§ターミナル司書室「お集まり頂きありがとうございます。早速ですが、皆さんに依頼があります」 世界図書館いつも通りという言葉が似合う人コンテスト――などといったものがあれば最上位にエントリー約束されるであろう、鉄面皮の司書ことリベル・セヴァンは、背筋をピンと伸ばした直立不動に導きの書を右手にしたいつも通りの姿勢で淡々と言葉を発する。「先日回収頂きました世界樹の苗について、依頼の際にもお伝えしておりました通り、調査研究が開始されることとなりました。 しかし、苗といえど世界樹――イグシストの一部、その研究によって如何なる影響が発生するかは想像できない部分があります。 そこで世界図書館と致しましては、万が一の事態に備え然るべき場――人が生存可能な無人世界に施設を建設した上で研究を行う方針を決定致しました」 前面を御覧くださいと前置いたリベルは、司書室の灯りを落としプロジェクタで壁面に資料を表示する。「依頼内容は大きく二つです。 まず一つ目は当該施設を建設する無人世界の探索です」 プロジェクタに映されたのは不可思議な航路図――記載される文言は見覚えがある世界の名前が並び、その図が指し示すものがロストレイル号の航路であることは容易に想像ができる「対象となる世界について、私どもである程度の当たりをつけております」 ヴォロスを示すアイコンとターミナルを示すアイコンが強調されを結ぶ線が光る。 その線の調度中点辺りから二時の方向に破線が伸び、ターゲットを示すであろう光点が明滅した。「ターミナルからヴォロスへ至る道程を外れた場所に小世界が存在したという記録があります。 もっとも、そこは打ち捨てられた無人の世界であったらしく、それ以上の記録は存在せず、正確な場所はもはや忘れ去られてしまっています」 ――それを探せばいいのか? しかしどうやって? ロストナンバーから上がる声に一つ頷くと、リベルはそのまま言葉を続けた。「皆さんには蟹座号に乗車頂き、その設備を用いてこの世界を再発見に尽力頂きます。 そして無人世界を発見したところで、皆さまに依頼するもう一つの事案が発生致します」「おっと、そこからは俺が説明するぜ」 司書の言葉を引き継いだのは、部屋の後方、プロジェクタの写す映像と調度反対側の壁に寄り掛かる漢。 司書室の電気が灯ると共に、浮かび上がるピンク色の作業服を着こなすガテンマッチョ――ドンガッシュ「もう一つの依頼ってのは、その無人世界に研究所を作ることだ。まあ、研究所を作るつっても大層なものじゃねえ、せいぜい一人が研究して寝食できる規模だ。つっても流石に俺一人じゃ立ち行かねえからな、お手伝いさんが必要ってわけだ」 ――なんだよ、人足代わりかよ ロストナンバー達から上がるのは苦笑混じりの声。「おっと、人夫になれってだけじゃないぜ。俺は研究所なんてのは滅多に作らねえからな、詳しい人間の意見を参考にしたいんだ。 なんせ、仮面のおっと……今は違うか、小さい嬢ちゃんのたってのお願いだからな」 ドンガッシュはよっと声を出して、自分の大柄な体の影になっていた少女を脇の下から持ち上げる。 少女の口からきゃっと悲鳴が漏れるのは気にせず、自分の前に立たせると頭をぽんと手を置き軽く撫ぜる。「ちょっと、ガッシュおじさん……小さな子じゃないんですから……」 髪をグシャッとされた少女が口を尖らせる様子に、ドンガッシュは豪快に笑う。「……紹介が遅れました。彼女、フラン・ショコラさんが今回の研究の発案者です。彼女には研究責任者として皆さまに同行を頂きます」 リベルの言葉が司書室に伝わると反響のようにざわめきが起きる。 幾度か騒ぎを起こしている人物がというのであれば、至極当然の反応と言えた。 集まる視線にフランの表情に浮かぶ引き攣ったような怯み。 