オープニング

 そのちょっとした騒動は、赤の王にまつわるトレインウォーの被害状況等を視察する名目での壱番世界旅行――その実はただの慰安旅行――で、ターミナルから主要な人物が出払っている時に起こった。


‡ ‡


 §ターミナル


(みんな旅行で留守だからお店も閉まっていますね……)
 ターミナルの大半が慰安旅行で休暇となった煽りで通い家政婦の仕事も暇をだされ、さりとて特段やることもなかったので時間を潰そうと向かった行きつけのカフェテラスは店を閉めている。
 手持ち無沙汰な少女は、仕方なく人気のないターミナルの街路を一人ふらふらと散歩していた。
 (慰安旅行……行くって言えばよかったかなぁ? ……言い出せなかったってことは何か気後れしているのかな、私……そんなことないつもりだったけど)
 街路に歩を刻みながら空虚な思索に耽る少女の耳朶に空耳と疑うほどの小さな空気の揺れが触れた。

 ――――んぁあー

 (あれ? 今何か……?) 
 それは平素の喧騒であれば気づくことはなかったであろう、ほんとうに小さな音。
 少女は立ち止まり、くるくると視界を巡らせるが何処にも声の主は見えない。
 (気のせいかな? 何か声……したような……)
 訝りながらも少女は歩を進める――

 ――んぎゃぁーんぎゃぁー

 (……うん、やっぱり聞こえる……)
 再び足を止めると少女は息を潜め瞑目して耳を澄ます――とさして鋭敏でもない少女の耳にもハッキリと声が聞こえ始めた。
 (あっちのほうかな? でもこの声って…………)
 音の聞こえる先は街路に並ぶ店の間。
 少しゴミゴミとした路地をかき分け進むに連れて、耳に触れている甲高い声は大きくなっていく。
 
 声に導かれる少女の眼前には現れたのは藁で編まれた揺り籠、そして――
「やっぱり……なんで、こんなところに赤ちゃん……?」
 驚きの声を上げる少女、顔を真赤に歪め泣き声を上げる赤子は物音と自分に覆いかぶさる影に気づいたのか泣き声を止め、顔をあげた。
 赤子は、きょとんとした眼差しで少女を見ている。どうしていいかわからず少女は、ただただ赤ん坊をじっと見つめかえした。

 ――だぁあぁあー

 真っ赤に上気していた赤子の顔色がまるで雪が溶けるように綺麗な肌色になる
 誰かに視線を向けられていることが嬉しいのか揺り籠の中の赤子は、大きく口を開けて笑い声を上げていた。


‡ ‡


 §図書館事務方

 公職の事務方といえば労力に見合わぬ低評価を受けることで有名であるが、この休日の担当者はその低評価を生成しているほうの一員であった。
「フランちゃんごめんねぇ。一日だけでいいからこの子、預かってちょうだい。今応対できる人が居なくて……明日になったらみんな帰ってくるはずだからね?」
「はぁ……でも、私赤ん坊なんて世話したこと……」
 何が大事なのかエアメールにご執心な事務員のおばさんは、少女の方も赤子のこともほとんど見向きもせず言葉を吐く。
 腕の中に抱えた赤子を安堵させるために半ば本能的に体を揺らす少女は困り切った表情で言葉を返す……が、
「大丈夫、大丈夫。どうせフランちゃんもいつかやることになるんだからさ。その時の予行演習だと思えばいいじゃない、ほら赤ちゃんだってあんたに懐いてるじゃないか。そこのブックカウンターに育児雑誌積んであるから持ってっていいよ」
 適当なことを言って面倒臭いことを押し付けようとしている態度がありありと見える。
 いま一つ納得がいき難い気持ちが起きるが、そんなことを言い出す人物に赤子を預けるのは大きな不安を感じる。

