の心の支えであり、ついつい甘えてしまいたくなる。 「ありがとう。あのね、撫子ちゃん……話を聞いてもらってもいいかな?」 「勿論ですぅ☆」 ‡ ――前日・夜 大の字に寝る少年の高鼾が部屋に響いている。 布団狭しと伸ばした右手が握るのは明日のためのメモ。 指の隙間から見える文字は、少年の意気込み―― ・フランが動きやすい様に俺から色々切り出せる様に、重い空気にならないように軽妙に事を運ぶ!! ・女同士のほうがやりやすいなら撫子さんに任せる。でも、撫子さんに任せきりにはせず、俺ができるフォローとかエスコートをする!! 抽象的に言葉で綴られたそれはC調の虎部が如何に彼女を気遣っているかが現れていた。 『むにゃ……え、フラン? そんなことまでしちゃう!? いくら感激したからってちょっと端ない……むにゃむにゃ』 ……多分。 ‡ ‡ ――当日 早朝にフラン宅を辞した撫子は一旦帰宅し戦闘準備を整えていた。 フランと一緒に作ったお弁当と水筒、レジャーシートをナップザックに詰め、シャワーを浴びて化粧を少々。 浮かれた気分で出かけた待ち合わせの場所への到着は優に三十分前。 しかし――いや期待通り彼の姿はそこにあった。 樹海の入り口近くにある二人がいつものと呼ぶ場所。 コタロは何時ものように手頃な石に腰掛けて自分を待っていた。 撫子が希望した、常とは違う装束を身に纏って。 コタロの装いは見慣れた軍装ではなく、モスグリーンの半袖のシャツにデニム地のカーゴパンツ、首から下げたドッグタグが唯一の飾り。 デート向きとしては些かシンプルだが、シャツを押し上げる筋肉美はまずまず魅力的だと言えた。 「……この服で……」 少し濁った蒼い目が自信無さ気に見上げる。 裁可を待ち、唾を飲み込み動く喉は必死さと緊張の象徴。 始めっから返事なんて決まっていたけど、勿体つけて上から下までじっくりと眺めてから笑顔を向ける。 「バッチリですぅ☆ そもそも、コタロさんは何着ても格好良いですからぁ☆ それに、この時期いっぱい着ると熱中症になっちゃいますぅ」 コタロの頬が弛緩し自然と息が漏れた。 撫子は安堵するコタロの前に手を差し出し次の我侭を舌に乗せる。 「コタロさん、駅まで手を繋ぎたいですぅ……駄目、ですか?」 返事の言葉はなかったが手に温かい感触があった。 ‡ ワンピースにカーディガンを羽織った少女は重たそうなレジャーバスケットを傍らに置いてベンチに腰掛けている。 壱番世界で待ち合わせたときとは違い、慌てる様子も見せず本を読み耽っていた。 麗しの君の前に馳せ参った王子様の装備は清潔なシャツと右手に携えた一輪の花、そして僅かばかりの緊張。 昨晩考えた計画を幾度も思い返しながら近づくペースは自然と早くなる。 (服よし、髪完璧、顔イケメン、今日は掴みが肝心だ、行くぜ) 自分に気づいたフランはベンチから立ち上がり、名前を呼びながら手を振っている。 ニヒルなつもり笑みを浮かべて少女に近づいた少年は、芝居がかった礼と口上で出会い頭を一撃する。 「お待たせして申し訳ありませんでしたお姫様。お詫びに花を一輪」 少年のくさいセリフは理解が及ばぬ少女の口腔を呆然とした形に変える。 照れによる拒絶を産む隙は与えない。 少年の手が少女の髪に分け入り、その手に携えた武器――赤い花をそっと収める それは重要な一手であるとともに囮。 己に触れた何かを確認しようと反射的にあがった少女の手を捕まえると軽く抱き寄せ頬にキスをする。 「今日は楽しもうぜ」 少年は唐突な事態の連続に当惑する少女の耳元に一言囁くと最高に決まっていると信じている角度から少女を見つめた。 キョトンとした少女が頬に触れる、少し湿った肌の意味を理解したとき少女の頬が髪飾りとなった花と同じ朱に染まる。 「もぉ、トラベさん今日は私達だけじゃないんですからね……」 少女の口をついた諌める声も緩んだ口元では些か説得力に欠ける。 「わりぃわりぃ、じゃ、続きはまた今度な。そいや、その荷物、お弁当? けっこう重そうだし俺が持つぜ」 「……このくらいだったら大丈夫です!」 真剣な表情を崩してしてやったりと悪戯っぽい笑みを浮かべる少年。 