抑えこむように軽く目を閉じ、深く息をつく。 ――自ら成すべきことは自ら決しなければならない 意を決したように目を開いた時、少女はただ正面だけを見据え口を開いていた。「みなさん……私の研究の目的は、イグシストを知りその対策を講じることです。 今は眠っているチャイ=ブレも何時かは目覚めると思います、その時できることを増やしたい……と考えています。 幸いかどうかは分かりませんけど、私は色々なことを知ることをできる立場にいました、だからその知識を役に立てたいと思っています。 どうかご協力をお願いします」 フランは頭を下げるとロストナンバーたちの反応を待った。
世界を旅する列車が浮かぶは光瞬くディラックの空。 天蓋に広がる星々が如き光点、その一つ一つが世界。 螺旋の旅人は新たな世界を求めて星空を行く。 「――車内放送、蟹座号にご乗車のロストナンバー各位に連絡致します。 まもなく蟹座号はV13地点にて停止、運行目的を定期就航から異世界探索へとするためのシステム変更を実施致します。 システム変更が完了後、蟹座号は定常運行路を外れヴォロス近空、未踏世界群へと進路を変更致します」 図書館の不可思議、虚空の名を冠する車掌。 アナウンスが車内に流れると同時に蟹座号が小さく揺れ動きを止める。 「――停止確認 システム変更――完了 運行目的変更に伴い操縦室を開放致します。車輌前部へとお進みください」 再び流れるアナウンス。直後に数度、連続して響く軽い空気の抜ける音。客室、通用路、そして操縦室と順に扉が開いていく。 普段は閉じられた最奥の扉を潜り抜けた先、凡そ列車に対してイメージするものとは大きくかけ離れた光景が展開されていた。 喩えるならば、壱番世界の戦艦アニメ――ブリッジという表現。 電子音を響かせ明滅する大量の計器、ディスプレイされた文字は絶え間なく形を変える。 部屋の中央には天球が浮かび、表面をなぞる波形が幾何学的な象形となっている。 そして、何より目を引くのが、床、天井、外壁が全てガラス張りに透き通り、己がディラックの空に浮かんでいるかのような錯覚を与える車輌先頭部。 世界群の探索において、機械的探査よりも直感が有効であるとされているために考案された機構であるが、その圧倒的な光景は別の感慨を呼び起こす。 「うおおお、蟹座号すげーじゃん! 天然のプラネタリウムってやつ!? 見ろよ、天井からも床からも星が見えるぜ」 先陣きって操縦室に駆け込んだ虎部は興奮の声を上げながらガラス壁にむにっと顔を貼り付け、絶景を堪能すると振り向きざまに仲間を呼ぶ。 「……これは本当にすごい、驚いたな。蟹座号がこんな風になってるなんて」 性格故かガラス張りの床をゆっくりと踏み、その感触を慎重に確かめる相沢もまた興奮の色を隠せない。 「ほんと、私もびっくりしました。あ、アイザワさん、トラベさんが調子に乗って変なスイッチ押さないか見張っててください!」 天球を操作する機械越しに顔を覗かせながらフランは、相沢に声をかけ、虎部には舌をチロリと見せた。 「いや、フランさ、いくら俺でも――」 「ああ、フランさん任せてくれ。隆は縄で縛っておく」 「おいおい、優ちょっと待てよ、俺はSM趣味なんてないぞ、つかなんで縄なんて持ってんの?」 蟹座号がもたらす驚嘆にテンションを上げる三人を他所に撫子の表情は今ひとつ浮かない。 その理由は旅立つ前の出来事に―― 「川原様、ここから先は届け出のない方を通すことはできません。申請頂いた上で後日――」 「後日じゃ間に合わないんですぅ!! そこを退いて! ……ですぅ!!」 困惑の表情を浮かべながらも不埒者を引き止めようとする黒服達。 必死の形相で押し通ろうとするは撫子。 