 少女は腕の中で静かな寝息を立てる赤子をじっと見つめると意を決し席をたった。
 (……明日になれば詳しい人が来るんだし、今日は私が頑張ろう……取り敢えず本があるって言ってたわね)
 覚悟さえ決まれば少女の行動は早い。
 育児の経験も出産の経験もない少女にとって赤子の世話は全くの未知の領域。
 そうであれば一刻もはやく知識を得るのが先決……と赤子を片手に雑誌を流し読み始める。
(……えっと……家を暖かくして……お布団も必要? タオル沢山用意すればいいのかな? ナレッジキューブ足りるかしら? そもそもお店のかな? えっとこれは、紙おむつ…………痛っ)
 いつの間にか目をさましていた赤子が目の前でチラチラと動くフランの髪を掴んでいた。
 赤子の力はこれでなかなか強い、フランの髪を掴んだまま腕を激しく振り回す。
 痛みに涙目に成りながらも反射的に脅かしちゃいけないと考えた少女は、赤子の手をゆっくりと解し髪を解く。
 髪の毛の何本かは残念なことになったが。

 髪を手放した赤子はフランの腕の中で後頭部を擦り付けるように体を左右に振って悶始める、少女と視線があうと僅かに動きを止め、口をぱくぱくと動かしてはさらに悶える。
 赤子の奇妙な主張に少女が反応しないと見ると赤子は己を支えている腕を脚で強く押し体を回転させると、顔をフランの胸に埋めぐりぐりと擦り付けた。
 行動の意味が理解できず、ぽかーんとしたたま赤子を見る少女、望む反応が得られなかったためか赤子は顔を真っ赤にして火がついたように泣き始めた。

 ――うぁああぁぁあぁあああ、うぁああぁぁあぁあああ

 人の不快感を刺激する激しい泣き声が事務所内に響く。
 数少なくはあるが周囲の人の注意が少女と赤子に集まり事務方のおばさんは露骨に舌打ちをしていた。
 (ど、ど、どうしよう、どうしたら泣き止むの!???)
 両手で抱っこして体をゆすり背中をさすってあげるが一向に泣き止む気配はないどころか大音声となって響く。
 (えとえと……そうか、お腹が空いているの!? え、でもどうしよう私、おっぱいなんてでないよ)
 完全に動転しておたおたとする少女の肩に手が触れる。
 振り向いた少女は、よく確認もせず辺りを憚らぬ大きな声で叫んだ。

「あの、その、す、すいません! おっぱいをください!!」


!注意!
このシナリオはパーティシナリオ『世界司書、東京へ行く~天空の樹と雷神の街~』と同一の時系列の出来事を扱っています。そのため、同一キャラクターでの両シナリオへの同時参加(抽選エントリー含む)はご遠慮下さい。

品目シナリオ 管理番号2571
クリエイターKENT(wfsv4111)
クリエイターコメントはいこんにちは、新米パパ3か月ちょいのWRことKENTです。
せっかくの経験なのでシナリオに反映してみようと出して見た次第です。

さて、OPを補足しますと今回のシナリオの目的は、突然現れた赤ん坊のロストナンバーを一日世話することになります。
NPCは育児能力が殆ど無いためこのままでは24時間大音響が鳴り響くこととなってしまいます。
いやそんなに泣かないか、まあともかく人生の先輩としてNPCをサポートするもよし一緒におたつくもよしと自由にやって頂ければ幸いです。

ゲーム的とはなりますが赤ん坊はシナリオ終了までに六回程度泣く予定です。
※プレイングによってはそれ以上に泣きます
泣く理由は一般的な赤ん坊が泣く理由と同じですので、お腹がすいた、オムツが気持ち悪い、汗が気持ち悪い、ほっとかれて寂しいとかになります。
適宜アクションを頂ければ幸いです。


なお赤ん坊の世話に必要なアイテムはプレイング上で自ら障害を設けない限りは、手に入ると考えて下さい。
これはそのような部分を書くなという意味ではなく他に集中してプレイングに書きたい部分があった場合に、手に入っているとして構わないという意味です。
折角、空いていた店で探してもオムツのサイズが合わないなどと買い物に苦労するプレイングを入れていただくことは問題ございません

なお本シナリオは監修には息子が行うため理不尽な展開が発生する可能性があります。
また字数的にはあまり多くならないかなと思いますので、予めご了承頂ければと存じます。