恥ずかしそうしている少女は意固地な反応を少年に返す。 ‡ ‡ §上野 観光地であり交通要所であるこの地は人通りが多い。 (……開けすぎている……狙撃ポイントが多い……人通りも多く動きもままならん) コタロは内から湧き上がる焦燥と戦っていた。 ここが平和な世界であることは重々理解していた。しかし装備はパスホルダーに収めたギアのみの非武装という名の非日常は軍人の心を激しくかき乱す。 (この場を敵が襲撃すればどうなる、俺は身一つで撫子達を庇いきれるか!? ええい、落ち着け、これは訓練だ。そうだ……要人護衛の訓練だ) ありえぬ想定、支離滅裂とした思考、薄暗い牢に閉じ込められた囚人が陽光に惑うように、戦人の心は平和な世界に只管馴染まぬ。 彼らと合流したときもそうだった―― 「フランちゃん、遅いですぅ☆」 「ごめんなさい、撫子ちゃん。……トラベさんが荷物持つって聞かなくて」 両手を合わせて申し訳無さそうに謝る少女とその隣でレジャーバスケットを両手に携えた少年。 「いやー虎部さんみたいなイケメンが女の子にこんな重たい荷物なんて持たせられるはずないだろ」 「……少し小さいカバンで半分こすれば良いって言ったのに……見栄張って」 「フランさんのお役に立てるように鍛えておいたんだぜ、これくらい楽勝さ。おっと、待たせたな撫子さん。今日はよろしく、えっと、こっちが……」 「はい、私の彼氏のコタロさんですぅ☆」 「よろしく、コタロさん。俺は虎部、イケメンな虎部さんと呼んでくれてもいいぜ」 「……よろしく」 虎部の言葉に流れた微妙に白けた空気、撫子は笑いフランはちょっと恥ずかしそうに俯く。 「OK今のナシな、ま、それじゃ早速だけど行こうぜ、ちょっと遅れてるしさ」 「それはトラベさんのせいじゃないですか……撫子ちゃんごめんなさいバタバタしちゃって」 「大丈夫ですぅ☆ それじゃ出発しましょー」 ――合流した非戦闘員達の平和な会話、どう反応していいかわからず惑いと疎外感ばかりが浮かんだ。 昔ならば己のいるべき場所ではないと消え去った、だが今は……。 馴染む努力を、例えばあの少年のように己も振る舞うべきなのだろう。 ――……女の子に荷物を持たせられない……か 「……撫子……その荷物を……」 発した声は小さく、まだ日常は遠い。 ‡ ‡ §公園敷地内 お昼過ぎの集合は、荷物から漏れた匂いを殺人的な威力に変える。 空腹に負け街歩きをそこそこに公園の一角に陣取った四人。 レジャーシートには、撫子とフランが作った八人前に及ぶお弁当が所狭しと並ぶ。 「はい、コタロさん、大根と卵とこんにゃくですぅ☆ お汁は多めにしましたぁ☆ お飲み物はお昼ですので焙茶ですぅ☆」 コタロの前に甲斐甲斐しく料理を取り分け差し出す撫子。 「フラン、フラン、あーん」 その横では、大きく口を開けた虎部がフランに料理を食べさせてくるように促す。 「コタロさん負けていられませんですぅ☆ こっちもあーんですぅ☆」 「あ、ソース。頬についてます……ちょっと動かないで」 「えーここは舐めとってくれるところじゃないのかよ」 「そんなこと、人前じゃできません!!」 (人前じゃなきゃできるですぅ? フランちゃんわりと進んでますぅ) 「百合はだめ! フランととかよくないですよ! どうしてもというなら俺も混ぜて!」 「えぇーとフランちゃんはともかく、虎部さんは願い下げですぅ☆」 「トラベさん、百合って?」 「フランは知らなくてもいいことだよ」 「ふーん……自分で調べるからいいですけど」 「いや、やめて、フランはそっちいっちゃダメ」 (……世界樹旅団のマスカローゼ……) 親しげに撫子や虎部と語るフランのことはよく聞き及んではいた。 今は撫子の友である少女、しかし腐っても敵将の懐刀であった人物、多少の警戒はと考えたが……。 撫子の笑い声がまた聞こえた、自分と居るときとはまた違った類の楽しげな表情。 (……元……か) 彼女は撫子の友、もはやそれ以上でも以下でもない―― 「えーえっと、あ、カンダータではお疲れさんでした。やっぱコタロさんは再帰属希望?」 なんとなく輪に入り辛く様子を伺っていたコタロの耳に触れた唐突な質問。 