司書室でチケットを受け取った撫子は、フランに事情を聞きくと矢も楯もたまらず館長の館に駆けていた。 膂力で比較すれば両者は互角、しかし無理を押し通す意志力が圧倒的に違った。 揉み合いの末、壁に、床にと精一杯に叩きつけられ呻きを上げる黒服達を撫子は一顧だにしない。 障害を排した撫子は館の奥へ駆け、目の前の扉を剛力に任せ吹き飛ばさんばかりに開け放つ。 「撫子さん!? 一体何の騒ぎですか?」 驚嘆と苛立ちが混じったアリッサの誰何が撫子を迎える。 撫子は大股で歩き、アリッサの前に立つと書類の束が一面に広がる机を粉砕せん程に叩き、己の意志を吐きつける。 「フランちゃんのところに行く定期就航、隔日にして下さいぃ! 72時間って災害時の生存リミットです、何かあったら間に合わない時間ですぅ! フランちゃんの申し出かもしれないけど、壱番世界のために頑張ろうとしてる人を、壱番世界出身の私達が見捨てるようなことしないで下さいぃ!」 舞い上がる書類吹雪、共に跳ねる柳眉を抑えこみ静かな声でアリッサは答える。 「撫子さん、お友人を思う貴方の気持ちはわかります。けれど、これは撫子さんが仰る通りフランさんと――」 「チャイ=ブレから隠そうと考えてるならもう無駄ですぅ、セクタンもちが3人同行した時点でバッレバレですぅ! だったら有事の際の安全を考えて下さいぃ」 アリッサを言葉をまともに聞くことのない撫子の放言。 その態度にカチンと来たのかアリッサの表情が強張る。 「……そう思うのでしたら、チケットをここに置いて行かれればどうですか? リスクは三分の二になりますよね? 代わりとなる方は私が手配します。折角の門出にお友達が来れなくなるなんて、フランさん……不憫ですね!」 売り言葉に買い言葉。 机越しに火花を散らし始めた女二人を止めたのは初老の強面が差し出した腕。 「お嬢様は些か興奮気味ですかな? そう意気軒昂では話になりませんので、ここは私から説明しますよ」 慇懃に一礼しアリッサを遮った執事が重々しく口を開く。 「良いか、川原殿。 ショコラ殿に約束した新世界の探索と定期就航。 これは世界図書館館長のできる精一杯の好意であり協力だ。 多大な危険が伴うであろう世界樹の苗の研究の容認、ロストレイル号の使用まで許可しているのだ。 そこに如何なる風当たりがあるか貴女には想像できんのか? ショコラ殿を伴い、義を尽くし嘆願するならいざ知らず、乱痴気騒ぎに館長への暴言。 このような軽挙妄動が如何なる結果を呼び起こすか想像せよ。 今ならば不問に処す、ショコラ殿のことを思うならよくよく己を省みることだ」 激情のまま、腕を叩きつけ、言葉を吐きつけても解決しないことはある。 感情の行く先を定められない撫子は激しい音を立てて館長室から飛び出す。 残されたのは撒き散らされた書類と静寂――そして嘆息。 「ごめんなさい……ウィリアム」 「いえ、これもお勤めで御座います。しかし、お嬢様少々お疲れではないですか? どうせこの有り様では仕事にはなりません。休憩と致しましょう、紅茶を淹れますよ」 「……撫子ちゃん?」 心配気な様子の聞き慣れた声。 いつの間にか自分を見上げている茶色の瞳。 「……フランちゃん、大丈夫ですぅ☆ ちょっとお昼を食べ過ぎて気持ち悪かっただけですぅ、もう大丈夫ですぅ☆」 一つ上手く行かなかったから何だというのだ。 自分を見つめる異世界の友人、彼女のためにできることはまだまだ在るはず、きっとそのはず。 ‡ ‡ 「じゃあ、超高速演算装置はフランさんにお願いするとして、後の機器は皆で分担して探索した方がいいかな」 「はい、分かりました。後の機械は……螺旋式多次元ソナーと螺旋鏡面潜望鏡ですね。 えっと……潜望鏡はディラックの空に浮かぶ世界を発見してソナーに座標データを渡します。