おっと一番重要なことを赤ん坊は男の子で月齢は3~4ってところです。

以上です、それではよろしくお願い致します。

参加者
華月(cade5246)ツーリスト 女 16歳 土御門の華
飛天 鴉刃(cyfa4789)ツーリスト 女 23歳 龍人のアサシン

ノベル

「む、むね!? え、えっ? あの……間違え……私、あの」
 赤ん坊を抱え窮地にある少女に助けを差し伸べようと親切心から声をかけた黒髪の娘は、驚天動地の反応に戸惑い、羞恥に朱が差した顔のまま言葉を窄めて固まる。
「そうです!! おっぱい! おっぱいをください!! この子に! お願いです!」
 ――ううぁあうぁああ!!
 赤ん坊の泣き声と周囲の視線に完全にパニックに陥っていた少女は、百万の援軍を得た気持ちで声を張り上げ、その腕に抱かれた赤ん坊も何故か同調するように期待? の声を上げて困惑に硬直する娘――華月をつぶらな瞳で見つめている。
「おっ……む、むねって、えっ、母乳が必要と言う事? わ、私も母乳なんて出ないわ」 
 釣られて口をついて出そうになった端ない言葉を辛うじて飲み込みおたおたと後退る娘の背中に当たる硬質の感触。
 振り返った娘の眼に映るのは、黒き鱗に覆われた戦人の肢体。
「あ……あの、もしかしてお乳でたり……しない……です……よ……あっ」
 娘の絞り出した声は黒き偉丈夫に呑まれる。
 動転した娘が自らの失態に気づくのは僅かに遅かった。
「……それは嫌味か」
 返す言葉は静かな、それでいて他者を圧する呟き。
 剣呑な眼差しを凹凸の目立つ二人の女に向ける絶壁の龍人こと飛天 鴉刃。
 暗殺者の眼差しは軽い冗談程度(僅かな本気も混じっていたが)であっても娘と少女に戦慄を起こすには十分すぎる眼力。
 緊張と恐怖に心臓の跳ねた少女に力が篭り、その腕に抱かれた赤ん坊は苦しげな声を上げ泣き声を響かせた。
「とりあえず……だ、その泣き喚く赤子は腹を空かせているのか? ……赤子用の食事は売ってなかったか? 確か乳もあったはずであるが」
 少女の緊張が赤ん坊に伝わる筋の動きは容易に見て取れた。
 薬を効かせすぎてばつが悪いのか龍人は女二人へ助け舟となる言葉を出す。
 
 ――己を窮地に陥れるのは安易な発言を端初とすることが多い。


‡ ‡


 §ターミナル・ベビー用品店

 愚図る赤ん坊を少女と共に店舗入り口の託児スペースに預け、黒龍の女と黒髪の娘が店に消える。

(赤子は色々汚しがちと聞く、とりあえずは交換など必要になりそうなものは代えを揃えておきたい……)
 龍人の買い物は実に仕事人的に淡々と作業的である。
 ターゲットは乳幼児用粉ミルク、衣服、下着、タオル、ウェットティッシュ等の乳児用消耗品。
 手に触れるを幸いに陳列棚から手当たり次第に買い物籠の中に投げ込む。
 さして、己に知識のあることでもない以上、下手な鉄砲も数打てば当たるといった所であろう。愚直な策であるが徒に悩むよりはるかに良い。

 堅実に成果を積み上げる鴉刃に対して、華月の状況は惨憺たるものであった。

 (えっ? 赤ちゃん用品ってこんなに……あるの?? どうしよう……どれがいいの?)
 おむつといえば布おむつ、おもちゃといえばガラガラが精々であった故郷の世界と比べ、余りにも豊富な商品を前に、華月は当惑の表情を隠せず陳列棚の前を右往左往。
「何かお困りでしょうか? 商品のご説明など必要であれば……」
 そんな娘を見かねて近づいてくる男性店員。
「は、はぃ、大丈夫、大丈夫です。一人で探せます」
 しかしその好意は、男性を極端に苦手とする華月を一層の挙動不審な迷走に陥れる。
 (……どうしよう……どうしよう……早くしないとまた……)
 自ら助けの手を拒み、男性に話しかけられかもという恐怖が困惑を広げ、娘は焦りの表情のままおろおろと店内を惑う。

