オープニング

 ブルーインブルーでしばらく過ごすと、潮の匂いや海鳥の声にはすぐに慣れてしまう。意識の表層にはとどまらなくなったそれらに再び気づくのは、ふと気持ちをゆるめた瞬間だ。
 希望の階(きざはし)・ジャンクヘヴン――。ブルーインブルーの海上都市群の盟主であるこの都市を、旅人が訪れるのはたいていなんらかの冒険依頼にもとづいてのことだ。だから意外と、落ち着いてこの街を歩いてみたものは少ないのかもしれない。
 だから帰還の列車を待つまでの間、あるいは護衛する船の支度が整うまでの間、すこしだけジャンクヘヴンを歩いて見よう。
 明るい日差しの下、密集した建物のあいだには洗濯物が翻り、活気ある人々の生活を見ることができる。
 市場では新鮮な海産物が取引され、ふと路地を曲がれば、荒くれ船乗り御用達の酒場や賭場もある。
 ブルーインブルーに、人間が生活できる土地は少ない。だからこそ、海上都市には実に濃密な人生が凝縮している。ジャンクヘヴンの街を歩けば、それに気づくことができるだろう。

●ご案内
このソロシナリオでは「ジャンクヘヴンを観光する場面」が描写されます。あなたは冒険旅行の合間などにすこしだけ時間を見つけてジャンクヘヴンを歩いてみることにしました。一体、どんなものに出会えるでしょうか?

このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、
・あなたが見つけたいもの(「美味しい魚が食べられるお店」など)
・それを見つけるための方法
・目的のものを見つけた場合の反応や行動
などを書くようにして下さい。

「見つけたいものが存在しない」か、「見つけるための方法が不適切」と判断されると、残念ながら目的を果たせないこともありますが、あらかじめご了承下さい。また、もしかすると、目的のものとは別に思わぬものに出くわすこともあるかもしれません。

品目ソロシナリオ 管理番号645
クリエイター阿瀬 春(wxft9376)
クリエイターコメント こんにちは。
 旅の合間のジャンクヘブン観光、如何でしょうか。

 港の散策、砂浜や岩場の散歩、お土産探しに酒場放浪なんかもいいかもしれません。海の旨味がぎゅっと詰まったジャンクヘブン、海に関するものでしたら、きっとお探しのものも見つかるはず、です。