ソナーは渡された座標を元に世界の組成を指標化……私達に危険がないかどうかを判断してくれます」 「なるほど、じゃあ俺は多次元ソナーを担当する。具体的な使い方はタイムに確認するよ」 「私は潜望鏡を使いますぅ☆ フランちゃんが住みやすい世界をバッチリ見つけますぅ☆ 壱号、いいですかぁ、全力で働きなさいぃ!」 各々が探査機器の前に着座すると、どこから見つけたのか船長帽子を被った虎部が鬨の声を上げる。 「よーし、各員配置についたか? 取舵いっぱい出発だー!」 「オー!」 ・ ・ ・ 綺羅と瞬く星の世界も幾時間と眺めれば何時しか凡庸となる。 螺旋の旅人が異世界の探索をはじめてから凡そ一昼夜。遅々として上がらぬ成果に徐々に倦怠が流れ始めていた。 「五十七個目の反応ですぅ……えっとぉ相沢さんどうですぅ?」 「……酸素量が不足……元々は窒素呼吸の生物が住んでいた世界みたいだけど……だめだ、生存不能」 「この区画はだめですね。四時方向に回頭、一時間前進しますね。今度こそ……」 研究慣れしているフランや忍耐力のある相沢は兎も角として、直情な性格を使命感で抑える撫子は機械に突っ伏し疲労の色が濃い。 誰ともなく漏れる徒労の溜息、淀んだ空気に堪忍袋の緒を切ってしまったのはやはりというか虎部であった。 「あーもう、こんなちまちまやってたらフランがばあさんに成っちまうぜ!! ここは虎部さんが一気に解決してやるぜ!」 大見得を切って突き上げた指の先に回る『水先案内人』 シャーペンの先端が真正面を指し示した。 「よし、真正面! 全速前進だ!!」 掛け声と共に有無を言わさず、操縦桿を押し込む虎部。 歯車の噛み合う音が車内に響き、高鳴るエネルギーが唸りを上げたる。 急加速する蟹座号、ガラスに映る光点であったものが流線型となって流れ始める。 「ちょっと何やってるんですかトラベさ、きゃ!」 慌てて止めに入ったフランだが、加速の揺れで体勢を崩して虎部にしがみつき柔からな感触を提供するだけの結果に。 「隆! バカ! よく前を見ろワームだ!」 揺れに堪えるために重心を沈め正面を凝視する相沢が警告の声を上げると同時に、ムカデ型巨大ワームの姿がガラス壁の一角に拡大される。 「このまま体当たりだ、貴重な落とし子の研究材料を手に入れるぞ!!」 相棒の警告もテンションを上げた虎部には通じず、興奮に彩られていたまま操縦桿を更に押しこむ。 ――ッ 傍らか息を呑む声が聞こえる、ふと浮かぶ疑問の表情は頭まで突き抜ける苦悶に激変した。 「ちょっと、何やってるんですぅ! フランちゃん怯えてるじゃないですかぁ!!」 股座に突き刺さる強烈な蹴りと猛烈な叱責、当然ながら返事はない、あろうはずもない。 ナイアが泡を吹いて地面に転がり落ちる、辛うじて虎部の男は護られたようだ。 「まずいな、ワームがこっちに近づいてくるぞ、蟹座号に武器はないか。隆……は無理か、撫子さん、すまない足場を頼む。打って出る」 親友のピンチはとりあえずスルーして、モニターを厳しい表情で睨む相沢は撫子に一声かけ、非常用ハッチを開けると操縦室からディラックの空へ躍り出た。 光瞬くディラックの空、抜き放たれた刀は主を現すような静かに煌めく。 蟹座号から伸びる虹色の足場は、高速移動の運動エネルギーを無視して相沢が直立すること可能とする。 正面を睨む相沢の両瞳が捉えるのは、視認距離が変わらないにも関わらず徐々に姿を大きくさせるワーム。 呼気を整え無形の位に構える相沢は、巨大な敵を前にしてもあくまで自然体を保つ。 ディラックの空に漂う怪獣。ムカデのような巨躯、口腔から覗く牙は人の大きさを遥かに超える。 高速で空を泳ぐワームと直進する蟹座号。 交錯の瞬間は刹那。 巨大な顎門を毛一筋の間合いで伏せ躱す相沢、虚空を切り裂く強烈な擦過音が響いた。 