 小一時間程たった頃、迷走の娘に再び話しかける姿があった。
「アンタさっきからどうしたんだい? 何探してるんだい? なんか男衆を避けてるみたいだけど、聞きにくいことかい?」
 恰幅のいい『女性』店員――43歳の砌に覚醒しはや百年。永きに渡り並み居る狂クレーマーを千切っては投げ千切っては投げキングオブパートの名を欲しいままにしたパートの神と呼ばれしもの、オバチャン――がにこやかなスマイルを浮かべ華月に手を差し伸べる。
「あ、あの…………これ……」
 混乱が抜けきらず、うまく言葉が紡げない華月は、おずおずとオバチャンに買い物メモを手渡す。
「おむつかい? そうねぇ。体重どのくらい? え、分からないのかい? ちょっとアンタさぁ、ママさんなんでしょ? しっかりしなきゃ。最近の若い子はそういうことばっかり早くて……あら、そういえばパパさんはどうしたの?」
 答えを待つことなく、自分の質問に勝手に答えをつけながらのべつ幕なしに捲し立てるオバチャン。
「え、あ、あの……パパさんは……どこにいるか分かりません。……あの、それと私はマ――」
「……いいわ、分かった。新米ママなんでしょ? あーもう言わなくていいわ、はいこれ、0歳児向けの紙おむつSサイズ80枚セット、口に入れないくらいのおもちゃもつけておいたからね! タオルは沢山あるけどすぐ足りなくなるからね、いいかい?」
 たどたどしくしい華月の言葉を勝手に勘違したオバチャンは一人頷き、機関銃のように繰り言を吐きながら、華月の前に籠を置くと次から次へとベビー用品を山と投げ入れる。
「さ、これでいいね。代金はいいわ、オバチャンが払っておくから。……頑張るんだよ、ママさん、何かあったらこのオバチャンに相談しなさい!」
「あ、あの私の赤ちゃんじゃ……」
 抗弁の言葉は完全に無視され、山盛りの籠が「はいっ」と押し付けられる。
 周囲の視線――明らかに自分に対して誤解をした視線を感じる。
 (あの子あんなに若いのに……大変ねえ……)
 (それにしたって最近の若い子は……)
 耳に入る野次馬的な言葉に華月の頬は羞恥に朱に染まり、抗弁の言葉を持たない娘は荷物を抱えた俯き店の外に走りでる。

 (何をしているのだ、あやつは……)
 山盛りの籠とともにレジに並びながら事の顛末を見ていた鴉刃は呆れたような呟きを漏らした。


‡ ‡


 §ターミナル・フラン宅

「あ、よかった! 飲んでる、凄い凄い!」
 少女の脇に抱かれた赤ん坊はゴム製の乳首を前に少し鼻を鳴らすと、徐に口に咥え吸い付き始める。
 よっぽどの空腹であったのか哺乳瓶と赤ん坊の口の間からは音が漏れ、見る見るうちに人肌程の温かいミルクが赤ん坊の口の中に消える。
 空になった哺乳瓶が『ぷっ』と赤ん坊の口から外れると、赤ん坊はもっともっとと首を振って泣き喚く。
「はいはい、次のも準備してありますからねぇ。ちょっといい子にしててねぇ」
 あやしながら二本目の哺乳瓶を赤ん坊に近づける少女。
 赤ん坊は勢い込んでおかわりを口に咥えると嚥下を続ける。
「……凄い、よっぽどお腹が空いていたのね」
 少女の傍らに並んで座り、力強くミルクを飲む赤ん坊を覗き込む華月も感心と驚きに目を丸くする。
 二本目の哺乳瓶を八分程飲むと吸い付く力も緩み、少し逆流したミルクが赤ん坊の口元が白く濡した。
「はい、ゲップしてくださいねー。げぷー」
 役所で借りた手引き書で覚えたとおりに少女は満腹した赤ん坊の背中をさすると赤ん坊の喉元が「こぷっ」と可愛らしい音を立てる。
 ご満悦の表情を浮かべる赤ん坊。
 零れた口元のミルクを華月が拭うと赤ん坊はさらに嬉しそうに口を開き、華月に笑いかける。
 無邪気な笑い、釣られて娘の顔にも笑いがこぼれる。

