用具を担いで、今日も出掛ける。 駅前広場では、いつものようにドアマンが待ってくれていた。「いつも、すまないわね」「いえ」 脇坂一人が礼を言うのへ、それには及ばぬと微笑を浮かべ、ドアマンはうやうやしく《ドア》を開いた。 その先は深い樹海の一画である――。 それはあるとき、天啓のように脇坂一人の中に舞い降りた思いつきだった。 そうだ、畑をつくろう。 樹海をすこし拓かせてもらって。チェス盤の床だった地面にも、今は土があるというから可能だろう。 畑で作物を育てれば、住人が増えた0世界に食糧も提供できるし、ナラゴニアの人の働き口にもなるかもしれない。なにより、一緒に農作業ができれば、両者の交流を進められるのではないかしら。 一人は、いつも使っている農具を持ち出し、さっそく取り掛かることにした。 ただ、問題は、樹海は決して安全な場所ではないということだった。なにせ旅団の制御を離れたワームが徘徊している。 そこで、護衛役を買って出てくれたのがドアマンであった。 彼は黙々と作業を続ける一人を見守りながら、木陰にそっとたたずんでいた。 ふいに、なにか用事を思い出したのか、ドアを抜けてどこかに消えることはあったが、気がつけばちゃんと戻ってきている。 鋤を置いて一息つけば、冷たい飲み物を載せた銀盆をそっと差し出してくれもした。「あ、ありがとう」「いえ」 ドアマンの気遣いはいつもさりげなく、かつエレガントであった。(素晴らしい着想です) ドアマンは、一人が樹海に畑をつくろうとしていることを知ると、そう言ったのだった。(ナラゴニアの人々が文字通りの意味で、平和的に0世界に根付くには、この世界の土に触れるのは最適でしょう)(わたくしにもお手伝いをさせて下さい) そう言って微笑んだドアマンに、一人の胸がときめいたとかなんとか。 そんなわけで、ふたりが樹海に出かけるようになって数日。 幸い、今のところドアマンの力を借りるような事態には陥っていなかったが、一人は視界の端に立つドアマンのたくましい姿に、安らぎのようなものをおぼえ、親しむようになっていた。 畑はだいぶ格好がついてきており、今日はいよいよ種を撒いたり、苗を植えたりしようと思っていた。 ところが。「おや」 ドアマンが発した声はごく小さなものだったが、一人は聞き逃さなかった。「どうかした?」「……。失礼」 ドアマンはがちゃりとドアを開けてそれをくぐった。 一人は空気を探るように周囲へ気を配りながら、作業に疲れた身体をほぐした。――と、どこか遠くで、なにかの音がしたようだ。「ワームです」「!」 突然、ドアマンが戻ってきたので、一人は息を呑む。「近いです。こちらへ来るかどうかはまだわかりませんが、ご注意を」「……」 一人は耳をそばだてた。「ひとの……声がするけど」 ドアマンは頷く。「誰か追われています」 それは、遠目には、イノシシのように見える。 だが、大きさが異常だ。自動車くらいはある。それに、近くで見れば被毛と思われたものは、ざわざわとうねるミミズの群れのような、触手の集まりであると知れただろう。燃えるような真っ赤な眼。あぎとより零れ落ちる唾液は、触れた植物を腐らせてゆく。 異形の獣は、ひとりの男を追いかけていた。 追われて逃げるは、三十前後に見える男で、身なりは汚れ、顔は無精ひげに覆われていた。「ちくしょう」 テンガロンハットがずり落ちそうになるのをおさえながら、男は獣に向かって拳銃を向けた。 咆えるような銃声が数発、響いた。 弾丸は命中したようではあったが、ワームにはさしたるダメージならなかったようである。あざ笑うように、かッと開かれた口の中には、サメのような凶悪な牙が何列にも並んでいた。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>脇坂一人(cybt4588)ドアマン(cvyu5216)=========