相沢の起点に両断されるワーム、その姿がディラックの空に瞬く間に溶け消える。 衝撃の残滓に、片手を鎬地に添える相沢の袖と髪がたなびいた。 ――刀身は鏡の如し トラベルギアの作る光が、ワームの質量と速度の生むエネルギーを自身を切り裂く威力へと変える。 強き暴故にワームは刀の露と消えたのだ。 残心を解く相沢の正面。空間に割って操縦室の映像が浮かぶ。 「アイザワさん、ありがとうございます……幸い他にはワーム居ないようです。トラベさんが迷惑かけてごめんなさい」 「いや、大丈夫だよフランさん。隆ならいつもの事だ」 「ほんっとに後できつく言っておきますから…………あ、あれ?? これどういうこと? 正面データバッチリ?? え? ほんと?」 「ほれみろ、上手く行ったじゃねえか、それでぇーフランさんは私にどうきつく言ってくださるんですかねぇ?」 映像越しに聞こえる歓声、親友の調子に乗る声が聞こえる。 「……ま、いつもの事だな」 相沢の口に微苦笑が刻まれていた。 ‡ ‡ 住むべきもの失った世界。 螺旋の旅人が降り立った場所は、無限の如く広がる緑の丘陵。 異界の建築士は、人の息吹を大地に刻む。 「工事現場はバイト代良いのでぇ……私、大特免許持ってるので結構やりましたぁ」 ドンガッシュの工作重機を手足のごとく使い撫子が資材を運ぶ。 「なかなか筋がいいじゃねえか、どうだ今度うちで働かねえか?」 「え!? ほんとですぅ?」 「ああ、仕事は幾らでもあるぜ。今度うちの作業場に顔出しな」 明確な目標が見えている方が体も動くのだろう、トントン拍子に研究所は作られていく。 「――後は発電機関ですね、予定通り太陽光をベースに蓄電設備から供給、日照条件もクリアです。 非常用発電機はディーゼルで、重油三日分の備蓄庫をお願いします」 「ああ、早速パネルを運び出すぜ。何、夜までには作り終わる、寒い思いはさせんぞ」 机一杯に図面を広げるドンガッシュとフラン。 工事用ヘルメットを被った虎部と相沢が微妙な表情を浮かべながら近づいて来る。 「なあフラン……多分だけどさ、この家すっげー大切なもの忘れてない?」 「え……? そうかな?? 冷蔵庫も洗濯機もキッチンもお風呂もあるし……私一人で生活する分には十分じゃない?」 相沢が忍び笑いを漏らしながら相槌を打つ。 「俺も足りないとおもうよ、いや、さっきの隆は傑作だった。蟹座号に気づいてよかったな」 「うるせーよ、なあフラン、なんでこの家トイレないんだよ!」 虎部 隆、魂の叫び。 あっ、と声を上げる少女は図面を凝視しながら、焦りと羞恥に頬を染める。 「フランくん、これは大変な問題だよ」 「わーごめんなさい」 わざとらしい厳しい表情と渋い声を出しながら頬を指で突く虎部、頭を抑えながらフランは小さく縮こまる。 「はは、夫婦漫才はそれくらいにしてさ。 他にも緊急時の備えをもっと用意したほうがいいと思うよ、離れに地下シェルターみたいなものを作れないかな?」 「おっと、それだったらそこにヴォロスまで避難できる脱出艇みたいなもんがあったらよくね?」 フランの頬をしつこくぷにぷにしながら虎部が意見を加える。 「世界を渡るにはロストレイル号かナレンシフが必要ですから、この子からナレンシフ……作れるかな?」 「ちょっと待ったですぅ! 私も意見あります!」 わいわいとざわめく意見を割って、重機から飛び降りた撫子が思いの丈を叫ぶ。 「4人は生活できる研究施設にして下さいぃ! 私、ロボタンでお手伝いしてきますからぁ! 他にも手伝おうって言ってくれる人はこれから現れると思いますぅ、後で拡張するより最初からその位の大きさ確保する方が楽だと思いますぅ!」 ‡ ‡ この世界に人工の光が灯るのは幾日幾年振りか。 