 赤ん坊の笑いは母性を刺激する。娘の胸中には自然と赤ん坊を喜ばせてあげたいという気持ちが湧き上がる。
「はい、赤ちゃんおもちゃですよー。お手々に握ってくださいねぇ」
 先のお店で貰ったお米製の玩具を小さな手に握らせ、手本とばかりに振ってあげる。

 シャラシャラと音を立てる玩具に興味を惹かれたのか赤ん坊は、己の手にあるものを眺める
 ぶんぶんと幾度か手を振る赤ん坊。その動きが、ふと止まり娘の顔をじっと見つめる。
 どうしたの? と華月が見つめ返すと赤ん坊は目を細め、歯茎が見える程に大きく開けた口からキャッと歓声が漏れた。

 三ヶ月児にとって、玩具への興味より誰かが自分に興味を持ってくれているという喜びのほうが遥かに上回るのだ。

 赤子の歓声に相貌を崩す華月、くっつきそうなくらいに近づけた顔にちくりと痛みが走った。
 垂れ下がった華月の黒髪を赤ん坊の手がしっかりと握りしめている。

 ――うっうっうぅー

 上機嫌な赤ん坊は、髪を握りしめたまま手を振り回す。
 意外な程強い力に少し前のめりになる娘、赤ん坊の次の興味は目の前でチラつく細工に移る。
 細工に伸びる手、反射的ではあったが華月は軽くその手を払ってしまう。
 何が起こったかわからず、きょとんとした赤ん坊の表情が見る見ると歪み、大音響の泣き声が響いた。
「ごめんね、ごめんね、これは本当に大切なものなの、ごめんね」


 上機嫌から一変した赤ん坊を必死であやす娘。
 (しかし赤子と言うのは苦手である。子供もな。何をしたいのかと言う意思が読めぬ? 壊れやすい故に丁寧に扱わねばならぬのに、相手は大人しくせず暴れまわる。世話が焼けるとはまさしくこの事)
 その苦戦する様を見つめながら鴉刃は述懐する。
 もっともこの場にいてその赤ん坊と関わらずに居ることはできないのだが。
「ほら鴉刃さんもぼっとしてないで、お布団敷いてあげるの、手伝ってくださいよ」
「あ、ああ、左様であるか……」
 赤ん坊と娘の姿を眺めて居た鴉刃は、少女に言われるがままベッドの上に赤ん坊用の布団を広げる。
 座布団といっても差支えのない、余りにも小さな赤ん坊用布団を見ながら、ふと冷静な己がボヤく。
 (そういえば何故、私が赤子の世話の手伝いを……。慰安旅行のチケットを取りそびれ、一緒に行けない事にアルドをがっかりさせてしまい、更にこのような厄介事に巻き込まれ。ついてないな、全く)
 龍の口蓋から漏れる吐息は、間延びしたように長い。

 ――だぁ!!
 龍人の様子を察したのか否か、喚いていたはずの赤ん坊が突然上機嫌に大きな声を上げた。
 (やはり、赤子の言いたいことが分からぬ……)