いかが致しましょうか、一人様?――ドアマンの静かな瞳がそう訊ねている。 朝食の卵料理はオムレツにしますか、フライエッグにしますか、と聞くように……そしてどちらを告げられても、何の問題もなく、優雅にサーヴできるの支度があるようにだ。 「ワームは倒すわ」 トラベルギアの鉈が、彼の手の中にある。 「今はやり過ごせても、後で畑に来るかも知れない。放置したってどうせ他の探索チームの負担になるから。もちろんその旅団の人も助ける」 「畏まりました」 ドアマンは頷いた。そう言われるのはとっくに承知していましたと言わんばかりだ。 同時に、長身の彼の背丈をも超えるサイズのドアがいくつも、畑を取り囲む壁のように出現した。 「一人様のすばらしい試みがこのような些事にて頓挫することは、わたくしも本意ではございません」 恭しく、ドアのひとつを開ける。 一人は軽やかに、そのなかに飛び込んだ。 恐ろしい咆え声をあげながら、異形の獣が迫ってきた。 だめだ、避けられない。男は観念した。強酸性の唾液にまみれたあの牙の列に噛み砕かれたら、死ぬまで何秒だろう。せめて苦しむことなく人思いに―― ふわり、と、身体が浮いたような感覚があった。 「っ!?」 思わず声が出た。 追い詰められ、その背は木の幹に預けていたはずが、ふいに体重を支える物がなくなったように、仰向けに倒れこんでしまったのだ。同時に、喰われる寸前に、迫っていた獣の姿が視界から消える。 「な、なんだ!?」 次の瞬間、あろうことか自分がお姫様抱っこされているのを知った。 「お怪我はございませんか」 身なりのよい、壮年の男だった。妙に青白い肌。怜悧な瞳がひらめく。 「……」 ずるり、とテンガロンハットがずり落ちた。 どしん、と重い音がした。偉業の獣が先ほどまで彼がもたれていた木の幹にぶつかった男だった。 「なんか、こんなアニメあったわね!」 別の声がした。剪定バサミを手にした細身の青年が茂みから飛び出し、獣に向かってゆく。 「っの!」 鉈を胴体に突き立てると、全身を覆う触手の群れが怒りに逆立つ。 「怒った? さァ、こっちよ、暴れイノシシ!」 青年の背後に出現する扉。彼がそれをくぐると、扉は消え、獣は虚空をつきぬける。 「ひとまず退却」 男をお姫様抱っこしたまま、ドアマンはバックステップで扉に消えた。 ばたん、と扉は一度閉じたが、あとで少し開いて、ドアマンの手だけが落ちていたテンガロンハットを拾ってサッと引っ込んでから消滅する。 「世界図書館の連中か、別に助けてくれなんて頼んでねェぞ!」 だん!とテーブルを叩くと、白磁のカップとソーサーががちゃん、と音を立てた。 「……人が死ぬのは苦手なの」 対面にかけた一人は真顔で言った。 「あぁ?」 「私は脇坂 一人。こちらはドアマンさん」 一人のカップに紅茶を注ぎながら、ドアマンは目で挨拶。 樹海のただなかに、忽然と置かれた丸いテーブルを挟んで、旅団の男と一人が向かい合っている。 「名前を聞いても?」 「……マックスウェル。呼びにくけりゃマックとでも」 「オーケイ、マック。借りを作るのが嫌なら共闘する事で貸し借りなしはどう?」 「なんだと」 どこかで、耳覚えのある咆哮が響く。 「あのイノシシ……いいえ、ワームは、当分、このあたりをうろついていると思う。畑を荒らされたら困るの。ホント、実家にいた頃もイノシシには苦労させられたわ。何度も田んぼや野菜畑を荒らされたの」 「畑ェ? おまえ、ここで畑つくってンのか?」 マックスウェルは、ドアマンが注いだ紅茶の匂いを嗅ぐと、ずずずと音を立てて啜った。 「まあね。どう? 力を貸してくれない?」 「ふん」 彼は無精ひげの顎をなでた。近くで見たらなかなか男前だ、と一人は思う。 「それならまァ……手伝ってやらんことも、ない」 「じゃあ決まりね!」 「けど、どうする。あいつにゃ、俺の銃が効いたようにも見えなかったぜ」 「私の鉈も。あの体を覆うウネウネのせいかも。なんとかできない、ドアマンさん?」 「やってみましょう」 「馬力もあるし、すげぇ、素早いぜ」 「それに小回りも利く。