 ご参加、お待ちしております。

※プレイング日数が5日と短めに設定しております。ご留意ください。

参加者
アクラブ・サリク(chcz1557)ツーリスト 男 32歳 武装神官

ノベル

 夕凪の海が黄金色に染まる。水底の冷たさを帯びた緩やかな風が、冷たい掌のように頬に触れる。触れて、逃げる。
 編み込んだ紅の髪が高い背で揺れる。直に伸びた背中は、鋼の印象。鋼の背を包むのは、しなやかな獣じみた武人の筋肉。人を寄せ付けぬ謹厳な神官の眼は、金色。
 市場の人込みを歩けば、避ける間もなく自然と道が開く。それでも、チケットの効果があれば、人々の記憶には深く残らない。
 夜を含み始めた涼風と、市場を行き交う人々の熱を斑に浴びながら、アクラブ・サリクは歩く。急いではいない。
 昼の陽の熱を吸い込んだ石畳の道が、緩やかに冷えていく。海に臨む港市場の露店が次々と店仕舞いを始める。賑やかに咲いていた日除けのパラソルが畳まれ、天幕が取り込まれる。売れ残りの魚や生鮮品が投売りに掛けられる。一日の名残を惜しむように、市場は最後の喧騒に包まれる。
 いつか手に入れたいと思っているものは、ここには無かった。
 古い教会を改築した骨董屋や、路上に色鮮やかな敷物を広げた土産物屋、流木や珊瑚や貝を様々に加工する職人の店。様々に巡ってはみたけれど。
(先にこの世界を訪れた時にはよい香木が手に入ったが)
 市場の喧騒を離れる。帆を畳み、停泊する船が幾艘と並ぶ船着場に気紛れに足を向ける。
 依頼の船が出港するまでにはまだ間がある。それまで、この海上都市を歩いてみるのも悪くない。
 目的のものが見つからない落胆は、その金の眼には浮かんではいない。ゆったりと紅の髪を揺らす。凪の海を染める陽の黄金色が、茜の色に滲み始める。海に沈む陽は、この港からは見えない。
 冷たい風の掌が、顎先に生やした鬚に触れる。潮風を払いのけるように、指先で軽く顎を擦る。
 視界を朱に染める光が、いつか浴びた血の匂いを喚起させた。潮の生臭さは、ほんの僅か、血の匂いにも似ている。海の生物が陽に晒され、腐敗していく臭いは、人間のそれにも通じる。赤黒い、臭い。
 ふと見下ろした自らの手に、その臭いとその色が染み付いている気が、した。
 拳を作る。掌に浮かんだ幻の血塊を握り潰す。
 神に仕える神官でありながら、――否、あるが故に、戦う毎に血を浴びた。死者を弔う傍ら、死者を増やした。民を思い、戦えば戦うほど、護るべき民は遠去かった。悪循環の端緒は、帰属世界を失った今も憎む、――弟。正妻の子である、その一点だけで、妾腹であるアクラブから居場所を奪った。約束されていた地位の座を明け渡さざるを得なくなった。
(弟が居なければ)
 正統な後継者とも言える弟が生まれて尚、アクラブを支持する者は居た。神官の最高位を巡り、兄弟それぞれを支持する者の間で泥沼の応酬が続いていた。
(あれが、生まれてこなければ)
 弟を支持する者の策略にうかうかと掛かることもなかった。覚醒し、世界から放逐されることもなかった筈。
 拳を解く。どれほど弟を憎もうと、元の世界に帰属出来なければ、何にせよ、詮無い事。
 血色の海を睨み据える。懐から煙管を取り出す。手慣れた仕種で煙草を詰める。神の加護を強く受けている証左でもある、無から火を生み出す能力でもって、火を点ける。
 肺に煙を満たし、引き結んだ唇を微かに緩める。紫煙を吐き出す。
 ――香木、好きか?
 先の香木を手に入れた際に関わった、老船長の言葉を思い出す。
(似合わぬことは承知だが)
 香は安らぐ。身にいつまでも纏わりつき、染み付く血の匂いさえも、あの柔らかな香りの煙が掻き消してくれるような気がする。
 耳に届く静かな波音を掻き乱して、小さな足音が市場の方から近付いてくる。幼い子供の気配。惑いがちな足音に、泣きじゃくる声。迷子か、と思い、ちらりと視線を投げる。
 低い位置にある子供の眼と視線が交わる。途端、子供は涙塗れの顔を強張らせた。頼りになりそうな大人を見つけ、近付こうとしていた足が止まる。じりじりと後退り、無理やりに視線を逸らし、踵を返す。逃げるように走り去る。
 脱兎の勢いで逃げる子供の小さな背中を僅かの間、眺め、アクラブは紫煙を吐き出した。子供を苦手とする気持ちが伝わるのか、どちらかと言うと強面に属する顔立ちのせいか。子供には避けられがちだ。
 煙草が尽きた。煙管を仕舞う。いつの間にか、海の色は藍に染まっている。市場の喧騒が途切れている。
 ――ジャンクヘブンに行く機会があれば、寄ってみるといい
 黒を基調とした衣の裾を翻し、港を離れる。脳裏にあるのは、老船長が話していた、ジャンクヘブンの片隅にあるという、香専門の店までの道筋。
 ――日暮れの頃に開く、夜市だ
 白珊瑚の積まれた塀が続く倉庫街を抜け、近道だと教えられた通りに、細い路地に入る。夕闇の沈む暗い路地を進めば、突然、狭い路地の道が、百以上の角灯に照らし出される。違う道に出たのかと来た道を振り返る。背後には、夕闇うずくまる閑散とした路地。正面には、角灯の光で煌々と照らし出され、露店や店舗が並び、人が行き交う賑やかな市場の風景。狭い路地いっぱいに、魚介や肉を焼く匂いや煙、酒や果実の甘い匂いが満ちる。
 港の市場が開かれるのは、朝から昼にかけての明るい時間。
 夜市は、ジャンクヘブンの片隅の路地裏で、その名の通り、夕暮れから深夜にかけて開かれる。小規模ではあるが、昼の市に負けず劣らず、賑やかだ。着飾った女が、赤銅色の肌した船乗りが、昼の通りには無い、どこか浮ついた雰囲気を纏って行き来する。
 人波に圧されることなく、目的の店を探す。
 誰彼構わず酒を薦める禿頭の老人から身を交わし、袖を引く女の手を一瞥もせずに解き、螺鈿細工を売り込む青年を避ける。そうして辿り着いたのは、夜市の外れに一軒、古びた樹の看板を掲げた目立たぬ店舗。その店の周りだけ、騒がしい夜市の匂いが不思議となりを潜めている。頬を撫でるのは、僅かに苦味を帯びた甘やかな香り。
 店の前には、安楽椅子に腰掛けた店主らしい女が一人。深海色の布を頭に巻いた女主人は、店に真直ぐ歩み寄るアクラブの姿を認め、いらっしゃい、と華やかな声を掛けた。
 香を探している、と。良いものが無いかと尋ねる。女主人は、そうだねえと首を傾げた。
「最近は海賊に奪われることも多くてね」
 お眼に適うもんがあるかどうか、と立ち上がり、手狭い店内へと案内する。棚に飾られた様々な形の香炉と並んで、何十種類もの香がある。花や魚の形を模したもの、丸薬のようなもの、鮮やかな色のついたもの、黒檀の色したもの、琥珀の色したもの。樹形のままのもの、粉末にしたもの、木っ端にしたもの。
「お客さん、軍の人? それとも、傭兵か何かかい?」
 店の奥に幾つも積まれた小さな箱の中から、何箱か選び出しながら、店主は問う。
「そのようなところだ」
 曖昧に応えても、気にしていない笑みが返ってくる。傍の卓に箱が置かれ、蓋が取られる。箱には、宝石じみた丁寧な扱いで、綿と共に指先ほどの香木が収められている。
「武人は香木を好む人も多いね」
 殺伐としたとこに居るからかね、とのんびりと笑う。
 好みの香りを探しながら、アクラブは小さく頷く。
 香に包まれ、あえかな煙の中に沈み込んでいる時だけは、――その時だけは、神も戦も民も敵も、全て忘れていられる。剣呑な感情に満たされがちな心が、その時だけは、安らぐ。
 例え、それが一時の儚いものだとしても。


クリエイターコメント ブルーインブルーは海上都市ジャンクヘブンでの一幕、如何でしたでしょうか。
 お任せ頂いたのに近いプレイングかなと感じましたので、筆の向くまま、書き綴ってみましたが……
 楽しんで頂けましたら、幸いです。

 アクラブ・サリクさま
 いつもお世話になっております。
 香木探しの散策、如何でしたでしょうか。
 私の中で、大人な男性のイメージが強い方なので、ちょっと夜の市場までご案内させて頂きました。
 お好みの香木が見つかったかどうか、また、ご購入されたかどうかは、お任せいたします。

 ご参加、ありがとうございました。
 またどこかでお会い出来ますこと、願っております。
公開日時2010-06-11(金) 23:10

 

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