 赤ん坊の機嫌の波は荒く激しい、次なる嵐はもう目の前に迫っていた。





 ――ふぇ、うぇ、うぇふぇえええええん

 布団に横たえられ、ゴロゴロと転がっていた赤ん坊は突然と動きを止め、眼をぱちくりとさせると首を二、三回振り、顔面をみるみるうちに紅潮させ泣き声を上げ始める。
「ど、どうしたの? 大丈夫?」
 転がる赤ん坊を楽しそうに見つめていた華月は、慌てて赤ん坊を抱き上げてゆらゆらと揺らすが全く泣き止む気配はない。
 幾度も聞かされた泣き声にいい加減に辟易としてきていた鴉刃は、渋面を作り言葉を吐く。
「ぐ、泣いてばかりでは全く分からぬではないか。漏らしたのか、空腹なのか、何がまずいのであるか、とりあえず服を脱がせば分かるか?」
「あ、それです鴉刃さん。きっとおむつです、食べたらでますよね……えっと、どうすればいいのかな」
 鴉刃の愚痴にぽんと手を打った少女は、おむつの袋を手に取り説明書きと睨めっこをはじめる。
 龍人と少女を尻目に、華月は赤ん坊を撫ぜながら押さえると服を丁寧に手早く脱がせ、変えのおむつを赤ん坊の下に敷いてからおむつを脱がす。
 先ほどは混乱の一因となった目新しいベビー用品であったが、触ってみれば使いでの良さがわかる。
 露わになった股間に生えた小さなものに、お、男の子なのね、と一瞬ぎょっとするがさすがに赤ん坊にまで苦手意識がでることはない。
 緑色の便に濡れたおむつを畳み、ウェットティッシュでお尻を綺麗に拭ってあげる。
 綺麗になったお尻を軽く持ち上げて新しいおむつをつけてあげると再びご機嫌となった赤ん坊の笑い声が聞こえた。
「手際がよいな、お前はこういうことは慣れているのか?」
 スムーズな手際に龍人は感嘆の表情を浮かべ問う。
「……故郷で、従兄弟の赤ん坊の世話を少し……」
「左様か」





 この年頃の赤ん坊の活動周期は寝る、食う、出す、を三時間から四時間の周期でループさせる。
 
 再び、眠りから醒めた赤ん坊が上げる泣き声も二度目とあれば動揺も少ない。
 二度目のミルクを与えながら、少女はいい事を思いついたとばかりにニヤニヤ笑みを浮かべ龍人に話しかける。
「ねぇねぇ鴉刃さんも、もうしてると思うからおむつ替えしてみませんか。いざという時、慌てなくて済みますよ? きっとアルドさんも不慣れだと思いますし……姉さん女房としてはぁ、そういうところ、どっしり構えてリードするべきだと私は思うんですよ」
「……それは貴様も同じであろう……なんだ、その笑いは……くっ、やればよいのであろう」
 ……上手い抗弁の言葉がでない。
 井戸端会議的な会話には、暗殺者よりも村娘風情のほうが一日の長があるようだ。
 (そういえば何故私が赤子の世話の手伝いを……。慰安旅行のチケットを取りそびれ、一緒に行けない事にアルドをがっかりさせてしまい、更に厄介事に巻き込まれ。ついてないな、全く)
 嘆息をつきながらも動く龍の手。
 少し性急な龍人な手つきに引っ張られた服からぷちぷちぷちとボタンが弾け、赤ん坊の半身が露わになる。
 とりあえず華月を真似て、変えのおむつを体の下に敷き、おむつを脱がせるために素足を握りしめると股を開かせる。

 ――ふぇ、うぇ、うぇえええええええん

 本人にその気がなくとも、慣れなさと戸惑いと苛立ちから扱いが若干ぞんざいなっていたのであろう。
 おむつ交換への期待と足を触られていることで上機嫌になっていた赤ん坊の顔が突然歪む。
「ぐっ、なんだというのだ。気持ち悪いのではないのか……ええい、何が不快なのだ世話の焼ける」
「鴉刃さん! 鴉刃さんが乱暴に扱うから赤ちゃんが嫌がっているんです、もっと優しくしてあげてください!」
「もっと丁寧に扱え、と言われても……善処する。…………本当にどうして私は世話を手伝っているのか」
 そもそもおまえが……とも思ったが、柳眉を逆立てる少女の姿に言い返す力もわかず、ただため息をつく。

 (……いずれ、私もこういうことを生業とせねばならぬ時が来るのであろうか……あ、いや。ロストナンバー云々以前に、男と交わった経験はないがな?)
 心の声に自分でツッコミを入れる鴉刃が思い浮かべた男が誰であるかは言うに難くない。