気さくな笑みを浮かべた少年とは竜星の戦いで僅かに見えたのみのほぼ初対面。 些か不躾な問だが、なんとか言葉を探して自分に話しかけようとしているのだろう、壱番世界人は皆そうなのだろうか? なんとなく撫子に似た雰囲気を感じる。 「……あ、ああ……」 もっとも如才ない答えなどできないコタロは、撫子の表情をチラリと伺いながら端的な言葉を返すしか無く会話はそこで途切れてしまった。 ‡ ‡ §不忍池 「よっ、はっ、ととと」 係員にチケットを渡した虎部は案内を待たず軽快にボートに飛び乗る。 揺れたボートに少しふらつきながらも体勢を立て直した虎部はフランに手を差し伸べる。 「さあ、お姫様お手をどうぞ」 「だから……そういうのは……」 口の中でモゴモゴと文句を言うフランの頬はだいぶ赤い、ごめんと謝ってくるフランの顔を見た撫子の頬がついつい緩む。 フランは文句をつけながらも差し伸べられた手を重ね、ボートに乗る虎部に体を預ける。 重心の変化で少し揺れるボート。 悲鳴を上げながらしがみついてくるフランの柔らかい感触に虎部は作戦勝ちを意識した。 (………なるほど) 平時に慣れるという観点では、やはり少年の行動は見るべきものがある。 彼の行動一つ一つが場の雰囲気を和ませているように感じる。 少なくともボートを見るや夜間の上陸訓練がチラつく己とは雲泥の差だ。 (ならば……) 模倣とは最も有意な訓練手段、判断が決まれば行動は早い。 撫子をボートにエスコートすべく軽快に体を滑りこませ、少年が少女にしたようにボートの上から撫子に手を差し伸べた。 「さあ、お姫様お手をどうぞ」 己もやればできるではないかと浮かべた微かな満足感は撫子のクスクス笑いにかき消される。 (……ぐ、何か誤りがあったのか……) 動揺で鼻白むコタロの手を撫子が取る。 「はい謹んで、ですぅ☆ でもぉコタロさんはコタロさんらしくすればいいと思うですぅ☆」 ‡ 不忍池に浮かぶボートの数は多く余り派手な動きをすることは難しい。 巧みなテクニックでフランを楽しませるつもりだった虎部は当てが外れてしまったが、自分がボートを漕ぐ姿をじっと見つめている彼女を意識すればそんな些末事は霧散した。 二人きりのボートの上、あの話を切り出すには都合が良かった。 できるだけ軽い調子で……深刻に聞こえないようにさりげなく。 「フラン、いつも心配かけてごめん」 洗脳のせいで記憶が曖昧だったが、フランがだいぶ無茶なことをしていたことは後で聞いていた。 「フラン、お前は俺にはできすぎた女さ。でもこんなお前を泣かせてばっかりの不甲斐ない俺についてきてくれて本当に嬉しい。俺もフランを悲しませることはしたくない。でもそれと冒険を求める思いとは別なんだ……! 俺はこれからも危険な目にあってお前を心配させるかもしれない。でも必ず帰ってくる。だから心を痛めず、俺を信じて強く想っていてくれ。ヒーローは必ず生き残るのさ(たぶん)」 思いの丈を一気に捲し立てた虎部に対する反応は今ひとつ、目を瞬かせて顔には疑問符がたくさん浮かんでいる。 「どうしたの? トラベさん、急に……」 「いや、俺に色々あってさ、そのフランも色々あっただろ……だからほら、さ」 思ったような反応がなくて頭を掻く虎部。 きょとんとしていたフランの顔に理解と意を決したような色が浮かぶ。 「あのね、私、トラベさんに謝らないといけないことがあるんです」 『それはぁ、ちゃんと謝るしかないと思うですぅ。虎部さんにとってぇ、大切なのはフランちゃんですからきっと許してくれますぅ☆』 親友はそう言って励ましてくれた。 それでも実際言葉にするのは勇気がいる、大切と思うものを失ったと告げるのだから。 「……この前、買ってもらったペンダント壊しちゃったんです。その……着てた服とかと一緒に」 少女の瞳に見えるのは罪の意識と微かな怯え。 「なんだそんなことだったのか、心配して損したぜ」 安堵の息と共に顔を覆う虎部、軽い笑い声が指の間から漏れる。 「なんだってなんですか! 私、すっごく気にしてたんですからね! 嫌われたらどうしようって!」 