猪は急制動や方向転換が無理って話は俗信。跳躍力も凄いの。そうね……」 一人はオウルフォームのセクタンを空へ放った。 「ワナにかけましょ」 「ワナ?」 「お代わりは如何ですか、お二人とも」 「残念だけど、そんな暇がなさそう」 「そのようでございますね。失礼」 ドアマンはテーブルクロスの端をつまむと、一気に引き抜く。 上に置かれたティーカップをひっくりかえすことなく、ドアマンの手の中にテーブルクロスが渡ったそのとき、茂みからワームが飛び出してきた。 せつな、ドアマンは樹海のマタドールであった。 純白のテーブルクロスを翻して、獣の視覚を奪う。怒り狂ったワームが布を喰い破り、酸性の唾液でそれを溶かしたとき、すでにテーブルセットごと、3人は消えていた。 ◆ しかしそれはすぐに、人間の気配を空気中に察知する。 そして駆け出すのだ。 ワームには知性も理性もない。実はあるのかもしれないが、人間には理解できない。ただ蹂躙し、侵食してゆくだけ。 銃声が轟いた。マックスウェルの銃撃だ。 ワームは、だが、撃たれたことによっても減速することなく、敵の姿を求めて軌道を変える。その眼前に、突如、扉が出現する。どしん!とぶつかっても、扉は開きも壊れもせず、ワームを跳ね飛ばす。 ――と、扉が少しだけ開いて、なにかヒラヒラしたものがちらりと見えたかと思うと、キラキラ輝く金粉のようなものが宙に舞った。 「如何ですか、一人様?」 「なにがよ!」 樹上から降下する一人。ワームの背に鉈を突き立てる! 「大して変わってないわ……って、趣味悪!」 「おや。あまり醜悪な外見でしたのでデコレートしてみたのですが」 咆哮するワームの触手は、パステルピンクとパステルブルーのストライプに変わっていた。 「ただ、可愛すぎてもやりにくいものですのでね。『チュチュ枢機卿』のメイクアップ技術に期待したわけですが」 ドアマンは一人を連れてドアへ消える。 「こっちだ、イノシシ野郎!」 そしてマックスウェルの銃撃。獣は再び軌道を変えて走り出す。 「その銃、弾切れしないのね」 「それが俺の能力だからな」 ドアを抜けてあらわれた一人の問いに答えながら、撃ちまくる。 一人は駆けた。 イノシシの頭上、空中に扉が出現する。その縁に立つドアマン。 「お願いします。『ギュグルイ伯爵夫人』」 不吉な音を立ててドアが開く。 向こう側で、ゆらりと黒い扇が揺れ、業火の雨が降り注いだ。まともに浴びたワームの触手がたちまち炎上する。 それが苦痛を感じているのかはわからないが、燃えたまま突進してきたのは確かだ。ぼろぼろと、焼け焦げた触手がこぼれ、その下の腐肉めいた地肌があらわになる。 「しめた!」 マックスウェルがその部分を狙って撃つ。 血とも腐汁ともつかぬものが弾けた。 「マック、こっちよ!」 一人が呼んだ。 「ドアマンさん、ポッケちゃんのいる場所までお願い」 「畏まりました」 出現するドアにふたりが駆け込む。 「おい、ドアが消えねえぞ! 追ってくる!」 「いいの。イノシシってね、前足が短いから下り坂が苦手だから」 果たして、扉の向こうは坂道だった。 ドアから飛び出してきたワームが、勾配につんのめるように、たたらを踏んだ。 「それから、鼻から頭にかけての部分も弱点。狙える?」 「俺を誰だと思ってる」 マックスウェルの弾丸は、正確に、その部分に鉛弾を撃ち込む。転がり落ちるように、ワームが向かってくる。それでも怯まずに、彼は撃ち続けた。 ぐわっ……、と、牙の並んだあぎとを開く。だが、獣はそれ以上、脚を踏み出すことはなかった。 どう、と地響きを立てて、その場に崩れたからだ。 すかさず、一人が鉈を突き立てた。 ずぶずぶと、ワームの肉体は解け崩れ、悪臭を放つタール状の粘液に変じていくのだった。 「やった……」 マックスウェルが汗をぬぐった。 「あ、怪我」 一人は、彼の袖がかぎ裂きに破けて、その下に血がにじんでいるのに気づく。 