広い夜に、ただひとつ光源が浮かび上がる。 「さて、フランさんは疲れているだろうし、今日の夕飯は俺が作るよ。撫子さんも手伝ってくれないか?」 「え……でも、こんな手伝ってもらったのに悪いですよ」 「嬢ちゃん人の好意は受けとくもんだぜ、気を張り詰めすぎてたらいい仕事はできねえ。おい、あんた俺も手伝っていいんだろ?」 「あ、ああ、もちろんさ。そういうことだからな、隆」 以外な助け舟に少し驚きを見せながらも親友に目配せは忘れない。 「撫子さんごめん、二人で少し話をさせてあげたいんだ」 フランのほうを見ながら戸惑っている様子の撫子に相沢は耳打ちする。 「……はい、ですぅ」 ? ? 「……フラン」 「アイザワさんに気を使わせてしまいましたね」 椅子に腰掛けてバルコニーから夜空を見上げる少年と少女。 「星を眺めるのは久し振り……トラベさんと眺めるのはもっと久し振りですね」 「ああ、そうだな……」 二人の間にあるのは優しい静寂。 少女は少年の胸に頭を預け、茶色の瞳がただ少年を見つめる。 少女の髪を優しく撫ぜながら思う。 ――ヴォロスで――竜星で――ターミナルで――壱番世界で幾度も見た少女の顔 その度に少女の為に覚悟と誓いを積み上げ、それは微かな劣等感を打ち破る誇りとなった。 (何も変わってないと思ってたけど、そんなわけはないよな) 「初めてあったとき、フランはさ一生懸命だけど普通の子だった」 ――俺には十分眩しかったけど 「正直、驚いてる……フランは垢抜けたけど、それ以外は普通の女の子だって思ってた。いや思い込んでた。 けどそれは違って、その……フランは色々な経験をして裏付けのある凄い能力を身につけていた」 言葉に微かな淀み、少女の指が服を強く掴むのが分かる。 「君も俺も昔のままじゃない、良いことも悪いこともあったけど……変わっていった。 フラン……俺を0世界の鎖から解き放ってくれるつもりなのか?」 細く少しだけ固い指が頬に触れた。 「変わらないものもあると思います……」 それが何であるか言葉で紡ぐ必要などない。 「私は我侭です、トラベさん。私はトラベさんに望むように生きて欲しい、だからチャイ=ブレを……」 その固有名詞は弛緩した脳を電光のように刺激し、虎部は反射的にフランの口を塞ぐ。 慌てて周囲を見渡す虎部、それはグッタリと部屋のベッドで寝ていた。 「フラン、元館長……エドマンドのことは知っているか?」 パーマネントトラベラーとなって世界群を彷徨うことになった元館長。 「……セクタンのことを言いたいんですよね?」 セクタンはチャイ=ブレの分身。 元館長の失敗。その影にはセクタンの……いやチャイ=ブレの妨害があったのではないか? だとすれば、自分がフランの近くに居ることは危険なのでは……。 「……思うだけで妨害に晒されるなら、私達はここにいないはずです。 ただ…………たまには遊びに来てくださいね」 その言葉の意味するところを想像することは容易い。 ――一緒にいたい! 声高に叫ぶことはできる、しかし―― 紡ぐ言葉は無く無言の時が再び流れる、ただ互いの体温だけが暖かい。 「そうだフラン、竜刻の護符はあるか?」 顔を曇らせ首を振る少女、揺れた髪が鼻を撫ぜる。 沈んでしまった表情を掬い上げるように少年は少女を抱き寄せる。 「フラン……俺たちは成功させるぜ。奴を陽動するとか力になれることは何でもする、暴走するようなことがあれば必ず止めに行く、だから」 そして再びあの言葉を ――これを受け取って欲しい ――これは? ――約束の証だ 少女の胸元に押し付けられた、ヴォロスの薬の花を包んだお守り。 「ありがとう……一つお願いしていいですか?」 「勿論だ」 「貴方を名前で呼びたい――」 肯定の代わりに少年は少女を強く抱きしめる。 