今日幾度か見せた恥ずかしさからくるものではなく逆切れに近い激昂がフランの顔を朱に染める。 「あ、あと何か思い出しました、この前、私に内緒でみんなと旅行に行ってましたよね!? 一体どういうつもりなんですか!!」 感情の歯止めが効かなくなった少女は、関係ない怒りまで噴出させながら立ち上がる。 当然揺れるボート、少女風情がバランスを保てるはずもなく、 「おい、馬鹿危ない」 小さな悲鳴を上げて倒れかかったフランを虎部が反射的に抱きとめる。 「ご、ごめんなさいトラベさん。大丈夫ですか?」 「……柔らかいクッションで窒息しそう」 ボートは再び大きく揺れた。 「フランちゃん元気そうですぅ」 ボートの上で騒がしい虎部とフランの様子を眺めるのをやめ、撫子はコタロに向き直る。 「……撫子?」 「ねぇ、コタロさん。コタロさんは私が助けに行ったときどう思ったですぅ?」 何の意味がある問答なのかは分からなかったが、それ故正直に答える。 「……嬉しいと思った」 満足気に頷く撫子はオールを動かすコタロの手を取る。 「あ、コタロさん、私もボート漕ぎたいですぅ☆」 ‡ ‡ 食べ過ぎたのかボートから降りた少年は厠に行きたいと駆けて行った。 ただ待つのもと撫子はアイス売りの出店に並んでいる。 ――似ている 半歩離れて座っている撫子の親友から感じるもの。 与えられることに不慣れ故、溢れる感情――依存 かつて国に全てを捧げると言ったとき師は言った――依存と献身は違う その違いが分からぬ故、過去の己は全てを壊していた。 あるいはただの知り合いであればこんな言葉を告げようとは思わない。 しかし、彼女は撫子の親友なのだ、彼女が己と同じ道を進めば撫子は悲しむ。 「……記憶を失おうと……魂を切り離そうと……過去からは絶対に逃げられない。逃れようと己を失えば……それは今の己を認めてくれた者達を裏切る事と同意、それを厭うならば、過去を、自分を、認めるしかない」 紡げる言葉は少女の意を汲んだ流暢なものではない、故に己の思うままを吐き続けるしかない。 「……自分はもう逃げないようにしようと思ってる。彼女が自分を認めてくれるなら、その彼女を裏切りたくは無い。 この回答を出すまでに酷い時間がかかった、多くの者の助けを借りた。 けれど一つだけ言える事があるとすれば、己の事は己が決めなければならない――依存と献身は違う」 己の言葉に少女が浮かべたのは困ったような微笑。 「……撫子ちゃんは優しいですよね、どんな過去があっても受け入れてくれる。私が撫子ちゃんに甘えるの気に入りませんか?」 「……そうでは……」 「……冗談です……コタロさん、私は……ううん何でもないです。ご忠告ありがとうございました」 お辞儀をして視線を逸らした少女は厠から戻ってきた少年のほうに走り去ってしまう。 苦笑が頬に浮かんだ、己が他人に説教など……。 「コタロさんどうしたんですぅ? フランちゃんなんか不機嫌そうですぅ」 売店から戻ってきた撫子が訝るように自分を見ている。 「……すまん」 ‡ ‡ §秋葉原駅 0世界には訪れない夕映えの中、二組のカップルは別々の方向に歩き出そうとしている。 「フランちゃん、ちょっとは元気出ました?」 「うん……ありがとう、撫子ちゃん。またね」 「撫子さん、今日はありがとな、あんたほんとにフランのことが好きなんだな。いや、この世界の皆の事を、かな。そこまで愛せる心の持ち主はあんた以外いないよ。尊敬するよ」 「……色々参考になった、またよろしく虎部殿……フラン殿も」 「ん、そうなん? ま、それじゃまたな」 少年に肩を抱かれた少女は頬を赤らめながら親友に手を振る。 一日はまだ半分、これから二人の約束があるのだろう。 去っていく年下のカップルを見送った撫子はコタロに話しかける。 「あっちのお店はまだ行ってないですぅ☆ ティーロさんのおみやげにいろいろ買って行きましょうぉ☆ コタロさんは、何か買いたいものありますぅ?」 特にないと返事しようと思ったが、ふと言葉が頭をよぎる。 「……花を……部屋に飾る」
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