「ああ、途中で、どこか枝にでもひっかけたんだな」 「救急箱があるわ。手当てを」 「大したケガじゃねえさ。こんなもん、唾つけときゃ治る」 「だーめ! 雑菌にでも感染したら怖いんだから。きちんと消毒しないと。さ、入った入った」 「おいおい」 あらわれたドアの中へ、無理やり押し込まれる。 その先は、一人の畑だ。 「どうぞ」 ドアマンが用意した椅子に座らされる。 「……おまえたち、本当にお節介だな」 「ホスピタリティというものです」 「はあ?」 「……しかしてマックスウェル様。ナラゴニアの状況はご存知ですか」 「ウッドパッドが止まっちまった。陥落したんだな」 「はい。ですが、図書館との会談の結果、当面は自治は保たれます。和平がなされたのです。われわれはもはや敵同士ではございませんので、おもてなしするのはわたくしの役目でございますから。ですが」 ドアマンの瞳が、ほんの一瞬、つめたい炎を宿した。 「戦士のまま散るをお望みなら、真剣にお応えします」 「……」 「僭越ながら」 その表情はすぐに、柔和な笑みにかき消された。 「差し出がましいことを申し上げますと、戦いで使い続けたお命を今度は別の目的に使うのも乙だと思いますよ」 「お待たせ!」 マックスウェルが答えかねているところへ、救急箱を手に一人が戻ってきた。 「さ、見せて」 消毒液を思い切りスプレーする。 「ッッッ……!!」 傷に沁みたようで、声なき呻きをあげるマックスウェル。 「ガマンして、男の子でしょ!」 一人が言った。 ◆ 黙々と。 一人が鍬を振るっている。 マックスウェルは椅子にかけて、その様子を眺めている。 傍らには直立不動のドアマンだ。 「……別の目的、と言ったな」 「申し上げました」 「別の目的ってなぁ、アレ、か」 「それも一つです」 「俺はガンマンだぜ」 「世界は無限。新しいものを知らぬままでは勿体ない。……と、チュチュ枢機卿も仰っておられました」 「誰だよ」 「あれは事故だったのです。猊下は新しいご自分を発見なさった。頬紅と白粉と――チュチュによって。猊下があの夜、部屋に呼んだ少年が、猊下の首に巻いた革紐を、もうすこしほどけやすく結んでさえいれば、あの悲劇は起こらなかったのですが」 「なんの話だ。くそったれ」 マックスウェルは椅子を立って、大股に、一人に歩み寄った。 「貸せよ」 鍬を奪い取ると、怒りをぶつけるように、土に振り下ろしていく。 「力みすぎ。無駄な力が入ってると続かないわよ」 「うるせえ。……なにを植える」 「そうね。小松菜、春菊、じゃが芋……そんなところかな」 「知らんな」 「そう? どれも美味しい野菜よ。それに初心者でも栽培しやすいの。簡単なのからはじめて、種類を増やしていけばいいかなって」 「本当に、旅団のやつらが、こんなことをすると思うか? 俺たちはいく先々の世界で、奪うことで生きてきたんだぞ」 「無理強いはしないわ」 「……。おまえたち」 ざん、と鍬を地面に突き立てる。 「本当にお節介だな」 肩で息をしながら、マックスウェルは振り返った。 ドアマンの扉をくぐって、マックスウェルはナラゴニアへと帰還していった。 「……私たちも、そろそろ帰りましょうか」 「畏まりました」 「……。また、会えるかしらね」 「恋の予感でございますか」 ぼふっ、と、タオルが顔に飛んできた。 * その後も、一人の樹海開墾は続いた。 ワームの襲来をはじめ、さまざまなハプニングや危機はその後もあったが、それはいつかまた、どこかで語られるかもしれない別の挿話だ。 0世界大祭が行われる頃には、畑はかなり立派なものとなった。 この地で、収穫があるのも、そう遠くない日のことだろう。 ところで、この畑の一角に、一体のカカシが立っている。 ワーム相手にカカシが役立つとも思えないが、「気は心っていうじゃない?」とかなんとかいいながら、一人が立てたものだ。 簡素なカカシの頭のうえには、テンガロンハットが風に揺れている。 (了)
このライターへメールを送る