少女の願いはこの場では叶わない。 口を塞がれた少女にそれ以上の言葉を紡ぐ術はなかった。 ? ? 「隆遅かったじゃないか、もう夕飯ないぞ」 「うお、優それなくない?」 「飯も恋愛も熱いうちにだ、これが鉄則だぞ小僧」 ドンガッシュの真面目くさった言葉に相沢は堪えきれず吹き出してしまう。 「冗談だよ、隆。こっちのテーブルに用意してある、さあ乾杯しよう」 所狭しと並んだ料理の数々、相沢の腕もあるが何よりのスパイスは達成と空腹。 和気藹々とした空気の中で料理は瞬く間に消えていく。 「そうだ、この世界に名前をつけてあげないと」 食後の紅茶を注ぎながら相沢。 「ミュミュヌポポス」 「なにそれ?」 「いやフィーリングでさ、げぷ」 「はぁ? ちょっと汚い……」 メロンソーダを一気飲みした虎部がゲップしながら言った戯言に、フランの柳眉が微かに上がる。 「あははは、ギベオンというのはどうかな? 壱番世界のパワーストーン、願望を叶える力や問題を解決する力があるって言われている」 「あ、それいいですね、タカシはネーミングセンスないですね」 突然変わった少女が少年を呼ぶ名前、一瞬きょとんとした相沢のニヤニヤ笑いは止まらない。 「……末永くごちそうさま。そうだ、フランさん、隆、俺も壱番世界を救うために出来る事をしたいから時々手伝いに来てもいいか」 イグシストを永遠に殺し続ける武器か、別のイグシストを作るのか――危険な行為だが何もせずに後悔するのに比べれば――。 顔を見合わせる虎部とフラン、僅かな逡巡の後にフランは相沢に応える。 「……勿論です。お手伝い頂けると嬉しいです」 ‡ ‡ 人工の灯りは落ち、ギベオンを照らすのは星明りのみとなる。 草木も眠る深夜は暗き故に浮かぶものがある。 「なあ、優起きているか」 「ああ、どうした隆」 「全部終わった時にさ、フランが壱番世界に帰属できるように準備をしようと思ってるんだ。何をすれば良いと思う?」 「隆、考えすぎるなよ、いつも通りしてればいいじゃないか。フランさんが隆に絆を感じているならうまくいくさ。百万ドルの夜景だっけ? 約束してるんだろ?」 「ぐ、なんで、優がその秘密を……」 ‡ 「フランちゃん……どうして約束守らせてくれないんですかぁ」 撫子の口から出たのは珍しく責め立てるような言葉。 「約束……ですか?」 「一人にしないって言った、一人にしないって約束したよ、フランちゃん! 頑張ろうとしてるのはうれしいよ、だったら協力させてよ一緒に頑張りたいよ! 一生一緒に居られるわけじゃない、ならせめて一緒に居られる間は協力させてよ手伝わせてよ!」 激した撫子の声に対してフランの言葉は落ち着いている。 「……我侭言ってごめんね撫子ちゃん。急に言い出したりしたから心配してくれてるんだよね? 大丈夫ですよ、私は一人じゃないからここに来ることにしたんです。 撫子ちゃん、私は私の心に居てくれる人のために力を尽くしたいんです」 他ならぬ撫子の想い人の言葉を契機として―― 「だから、撫子ちゃんが協力してくれるのを拒む理由なんてないよ……ありがと撫子ちゃん。 ねえ……撫子ちゃん、時間が経って、違う世界に帰属しても友達のままでいられるよね? もし会えなくなったとしても――」 ‡ ‡ 翌朝。 任務を終えた蟹座号が『ギベオン』の空に消える。 見送る少女の姿は小さく――雲海に阻まれ見えなくなった。 「隆、もう少し居なくて良かったのか? 撫子さんはしばらく残るみたいだけど」 「優、俺はフランに賭けたんだ。だったら俺がするべきことはろくに手伝えもしないのに、この世界に残ることじゃない。 俺のやるべきことは――」
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