 鴉刃の受難の時は過ぎ去り、新しいおむつを身に纏って機嫌よく転がる赤ん坊のお腹から異音が響いた。
 赤ん坊の服が、見る見るうち薄茶に染まり、布団に液体に滴った。
 何かあれば取り敢えず泣く、それが仕事であるように喚く赤ん坊。
 訝りながら慌てて抱き上げる少女の手にねっとりとした生暖かさが触れる。
「きゃ!? 何これ!? うんち漏れちゃっている。ど、どうして? ど、ど、どうしよう」
「フ、フランさん、ふ、服、汚れちゃうから脱がさないと……」
 おむつは返しの襞がしっかり出ていなければ堰き止めるに能わない。
 少量であれば問題なかったであろうが、大量に排出されたおむつの隙間から零れ出てしまっている。
 
 ハプニングに動転する二人の行動は、状況を悪化させる。
 慌てて脱がせたせいで、服についていた汚物が飛び散り被害が拡散する。
「おむつ、おむつ替えなきゃ……」
 さらなる事態の悪化、脱がしたおむつにたっぷり乗った柔らかい便が零れ落ちる。
 反射的に差し伸べた手と袖が便にまみれ、少女の顔が泣きそうに歪む。
「華月さん、タオル、タオルで吹いてあげて……あ、あと手、手を洗わせて……」
「は、はい、フランさん、ここは任せて……今から綺麗綺麗してあげます……きゃああ!?」
 泣きそうな顔で洗面所に消えた少女に入れ替わり、赤ん坊の下半身を綺麗にしようとしてタオルを握りしめた華月は悲鳴を上げた。

 赤ん坊の顔に浮かぶ表情は満足、出すものを出して心地良いのだろう……。
 小さなものからちろちろと漏れ出る液体が赤ん坊の股を濡らし、むき出しになった足から布団に滴っていた。


‡ ‡


 赤ん坊の暴虐によって汚された布団と服が納められた洗濯機の音が周囲に重い音を響かせている。

「……揺籃のうたを~カナリヤが歌うよ~ねんねこ、ねんねこ、ねんねこよ」
 洗濯機の音を背景に、赤ん坊を腕に抱く華月の口から子守唄が零れる。
 故郷でまだ幸せな日を過ごしていた時、従妹が産んだ赤ちゃんに唄っていた歌。
 曖昧な記憶が紡いだ優しく慰撫するような歌声が、赤ん坊を包みゆっくりと眠りの縁に誘う。
「揺籃のうえに~枇杷の実が揺れるよ~ねんねこ、ねんねこ、ねんねこよ」
 子守唄に合わせ微かに揺れる赤ん坊。瞼は重く徐々に閉じられ寝息が漏れ始めた。
 腕の中の赤ん坊を眺める華月の顔には、はんなりとした微笑みが浮かんでいる。

 慣れない赤ん坊の世話は心身共に疲労を積み上げた。
 眠る赤ん坊を見る三人。

 (どうにも赤子は、手間がかかるだけで可愛いとは思えぬ。……自分の子となれば、また違うのであろうか)
 疲労を交えた嘆息と共に龍人の女は思う。

 (赤ちゃん……私も、いつかは……)
 少女は恋人の顔を思い浮かべながら夢想する。

 (……フランさんも鴉刃さんも頼れる人がいるのよね……)
 腕の中で赤ん坊をゆらゆら揺らす娘の胸に、一瞬、複雑な感情が去来する。
 羨ましいと感じながらも、同じようになりたいと思えるかと言えば……。

 ――長い休日は更けていく

クリエイターコメントベットの上に布団を置くのは真似しちゃダメだぞ!
〆切4時間前を切ったWRのKENTです。

一個前のシナリオの調整でスケジュールがおもいっきりずれ込んでしまってギリギリの納品になってしまいまいた。
文字数も思ったほどコンパクトにならず、お風呂で怒りの脱糞とかスティックを洗う時に皮を剥く話とかが激しく割愛……。

しかし、このベビー用品店一体どうやって経営維持しているのだろうか……もしかしてお店っぽいギア……いやチェンバー?

そろそろ限界が近いので、手短ですが以上にて
それではまたの機会によろしくお願いします。
公開日時2013-04-21(日) 22:00

 

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